沢木耕太郎さんの著書にしては珍しく、登山家を書いたノンフィクションである。
沢木さんの新刊が出ると、たいていは読んでみるが、登山家、山のことを書いたというので、刊行されると、すぐにも飛びついて、一気に読んだ。
登山家山野井泰史さんと妙子さん二人の、ギャチュンカン登攀記録である。
雪崩に巻き込まれたり、雪壁の下降中二人がバラバラになったり、高度7000mを越える所で、無酸素で7泊もしたり、妙子さんは高山病で食糧を受け付けなくなったり、泰史さんの足は、最初のうちから凍傷にやられるなど、次から次へと困難に見舞われる。
けれど、厳しい登攀の末、最後には生還する。
泰史さんは、その山で凍傷のため、左右の手の薬指と小指、右足の指を5本全部失う。
妙子さんは、足は無事だったものの(といってもすでに足の8本の指は無くしている)、手の指は全てなくなり、もともと何年か前のマカルーで指の先を失っていたため、もうほとんど手の平しか残らない状態になる。
そして、この本は、生還するところで終わりにならない。山野井泰史さんが再起し、また山に登るようになるまでの物語なのだ。今年7月、山野井泰史さんは、ポタラ峰北壁の初登頂に成功した。
この本はかなりぐいぐい惹きつけられながら読んだのだけど、読みながらも、読み終わってからも、何か違和感が残った。
なぜなんだろうと考えた。
この本は、山野井夫妻の話しだ。けれど、沢木さんの視点は、どうも泰史さんに向いているような気がするのだ。二人を書いているなと思うところもあるのだけど、気が付くと、また泰史さんに戻ってしまう。
最後も、再起して登頂に成功するのは泰史さんだ。
そして、私が知りたいのは、むしろ妙子さんのことなので、どこかもどかしい思いが残った。
妙子さんは、手の指と足の指が18本ない身体で、山登りを再開している。おそらく登山靴のひもを結ぶのさえどうやっているのかと思う妙子さんが、どんな風に山を再開していったか。その方が知りたいと思ってしまうのだ。
■山野井泰史・妙子さん。ギャチュンカン初登攀により第七回植村直己賞受賞。
沢木さんの新刊が出ると、たいていは読んでみるが、登山家、山のことを書いたというので、刊行されると、すぐにも飛びついて、一気に読んだ。
登山家山野井泰史さんと妙子さん二人の、ギャチュンカン登攀記録である。
雪崩に巻き込まれたり、雪壁の下降中二人がバラバラになったり、高度7000mを越える所で、無酸素で7泊もしたり、妙子さんは高山病で食糧を受け付けなくなったり、泰史さんの足は、最初のうちから凍傷にやられるなど、次から次へと困難に見舞われる。
けれど、厳しい登攀の末、最後には生還する。
泰史さんは、その山で凍傷のため、左右の手の薬指と小指、右足の指を5本全部失う。
妙子さんは、足は無事だったものの(といってもすでに足の8本の指は無くしている)、手の指は全てなくなり、もともと何年か前のマカルーで指の先を失っていたため、もうほとんど手の平しか残らない状態になる。
そして、この本は、生還するところで終わりにならない。山野井泰史さんが再起し、また山に登るようになるまでの物語なのだ。今年7月、山野井泰史さんは、ポタラ峰北壁の初登頂に成功した。
この本はかなりぐいぐい惹きつけられながら読んだのだけど、読みながらも、読み終わってからも、何か違和感が残った。
なぜなんだろうと考えた。
この本は、山野井夫妻の話しだ。けれど、沢木さんの視点は、どうも泰史さんに向いているような気がするのだ。二人を書いているなと思うところもあるのだけど、気が付くと、また泰史さんに戻ってしまう。
最後も、再起して登頂に成功するのは泰史さんだ。
そして、私が知りたいのは、むしろ妙子さんのことなので、どこかもどかしい思いが残った。
妙子さんは、手の指と足の指が18本ない身体で、山登りを再開している。おそらく登山靴のひもを結ぶのさえどうやっているのかと思う妙子さんが、どんな風に山を再開していったか。その方が知りたいと思ってしまうのだ。
■山野井泰史・妙子さん。ギャチュンカン初登攀により第七回植村直己賞受賞。