2013年12月10日(火)、平泉文化遺産センターと平泉町公民館主催の「平成25年度歴史教室/文化史講座」(全4回の第1回目)が、平泉文化遺産センター(西磐井郡平泉町立花 番地)で開催されたので聞きに行ってきました。(時間:13:30~15:00時)
この日の演題は「流浪の勇者 源義経と平泉」で、講師は國學院大學講師の近藤好和氏。
はじめに講師が、「この演題は主催者が準備していたものだから」と断りながら、「義経の人生~史実と伝説」ということで話をしてくださいました。
(上)源義経画像(中尊寺蔵):藤原秀衡のもとで青年時代をすごし、源頼朝の挙兵に呼応、源氏勝利の原動力となった義経は、のち頼朝に追われ平泉に逃げ、秀衡の子・泰衡に攻められて死んだとのこと。
Ⅰ 義経の史実
「人気の高い義経が藤原氏と関係したことで平泉の歴史に大きな彩を加えたのだが、判官贔屓(ほうがんびいき)の語があるように、その悲劇的生涯は、幾多の伝説で彩られている。とりわけ近世江戸期は半ば伝説化した義経像が独り歩きし、史実が不鮮明になっている。」と前置きして、義経の史実を知るための文献資料として、信用できる順に下記の通り挙げました。
判官:律令の官職制度において検非違使(けびいし)の尉(じょう)のことを「判官」と称した。義経はこの尉に任じられていたことから「九郎判官」と呼ばれた。
①古文書(義経署名文書):元暦元年(1184)分9通、文治元年(1185)分2通、ほか1通。
②古記録:「玉葉」(九条兼実の日記)、「吉記」(吉田経房の日記)、「山槐記」(山中忠親の日記)等。
③編纂物:「吾妻鏡」、「百錬抄」。
④物語:「平治物語」(諸本)、「平家物語」(諸本)。
⑤その他:「尊卑分脈」、「愚管抄」(慈円)、「義経記」(これが義経伝説の淵源で事実とは言えない物語である)と話されました。
義経の生涯(1159~1189):わずか数え歳31歳の生涯だった。 Ⅱ 戦士としての義経:(以上全て省略)
私は、この講座に来る前に下記の書籍を読んでいたので、講師の近藤好和氏の話が良く理解できました。興味がある方に是非読んでほしいと思います。
(上)吉川弘文館発行、上杉和彦:著 「戦争の日本史6・源平の争乱」2007(平成 19)年3月1日 第1刷発行