2018年5月19日(土)、阪急交通社の「花巻空港発着・びっくり九州とちょっぴり京都散歩4日間」というバスツアーの第1日目、最初の見学地・愛知県名城公園(名古屋城がある)。見学の時間が「散策と自由昼食/約90分」と短かったので、3月にも行った所だったので、名勝二之丸庭園と二之丸東庭園を重点的に見学しました。
二之丸東庭園は、東門の傍にある庭園で広々とした芝生の庭園でした。その中に「南池」が目立ちました。
(上)東門のトイレ。(下)東門(入場口として案内板がありました。)
2018年5月19日(土)、阪急交通社の「花巻空港発着・びっくり九州とちょっぴり京都散歩4日間」というバスツアーの第1日目、最初の見学地・愛知県名城公園(名古屋城がある)。見学の時間が「散策と自由昼食/約90分」と短かったので、3月にも行った所だったので、名勝二之丸庭園と二之丸東庭園を重点的に見学しました。
二之丸東庭園は、東門の傍にある庭園で広々とした芝生の庭園でした。その中に「南池」が目立ちました。
(上)東門のトイレ。(下)東門(入場口として案内板がありました。)
2018年5月27日(日)、えさし郷土文化館の「平成30年度・館長ツキイチ講座’安倍氏・清原氏・奥州藤原氏を考える」(第2回)を受講する為に奥州市江刺岩谷堂に出かけました。
この日は、妻が是非訪ねたいという多聞寺を1番先に訪ねました。妻が知人に聞いていた「明治記念館の裏側」という所在地を目指します。妻が明治記念館に立ち寄って場所を聴いてくることになりました。
直ぐに戻ると思って車で待っていたのですが、中々戻って来ないので訝しく思っていたのですが、結局「明治記念館」を見学することになりました。その上、管理人の勧めるままに、私は急勾配の階段を上って4階まで登ってしまいました。管理人の言う通り、四方の眺めは中々良かったです。
次に「岩谷堂山・多聞寺」を訪ねました。
その後、「館山史跡公園」のトイレ兼休憩所の大駐車場に車を駐め、久しぶりに散策しました。下から眺めると空中に架かっているかのように見える「夢乃橋」にも行ってみました。下界の眺めが素晴らしかったです。
(上)この坂を登って行くと「本丸跡、二清院」に行けますが、この日は桜の木が沢山植栽されている方に降りて行きました。すっかり青葉になったサクラ(桜)の木が、赤く色づいた小さな果実を沢山付けていました。
(上)この階段を登りきった所の平地に館山八幡神社やイチョウ(公孫樹/銀杏)の古木、二清院などがありました。
(上)延慶4年(1311)の古碑
二清院:館山公園内に建立された優美な八角堂で、奥州藤原氏の初代清衡公と、その父経清公の木像が安置されているそうです。
2018年5月27日(日)、えさし郷土文化館(奥州市江刺岩谷堂字小名丸102-1)主催の「平成30年度 安倍氏・清原氏・奥州藤原氏を考える」という相原康二館長による館長ツキイチ講座が研修室で開催されましたので、妻と一緒に参加しました。(13:30~15:00時)
第1回の4月22日(日)は旅行と重なって行けませんでしたので、その時のテキスト(資料)も購入しました。(受講料:各回300円/テキストの他、各回追加資料頒布、事前申し込みは不要)
「平安時代後期、胆江地方を含む奥六郡で展開された安倍氏・清原氏・奥州藤原氏の足跡を辿り、この時代の諸相を広く考える」という趣旨の講座で、中々中身の充実したものでした。
https://www.esashi-iwate.gr.jp/bunka/event/2018/course/index.html[えさし郷土文化館:相原康二館長のツキイチ講座]
この日は、古代学研究会発行の「古代学研究」129号(1993年7月)に掲載された上野 武氏の「『陸奥話記』と藤原明衡~軍記物語と願文・奏文の代作者」という論文の紹介が主な内容でした。
『陸奥話記』は、前九年合戦の顛末を記した軍記物語。『奥州合戦記』『陸奥物語』ともいうそうです。成立は平安時代後期、康平5年(1062)頃と推定されています。
『陸奥話記』の作者を藤原明衡(987年頃~1066)とする説を提示した上野 武氏のこの論文の内容を、詳しく説明してくださいました。この論文にある藤原明衡の著書である『新猿楽記』(塙 保己一・編『群書類従(第9輯)、下記』)の該当部分をプリントしたものまで提供してくださいました。