三宅島を舞台に書いた物語が、出版されました♪
私が三宅島に移住したのは、七年前のことだ。その年の六月、小笠原諸島に遊びにいった夫は、帰りに友人が住む三宅島に立ち寄ると、その場で島に移り住んで畑をすると決めてしまった。
私に何の相談もなく決めたので、私はこれまで通り東京で暮らすつもりでいた。なぜって、私は船がメチャクチャ苦手だったからだ。
それでも借りた家に、家財道具などをそろえなくてはならない。夫から少し遅れて、島に渡った。もちろん船ではなく、調布飛行場から小さな飛行機に乗って。
三宅島に近づくにつれて、太平洋の碧く澄んだ海に眼を奪われた。真っ青な空が広がり、白い雲が数珠つなぎに浮かんでいた。
そのときから、持病のある私は、病院受診のため、東京の内地と島との行ったり来たりの生活が始まった。
あれから七年。三宅島にいる時間も、だんだんと長くなり、三宅島の良いところも、大変なところも、しだいに知るようになった。
そのうち、島を舞台にして、物語を書けないかと考え始めた。
物語の骨格ができあがったのは、四年ほど前のことだ。
ところが、その後新型コロナが蔓延し、原稿は寝かせたままになった。
時を経て、今年になり、ようやく『ウィズコロナ』の中で、少年たちの物語は進み出した。
本文中のマリンスコーレは、実際には今年延期になったが、ここでは主人公の少年たちに楽しんでもらいたく、最初の原稿を生かしてその場面も入れることにした。予定通り8月6日に行われたこととして。
今この本を手にしながら思うのは、ほんとうに数え切れないほどたくさんの方々にお世話になったということだ。
三宅島に住むきっかけを作ってくれた西野直樹さん。
野菜や魚を分けてもらったり、畑のことを教えてもらったり、年がら年中、ありとあらゆることで、お世話になり続けている大勢の島の方たち。
そして、本になるにあたっては、この物語に、星空を初めすてきな挿絵を描いてくださった森雅之氏。
このアシタバを描くだけでも、アシタバ農家の夫から、何度もダメ出しされ、その度に書き直してくださって、申し訳ないやら、ありがたいやら、言葉を尽くしても感謝しきれない。
さらに、新型コロナによって、原稿は何回も中断したにもかかわらず、つねにアドバイスをくださったあかね書房の榎一憲氏には、心より感謝している。
榎さんがいなければ、おそらく、この物語は完成させられなかったでしょう。
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