私が子供の頃、ピアノを習うということは、「入門する」みたいな雰囲気がありました。私は母の希望と期待を一身に担って、ワケのわからないまま門をくぐることに…
レッスンには、毎回母同伴。最初のテキストは「子供のバイエル」でした。
4歳児に「子供のバイエル」…
最初の課題は、「ドレドレドレドレドーーー」でした。
母が家でテキストを開いて、私に譜面を見せながら
「TAKAMIちゃん、コレがド。コレがレよ。じゃあコレは?」
「ミ」…と私。(正解はド)
だんだんヒステリックになる母。当時のことはとってもよく覚えています。
だって、ド、レ、の次はミじゃーん… まるで5線のシステムを理解していない私。
とにかく、次のレッスンまでに、完璧に課題を弾けるようにして先生のところに行くというのが、母の任務だったようです。
私は全くワケがわかってなかった。ただ、音楽の好きな従順な子供だったので、
「もうやだ~!やめる!!」とはならず、母のただならぬ気迫に圧倒されて、言われるがままでしたが。
私は自分が特殊だと認識しています。世間では音楽大学に進学することもわりと特殊だし、音大を卒業しても、音楽にかかわって暮らしている人って、中でも演奏活動をしている人って実は結構少なかったりします。
物心がついたときから、私は音楽が大好きでした。歌や曲を作って勝手に弾くのが好きだった。勝手に弾いてるうちにハーモニーの楽しさに目覚めました。「ドミソシ」「レファラド」などの、音を4つ重ねた和音の響き(セブンスのコードですが、当時そんなこと、知るはずもなく)に酔いしれて??昼下がりから暗くなるまで弾き続け、自分の作曲?を「天国への階段」とヒソカに命名したものです。ツェッペリンより私のほうが先ですから~~!!(^_^;)
小学校の帰り道、友達と毎日歌を歌いながら歩きました。「一週間」「ドナドナ」「おおブレネリ」なんていう外国民謡をハモりながら…。メロディーを聴いて即座にハモるっていうのも、実はその頃から得意で大好きでした。そして、自分の作った歌の譜面を書くことにも燃えました。
あ~懐かしい…
私は、きっとその頃から、自分は音楽の道を行くのだ!と決めていたと思います。習っていたのは「ピアノ」。でも作曲がやりたい、歌がうたいたい。ピアノの練習は嫌い、、でも、音楽には欠かせないから、やめられない。そんな思いでピアノのレッスンを続けてきました。いったん「入門」したら、そんなに簡単に進路変更はできないのがこの世界…みたいなところがありました。
そして、いよいよ、音大進学への道を選ぶことになった時、私は、「声楽科にいきたい」と主張しました。「うたが好き」。ところが、声楽も、アカデミックな世界で、楽閥…とでもいうのでしょうか、師事した師匠の流れから、イタリアものの、限定された時代のオペラを専攻するような、どんどん「専門分野」というのは狭まっていくものです。
しかし、いったん自分の専門分野を離れて、一般的な「ピアノ講師」という立場になったら、殆どの生徒達は「特殊」ではないのです。彼らに自分の専門分野を押し付けることは好ましくありません。しかし、音大の先生系(音大教授~講師兼ピアノ個人教授、受験指導専門の先生etc.)にはこのタイプが結構多いです。
なぜなら、自分が極めたものには、自信が持てる、これに尽きます。
(つづく)
レッスンには、毎回母同伴。最初のテキストは「子供のバイエル」でした。
4歳児に「子供のバイエル」…
最初の課題は、「ドレドレドレドレドーーー」でした。
母が家でテキストを開いて、私に譜面を見せながら
「TAKAMIちゃん、コレがド。コレがレよ。じゃあコレは?」
「ミ」…と私。(正解はド)
だんだんヒステリックになる母。当時のことはとってもよく覚えています。
だって、ド、レ、の次はミじゃーん… まるで5線のシステムを理解していない私。
とにかく、次のレッスンまでに、完璧に課題を弾けるようにして先生のところに行くというのが、母の任務だったようです。
私は全くワケがわかってなかった。ただ、音楽の好きな従順な子供だったので、
「もうやだ~!やめる!!」とはならず、母のただならぬ気迫に圧倒されて、言われるがままでしたが。
私は自分が特殊だと認識しています。世間では音楽大学に進学することもわりと特殊だし、音大を卒業しても、音楽にかかわって暮らしている人って、中でも演奏活動をしている人って実は結構少なかったりします。
物心がついたときから、私は音楽が大好きでした。歌や曲を作って勝手に弾くのが好きだった。勝手に弾いてるうちにハーモニーの楽しさに目覚めました。「ドミソシ」「レファラド」などの、音を4つ重ねた和音の響き(セブンスのコードですが、当時そんなこと、知るはずもなく)に酔いしれて??昼下がりから暗くなるまで弾き続け、自分の作曲?を「天国への階段」とヒソカに命名したものです。ツェッペリンより私のほうが先ですから~~!!(^_^;)
小学校の帰り道、友達と毎日歌を歌いながら歩きました。「一週間」「ドナドナ」「おおブレネリ」なんていう外国民謡をハモりながら…。メロディーを聴いて即座にハモるっていうのも、実はその頃から得意で大好きでした。そして、自分の作った歌の譜面を書くことにも燃えました。
あ~懐かしい…
私は、きっとその頃から、自分は音楽の道を行くのだ!と決めていたと思います。習っていたのは「ピアノ」。でも作曲がやりたい、歌がうたいたい。ピアノの練習は嫌い、、でも、音楽には欠かせないから、やめられない。そんな思いでピアノのレッスンを続けてきました。いったん「入門」したら、そんなに簡単に進路変更はできないのがこの世界…みたいなところがありました。
そして、いよいよ、音大進学への道を選ぶことになった時、私は、「声楽科にいきたい」と主張しました。「うたが好き」。ところが、声楽も、アカデミックな世界で、楽閥…とでもいうのでしょうか、師事した師匠の流れから、イタリアものの、限定された時代のオペラを専攻するような、どんどん「専門分野」というのは狭まっていくものです。
しかし、いったん自分の専門分野を離れて、一般的な「ピアノ講師」という立場になったら、殆どの生徒達は「特殊」ではないのです。彼らに自分の専門分野を押し付けることは好ましくありません。しかし、音大の先生系(音大教授~講師兼ピアノ個人教授、受験指導専門の先生etc.)にはこのタイプが結構多いです。
なぜなら、自分が極めたものには、自信が持てる、これに尽きます。
(つづく)