私の体調がよくなくなって、まず最初に考えたのは、母のことだ。
前にもブログに何回も書いたが、元気でいても、そろそろ姉と二人で介護するのに限界を感じていた。
それなのに、私は全く動けなくなってしまった。
今週火曜日、病院で診察を受けて帰ってきて、まずしたのは、申し込みしている老人保健施設に、もうちょっと早く受け入れてもらえないかとお願いをすることだった。
ところが、そこでビックリ。一度ショートステイをして、だいじょうぶとなってからじゃないと、短期入所を受け入れるのは無理という。
でも、ショートステイどころか、今週乗り切るのも大変なのに、そんなに待ってはいられない。
次にしたのは、今母がお世話になっている、Y病院のソーシャルワーカーのOさんに電話をして、同じ病院の療養型の方に入院させてもらえないか頼むこと。
Oさんに今まで直接お世話になったことはないが、いつも病院で会うと、私たちに
「もし何か大変なことがあったら、いつでも相談に来てください。」
と声をかけて下さっていた。
実は、私のブログでも、後でお名前を調べてみるけれど、何度か療養型にしたら、というアドバイスを頂いていた。けれど、その時は、まだ切羽詰っていなかったので、老人保健施設の空きを待とうということにした。
でも、待てない今は、そこだけが頼みの綱。
そして、結果をいうと、4月9日からそこで母を受け入れてくれることになった。
それには、ソーシャルワーカーのOさん、主治医のI先生、看護婦さんのSさんの力添えがあって、奇跡的に叶えられたことで、3人の方々には本当に感謝している。
一般的には、そこにいられるのは3ヶ月ということになっているけれど、実際には、もう少しいさせてもらえるようである。
その後、老人保健施設からも連絡があって、ショートステイはしなくても、受け入れてくれることに。介護病院から退院するよういわれたら、こちらで受け入れを用意しますといわれ、肩の荷がおりた。
まあ、しかし、長年、父の時から十年以上Y病院に通っていて、介護床というのがあるのを知らなかった。目からウロコ。同じ病院内にあって、介護床は介護保険を使用する。具合の悪くなった時だけ、健康保険を使うそうである。
それも初めて知った。介護保険と健康保険は同時には使えないと、どこでもいわれていたから。
(写真トップ。Y会ではカメ子たちも目覚めたようである。shiki彩々より)
前にもブログに何回も書いたが、元気でいても、そろそろ姉と二人で介護するのに限界を感じていた。
それなのに、私は全く動けなくなってしまった。
今週火曜日、病院で診察を受けて帰ってきて、まずしたのは、申し込みしている老人保健施設に、もうちょっと早く受け入れてもらえないかとお願いをすることだった。
ところが、そこでビックリ。一度ショートステイをして、だいじょうぶとなってからじゃないと、短期入所を受け入れるのは無理という。
でも、ショートステイどころか、今週乗り切るのも大変なのに、そんなに待ってはいられない。
次にしたのは、今母がお世話になっている、Y病院のソーシャルワーカーのOさんに電話をして、同じ病院の療養型の方に入院させてもらえないか頼むこと。
Oさんに今まで直接お世話になったことはないが、いつも病院で会うと、私たちに
「もし何か大変なことがあったら、いつでも相談に来てください。」
と声をかけて下さっていた。
実は、私のブログでも、後でお名前を調べてみるけれど、何度か療養型にしたら、というアドバイスを頂いていた。けれど、その時は、まだ切羽詰っていなかったので、老人保健施設の空きを待とうということにした。
でも、待てない今は、そこだけが頼みの綱。
そして、結果をいうと、4月9日からそこで母を受け入れてくれることになった。
それには、ソーシャルワーカーのOさん、主治医のI先生、看護婦さんのSさんの力添えがあって、奇跡的に叶えられたことで、3人の方々には本当に感謝している。
一般的には、そこにいられるのは3ヶ月ということになっているけれど、実際には、もう少しいさせてもらえるようである。
その後、老人保健施設からも連絡があって、ショートステイはしなくても、受け入れてくれることに。介護病院から退院するよういわれたら、こちらで受け入れを用意しますといわれ、肩の荷がおりた。
まあ、しかし、長年、父の時から十年以上Y病院に通っていて、介護床というのがあるのを知らなかった。目からウロコ。同じ病院内にあって、介護床は介護保険を使用する。具合の悪くなった時だけ、健康保険を使うそうである。
それも初めて知った。介護保険と健康保険は同時には使えないと、どこでもいわれていたから。
(写真トップ。Y会ではカメ子たちも目覚めたようである。shiki彩々より)