蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

蓼科農園梅雨時の手入れ  (bon)

2015-06-30 | 蓼科浪漫倶楽部 畑

 梅雨前線が北上し、初日(26日)から日曜日(28日)までは雨模様 との気象情報に、畑作業が
どれだけできるか大いなる不安を抱きながら、中央道を突っ走りましたが、早や甲府を過ぎたあたりから
ポツポツと降り出してきました。

 この付近のピンポイント気象予報では夕方から雨だと言っていたので、作業着に着替えて、すばやく
農園に向かいましたが、小止みだった雨は、着くや否や次第に雨足が早くなってきました。
構わず、小雨の中でテントを張り、作物に絡んだ雑草引きを始めたとたん、またまた降り出してきました。

         到着スグの視察もよう
          


結局1時間半あまりで、いよいよ本降りとなり3時半頃には作業を中止する羽目に・・。
食材の買い出しの後、早めに温泉に向かい、この時期なのに、冷えた身体を優しいお湯に沈めてホッと
一息したのでした。サッパリして、ひたすら翌日が晴れることを願いながら、早々にK邸に引き上げました。

 <翌日から晴れました。>

  予想以上に雑草は、伸びていましたが、ジャガイモ7畝は順調で、男爵系の白い花、九州タワラ系の
紫色の花がきれいに満開でした。

         白・紫の花を付けたジャガイモ(奥が紫色)
           


 鹿対策ネットの中の黒豆は、雑草の中でも順調に成長し、また、初めて試みの黒大豆も順調でした。 
サツマイモは、やや頼りない苗ではありましたが、しっかりと根付いている感じで、これからの気温、
日照でグッと成長するでしょう。 反面、立派だった種イモの里芋は、思いのほか3~4割ほど発芽
しておらず期待外れでした。

 ネット囲いの中の黒豆(除草ビフォア)     アフター
   

 

  サトイモ(除草ビフォア)           アフター
  


          なかよし作業
             

 

 今回、年間予定では“イチゴ狩り”でしたが、例年より早く、前回(5月末)にイチゴを収穫しました
から、今回は、少し残りイチゴを楽しむ程度で、ランナーの定着を確認することとなりました。
玉ねぎ、にんにくは、大豊作で、玉ねぎは白・赤取り混ぜて300個ほどの成果を得ました。にんにくも
例年よりも大玉が多く収穫できましたので、イチゴ狩りではなく、“玉もの掘り”の方がピッタリの
シーズンでした。

   たまねぎの収穫
         

 

 幸いお天気予報はハズレ、翌朝から作業期間中晴天となり、既に夏の日差しの下、汗しながら
日いっぱい作業が進み、ほぼ予定の行程を終了することが出来ました。
日暮れ近くまで作業を継続するため、夕食はいつも9時近くになり、 おまけに日曜日は早朝5時から
“なでしこ”の決勝トーナメントがありましたから、少々寝不足との戦いも含んだ行程となりました。
 

 梅雨時お手入れの完成           頑張りました。
  



   お待たせしました! オートスライドショー(約6分)です。

  

                  



 

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古事記から(6) (bon)

2015-06-26 | 日々雑感、散策、旅行

 いよいよ、天孫降臨 です。

 アマテラスとタカギノカミ(高木神)は、アマテラスの息子のアメノオシホミミノミコトに
「今やっと葦原の中国が平定されたと言ってきたので、先に委任した通り、その国に天降って、
統治しなさい。」 といいました。 ところが、アメノオシホミミが答えていうには、「わたしが、
天降ろうと身支度をしている間に、息子が生まれました。その子の名は、アメニキシクニニキシアマツヒコ
ヒコホノニニギノミコト(邇邇芸命=穀神としての尊称)といいます。 わたしの代わりに、
若いこの子を降ろした方がよいでしょう。」 と言いました。 この御子は、タカギノカミの娘の
アキツシヒメと結婚して生まれた子どもです。子どもは、アメノホアカリノミコト(天火明命)と
ニニギノミコトの二人でした。

 こういうわけで、アマテラスとタカギノカミは、ニニギノミコトに対して、「この豊葦原の水穂の国
(日本の国)は、あなたが統治すべき国です。 だから、任命に従って、この天の国から天降りなさい。」
と命じました。

 こうして、ニニギノミコトが、天から降りようとしていたところ、天から地上へと行く 辻のところに、
上は高天原を照らし、下は葦原の中国を照らす神が居座って、その先へ行かせてくれません。
そこで、アマテラスとタカギノカミの命令を持って、ニニギノミコトは、アメノウズメ(天の岩戸の前で、
裸ダンスを演じた女神)にこう言いました。「あなたは、か弱い女神ではあるが、向き合った神に対して、
気おくれせず圧倒できる神です。だから、あなたはその辻にいる神のところへ行って、『天つ神の御子が、
天降りしようとしている道をふさいでいるのは誰だ。』 とこう聞いてください。」

 こうして、アメノウズメが命じられたとおりに訊ねたところ、 その神は、答えて言いました。
「わたしは、この国の神でサルタビコといいます。 天つ神の御子が天降って来られると聞いたので、
ぜひ先導の役に仕えたいと思って、お迎えにやってきました。」


 こうして、ニニギノミコトは、アメノコヤネノミコト(天児屋命)、フトダマノミコト(布刀玉命)、
アメノウズメノミコト、イシコリドメノミコト(伊斯許理度売命)、タマノオヤノミコト(玉祖命)の、
合わせて五つに分かれた部族の首長を加えて、天降りすることになりました。

 このとき、アマテラスは、三種の神器の勾玉、鏡、草薙の剣を ニニギノミコトに授けるとともに、
オモイカネノカミ(思金神)、タヂカラオノカミ(手力男神)、アメノイワトワケノカミ(天岩戸別神)も
ニニギノミコトの元に加えて、アマテラスは、いいました。 
「ニニギノミコトよ、あなたは、
この鏡をわたくしの魂だと思って、わたしを拝むように、これを大切にお祭りしなさい。またオモイ
カネノカミよ、そなたは、ニニギノミコトのことをよく助けて、そして政治を行いなさい。」 と。

 ニニギノミコトとオモイカネノカミは、今も伊勢神宮(五十鈴の宮)にお祭りされています。
(以上のニニギノミコトと同行した神たちは、アマテラスの「天の岩戸」神話に登場する神々です。
それぞれの神の所在については省略します。)

            天孫降臨
               (ネット画像)


 さて、こうしてニニギノミコトは、高天原の神座を離れ、天空に幾重にもたなびく雲を押し分けて、
神威をもって道をかき分けかき分け、途中、天の浮橋に立ち、下界を見下ろしました。 そして、
ついに筑紫の日向の高千穂の霊峰に天降りになりました。 
そこには、アメノオシヒノミコトとアマツクメノミコトの二人が、見事な石でできた靱(ゆき。
矢を入れる。)を背負い、石の刀、石の弓、石の矢を持って、天孫の先に立って、お仕えするために、
出迎えました。

 ニニギノミコトは、この高千穂の峰の感想をこう述べました。「この地は、朝鮮半島に相対しており、
笠沙の岬(かささのみさき)にまっすぐに道が通じており、朝日がまともにさす国であり、夕日も明るく
照る美しい国だ。 ここは、まことに吉い土地である。」

そして、地底の盤石に太い宮柱を立て、天空に千木を高く聳えさせた壮大な宮殿に住まわれたのです。
 

サルタビコとアメノウズメ

 さてそこで、ニニギノミコトは、アメノウズメにこう言いました。
「あなたは、このわたしを先導してくれたサルタビコの名前を明らかにしてくれた。だから、あなたが
サルタビコの神を送って行ってあげなさい。そして、その神の名をあなたが譲り受けて、天つ神の御子に
仕えるのがいいでしょう。」と。

こういうわけで、天皇にゆかりの深い神社で、神楽を行う女性たちを「猿女君(サルメノキミ)」と
呼ぶのは、その名前がサルタビコの男神の名から由来しているのです。

さて、そのサルタビコが、阿耶訶(現在の三重県松阪市)に行った時に、海で魚を獲っていたところ、
ヒラブ貝に手をはさまれて海底に沈み、溺れてしまいました。そこで、海に沈んでいるときの名前を
「底どく御魂(そこどくみたま)」といい、沈んで行く時に海水がぶつぶつと泡立つときの名前を
「つぶ立つ御魂」といい、またその泡がはじけるときの名前を「あわ咲く御魂」と言いうのです。

 アメノウズメは、サルタビコを送り届けて帰って来ると、大小さまざまな海の魚たちを呼び集めて、
「おまえたちは、天の神の御子の御膳としてお仕えするか。」と聞きました。

すると、魚たちはみな「もちろん、お仕えいたします。」と答えましたが、ナマコだけは、何も言い
ませんでした。これに怒ったアメノウズメは、「この口は、答えることができない役立たずの口だ。」 
と言って、紐の着いた小さな刀で、その口を割いてしまった。
こういうわけで、ナマコの口は割けているのです。

このような理由で、志摩の国が初物の魚介類を天皇に献上する時に、猿女君たちにそれを分かち下される
のです。


コノハナノサクヤヒメ
                                 
 ある時、ニニギノミコトは、笠沙の岬(鹿児島県川辺群)で、とても麗しく美しい乙女と出会いました。
「あなたは、だれの娘か。」 と聞くと、「わたしは、オオヤマツミノカミの娘で、名前をカムアタツヒメ、
またの名をコノハナノサクヤヒメ(木花之咲夜比売)と申します。」 とその美女は答えました。 
「あなたには、兄弟がいますか。」と聞くと、
「わたしには、姉がいます。イワナガヒメといいます。」  
ニニギノミコトは、「わたしは、あなたと結婚したいと思いますが、どうでしょうか。」と聞かれると、
「わたしからは、お答えできません。わたしの父のオオヤマツミがお答えします。」

そこで、ニニギノミコトは、その父のオヤマツミに使者を遣わせ、結婚の承諾をお願いしたところ、
その父はとても喜び、姉のイワナガヒメも一緒に嫁にもらってほしいと言って、たくさんの献上物を
持たせて娘を差し出しました。

 しかし、姉のイワナガヒメは、容姿がひどく醜かったので、ニニギノミコトは困ったあげく、
親の元へ送り返し、ただ、妹のコノハナノサクヤヒメだけを留めて、一夜契りを結ばれたのでした。

 イワナガヒメを返された父のオオヤマツミノカミは、このことをとても恥ずかしく思い、使者に伝言を
託して、こう申し上げました。

「わたしの娘を二人並べて差し上げた訳は、イワナガヒメを妃となされば、天の御子さまのお命は、
雪が降り、風が吹いても常に岩のように、永遠に不滅にあられるでしょう。また、コノハナノサクヤヒメを
妃となされば、木の花が咲き栄えるように繁栄されるであろうとの願いをこめてのことでした。
ですから、イワナガヒメを返させて、コノハナサクヤヒメ一人を留められたので、天の御子さまの寿命は、
木の花の寿命のように儚くなってしまわれるでしょう。」 
そういうわけで、現在にいたるまで、天皇方の寿命は長久ではなくなった(寿命がある)のです。

 さて、その後、サクヤヒメはニニギノミコトのところに来て、「わたしは、身重になって、もうすぐ
出産する時期になりました。 しかし、この天つ神の御子は、私ごととして産むわけにはいきません。
どうしたらよいでしょう。」といいました。

 これに答えて、ニニギノミコトは、「サクヤヒメよ、ただ一夜の契りで妊娠したというのか。
これは、たぶんわたしの子ではあるまい。きっと、国つ神(以前から日本に住んでいた神)の子であろう。」
と疑っていいました。 
それで、サクヤヒメは答えて、「わたしの身ごもっている子が、もし国つ神の子であれば、産む時に
無事に生まれないでしょう。しかし、天つ神の御子であるならば、無事に生まれることでしょう。」と
言って、ただちに、戸口の無い大きな産殿を造ってその産殿の中に入り、土でぬり塞いで、出産の時に
なるとその産殿に火をつけてお産をしました。そして、その燃え盛る火の中で三人の子を産みました。
ホデリノミコト(火照命)で、隼人の阿多君の租神である。次に生まれた子は、ホスセリノミコト
(火須勢理命)で、三番目がホオリノミコト(火遠理命)、の三柱です。

(ホデリノミコトは、海幸彦、ホオリノミコトは山幸彦として第1巻最終話につづきます。)


           今日、今年3回目の蓼科農園にいってきまぁ~す。


 
 

 

 

 

 

 

 

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市民農園6月下旬  (bon)

2015-06-24 | 日々雑感、散策、旅行

              昨夜は、激しい雷雨がありました。 そのせいか、スッキリとしたさわやかな朝を迎えています。 
                    予報では、日中30℃くらいまで上がるそうです。


 わりと梅雨らしいお天気が続いています。 豪雨で被害が出ている地域もありますから、
こんなのんきなことを言っているとお叱りを受けてしまいます。

 今年は、pookyが懇意にしている農家から分けてもらった苗たち(キュウリ、トマト、なす)は、
大変順調に育っています。キュウリは、今が最盛期のようで、良く採れますが、すぐそこなのに、
またしても“巨大キュウリ”にしてしまいます。“なす”も形よく、皮もやわらかです。
トマトはもうちょっとですね。でも、大きくておいしそうなので期待しています。チョット、
実をつけすぎてしまいましたので、それほどの大玉にはなりませんね。

サトイモも元気になってきました。まだこれから長丁場ですから、肥料を切らさないように管理して
行きたいです。

 Pookyが自前で育てたピーマンの苗は、これらよりひと月遅れで定植しましたが、小さな実が一つ
出来てきました。これからが楽しみです。秋口まで収穫できますから施肥をしながら大事にしたいです。 
 それから、じゃがいもは、お行儀が悪く、寝そべっていますが、お天気が続いてくれると、もう収穫の時
ですね。
 これらの様子を、昨日、午前9時半頃にパチリトしましたので、以下にアップします。

 キュウリ                 なす
   


 トマト                 アップしました。
  


 さといも                 ピーマン
  


         収穫間近なジャガイモ
           

 

 ベランダの方も、ヤマボウシ、クチナシなどの白い花が終り、可憐なレインリリー、ガクアジサイの
“ダンスパーティー”のピンクに目が移ります。ダンスパーティーの花の一つが、まるで“リース”の
ように丸く咲いていましたので、アップしました。

 夏の花、ノウゼンカズラの今年1番花です。 カサブランカ、百日草は、まだ蕾です。

     リースのように咲いたダンスパーティー(ガクアジサイ)      
       


             今年のノウゼンカズラ
                

 

 

 

 

 

 

 

 

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父の日  (bon)

2015-06-22 | 日々雑感、散策、旅行

              今日、6月22日は夏至です。
                昨年のこの日のブログに“夏至”を取り上げましたので、そちらに譲ります。
                また、今日は日韓国交正常化50周年にあたり、昨日、岸田外務大臣,尹炳世
               (ユン・ビョンセ)韓国外交部長官(外相)
で日韓外相会談が行われました。
        いわゆる “65年体制” (日韓基本条約締結)から、協調・対立が繰り返
        されてきた日韓摩擦が、今後どのように進展するのでしょうか。

 

 昨日は、父の日でした。

 これまでも、あまり関心がありませんでしたが、今年は、なぜかテレビや新聞などで目にすることが
多いと感じたのは私だけでしょうか? 母の日は、かなり広く関心がもたれていて、それでも、
私の記憶では、子供の頃に2~3度、おふくろにカーネーションをあげたことを覚えている程度で、
このような行事には我が家はあまり積極的ではなかったような気がします。
 母の日は、むしろ大人になってから、おふくろに何かを贈ったり、改めて感謝したりするようになり
ましたが、そのおふくろも他界して長くなりました。 一人娘は、お母さんへ~という感じで、
なにがしかのプレゼントやメッセージが届けられてきます。

 父の日・・なんてのは、母の日があるから、その付け足しで作ったのではないか? と思っていましたが、
調べてみると、意外にも、その創設はかなり古いのに驚きました。
創設理由は、やはり、母の日に対することであるようですが、その昔1910年(明治43年)の創設と
いいますから、かなり古いのですね。 アメリカのとある夫人が、男女同権の見地から、母の日に対して、
“父に感謝する行事を行った”のがこの日の始めといわれているのです。 そして、1936年(昭和11年)に
ニューヨークで、“全米父の日委員会”が出来てから盛んになったそうです。
1966年には、第36代大統領は、父の日を称賛する大統領告示を発し、6月の第3日曜日を父の日に定め
ました。1972年になり、アメリカでは正式に国の記念日に制定されました。

 日本には、戦後 母の日が行われるようになってから少し遅れて、昭和25年頃から普及してきましたが、
母の日のように普及はしていないようです。

母の日の花がカーネーションなのに対し、父の日の花はバラなのだそうです。

 昨日、来年大学生となる娘を持つ娘から、私の似顔絵を描いて、パソコンに写真添付で送ってきました。

  パソコン添付写真
                 


 

   “Oh, my papa” 2ヴァージョンを挙げました。

  エディ・フィッシャー

 

 

 エヴァーリー・ブラザーズ

 

 

 

 

 

 

 

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ALS  (bon)

2015-06-20 | 日々雑感、散策、旅行

 筋萎縮性側索硬化症 という難しい名前の難病です。

 ご存知の方もおられると思いますが、運動神経(大脳からの運動命令を筋肉まで伝える神経)が
選択的に障害され、重篤な筋肉の委縮と筋力低下をきたす神経変性疾患で、総合的に運動ニューロン病と
いい、その代表的なのが 筋委縮性側索硬化症(ALS)という難病で、特定疾患に指定されています。
英語 amyotrophic lateral sclerosis から、ALSと呼ばれています。 極めて進行が速く、半数ほどが
発症後3年から5年で呼吸筋麻痺により死亡するという怖い病気です。

  ALS患者の運動ニューロンと筋肉
     (ネットHPより借用しました。)
 

 先日、テレビで取り上げていました。30代あたりから、ALSの症状があらわれる場合もありますが、
50代から70代前半の年齢層に多いといわれており、中でも一番多いのは65~69歳であるそうです。 
この傾向は欧米諸国でも変わらず、男性も女性もこの病気にかかりますが、男性は女性の1.5倍多く
発症するといわれています。 また、肉体を使う職業の人から、身体をあまり使わない職業の人や
主婦まで、生活環境とは無関係に同じように発生するのだそうです。 現在、日本では9000人に上ると
言われています。

 しかし、原因はまだはっきりわかっていなく、治癒のための有効な治療法も現在確立されておらず、
対症療法で個々の症状に対して、緩和したり、支援機器などによっているのが現状のようです。

 症状としては、いつとはなしに手足に力が入らなくなり、筋肉が痩せて徐々に全身に広がって
(比較的早く)来るといいます。 口やのどの筋肉が障害されると、喋れなくなり意思疎通が不自由に
なります。また、食事では、嚥下障害になったり、呼吸筋が障害されると呼吸がしにくくなります。
この疾患は、やがて全身の筋肉が動かなくなって寝たきりになり、最後は呼吸筋麻痺で死亡するという
難病なんですね。

 テレビでも紹介されていましたが、手足の筋肉が全く動かなくなり、車いすに寝たきりで、
人工呼吸器を装着しているので声も出せない。 こんな状況を想像してみて、どうやって意思の疎通を
図るか・・考えてみて、恐ろしくなりました。 意志を伝える方法はまたくないのですね。
 しかし、眼球だけは動かせているので、この眼球運動を介助者が読み取り 文字盤を利用するなどして
ようやくコミュニケーションが行えるのです。パソコンソフトなどを介して音声に変換して伝えることが
出来ます。 また、脳波などが検知できる場合は、重度障害者用意思伝達装置の使用が検討されている
ようです。 発話障害が進行する前に声を録り貯めておき、後々の音声コミュニケーションで生かす
取り組みがあるという。  

 iPS細胞の援用による治療の可能性が検討されているようです。京都大学iPS細胞研究所では、
ALS患者から採取した皮膚細胞からiPS細胞を作り運動神経の細胞に変化させる研究を通じて、将来的な
ALS治療の可能性に繋がるのではないかとみる明るいニュースもあります。 是非成功させたいものです。

 結局、ALSは筋肉自身の病気ではないし、手足に行っている細かい神経の病気でもないのですね。
主に脊髄と脳の運動神経が変性し、脱落するために起こるもので、その結果として手が握れなくなる、
舌がしわしわになって呂律が回りにくい、飲み込みにくい、立ち上がりにくい、歩きにくいなどという
症状から始まり、徐々に手足が痩せていくことになってしまうのです。

 この病気にかかっている人に、かの有名なブラックホールの特異点定理を発表した スティーヴン・
ホーキング博士(理論物理学者、73歳)や、恩田聖敬氏(Jリーグ FC岐阜社長37歳)など多くの人が
います。恩田氏は、先(6/14)の 対コンサドーレ札幌の試合に0-1で惜敗した時の映像が流れて
いました。

 明日、6月21日は世界ALSデイとのことです。
ALSの新薬発見、治療法の確立、病気の理解につながるイベントが世界各地で行われるそうです。
 1986年(昭和61年)に、日本ALS協会が発足しています。「ALSと共に闘い、歩む会」として、患者と家族を中心に、遺族・専門医・医療関係者や一般有志が集まり、ALS患者の療養生活の向上と治療法の確立を目的として設立されましたとありました。


        アイスバケツチャレンジ
           (ウイキペディアより) 

 

 

 

 

 

 

 

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鵜坂神社  (bon)

2015-06-18 | 日々雑感、散策、旅行

 JR富山駅の南西5Kmほどのところ、神通川の西岸に鎮座する神社です。
東岸には富山空港があります。

 ここ、鵜坂神社(うさか)には、現在は淤母陀琉神(オモダル)・詞志古泥神(カシコネ)を主祭神とし、
鵜坂姉比神・鵜坂妻比神・大彦命を配祀しているという。しかし、配祀神の神名から、社名の通りの
「鵜坂神」が本来の主祭神であり、それぞれ主祭神の姉神・后神であるとする説が有力である・・とも
いわれているようです。

          鵜坂神社
           (ウイキペディアより)


 で、この神社は、古く由緒正しく、往年には、興隆を究めたとあり、現在でも観光スポットの一つで
ありますが、その昔、平安時代から江戸時代までは、楉(ジャク=鞭)祭という特殊神事が行われて
いました。
現在では、この6月16日は、“除蝗祭・家持彰祭・鵜坂寺別当慰霊祭”が行われていますが、当時、
特殊神事として、別名を「尻打祭」、「しもと祭」といって、貞操を戒めるために女性の尻を打つ祭で
あったといいます。 この日、神宮が祝詞を唱えているうちに、参詣の女たちは、その年に関係を結んだ
男の数を告白させて、榊の鞭(しもと)をもって、その数だけ尻を打つという行事があったというのです。
「日本五大奇祭」の一つとして日本全国にその名が知られ、
松尾芭蕉などもこの神事を詠んでいます。
 明治初年には雌馬の尻を打つ祭に変えられ、昭和の中頃にはこれもなくなったそうです。 
もし、今でもあったならば、どうでしょうか?  何回くらい叩かれるでしょうか?

 現在では縁結びや安産のご利益があるパワースポットとして、人気を集めているそうです。


  「油断して 行くな鵜坂の 尻打祭」 (松尾芭蕉)

  「いかにせん 鵜坂の森に身はすとも 君が笞(しもと)の数ならぬ身を」 (源俊頼)

          芭蕉句碑
            (こちらもウイキペディアより) 


 ついでですが、鵜坂神社は、御祭神が、淤母陀琉神・詞志古泥神で、配祀が、鵜坂姉比神
鵜坂妻比神 大彦命そして、さらに以下の神々が合祀されているといいます。
すなわち、天照皇大神 豊受大神 誉田別大神 豊玉姫命 倉稲魂神 建御名方命 水波賣神  天兒屋根命 
(この神々は、すでに、当ブログの“古事記から(n)”に出て来ているのですが、要するに、
淤母陀琉神・詞志古泥神の夫婦神は、別格天津神(アマツカミ)の次に現れた十二柱七代の神を
神世七代としていますが、その6代目の夫婦神です。第7代目の夫婦神が、イザナギ・イザナミという事
ですから、本当に初期の神様なのですね。

 また、この鵜坂神社は、社伝によれば、崇神天皇の御代、北陸道将軍・大彦命によって約2000年前に
勧請されたのを創祀として、652年(白雉2年)に創立したと伝わり、平安期には神階従三位にのぼり、
朝廷からも尊崇を集めたそうです。

 なお、参道脇に“疣(いぼ)石”という石があり、疣や痔に霊験があるとされていて、
疣の場合はその部位をさすり、痔の場合は静かに腰掛ける・・のだそうです。

           疣石
            (ウイキペディアより)
 

 

 

 

 

 

 

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ママにバラを  (bon)

2015-06-16 | 日々雑感、散策、旅行

 何ということもないことが、フッと頭に浮かぶことがあるのですね。

突然、ナンだ!  ということですが、六本木交差点から六本木通りを溜池方向スグのところに
“俳優座劇場”がありますが、20年ほど前に、そこで、雪村いずみのショーみたいなのがあって、
それに行った時のことがフッと思い出されたのでした。
 彼女は、既に第1線からは引いていて、それまで、ブルーカナリアとか洋物など、私が子供の頃に
よく聴いたものでしたが、ライブで聞くのは初めてでした。 
劇場は、300人ほどの小さな劇場でしたが、往年のヒットアルバムを歌った中で、掲題の“ママにバラを”
に感動したことが想い出されたのでした。

 哀しい歌ですが、そこにハッと温かい心を打つ、無邪気な少年の思いが描かれていたのです。

  ネットをサーチしていましたら、その歌詞がありました。拝借して、以下にコピーします。

 
 あれはジョージアの小さな町での出来事
   2週間のお休みがとれたわたしは、フロリダに行って
     むかしの友だちと楽しく過ごそうと思ったの。
   で、途中テネシーにいるママに、ちょっと会って行こうかな、
     なんて考えながら、車を走らせていたの。
       そしてその町を通りかかった時に突然思い出したの。

“そうだ、今日はママのお誕生日だった”
私は花屋さんの店先に車を停めたの、
   ママにバラを贈ってあげようと思ってね。

お店に入って行くと小さな男の子が目にいっぱい涙をためて立っていたの。

“どうしたの?坊や”って聞くと、その子はこう言ったの。
  “今日はママの誕生日なんだ。ママ、バラが好きなんだ。
 僕、もう一年もママにあっていないんだ”

     バラをママに 誕生日なの
     ママにバラを 誕生日なの

“僕ね、おばあちゃんと暮しているんだけど、
   ママに約束したんだ。今度お誕生日には、バラを5本あげるってね。
     だって僕、5つだから。

 でもお店の人に言われたの
    僕のお小遣いじゃ買えないよって。”
 
 私は、お店の人に頼んだの、
 “この子にバラをあげて。あっ、お金は私が払うわ。
    それから、テネシーの母親宛に、バラを2ダース送っておいてちょうだいね。”

 バラを抱えたその子は、お店を飛びだして行ったと思ったら、
  またすぐ息をはずませて戻ってきたの。
“僕、お礼を言うの忘れてた、ありがとう!”
 私の手を握ってその子は、またかけ出していったわ。

 私は母親思いの自分に、ちょっぴり得意になりながら
   また車に乗ったの。そして町外れの共同墓地で、男の子を見かけたの。
 お墓の前にひざまずいたその子は

    私を見上げて、嬉しそうに言ったの。

“ママ、ここにいるんだよ、あっバラをどうもありがとうってさ。”

 私は何も言えずに、背中を向けると慌ててさっきの花屋さんへ戻ったの。
  息を切らせてこういうために。


“あの、ごめんなさい。バラは送らないでもいいわ。
   私、胸にいっぱいバラを抱えて
     ママに会いに行くことにしたから。”

       バラをママに 誕生日なの
      ママにバラを 誕生日なの
                                   (雪村いづみ「三人娘を唄う」から)

                           (ネットから借用しました。)


雪村いずみではありませんが、この歌をu-tubeから・・

 

 

 

 

 

 

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レインリリー  (bon)

2015-06-14 | 花鳥風月

                  昨日の、“なでしこ” は、後半はいいところなしで、立ち上がりの貯金で勝利しました。
                   決勝トーナメント進出が決まり、組が有利なので大いに期待できそうですね。

  

 ベランダが続きますが、気温が高く雨あがりの後などにヒョッと咲いてくる、“レインリリー”です。
以前、このブログにもアップしました、“ゼフィランサス”です。

 ゼフィランサスとは、ウイキペディアによれば、“北アメリカ南部~中央・南アメリカ、西インド諸島に
およそ40種が分布する球根植物です。花の咲く時期は種によって異なり、春咲き種と夏・秋咲き種が
ありますが、日本ではどちらかというと夏・秋咲きのほうがポピュラーです。花の色は、ベランダの
ピンクの他、白、黄があるようです。
開花シーズンに乾燥した環境で、雨が降って球根が潤うと花をわっと咲かせる傾向があるので、レインリリーと呼ばれます。

      レインリリー
          


 地際から花茎を長く伸ばして、その先端に1輪の花を咲かせます。
花は短命で1~3日ほどでしぼんでしまいますが、開花時期は花茎を次々と伸ばすので、存外に長い期間
楽しむことができます。”とあります。
 この花、たくさんの種類があって、なかなか確定できにくい
のですが、
ゼフィランサス・グランディフロラ〔Z. grandiflora〕ではないかと思います。
昨年は、ブログ8/25にアップしていました。
 これは、古く江戸時代末に入ってきたとされ、「サフランモドキ」の和名があります。熱帯各地で
野生化しており、日本の暖地でも野生化したものが見られるとあります。
花の大きさは5cm~6cmで、次のタマスダレより一回り大きいです。

 もう一つ代表的なのが、最もよく見かける、ゼフィランサス・カンディダ〔Z. candida〕という種で、
こちらは
「タマスダレ」の名前で親しまれており、ペルー原産で、明治の初めに渡来したとされています。
梅雨時期から秋にかけて、可愛らしい白い花を咲かせます。花の大きさは径4cm~5cm。
ベランダでは、昨年9月に咲いています。(このブログの9/5版です。)


 この横あたりに、紅梅の鉢がありますが、今、ウメの実が色づいています。

        紅梅の実
           
 

 

   

 

 

 

 

 

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クチナシ  (bon)

2015-06-12 | 花鳥風月

                    関東地方もすでに梅雨入りしたそうです。蒸し暑く、雨の日が多くなってきました。

ベランダでは、八重咲きの“クチナシ”が咲いてきました。

 まぁ、どこにもあるしろものですから、ことさらに取り上げることもないかと思いますが、
雨の降る前の、昨夜にフラッシュで撮りましたクチナシをご覧ください。 
周りの葉っぱなどが写っていないので、ちょっと寂しい感じもしますが、純白の花がくっきりと
浮かんでいます。

 昨夜、ベランダで撮りましたクチナシです。 アップしました。
   


 ウイキペディアによれば、クチナシ(梔子、巵子、支子、Gardenia jasminoides)は、アカネ科
クチナシ属の常緑低木で、野生では森林の低木として自生するが、むしろ園芸用として栽培されることが
多い。東アジア(中国、台湾、インドシナ半島等)に広く分布し、日本では静岡県以西、四国、九州、
南西諸島の森林に自生する・・とあります。  園芸種は、今や全国?でしょうか。

         果実
           (ネットより拝借しました。)

 

 秋には、果実ができ、それが漢方薬の原料(山梔子)となり、その他 果実にはカロチノイドの一種・
クロシンが含まれており、乾燥させた果実は古くから黄色の着色料として用いられています。
栗きんとんなどの着色に使われているとのことです。また、発酵させることによって青色の着色料になり、
繊維を染める他、食品にも用いられるそうです。 
クロシンというのはサフランの色素の成分でもあるのですね。

 この果実は、八重咲きのクチナシには出来ないそうですが、果実が熟しても割れないことから“口無し”
という名の由来となっている説もあるとか。
 花言葉は、「幸せを運ぶ」 「清潔」 「私は幸せ」 「胸に秘めた愛」などと、わりといい感じですね。

 黒人ジャズ歌手のビリー・ホリデーは、しばしばクチナシの花を髪に飾って舞台に立ったことは、
以前、このブログにも書いたことがあります。

 また、埼玉、静岡、岡山の市で、クチナシを “市の花” と指定しているところがあるそうです。


なつかしいところで・・・ 

 

 

 

 

 

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古事記から(5)  (bon)

2015-06-10 | 読書

 (オオクニヌシノミコトつづき)

スクナビコナノカミと三輪山

 さて、オオクニヌシが、出雲の美保(島根県美保関町)の岬に行かれたときに、波の上にガガイモの
形をした船に乗って、絹の着物を着て近づいてくる神があった。名前を聞いてみたが、その神は
答えなかった。また、お伴の神たちに聞いてみたが、みんな知らないといいました。すると、一匹の
ヒキガエルが言いました。「きっと、この神さまの名前は、クエビコが知っているでしょう。」 
そこで、クエビコを呼んで尋ねてみたところ、「はあ、これはカムムスヒノカミの子で、名をスクナビコナノカミという神です。」

オオクニヌシは、カムムスヒに尋ねたところ、「これは本当に私の子どもです。子どもの中でも、
わたしの指の間からこぼれ落ちた子どもです。そして、お前は、アシハラシコヲノ命(=オオクニヌシ)と
兄弟となって、この葦原の中つ国(日本の国)を作り固めなさい。」といいました。
 そういうわけで、オオクニヌシとスクナビコナの二柱の神は、共々協力しながら、この国を作り
固められました。しかし、それが終わるとスクナビコナは、海原の彼方の常世国に帰ってしまいました。

 さて、スクナビコナの神の名前を言い当てたクエビコというのは、実は「山田のソホドという案山子」
です。この神は、足で歩くことはできないけれども、ことごとく天下のことを知っている神なのです。

 そこで、オクニニヌシは、嘆きながら、言うには、「ああ、私は一人で、どうしてこの国を作り固める
ことができようか。どの神と協力してこの国を共に創るのだろうか。」

 すると、海上を照らして近寄ってくる神があった。その神は、言うには、「私の御霊を丁重に祭った
ならば、わたしは、あなたに協力して、共に国つくりを完成させよう。もし、そうしなければ、
この国を立派に作ることはできないだろう。」

 そこで、オオクニヌシは、その神に「それでは、どのように、御霊をお祭りすればよいのですか。」と
尋ねると、その神はこう答えました。「わたしの御霊を、大和の青々とした山々の、その東の山の上に
斎み清めて祭りなさい。」

 これが、御諸山(奈良桜井市の三輪山)の上に鎮座している神である。
 

葦原中国平定(オオクニヌシの国譲り)

アメノホヒノとアメノワカヒコ
 さて、アマテラスは、「豊葦原の千秋長五百秋の水穂国(千五百年も長く続いている日本の国)は、
わが子のアメノオシホミミノミコト(天忍穂耳命)が統治すべき国です。」といって、統治を委任して
御子を高天原から降ろしました。しかし、アメノオシホミミは、降りる途中で、天の浮橋に立って、
下界を見下ろし、「この国は、ずいぶんと騒がしいようだ。」といって、高天原に帰り上ってアマテラスに
指図を求めました。

 そこで、タカミムスビノカミとアマテラスの命令で、天の安の河原に八百万の神々を招集して、
オモイカネノカミ(思金神)に対策を考えさせました。アマテラスは、「この葦原中国は、わが子
アメノオシホミミが統治する国として、すでに委任した国です。しかし、この国には、乱暴な国つ神ども
が大勢いると思います。どの神を遣わして、これを平定すればよかろうか。」と聞きました。 
オモイカネノカミは、八百万の神たちに相談して、「アメノホヒノを遣わすのがよいでしょう。」と
答えました。

しかし、このアメノホヒノを下界に遣わせましたが、この神は裏切って、オオクニヌシの味方となって
しまい、三年が過ぎても何の報告もしなかったのでした。

 そこで、タカミムスビとアマテラスは、再び八百万の神たちに尋ねて、「葦原中国に遣わした
アメノホヒノが、久しい間、復命しない。今度は、どの神を遣わせるのがよいでしょうか。」と尋ねると、
オモイカネが答えて、「天津国玉神の子のアメノワカヒコ(天若日子)がいいでしょう。」 
 そこで、天の真鹿児弓(鹿を殺すほどの威力のある弓)と天の羽羽矢(大きな羽のついた矢)を
アメノワカヒコに授けて、下界に遣わせました。

ところが、このアメノワカヒコもオオクニヌシの娘のシタテルヒメを妻にして、またこの国を我がものに
しようとして、八年経っても何の復命もしなかったのです。

 アマテラスとタカミムスビは、再び八百万の神たちに尋ねました。「アメノワカヒコも長い間復命を
しない。 今度は、どの神を遣わせて、アメノワカヒコが、長く下界にとどまっている訳を問い
ただそうか。」  大勢の神々とオモイカネは、「鳴女(なきめ)という名前のキジを遣わせるのが
よいでしょう。」と答えました。 そこで、アマテラスは、そのキジに向かって、「お前が、下界に
行ってアメノワカヒコに尋ねる内容は、『あなたを葦原の水穂の国に派遣した理由は、その国の荒れ狂う
神たちを服従させ帰順させよということなのに、それがどうして八年になるまで何の復命もないのか。』
と」いいました。

 こうして、鳴女のキジは下界へと降り着いて、アメノワカヒコの家の門前の桂の木の枝にとまり、
詳しく天つ神の言葉を伝えました。 そのとき、アメノサグメという女が、この鳥の声を聞き、
アメノワカヒコに言いました。「この鳥の鳴く声はたいへん不吉です。だから矢で射殺しなさい。」
と勧めました。すると、アメノワカヒコは、天つ神から授かった弓で矢を放ち、そのキジを射殺して
しまった。 ところが、その矢は、キジの胸を貫いて、逆に射上げられて、天の安河の河原にいた
アマテラスとタカミムスビのところまで届いたのでした。タカミムスビが、その矢を手に取って見て
みると、矢の羽に血が着いていた。 「この矢は、アメノワカヒコに与えたものだ。」といって、
他の大勢の神たちにその矢を見せながら、「もし、アメノワカヒコが、命令に背かず悪い神を射た矢が
ここに飛んで来たのなら、アメノワカヒコにはあたるな。しかし、もしそうではなく、邪神を抱いている
のだったら、アメノワカヒコはこの矢にあたって死んでしまえ。」といって、その矢を飛んで来た穴から
下に向けて衝き返したところ、朝の床に寝ていたアメワカヒコの胸に命中して死んでしまいました。

 また、そのキジはついに還ってこなかった。 それで、今でも「キジのひた使い(行ったきり帰らない
使い)」ということわざは、この話が元になっているのです。

アジシキタカヒコネ

 こうしてアメノワカヒコは死んでしまい、妻のシタテルヒメの泣く声は、風とともに高天原まで届き、
そこに住んでいるアメノワカヒコの父、天津国玉(アマツクニダマ)の神や、その妻子がこれを聞き、
下界に降りて来て、嘆き悲しみ、アメノワカヒコの亡骸らを喪屋を作って安置し、川贋を食物を運ぶ係に、
鷺を掃除係の箒持ちに、カワセミを食事を作る係に、雀を米つき女とし、雉を泣き女として、
八日間にわたって、連日連夜歌舞して死者を弔った。

 この時、オオクニヌシの息子でシタテルヒメの兄のアジシキタカヒコネという神がやってきて、
アメノワカヒコの喪を弔問する時、アメノワカヒコの父や妻子は、みな泣いて、「わが子は死なずに
生きていたのだ。」 「わが夫は死なずに生きていたのだ。」と言って、アジシキタカヒコネを
アメノワカヒコと勘違いして、その手足に取りすがって泣き悲しんだのでした。なぜなら、この二柱の
神の顔や姿がとてもよく似ていたために間違えたのでした。 そこで、アジシキタカヒコネは、
ひどく怒っていうには、「私は、親しい友達だから葬式にやって来た。なのに、そのわたしをなぜ、
けがらわしい死人に見立てるのか。」と言って、身に着けていた十拳剣で、その喪屋を切り倒し、
足で蹴とばしてしまった。これが、美濃の国の長良川の川上にある喪山(もやま)という山のことです。
そのとき手にして喪屋を切った太刀の名は、「大量(おおはかり)」とか「神度の剣(かむどのつるぎ)」
という。

 さて、アジシキタカヒコネの神が、怒って飛び去って行くときに、その同母妹のタカヒメノミコトは、
兄神の名を明かそうと思い歌を詠みました。

天なるや 弟棚機(おとたなばた)の うながせる
玉の御統(みすまる) 御統に あな玉はや
み谷 二(ふた)渡らす アジシキタカヒコネの神ぞ 

 天にいる 若い織姫(おりひめ)が 首にかけている
 玉の首飾り ああ、あの首飾りの きれいな玉のような人よ
 あの谷を 二つの谷を飛んで行く アジシキタカヒコネの神さまです

これは、夷振(ひなぶり)と呼ばれている歌です。 

タケミカヅチ

 そこで、アマテラスは、いいました。「今度は、どの神を遣わせるのがよかろうか。」 オモカネと
八百万の神たちが言うには、「天の安河の川上の天の岩屋に住んでいるアメノオハバリ(昔イザナギが、
ホノカグツチを斬った剣の神)がよいでしょう。しかし、またこの神がだめなら、その子のタケミカヅチ
(建御雷の男の神)を遣わせるとよいでしょう。 ただ、このアメノオハバリという神は、天の安河の
水をせき止めて、道を塞いで居座っているので、他の神が先へ行くことができません。だから特に
アメノカクという神を遣わせて、アメノオハバリを説得するのがよいでしょう。」

 そういうことで、アメノカクを遣わせて、アメノオハバリに尋ねたところ、「恐れ多いことです。
アマテラスにお仕えいたします。 しかし、この使いは、わたしの子のタケミカヅチを遣わせたほうが
よろしいでしょう。」といいました。

 それで、アマテラスは、アメノトリフネ(イザナミが生んだ神)と一緒にタカミカヅチを下界
(葦原中国)へ派遣しました。

 そういうわけで、この二柱の神は、出雲の国の伊耶佐という小浜に降り立って、十拳剣を抜き、
波頭に逆さまに刺し立て、その剣の鋒にあぐらをかいて座り、オオクニヌシに向かってこう言いました。

「アマテラスオオミカミ、タカギノカミの命令で、使者として来た者だ。アマラテラスオオミカミは、
こうおっしゃった。『そなたが領有するこの葦原中国は、わが御子の統治する国として委任したものです。
あなたは、これについてどう考えているのか。』」

 オオクニヌシは、「わたしは、お答えできません。わたしの子のコトシロヌシノカミ(言代主神。
言霊=ことだま)が代わってお答えしますが、彼は今、鳥狩りや、漁をして美保の岬へ行ったまま、
まだ帰って来ません。」と言ったので、アメノトリフネを遣わせて、コトシロヌシを連れて来て、
問いただしたところ、彼は父のオオクニヌシに言いました。「恐れ多いことです。この国は、天つ神の
御子に奉りましょう。」といって、ただちに、乗って来た船を踏み傾け、天の逆手を打って舟を青葉の
柴垣に変化させ、その中に隠れてしまいました。

 そこで、タカミカヅチは、オオクニヌシにたずねました。「今あなたの子のコトシロヌシは、
このように答えましたが、まだ他に意見を言うような子はいるか。」 オオクニヌシは、「もう一人、
わが子のタケミナカタがいます。この子以外にはおりません。」
と答えていると、そのタケミナカタが、
千人引きの大岩を手の上に差し上げてやって来て、大声で、「だれだ! わが国にやって来てそのように
ヒソヒソ話をするのは。 それでは、力くらべをしようじゃないか。では、私がまずあなたの手を
つかんでみよう。」といって、タケミカヅチの手をむんずとつかんだところ、その手はたちどころに
氷柱(つらら)に変化させ、また剣の刃に変化させてしまいました。タケミナカタは、恐ろしくなって
引き下がりました。

 今度はタケミカヅチが、「あなたの手をつかみましょう。」と言って、つかんでみると、、葦の若葉を
掴むように握りつぶして放り投げたので、タケミナカタは、逃げ去ってしまった。タケミカヅチは
後を追って、信濃の国の諏訪湖まで追いつめ、殺そうとしたときに、タケミナカタが、「恐れいりました。
どうぞわたしを殺さないでください。わたしは、この諏訪を離れてはどこにも行きません。そして、
これからは、父のオオクニヌシと兄のコトシロヌシの言うことに背きません。この葦原中国は、
天つ神の御子の言葉に従って献りましょう。」と泣いて謝りました。
(このようにして、タケミナカタノカミは、現在まで長野県の諏訪大社に祭られているのです。)

         オオクニヌシの銅像
             (ウイキペディアより)


オオクニヌシの国譲り

 タケミカヅチは、再び出雲のオオクニヌシのところへ戻って来て言いました。
「あなたの子どものコトシロヌシとタケミナカタは、アマテラスの命令には逆らわないと答えたが、
あなたの心はどうだ。」 これに対して、オオクニヌシは、こう答えました。「わたしの子どもの
二柱の神がお答えしたとおり、わたしも背きません。この葦原中国は、ご命令どおりに、すべて
献上します。ただし、わたしの住む所をアマテラスの御子が、天つ神の「あとつぎ」となって住まわれる
御殿のように、地底盤石に宮柱を太く立て、高天原にとどくほどに高く千木を上げた神殿を造って
いただければ、わたしは、遠い遠い幽界に隠退していましょう。また、わたしの子どもの百八十神たちは、
コトシロヌシが神々の前に立ち、後に立ってお仕えしますので、背く神はないでしょう。」と。

 そこで、タケミカヅチたちは、オオクニヌシのために、出雲の国の多芸志の小浜に、神聖な神殿
(出雲大社)を造り、ミナトノカミの孫のクシヤタマノカミが料理人となって、神饌を献るとき、
このクシヤタマノカミは、鵜に変身し、海にもぐり、海底の土を採って来て、たくさんの土器のお皿を
作り、海藻の茎で臼を作り、こもの茎で杵を作って、神聖な火をおこして、言祝ぎの詞を唱えていうには、
「わたしがおこしたこの火は、高天原のカミムスビの新しい宮殿に長々と煤の跡が着くまで焚き上げ、
地の下は地底の盤石に届くまで焚き固めるのです。そして、楮(こうぞ)で作った縄を延ばして、
釣りをする漁師が、口も尾びれも大きなスズキをざわざわと賑やかに引き寄せ上げて、載せる台も
たわむほどにたくさん盛り上げて、魚の料理を献ります。」と。

 こうして、オオクニヌシは、出雲大社の中に隠れました。(出雲大社は、アマテラスとの戦いに敗れた
オオクニヌシを祭る神社です。)

 タケミカヅチは、アマテラスの元へ帰って、葦原中国を平定し帰順させ状況を復命しました。

(火鑽臼、火鑽杵を用いて発火する古式の火鑽りは、伊勢神宮をはじめ諸社に伝わっているが、
中でも出雲国造家(くにのみやつこ)では、神火相続の儀として重んじられているという。)


                邇邇芸命(ニニギノミコト)に  つづく

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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芒種と入梅  (bon)

2015-06-08 | 日々雑感、散策、旅行

 芒種(ぼうしゅ)は、二十四節気の一つで、第9番目です。
太陽黄経(定気法)が75°のとき、6月6日ごろで、今年は、6日の土曜日でした。
太陰太陽暦の五月の“節”(旧歴4月後半から5月前半)にあたるのですね。ウイキペディアには、
芒(のぎ 、イネ科植物の果実を包む穎(えい)すなわち稲でいう籾殻にあるとげのような突起)を
持った植物の種をまく頃であるところからこの名前が付けられているとありました。
芒種は、稲作中心だった日本において、欠かせない日だったのですね。
現在の種まきはこれよりも早いですが、これは温暖化のせいでしょうか。

 二十四節気では、小満→ 芒種 → 夏至(6月22日)と遷移しますが、これからいよいよ暑い夏を
迎える時期を意味していて、この芒種の期間の七十二候は以下のように記述されています。

初候
  螳螂生(とうろう しょうず) : 蟷螂(カマキリ)が生まれ出る(日本・中国)
次候
 腐草為蛍(ふそう ほたると なる) : 腐った草が蒸れ蛍になる(日本)
 鵙始鳴(もず はじめて なく) : 鵙が鳴き始める(中国)
末候
 梅子黄(うめのみ き なり) : 梅の実が黄ばんで熟す(日本)
 反舌無声(はんぜつ こえ なし) :鶯が鳴かなくなる(中国)
 
以上のことから、芒種の時期は新しい生命の誕生や成長が多く見られる頃となります。
何ともほのぼのとした光景でしょうか。芒種にちなんでホタル見物や梅酒作りを楽しんでみるのも
いいかもしれません。

 芒種は、それまでの初夏らしさから蒸し暑さを感じる時期になり、同時に梅雨入りもする頃です。旧暦では五月を指していたので、この時期に降る雨を五月雨(さみだれ)、雨の合間に晴れる
ことを五月晴れ(さつきばれ)と呼んだりしますね。

          田植
            (tenki.jpより)
 

 次に、入梅です。 
梅雨入りの時期に設定された雑節で、今年は6月11日に当たります。太陽黄経が80°の時またはその日を
指します。 芒種は二十四節気の一つでしたが、入梅は雑節で、こちらは日本元祖のやはり季節
(気候)を表したものですね。ちなみに、雑節には、このほか、節分、彼岸、八十八夜、半夏生、土用、
二百十日などがあります。

 で、沖縄では、既に梅雨に入っていますが、これは、小満から芒種が梅雨の時期に当たり、梅雨のことを沖縄方言で「小満芒種(すーまんぼーすー)」と言うとありました。

 “梅雨は、東アジアの広範囲においてみられる特有の気象現象で、5月から7月にかけて毎年めぐって
来る曇りや雨の多い期間のこと”とありますが、関東あたりでは必ずしも年間で最も雨が多いとは
いえないようです。

        東京過去30年の雨温図
           (Time-j.netより拝借しました。) 

上の雨温図を見ると、雨はむしろ秋の方が多いようです。しかし、梅雨時は気温が高く“ムシムシ”と
不快指数?が高くなり、良い印象ではないようです。植物にとっては最高のシーズンですね。
ちなみに、梅雨と書くのは梅の実が熟す時期に降る雨だから、なのだそうです。

 梅雨の時期が始まることを梅雨入り入梅といいますね。また、梅雨が終わることを梅雨明け
出梅(しゅつばい)といい、鬱陶しい時期が空けるのを待ちわびることもあります。
上で、五月雨(さみだれ)に触れましたが、梅雨時の雨のように、物事が長くだらだらと続くことを
“五月雨式”と言うようになったともありました。
また、この時期の言葉として、いくつか挙げてみます。

 ・空梅雨(からつゆ) 梅雨なのに、ほとんど雨が降らない場合
 ・菜種梅雨(なたねつゆ) 3月下~4月上に降る連続した雨。菜の花の頃だから。
 ・走り梅雨(はしりつゆ) 5月下ころから、梅雨本番の前触れのように降り続くこと
 ・さざんか梅雨 11月下~12月上あたりに降る連続した雨

 

画面の、u-tubeのところをくりっくしてご覧ください。 

 

  





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山椒  (bon)

2015-06-06 | グルメ,Romantic cook

 実山椒の佃煮を作りました。

 蓼科農園大合宿(5月下旬)は、その帰路、中央道の談合坂SAに立ち寄り、野菜売店に並ぶ
“実山椒”を買って帰るのが
ここ2年ほどの楽しみの一つになっています。

もともと実山椒の佃煮が好きで、これまで専門店で買い求めたりしていました。
暑い夏に 浅漬けのきゅうり、ひねのきゅうりを晒して水切りしたもの どちらにもすごくマッチして、
その食感と、独特の香り・・が好きです。 自家製は、さらに一段と美味しくいただけるのですね。

 山椒の枝を取り除いたりするのは、やや面倒ですが、これも、赤トウガラシのタネを取ったり
するよりはるかに簡単で実害がありません。後は、淡々とレシピに従って作るだけ・・。
レシピは、NHKの今日の料理を参考としました。 作りました山椒は約200gです。

                   枝をきれいに取りました。
            


サンショウ(山椒、学名:Zanthoxylum piperitum)はミカン科サンショウ属の落葉低木。
別名はハジカミ。日本の北海道から屋久島までと、朝鮮半島の南部に分布する。若葉は食材として
木の芽の名称がある。雄株と雌株があり、サンショウの実が成るのは雌株のみである。
ウイキペディアからの引用です。

 調味料と一緒に・・           煮詰めたところ
  

 

 「椒」の字には芳しいの意があり、山の薫り高い実であることから「山椒」の名が付けられたと
考えられる。 別名であるハジカミ(椒)はショウガなどの他の香辛料の別名でもあり、その区別のため
古名では「ふさはじかみ」(房椒)、「なるはじかみ」(なりはじかみ、成椒)と呼ばれた。
「はじ」は実がはじけることから。「かみ」はニラ(韮)の古名「かみら」の意で辛いことを示す。
「ふさ」は房状に実がなることであり、「なる」は実が成るハジカミであることを示す。
ともありました。 英名は、Japanese pepper、Japanese prickly ash。

              出来上がりました。
                  


 実山椒の収穫量は 和歌山県が国内生産量の約80%を占めているそうです。 さらに和歌山県の
有田川町の特産品として栽培されている「ぶどう山椒」は果実・果穂が大型で葡萄の房のような形で
たくさん実るためこのように呼ばれているのだそうです。

 

 

 

 

 

 

 

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蝉(セミ)  (bon)

2015-06-04 | 花鳥風月

 まだ夏には少し間がありますが、先日(5/29~6/1)の蓼科農園 “大合宿”では、毎朝、
K邸の庭の、透き通る空気と緑の風に乗って、降るようなセミの声で1日が始まります・・。
 これまで、何年もこの時期を迎えているはずなのに、なぜか 今年は素晴らしい印象を覚えたのでした。 
 なぁ~んだ、セミか!  ですが、この際、ネット記事をちょっと深堀してみましたので、
まとめてアップさせていただきました。

 K邸で感動したセミは、ヒグラシの種類で、恐らく“ハルゼミ”か“エゾハルゼミ”ではないかと推測されます。
その声をお楽しみください。(記事末尾)

 セミ(蟬・蝉)は、カメムシ目(半翅目)・頸吻亜目・セミ上科(Cicadoidea)に分類される昆虫の
総称。「鳴く昆虫」の一つとあります。
 セミ悪科に30ほどの種があるそうですが、ネット「生き物図鑑」より、良く知られる代表的な
セミを以下に引用しました。

  エゾハルゼミ     ヒグラシ      アブラゼミ     ツクツクボウシ
    
  5~7月        7~9月      7~10月       7~11月
  38~43㎝         38~43㎝     56~60㎝       43~46㎝

 

  ミンミンゼミ     クマゼミ      ニイニイゼミ    コエゾゼミ
   
   7~10月       7~9月       6~9月       7~8月  
   56~63㎝       60~65㎝       32~40㎝       50~55㎝

 

  チッチゼミ      ハルゼミ  

  
   7~10月       4~6月
   27~32㎝      32~37㎝ 

 

 また、ウイキペディアに、セミの詳しい分類がありましたので、少し割愛してここにアップしました。
セミにこんなに多くの種類があったなんて初めて知るところとなりました。

  • ニイニイゼミ族 Platypleurini
    • ニイニイゼミ属: ニイニイゼミ、クロイワニイニイ、ミヤコニイニイ、など
    • ケナガニイニイ属: ケナガニイニイなど
  • エゾゼミ族 Tibicenini
    • エゾゼミ属: エゾゼミ、コエゾゼミ、キュウシュウエゾゼミなど
    • クマゼミ属: クマゼミ、ヤエヤマクマゼミなど
    • ハゴロモゼミ属 :ハゴロモゼミ
  • アブラゼミ族 Polyneurini
    • アブラゼミ属: アブラゼミ、リュウキュウアブラゼミ
    • タイワンアブラゼミ属 : タイワンアブラゼミ
  • ホソヒグラシ族 Cicadini
    • ホソヒグラシ属: ホソヒグラシ、チョウセンホソヒグラシ
    • ハルゼミ属 :ハルゼミ、エゾハルゼミ
    • ヒメハルゼミ属 :ヒメハルゼミなど
    • ヒグラシ属 :ヒグラシ、コヒグラシ、ソウザンヒグラシなど
    • タイワンヒグラシ属: タイワンヒグラシ、テイオウゼミ、ワタナベヒグラシなど
  • ミンミンゼミ族 Oncotympanini
    • ミンミンゼミ属: ミンミンゼミ
  • ツクツクボウシ族 Dundubiini
    • ツクツクボウシ属: ツクツクボウシ、クロイワツクツク、オオシマゼミなど
  • クサゼミ族 Moganniini
    • ツマグロゼミ属: ツマグロゼミ
    • クサゼミ属: クサゼミ、ルリクサゼミなど

 チッチゼミ族Cicadettini

    • チッチゼミ属: チッチゼミ、オカモトチッチゼミなど
  • クロイワゼミ族 Mudini
    • クロイワゼミ属 :クロイワゼミ
       

 ここで、“ハルゼミは、体長23-33mmほどで、オスの腹部が長い。マツ林にすむ。成虫はその名の通り4月中旬頃から入梅の頃までに発生する。ゆっくりと「ジーッ・ジーッ…」と鳴く。”とありました。


 また、蝉といえば、文学や音楽などに出て来るのも思い出されます。 
古くは源氏物語の「空蝉」、芭蕉の「閑さや 岩に染み入る 蝉の声」(この蝉はアブラゼミか?)、
藤沢周平の「蝉しぐれ」、最近デヴューした 福田こうへいの演歌「南部蝉しぐれ」など
この他、たくさんありますね・・。
 

 u-tubeから、エゾハルゼミの声をアップしました。

 

 

 

 

 

 

 

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大合宿 ’15  (bon)

2015-06-02 | 蓼科浪漫倶楽部 畑

 今年は季節が前倒しにやって来たようで、来月あたりかと思っていました畑のイチゴは、
半月ほど早く既に赤く色付いていました。  大合宿は、5月29日~6月1日でした。

 5月下旬というのに、K邸周りの朝は、カッコウの響き、ヒグラシの降るような声に混じるカエルの声と共に、緑の風が優しくメンバを包んでくれるのでした。

 K邸の朝                 畑に向かう・・ 
 
 


 楽しい朝食                        イチゴ                  
    

 先月(4月)の畑開きでは、畝つくりの他、じゃがいも、さといもなどを植え、今回はそれに続く
第2弾「大合宿」で、トマト、ナス、ピーマン、サツマイモ、カボチャ、スイカ、黒豆、レタス、
パセリなどなど 霜の心配がなくなった“苗もの”の大量植え付けがメイン作業でした。
 また、今年初めてトライする、“落花生”“黒千石(黒豆の一種)”の苗も植えてみました。

 植えても植えても~           弾む お茶タイム

  


 蓼科農園は、このところ日照り続きだったようで、畑の土は、サラサラのパウダー状となり、
先月植えたサトイモなど“水が欲しい~”といっているようでした。
 また、畝間に、防草シートを敷いていなかったために、一面雑草の天国と化し、これらの草引き後に
防草シートを敷く、2度手間となってしまいました。
 畑周りの草むらから、時折、雉の声が聞こえ、しばし、カメラを据えてその姿を捉えることが出来
ました。 どうやら、つがいでいたようです。
 

 畑周りの キジ・・ 初めて、撮影に成功しました。(写真は、雄です。) 


 予報では、中一日雨模様とありましたが、連日好天に恵まれ、早や、夏の太陽の下、陽いっぱいの作業を通して、大量の苗たちをすべて植え付け完了し、2015年の作付けは滞りなくスタート
しました。

 全景                  ネットに囲まれた黒豆
  


           頑張りました~!
            


 

   お待たせしました。オートスライドです。(約6分)
  



  蝉しぐれとともに・・

 







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