2月25日(日)曇り

ん?nさん、前もセトウツミってタイトルで日記書いてなかった?と思った人はかなりのnフリーク!
それは、映画の方でありまして、私の中では結構上位にランクインされております。面白さが。
その時にも思ったのが、これ、ビデオで見たい。
ちょっとやんちゃなセト君と、クールな秀才ウツミ君という二人の男子高校生が河原でダラダラ喋り続けるというだけの話なので、とにかく会話の面白さが肝なわけだが、
油断してると付いていけなかったりする。
ああ〜これがビデオだったら巻き戻せるのにぃ〜と思いながら見たのを覚えている。
が、そのまますっかり忘れて、ビデオを借りるでもなく原作漫画を読むでもなく月日は過ぎ・・・
先日、朝日新聞の書評欄にこの漫画が取り上げられていた。
東大の教授が絶賛している。
どうやら8巻で完結したようで、その最後に至っては
ウツミはたんなるクールな秀才ではない。
彼の心は病んでいる。彼が心の扉を半分ほど開けられる唯一の相手、それがセトなのだ。
だからセトもまたたんなる「普通の」高校生ではない。
それまで一風変わったギャグマンガだと思っていたら、最終巻で、ウツミを救い出しその閉じた心の扉を開くドラマへと
急速に焦点が絞られていく。
差し出された救いの手を掴んだウツミは、セトのことを「紛れもないスーパースター」だと確信する。
そして、あまりにも水際立ったラストシーン。
私は、マンガという表現の枠が広がったのを感じた。
このラストの素晴らしさについて、誰かと語り合いたくなる。
河原に腰かけて。私にはもう放課後という時間はないけれど。(ブック・アサヒ・コムより)
と、東大教授は語る。
くーーーっ!!!気になるではないかっっっ!
そしてこの、河原に腰掛けて誰かと語り合いたくなる、というのがまたいい!
そして、この教授であるおっさんが言うように「私にはもう放課後という時間はない」というのが切ないではないかっっ!
そして、ワタクシにももう放課後という時間はないが、ただの時間ならたっぷりある。
ってことでアマゾンで大人買いした。
そして今読んでいる。アッハッハ!と声を立てて笑いながら漫画を読むって久々な気がする。
これ、このまんま、一言一句たがわずもいちど映画化して欲しい(菅田将暉、池松壮亮ペアで)
にしても、彼らの放課後の舞台である河原。
街中にあるような、小さな、なんの変哲も無い川である。
どちらかというと、小都会的でもある。きちんと整備された、川沿いを散歩できるような、そんな川。
それもよし。
ワタクシの青春時代は川内川だ。
田舎町を流れる、どでかい川だ。
チャリ通学だったから、川内川の土手を悪友Hと並んで走った。
帰りは冬でも「焼き芋アイス」を買って、土手に座り込んで、震えながら食べたりしておしゃべりした。
夜、うちに泊まりにきていた悪友Hと川内川に出かけていき、真っ暗な土手に座って喋ってたら生まれて初めて流れ星を見た。
デートはもちろん川沿いをチャリを並べて走るという可愛いもので、いちどそれを叶えたらもう満足!と振ったT君、ごめんなさい。
川内川の両端から垂れ下がる花火ナイアガラを見たのも多感な高二の夏。
ワタクシの青春は川内川とともにある。
ワタクシが今住む街はリトルインディアと呼ばれている。
ボス的な人がいて、その人を頼って来日する人達がどんどん増えてのことと聞いているが、いくつか派生している理由の一つに「荒川が故郷のガンジス川に似ているから」というのがあり、あながち作り話でも無い気がする。
いや、あの聖なる川とこの荒川が似てるのか?と首傾げたくもなるが、もう、「川」というだけで郷愁を誘うのだと思う。
ワタクシだって、娘が高校受験する際に色々高校見学に行った時、荒川沿いのとある都立高がまるで我が母校のように思え、
そこに通うにはチャリ通だと思うと、自分の高校時代と重なって「もう、ここに決めなよ!」と説得したほどだ。
あっさり却下されたが。
セトウツミ の感想というより、川についての感想になってきてしまった。
どうですか、皆さん!「セトウツミ 」読んで見たくなりましたか?

ん?nさん、前もセトウツミってタイトルで日記書いてなかった?と思った人はかなりのnフリーク!
それは、映画の方でありまして、私の中では結構上位にランクインされております。面白さが。
その時にも思ったのが、これ、ビデオで見たい。
ちょっとやんちゃなセト君と、クールな秀才ウツミ君という二人の男子高校生が河原でダラダラ喋り続けるというだけの話なので、とにかく会話の面白さが肝なわけだが、
油断してると付いていけなかったりする。
ああ〜これがビデオだったら巻き戻せるのにぃ〜と思いながら見たのを覚えている。
が、そのまますっかり忘れて、ビデオを借りるでもなく原作漫画を読むでもなく月日は過ぎ・・・
先日、朝日新聞の書評欄にこの漫画が取り上げられていた。
東大の教授が絶賛している。
どうやら8巻で完結したようで、その最後に至っては
ウツミはたんなるクールな秀才ではない。
彼の心は病んでいる。彼が心の扉を半分ほど開けられる唯一の相手、それがセトなのだ。
だからセトもまたたんなる「普通の」高校生ではない。
それまで一風変わったギャグマンガだと思っていたら、最終巻で、ウツミを救い出しその閉じた心の扉を開くドラマへと
急速に焦点が絞られていく。
差し出された救いの手を掴んだウツミは、セトのことを「紛れもないスーパースター」だと確信する。
そして、あまりにも水際立ったラストシーン。
私は、マンガという表現の枠が広がったのを感じた。
このラストの素晴らしさについて、誰かと語り合いたくなる。
河原に腰かけて。私にはもう放課後という時間はないけれど。(ブック・アサヒ・コムより)
と、東大教授は語る。
くーーーっ!!!気になるではないかっっっ!
そしてこの、河原に腰掛けて誰かと語り合いたくなる、というのがまたいい!
そして、この教授であるおっさんが言うように「私にはもう放課後という時間はない」というのが切ないではないかっっ!
そして、ワタクシにももう放課後という時間はないが、ただの時間ならたっぷりある。
ってことでアマゾンで大人買いした。
そして今読んでいる。アッハッハ!と声を立てて笑いながら漫画を読むって久々な気がする。
これ、このまんま、一言一句たがわずもいちど映画化して欲しい(菅田将暉、池松壮亮ペアで)
にしても、彼らの放課後の舞台である河原。
街中にあるような、小さな、なんの変哲も無い川である。
どちらかというと、小都会的でもある。きちんと整備された、川沿いを散歩できるような、そんな川。
それもよし。
ワタクシの青春時代は川内川だ。
田舎町を流れる、どでかい川だ。
チャリ通学だったから、川内川の土手を悪友Hと並んで走った。
帰りは冬でも「焼き芋アイス」を買って、土手に座り込んで、震えながら食べたりしておしゃべりした。
夜、うちに泊まりにきていた悪友Hと川内川に出かけていき、真っ暗な土手に座って喋ってたら生まれて初めて流れ星を見た。
デートはもちろん川沿いをチャリを並べて走るという可愛いもので、いちどそれを叶えたらもう満足!と振ったT君、ごめんなさい。
川内川の両端から垂れ下がる花火ナイアガラを見たのも多感な高二の夏。
ワタクシの青春は川内川とともにある。
ワタクシが今住む街はリトルインディアと呼ばれている。
ボス的な人がいて、その人を頼って来日する人達がどんどん増えてのことと聞いているが、いくつか派生している理由の一つに「荒川が故郷のガンジス川に似ているから」というのがあり、あながち作り話でも無い気がする。
いや、あの聖なる川とこの荒川が似てるのか?と首傾げたくもなるが、もう、「川」というだけで郷愁を誘うのだと思う。
ワタクシだって、娘が高校受験する際に色々高校見学に行った時、荒川沿いのとある都立高がまるで我が母校のように思え、
そこに通うにはチャリ通だと思うと、自分の高校時代と重なって「もう、ここに決めなよ!」と説得したほどだ。
あっさり却下されたが。
セトウツミ の感想というより、川についての感想になってきてしまった。
どうですか、皆さん!「セトウツミ 」読んで見たくなりましたか?