「劇団グスタフ」という劇団の「1945年のクリスマス」というお芝居を見にいきました。私のLIVEに来て下さった方の息子さんが出演しているから…というようなことで、内容を選んでいった訳ではありませんでした。
会場が、これがまた、狛江の、のどかな住宅街にある「芝居小屋」とでもいうような、劇団所有の稽古場兼劇場で、周囲の住宅街に溶け込み、小さなアーチをくぐると、(って、くぐらなくてもオープンに見えるんだけど)野草が生い茂る庭で(美しく手入れされた…って感じじゃなく、なんか生い茂ってるラフな感じがよかったな)、金魚が泳ぐ大きな水槽や、鳥小屋があり、ベンチやテーブルが並んでいて、屋台のようなカウンターで芋汁や、くりおこわのおにぎり?や、ホットドックやドリンクを売っている…
この手作り感がなんだかいい感じ。
そして、シアターは、客席100名ほど。吹き抜けでステージは、二階建て。
自前の自分達の劇場に集客するなんて、いいな~うんうん。
先日、「夢バトン」で、出無精の私が自分の家にお客を招いてコンサートをやりたいという話を書きましたが、これってまさにそういう世界。
で、肝心の内容ですが、戦後、GHQの日本国憲法の草案作成メンバーに22歳の若さで選ばれ、憲法の人権条項における「法の下の平等」、「両性の本質的平等」を明記することに尽力した「ベアテ・シロタ・ゴードン」という女性の生い立ちと、彼女が憲法草案にかかわった、密度の濃い9日間を舞台化したものでした。
東京音楽学校(現芸大)の教師として、山田耕筰氏からの要請で招かれた、ロシアのピアニスト、レオ・シロタ氏の娘で、10年間に渡る、少女時代の日本での生活から、日本女性に対する共感、親愛の心を持っていたからこそ成し得た業績だった。(参照)
そして、私がこの芝居でいちばん印象に残ったのは、草案を作る過程のベアテの台詞で、「彼らには、戦勝国が敗戦国の憲法をつくるのだ…という奢りは全くなく、ひとりひとりが理想的な国家をつくることの根本的な、重大なところにこの自分自身がかかわっているのだという、理想に燃え、震えていた」というようなところでした。
私は、大昔、まだ思春期のおわりごろ??「現憲法無効論」などという本も読んだことがあります。かなり右翼系の本です。教科書で、戦後、日本国憲法が制定されたことを絶対的な「善」のように謳っているけれど、こんな対極の考え方もあるのだということを知って、まだ子供の域を出ていない私は、びっくりしました。こちらももちろん「本気」の情熱が漲っていたのです…
小学校のクラスで、「どんな世界が理想的か」…なんていうことを社会科の授業でミーティングしたこともあったっけ。「貧富の差」と「自由」について大いに白熱したことを覚えています。盛り上がりまくったところで授業がタイムリミットで… あのときの純粋な気持ちをそのまま持って大人になった人は、どれほどいるのだろうか。
…そんなことを、いろいろと、いろいろと、考えたり思い出したりしました。
「理想の国家」についての結論は自分のなかでまだまだ見つかりませんけれど。
そして、やっぱりLIVEはいいなと、改めて思いました。
目の前で生身の人間が演技をするって、TVやDVD鑑賞とは全然違う、心にストレートに迫るりくるものがあります。サーカスに行ったときにも思ったことだけれど。
特に今回のこの小さな劇場では、観客とステージが一体となるような演出もあり、しかも、キャストの方々が、休憩時間には、外で芋汁を売ったりしていて、この感じ、ゼヒ、私たちのクリスマスLIVEでも応用させていただこうと思いました!
私自身も、曲がりなりにもこういう世界の住人であることを、嬉しく思いました(#^_^#)
会場が、これがまた、狛江の、のどかな住宅街にある「芝居小屋」とでもいうような、劇団所有の稽古場兼劇場で、周囲の住宅街に溶け込み、小さなアーチをくぐると、(って、くぐらなくてもオープンに見えるんだけど)野草が生い茂る庭で(美しく手入れされた…って感じじゃなく、なんか生い茂ってるラフな感じがよかったな)、金魚が泳ぐ大きな水槽や、鳥小屋があり、ベンチやテーブルが並んでいて、屋台のようなカウンターで芋汁や、くりおこわのおにぎり?や、ホットドックやドリンクを売っている…
この手作り感がなんだかいい感じ。
そして、シアターは、客席100名ほど。吹き抜けでステージは、二階建て。
自前の自分達の劇場に集客するなんて、いいな~うんうん。
先日、「夢バトン」で、出無精の私が自分の家にお客を招いてコンサートをやりたいという話を書きましたが、これってまさにそういう世界。
で、肝心の内容ですが、戦後、GHQの日本国憲法の草案作成メンバーに22歳の若さで選ばれ、憲法の人権条項における「法の下の平等」、「両性の本質的平等」を明記することに尽力した「ベアテ・シロタ・ゴードン」という女性の生い立ちと、彼女が憲法草案にかかわった、密度の濃い9日間を舞台化したものでした。
東京音楽学校(現芸大)の教師として、山田耕筰氏からの要請で招かれた、ロシアのピアニスト、レオ・シロタ氏の娘で、10年間に渡る、少女時代の日本での生活から、日本女性に対する共感、親愛の心を持っていたからこそ成し得た業績だった。(参照)
そして、私がこの芝居でいちばん印象に残ったのは、草案を作る過程のベアテの台詞で、「彼らには、戦勝国が敗戦国の憲法をつくるのだ…という奢りは全くなく、ひとりひとりが理想的な国家をつくることの根本的な、重大なところにこの自分自身がかかわっているのだという、理想に燃え、震えていた」というようなところでした。
私は、大昔、まだ思春期のおわりごろ??「現憲法無効論」などという本も読んだことがあります。かなり右翼系の本です。教科書で、戦後、日本国憲法が制定されたことを絶対的な「善」のように謳っているけれど、こんな対極の考え方もあるのだということを知って、まだ子供の域を出ていない私は、びっくりしました。こちらももちろん「本気」の情熱が漲っていたのです…
小学校のクラスで、「どんな世界が理想的か」…なんていうことを社会科の授業でミーティングしたこともあったっけ。「貧富の差」と「自由」について大いに白熱したことを覚えています。盛り上がりまくったところで授業がタイムリミットで… あのときの純粋な気持ちをそのまま持って大人になった人は、どれほどいるのだろうか。
…そんなことを、いろいろと、いろいろと、考えたり思い出したりしました。
「理想の国家」についての結論は自分のなかでまだまだ見つかりませんけれど。
そして、やっぱりLIVEはいいなと、改めて思いました。
目の前で生身の人間が演技をするって、TVやDVD鑑賞とは全然違う、心にストレートに迫るりくるものがあります。サーカスに行ったときにも思ったことだけれど。
特に今回のこの小さな劇場では、観客とステージが一体となるような演出もあり、しかも、キャストの方々が、休憩時間には、外で芋汁を売ったりしていて、この感じ、ゼヒ、私たちのクリスマスLIVEでも応用させていただこうと思いました!
私自身も、曲がりなりにもこういう世界の住人であることを、嬉しく思いました(#^_^#)