9月30日(火)雨
図書館に予約していた「食堂かたつむり」が入ったと連絡がある。
な~んとタイムリーに夫は熱海旅行。
家事そっちのけで一気に読み終える。
なぜこの本を予約までして借りたか。
それは、ワタクシのファッションリーダーならぬブックリーダー(?)であるpさんが絶賛していたから。
目の幅で涙が流れたとまでおっしゃっていた。
そして、ワタクシも、目の幅で涙した。
しかし、おそらくpさんの流した綺麗な涙と、ワタクシの流した涙は、質が違う。
もし、この本を読むつもりの方がいらしたら、この先はお読みにならないで下さい。
最後の最後の結末まで、ぶっちゃけますから。
後から文句を言われても困ります。
「24-シーズン1」で、最後に、ニーナがジャックバウワーの妻を殺すという衝撃の事実を、見る前にWikipediaで読んでしまったショックと腹立たしさは
今思い出しても手がわなわなするほどです。
Wikipediaに、もう少し思いやりが欲しかった。
「今、見てる人は読まない方がいいよ」という前置きが欲しかった。
で、私は言いましたからねっ。
この主人公倫子は、インド人の恋人に突然ふられ、家財道具から貯金から全て持ち逃げされ、
不本意ながら郷里に帰る。
郷里には、スナックをやっている母と、その飼い豚エルメスがいる。
倫子と母の関係は、倫子の出生も含め、複雑で、ぎくしゃくしたものである。
倫子は、母の物置小屋を借りて、念願だった食堂を開く。
エルメスの世話係が、実家にお世話になる条件であった。
母はエルメスを溺愛しており、倫子もまた、試行錯誤しながら手作り餌を与えて可愛がる。
エルメスの世話をしながら、一日一組限定の食堂をやっていく。
そこへくるお客さんと、料理を上手く絡めた、素敵なお話が続く。
「う~ん、これは、本よりも、映画とか、ドラマになりそう」と思いながら、
気持ちよく、時にじ~んとしながら読み進める。
そして後半にさしかかり、母の病気が発覚。
余命数ヶ月の宣告。
まあ、ありがちといえばありがちだが、これで、母娘の確執が溶けていくわけね。
ところが!母は、死を目前にして、初恋の人と結婚するのだが、
その式のプロデュースを倫子に頼む。
なんと!エルメスを食べるというのだ。
私は、大反対よっ!
こんなに可愛くなついているエルメスを食べるだなんて!
しかし、倫子は、母の願いを聞く。
から解体から、全てに目を背けず肉になったエルメスを心を込めて調理する・・・
この工程と、料理が、それはそれは丁寧に詳細に書かれている。
しかし、ワタクシは、もう涙で読めない。
おそらく、この小説の、一番言いたい事、ヤマ場、クライマックスだが、
ななめにざーーーっと読みとばす。
つらすぎる。
そして、ワタクシは今後二度とこの本を手にする事はないと思う。
このお話は、ぜ~ったい、ドラマ化や映画化は無理だと思う。
以前、どこかの小学校で、鶏かなんかを飼育していて、
最後は食べることまでが学習というのがあり、
賛否両論ものすごい論争になった。
菜食主義者でもない限りは、こういう事を言う資格はないと自覚している。
しかし・・・やはり、私は自分が育てた動物を食べることはできない。
今夜食べる豚肉と、エルメスの肉が、どう違うというのか!と言われると
何も言えない。
でも、私はエルメスを食べる事はできない。
もちろん調理も。
命をいただく事を重く受け止めながら、きちんと料理をして美味しくいただく。
そういう基本的かつ大事な事をちゃんと理解している人は、
静かに感動しながら読めるのだろう。
私みたいな、中途半端な人間が「食べるなんてかわいそぉ~っ」とギャーギャー騒ぐのだろう。
自己嫌悪に陥りながらも、ここ数日、命に感謝しているので、
ミョーに手の込んだ料理を作っているわかりやすいワタクシ・・・
図書館に予約していた「食堂かたつむり」が入ったと連絡がある。
な~んとタイムリーに夫は熱海旅行。
家事そっちのけで一気に読み終える。
なぜこの本を予約までして借りたか。
それは、ワタクシのファッションリーダーならぬブックリーダー(?)であるpさんが絶賛していたから。
目の幅で涙が流れたとまでおっしゃっていた。
そして、ワタクシも、目の幅で涙した。
しかし、おそらくpさんの流した綺麗な涙と、ワタクシの流した涙は、質が違う。
もし、この本を読むつもりの方がいらしたら、この先はお読みにならないで下さい。
最後の最後の結末まで、ぶっちゃけますから。
後から文句を言われても困ります。
「24-シーズン1」で、最後に、ニーナがジャックバウワーの妻を殺すという衝撃の事実を、見る前にWikipediaで読んでしまったショックと腹立たしさは
今思い出しても手がわなわなするほどです。
Wikipediaに、もう少し思いやりが欲しかった。
「今、見てる人は読まない方がいいよ」という前置きが欲しかった。
で、私は言いましたからねっ。
この主人公倫子は、インド人の恋人に突然ふられ、家財道具から貯金から全て持ち逃げされ、
不本意ながら郷里に帰る。
郷里には、スナックをやっている母と、その飼い豚エルメスがいる。
倫子と母の関係は、倫子の出生も含め、複雑で、ぎくしゃくしたものである。
倫子は、母の物置小屋を借りて、念願だった食堂を開く。
エルメスの世話係が、実家にお世話になる条件であった。
母はエルメスを溺愛しており、倫子もまた、試行錯誤しながら手作り餌を与えて可愛がる。
エルメスの世話をしながら、一日一組限定の食堂をやっていく。
そこへくるお客さんと、料理を上手く絡めた、素敵なお話が続く。
「う~ん、これは、本よりも、映画とか、ドラマになりそう」と思いながら、
気持ちよく、時にじ~んとしながら読み進める。
そして後半にさしかかり、母の病気が発覚。
余命数ヶ月の宣告。
まあ、ありがちといえばありがちだが、これで、母娘の確執が溶けていくわけね。
ところが!母は、死を目前にして、初恋の人と結婚するのだが、
その式のプロデュースを倫子に頼む。
なんと!エルメスを食べるというのだ。
私は、大反対よっ!
こんなに可愛くなついているエルメスを食べるだなんて!
しかし、倫子は、母の願いを聞く。
から解体から、全てに目を背けず肉になったエルメスを心を込めて調理する・・・
この工程と、料理が、それはそれは丁寧に詳細に書かれている。
しかし、ワタクシは、もう涙で読めない。
おそらく、この小説の、一番言いたい事、ヤマ場、クライマックスだが、
ななめにざーーーっと読みとばす。
つらすぎる。
そして、ワタクシは今後二度とこの本を手にする事はないと思う。
このお話は、ぜ~ったい、ドラマ化や映画化は無理だと思う。
以前、どこかの小学校で、鶏かなんかを飼育していて、
最後は食べることまでが学習というのがあり、
賛否両論ものすごい論争になった。
菜食主義者でもない限りは、こういう事を言う資格はないと自覚している。
しかし・・・やはり、私は自分が育てた動物を食べることはできない。
今夜食べる豚肉と、エルメスの肉が、どう違うというのか!と言われると
何も言えない。
でも、私はエルメスを食べる事はできない。
もちろん調理も。
命をいただく事を重く受け止めながら、きちんと料理をして美味しくいただく。
そういう基本的かつ大事な事をちゃんと理解している人は、
静かに感動しながら読めるのだろう。
私みたいな、中途半端な人間が「食べるなんてかわいそぉ~っ」とギャーギャー騒ぐのだろう。
自己嫌悪に陥りながらも、ここ数日、命に感謝しているので、
ミョーに手の込んだ料理を作っているわかりやすいワタクシ・・・