数年前の婦人之友社『婦人之友』に、「ていねいなくらし」というフレーズを見つけました。このフレーズを目にした時、わたしは「これだ!」と思いました。わたしが一番願っていて、でもなかなかできないと感じている暮らしのあり方。
仕事をしていても、専業主婦であっても、独身でも主婦であっても、どんな立場にいても「自分の生活を感謝し、ひとつひとつをていねいに生きること」。わたしはそんな生活がしたいなと思い続けてきました。
その「ていねいなくらし」というフレーズを聞いて、思い浮かぶ何人かの人々。
まず最初に浮かんだのは、個人的なことになりますが、わたしの祖母です。
地方の田舎の農家に嫁いだ女性。もう25年ほど前に亡くなりましたが、わたしの人生の師匠のような存在です。
生涯,嫁いだ先のわたしの家で,飲兵衛の祖父を支えながら農民として家族のために心を注いだ人。何のことはない,平凡な日々を送っていたのですが,集落の中では周囲から「ねえさん」という通称で親しまれ,頼りにされていました。また、真っ黒い日に焼けた顔をしているのに,割合おしゃれで,そのことが原因で面白い失敗もしました。老人会で旅行に行くというので,集合場所に集まったとき,祖母はそばにいた人に「ねえさん,えらい髪の毛白いなあ。こー(粉)ふいとるで~」と言われたというのです。旅行先から帰って鏡台をみたところ,鏡台の前に汗を抑えるエイトフォーと髪を抑えるスプレーのケープが置いてあって,間違ってエイトフォーを頭にかけたことに気づいたというのです。そんな茶目っ気のある祖母ですが,体の弱い自分の娘,すなわち病気に苦しむ私の母に代わって,食事の支度から何から,こつこつやって,87歳で死を迎えるまでひたすら家族に仕える日々でした。朝早く起きて、まずは畑仕事。帰ってきて朝食を作り、豆を煮たり、お茶を煎ったり、かんぴょうをむいて庭に干したり、わらを打ち縄をなってお正月飾りや草履を作ったり・・・。そんな祖母を見ながらわたしや弟は育ったので、わたしたち姉弟はかなりのおばあちゃん子でした。,
ですから、祖母が亡くなったときもその死をなかなか受け入れられずにいました。私は,棺に,内村鑑三の『後世への最大遺物』という本と、私が信仰を持ったときにはじめて買った聖書を入れました。『後世への最大遺物』の中で内村鑑三は,「後世への最大遺物として,まずお金を残すということが考えられるが,これはすべての人が残せるわけではない,第二として残せるものは,事業や思想だけれども,これも誰もが残せるものではない,誰にも残せる,利益ばかりあって害のないものは,『勇ましい高尚なる生涯だ』」と述べます。そして,彼はこの本の最後で,「後世の人にこれぞという覚えられるものは何もなくとも,あの人はこの世の中に生きている間は,真面目なる生涯を送った人といわれるだけのことを後世の人に残したいと思います。」と締めくくるのです。まさに,孫のわたしから見た祖母の生涯はそのようでした。
平凡な人生だったけれども,その場に生きることを当たり前とし,迷わなかった人,そしてそこでその生を完結させた人。わたしも年をとっていくにつれて,この平凡だったけれども豊かで周囲に温かかった,そして周囲に仕え続けた祖母の存在,生き方がもっとも尊いものとして感じられるようになっています。祖母は、あの生活以外の生活をしたいとか、別の自分を夢をみたとかそういうことは全くなかったのだろうと想像します。今自分が置かれているところを、疑いもなく、しっかり受け止めて、地道に生活をしていったのだろうと思うのです。
テキパキ家事をこなしていける、立派なかっこいい主婦からはほど遠いわたしではあっても、その心根だけは忘れないようにしたい、と祖母の写真をみるたびに心が引き締まる思いになります。
「手帳を生活の司令塔にする」ということは、こういうことにつながると思うのです。自分のしている仕事も日々の何気ない家事も教会の奉仕も、その生活のすべてが、このわたしの人生であって、どれも同じ価値を持っている、そういうことをいつもわたしに教えてくれるのです。