紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

連句と「うたうとは小さないのちひろいあげ」の本について

2016-09-20 14:08:33 | 13・本・映画・演劇・音楽など
連句が半分ほど巻き終わった。

早くスタートしたことを書こうと思っているうちに、もう半分が巻き終わってしまった。

歌仙「露の玉」の巻

発句は、つぎのように集まった。
時を知りいろづき始む紅葉かな
待ち兼ねし晴天嬉し赤とんぼ
祭りの夜銀河を仰ぎ帰路につく
夜半の秋殉情詩集眠りまで
秋風や散らばる仮の旅程表
野の草の御礼のやうな露の玉
葛の葉の風引力の裏返る
ひたひたと蘆刈舟を日の打てり
夜もふけてしじまの中に秋の声
 
これから残り半分を巻いていく。

ところで、なぜ今頃連句のことを書いたかというと、
村上しいこさんの「うたうとは小さないのちひろいあげ」という本を読んだからだ。



短歌を詠むクラブ、高校生のうた部の話で、とてもおもしろかった。
内容もおもしろかったけど、それ以上に文章に惹かれた。
特定の作家の本を読んで、文章、文体に惹かれることが、たまにある。森絵都さん、佐藤多佳子さんなど。
本を読んで、うまいと思う人は、たくさんいる。けど、文章そのものに惹かれることはそんなにはない。
そういう本に出会うと、すごく刺激をうける。

そして、村上しいこさんの本を読んで、突然思ったのは、連句で物語を書けないか。
けど、連句って、ずっとつながっていくものではなくて、常に、2句前からは転じなくてはならない。ころころところがっていく。脈絡がなくなりそうだ。
それでも、脈絡がないままに話が続いていくこともありかもしれない。などと、ちょっと思ったので、忘れないように、ここに書き留めておいた。