紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

美瑛泊スキー・1日目

2014-02-08 17:39:12 | 4・テレマークスキー日記
■2月3日=美瑛町営民スキー場と五稜の丘

今年もMさん、さとさんご夫婦と一緒に北海道の美瑛に泊まって、スキーをしてきた。

安い航空券を買うので、60日も前に、予定も決まらないままチケットを予約したため、初日の3日は、調布駅4:30発のバスでいき、6:40の旭川空港行きに乗り込んだ。
すごい早すぎたので、次の便でよかった。

なぜかというと、美瑛行きラベンダー号の始発が、旭川空港発10:10だったので、空港で、2時間近く待つことになった。

バスが遅れたので、美瑛駅に着いたのは、10:30。
旭川からレンタカーで来たMさんと、さとさんが待っていてくれた。




目指すは、美瑛町民スキー場。ここで、BCクロカンで滑ることにしたが、それまでの暖かさで、雪が溶け、その後また冷えたので、表面はカチカチ。下はゆるく、いわゆるモナカ雪。




すごくいい丘なのに、難しすぎてあまり滑れなかった。




昼ご飯は、今回の講師川上敦さんの奥様がやっている「Ries Cafe」 に電話をして、オープンしているということで、おじゃますることにした。




いつ来てもすてきなストーブ。




これで焼いたアップルパイをぜひ食べてみたいと思っていた。
念願かない焼いていただいたアップルパイ。昼食のカレーと。
さくさくの熱々で、なんともいえずおいしい。




Cafeからの眺め。




午後はもう少し滑ることにして、Cafeの先に車を止めて、丘を滑った。
最初は、よその家の畑や敷地だし、滑っていいのかしらと思っていたら、川上さんの奥様がだいじょうぶだとおっしゃって下さって、滑ることにした。




けど、やっぱりモナカ。景色はバツグン。




3:00過ぎたので、4日間泊めて頂くことになっている「薫風舎」さんを目ざした。

その後、Mさんと一緒に、旭川空港に車を返しに行く。空港の前には、氷が積み上げられていたけど、帰りにはちゃんと像が彫られていた。




5:00のラベンダー号で、美瑛駅に戻り、薫風舎さんに迎えに来て頂き、宿に戻った。

その日の夕食。






そして、3日は、節分。Mさんが持って来てくれた豆を、年の数より少なく頂きました。(笑)
今年も1年、健康でスキーが続けられますように。




その日のログ(車で走ったところも含まれる) 
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◆美瑛泊スキー・1日目・2日目3日目4日目5日目

明日から北海道

2014-02-02 16:25:52 | 20・日々のできごと
明日、早朝の便で旭川空港に飛び、そこから去年と同じ美瑛にある薫風舎さんに行く。

昼はスキーだけど、夜は、ジャズやクラシック音楽を聴きながら、暖炉の火を見つめている。
お料理もおいしく、静かで心あらわれるような宿です。

待ち合わせているのは、前田さん、さとさんご夫婦。二人はもう今日から旭川入り。
わたしは1日おくれで行くのだけど、朝4:30のバスに乗り遅れないようにしなくちゃ。

翌日から川上敦さんのレッスンやツアーに参加して、十勝連峰周辺で滑ってくる予定。

去年の記録

この時期旭川あたりが、どれだけ寒いか見当もつかない。
でも、寒ければ寒いほど、雪がいい。
タブレットを持って行くので、メール、ネットにはつなげると思うけど、WIFIがないと無理なので、その場合、携帯のみの連絡になります。
連句は、良流娯さんにアップしてもらうように頼んであるので、そのまま続けてくださいね。(業務連絡)


そのあたりの山。


ザ・タイガーズ 2013年 in東京ドーム

2014-02-01 18:30:18 | 13・本・映画・演劇・音楽など
昨年の12月27日にTV放映されたのを今頃見たのだから、もちろん当時も、それ以後も、それほどタイガーズファンではない。
ファンではないけど、やっぱりなつかしいし、同時代を一緒に歩んで年をとってきた、感はある。

タイガーズに興味を持ったのは、何年か前、瞳みのるさんが、もう一度タイガーズにもどってくるという記事を朝日新聞で読んだからだった。
タイガーズのあと、再び高校に入り直し、中国語を勉強して、高校で教えたり、辞書まで作っているということだ。
あんな華やかな場所から、地道に勉学に励むというのは、なかなかできることではないなあと思った。
なかなかタイガーズには復帰しないでいたが、沢田研二さんが自分を誘う歌を聴いて、また戻ることを決意したそうだ。
いつか、テレビで放送されたら、見てみたいと思った。

グループサスウンズや、その代表格のタイガーズがスターでいたのは、そう長くなかったが、長くなかったからこそ、たまたま思春期にいた私たちにとって、忘れることのできないグループになった。
高校1年~2年の時。当然のことながら、熱狂的なファンは、まわりにもたくさんいて、修学旅行の時には、ジュリーの家を訪ねたという仲のいい友人もいた。
あれから、46年もたったと思うと感慨深い。