パパと呼ばないで

再婚した時、パパと呼ばないでくれと懇願した夫(←おとうさんと呼んで欲しい)を、娘(27)「おやじ」と呼ぶ。良かったのか?

恥ずかしいという事

2024年07月30日 | おもいで
7月30日(火)晴れ

今朝、こちらの記事を読みながら・・・
クスッとなったのが「40になったら、『忘れる忘れる!』って言いながら首を振ると忘れられるから」というアドバイス。

小学生や中学生、高校生という多感な時期、お年頃と言われる時期、その時々にいろんな恥ずかしかったことがあったように思う。
と書きながら、具体的にどんな恥ずかしい事があったっけ?と思い出そうとするけど、思い出せない。
それは、小さい頃から恥ずかしがり屋で、恥ずかしい事をしたくないという自意識が異常に高かったワタクシが、なるべく「恥」をかく事のないよう暮らしていたからだ。
恥はどういう時にかくか。
何か一生懸命にしたのに報われなかったり、結果が出なかったりを恥と思っていた節がある。
今なら、それは違うよと学生時代の自分に説教したいが、当時はそう思っていたんだからしょうがない。
ただ、自分の事だけならいいが、一生懸命な人をちょっと小馬鹿にしていた節もあって、それはまぢで良くなかったぞ自分!と言いたい。

中学生の頃。
体育祭で黒田節だったかを踊る時、ものすごく真面目な顔して、指の先まで神経ゆきとどかせて一生懸命踊っているQさんを見てクスクス。
昼休み時間にまで勉強しているF君を鼻で笑ったり。
いや、彼が秀才だったり絵に書いたガリ勉君だったらそんな事も思わなかったんだろうけど、どっちかというと、おっとりとしていて、何をやらせてもダメダメなぼお〜っとした男の子が、何を思ったのか突然昼休みに勉強を始めた。
これで一気に学年首位に!なんてなったら漫画的で面白いとこだが、そうなるわけでもなく、ワタクシはなんてみっともないんだろうと思った。
勉強なら自分ちでやれよと。
この辺りまでは、それこそマンガチックに、全然勉強してない風なのにテストの点数がいい事をカッコいいと思っていた。

しかし高校生になった時、テスト前にみんなで言い合う「勉強してな〜い」に安心していたら、いざ答案用紙が返されてみると一番「勉強してな〜い」と言ってたMが98点とかの超高得点。
この時、今までの概念が覆った気がする。
Mのことを、ちょっとカッコ悪いぞと。恥ずかしいぞと。
いや、ほんとに勉強してなくて50点とかの自分の方がカッコ悪いのだが・・・
さすがに勉強してなくて98点は嘘だろと。
それ以降、ちょっと盛ってでも「めちゃ勉強した。今、しゃべると忘れそうだから、話しかけちゃダメよ」とか言うようになった。
変に自意識過剰なJKである・・・

話がどんどん逸れていってる気がするが・・・
恥ずかしかった事で唯一思い出すのが、最初に働いたとある情報処理関係の会社。
入社したてで、まだ会社内部の事もよくわかっていない頃、「お客さんにお茶出して!会議室ね!5人」と言われた。
お茶を入れて、会議室をノックすると、頼んだ人ではない人たちが会議中。
今なら、しれっと、「お茶をどうぞ」と出して去れば良かったものの、そこはまだ20歳のあほ娘。
パニックに陥りつつ、見えるはアコーディオンカーテン。
広い会議室をそれで仕切ってあり、お茶を頼んだのはその奥の人だと思い、ババーンとアコーディオンカーテンを開けた時のおっさん達驚愕の表情よ。
会議室の入口は2箇所あり、そのアコーディオンカーテンを開けるのは大会議室として使う時だけなので、そこからお茶汲み女子社員が登場するとは思わない。
ポーカーフェイスでお茶を出し、あゝこっちにもドアがあったのかと、静かに一礼してドアから出て、あゝあの通り過ぎた部屋にもお茶を出さねば申し訳ないと慌ててお茶を入れて持っていくも、お客様お帰り〜
打ちひしがれ、恥ずかしさに身を震わせながら、お弁当食べながらその話をすると、先輩社員が
「お茶と言えば、私、社長に頼まれてお茶を出した時、緊張しながら4階の社長室に持っていってお客様に出す瞬間に『はっ!このお茶はお昼に社員が飲む用の玄米茶だっ!』
それほど広くない社長室に広がる玄米茶の香り〜〜〜
辛かったわ〜」と社内でも評判の楚々とした美人が言うので可笑しさ百倍で、自分のミスが吹っ飛んだ。
恥ずかしかった話と言えば、いつもこのお茶2話をセットで思い出すくらいで、ほんと40過ぎれば忘れます。
若人よ、恥を恐れず突き進め。
やって後悔する方が、やらなくて後悔するよりいいぞ、と言う事も申し添えておきますね。
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ドライブ中、何聴いてる?

2021年04月17日 | おもいで
4月17日(土)雨


これ聴きながら読んでください。
このイントロ。
これを初めて聴いたのは高校三年の時だったと思う。
京都に住む大学生だった兄から「すっごく良いから聴いてみて!」と、ダビング(死語?)したカセットテープが送られてきた。
聴いた。
衝撃を受けた。
なんだこのイントロ。
透明な竹林の中で竹を打つような(語彙が・・・)音の後に続くカッコいいメロディ。
早速、悪友N間を呼んで聴かせる。
彼女からは中島みゆきの「悪女」を教えてもらって、二人で鬱々となりながらも中島みゆき天才説を語り合った仲だ。
「このイントロがいいよね、竹を打つような音!」(←昔から言ってる)と言うと、
N間が「Nは平安時代に生まれればモテたかもね〜今の時代ではチビだけどあの頃なら平均的だっただろうし、
今は剛毛だの言われるけど(っておまえが言うとるんじゃ!)あの頃なら、この毛量に十二単は合っただろうにね〜」
竹から平安時代に発想が飛んだらしい・・・

それ以来、大瀧詠一氏には一目置いている。
夫と、ふとナイアガラトライアングルの話になって、夫も東京から、弟たちに「ロングバケーション」のLPを送ったと聞き、
これはもうホントにワタクシ達世代の代表曲なんだなあと思った。
いや、なんで突然こんな話かと言いますと、ロンバケの発売40年を記念して
『A LONG VACATION VOX』やら
『A LONG VACATION 40th Anniversary Edition』 が発売されたから。
そして、夫がそれをダビング、違う違う、CDに焼いてくれて(←って使い方合ってる?)今、ドライブ中は延々とこれが流れておりますの、ワタクシの車。
それまでは米津玄師氏の「STRAY SHEEP」がエンドレスで流れておりました。
もう、イントロ当てクイズより早く、次の曲を鼻歌で口ずさめるほどです。
で、今は、懐かしさに打ち震えながら、女子高生だった頃を思い出しながら、大瀧詠一氏の声を聴き彼を偲びながら、田舎道をとろとろ走っております。
ドライブ最高〜っ!
オートマ最高〜っ(←やっと慣れた。左足の置き場にも困らない。)
安全運転、心がけまっす!。
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ピアノを弾く男

2020年08月11日 | おもいで
8月11日(火)晴れ

「魔女の宅急便」の音訳の二次校正が終わり、お引越し準備も今のところ予定通り進み、イチの体調も自分の精神状態も良くなり、
とはいえ夫との、引越しやその他諸々の見解の相違にはストレスが溜まるが、
そして、朝の5時に起きてブログを書こうとしている自分が果たして通常の精神状態かというと怪しいものだが、
何はともあれ、わたしは元気です。

小学一年生からピアノを習った。
その当時の習い事は、ピアノ、習字、そろばんというのが定番で、中でも女子のピアノ率は高かった。
小市民が、少し生活が楽になると娘にピアノを習わせて「上流家庭の気分を味わう」のである。
中古の13万円のピアノ(←当時6歳だったワタクシが値段まで覚えているところが、いかにその値段が我が家の経済に影響してたかがわかる)を、楽しく弾いた。
土曜日の午後、学校が終わると、(あ、昔は土曜日も学校があったんですよ)ご飯食べてからピアノ教室へ。
教員だった父と同じ学校の音楽の先生が、ピアノ教室をやっていた。
今思えば、公務員の二重勤務?副業?
時間なんて決まってなくて、1キロくらいの道のりを歩いて教室へ向かううちに、同じ教室に通う子達が加わってきて、ぞろぞろ遊びながら行く。
控え室のようなひと間で先生の奥さんからお菓子とジュースをもらいながら順番を待つ。
学年もバラバラで、だいたい女子だが、一人二人男子もいて、発表会では蝶ネクタイなんぞしてくるような坊ちゃん達だった。
絶対運動できないよねこの子、と、思っていた。
ワタクシはかけっこの速い男の子が大好きなのだ。

熱心に練習に励むでもなく、もちろん才能あるでもなく、でも中学生あたりまで続けた。
楽器の中で一番好きなのはピアノだ。
だから、ピアノを弾ける、ピアノで曲作るようなイメージのある人たちに魅かれる。
フォークからニューミュージックへの変遷の中で、主流はギターのような気がする。
そんな中での、原田真二氏が「キャンディ」(個人的には「タイムトラベル」の方が好き)をピアノで弾き語るのを初めてベストテンで見た時には「ををっ!」と思ったし、大江千里氏の「きみと生きたい」は名曲!
槇原敬之氏もそうだよね。
余談だが、三浦春馬氏が亡くなったことに驚いた時、ツイッター上で、彼の出てたJRのCMを見た。
とてもいいCMなのに、なぜ知らなかったのだろうと思いならが見ていると、同僚役に新井浩文氏、BGMは槇原敬之氏だった。
なんかもういろんな意味でもったいないよぉ〜とつぶやいていた。

話を戻そう。
弾き語りなら水越けいこさんや小坂明子さん、アンジェラアキさんとかもいる。
が、このセクハラ大王のワタクシ、女性は当たり前と思ってしまう。
屈折している。
そして、逆にギターを弾きながら歌う女性に、少しだけ萌える。
例えばあいみょん。古くは中島みゆき。矢井田瞳の弾き方もカッコいい。

また話逸れるが・・・
娘の保育園の卒園式で、保護者達でドラえもんの歌を歌うことになった。
「ピアノの伴奏ができる人いる〜?もしいなかったら先生に頼む?」
イベント担当ママの声を聞きながら、「しょうがない、ワタクシがやりましょう」と手をあげかけた時、ひろくんのパパが「僕がやりましょう。」
n心の中で「さすが医者だわ。蝶ネクタイして発表会に出てたクチね。」
ドラえもんの歌は、楽譜も無く、ひろくんのパパは自分で譜面を起こしアレンジして素晴らしい伴奏だった。
後日ひろくんのママに「さすがひろくんパパね〜ピアノ習ってたの?」と聞くと
「ううん。習った事ないけど、ピアノ好きなんだって!」
n、2回目の敗北感。

なぜにこんなにピアノのことを語るのか。

昨夜「C D T Vライブライブ夏フェス」と「歌謡史に残る100曲〜」というテレビ番組をチャンネルかちゃかちゃ(←死語?)しながら見たから。
KAN氏の「愛は勝つ」を聴きながら、初めて彼を見て、彼の歌を聞いた時の衝撃を思い出したから。
そもそもワタクシの中で、ピアノを弾く男っていうのは結局のところおぼっちゃまという偏見があった。
それなのに、彼は、大股広げて、大きく足でリズム取り、声を張り上げストレートな歌詞を歌っていた。
驚いた。

今日の一枚は・・・
ピアノの椅子で眠る猫。

あ!そうです。娘の夫もピアノを弾く。
習った事は無いと言う。
6年も7年もピアノを習わせた我が娘よりもうまく弾く。
なんだ?このかすかな敗北感。
ピアノを弾く男はいつもワタクシの心をかき乱す。
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雛祭りの思い出・・・のはずが

2020年03月04日 | おもいで
3月4日(水)雨

予定を書き込むカレンダーが真っ白でちょっと呆然とする。
いや、基本引きこもってるので毎月予定みっしりなんて事はないのだが、それでもこの白さには少し滅入るなあなんて思いながらカレンダーを見つめた昨日。
「ををっ!今日は雛祭りではないですか!」
猫がいるので、ひとけのない玄関に飾ってみたりもしたが、それでもいぢられてお内裏様の首と胴体が離れた過去あり。
ここ数年は飾ることを諦めていた。
が、イチも年を取り、玉を取ることもなくなり、ジャンプ力も低下してきた。
コロナウイルスでなんとなく気持ちも晴れないことだし、久しぶりに飾ってみますか。

久々のお雛様達。お変わりなく、可愛らしくおはします。
娘が生まれた時、我が母が「あなたにはお雛様を買ってあげられなかったから、孫には買ってあげよう」と言い、一緒にデパートへ。
当時は、でで〜んとお雛様とお内裏様が二体並ぶマンションサイズが流行っていたが、
ワタクシが目を奪われたのは、三人官女に五人囃子まで揃ったフルサイズの・・・ちっちゃな陶器のもの。
(どれだけ小さいかは、比較対象の桜餅参照)
「これがいい!」と主張すると、明らかにガッカリ顔の母とお店の人。
母「少し大きくなった頃『こんなちっちゃなお雛様は嫌だ』って言わないかしら。」
ワタクシ「大丈夫!こんな可愛いんだもの。きっと喜ぶ!絶対喜ぶ!」
と、押し切った。
そして、案の定、我が娘も気に入ってくれて、毎年、丁寧に包み紙から一体一体取り出して、説明書を見ながら並べてくれるようになった。

ワタクシが小学生の頃、お友達のおうちに遊びに行くと、畳1枚分ほどの豪華なお雛様が飾ってあって、子供心に貧富の差を感じたものだ。
ワタクシは、卵の中身を吸い出した殻に顔描いたお雛様作ったりしていたもので。
リカちゃんハウスや、大きなパンダのぬいぐるみなども羨ましかった。
そういえば、直子ちゃんちには暖炉があった。南国鹿児島なのに・・・
大学教授のパパを持つすずちゃんちの車はワーゲンビートルで、我が家は三菱ミニカ(軽自動車)だった。
貧富の差は、文房具でも感じた。
匂い付き消しゴムとか、カラフルな鉛筆、はやりのキャラクターの筆箱なんかも我が家には縁がなかった。
いや、これは貧乏のせいというよりも「学生らしいもの」を良しとするクソ親父のせいだ。
モノだけではない。
髪型も、乙女刈り(←麻丘めぐみさんのような)が流行ろうが、マッシュルームカットが流行ろうが、ウルフカット、段カット、全てダメ。
初めてお友達と一緒に美容院に行って、お揃いの段カットしてもらってルンルンとスキップして帰ったら、後ろの段になっている部分を、父の指示のもと、母がバッサリと切った。
翌日、すっかり変わり果てたワタクシのヘアスタイルを見たよりこちゃんの驚いた顔ったら!
母が子供達の髪の毛を切る担当だったのだが、失敗してすごく前髪が短くなって泣き泣き学校へ行った朝もあった。
高校生になった兄も、なぜか母に揉み上げを全部切られたこともあった。
母曰く「一瞬男の子の揉み上げがどういうものだったか忘れてしまった!」
二年ほど後だったらテクノカットが流行ったのだったが、当時はただただひたすら謝る母と呆然とする兄の図、であった。

あれ?雛祭りの可愛らしい思い出話をするつもりだったのに、なぜに悪政をふるっていた父と、その暴君の下で忠実に働いていた母の話になったのだ???
まあ、何はともあれすくすく育って、立派に55歳になってるわけで、めでたしめでたしじゃ。
さあ、ご一緒に歌おうぞ。
♪灯りをつけましょぼんぼりに〜お花をあげましょ桃の花ぁ〜♪
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変わったね、変わらないね

2020年01月21日 | おもいで
1月21日(火)晴れ

4年ぶりの同窓会は楽しかった。
ワタクシは、中学生の頃から変わらないなあと、可笑しくもあり、少し情けなくもあり。
4年前は、ホント久しぶりに会う面々に、懐かしく、ただただ懐かしく、面白く、楽しかった。
が、今回も、ほぼその同じメンツである。
懐かしさも中ぐらいなり、である。
また、クラスごとのテーブルなので、ますます変わり映えしない。
おまけに隣は、中学校の頃、大嫌いだったN野君だ。
ワタクシ、だいぶ大人になったし、角も取れて丸くなったと自覚している。
が、こいつだけは嫌いだ。
中学時代、友人Mは「もったいないよね〜N野君って!綺麗な顔しているのにアホだよね〜」と言ってたが、とにかくアホ嫌いのワタクシはN野君の顔が綺麗だとはこれっぽっちも思わないし、アホが顔ににじみ出てるわ!と思っていた。
とはいえ、ワタクシも大人になったから、前回の同窓会の時にはだれかれ分け隔てなく、にこやかに対応し、思い出話に花を咲かせた。
が、宴もたけなわ、そろそろお開きかという頃、このN野が「この後、ホテル行こうぜ!」と女子たちに声かけ出した。
いや、ワタクシに言ったわけではない。
が、これが聞こえた瞬間、「かーーーーっ!!!やっぱりこいつはアホだし、最悪の状態のまま大人になったってことかっっっ!
冗談のつもりだろうが全くもって面白くないし、品がないっ!」と、ワタクシの『N野嫌い』再燃。

それなのに、こいつが隣かっ!と苦虫つぶした顔で、反対側のかこちゃんに乾杯のビールを注ぐ。
N野!お前はそっちの男子に注いでもらえ!わたしゃお前に注ぎたくない、なんて大人げなくN野に背を向けた形でゆっくりかこちゃんと歓談するも
気配りかこちゃんが「N野に注いであげて!」
チッ!
はいはいはい、ドボドボドボ・・・大人げない・・・

前回100人くらいの参加者で、今回はそれを少し下回る参加者ってことで、前回より狭いお部屋ではあったが、それゆえ他のテーブルも良く見渡せる。
かこちゃんが「ね〜ね〜、あの売れないミュージシャンみたいなヤツ、だれだっけ?」
めっちゃガタイのいい、ロン毛ソバージュのニット帽野郎は、確かに異彩を放っている。
顔の広いかこちゃんがわからないのに、中学生時代の視界30度くらいのワタクシがわかるはずない。
かこちゃんが「この4年でまた劣化が激しい人、いるね〜」と手厳しい。
「Kさんはさ、子供の頃ブスだったじゃない?でもさあ、やっぱりお金とか品位とか地位とかで、今、結構いい感じになってるよね〜」
Kさんは、おうちがお医者さんのお嬢さんだった。
確かに、この中でマダムという称号を一人与えなさいと言われたら彼女になるかもね〜というくらい品のいい奥様になっている。

一次会がお開きになり、二次会のカラオケへと繰り出す。
結構な出席率で、一番広いであろう部屋が、ぎゅうぎゅう詰めである。
ここでも、相変わらず小学校からの幼なじみY花姉と、高校友のA美さんとつるんでいる。
これじゃあ帰省した時の飲み会と変わらない。
間で、かこちゃんもんちゃんと喋って、これまた帰省した時の飲み会やファミレスランチと変わらないではないか。
ワタクシ、同窓会に出る意味があるのか???
かと言って、たまたま通りかかったH君が「あ!Nさん!君とは昔カミキリムシとクワガタを・・・」と言いかけるのをかぶせるように
「はいはい、私、クワガタ持って行ってたのね〜学校に」
4年前に聞いた時は驚いたけど、もう二度は聞かなくていい話だ。
このまま話を続けるとまた「ぢつは僕、君と仲良しだったH坂さんのことが好きで・・・」と言いだすかもしれぬ。
今度はY田君が誰かにワタクシを紹介しようとして・・・
「NさんだよNさん。覚えてない?きちんとした女の子でさぁ〜ランドセルをきちんと背負って・・・」と4年前と同じことを言う。
はいはい、認めますよ、ワタクシ、なんの取り柄もないし、みんなの記憶に残るようなことない地味な子でしたよ。
でも、どいつもこいつも4年前にした話をまたするんかい!
めんどい!くそめんどい!

でもしょうがない。ワタクシのことをよく覚えている人、ワタクシがよく覚えている人、って言うのが少ないのだから。
興味が無かったのだ。他人に。
自分が興味のある人以外の人に。
その人がどこに住んでいるとか、誰のことが好きだとか、その人の交友関係とか。
全く興味なかった。
かこちゃんは逆だ。
「あの子は児童福祉施設から通ってた」とか「兄弟がいて、ウンヌンカンヌン」とか「親がヤクザで」とか、先生方の不倫話まで、ワタクシが何一つ知らない情報をそりゃよく知っている。
これは親も関係してくるんだなあ、親からの情報っていうのもあるよなあ。
うちの親は、もしかしたら子供に変な情報を入れてはいけないと思って、止めていたのかもしれない!と思い・・・
帰宅してから母に「ね〜ね〜○○先生の話とか知ってる?」と話を振ると、全く知らず、
さらにはキラキラした目で、興味津々聞いてくるあたり「子供の悪影響を考えて噂話を耳に入れない」なんていう高尚な教育方針があったようには思えず・・・
この親にしてこの子。
単に情報アンテナが低いというか情報網を張り巡らしてないというか。

今回の同窓会は開催時間が3時からと早かったので、二次会がお開きになったのもまだ9時半くらいだった。
かこちゃんが「ね〜ね〜、一人千円ずつ出して3人でタクシーで帰らない?」
なんと、あの、N野と3人で!という話だ。
かこちゃんはここから一番近いところに住んでいるから、すぐに着く。
そのあと、結構な時間、ワタクシはN野と二人でタクシーで帰るというのか。
嫌じゃ!
n「まだバスいるよ!あたし、バスで帰る。かこちゃんもバスで帰ろうよ。」
かこちゃん「私、バス、大嫌いなんだヨォ〜」←田舎の車社会には多いのだこういう人
N野が「俺んち、キミの家の近くだぜ。」
知らんがな。あたしゃオマエと帰りたくないんじゃ!
「あたし、バスで帰るから!」
A美やY花姉が爆笑しながら「頑なだね〜」
たとえもうバスが走っていなくても、N野とタクシーで帰るくらいなら3千円かかっても一人で帰るわい!

と、齢55にして、15の春の頃と全く変わらない自分にほれぼれしながら(・・・・・)満員バスに揺られて帰る。
バスを降り、実家までの夜道で見上げた夜空の上弦の月が綺麗で。
星も空いっぱいに瞬いていて、綺麗で綺麗で。
変わったね、変わらないね。楽しかったね。また会いましょう。
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お葬式

2019年08月01日 | おもいで
8月1日(木)晴れ

法事の話続きで恐縮です。

我が夫は親戚づきあいをたいそう重んじる。
自分たちも歳をとってきて、当然おじおばたちも歳をとってきて、亡くなられていく。
親戚づきあいを避ける傾向にある妻は心の中で色々思う。
仲良くするんならとことん仲良くすればいいのに。

というのも、今年の初めに伯父さんが亡くなった時、お葬式やら納骨やら四十九日やらの手配で不手際が目立ったらしく、話を聞きながら忍びない気持ちになった。
初めてのことだからそりゃ色々あるだろう。
それなら、少し知ってる者、先に親を送った者として従弟に教えてあげれば良い。
口出ししたくないなら、もうそれは目をつぶってやり過ごすしかない。
と、ワタクシは思う。
お葬式トラブルというのも最近話題にはなっているが、ワタクシが思うに、従弟は金銭的に諸々厳しかったのだと思う。
火葬場へ向かうお棺を乗せる車が霊柩車じゃなくて普通のバンだったと聞いた時、伯父さんには悪いが思わず失笑してしまった。
削れるところは削ったとしか思えない(いや、ここを削れると思ったとしたら相当だけど)
悪徳業者は別として、普通の葬儀屋さんはプロなんだから教えてくれるよ、普通、色々。
そういうことから判断して、ワタクシは、この従弟はもう今後これ以上法事に力を入れるとは思えない。
それでも君たちが「いや、伯父さんのためにも初盆の法事はちゃんとすべきだ!」と言うなら、嫌われるのを覚悟で
「いつやるんだ?大丈夫か?何か困ったことないか?」と従弟に聞けばいいのだ。
それはしないで、もし突然「初盆は◯日にしようと思ってます」と言われたら、バタバタ慌てて、陰で文句言うだろう。
これはワタクシ的にはちょっとやな感じぃ〜と思う。

こんなこともあり、自分の親を送る時のことを考える。
母はご近所コミュニティの中で頼られる存在であり、それが生きがいのようにもなっているから、もし母が亡くなった時には盛大に(・・・)近所の葬儀場でお葬式をとりおこなうつもりだ。
しかし、父の場合はどうだろう。
リタイアして早25年、もう職場関係の人との繋がりも無いに等しいだろう。
偏屈者ゆえ友人もいない。
となると、家族葬でいいだろう、と思う。
自宅でいいくらいだと思うが、老母が気疲れしそうだからとりあえずは斎場で行う。
九人兄弟とはいえ弟妹たちも年取ってるから、いったい何人来られるかどうか。
てな話をすると、夫が、呆れたような、少し軽蔑したような、「冷たい娘だなあ」というような眼差し。
それはシカトするが、ふっと思い出したのが、「お葬式は、残った家族のためにやるものだよ」と言った友人の言葉。
そうか、少々見栄っ張りな母の為にはもう少しきちんとしたお葬式にするべきなのか。
そもそも、ワタクシが、お葬式というものを重要視していない。
自分が死んだらお葬式あげないで欲しいくらいだ。
自分より長生きできる友人たちに嫉妬して成仏できなくなりそうだもの。

今ふと、55歳にしてワタクシ今までに何回お葬式に参列したか思いかえしてみる。
祖父母四人。皆80超えてたと思うからまあまあ長寿の家系よね。
若い頃、会社関係で一度、前夫の親戚関係で一度。従姉kemiちゃんちのおじちゃんの時。
東京に来て、娘の同級生のママが若くで亡くなられたお通夜に一度。夫の両親。
計10回。
この歳で10回って少ないよね。
いかにワタクシが、世間に対して不義理しているかわかる数字だよね。
でも、出たくない。
人前で泣くのが嫌だし、涙も出ないようなお葬式に義理で出るのもいや(どうしろっちゅーねん!)

涙といえば・・・
会社関係の、というのが、会社の上司の奥様のお葬式。
白血病で、40代で亡くなられた。
まだご子息達は中学生くらいで、学生服を着た子が二人ぐっと涙をこらえている。
でもこらえきれずに溢れる涙をぐーのこぶしでぬぐう。
それを見たワタクシと同僚しょうこさんは、周りが引くほど号泣。
奥様の事は一度お見舞いに行っただけのお付き合いだったのに・・・
そして、その後、三年くらいのちに上司は再婚した。
難しい年頃のご子息達は・・・と心配する必要もなく元気に「お母さん!」と呼んでると聞きなんというか・・・複雑な心境になった。
天国のお母さんは納得して、新しいおかあさんにありがとうよろしくねと息子達を託せるのかと、若いワタクシはモヤモヤした。

前夫の親戚関係のお葬式の時。
途中で義母を拾ってから行くことになってて、待ち合わせの場所にピンクの着物を着た義母を見た時、目が点になった。
絶句した。
お葬式にピンクの着物っっっ!!!???
卒倒しそうな嫁と、鬼の形相の息子に引きずられるように自宅に戻り、喪服に着替えさせられる義母。
「だって、これは寒いから・・」というのが理由らしいが、心の奥底には、自分を虐げてきた親戚に対する嫌味があったのかもしれない。
こんな人に送られたくないだろう、亡くなった人も。(今となっては誰の葬儀だったかも思い出せん)

父方の祖母が亡くなった時、大往生だし、自宅でしめやかに、でも穏やかに葬儀がいとなまれた。
が、最後お棺に花を入れる時になって、叔母が声高らかに「おかあさんっっ、妹弟仲良く助け合って頑張って生きていくからねっっ」と劇的なクサイ言い回しで叫び始めて、すごく興ざめした。
ばあちゃんはひ孫を何人も見られたし、叔母さん自身だって大きい孫がいるくらいだ。
その決意、今さら必要?

親戚づきあいは難しい。
冠婚葬祭も難しい。
田舎に行けば行くほどしきたりだなんだとやかましい人たちがいて、手も金も出さないが口は出す。
ワタクシは、手も金も出せないだろうから口も出さない。
その代わり、自分の中で「親戚づきあいをしている」と思っている人たちには、手も金も口も出すおつきあいをしたいと思っている。
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サクラサク

2019年03月25日 | おもいで
3月25日(月)晴れ

土曜日の朝、きっかけは忘れたが、夫と大学選びの話になる。
わたしらの頃は、偏差値で進学先を決める時代の真っ只中。
まして地方だと、行ったことも見たこともない大学をいくつも受験する。
だからとりあえずネームバリューのあるところにしておけという風潮になりがち。
しかし、我が夫は、まず自分がやりたい勉強、入りたい学部から始まって、そういう学部のある大学を探して決めたとおっしゃる。
う〜む・・・ワタクシの周りにはいないタイプ・・・
それにさぁ〜理系と違って文系は、それほどその先の職業に関係ないケースが多いよね〜というような事を力なく呟く。
文学部出たからって何になる?って話でさぁ〜
その点理系はね〜
と言いつつ、ハッと思い出し笑いをする。
先日久々に会ったショーコさんは、九州では泣く子も黙る九州大学卒。
「このせいで嫁に行き遅れる」と嘆いておったが、なぜ彼女が九大に行ったのかというと、共通一次試験の点数が思いのほか取れ、高校の先生達が口を揃えて「これなら九大にいける!!!」
ショーコさん「でも、行けそうな学部は農学部だったの。牛の世話とかは面白かったけどね〜
まあ、何の役にも立たないわよね〜」

あ、もう一人いた!
高校友のA美さん。
ギリギリになってから「あれ?意外と理系の方が点数取れるかも!?」と急遽転向。
で、共通一次試験がうまくいき「あれ?これなら地元の国立、いけるんじゃない?」
しかし、点数の関係上「水産学部」
何を勉強してるの?と聞くとカバンからスケッチブックを出してめっちゃリアルに上手な海老のスケッチを見せてくれました。
そして、卒業後は全く関係なさそうなホテルウーマンになった。

そういう事を踏まえまして、ワタクシは娘の大学選びの際も、ネームバリューのあるところを勧め、
「何を勉強したいか」「どういう仕事をしたいか」を考えて学部を決めるべき!という真っ当な意見の夫に呆れられたのであった。

その日の夜・・・
電話が鳴る。
高校友のA美さんだ。ををっ!今朝、あなたの話で盛り上がったところだわ。
聞くに、急遽関東に出てくるので会えない?という話。
「暇暇!全然オッケー!会いましょう。」
って事で、昨日、彼女と久々に会ったのであった。

と、長い枕でした。
この後、彼女と「日本一暑い街」へ出かけた話へと続く・・・

今日の一枚は、先日行った富岡の一之宮貫前神社。
今年もたくさんの受験生がここで必勝合格祈願をしたことでしょう。
サクラ咲いた子も残念だった子も、大丈夫!人生は短いけど長い。苦はあるけど楽もあるよと54歳のおばちゃんが自信を持って言う!
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思い出したこと

2019年02月01日 | おもいで
2月1日(金)晴れ

昨日、ブログ書きながら昔のこと色々思い出していた。
そして、大して好きでもなかった先生なのに妙に覚えていることとかあって、先生というのは良くも悪しくも柔らかい脳に影響を与えるんだなあと。
で、ここで改めて先生のことを思い出してみると・・・
大して影響を受けた先生はいないというのが結論。なんじゃそりゃ。
でも、昨日も思ったことだけど、先生の好き嫌い関係なく、それでも影響力はある人なんだから聖職なのだと思う。
心して「なりたい」と思って欲しいし、そういう人に「なって」欲しい。

小学校からの幼馴染かこちゃんは、小学五年の担任O先生が、転校生の結花ちゃんの名前を褒めちぎった。
「花を結ぶと書いて・・・云々」(←なんか綺麗な話だったが失念)
15年後、かこちゃんは自分の娘に結花ちゃんと名付けた。
ワタクシ、同じクラスだったのにその話が全く記憶にない。
O先生といえば、同じ学年に息子がいて、さらには年子の双子の弟がいて、O先生はガリガリなのに、この息子たちはものすごく大きくて、そっくりで、まるで三つ子みたいだねと言ったら、
O先生の近所に住む子が「先生の奥さんにそっくりなんだよ。おばさんだけど四つ子みたいだよ。」と言ったことしか覚えてない。

中二の時の社会のN田先生。
「一人はみんなのために、みんなは一人のために」を授業の始まる前に唱和させるようなめんどくさい先生だったが、なんの拍子にか「うちの奥さんは夜寝る前にマダムジュジュを塗って・・・」と言ったのがミョーにおかしくていまだに覚えている。
思い出しついでに今度マツキヨでマダムジュジュ買って、「これだけ塗り」とやらをしてみようと思った次第。
ああ、14歳の頃のつるっつるぴっかぴかのお肌が、かっさかさしわっしわのお肌になるなんて、月日は残酷。

高校生になってからも、大して好きな先生もおらず、ただただ変な先生の変な話だけ思い出して、ああ早く帰省して先生の悪口大会を開催したい!
今年の目標は、「会いたい人に会う」

思い出ついでに・・・
20歳ごろの話。
悪友A美と大晦日に夜遊びした。当時流行ってたカラオケとディスコがごっちゃになったような居酒屋で。
二つくらい年下な男の子グループがいて、話をすると、我が県屈指の進学校出身のお友達グループ。
その中の一人がKuwata bandの「バンバンバン」を歌った。
すごく上手だったが、それ以上に
♪BAN BAN BAN
One day wearin' so many wears
So many chapeaux
And so many ties♪
の英語の歌詞が流れるように上手だった。歌もうまい上に英語もうまいのね〜と思った。
聞くに、その子は浪人生で、いやいやこの時期に遊んでて大丈夫か?と思ったが、頭良い子ならでは反骨精神だったり破天荒だったりなのかとも思った。
年が明け、このまま初詣行こうぜ〜〜〜とすぐ近くにある神社へぞろぞろと行った。
その子がおみくじを引いた。
大凶だった。
初めて見た。なんかちょっとだけ神様を信じた。

明日は姪っ子のお遊戯会。
自分の、色々不満だったり不本意だったりしたお遊戯会を思い出し、
結構花形的な、親の鼻高々的だった娘のお遊戯会を思い出し、人生ってうまくできてるわと、また神様の采配に感心したりする。
明日のティンカーベルが、楽しい思い出になって欲しいと思うおばちゃんである。

今日の一枚は・・・
生まれて初めて新幹線に乗って、東京へ家族旅行。
東京タワーのエレベーターの中で、赤鬼のようにデカイガイジンさんに「カワイイネ」と声を掛けられ固まるn5歳。
ガイジンさんが苦手になったのはそれからかもしれぬ。と、本日は終始思い出に浸っております。
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ここだけの話

2016年01月14日 | おもいで
1月14日(木)晴れ

同窓会は非常に盛り上がった。
またこれを次回に繋げるために、各クラスにお世話役を決めたりした。
我がクラスは、「ずっと鹿児島、今後も鹿児島、出る予定一切なし!」と言い切るK君にお願いする。

数日経って・・・
同じクラスだったY君からラインの承認申請がくる。
その時、一瞬「ん?なぜY君はワタクシの携帯ナンバーを知ってるんだ?」とは思ったが、目くじら立てるのも大人げないし、
承認しないのも変だしってことで承認。
次に、Tさんからもライン申請がくる。
またしても「ん?携帯ナンバーの交換もしてないのになぜ???」とは思ったが、目くじら立てるのも大人げないし・・・承認。
で、このTさんがクラスのグループラインを作ったから!とそれにも招待。
てっきり、今後の同窓会等の連絡網用だと思い参加。
おそらく、今回の同窓会の幹事クラスには参加者名簿が回ってたとのことだったから、ワタクシの携帯ナンバー流出はここからだろうと思い、
よって、クラスのグループラインには、同窓会に出席していたメンバーは全員招待されるのだろうと考えたし、
そこから、同窓会に欠席していた人達にも広げて行くんだろうと思っていた。

が・・・Tさん、Sさん、Y君、N吉君、ワタクシで、スタートし・・・
連絡網用と思っていたが、その割には広がっていかない。
ワタクシの、数少ない友人かこちゃんはガラケーゆえに、「何か連絡来たら教えてね~」と、ワタクシ頼み。
そもそも、連絡網用ならお世話役のK君を入れるべきではないのか?
ワタクシの電話番号がわかってるくらいなんだから、K君の番号だってわかってるんでしょ?
連絡して、メンバー申請しなよ!と心で思うn。
しかし、日が経つにつれて、このラインはどうやら連絡網用ではないらしいと思い始める。
酔っぱらったY君のつぶやきのようなラインにTさんが反応してあげ、延々と不毛なやり取りが続く。
ガツンとこのくだらないやりとりをやめさせるべくワタクシがひと言辛辣なコメント入れたいっ!という気持ちをぐっと抑える。
娘と居酒屋で呑んでいるときもじゃんじゃんじゃんじゃんラインの着信。
未読33通となった時にはさすがに呆れた。
毎晩のように、Y君を中心にした不毛なおしゃべりが続く。
今夜の話題は「スマップ解散?にショックを受けたSさんを慰める皆さん」
くっくっくだらんっっっ!!!
そういうことは、お友達と話せ。日記に書け。わざわざグループラインで語るな!

ワタクシ、中学時代、自分は今で言う「中二病」ってやつだったのかなあと思った。
そして、この長い年月が、ワタクシを大人にしたのね、と思った。
自分の好きな人、気に入った人としか交流を持たず、わかり合えそうにない人とは接点を持つことすらなく、
気にも留めず、生きていたあの頃。
もう少し、まわりを見まわし、もう少し優しい気持ちを持っていたら、何か違うものを得たり、何かが見えたりしたのかもしれなかったなあと反省もした。
同窓会は、大人になった自分を自覚し、少し自分を褒めたり、少し甘酸っぱい気持ちにさせたりした。

しかし
前言撤回。
わたしゃ、大人になってないわ。
友達は、わかり合える人だけでいいわ。
中学時代に仲良しじゃない人とは、大人になってからも仲良しにはなれないってことだわ。
ライングループの話をした時、冷静な目と辛辣な意見で定評のあるかこちゃんが
「Tさんは、昔っから混ぜっ返す人だったからね、気をつけなさいよ。」
さすがだわ、かこちゃん!いろいろ混ぜっ返してるわ、彼女。
関わらないのが一番!と、今、スルーしてるけど、グループを脱退するのもまた大人げない気もするし、
でも毎晩続くラインの着信に苛立ちは募る一方。
まあ、これが長続きするとは思えないから、子どものおもちゃと同じでひと月もすると飽きてくれるだろうとは思うけどねえ。

今日の一枚は、年越しの晩、兄達が買ってきてくれた有名菓子店のケーキ。
こんなに綺麗なフルーツがてんこ盛りのケーキが並ぶのに、迷って迷ってチョコをチョイスするワタクシ。
ほらね、人間って30年やそこらで趣味趣向は簡単には変わらないってことよ。
いいの。ワタクシはワタクシの好きなもの、好きな人、好きな事だけに囲まれて生きていくわ、これからも。

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男の子女の子

2016年01月10日 | おもいで
1月10日(日)晴れ

同窓会の話。
小学校時のイメージ。丸々と太っていて穏やかで頭良くておとなしい男の子H君。
彼が言う。「nさんで思いだすのは小2の時のことで、僕が学校にゴマダラカミキリムシを持って行ったら
クワガタ持ってた君が「交換して!」って言うんだ。
僕はクワガタが欲しかったからすごくうれしかったんだけど、でも心の中で「いいのかなあカミキリムシで」って思ったのをすごく憶えてる。」
・・・全く憶えてません。つか、ワタクシ、学校にクワガタなんか持って行くような女子だったのか・・・
そんな虫愛でる姫nに、H君話を続けます。
「中学3年の頃、君とH坂さん仲良しで一緒に帰ってただろ?
H坂さんの家は反対方向なのに、どうして僕のうちの前を通って帰ってたんだい?」
記憶をたどります・・・が、その前に、H君のおうちを知りません。どこ?
だいたい中3の女子ですからね、深い考えなんてありませんよ。
H坂すずちゃんとは塾が同じで、お家が遠いすずちゃんは学校から直接我が家に来ておやつ食べてバスのって塾行ってたんだった!
で、一緒に校門でたら通学路なんて無視無視!で「今日はどこ通って帰る?きゃぴきゃぴ!」ってなもんです。
そんなことを思い出してたら、自分の望む言葉が一個も出て来ないHくんがしびれを切らして打ち明けます。
「僕、H坂さんのことが好きだったんだよね~」
・・・全くしらんかった・・・でも、悪いけど君を喜ばせるようなことは何も言えないよ。そもそも君の家の場所すら知らなかったんだから。
すずちゃんが学年一カッコいい転校生アラキ君が好きだったってことを教えてあげないだけ大人になったものだわワタクシ。

壁の花と化して、だらだら呑み続けている4人の女子達の前には次々と別の男子が挨拶にみえます。
あ、君は一年の時同じクラスになった南君(仮名)だね。
しばらく思い出話に花を咲かせた後、南君が言います。
「nさんってYさんと仲良しだったよね!」
出たーーーっ!一年の時にワタクシと仲良しだったY田まみちゃんはクラスの男子全員が好きだった人気女子。
ちっ!めんどくせーなーこのパターン!と思いながら、先回りします。
「南君、まみちゃんのこと好きだったよねえ~」
南君「授業中にちらっとYさんのほう見て目が合うと、彼女がニコッと笑うんだよ。この子、オレのこと好きなんじゃないか?って思ったりして」
n「大丈夫!君だけじゃないから!まみちゃんはみんなに優しかったから。」

ったく!どいつもこいつも「○○ちゃんが好きだったんだ!」って。
そうこうしてたら我が悪友Y姉ちゃんが「君のことが好きだったんだ!」という男子にデュエットに誘われ「ロンリーチャップリン」なんぞを歌いに行きました。
写真係りnは、肩に腕まわす男子の顔を半分切って、Y姉ちゃんを激写します。

そもそも、そんな昔の淡い恋心を、こんなところで告白して、どうする?何か期待してるのか?
その点、女子が「あたし○○君のことが好きだったのよ」と言ってる場面には遭遇しない。
たまたまワタクシのまわりの女子がそういうタイプっていうだけ?
仲良し女子の、当時好きだった男の子の名前、みんな知ってるけど、誰もそれを口にしない。
その男子が来てないということもある。
そうだ、来ていたら「好きだったんだよねぇ君のこと」くらいY姉あたりは言うかもしれぬ。
でも、あたしは言わないなあ。
学生時代にありがちな「高嶺の花」狙いだったことを十分承知しているからか。
その点、男子って身の程知らずっつーか自己評価が高いっつーか当たってこてんぱんに粉々に砕けろっつーか。

をっ!N田君だわ。
あまりの変わってなさに大笑いしながら隣のY姉に「ほら!N田君だよ!」
Y姉がワタクシの耳元で「女子のS中、男子のN田。嫌われ者のツートップだったじゃん!」と吐き捨てるように言います。
大人げないわね、あなたったら。
大人になった私は、男子から相手にされていないN田君とおしゃべりしてあげます(結局上から?)
しばらくしゃべってて・・・N田君が言います。
「それにしても君の呑みっぷりはいいねえ~」

Y田君が言う。
「俺は会社を二回もクビになってさぁ~もう、普通に結婚したり子ども持ったりする生活は出来ないと思ってた。
でも、今、なんとか家庭を持って生活してるんだよな~」
するとそれを聞いた南君も「ををっ!オレも。働いてた病院が突然なくなっちゃってさぁ路頭に迷ったよ。
でもやっと最近、なんとか普通の暮らしが出来るようになったんだ、」
と言い、やたらみんなと写真をとりまくって「子どもにみせるんだ!」と言っていた。
Tさんは、会ったとたんに「あたしも2年前まで東京にいたの。でも夫から逃げて今離婚調停中。
子どもが今、あたし達が通ってた中学校に通ってるのよ。懐かしいよぉ~校舎とか。
でも、ちょっと子どもが馴染めなくて今不登校なんだ。」
こんな感じで、過去や現在の悩みを打ち明けられる。
これぞ同級生ならではなのかなあとちょっとしみじみする。
カッコつけないでいられるのはなぜかしらねえ。
しょせんカッコつけても「ランドセル」背負ってた頃のことを知られているんじゃカッコのつけようないじゃんっていうことか。
そうそう、Y田君から言われました。「nさんって、なんかきちんとしてて、きちんとランドセル背負って、きちんとしてたよね。」
褒められてるのかしら。
Y姉に聞かれなくて良かったわ。もし聞こえてたら大喜びで「そうそう!この人、前髪をカッチン止めでピシっと留めてて・・・」
きちんとしてたらしい小学生のワタクシに言ってあげたい。
大丈夫!あなた、大人になったらだいぶルーズになれるから。
ユルく楽しい51歳を過ごしているから、安心して大人になりなさいって。

今日の一枚は、鹿児島中央駅前に建つ『若き薩摩の群像』
今話題の「五代友厚氏」もいるのだ。
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