紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

明日からテレマークスキー

2008-01-18 17:27:09 | 4・テレマークスキー日記
去年も同じ時期に、さとさんと一緒にピラタススキー場で滑った。

蓼科スキー

晴れると八ヶ岳連峰・主稜線が見えるピラタスは大好きな場所。

そして、今年もさとさんと一緒に滑りに行くことになった。今回はトントン、蓼科の近くに住んでいる諏訪ッチさん、chaeさんも合流。
みんなでにぎやかに、エクシブ蓼科に泊まりつつ、テレマークスキーをする人あり、写真を撮る人ありで、行ってくる。
その後さとさんと二人で富士見スキー場に移動。さとさんの知り合いのペンション「ドンキホーテ」に泊まって、月曜日はスキーをしてくる。

今日、テレマーク用のスキーを出してみた。
去年しまった時のことを思い出すと、また滑りに行けるようになるなんて、信じられないほどだ。あの時は、もうこの板をはくことはないだろうと、9割方あきらめていた。
まだリューマチ性多発筋痛症と診断されず、体中が痛くて、スキー板をケースにしまうにも、かなり苦労した。なんとか痛みをこらえ、手入れをしてしまったのだった。


南国のフルーツ

2008-01-17 21:50:19 | 20・日々のできごと
鹿児島に帰っている良流娯さんが、鹿児島の柑橘類を送ってくれた。

うわー、でかい。一番大きいのはぼんたん。こんなに大きなのを初めて食べた。




他にもサマーポメロ(初めて聞く名前)、ぽんかん(これは食べたことがある)、そして、小さいキンカン。




今の時期、風邪をひかないためにも、ビタミンCはとりたい。
日数分のステロイドしかもらっていないので、風邪をひいても、病院に行かなくてはならない。
昨日、多分うっかりして、一日ステロイドを飲み忘れたら、夜には、左腕だけじゃなくて、両腕、首、足の付け根、いろんなところが痛くなった。
週末、はたしてスキーに行けるのか心配になった。
けれど、今朝ステロイドを飲んだら、痛みは午前中にはもう消えた。つくづく魔法のクスリ、こわいクスリだなあと思った。


昨日は受診日

2008-01-16 07:08:23 | 11・健康
昨日は、都心の病院に出かけた。

CRPは、今までで一番低かった。

3.62 → 0.4 → 0.3 → 0.3 → 0.3 → 0.62 →0.82 → 0.18 → 0.19 →0.13(先月の値)

けど、左腕の痛みがあることと、1月から何回かスキーに行きたいことから、痛みが出ないようゆるりと減らす方がいい、ということになり、ステロイドは先月まま、4mgにすえおかれた。
去年は、今くらいから、徐々に痛みが出るようになったのだった。あせらずにクスリを減らしてゆきたい。
この分だと、ステロイドが切れるまでには、今年じゅうかかりそうである。まあ、それも仕方がないかな。


プール3回目

2008-01-14 16:19:56 | 11・健康
今日はとっても寒い日でしたね。
東京でも、昼間4℃くらい。
それでどうしようかと思ったけれど、またプールに行くことにした。

来週は初滑りに行くので、今日行ったら、あと2週間くらいプールには行けない。
そうすると、やっと昨日少しクロールが泳げたのに、また元に戻ってしまうかもしれない。

それで行くことにしのだけど、今日も1km泳いだ。
昨日よりさらに距離は伸び、最長で200mクロールで継続して泳げた。
もっと行けそうではあったが、無理してもしょうがないので、後は、クロールと平泳ぎ25mずつ交互に泳いだ。
交互に泳ぐ方が、左腕は痛まない。痛まない程度に泳ぐのがいいような気がする。

泳いだ後は、しばらく身体がぽかぽかしている。
深大寺の自由広場は、ふだんでも人が少ないが、今日はほとんどいない。たまにワンコのお散歩とジョギングの人がいるくらいだった。

プール2回目

2008-01-13 15:40:13 | 11・健康
今日の午前中、プールに行った。
週に2-3回行きたいと思ったけど、今週から仕事も始まってみると、なかなか行く時間がとれない。
それで、スキーや山に行かない日曜日の午前中は、プールに行くことを習慣にしようと決めた。
といっても、まだ2回目だから、どうなるかわからないのだけどね。

今日は、1km泳いだ。
といっても、全部クロールではなくて、25mずつ交互に平泳ぎとクロールで泳いだ。
先週、腕を回すと痛くて、クロールで25m続けて泳げなかったにしては、かなりの進歩。
とりあえず、500mクロールで泳げたのだから。
今週は、プールには行かなかったけれど、毎日腕のストレッチをしていたので、それがきいたのかも。

そして、昼すぎに、調布わくわくステーションを聞いた。
あ~、意外と低い声なのね。動画の声は高いけど。
そして、ちょっと前のことなのに、何を質問されて、何を答えたか、もう忘れていたのがあった。(汗)
そうなんだ。私は列車の旅が大好きで、そのために、トーマスクックの時刻表を見るのが、趣味というくらい好きなのだ。
(としちゃんの問いかけは、私の本には、乗り物が多く出てきますね)
最近はヨーロッパを旅していないし、ネットで時刻もわかってしまうけど、やっぱり時刻表を見て、あれこれ考えるのが楽しい。
いろいろなことがクリアできたら、今年はやっぱりトーマスクックの時刻表を持って、ヨーロッパに行こうか。

調布市在住の人にお知らせ

2008-01-12 16:04:02 | 16.調布のできごと
今度の「調布わくわくステーション」のお客さまは、
      
児童文学作家の  三輪 裕子 

放送予定は    1月13日(日)
           <12時30分~12時45分>
           <調布FM 83.8MHz>
            再放送:1月20日(日)5時~5時15分

以前このブログに書いたインタビューのようすが、日曜日に調布近辺に流れます。
インタビュアーは、よくコメントをくれるとしちゃん。
近くに住んでいる人は聞いてね♪
そのうち、ホームページ上でも聞けるようになるそうです。



高校後輩と会う

2008-01-11 17:45:11 | 19.友人との時間
その昔、ブログで高校バトンを受け取ったことがある。昨日はそんなこんなを思い出した日だった。

高校時代の友人というのは、そのままとぎれることなく、生涯の友人として会い続けている人も多い。だけど、たったの1学年違うだけで、もうほとんど接点がないまま、何十年と過ぎてしまった。同期会は同じ学年の人と会うだけだし、同窓会は、府立○高女という伝統のある高校なので、おそらく年輩の女性が圧倒的に多いのだろうし。(一度も行ったことがないので、わからないけど)

私のブログにしては、昨日はビックリするほど見に来てくれた人が多いのは、後輩って誰だろう? という興味ではないかな。(笑)
1期下の人たちがすばらしいホームページを作っていて、そのおかげで連絡がとれたK・礼子さん、U・章子さん、同期の友人S・裕子さんと昨日は会った。(全員旧姓)。後輩2人は、ホームページを作っている委員である。



突然、卒業以来、何十年ぶりに会うので、話しはあちこちに飛ぶのだけど、ここには1つだけ書こう。
学校群のことだ。
私たちは、都立高校の学校群第一期生で、後輩達は二期生なのである。
同じ高校に通いながら、上の学年の人たちとは、まったく違う受験の仕方で、私たちは高校に入った。
もうこのブログは書いたことがあるのだけど、私は富士高出身で、学校群のもう1校は、西高。
どちらの高校に入学できるかは、成績で足切りされた後、順番に2校に割り振られる。
男子系と女子系、全く違う校風の学校のうちのどちらかに、3年間通うわけだけど、それをただくじびきのようなもので決められるのだから、よく考えると、理不尽な話しだなあと思う。

私たちが入学した時、ほんとうは西高に行きたかった、という声をたくさん聞いた。私も西高なら歩いて10分で通えるところ、富士高になったために、1時間かけて電車通学することになった。
ただ、本来、富士高にも西高にも入れる実力もなかった私が、なんとかもぐりこめたのは、学校群受験初年度のどさくさのおかげである。
学校群制度が始まらなかったら、一体どんな学校でどんな高校生活を送ったのか想像もつかない。
そんな風に、運命も変わってしまった人も多いだろう。同じ高校に通った人はみな知っているけれど、私の運命もここで変わってしまった。

高校生活は、後で振り返ると、楽しいことも悩みもぎっしりと詰まった3年間だった。
中野のにぎやかな通りも、崖の上の校舎も、近くの讃岐うどんの店も、コロッケ屋さんも、ソフトクリーム屋さんも、ラーメン屋さんも、かき氷屋さんも、夢のようにすてきな場所だと思っていたブロードウェイも、杉山公園も、好味屋さんのケーキも・・etc、その場面を共有していた人の思い出とともに私の記憶の中にとどまっている。
富士高に回されて(当時、回されるという言い方をされた)よかったかと聞かれれば、どこの学校に通ったとしても自分次第。と今なら答える。
当時なら、他を知らないので、わからないと答えたかな。でも、ちがうな。世界はそこしかなかった。そこだけが全てだった。

ps)一期下の学年のホームページをみたい方は、メールをください。URLとパスワードなどお教えします。私たちの代の、清原市長や演出家永井愛さんのインタビューなどものっていますよ♪

今日は受診日

2008-01-09 22:02:59 | 11・健康
今日は、正月あけて、初めて仙川の病院にいった。こういう時は病院も混んでいるね。
それでも、あのコワイ女医さんに会えるのは、密かな楽しみでもあるので、そう苦痛ではない。
血糖値が上がり、ちゃんと病院にかからなくてはダメになってから、ちょうど1年である。
その病院を紹介してくれたカッパ師匠(実はこのブログを最初にすすめてくれた、ブログの師匠でもある)には、ほんとうに感謝、感謝である。

私のようにいいかげんな人間は、そのようにコワイお医者様じゃないと、いうことをきかないだろうというのは、トントンの説である。
それは、長い付き合いなので、当たっているでしょう。(笑)

そうして、年末に厳しくいわれ、ガマンの生活を送った結果、前回のHba1cが7.4だったのが、7.1に下がった。(ステロイドを飲み続けている間は、ベイスンとスターチスは飲み続ける方がいいということで、今回も処方された。)
けど、だからって、安心しないようにね、とまたまた釘をさされて帰ってきた。

でも、明日だけは、まあ許そう。明日は、久しぶりにF高校の友人1人と後輩2人と私で会うのである。
後輩とは、何十年ぶりに会うのだけど(当時お互いに知っていたかもあやしい)、今となっては、先輩も後輩もないね。誤差のうち? ちょっとわくわく。ちなみに全員女性。

登山家・山野井泰史さんと妙子さん

2008-01-08 16:55:10 | 15・心に残ること
昨晩NHKで、山野井泰史さんと妙子さんご夫婦のドキュメンタリー「白夜の北極圏・高さ1300mの岩壁に挑む」を見た。

すごい、という以外言葉がみつからない。
5年前のギャチュンカンの遭難などで、凍傷のため、泰史さんは10本、妙子さんは18本もの手足の指を失い、クライマーとして致命的なダメージを負った。
妙子さんは、もともと何年か前のマカルーで指の先を失っていたため、もうほとんど手の平しか残らない状態になる。
そのような身体で岩壁登攀を企てる。泰史さんは42歳、妙子さん51歳。

一度は岩壁登攀をあきらめたというが、今また、再起して、あの手であの大岩壁をよじ登れるなんて、奇跡としか思えない。
とにかく妙子さんがすごい。奥多摩の自宅の庭で、野菜を作って自給自足の生活をし、庖丁をわずかな指の間にはさみ、ふつうに料理をこなす。
最初は、作った野菜をはさみで切ることもできなかったというから、その努力たるや並大抵のものではないのだろう。
そして、手の指がほとんどない妙子さんのために、泰史さんは登攀用具を改造して、使えるようにして、2人と友人とで3週間の岩壁登攀に挑んだ。

もう眠かったのだけど、ぐいぐい引き込まれて最後まで見た。
欲をいうなら、登攀場面だけでなく、幕営、食事風景などをもっともっと写してほしかった気がする。

「凍」を読んで

初泳ぎ

2008-01-07 06:27:39 | 11・健康
昨日は午前中約1時間プールに行って来た。初泳ぎ。
去年は、夏以降ほとんど泳がなかった。私にしては珍しく泳ぎたくならなかったのだ。
とくに、リューマチ性多発筋痛症になってからは、水着に着替えるのも、左腕が痛い。それで、プールに行くのが億劫になった。
だけど、やっぱり泳がないとだめだなあ。
痛い左腕を、痛いからといって、使わないでいると、筋肉がかたまってしまうそうである。
昨日、クロールで泳いで、その通りだと思った。
左腕が回せない。平泳ぎは、それでもまだなんとかだいじょうぶだった。

いつかドイツの直子さんとお会いした時、泳ぐのがいやなら、水中歩行だけでもいいといっていた。
それで、両腕を回しながら(クロールの時のようにかきながら)歩いてみたら、痛いけど、水をかくことができた。

これから、ちゃんとプールに通おうと思う。そうじゃないと、左腕を使わずに、何でもするようになって、それではますます左腕が使えなくなってしまう。
また、クロールですいすいと1kmくらい泳げるようになるまで、週2回くらい通おうと決めた。

外に出ると、深大寺の自由広場では、たこ揚げをしている人たちがいた。お正月の風物詩。