WIND AND SOUND

日々雑感 季節の風と音… by TAKAMI

「ジミーのアップルパイ」

2012-05-14 | アーティスト魂

★沖縄ローカルCM★ - Jimmy's ジミーのアップルパイ 15秒 2010年



でっ、先日higeさんとお茶した折、
「こんど沖縄にいったら、ジミーのアップルパイをおみやげに買ってきてあげよう」と仰るのです。
「マズイんだこれが」とhigeさんはおっしゃるのですが、
「Jimmy's 」という沖縄のお店の創業の経緯などお聞きし、とても興味が湧いて、検索しまくりました。

どうやら、アメリカの家庭の味、懐かしい味…という感想が多く、higeさんの仰るような「マズイ」という意見は見当たらなかったなあ、、、、
早く食べたいなあ~~(^_^;)

higeさんには、泡盛をいただいたり、沖縄に関する本やCDをお借りしたり、
私も少しずつですが、higeさんとのお付き合いの流れのうちに「オキナワ」が自分の中で広がっていくようです。

彼は、いろいろな経歴をお持ちですが、現在、沖縄の終わっていない戦後について、
そこのところを通して、「平和」について、語り、ともに考え、仲間を広げていくことをされています。
来年には、いよいよ沖縄に移住されるとのこと。

無宗教で無神論者で反体制で、労組系で「過激派」(とレッテルを貼られた)のhigeさんが、
「オキナワをやる」(彼はそう仰っていました)ようになってから、「神」について想うようになった…というのは興味深いお話でした。


私はこれまで「知識」としてしか沖縄を知らなかった。
なぜ「オキナワ」なのか… higeさんと出会って、「オキナワ」の心を少しずつ教えていただいて、自分なりに、なにか少しずつわかりそうです。
それは、自分の中の「音楽」や「神さま」とものすごく繋がっていると感じるのです。

↑↑こんなこと書いてもなんじゃそりゃぁ~~??でしょうけど、
私が音楽仲間や、音楽を基軸としたお友達や、アーティスト系のお友達が多いのには、はっきりと理由があります。
「価値観」なのです。
「音楽」やその他芸術系をやっていると、必ず一度は「自分の演奏や作品を売って収入を得る」という問題にブチあたります。
「売れること」や、また「有名になること」が自分の芸術の最終目標なのか…?
違います。
アーティストは、稼ぐために作品を創っているのではないのだ。
それでも、収入がなくては生きていけない。
お金があってもなくても、そのあたりの葛藤を、必ず通り抜けてきた人たちなので、根底のところで、暗黙のところで何も語らなくても通じるものがあるのです。
極論としたら、「かたちのないもの」「自分の魂」をお金に替えるということなのです。
「"A" is good. so,buy it.」といってスーパーに並んでいる商品とはちょっと(いや殆ど)違う。
それが、ミュージシャンやデザイナー、書家、建築家…などの職業に何年も携わっている中で、共通の価値観として、自然に備わっていくのだと思います。

higeさんは、アーティストではなく、私の勝手な言い方で言わせていただけば、「平和運動家」だと感じます。
それも筋金入り、生涯を賭して「平和」のために尽力しようとしている…
「労働運動」は、私にとって、音楽とは最もかけ離れたところにあるもののような感覚でしたが、実は、「音楽」もある意味では「反体制」といえます。
「平和」ってなんだろうか? まずは「和解」だと思います。
「和解」…これは、私の、大変プライベートなことではあるけれど、自分の人生においても大きな問題であります。

共通の価値観を持つ人は、なにもアーティスト系に限ったことではなく、
あらゆるところに、共通の思いをもった人たちがいることを最近とても感じます。

沖縄の人たちは、戦争、戦後を日常としてその中で「価値観」を培ってきた。
それが、きっとやはり深いところで「共通の思い」なのではという気がします。





真振 MABUI
海勢頭 豊
藤原書店




「自分を飾り、よく見せようとするのはやめようよ」


higeさんにお借りしている、沖縄のミュージシャン海勢頭 豊(うみせど ゆたか)さんの半生を語った「真振」(MABUI)という本の中に、「音楽の罪」という言葉が繰り返し出てきます。
私はこの言葉の意味がなんだかわかるような気がする…

私が音楽をやっているのは、「自分を飾り、よく見せようとするため」ではないと、今は確信を持っていえるけれど、
嘗てはそんな時代もあったかもしれないし、実は今でも、このブログなんかはそんな思いが心のどこかにあると思います。
「良く見せよう」となんかしてないつもりでも、自分の中に「ダークな部分」は確かにあります。
「美化」は「美」ではないと、海勢戸さんはこれも繰り返し仰っています。
「罪」とはなんぞや。
それは「影」とか「闇」「迷い」「弱さ」に置き換えられるかもしれない。
法を破ることとは根本的に違うのです。
「TAKAMIのブログからいつもパワーを貰っています、ありがとう」
と、コメントやメールをいただくけれど、だからといって私はいつもパワフルでポジティヴなわけではないのです。
そうでない部分をこの場に書かないだけのことなのです。

「現世」は「うつしよ」とも読みます。
この世は人のこころが映し出された世界であるという意味です。

先日、温泉で湯船に浸かっていたとき、内風呂の広い湯舟に私ひとりで、
外の景色…いいお天気できれいな空や真っ白い雲が、明るくくっきりと映っていました。
私が少し手足を動かすと、その景色は波立ってって歪み、やがてはまた静かなもとの鏡のような状態に戻ります。
そこへ、別の人が来て湯舟に浸かると、お湯は大きく波打って、景色は散り散りに、一瞬にして壊れてしまった…

「うつしよ」とは、こんなものなのだろうなあ…と、ぼんやりと感じました。

ほんとの空や雲は、別のところに厳然とあり、私が見ているのは、お湯に移った影なのだ。
そうは思えないほど、くっきりと美しいので、「これが実態なのだ」と錯覚しているだけだ。



戦前から、いや、太古から続いてきた沖縄の姿を私は何も知りません。

なぜ「ちんすこう」や「豚耳(ミミガー)」じゃなくて、アップルパイなのか?

創業者は日本人で、「ジミー」とは米兵たちから呼ばれていたニックネームとのこと。
ジミーは基地のベーカリーで働いていて、アップルパイのレシピを米兵から教わったとのこと。
今ではもっと美味しいアップルパイを作ることはいくらでもできるけれど、この商品のこの味だけは、「Jimmy's」の原点として守り抜いているとのことでした。

「Jimmy's」のアップルパイには、オキナワの純真さ、柔軟さ、したたかさ、そして悲しみや苦悩がこもっているのだとhigeさんは仰っていました。



味や香りというのは、出会ったとたん、命の記憶のようなものを呼び覚ますことがあります。
一瞬にして封印が解け、眠りを覚まされるような感覚。
ショットバーに通っていた頃は、シングルモルトや、カクテルの中にそんな出会いがあったし、
ブームになる前、都内にも数件しかなかったタイ料理の店でも、ナンプラーと香菜の強烈な味と香りに何かが呼び覚まされる感覚でした。
「出会った…」とはっきり感じるほどの。

文章で書くと、理屈っぽいですが、とても素朴で懐かしくあたたかい出会いです。

どんな出会いも偶然じゃない、全部がやがては縒り合わさっていくなかで、
今もまた「オキナワ」と、出会いつつあるんだなあ…と感じます。




Comments (3)
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