蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

隅田の花火  (bon)

2014-05-31 | 花鳥風月

 隅田の花火は、7月末あたりです。 
ここの名前は、アジサイの名前なんですね。

これも、10年以上たちますが、鉢植えのせいでそんなには大きくなりません。 しかし、この花、
ガクアジサイの種類だと思いますが、花の中央から、少し離れたところに、
“パッ、パッ” と、それこそ
花火のように開いていて、うまい名前を付けたものだと感心しています。

隅田の花火
    

 

 茱萸(ぐみ)がたくさん実を付けています。 
渋くて、鳥たちも敬遠しているようですね。  昨年、あまりにきれいだったので、“ぐみ酒” を作ってみました。
1年経って、ちょっと味見してみましたら、あまりおいしくないのですね、これが。 
香りもなく、苦みや渋みはありませんが、特にこれといった特徴が無く、ただ少し甘すぎた~みたいな
感じが残るだけでした。
かき氷などに振りかけてみるのもいいかもしれませんね。

       それでも、見ている分にはきれい・・
                 

 

明日から、蓼科農園です。 

 今回は、始まって2回目で、“大合宿” と命名しています。
畑開き(4月下)には、ジャガイモ、さといもを植えていますが、葉物などは、遅霜がありる心配があるので、
霜の心配がなくなる “八ヶ岳に雪がなくなる頃” にどっと定植しています。
平地よりも遅いので、東京練馬のハウスで、たっぷりと 種から苗を育てて いるのですね。
Pookyが、毎年丁寧に育苗して それを蓼科農園に運ぶ・・。
トマト、カボチャ、スイカ、バジル、レタス、キャベツ、パセリ、ナス、ピーマンなどなど・・。
黒豆などは、現地でタネを直播きします。

お天気は、よさそうですが、既に夏の暑さになるかも・・。

        いってきまぁ~す!!   

 

 

 

 

 

 

 

 

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生田緑地ばら苑  (bon)

2014-05-29 | 日々雑感、散策、旅行

 昨日は、少し汗ばむ、蒸し暑い日でしたが、久々のランチの会は、小田急線向ヶ丘遊園の集合でした。
 ここは、もう50年も前に、同じ沿線の千歳船橋という駅近くの社員寮にいた時、登戸や向ヶ丘遊園に
時々足を運んだ懐かしいところでした。

 当時は、駅名と同じ、“向ヶ丘遊園地” がありましたが、今はなく、川崎市が運営する広大な “生田緑地” と
なっていて、市民のみならず今回のような県外者なども自由に楽しめるよう解放されていました。

 生田緑地は、昭和16年(1941年)に川崎市が多摩丘陵の一角に位置する旧向ヶ丘遊園および周辺の
森林を取り込んだ総面積165haの広大な緑地として都市計画を決定した川崎市内最大の緑の宝庫です。
遊園地は平成14年(2002年)に閉園していますが、ばら苑が暫定的に生田緑地内に組み入れられている
という歴史があるのですね。

 で、この “ばら苑” が、5月15日~6月1日まで限定の開園期間となっており、ここに行ってきたのです。
入園料は無料でしたね。 

             ばら苑 全景
                 

 

 苑内は、色とりどりの美しいバラが一面密集しているように咲いていて、圧巻でした。
大輪もあり、小さな花をいっぱいつけたスタンダード仕立てのものもあり、それぞれに名前が付けられていて、
どれもそれにふさわしい気品をそなえた花に見えてくるのが不思議ですね。
これまでにも、いくつか有料のばら園を観てきましたが、それらに勝るとも劣らない規模と質を感じ、暑さも
忘れて堪能しました。

  


  


  


 “ばらアイスクリーム” で、一休みし、丘陵をハイキングのような感じで歩いて、もう一つのお目当てであった
“岡本太郎美術館” に来ました。 すぐ直前の公園風のひろばには、鬱蒼と “メタセコイア” の群生が
背の高い日陰を作ってくれていて、何となくひんやりとした素晴らしい空間を作っていました。
“奥の池” となずけられた小さな池の周りで、子供たちがザリガニを捕って遊んでいました。 
そこを通り越した突き当りが、美術館です。 シニア700円でした。

 大阪万博の “太陽の塔” は今や誰でも知っている、あの独特な風貌、とそれに似たエネルギーあふれる
タッチ、色使い・・などなど、館内にどっさりとその作品が展示されていて、こちらにも圧倒されてしまいました。 
1952年に発表した “縄文土器論” 始め、彼の人間や社会を見つめた原点みたいな力をプンプンと現した
素晴らしい美術館でした。 岡本太郎は、川崎市高津区の生まれ(明治44年)なんですね。

 これまで、あの “独特の抽象画” のイメージが強すぎて、どちらかというと感動することはありませんでしたが、
今日のこの美術館でそれらの認識を新しくさせてくれました。

     (母の塔)


十分堪能したところで、カフェテリアが、うまいところにあり、静かな佇まいの中で長々とお茶して帰路に
向かいました。

 楽しい一日でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

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楠公祭  (bon)

2014-05-27 | 日々雑感、散策、旅行

5月24~26日は、神戸湊川神社の “楠公祭” でした。

 祭神は、南朝の忠臣 楠正成です。 正成がこの社域で自刀された場所で、
明治5年(1872年)5月24日(旧暦)に、ここ湊川神社が創建されたのを記念したお祭りなんですね。    
 この地は、当初は、梅塚と称していてあまり人に知られていなかったようですが、元禄5年(1692年)に
水戸光圀公が、そのお墓に “嗚呼忠臣楠子之墓” の碑を立て、御墓所が立派に建立されてから有名に
なったそうです。

           水戸光圀公による
                  (ウイキペディアより )


 明治維新の前後には、新しい日本の国づくりを願ったたくさんの志士達が墓前に詣で、国事に奔走した・・
とあります。

 「これにより正成公景仰の気運がいよいよ高まると共に、幕末から維新にかけて正成公の御神霊を
奉斎したいという国民運動が盛んになり、明治元年(1868年)、明治天皇は正成公の忠義を後世に伝えるため、
神社を創建するようお命じになり、当時のお金で千両という大金を下されました。
こうして明治2年(1869年)、御墓所・殉節地を含む7,232坪(現在7,666坪)を境内地と定められ、
明治5年(1872年)5月24日、湊川神社が創建されたのです。」 (湊川神社HPより)

 

ウイキペディアを参考にして、もうちょっとおさらいをしておきますと、

楠木正成公(大楠公)は、永仁2年(1294年)、河内国赤坂水分(大阪府千早赤阪村)で生まれた豪族の出身で、
鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将です。

 後醍醐天皇が、1333年、鎌倉幕府を打倒し、新しく理想の治国を実現しようとした建武の中興(新政)の
立役者として 足利尊氏らと共に活躍しましたが、その後、尊氏の謀叛によって、各地での戦乱が始まり、
一旦は尊氏軍を退けますが(正成は南朝側)、さらに力を付けた尊氏の大軍を、朝廷方から、新田義貞と共に、
兵庫で迎え討つことを命じられ、ここ、湊川の戦いで尊氏の軍に破れて自害したのです。


 ここで、太平記に出てくる、あの良く知られた “桜井の分かれ” があるのですね。
建武3年(1336年)正成公は、決死の覚悟で兵庫へ向かって出陣する途中、桜井の駅(西国街道宿場、
現、阪急京都線 水無瀬駅付近)で、御子の正行公(まさつら公=小楠公)に後事を託した別れです。

      桜井の分かれ の碑
              (ネット画像より)



 で、子供の頃によく聴いたあの歌 “桜井の分かれ” があります。子供の頃、この桜井というのは、
どこであるか全く知る由もなく、ひょっとして奈良県の 桜井 かな? とも思ったりしましたが、違うかもしれないので、
誰にもそのことには触れないでいました。


 なお、この時の正行公は、その後南朝側武将として、南北朝時代(1336年~1392年)に活躍し、
四條畷の合戦(1348年)で戦死したことから、大阪府四條畷市 四條畷神社に祀られています。
毎年、3月下旬にお祭りがおこなわれているそうです。
正行公の忠孝精神と博愛精神は、今なお、重要な教訓として伝えられているといいます。

 

  

 

 

 

 

 

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同窓会スナップV2  (bon)

2014-05-23 | 同窓会

 先の同窓会でのスナップ写真が、またまた送られてきましたので、“Kaヴァージョン” としてアップします。

 前回と似たようなカットは、割愛し 新たに追加したもの・・それと残念ながら 2ショットについては、
本当はアップしたいところですが、ここではアップしないこととしました。 悪しからず・・。 

               お台場海浜公園
                       

 

オートスライドです。(約4分) 

 

 

 

 

 u-tubeに、昨年の母校文化祭での演奏会模様がありました。 ご参考に引用します。
  

 

 

 

 

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石を金に変えてはいけない  (bon)

2014-05-21 | 日々雑感、散策、旅行

 先日手元に届いた会報の中に、ちょっと比喩的なお話がありました。

“石を金に変えてはいけないわけ” (北大大学院教授 武田雅哉氏)と題した、中国の昔話の中から
いくつかの物語を引用されつつ、それが現代の社会における何かを反省させているのです。 
しかし、その何かについては直接言及されてはおらず、どれも含蓄のあるお話でした。

 その中から、一つだけここに取り上げてご紹介したいと思いました。

 

「中国の昔話に、仙人界のトップに立っている 呂洞賓(ろどうひん)という人の話があり、大変偉い人で
あったそうですが、酒と女が大好きで、この人のお得意の術が “点石成金” ・・つまり、石に触れて金となす 
という術だそうです。  ある日、飲み屋で良い調子になって、店を出る段になって、財布の中が空っぽで
あることに気が付き、彼は足元に転がっていた石ころに、くだんの術を掛けて金貨に変え、支払いを済ませて
しまいました。 
これを見ていたある神様が、洞賓に尋ねて、“さっきの金貨は、あれは永遠に金貨のままかね?” 
洞賓は “いや、500年経ったら、また元の石に戻るんだけど・・” 
これを聞いた神様はこう言いました。 “君は,目の前の事ばかり考えていて、500年後、それを手にした者が、
どれ程つらい目に合うのかを考えないのか?”  
聞いて、呂洞賓は、ハッと悟り、その後、仙人たちの間で、石を金に変える術は使用禁止となった・・
とのことでした。

 石を金に変える術によって、今 眼前にある美酒は楽しめるけれども、500年後の誰かは、手にした金貨が
石に変ずるのを目の当たりにすることになる。
その結果、彼は絶望と苦痛とを味わうことになるかもしれない。

 すなわち、もはや、魔法や仙術なみになり、人間の手におえなくなった技術、そのために取り返しのつかない
損害と悲しみを体験したにもかかわらず、それでも敢えて、使い続けようとしている、ある種の “石を金に変える”
科学技術のことを連想してしまう。」 と。

                         

 面白い“お話” は、突然深刻な現代地球世界に当てはまるのではないか? 

一つには、これまで、何度も叫ばれてきている “地球温暖化” に対する問題に思い当ります。
科学技術の進歩により 便利で快適な生活に慣れているうちに、掛け声ばかりが先行して、とうとう、
猛暑、強風、豪雨などの異常気象を日常的に体験するようになってしまいました。
“金” ばかりを目指してきたツケが今まさに回って来ているのではないでしょうか?

 原子力発電についても、そう思えるのですね。
これまでは、安価で安定した電力供給であるとの見方から、急速に普及してきましたが、先の大震災で
経験した底知れぬ大きな問題を眼前にして、本当に今までの前提が正しいものだったのかどうか疑問ですし、
既に何万本もの使用済み核燃料をこれからどのように処理するかの計画すら明確に定まっていない今日、
金に変えられた石が、ただひたすら積み上げられて行くばかりです。 それが石に戻るだけでなく、何倍もの
悪害を伴うと分かっていても・・なのです。

 

 以前、“テクノロジーアセスメント” という動きが叫ばれた頃がありましたが、このところ久しく耳にする
ことがありません。 産業界では、テクノロジーアセスメントなんて、そんな悠長なことを言っていいる場合ではなく、
競争競争に明け暮れて来たのではないでしょうか?

 何だか、袋小路に入ってしまったみたいな気持ちになってしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

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初夏を告げる  (bon)

2014-05-19 | 花鳥風月

 あちらこちらのバラ園が、今を盛りと色とりどりの花が競うように見ごろを迎えています。 
また、ポピーの群生なども最近では珍しくなくなってきました。

 我が小さなベランダにも、さくら、はなもも、ハナミズキ、などに代わって、ヤマボウシ、隅田の花火(アジサイ)、
オリーブなどが咲いていきました。 ルリフタモジ も咲き始めています。 サツキは、今年は花がまばらです。
先にアップしました、レモン、みかん の花は良い香りを放ちながらまだ咲いています。

 

今頃の ヤマボウシ                  隅田の花火(アジサイ)
   

 

               オリーブの花
                    


 例年、このオリーブは、殆ど実が出来ないのですね。今年こそ・・との思いで肥料を多めに施してみています。

 

おまけ・・ 4日前の明け方、5時ちょっと前のベランダから眺めた “白い満月” もアップしておきます。
                  

 

  市民農園では、早やキュウリ2本、ピーマン3個を収穫してきました。 
なんだ~これぽっち・・ではなく、いち早い自然の恵みを改めて感じる瞬間なんですね。
ナスは、花が咲き、ジャガイモもたくさん花が付き始めています。 トマト・・花が咲いて、脇芽が勢いよく
伸びてきました。  音なしの さといも は、ようやく小さな芽が出始めました。

 

 同窓会の余韻が残るなか、再び、のどかな日常が戻りつつあります。

 

 

 

 

 

 

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浅草三社祭  (bon)

2014-05-17 | 日々雑感、散策、旅行

 今日、17日は浅草三社祭の中日だということは、先日の同窓会のバス中でガイドさんの案内にも
ありましたので、ああそうなんだ・・と思いが走りました。 今頃は大変賑わっていることでしょう。 

 もう20年も前に、このお祭りを見に行ったことがありましたが、大変な人出で、神輿を担ぐ人たちの
威勢の良いことは今も記憶に残っています。
この時ばかりは、入れ墨の見事な人たちも大勢神輿をかついだり、その上に乗って采配を振るっていましたね。

  先日の写真                     その右横の浅草神社(ウイキペディアより)
  

 

 

 3日間で150万人の人出が見込まれる三社祭は、東京の初夏を代表する風物詩の一つになっています。 

 改めて、“三社”  とはなにかとか、その祭りのいわれなどをちょっとだけ、紐解いてみることとしました。

 

 “三社” とは628年、浅草観音の本尊を隅田川より引き上げた漁師の兄弟・檜前浜成(ひのくまはまなり)と
武成(たけなり)の二人と、当時の文化人で後に僧となった土師真中知(はじのなかとも)の3人の
神霊(みたま)を指しています。
今もなお、「三社さま」として親しまれている浅草神社ですが、元来三人の神様をお祀りしたのですね。

 明治維新の神仏分離令により 浅草寺 との袂を分かち、明治元年に三社明神社と改められ、後に現在の名称 “浅草神社” となったということです。

             お祭り風景(ネットより転写しました)
                 

 

 初日の金曜日は、“大行列” が浅草の町を歩きます。 また、浅草神社の社殿と神楽殿で、東京都
無形文化財に指定されている “びんざさら舞” の奉納が行われます。

 中日の土曜日には、“例大祭式典” のあと、正午より “町内神輿連合渡御” が行われます。
浅草氏子四十四ヶ町の町内神輿約 100基 が浅草寺裏広場に参集、一基ずつ発進し、浅草神社で
お祓いを受けた上で各町会に渡御します。

 最終日の日曜日は本社御輿が各町会を渡御する “本社神輿各町渡御” を経て、夕刻に浅草神社へ戻る
“宮入り” となります。

                 (以上、ウイキペディア “浅草神社” を参考にしました。)




 





 

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同窓会スナップ写真集  (bon)

2014-05-15 | 同窓会

久しぶりに懐かしい面々が集いました。

 清水谷10期会同窓会 東京開催は、2014.5.12~13に実施されました。 
関西、関東 約半々の総勢50名の善男善女が、2020年東京オリンピックのど真ん中、“台場” での懇親会、
翌日の観光を通して、今また、あらためて旧交を確かめ会ったのでした。

 卒業後50数年を経て、これまでの人生は、人それぞれに違っていても、それらを超越した、あの楽しい青春に
タイムスリップして、大いに盛り上がり、心を通い合わせた2日間でした。

 東京駅集合                      
  

新丸ビルから観た東京駅

日航ホテル 台場からの景観

 


 楽しい懇親会                    
 

時間を忘れ深夜まで....

東京スカイツリー


     浅草寺散策
  

浅草仲見世通り



 小雨模様の東京スカイツリーは、視界ゼロで 何も見えませんでしたが、それは次回に残すこととして、
予定された行程を トラブルもなく無事終了することが出来ました。

 お疲れさまでした。 
参加されました皆様のご協力に心から感謝申し上げます。 ありがとうございました。


 スナップ写真集は、皆様の公開許可を得たものとして、ここにオートスライド形式で編集しました。 
皆様全員のスナップが必ずしも撮れていないかもしれませんが、お許しください。

 


 お待たせしました・・!! (オートスライドです。約7分)



おまけ~

高校時代に流行った、Benny GoodmanのMemories of You

 

 

 

 

 

 


 

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神山プロジェクト  (bon)

2014-05-11 | 日々雑感、散策、旅行

 神山町(かみやまちょう)は、徳島県の北東部、吉野川の南側に並行して流れる鮎喰川上流域に位置する
町であり、
日本で最初に アダプト・プログラム を導入したことで知られています。
また、1992年に神山町国際交流協会が設立され、国際交流に積極的なことでも知られています。

 (アダプト・プログラム (Adopt program)と は、市民と行政が協働で進める清掃活動をベースとした
まち美化プログラムのことです。

 例によって、友人のH氏から先ごろ配信されてきました記事に、この神山町のすばらしい取り組みが紹介されていましたので ご参考に転載させていただきました。

       神山町(部分)
              (ウイキペディアより)

 

***********記事内容です************ 

 『神山プロジェクト』 -未来の働き方を実験する
            篠原 匡 著  日経BP社 2014/03 224p 1,500円(税別)

 1.新スポットが続々誕生!
 2.それぞれの再始動
  3.創造を生む空気の正体 

【要旨】徳島県神山町。過疎化と高齢化に苦しむ、どこにでもあるような山深いこの町に今、熱い視線が
注がれている。 ITベンチャーが続々と古民家を
サテライトオフィスとして借りはじめ、多数の若きクリエイター
たちも移住
してきているのだ。 それに伴い施設や店舗も増え、人口統計では転入者が転出者を上回った。
本書では、生まれ変わった神山に登場した数々のスポット
を紹介するとともに、外から町に入ってきて
新しい生き方を見つけた各人の
物語を綴る。
そして、神山の再生を演出した地元のNPO法人「グリーンバレー」
の活動軌跡を辿り、彼らがめざすものを
浮き彫りに。神山をめぐるストーリー
は、クリエイティブな “場” のつくり方、地域再生の方法、また日本人の
来の生き方・働き方に数々のヒントを与えてくれる。 著者は日経ビジネスクロスメディア編集長。

  ------------------------------------------------------------ 

●ITベンチャーの移転ラッシュに沸く山あいの過疎の町

  鮎喰川の畔に広がる人口6100人ほどの街、神山。 徳島市内から40~50分の距離だが、平地が少なく、
急峻な斜面にへばりつくように集落が点在してい
る。人口は減少の一途をたどる。高齢化率も46%と、
少子化と高齢化に悩む
中山間の典型のような地域だ。

  ところが、神山はITベンチャーの “移転ラッシュ” に沸いている。名刺管理サービスを提供している
Sansanが2010年10月にサテライトオフィス「神山
ラボ」を開設したのを皮切りに、9社のベンチャー企業が
古民家を借りた。 
空き家として放置されていた古民家、それが続々とオフィスに姿を変えている。
また、移住者の増加に伴って、店舗や施設のオープンも相次いでいる。 
アーティストやクリエイターなど
クリエイティブな人材の移住も加速してお
り、まさに新しく街が生まれ変わっている印象だ。

  なぜ神山にはエンジニアやクリエイターが押し寄せるのか。 理由はいくつかある。

例えば、抜群のIT環境だ。その街並みからは想像できないが、神山は全国でも屈指の通信インフラを誇る。
現徳島県知事が情報化に熱心だった
こともあり、2000年代半ば以降、徳島県は県内全域に光ファイバー網を
整備
した。 その規模は県民1人当たりに換算すると全国1位だという。

  もっとも、企業や移住者はITインフラがあるために神山を選択したのではなく、神山という地域と住民を
好きになったがゆえに拠点を設けた。言い換
えれば、神山という「場」が醸し出す雰囲気に引かれたということだ。
その
雰囲気の中心にいるのは、神山に本拠を置くグリーンバレーである。

 

 ●肩の力が抜けたNPO法人「グリーンバレー」

  グリーンバレーは小さいながらもエッジの立った活動を展開するNPOとして全国的にも有名だ。
国内外のアーティストを呼び、滞在期間中に作品を創作
してもらう「神山アーティスト・イン・レジデンス(KAIR)」は
15年目を迎
えている。 職人など手に職のある人間を古民家に住まわせ、定住人口の増大を図る
「ワーク・イン・レジデンス」というプロジェクトを始めたのも彼ら
なら、働き方を模索する都会の企業に空き家を
貸し出す「サテライトオフィ
ス」を思いついたのもグリーンバレーである。

  その性格をひとことで語れば、「オープン&リベラル」だろうか。何事も否定から入らず、とにかく働き、
面白いことをかぶせていく。他人に何か強
制することはなく、メンバーや参加者の自主性に任せて押しつけない。
肩の
力がほどよく抜けた、田舎には珍しい集団である。

 過去の失敗例を分析し、できない理由を羅列することだけでは関係者の意欲を削ぎ落とすだけで、
何の付加価値も生み出さない。 できる方法をトコト
ン考えて、「やったらええんちゃう」 でとにかく始める。
それが、グリーン
バレーの原動力になっている。

  「ワーク・イン・レジデンス」では、移住者を選別する逆指名制度を取った。子供の数が絶対的に少ない
神山にとって、会社をリタイアした中高年ば
かりに移住されてもうれしくはない。それよりも、子育て世代や
若いカップ
ルが来てくれた方が神山にはプラスだ。

 移住者を選別することに疑問の声は出た。だが、理事長の大南信也は逆に選ぶべきだと主張した。
移住者は地域に花嫁を迎え入れるのと同じこと。お
嫁さんを抽選で決める人はどこにもいない。それに、
移住者を受け入れれば
地域にもストレスがかかる。 だからこそ、地域が納得する人を迎え入れるべ

きではないか。
そう訴えたのだ。 公正と平等を旨とする役所主導の移住者支
援では、とてもここまで踏み込むことは
できなかっただろう。

  ここ数年、大南は「創造的過疎」という概念をよく語る。過疎地における人口減少は避けることができない。
その現実は与件として受け入れたうえで、
持続可能な地域をつくるために人口構造や人口構成を積極的に
変化させてい
く。 それが、創造的過疎の意味することだ。

  大南は5年前、徳島大学の教授に依頼して、2035年の推計人口を試算した。その推計人口は3065人。
そのうち年少人口を小学校の1クラスに換算すれば、
現状の28.9人から12.5人までの減少で、1クラス20人を
維持しようと思えば、
親2人子2人の家族を毎年5世帯受け入れなければならない。
以来、年5世
帯をグリーンバレーの目標に掲げた。 過疎を巡る問題は情緒的な議論に終始しがち。
具体的な数値目標を設定した意味は大きい。

  

●「モノ」ではなく「ひと」に焦点を当て続ける

  これまでの経緯をひもとくと、グリーンバレーは自分たちにできることを一つひとつ着実にやり遂げてきた
ということが分かる。それも初めから大き
な目標を掲げるのではなく、小さな成功体験を積み上げて、
もう少し大きな
次の目標にチャレンジしていく。 その繰り返しがグリーンバレーの経験値を押し上げ、
賛同する仲間を増やしていったのだ。

  もうひとつグリーンバレーに固有の特徴があるとすれば、それは「モノ」でなく「ひと」に焦点を当て続けたことだ。
重視しているのは、「そこに何
があるかではなく、どんな人が集まるか」という一点に尽きる。
「B級グル
メなんかはいずれ飽きが来る。それに対して、オモロイ人が適度に循環していれば、新しいことなんて
ナンボでも生まれると思うんですよ。そこにアイ
デアをポンと投げ込んで、ぐるぐると混ざって新しい何かが
出てくるという
イメージかな」

  新しい発想やプロジェクトは異なる価値観やスキルを持つ人同士の対話を通して生まれるものだ。
IT企業のサテライトオフィスばかりが話題になる神
山だが、サテライトだけが神山ではない。
エンジニアからフリーターまで、
あるいは起業家から自由人まで。この町の魅力は、さまざまな背景をもった
人間が集まる多様性にある。

  神山に大勢の人が集まる理由、それは神山に漂う “空気” によるところが大きい。
よそ者に寛容で、排除することはあまりない。しかも、誰かが何か
を絶えず仕掛けているため町の中は常に
アクティブで、楽しいこと、面白い
ことに加わろうとする大人は少なくない。

 その一方で、他者に対する優しさもある。地域に迷惑をかけなければの話だが、移住者は基本的に放置せず、
見捨てない。前に踏み出そうとする限り、
その支援も惜しまない。その優しさが、迷い人の心をポジティブに変えていく。

  大南は最近こう思う。神山は日本の未来を投影した場所なのではないか、と。日本の地方は人口流出と
高齢化にあえいでいる。それを押しとどめるも
のがあるとすれば、それは道路でも美術館でもなく、
クリエイティブな人間
の集積以外にない。人が集まる場をつくる。それこそが、生き残りの解だ。

  同様に、企業もまた多くの課題を抱えている。オフィスで働くホワイトカラーの生産性は諸外国と比べて低い。
新興国が世界経済に組み込まれた今、
付加価値創造を進めなければ国際競争を勝ち抜くことはできない。
その課題
に対する解が神山で生まれるかもしれない。

 遠隔ワークを進める過程で生産性は磨かれていく。「場」がクリエイティブを生む。田舎に行けば創造性が
刺激されるという単純な話ではないが、異
なる環境が別のスイッチを入れるという面は確実にある。

  さらに、神山に移り住んだ人々が新しい生き方を提示している。環境変化が激しくなるにつれて、
従来のような予測可能な生き方は難しくなりつつあ
る。その時代に求められるのは、思い切って前に
踏み出す勇気と不確実を楽
しむ開き直りだ。前に進めば新たな選択肢が現れる。それは、移住者が証明していることだ。

 

コメント: 地域再生や地域活性化など、持続可能性をめざすあらゆるプロジェクトにとって大切なことは、
「静」すなわち「安定」をつくるのではな
く、常に「動」を求める姿勢をとることではないだろうか。
例えば、地域活
性化のためにハコモノや名産品、ゆるキャラをつくって終わり、というのではなく、
それらを使った“面白い”イベントを次々と企画する、など。
あの
「くまモン」にしても、くまモンそれ自体も魅力的だが、さまざまなユニークな仕掛けをすることによって
人気キャラに成長した。
神山のグリーンバレー
の、良い意味での「ゆるさ」は、「動」をつくるために欠かせないものなのだと思う。 

   ※文中の小見出しは書籍からの引用ではなく、情報工場が独自に作成しております。

 Copyright:株式会社情報工場

**********

以前、私が映像の仕事をしていました頃に、映画監督の大林宣彦さんを囲んでお話をしていたことがありましたが、
その時、“そこに人がいて、自由に動き回る中で何か面白いことが生まれてくる・・” そんな、クリエイティブの
原点みたいな話題が出ていたように記憶しています。



 






 

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レモンの花  (bon)

2014-05-09 | 花鳥風月

 今頃の季節、ベランダには甘酸っぱい良い香りが立ち込めています。

レモンの花が咲いたからなんです。
少し前は、藤が咲き、やはり同じような甘い香りが漂い何とも良い季節です。

 このレモンの鉢植えは、我が家に来て12年が過ぎますが、頒布会の3年物で来ましたから、
15才という計算になるのですね。 放任主義なので、最近はレモンの果実は口にできていませんが、
以前はいくつか、それこそ一般のそれと同じような味が楽しめたのでした。

 ベランダのレモンの花です。
  

 

 レモンは、檸檬で、lemonです。 学名:はCitrus limonといい、ミカン科ミカン属の常緑低木または
その果実のこと。柑橘類のひとつである。  と難しく書かれています。

レモンの近縁種の一つに “シトロン” というのがあります。こちらの別名が 枸櫞(クエン) といって、
クエン酸 の名はこれに由来するそうです。 なるほど~。

                             シトロン
                  (ウイキペディアより) 

 シトロン(学名:Citrus medica)は 正式に言えば、ミカン科ミカン属の常緑低木樹とあります。
レモンと類縁関係なんですね。

 

 また、“レモンは柑橘類の中では四季咲き性の強い品種である。 鉢植え・露地植えのいずれでも栽培が
可能であるが 、早期の収穫を目指す場合は鉢植えの方が早く開花結実する。 栽培品種の増殖は主に
接木・挿し木で行なわれる。”  ともありますから、鉢植えが珍しいわけではないのですね。

 で、レモンの品種には、
主力品種である リスボン、 そして、ユーレカ、 ビアフランカ、 ジェノバ、 ポンテローザなど、たくさんあるのですね。
また、雑種には、マイヤーレモン、サイパンレモン、スイートレモネードなども・・。
(この項、ウイキペディアを参照しました。)

 

 アゲハ蝶などの幼虫はレモンの葉が大好物であるようです。 丸々とした “青虫” がおいしそうに葉を食べている
姿はよく見かけます。  あっという間に、かなりの葉っぱを食べつくしてしまうのですね。
一般に、蝶は、柑橘類が大好きなようで、レモンの他、ミカンや金柑にも来ますし、そのほか くちなしにも来ます。

 まぁ、のどかなひと時です・・。

 

 

 

 

 

 

 

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夏野菜  (bon)

2014-05-07 | 花鳥風月

といっても、まだ植えつけたばかりです。  自宅すぐ前の市民農園の今頃の姿です。

 3年ごとの契約で、更改後の場所は、全部で92区画あるうちで、その最後の92番目が当たり、地型が細長く、
道路に面していてあまりよくないのですが、その分周りには邪魔
されない? 
などと気をとり直して始めて一月が過ぎました。

  今年は、ジャガイモのところを除いて、マルチがけをしました。 真夏の高温に雨がない時期の乾燥、
雑草対策など、これまでもマルチをしたい気に駆られていましたが、手ごろに折りたたんだ “
黒マルチ”は、
5m長で 500円弱 と割高だし、最初に張るのが面倒・・ などの理由から、マルチをしないで来たのでした。

 蓼科農園では、あんなに広いのに全部マルチがけでやっているのに・・、で、ようやく今年実行しました。 
なんだ、こんなに狭いところなので、やってみると全く苦にならずすぐさま出来てしまいました。

 ちょうど蓼科農園の畑開きがありましたので、このマルチについて話題にしましたら、マルチの値段は、
なんと10倍近い差があることが分かりました。 蓼科農園の端切れマルチを頂いて来ました。

 

 それで、今頃はどんな状態なの・・?  
予定していたものは全部植えつけ完了しています。
 

 ジャガイモ1㎏(4月15日植え付け)       きゅうり5株(4月24日植え付け)
   

 

トマト5株(4月24日植え付け)         なす4株(4月24日植え付け)
   

 

ピーマン4株(4月24日植え付け)  と さといも800g(4月30日植え付け) 
           

 

ジャガイモは、近くのホームセンターでは既にメークイン(種イモ)しかなかったので、それを1㎏、
さといもは、蓼科農園の近くで求めた “石川早生”。 その他は、すべてこちらのホームセンターで求めた
接ぎ木苗” です。 トマトは、ミニトマトは植えずに、すべて中玉トマトにチャレンジしています。

 

 植えつけてしばらくの間は、すくすくと生育し、近い将来の見事な収穫を思い起こさせて その期待は高まる
一方ですが、 それが6月も過ぎ、真夏の太陽が照る頃、どれも生い茂るように成長して、病気が出たり、
思うような実がならなかったり・・ 疑問と反省にさいなまれたり、落胆を交えたあきらめに似た心境に陥る・・
それほど深刻ではありませんが、大げさに言えばこんなことを繰り返しているみたいな感じもありますが、
それがまた次への挑戦欲をかきたてているのかもしれません。

 

 いずれにしても、植え付けが終ると、後は水切れの心配と、雑草との戦いとなります。

今年は、早め早めの対策を取ろうと考えています。  毎年そうですが・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

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立夏   (bon)

2014-05-05 | 日々雑感、散策、旅行

今朝、5時18分頃、やや大きな地震があり、それで起こされてしまいました。
私のところあたりは、震度3と報告されていますが、3よりは強い感じでしたね。
東京都心は震度4で、千代田区は震度5弱と大きな揺れだったそうです。 震源地は伊豆大島近海だとのことでした。

 今日、5月5日は、今年の立夏(りっか)です。

 二十四節気のひとつで、太陽の黄経45度の時を言います。
気温25℃を夏日といいますが、立夏の頃からだんだんと夏日が多くなってくるのですね。
ついでに、30℃になれば、真夏日、35℃を超えると 猛暑日 と呼んでいます。

 立夏について、「日本の年中行事」(国民文化研究会、塩田勝編 金園社)には、次のように書かれています。
 “春色はようやく褪せ、爽快な夏の気色の立ちはじめる季節です。いわゆる晩春初夏というくらい良い時期です。
いろいろの花が次々と咲き、新茶が香り、草木は日ごとに驚くほど伸びて行きます。人々も連休を利用して
十分に自然に親しんだことだろうから、これからの日々思う存分活動することです。”
と、最後はお説教じみていますね。

              ホトトギス
           (サントリー 日本の野鳥百花より)
 

 二十四節気については、当ブログ、2012.3.5記事 “二十四節気” に述べていますし、同5.20には
二十四節気のそれぞれを更に3等分した “七十二候” について、その他、“大寒” や “小雪” など
季節について述べていますので、ここでは割愛しますが、二十四節気の内、特に重要な中気である
夏至・冬至の二至、 春分・秋分の二分を併せて 二至二分 といい、重要な節気である
立春・立夏・立秋・立冬を 四立、そして、二至二分四立を併せて 八節 などといっています。

 

 進学、進級した学生さん、新入社員の皆さんは、緊張もほぐれ、周りの景色が見え始めて、自分の位置が
少しずつ分かり始めてきたころかも知れませんね。
5月病などといった面もありますが、この時期からエンジンがかかるのですね。
若者たち、溌剌としてがんばれ・・!

 

 

 

 

 

 

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今日は、豆ごはん  (bon)

2014-05-03 | 花鳥風月

 連日良いお天気が続いています。

昨日は、八十八夜でしたから、いよいよ夏に向かう・・ということですね。

 ところで、ベランダの ツタンカーメンのえんどう が、今年、植えすぎるくらい、殆ど間引き無しで、プランターに
2鉢植えましたので、大げさに言えば、 こんもりと繁っている感じ・・です。
これだと、実があまり入らずに、繁みばかりかと やや心配していましたが、 なんの、今年一番採りの
ツタンカーメン・・大豊作です。   初物の豆ごはんです。

  このブログでもお馴染みになりました “ツタンカーメンのえんどう” を改めて、調べてみましたので、
以下にいわくをご紹介します。

 

 “ツタンカーメン(トゥトアンクアムン、Tutankhamun) 紀元前14世紀(紀元前1342年頃 - 紀元前1324年頃)の 
古代エジプト第18王朝の ファラオ(主君、王)(在位:10歳~18歳)。”

一般に、ツタンカーメンと発音していますが、厳密には、トゥト・アンク・アメン (Tut-ankh-amen)と
いうそうです。 少し早口で、読むと ツタンカーメン となりますね~。

“即位は10~11歳と考えられ、即位後僅か9年で突然死亡した。妃はアンケセンアメンという。
1922年、ハワード・カーター(イギリス)により発見された、「王家の谷」にあるその墳墓が「黄金のマスク」など
豪華な副葬品とともに発掘された。”

        第18王朝ツタンカーメン(ウイキペディアより)
                       

 

 “ツタンカーメンのエンドウ豆は、発掘された副葬品の中から発見された。古代エジプト人が食べたであろう
エンドウ豆を持ち帰った カーター氏は、発芽、栽培に成功した。その後、数国にわたり、栽培が続けられた。”

 “日本には1956年、米国から水戸に送られてきた。その後、古代ロマンの夢を託したエンドウは、
主として小学校、教育センターを介して広がった。”(2010年朝日新聞記事から)

 

 そして、園芸友の会会員からこの “種” を数年前にいただいたのがきっかけで、その後毎年楽しませて
いただいています。 
今年もまた、遥か紀元前の彼方へ思いを馳せながら、我が家の食卓の幸を楽しんでいるのです。

 ツタンカーメンのエンドウは、日本で栽培されている普通の “種” とは異なり、古代エジプト産で、
エンドウの原種とも考えられています。 背丈、茎、葉、豆の形、色は、普通種と同じですが、花の色は、
ワインレッドで大変美しいです。 さやの色は紫ですが、普通の緑色のものも混じっています。さやの形は、
普通種と同じです。

 エンドウご飯を炊くと、普通のエンドウ豆ご飯と変わりませんが、長時間保温すると、赤飯のように赤く変わります。
味は、普通のエンドウ豆ご飯と同じといいますが、私には、こちらの方がより “ホクホク” して美味しく感じられます。

 このくだり、2011.5.31アップの記事 “ツタンカーメンのえんどう” に、ごはんの色変化の写真を掲載しています。

 

    ワインレッドの花が咲いているところ(4月23日撮影) 
             

 

 花が終る頃(4月30日撮影)             収穫(5月3日撮影)
    

 

              おまけ・・今頃咲いている ベランダのこでまりです。
                       

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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