蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

ハローウイン in 蓼科農園

2023-10-31 | 蓼科浪漫倶楽部 畑

 今から7年前の、2016年の蓼科農園 大収穫祭は、丁度10月下旬に当たっていました。
覆面企画で、その時の夜のパーティーがサプライズ・ハローウインとなり、一段と
盛り上がった想い出を今一度振り返ってみました。
 その当時の、拙ブログ記事を振り返り、一部記事を参照しながら想い出してみま
した。 当時の八ヶ岳を仰ぐ高原にある蓼科農園での大収穫祭の雰囲気をブログ記事
から・・

 『八ヶ岳の裾野は、紅葉しているのか うっすらと赤く染まっていました。集合
場所の茅野市山寺上のAコープ(市場)に、10月30日の午後、次々とメンバーが
集まり、まるで子供の頃、心待ちにした遠足のような 嬉しさいっぱいの再会でした。
 3泊
4日の食材を買い込んで、晩秋の景色広がる高原を一路 K邸に向かいました。
ナナカマド、
ドウダンツツジなどの 真っ赤な色づきと 広葉樹の黄色が織りなす山道
は、さながら
大収穫祭”へのプロローグとなって、そのまま 前夜祭へとつながる
のでした。』

晩秋の八ヶ岳             一路 K邸へ~
 

 

 『10/30~11/2の大収穫祭の前夜祭は、女性軍 手づからのオードブルづくしを
前に、シャン
パンで乾杯するや、場は一気に盛り上がるのでした。 集まったメン
バーは、全員5月の“喜寿の会”で楽しんだばかりで、中には、その後 7月に
も蓼科
で、収穫祭準備では、つい3週間前に一緒に作業をした・・そんな仲間と思えない、
懐かしさと再会の喜びみたいなワクワクした雰囲気が充満し、年代もののワインに
誘われた
弾む語らいと笑い声が絶えませんでした。 
 いつまでもこのままでいたいけれど、前夜祭の後は、翌日の“芋煮ナベ”“鮭の
ムニエル”
などの仕込みに取り掛かり、手際よく済ませて、1日目が終わりました。』

 前夜祭で・・             オードブル
   
 

  翌日は、いよいよ畑にカマドの設営、テント、テーブルの配置などの準備を済
ませ、
みんなでサツマイモを掘り上げ、そしてサトイモを掘り上げました。

サツマイモ堀り            わいわい言いながら・・
 

 

     

 

サトイモ掘りは、手間がかかる~   根っこの切り落とし~
  

 

 芋煮も煮えあがり、特製鮭ムニエルを前に、ビールで乾杯、八ヶ岳に見守られなが
らの
野外ステージ(食卓テーブル)は、高齢にもかかわらず、沸き立つエネルギー
と歓喜のこだ
まが一面に広がっていました。 あの多感な青春時代をわずか3年、
同じ学び舎で過ごし
ただけのつながりにすぎない・・そして、あれから60年になろう
というのに・・。

芋煮ナベ                 カンパ~イ!
 

 

            八ヶ岳に抱かれて バンザ~イ!
             

 

 日が落ちる頃、K邸のパティオでは、たき火とバーベキュー。夜空に向けたシャン
ペンの弾ける音で、パーティーはスタートとなりました。今宵は、ハローウイン! 
メンバーの機転で、ハローウイングッズが持参され、めいめいが仮装してまさしく
サプライズ・ハローウインパーティー
となりました。

  

 標高1300mの K邸の森は、かなり寒いはずなのに、またしても話に盛り上がりたき
火を囲みながら楽しみを共有していました。 
たき火を前に、寮歌をはじめ懐かしい
歌謡曲などを声を張り上げて歌ったり、ひと時 高校時代、体育祭の後の“ファイア
ーストーム”にタイムスリップするのでした。燃え残る火を囲み「今日の日はさよう
なら」でお開きとなりました。

  

        

 

 翌日は、ゴルフの予定でしたが、朝方は雨模様でしたのでキャンセルして、しばし、
これまでの写真集「蓼科の集い」や、若かりし頃の写真などに花が咲き、お昼を作っ
て、原村ペンションヴィレッジにドライブとなりました。
 各人の思いの中は、その昔の青春時代の自分になりきっていたのかもしれません。

親水庭園にて・・                白樺林をバックに
  
          

 今から振り返ると、この年齢時の7年の差の大きさは恨めしくもありますが、また
楽しい想い出の宝物としていつまでも浮かび上がって来るのでした。

 当時ブログアップしましたオートスライドを再掲しました。
懐かしい想い出を再び・・。

 

 

蓼科農園収穫祭´16

 

 

 

 

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東京支部総会 ‘23  (bon)

2023-10-29 | 日々雑感、散策、旅行

 昨日(10/28)の午前、関東南部は久しぶりに雷がとどろき、雨は大したことは
なかったですが、しばらく暴れていました。  お昼前にはすっかりと晴れて、
今年も高校全体の同窓会、東京支部の総会に出席してきました。

 土曜日の大手町界隈は、車は通りますが、さすがにひっそりとしたオフィス街
で、支部総会の会場は例年同じ大手町サンケイプラザでした。

 サンケイビル           会場
  

 同期の連中は、何人くらい来るかな・・? コロナ前あたりでは常に10名を
超えて学年としては最多出席を誇っていましたが、今年は6名の出席でした。今や
出席の最長老組となりましたが、今年は5年上の先輩の出席があったのと、加えて
36歳若い回生の方々もおられ、この会の頼もしさが沸き上がる思いでした。

 本部の大阪からは、同窓会長はじめ幼稚園長(同窓会では幼稚園の事業もして
います)、さらには30年ほど前の恩師の方々のご出席をいただき、和やかなうち
にもなつかしい思いや話題が飛び出すなど同窓会ならではの囲いのない自由な
雰囲気が充満していました。

       総会風景
        

 今年新任の東京支部長からは決意にも似た挨拶があり、ご来賓の同窓会長からは、
母校の様子など直近の状況などを交えたご挨拶をいただきました。
 また、母校校長は、あいにく生徒の修学旅行と日程が重なったため、心のこもった
メッセージをいただきました。

 支部長挨拶        会長ご挨拶                
           
 

  総会議事は、淡々と手短に進み、会食の後は、恒例の講演に入りました。
「わが母校、わが校歌、わが音楽」と題して、19回お若い後輩のプロミュージ
シャン(作曲家、著述家)から、その昔に作られた校歌に込められた思い、作曲
者の工夫等について楽しくお話をいただき最後には全員で合唱しました。

 講演風景             講師
  

          全員で合唱
         

 お話の後の質問も、校歌のこれまで難しくいつも不安を抱きながら歌っていた
部分が今回明確に解消され、今後は自信をもって歌える‥との発言もあり、会は
一段と楽しさを醸し、世代を超えた交流が出来ていました。

 和気あいあいのうちに、全員の記念写真を済ませ、同期6名と5年先輩との写真
も納めて楽しい雰囲気のうちに支部総会はお開きとなりました。

       全員の記念撮影
        

       同期プラス5年先輩とで、もう一枚・・
        

 我々同期は、近くで引き続いてお茶タイムに入り、またまた談笑に花が咲き
ましたがプロ野球(日本シリーズ)もあるので、お別れとなりました。

 同期の皆さんは、それなりに元気でした。

 土曜の午後の大手町界隈
  

         (写真の一部は、O氏から提供をいただきました。)

 

 

支部総会の最後にはいつも歌ってお別れしています。

『今日の日はさようなら』 みんなのうた ちいかわ

 

 

 

 

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不思議な日本語(42) (bon)

2023-10-27 | 日々雑感、散策、旅行

       秋の恒例行事、読書週間は今日から始まります。今年第77回だそうです。
       今夜は「十三夜」です。昨夕5時ころには、まだ薄明るい東の空低いところに、
       大きな白っぽいお月さまが静かに昇って来ていました。今夜は晴れていると、
       さらに膨らんだお月さまに会えますね。

 

 

 10月も早く過ぎたように感じています。

 あれこれと雑用があったり、接骨院のあちこちを探したり予約したり・・などを
しているうちに、気が付けばもう月末近くなっている。 ハローウインの話題が
このところ割とにぎやかになって来ていますね。駅前に、宝くじの「ハローウイン
ジャンボ」の幟が出ていました。

 不思議な日本語も数を重ね、整理しかけてはいますが、今半分くらい書き出した
ところで、まだ、出来上がっていないのです。ダブらないように気を付けながら
言葉を選んでいますが、早く整理しないといけないと思っています。

 例によって、思いつくままランダムに列記しています。 では今回もよろしく
です・・。

 

 ・おもむろ 漢字では「徐」ですから、意味は分かりますね。コトバンクには、
「動き方がゆっくりしているさま。しずか。ゆるやか。おもふる。おもむる。」
とあり、「おもふる」の変化したものとする説があるようですが、定かではない
としています。

 日本語不思議辞典には、「おもむろ」は古語で「ゆっくり」を意味する「おも
ぶる」に由来するのではないかとしていて、現在でも「落ち着いて、ゆっくり動く」
という意味で使われますが、文化庁の調査によると現在は40%以上の人が「不意に、
突然」という意味だと思っているようだとあります。

 平成26年度「国語に関する世論調査」の結果では、この言葉の意味を正しく理解
していた人は44.5%だったそうで、40.8%の人が誤用とされる「不意に」という
回答を選択したそうです。本来の意味を知って驚く人も多いとあり、ネット上では
「“いきなり何かをし始める”って意味だとずっと思ってた」「『おもむろに』って
語感にゆっくりしたイメージが全然ないし、誤用されるのも仕方ないかも」などの
声があるとか・・。

「おもむろに」とほとんど同じ使い方をされる言葉に「やおら」があり、こちらも
「ゆっくりと」という意味ですが、間違って「急に、いきなり」という意味で誤用
されるケースが多いとあります。

 平成29年度「国語に関する世論調査」の結果を見てみると、「やおら」について
誤った意味で覚えていた人は全体の30.9%。正答である「ゆっくりと」を選んだ
人は39.8%で、言葉の意味が「わからない」と答えた人の割合も23.5%あったそう
です。

 「おもむろに」や「やおら」が誤用される理由は、“いきなり”という意味の
「やにわに」と混同されているという説もあるようですが、SNS上では「どれも語感
が近いから紛らわしい」「『やおら』と『やにわに』、『おもむろに』をいつも
間違えてしまう」と悩む声もあったとか・・。

                  (ネット画像より)


 長くなりますが、こんな解釈もありました。つまり、
『「おもぶる(徐)」「おもむろ(徐)」は、「おもみゆれゐ(重身揺れ居)」。「みゆ」
が前音のM音にも影響されつつB音化している。重い身がゆっくりと動く状態を表現
したもの。「おもむる」とも言うでしょう。語尾が終止形「う(居)」になり「おもみゆ
れう(重身揺れ居)」なら「おもむろ(徐)」になる。「おもぶるに」「おもむろに」は、ゆっ
くりとした重々しい印象であることを表現する。これは漢文訓読系の表現のようです。
つまり、人々の日常会話から生まれている表現ではない。』

 

 ・うだつ  ウイキペディアの解説をコピペしました。『平安時代は「うだち」
といったが、室町時代以降「うだつ」と訛った。 本来は梁(うつばり)の上に
立てる小さい柱のことを言ったが、そののち、自家と隣家との間の屋根を少し持ち
上げた部分を「うだつ」と呼ぶようになった。桃山時代に描かれた洛中洛外図屏風
にはうだつのある長屋が描かれている。 桃山時代から江戸時代初期にかけては
木製のうだつが存在するなど、当初は防火壁と言うよりも屋根が強風で飛んだり
するのを防ぐ防風の意味合いや、また装飾的な意味合いが強かった。(中略) 
うだつを上げるためにはそれなりの出費が必要だったことから、これが上がって
いる家は比較的裕福な家に限られていた。これが「生活水準が向上しない」「出世
できない」「状態が今ひとつ良くない」「見栄えがしない」という意味の慣用句
うだつが上がらない」の語源のひとつと考えられている。』

 「うだつ」の写真を探しました。

       (トリスミ集成材より)

         うだつの街並み 
          (瀬戸内Finderより)

 

 ・びびる  怖気づく、萎縮する の意味ですが、現代語だとばかり思っていま
したら、古くからある言葉なんですね。一説には平安時代からといわれているとも
ありましたが、これはさすがに行きすぎているようです。 語源的には、大地の
震動音や物の震動音「ビビ」に反応して尻込みするする状態から「ビビる」が生ま
れたとする説、「びくびくする」の略で、「ビビる」になったという説があるよう
ですが、後者の方がより妥当ではないかとありました。

     (ネット画像より)

 また、上方方言に「ビビる」がいろいろな意味に使われてきたとあり、・尻込み
する、気後れする ・けちけちする ・音がふるえる ・小さく振動する ・大小
便を漏らす などが挙げられていました。

 「けちけちする」という意味が、お金を出すのに尻込みすることからきている
とすれば、どれも「ふるえる」という要素が共通していることから、「びびる」は
物のふるえるさまを表すオノマトペに由来していると考えてよいのではないかとの
意見もありました。 どちらももっともなようですね。

 江戸時代に芸人たちが舞台前に緊張して尻込みする様子を「びびる」といった
ともいわれているそうです。

 

・退屈  goo辞書に、1、することがなくて、時間をもてあますこと。また、その
さま。「散歩をして―をまぎらす」「読む本がなくて―する」 2、飽き飽きして
嫌けがさすこと。また、そのさま。「―な話」「―な人」 3、疲れて嫌になる
こと。「呪咀 (じゅそ) することの及ばぬとて、かの后たち―し給ふ」〈伽・熊野
の御本地〉 4、 困難にぶつかってしりごみすること。 5、仏語。修行苦難に
負け、精進の気をなくすこと。 

         (ネット画像より)

とあります。意味的には、1,2,3あたりが妥当かと思いますが、語源的には、
むしろ 5の仏教用語からのようです。 すなわち、仏道修行の苦しさや難しさに
して、仏道を求める心が退き、精進努力する心を失うことを意味しているのです。
そこから、くたびれて気力がおとろえること、畏縮すること、困りはてることなど
の意味になり、さらに転じて、倦怠の意となり、ひまをもてあますことになった
そうです。

 余談ですが、退屈と暇の違いは何か? ネットから・・暇とは、何もする必要
のない時間で、これはその人のあり方には関係のない客観的な条件です。 それに
対して、退屈は何もすることがなくて不快だという主観的な感情や状態を指します 
とありました。しかし、暇を持て余す‥とくれば、これは退屈に近寄って来ている
のでしょう。

 ボアアウト症候群というのをご存じですか? ボアアウト症候群とは「退屈症候
群」ともいえる状態で、仕事に対して物足りなさややりがいのなさを感じながら
「退屈な状態」を過ごすことで、気力の低下を感じる状態のことです。働く意欲
が低下する状態で、こうした状態が続くと、ストレスやフラストレーションが溜
まり、長く続くと自己評価の低下、不眠やうつ状態に至るともいわれています。
一昔前にはあったかもしれませんね。

 

 ・ややこしい  複雑で分かりにくい、紛らわしいなどの意味で使われますが、
「雑学ネタ辞典」に面白い表現がありました。西日本の地域でよく用いられる言葉
で、「赤ちゃん」「赤ん坊」のことを「ややこ」と呼びます。「ややこ」は漢字
では「稚児」または「嬰児」と書きますが、「赤ちゃん」はかわいいけれども、
時に泣き出し、なぜ泣いているのか分からないことも多く赤ちゃんの世話は難しい
面がある。その世話のわずらわしさから、複雑で分かりにくい、面倒だ、などの
意味になったとあります。

 「ややこ(赤ん坊)」+形容詞化語尾「し」で、「ややこし(い)」となります。
また、「赤ちゃん」の対義語は「大人」であり、これに由来して「ややこしい」の
対義語は「大人しい」となります。「おとな」+「しい」。

        (ネット画像より)

 もう終わりますが、古語に「心をわずらう」という言葉に「ややむ」という動詞
があり、そこから派生して「ややましい」(ややこしい=心わずらわしい)という
形容詞となったとの見方があり、この「ややましい」を「ややこ」との類推で転
じた一種の洒落言葉が「ややこしい」となったのではないか、との意見もありま
した。

 

 まったく、ややこしい話ばかりで、退屈でしたでしょうか?

          (ネット画像より)

 

 

Yasmin Levy - Una Noche Mas (SR) - HD

 

 

 

 

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整体院  (bon)

2023-10-25 | 日々雑感、散策、旅行

 私自身のことなんです。

 5年ほど前に、右お尻の付け根あたりに鈍痛が来て、熟睡できないことが起きま
した。
で、早速、近くの整形外科で診てもらったら、腰部脊柱管狭窄症と診断され、
腰に電気を充てる7分、脚部のストレッチ7分ほどを当初は連日通いました。

 これが事の起こりでしたが、落ち着いてきたので週に2回程度に減らし継続して
いました。当時は、蓼科農園の畑作業がありましたが、不都合なくそれまでと同じ
ような状態で過ごしていました。 
 それが昨年、突如、右足の付け根(お尻)あたりに痛みが出て、ビッコを引くよう
になり歩行速度が急激に落ちました。30分ほどは何とか歩けますが、やはり痛みが
出てきたり、とにかく全身で歩いているような感じですから、真夏でなくてもすぐに
汗が出てきたり、まさしくフレイル、サルコぺニア状態?みたいになってきました。

          (ネット画像より)

 短い距離などは、それでもゆっくり姿勢悪く歩くことが出来ていたのでしたが、
先月、指定特急の列車に乗ることがあって、そんな状態ですから十分時間をとって
家を出たのですが、貧乏性というのか、心配性というのか、とにかく早く乗車駅に
着くべし‥と思ったのでしょう。少し重めの鞄を肩に下げて、速足(自分では)で
歩いたのです。 乗り換えの駅もあり、トータル30分ほどそんな状態で目的の駅の
ホームに着きましたが、右足の付け根に痛みが出て、腰かけていても絶えず鈍痛が
あり、たち上がるとすぐには歩けない、ズーンと痛みが走る。そんな状態でしたが、
とにかく目的を達して帰宅しました。翌日も痛みの状態は変わらないので、整形で
診てもらいました。先生は、2週間もすれば落ち着いてくる。とのことで、その日も
リハビリをすすめられるまま実施しましたら、整形からの帰路は折角落ち着きかかっ
ていた痛みがぶり返す羽目になりました。その後はリハビリ(ストレッチ)のために
整形に通うことをお休みにすることにしました。

     
               (ジョンソンアンドジョンソンより)

 先週、4~5年前に娘が脚の痛みが出た時、紹介でお世話になり手際よく完治した
接骨院の紹介を受けて、同伴で町田市にあるその接骨院に行くことに・・。
 2時間近く丁寧に診てくださいましたが、とにかく遠いので、しばらく自宅近くで
診てもらうことをすすめられました。で、うまく行かない場合にはいつでも来なさい
とのことでした。そして、現状の歩行困難や、遅速を悩むのではなく、杖の助けを
借りたり、ゆっくり歩けばよいのではないか・・先ずは考え方を改めることが大事
だとの精神訓話までありました。

        (LIFULL介護より)

 長くなりましたが、昨日、最寄り駅前の整体院を訪れました。ネット予約でした
ので、住所を頼りに行ってみると、そこはマンションの一室でした。チェーン店の
ようで、他にもあるようでしたが、この一室を複数の整体師が共有していて、患者は
すべて予約制で、整体師とマンツーマンの関係であるようでした。 事業主がいて、
そこがHPや仕組みを設定し、その事業に複数の整体師が登録されている・・そんな
仕組みが読み取れました。

 とりあえず、カウンセリングから始まり、1時間半ほどの占有で、根本原因が、
①骨盤の傾き、特に右、②腸腰筋が硬い、③腰骨の筋肉が硬い、④足裏が硬い、⑤
お尻の筋肉が使われていない との診断を受けました。あと2回までの予約をして
一連の顛末は終わりました。

 脊柱管狭窄症の治療はようやく第一ステップを踏み出したのでした。

 

 

 

 

YVES MONTAND - Les Feuilles Mortes

 

 

 

 

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国連デー  (bon)

2023-10-23 | 日々雑感、散策、旅行

 明日、10月24日は「国連デー」です。第二次世界大戦の防御に失敗した国際連盟
代わって戦後、1945年10月24日に国際連合憲章が発効し、国際連合として正式に
発足したのがその由来だとあります。当時 51ヵ国が加盟しており、日本は1956年に
加入が認められました。現在は193カ国の加盟です。

         (ネット画像より)

 この国連について、すでに長期にわたる戦争、ロシアのウクライナ侵攻を止める
にも、当事者が拒否権を持っている限り、国連の出番はなくなり、今回勃発したパ
レスチナ問題でも、食料や医薬品に困窮するガザ地区に物資を支援するとの決議では
アメリカが拒否権を発動して、これも頓挫しています。国連はいったい何が出来る
のか? グテーレス事務局長はメッセージを発出していますが、具体的な実行は出来
ていないのです。

 国連デーに当たり、ここら辺のことをにわか勉強ですが、少し考えてみたいと思い
ました。 しかし、その前に、今回なぜ突如として、ハマスがイスラエルに攻撃を
仕掛けたのでしょうか? この問題を私なりに整理してみました。かなり端折って
いますので分かり難いかもしれませんがお許しください。先のNHKクロ現でも解説
されていました。


 これまで国際問題などに関心が薄く、出来事程度の認識しか持っていませんでした
から、昨今の殺戮にはただただ驚くばかりです。 もう1年半以上も続くロシアの
ウクライナ侵攻も多くの死者と瓦礫の山を残しながら一向に終わりを見せないでいた
ところに、今度は、パレスチナ問題の再燃で、今月7日に突如パレスチナを実効支配
しているハマスによる大規模なイスラエル攻撃が勃発しました。双方の空爆により
民間人を含む5000人以上の死者が出ていると報じられています。

 なぜこのようなことが起こったのか? にわか勉強ですが、イスラエル、パレス
チナの問題はすでに2000年以前から起こっており未だ解決できないまま紛争を繰り
返し今日に至っています。 もともとこの地はパレスチナと呼ばれており、エルサ
レムはキリスト教、ユダヤ教、イスラム教の3つの宗教の聖地であり、アラブ人、
ユダヤ人らが共に暮らしていました。

 ところが、ユダヤ教の新教キリスト教を唱えたイエス・キリストがユダヤ人により
処刑されたことから、後にローマ軍によりユダヤ人はこの地から追われることになっ
たのが始まりで、その後も紛争が絶えなかったところ、ナチスドイツによるユダヤ人
ホロコーストを受け、ようやく1947年に国連によるパレスチナ分割決議が行われる
のです。

 これにより、この地(パレスチナ)を、イスラエルとパレスチナに分割し、翌年
イスラエルが建国するのです。しかし、パレスチナは国ではなく「自治区」として
イスラエルの管理下に置かれています。イスラエルから供給を受ける立場のパレス
チナには不満が募って行くのは当然で、その後も紛争が絶えない問題地域として扱
われてきました。

         オスロ合意(1993年)
          (毎日新聞より)


 1993年には、あのクリントン大統領時代にノルウエーとの仲介で「オスロ合意」が
成立し、パレスチナ暫定自治区が認められ現在に至っています。パレスチナでは、
アラファト議長の死亡後アッバス議長に引き継がれてきましたが、2006年にハマスが
勝利しパレスチナを支配(統制)してきました。自治区が認められたのちも、ヨル
ダン川西岸地域では、イスラエル入植が頻繁に行われるなどパレスチナへの圧迫は
続く一方で、水や食料、必需品迄がイスラエルから供給を受ける立場で困窮が絶え
ない状況であったそうです。 自治区の周囲には8mもの塀が建てられ、パレスチナ
にとってはその中に閉じ込められた状態で、「天井のない監獄」とまで言われていた
そうです。

        ガザ地区の壁
         (ネット画像より)

 パレスチナのこの困窮と抑圧による20年近くにわたる鬱憤が、今回爆発したので
しょう。 
 ガザ地区は、勃発後は完全に閉ざされ。一切の食料などが供給されず、ようやく
10/21にラファ検問所から20台のトラックによる支援物資が搬入されたのですね。
ガザ地区だけでも200万人いるとのことですから、20台のトラックはまさしく焼け石
に水状態なんでしょう。

 ハマスによる暴挙は、いわゆるテロと見做されていますが、多くの住人達の悲惨な
生活は、20年近くも続いており、なぜこの問題が放置されて来たのか?  今さら
ながら不思議でならないとも思いますが、しかし、これまでの長い歴史にわたって
双方の折り合いはことごとく不成立に終わり、特に今回のような戦争状態にない状況
下では、だれも手を染めようとせず、見てみぬふりを続けて来たということですね。
今回の様に戦争状態になって、ガザ地区は完全に閉じ込められ悲惨な生活を余儀なく
されていることは明らかであっても、国連による支援決議は、アメリカの拒否で実施
されることはないのです。見殺し状態ですね。アメリカには、ユダヤ系要人が多く、
影響力を持つ存在であることから、パレスチナにだけでなくイスラエル側への対処も
併記されるべきとの態度なのでしょう。

 ハマスは、地下に戦闘器具などを保管しているとのために、イスラエル軍の今後の
作戦は、空爆だけでなく地上戦に入るとの動向を示しているという。実施されれば
更に悲惨な光景となるでしょう。

          国連総会
           (ネット画像より)

 国連憲章を今一度ひも解いてみますと、その第1条に、

国際連合の目的は、次のとおりである。

  1. 国際の平和及び安全を維持すること。そのために、平和に対する脅威の防止及
    び除去と侵略行為その他の平和の破壊の鎮圧とのため有効な集団的措置をとる
    こと並びに平和を破壊するに至る虞のある国際的の紛争又は事態の調整又は解
    決を平和的手段によって且つ正義及び国際法の原則に従って実現すること。
  2. 人民の同権及び自決の原則の尊重に基礎をおく諸国間の友好関係を発展させる
    こと並びに世界平和を強化するために他の適当な措置をとること。
  3. 経済的、社会的、文化的又は人道的性質を有する国際問題を解決することにつ
    いて、並びに人種、性、言語又は宗教による差別なくすべての者のために人権
    及び基本的自由を尊重するように助長奨励することについて、国際協力を達成
    すること。
  4. これらの共通の目的の達成に当って諸国の行動を調和するための中心となること。

 

 これを見る限り明らかに、国連は、今回のウクライナやパレスチナに係る戦争を
即時停止し、人道的立場に立った救済をいち早く実施することに他ならないわけで
すが、ここに、5大国の拒否権のために、議案は否決されるのです。

 この拒否権については、国連内部でもこれまでも不満のるつぼであったようですが、
さりとて、国連のこの体制を改革するためには、5大国すべての賛意が必要となり
結果的に不可能ということになります。 民主主義は国連においては、国際民主主義
ではないのです。

 常任理事国が紛争当事国となり拒否権を発動したことが大きく注目されたウクラ
イナ侵攻は拒否権に説明責任を付すことの契機となったそうです。

                

 国連(安保理)における常任理事5大国(アメリカ、ロシア、中国、イギリス、
フランス)のみが有する拒否権が問題ではないかとも思いますが、しかし、この
拒否権は、世界戦争が起きないための安全弁でもあるとの見方があります。

 もし仮に、安保理にも国際民主主義が採られたとすれば、ある事案でこの5大国が
分かれたとした場合を考えると、賛成の国と反対の国とが対立状態となり事案によっ
ては世界戦争への傾斜となる危険性があるというのです。

 ならばどのようにするのが良いか? ネットに、代表的な改革案として、大規模な
人権侵害などにおける拒否権の禁止などに加えて、2カ国以上の発動にのみ拒否権の
効力を認める案や紛争の当事国となった場合の拒否権の発動を禁止する案などがある 
とし、これらはいずれも条件を付すことで拒否権の発動を制限することを目的として
いる とあります。

 しかし、この改革案も、5大国の賛成が必要なんですが議案として提出してはどう
でしょうね。 

             

 国連は、国際の平和と安全のほか、経済社会開発、人権、人道支援、国際法など
幅広くその活動が行われており国際的な対応はもちろん、私たちの身近なところにも
その恩恵が及んでいるところですが、今回の事案のような戦争の即時停止や人道支援
も難しいとすることもまた事実なんですね。

 昔に比べれば、人権は大きく尊重されてきていますが、本質は変わっていないの
ですね。

 

 

 

 

【解説】ガザ地区への地上侵攻“簡単ではない”理由 “ハマス掃討”でガザ地区の住民は?【#みんなのギモン】

 

 

 

 

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カンタン  (bon)

2023-10-21 | 日々雑感、散策、旅行

 これって、昆虫の名前なんです。 コオロギの仲間で美しい声で鳴く秋の虫なん
ですね。

  先日(10/17)の読売新聞朝刊の地域欄「動物日記」の 浜本友美さん(埼玉県
態系保護協会)の記事にありました。

 『やっと朝夕が涼しくなり、野原では秋の虫たちの合唱が始まっている。そっと
近づくと、閻魔コオロギの力強い鳴き声とともに、「リュリュリュリュ」と優しく
静かな声が聞こえてきた。淑やかで品の良い声の主はカンタンだ。』との出だして
紹介されていました。

       カンタン
        (直翅類図鑑より)

 

 ネットで調べてみました。
『クズ原やヨモギが繁茂する草原に生息する。寂しげな美しい声で鳴くことで知ら
れる。鳴く虫の中でもとりわけ「鳴く場所」にこだわり、音が増幅してよく響かな
いと鳴き止んでしまう。』とあり、やや気難しや屋でカッコつけたような虫ですが、
体長は15㎜ほどと小さい割には肉食系だそうで、ア
ブラムシ等の小昆虫を食べるよ
うで、おまけに甘いものが好きだそうです。 飼育下では観賞魚用の餌やドッグフ
ードを食べて問題なく生育するようですが、これに蜂蜜などを混ぜて与えたほうが
好結果が得られるとあります。

       カンタン 鳴いているところ。 
        (直翅類図鑑より)

 

 しかし、かなり用心深いところがあり、人の気配に非常に敏感で鳴き声を頼りに
探すのはかなり困難であり、根気を要するとあります。

 新聞記事でも、鳴いている姿を見るのは難しい。 美しい声に誘われて、姿を見
ようと忍び足で近づくと鳴き声がプツンと止まり、しばらく鳴き出さない・・とあ
ります。なので、声の聞こえた近くにしゃがみこんで じっと動かずに5分も待つ
のだそうです。

 カンタンは秋の虫の女王とも呼ばれているそうで、薄緑色の小さな華奢な体で透
き通った翅をスズムシのように高く上げて泣くのだそうです。 そして、身を守る
ための絹糸の様な体長の3倍もある長い触角があるのですね。

                

 以前には、6階のベランダの鉢植えから、秋の虫の音色を楽しんでいたことがあり
ましたが、もうずいぶんそのような虫の声は聞かれなくなりました。 何かの花木
についてきた虫なんでしょうね。 窓を開けると、ベランダから虫の音が聞こえて
それなりに風情を楽しんでいたのですが・・。

 カンタンという秋の虫は知りませんでした。

    虫鳴いて めぐる季節に 戸惑いぬ  (林田加杜子)

 

 

カンタンの鳴き声

 

 

 

 

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デジタル分身  (bon)

2023-10-19 | 日々雑感、散策、旅行

 つい先ごろ(2023.8.12)の拙ブログに「デジタル故人」を記事アップしたばか
りですが、今度は「デジタル分身」とのテーマです。
 10/15の読売新聞日曜版のITページに掲載されていましたが、デジタル分身と
しては、既に2020年にNTTがその取り組みを『アナザー・ミー』(Another Me)
として発表しています。『実在する⼈間と同じ知性や⼈格を感じられ、本⼈として
社会の中で認知され活動できる自分の分身のような存在の実現をめざす』として
いて、身体の動き、対話や質問の受け応えなどの特徴を本人とそっくりに生成して
行く技術の開発を進めるとしていました。

 昨年(2022年)8月3日の報道発表では、NTTと松竹は、『「超歌舞伎 2022
Powered by NTT」の公演プログラムの中の一つに、まるで双子の様に人を再現する
デジタルツイン「Another Me®」の第一弾として、同公演に主演する中村獅童の
デジタルツイン「獅童ツイン」を実演する実証実験を実施します。』として、全国
の4劇場で公演されたそうです。

 中村獅童さんのコメントに、『私の台詞まわしや身振り手振りを「学習」して
まるで私のように振る舞い、 身振り手振りをし、超歌舞伎にこのような最先端
技術が導入されることで、超歌舞伎の 演出の可能性が益々広がるものと思って
おります』とあったようです。

       中村獅童ツイン
       (NTT Iotデジタルより)

 

 新聞では、『デジタルの世界に私の分身』との見出しで、その人の容姿や声、
価値観などをデジタルで複製して自分の分身を創るとして、この5月に六本木で
AIの新興企業が行ったイベントを紹介されていました。
 メタバースなどでのアバターは、本人の操作で活動しますが、デジタル分身は、
本人が操作せずに分身自身が本人そっくりに動き、思考し発言もするのです。イベ
ントでは、経済学者ら3人が、画面上に登場し、客席の経済学者と画面上の彼とが
普通に会話するというものだったようです。

       デジタル分身イベント
       (読売オンラインより)

 身振り手振り、表情など本人そっくりに動作させるにはそれなりの技術開発が
伴うのはもちろんですが、本人らしいその場の表情や動作を細かくデータとして
入力し、その状況に応じて反応するように学習する。それと同じように、考え方
や、思考過程もその都度入力される多くのデータから学習して対応する。これら
を時間をかけて入力、学習して行けばより本人に近く複製されて行くであろうと
想像できますが、そのような分身が出来た時、分身自体が対応して行く状況に応
じて独自に学習を積み重ねて行くとしたら、本人と分身の間に、何らかの乖離が
生じてくるのではないか・・? そんな風に思うのですがどうでしょうか?

 この時の分身の存在をどの様に捉えて行けばよいのか? 自分の分身が勝手に
判断して行動を始めたとしたらそれはどういうことになるのでしょうか? もち
ろんデジタルの世界の中での話ですが、世の中、デジタルが当たり前になっている
時に、自分ではない分身が一人動きしてしまわないか 心配となります。 さて、
どのように分身を管理すればいいのでしょう? 自分が自分の分身に煩わされたり、
変な関係になってしまいそうです。 

 さらに、本人が亡くなってしまった後も、デジタル分身は健在ですから、死後の
取り扱いも重要になってきますね。

             

 新聞でも、この点について、『ルールはこれから』として、内閣府は2050年まで
にこれらの実現に向け支援しているが、実用化には技術的な問題よりも社会的、
制度的な課題が山積しているとしています。
『分身が公的な場で問題発言をしたら本人が避難されるのか。分身にどこまで意思
決定を委ねていいのか。分身が本人に無断で生成されることはないか。本人への
「なりすまし」を防げるのか。本人の能力を超えるスーパーマンにならないか。』
などのルール作りはこれからだ・・としています。

 先の「デジタル故人」では、死後の取り扱いが、問題になりましたが、「デジ
タル分身」は、生前から問題が山積しているように感じますし、もちろん死後も
同様です。

 技術の流れは止めようがありませんが、せめてそれらが実現する前にある程度の
ルール作りが先行して欲しいところです。 実用化の暁には、もっと別の未知の
問題が出現する可能性も多分にあると思われるのです。

               

 新聞記事のイベントを実施した会社は当面、メールのチェックやスケジュール
管理などを本人に代わって任せることを想定しているとしています。 しかし、
このメールチェック一つとってみても、多くの課題が潜んでいるように思います。
迷惑メールや広告メールなどを大ぐくりにメール排除したり、同一人物からのメー
ルをまとめてひとくくりにするなどの荒っぽいチェックなら可能かもしれませんが、
これだとあまり意味がないようにも思えたりします。さりとて、メール内容など
の判断までとなると、かなり問題が起きそうに思えます。

               

 技術の進展は、これまで人、社会が求めるものを実現することで大きな恩恵を
与えてきました。これにより人類、社会の発展が達成され現代にいたるわけですが、
人なり社会が要求していない(気が付いていない)新しい技術の開発に当たっては、
十分なアセスメントがなされることが重要でしょう。これらの技術要素がいずれ
将来の役に立つものであるかもしれませんが、技術だけが拙速、先行することは
むしろ問題を惹起するのではないでしょうか?

 

 

 

「ロボ河野太郎」お披露目 科学実験に活用 阪大など

 

 

 

 

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「裏窓」  (bon)

2023-10-17 | スポーツ、芸能、映画

 映画を観ました。 NHKのBS映画劇場で放送されていた録画「裏窓」です。

 1954年のアメリカ映画で、アルフレッド・ヒッチコック監督、主演は、ジェームズ・
スチュアート、グレース・ケリーらのサスペンスものです。

 超有名な映画ですから、すでにご覧になられた方は多いと思いますが、もう70年
近く前の映画なんですね。この頃のヒッチコック作品で、グレース・ケリーが出演
している映画、「ダイヤルMを回せ!」(1954年)や「泥棒成金」(1955年)を数年
前に観ましたが、ヒッチコックだけあってどれもスリルとサスペンスに満ちた映画
ですね。

               (ネット画像より)

 で、この「裏窓」(Rear Window)は、ニューヨーク、マンハッタンのとあるア
パートがその舞台で、カメラマン(ジェームズ・スチュアート)が撮影中の事故で
足を骨折し、左足全体をギプス姿で、車いす生活を強いられています。 もう何
週間も部屋から一歩も出られず暇を持て余したカメラマンは、中庭の向こうのア
パートの住人の生活を覗き見る楽しみを覚えるのです。 彼を訪ねてくるのは、
彼の恋人(グレース・ケリー)と世話係の看護師くらいで、もっぱら会話の場面
が続き、画面は窓から見えるアパートの様々な人々の生活だけという、舞台劇の
ような設定なんですね。

 彼は覗き見に次第に興味を持ち始めている時、夫婦喧嘩ばかりしていた妻が忽然
と姿を消すのです。双眼鏡やカメラの望遠レンズで不審な様子を追いかけるよう
になるのです。

 彼の目線とスクリーン画面が一体となり、おまけに動作は見えるけれども中庭
の向こう側の窓ですから音が小さく聞こえる程度で言葉は聞こえない。彼の想像
がドンドンと膨らんで行くのでした。映画の視聴者は、彼と同じ状況に置かれて
いて、彼の目の動きや仕草でその状況を共有して行くのです。

          (ネット画像より)

 どうも殺人が起きたらしいと分かるのですが、その相手にこちらで覗いている
ことがバレて、逆に彼の部屋に侵入してくるシーンにはドキドキさせられるのです。
身動きが取れない車いすの彼に、じわじわと男は迫ってくるのです。 このあたり
はヒッチコックのお家芸の演出で、この映画のクライマックスでしょう。

 また、恋人役のグレース・ケリーは、シーンごとに素晴らしい衣装を着用して
その美貌を披露していました。ヒッチコックは彼女を評して "Grace Kelly is a
snow covered volcano"(雪に覆われた活火山)と述べた有名な逸話があるとあり
ました。

 話は脱線しますが、グレース・ケリーは、1929年生まれで裕福な家庭の3人姉妹
の真ん中でおとなしい性格であったようですが、20歳で女優となり、急速に上昇し
25歳『喝采』でアカデミー賞主演女優賞を受賞しており、翌年、モナコ公妃となり
ます。大きな話題になっていましたね。3人の子に恵まれますが、52歳の時に自ら
運転する車の交通事故で他界してしまうのです。 

 そういえば、まだ22~3歳の頃、渋味のある中年男の孤独と苦悩を演じるゲーリー・
クーパーと共演した、あの「真昼の決闘」にも妻役で出ていましたね。

          (ネット画像より)

 「裏窓」は、全編スタジオセット撮影という限られた空間でこれほどまでの緊迫
感や恐怖感を生み出しているのはさすがとしか言いようがありませんが、映画評
にはさらに次のような解釈がありました。
『彼(カメラマン)が裏窓を通して人生を知るという大きなテーマにある。妻の
浮気を疑い、ついには殺害してしまうセールスマンの夫はもちろんのこと、男たち
を手玉にとるように見えて、実は純情だったことが最後に分かる踊り子、失恋の
末に自殺しようとして、隣家の窓から流れてきた美しいピアノ曲に救われる孤独
なオールド・ミス。いつまでも冒険を追い求め、自分の人生を築くことから逃げ
ている彼にとって人生とは何か、自分にとって大切な人は誰かを教えるライフレッ
スンになっている。そして、人間の真の姿を知るには、表側からではなく、裏窓
から見るに限る、と。』

 かなり深いですね。

 

 

 

Caught Snooping - Rear Window (7/10) Movie CLIP (1954) HD

 

 

 

 

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キンモクセイ ‘23  (bon)

2023-10-15 | 日々雑感、散策、旅行

 また今年もキンモクセイの出番が来ました。
3日程前から、ベランダのキンモクセイにたくさんのつぼみが急に膨らんできてい
たと思っていたら、昨日あたりから、花が開き始めて、あたりに甘い良い香りを
漂わせてきました。

       今年のキンモクセイ(アップしました。)
        

 今年は、夏が暑かったせいで、キンモクセイの開花が遅いのでは?・・と感じて
いましたので、以前の開花はどのくらいだったのかを確認するために拙ブログを
繰ってみました。 よほどこのキンモクセイが好きなのか、他に話題が見当たら
なったのか、なんと、2012年から2年ほどとんでいましたが毎年この時期に記事アッ
プしていました。

 それによると、今年の開花が特に遅かったというわけではなさそうで、昨年の
開花が10/1でしたから、今年が遅すぎると感じたようです。昨年の今ごろ(10/17)
は、第2弾が咲いてきていました。
 一番早い開花は、2021年(おととし)で、9/12が第1弾、それから10/5に第2弾が、
そして第3弾が10/24に咲いて11月に入ってもまだ、良い香りを放っていました。
 2015年も早かったようです。9/16が第1弾、9/28が第2弾でした。他は、大体9月
下から10月下迄それぞれの年にバラついている状態でしたから、まあ例年並み‥
というところでしょうか。

   もう少しで全開‥というところ
       

 キンモクセイの香りについて、ウイキぺディアにも言っていました。

『こんなに良い香りなのに、多くの虫たちを寄せ付けず、ハナアブのなかの一部の
種類だけがこの木を訪れて喜んでいるのはなんとももったいないですね。』

キンモクセイ(金木犀)は、学名を Osmanthus fragrans var. aurantiacus
といい、名前の中にも“香り”の字句が見える、モクセイ科モクセイ属の常緑小高
木樹です。この木は、雌雄異株だそうですが、日本には雄株しか入っていないので
結実しないそうです。中国南部原産で、日本には江戸時代に渡来したそうです。
また、花言葉は、“謙虚”“気高さ”なんだそうです。』

 あっ、この「キンモクセイ」という命名は、あの牧野富太郎博士によるのですね。

 これまで2度咲きは、3回ありそのうち1回は3度咲きしました。なので、それほど
珍しいことでもないのかもしれません。

          

 かなり前のことですが、会社の研究所で金属材料の研究をしている同僚がいま
して、硬い男かと思っていましたら、花を織り込んだ狂歌を作ったりする面白い
人でした。以前の拙ブログでも話したかもしれませんが、その彼がこのキンモク
セイを織り込んだ作品・・

 『単身赴任、シャツも臭けりゃ 金も臭せぃ』

                

 1度目が未だ開ききっていませんが、今年は2度咲くのでしょうか・・?

 

 少し色づいた さくら              足元にレインリリー
  

 

 

 

Passacaglia - G.F. Handel/ Arr. by J. Halvorsen [PIANO COVER]

 

 

 

 

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松尾芭蕉翁  (bon)

2023-10-13 | 日々雑感、散策、旅行

       今年もやや遅く、ベランダのキンモクセイにいっぱいの花が付き、
       周りに甘い香りを漂わせています。

 

 

 まずは、芭蕉の句から…

  蕎麦はまだ 花でもてなす 山路かな  (蓼科の高原を想い出します。)

  行く秋や 手を広げたる栗のいが    (ちょうど今頃の様子でしょうか。)

  草の戸や 日暮れてくれし 菊の酒   (そろそろの楽しみ・・)

  菊の香や 奈良には古き 仏たち 

  昨日、10月12日(旧暦)は、松尾芭蕉の命日でした。

 俳句には、およそ縁の遠い わが身がどういう風の吹き回しか、拙ブログに何度
か(2013年、2014年そのほか)登場しているのです。


 松尾芭蕉(寛永21年 –元禄 7年10月12日)は、江戸時代前期の俳諧師で、現在の
三重県伊賀市の出身。名は忠右衛門宗房といい、俳号を 初め実名宗房、次いで桃青、
そして芭蕉(はせを)と改めた。 芸術性の極めて高い句風を確立し、後世では
俳聖として世界的にも知られる、日本史上最高の俳諧師の一人である・・とあり
ます。

      俳聖芭蕉翁
          (ウイキペディアより)

 今さら、記述することもありませんが、あの有名な「おくのほそ道」などを残
して、元禄7年(1694年)の9月に、門人の2人の不仲を取り持つため、奈良から生駒
暗峠を経て大坂へ赴いたがうまく行かず、この心労が健康に障ったとも言われ体調
を崩し、一時は回復したが、29日夜に下痢が酷くなり、容態は悪化の一途を辿り、
10月5日に御堂筋の花屋仁左衛門の貸座敷に移り、門人たちの看病を受けたが、8日、
「病中吟」と称して

     旅に病んで夢は枯野をかけ廻る

を詠み、10日には遺書を書き、そして12日申の刻(午前4時頃)、息を引き取った 
と記されています。 おくのほそ道から帰って3年後のことなんですね。

            

 私の想い出として、5年前の2018年の9月に、東京文京区目白台にある、肥後熊本
藩主の美術品を所蔵する「永青文庫」(美術館)を鑑賞して、隣接する肥後細川
庭園を巡り、神田川に出た時でした。江戸川橋方向に少し歩いた左側に急な上り坂
「胸突坂」があり、それをちょっと上がったところに「関口芭蕉庵」がありました。
ここにあの芭蕉が住んでいたのですね。

      関口芭蕉庵入り口
       

 1677年(34歳)の頃、水戸藩邸の防火用水に神田川を分水する工事に携わって
いた頃の住居だったところだそうです。当時、ここは「竜隠庵」と呼ばれた水番屋
で、そこに住んでいたのだそうです。芭蕉は、労働や技術者などではなく人足の
帳簿づけのような仕事だったそうですが、その住まいは後に関口芭蕉庵として
芭蕉堂や瓢箪池が整備されています。この年もしくは翌年の延宝6年(1678年)に、
桃青は宗匠となって文机を持ち、職業的な俳諧師となった とあります。

 この他にもう一つ、面白い出会いがありました。2017年7月に、三究会(山友の
会)で、立山方面に行った時の帰りに、JR富山駅の南西5Kmほどのところ、
神通川の西岸に鎮座する鵜坂神社に訪問した時です。 東岸には富山空港がありま
した。この神社には、その昔、大伴家持が立ち寄っていますが、松尾芭蕉も訪れて
いるのです。

 この神社には、「日本五大奇祭」の一つとして知られる「尻打祭」というのが
あったそうです。平安時代から江戸時代まで、楉(シモト)祭という特殊神事が
行われていて、別名を「尻打祭」といい、貞操を戒めるために女性の尻を打つ祭
であったそうです。
 正月に七草がゆを炊いた薪で女性の尻を打つと健康な子が生まれるという公家の
遊びが伝わったものとありますが、芭蕉らもこの神事を詠んでいるのです。

   油断して 行くな鵜坂の 尻打祭

の句碑がありました。

       芭蕉句碑
         (ウイキペディアより)

 

 もちろん現在では、そのようなことはなく、明治の初めから昭和の中頃まで、雌馬
の尻を打つ祭りはあったそうです。現在、縁結びや安産のご利益があるパワース
ポットとして人気を集めているそうです。

 なぜか、このようなことが想い出されてきました。

 

 

 

詩人の魂

 

 

 

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咲きました!

2023-10-11 | 日々雑感、散策、旅行

 ようやく1輪が咲きました。5月中旬に種を蒔いた朝顔のへヴンリーブルーが、
昨日(10/10)
1輪が咲いたのです。 朝顔が咲いたからってそんなに珍しいこと
・・? なんですが、我が家にしてみれば、このヘブンリーブルーは、2020年に
咲いて以来3年振り・・なんです。 今年もダメか‥と思っていたのです。

 普通、朝顔というのは夏に咲くものと思っていますし、道路沿いの垣根などには
もうすでにあの暑い夏の頃に咲いていました。

 確かに、この西洋朝顔ヘブンリーブルーは夏というよりも秋型の朝顔のようで、
今年の猛暑でグリーンカーテンにしているこの朝顔の上部は、少し枯れ始めている
状態で、今年は半ば諦めていました。 
 少し前のブログに、「ベランダの花たち」を取り上げた拙ブログに、この朝顔
のことを心配げに書いた折、ブロガーさんから「まだまだ青い葉っぱが見えている
から大丈夫。霜が降りる頃までには咲いてきますよ!」 との励ましをいただいて
いましたので、まあ、水遣りだけは欠かさずにしていました。

 大騒ぎしているたったの1輪が咲いただけの朝顔の姿です。

      昨日(10/10)咲いた(ヘブンリーブルー)
         
  

        全体の姿 (葉っぱは少し黄色くなっています。)
         

 

 昨日(10/10)の朝、何気なくガラス越しに見ていたら、この青い花があるのに
気が付いたのです。小躍りするような気持で、急いで窓の外に出てパチリ、パチリ
と・・。たった1輪の朝顔のその姿を写真にとどめたのでした。よく見ると、心なし
か花びらがピンと張っていないようで、元気がないような気もしますが、そんな
ことは2の次で、とにかく自然の作用の中で、ブルーの花を見ることが出来たのです。

 たったの1輪が咲いて、しかも小学生の頃にも咲かせていた朝顔を、なぜここに
取り上げたかといえば、毎年チャレンジして種を蒔きましたが、発芽に失敗したり、
ようやく発芽しても若いうちに枯れてしまったりして、この3年は寂しい思いをし
ていたからなんです。

 朝顔ごときで、話しが大きくなっていますが、このヘブンリーブルー(朝顔)は、
2020年にはじめてチャレンジしたのです。軽い気持ちで、この年の4月下旬にポット
播きしました。発芽温度に届かない可能性があると思い、室内で暖房しながら、ほと
んどのタネが発芽しました。発芽率90%くらいでした。

 そのうち、10球を5月にプランターに定植して夏を迎え、無事グリーンカーテンが
構成でき、夏を超すあたりからブルーの花が次々と咲き始めてきたのでした。

    プランターに移植(2020.5.17) 
       

    最盛期の様子(2020.11.10)
      

 

 これに味をしめて、翌年、今度は発芽温度が得られる大型連休明けの5月中旬に
種を蒔きましたが、発芽に失敗。購入種は発芽処理をしていないものでしたので、
小さな堅い種にやすりで傷をつけ、1夜水に浸けた後、ポット播きをしましたが、
次も失敗に終わりました。

 ネットで種を追加購入し、4回チャレンジしましたが、どういうわけかすべて発芽
失敗に終わったのです。そこで、もう西洋朝顔のヘブンリーブルーを諦めて、近く
のスーパーで普通の朝顔のタネを購入し、播種しましたがこれも失敗で、わずか
1球だけ発芽して、これを大事に定植して無事に紫色の花が咲きました。
 が、この時は 6月中旬までに合計60球にトライして僅か1球だけ成功したとは、
何が原因なのか皆目わからないままこの年も終わりました。

        ようやく咲いた朝顔でした。
         

 翌年(2022年)5月の連休明けにこの年もやってみたのです。連休明けでも気温
が上がらず、夜にはオイルヒーターを入れた暖を採っていました。 ようやく5本の
芽が出てホッとしたのですが、どこか弱々しい感じで、心配しながら移植しました
が、5本ともかれてしまいました。この年は、もう追加の種まきはしませんでした。

 発芽のことや、土のことなどネットなどの注意事項もよく調べ、園芸友の会の
先輩にも相談しましたが、なんといっても朝顔ですから、特段の注意事項なんて
あるはずもないのですね。ただ、朝顔のタネは堅く発芽には処理が必要とのこと
は理解していましたし、種まき用の土もそれに応じたものを使いましたが、なぜか
うまく行かなかったのです。そんなこととはつゆ知らなかった2020年の初めての
トライでは、難なく発芽し、苗が余るほどだったのが夢のように思えてくるので
した。

 そんなことをしみじみと想い出しながら、とりあえずこの1輪を愛でて、じっと
しておれなかったのです。

                 

 朝顔の他、ベランダでは、陽が差さないと涼しさを通り越したような空気の中で、
ススキはようやく穂をつけ始めています。横にあるキンモクセイにも、ハッキリと
つぼみが小枝に膨らんできています。

ススキの穂が出てきました。    もうすぐ・・のキンモクセイ
 


 今年、2個しか実が付かなかった温州ミカンです。ピンポン玉より大きくなって
きました。

         ミカン(2023.10.10)
         

 

 

*Havana* ft. Jesse Cook

 

 

 

 

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洋上風力発電  (bon)

2023-10-09 | 日々雑感、散策、旅行

            昨夜のラグビーW杯、対アルゼンチン戦は、力の入る戦いでしたが27-39で
        敗れました。 頑張りました。 迫力がありました。

 

 少し前の拙ブログに、新しい素材による太陽光発電「ペロブスカイト」を取上げ
ましまたが、今回は、風力発電です。

 風力発電方式は、旅行などすると山の方に、大きな風車が回っているのを見る
ことがあります。 かって、青森県の日本海側を北上した折、深浦町の椿山白神
展望台に登った時に、眼前に大きな風力発電のプロペラが回っていました。
 で、風力発電には、このような陸上設置型のものと、海洋型、つまり海に風車を
建てて発電する方式があります。そして、この洋上風力発電方式には、本体を海底
に固定する「着床式」と海底には固定しないで、本体は海面に浮いた状態で流され
ないようにチェーンようのもので海底に固定する「浮体式」の二通りあります。

       海洋型風力発電
        (ネット画像より)

 ここで、取り上げましたのは、まだ開発要素が多いとのことですが「浮体式洋上
風力発電」を取上げました。

 文末のyoutubeは、今年2月に全長130mの「浮体式洋上風力発電所」の立つ瞬間
(2023年2月5日)の動画ですが、この事業は次のように計画されています。

    五島市沖洋上風力発電 台船に積み込まれた浮体(2022.10)
        (戸田建設より)


 事業名称:五島市沖洋上風力発電事業
 事業主体:五島フローティングウィンドファーム合同会社
 出資者:戸田建設、ENEOS、大阪ガス、INPEX、関西電力、中部電力
 発電設備:浮体式洋上風力発電、全長176.5m、ローター径80m
 出力:16.8MW(2.1MW×8基)
 供給価格:36円/kWh 工事開始:2022年9月 運転開始:2024年1月(予定)
 事業終了:2043年12月(運転停止予定日)

 しかし、今年3月には地上ヤードで製作中の2基に浮体構造に不具合があったこと
を受けて、約95億円の減損損失を計上するとともに、改修や再製作が必要とされて
います。この9月に運転開始を2026年1月(予定)に修正されました。


 2022年12月には経産省資源エネルギー庁では、「洋上風力発電は、①大量導入、
②安価な電力、③大きな経済波及効果が期待されることから、再生可能エネルギー
の主力電源化に向けた切り札。」としてその推進を図ると共に、日本国内だけで
なくアジアの需要を取り込むなど将来の市場獲得に向けた次世代技術開発を戦略的
に進めていくことが重要だとしています。

 また、久留米大学経済学部教授 明石健吾教授によれば、「我が国は、四方を
海に囲まれ、その有するEEZ(排他的経済水域)は世界第 6 位であるなど海に恵
まれた国である。海洋には未利用かつ膨大な風力エネルギーが存在しており、洋上
風力発電は我が国に適した再生可能エネルギー分野の一つであると考えられる。
着床式洋上風力発電で先行する欧州と異なり、我が国には着床式洋上風力発電に
適した水深の浅い海が少ないため、浮体式の洋上風力発電の普及が期待されるとこ
ろである。」と、将来を目指して取り組んでゆくべきと述べられています。

      風力発電の仕組み (ナセルの中に発電機などが入っています)
       (エナジーシフトより)

 しかし、今年4月の情報では、事業者候補の東急不動産が津波対策などの費用が
かさむなど採算の取れないことを理由に撤退し、前田建設工業は下関市の安岡
(横野)沖洋上風力発電(風車12基、総出力:6万kW)の建設撤退を決めるなど、
大手企業の撤退が相次ぎその前途は厳しい状況にあるようです。


 この背景には、浮体式洋上風力発電の普及に向けて、風車や浮体など設備に関
する更なる技術開発が必要である他、施工や運転保守に関しても多くの解決すべき
技術的課題がある。さらに、事業性の確保、大量導入と低コスト化に向けて港湾等
のインフラが必要であり、また、漁業を始めとする他の海域利用者など利害関係者
との調整という課題があげられています。

             

 しかし、会報記事の小林慶一郎氏(慶応義塾大学経済学部教授)が述べられて
いるように、日本国として具体的な目標を設定して未来を見据えた戦略的取組が
必要であろうと思うのです。
 小林氏の言葉から・・「浮体式風力の技術的なハードルは多いが、風力エネル
ギー賦存量が、現在の人間社会の一次エネルギー使用量に匹敵するかもしれない
という巨大なポテンシャルを考えれば、幾度かの失敗であきらめることは到底合
理的ではない。」「要素技術はすべて既に産業界に存在している。技術的困難が
克服されれば、浮体式洋上風力とその関連産業は、日本経済を支える大きな産業
分野に育つ可能性を秘めている。」
 「現在の視点から出発し、現状の技術の改善と修正に終始するリスク回避的な
経営では、持続可能なカーボンニュートラルな社会を作ることはできない。未来
の視点から発想して意思決定することが必要である。2050年の未来にどのような
産業や社会が実現しているべきかをイメージし、そこから逆算して、今行うべき
政策を構想する『フューチャー・デザイン』の発想が日本を持続的な社会に変える
ために必要とされているのである。」 と締めくくられています。

 小林氏の記事の中に、アメリカでの宇宙開発『アポロ計画』の下りがあり、困難
といわれたアポロ11号月面着陸が無事成功したのは、その実現を明確に約束された
からに他ならない・・とあり、未来計画に対する国家戦略的意思決定の必要性が
述べられているように思いました。

 

 

 

“海に浮かぶ発電所”エネルギー危機救うか 全長130m「浮体式洋上風力」立つ瞬間(2023年2月5日)【山口豊アナが見たSDGs最前線】

 

 

 

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駒込界隈  (bon)

2023-10-07 | 日々雑感、散策、旅行

 朝からスカッと晴れた、昨日(10/6)の午後、JR山手線 駒込駅で落合い、周辺
を散策してきました。 ちょっと風は強かったですが、直近までのあの激しい暑さ
は影もなく、木陰と日向を次々歩いていると丁度いい秋のお日和、湿度も低くとて
もさわやかでした。

        JR駒込駅ホーム(ツツジの頃は、とても奇麗です。)
         

 駒込は、あまり来ることはありませんが、それでも、ここには、 『特別名勝
六義園』があり、40年前頃には、この近くに住んでいたこともあり、何度か来た
ことがありましたが、改めて来てみると、新しい発見など新鮮な感じで、金曜日の
午後でもあり、桜ももみじもない季節ですから訪れる人も少なく、園内は、しっ
とりと落ち着いた緑の庭園を独り占めするような感じでとても満足できるもので
した。

  


  

 来月に予定している、園芸友の会例会での訪問下見を兼ねた行動ではありました
が、ビル群に囲まれて、本郷通りや不忍通りはさすがに車の洪水ではあるものの、
園内の静寂とその景観はかえってコントラストがクッキリと浮き彫りされていて
印象を一層深めているのでした。

               

 5年前より、右腰から足に掛けて鈍痛が始まり、近くの整形外科で脊柱管狭窄症
と診断され、ずっとリハビリを続けていましたが、最近、右足に痛みが出てきて、
歩行が思うに任せない日が続いていて、この日も、自宅の中では大した痛みも感じ
ていないのですが、やはり戸外の道路を歩くには痛みが伴い、歩行速度はこれまで
の倍以上遅くなっています。 そんな状態でしたが、時間には十分余裕を持ち、
かって登山用に使用していたステッキを持ち出し、“杖を突きながら”の散策と
なりました。

 不自由で、同行の人にも迷惑をかけましたが、無事に下見も出来ましたし、秋の
午後をその昔、徳川五代将軍に仕えた柳沢吉保の思いのこもった庭園にしばし身を
置いた安らぎをいただいてきました。

 レンガ塀             本郷通り
  

 

 

 

Tres Lagrimas

 

 

 

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ウエブサロン(15) (bon)

2023-10-05 | 日々雑感、散策、旅行

 あの猛暑の夏もここにきてようやく秋らしくなってきました。  昨日の関東は
朝から曇り時々雨のひんやりとした10月4日、蓼科浪漫倶楽部の仲間のオンライン
談話会「ウエブサロン(15)」が14時からありました。

 すい臓がん治療の途上にあるK君のその後を気遣う皆は、今回のサロンを待ちわび
ていたのです。 前回の開催が7/2でしたから、あれから
3か月も過ぎていて、途中
8/5には、彼は肺炎がようやく落ち着いて退院してきたばかりの時にメール交換した
だけでしたので、皆はその後の経過が大事ないと思いつつ気にかかっていたのでした。

        参加メンバー (関東3、関西4)
         

 ところが、サロンが始まるやオンライン画面に映る彼の、元気なふくよかとも見
える顔を見た時、みんなの心配はアッと吹き飛んでしまいました。 しかも、画面
の背景にはあの懐かしい蓼科農園をはじめ付近の見覚えのある景色を配していたの
です。聞けば、少し前にこの地を訪ね4年前までの農園跡地を確認したのち温泉に
身を委ねる、短いながらも静養を楽しんでいたのでした。 発言を聞いていると
『本当にすい臓がんなの?』と聞きたくなるほどの元気さでした。

 現在は、抗がん剤飲み薬を朝夕2回服用し、毎週火曜日に通院検査を受ける状態
であるそうです。抗がん剤による副作用は、ほとんどないようで、食欲もあり気分
も快調とのことですから、安心を通り越して強い運の持ち主であることが証明され
ていました。 ただ、病に立ち向かう彼の強い信念と治療の悪化を防ぐべき真摯で
ち密な行動が幸運を引き寄せているのだと感じたのでした。

        別の時間帯では・・
         

 

 今回のオンライン参加の面々には 彼の他、最近やはりすい臓がん手術に成功した
人、胃がんで摘出手術をした人、乳がんで手術をした人、心臓の大手術をした人
等々、年齢からすればやむを得ないのかもしれませんが、しかし、このようにオン
ラインサロンの参加を、パソコンやスマホから実施できていることはある意味凄い
仲間であると改めて認識した次第です。

 乳がんを手術した彼女は、3%くらいといわれる後遺症『リンパ浮腫』が発症し、
初め右手だけが痛んでいたところ最近では左手にも痛みが出て、治療先探しと並行
しながらマッサージに通う日々を送っているそうです。しかし、その割には、とても
快活な話ぶりと行動には驚くばかりです。 こんな中にあって、コンサートや展覧会
などにも出かけたりの明るい活動は聞く者にとってもうれしい励みとなってくるの
です。

                  

 どうしても病気の話題が先行しましたが、コロナ前までは、16年もの長い期間、
蓼科の地で農園に楽しんだ仲間であるのです。この仲間は、高校同期(10期生)で
構成されていますが、高校時代には、それほど仲が良かったということでもなく、
むしろ蓼科農園でその絆がぐっと深まったといえるかもしれません。

 もっとも、高校卒業50周年を期して、同期同窓会組織を立て直し、定期的に同窓会
活動を展開してくれた幹事諸兄の活動の賜物と感謝すべきであり、このオンライン
には2名の幹事役がメンバーとなっていて、さらにそのお2人は高校全体同窓会の
学年代表としても活躍されているのです。

 で、話題の中に、来年5月20日(月)に同期同窓会を開催するとの日程だけはすで
に公表され、このサロンでも近く幹事会を開いて場所決めなど開催準備に取り掛か
るとの方向付けがありました。メンバーからは、駅から近くが良い、できるだけ歩く
距離が少ない方が良い‥など勝手な注文が出たりしていました。

              

 メンバーの一人は、東京江戸川河川敷公園のベンチから気転を利かせた参加で、
スカイツリーがすぐ見えるところだそうですが、時折の小雨に傘をさしながらの参
加でした。デジタル環境の中に一服の清涼に似たさわやかさを呼び込む効果があっ
たようでした。 公園よし、観光地よし、温泉など参加場所は自由に選べるのですね。

                  

 今後の開催は月いちとし、第3日曜日を候補として開催日を決めました。 
14時に始めて2時間半にわたるオンラインは楽しいうちにお開きとなりました。
お疲れさまでした。 
 
 では、また次回をお楽しみに・・。

 

 

 

Bert Kaempfert - Wonderland By Night (1960) 4K

 

 

 

 

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ヒガンバナ  (bon)

2023-10-03 | 日々雑感、散策、旅行

       『44本 日本人初 大谷 本塁打王 大リーグ』
          今日の読売新聞朝刊の1面トップ見出しでした。

 

 お彼岸の頃に咲くヒガンバナですが、わがベランダでは今年は少し遅れて咲きま
した。福井での「山友の集会」から帰ってくると(9/29)咲いていました。そういえ
ば、キンモクセイの花は、枝に小さなつぼみらしきものがありますが花の気配がなく、
ハナミズキの赤い実もまだ早い感じ・・。

 今年は皆何しているのかしら? と一瞬思いましたが、どうやら猛暑が激しかっ
たし、その猛暑が遅くまで続いたため、植物にとってもそれだけ秋の到来が遅れて
しまっているのかも?

 ベランダのような環境でないところでは、ヒガンバナなどの便りも例年通り聞こえ
てきていたことを思えば、まさしくそこに原因がありそうだと・・一人合点してい
るところです。

        遅ればせながら ヒガンバナ(白い花はタマスダレ
         

                アップしました。
               

 

 昨年(2022年)10月の初めの方の拙ブログ記事を見ますと、「ベランダでは」
(10/1)に、これらの植物の状況をそれぞれその特徴を挙げて記されていました。

 キンモクセイは既に9月下旬から満開となっていたようで、ハナミズキやヤマボ
ウシには赤い実が付いていましたし、ススキの穂はもう出ていたのです。  で、
ヒガンバナは先月下旬からしっかりと咲いていましたし、タマスダレはもう終わり
近いとありました。

 今年のそれらは、ススキの穂はまだまだのようで、これから穂先が延びてくる段階
のようだし、タマスダレは下旬から今頃まだ元気に咲いてきています。ハナミズキ、
ヤマボウシには確かに実は出来てきているものの、未だ赤い色づきまでには至って
おらず、秋の到来が遅れているのが原因のように思われます。

 ミカンは、春先には無数?と思えるくらい良い香りを放ちながら「♬ミカンの花が~」
のように咲いていましたが、今青い実が出来ているのは、たったの2つです。それ
でも、この過酷な環境を乗り越えてきたのかといじらしくさえ思えるのです。

 綿の実(コットンフラワー)の出来栄えは、昨年と同じように夏の暑さにはあまり
影響されていないようです。

        コットンフラワー(綿の実)
         


 ところでヒガンバナについて、改めてネット調べをしてみましたらいろいろとあり
ました。

 ヒガンバナは、ヒガンバナ科の多年草で学名を Lycolis radiata (リコリス・
ラディアータ)といい、中国が原産のようです。日本には縄文時代あたりに渡来した
帰化植物とされています。 水田などの耕作地や人家周辺、寺社や墓地、河川周り
など人が生活を営む範囲に多く自生する、いわゆる人里植物とよばれています。

 それだけに地方ごとの呼び名(方言名)が多くあり、その数は600とも900とも言われ
ているとありました。赤い花を指す梵語に由来した「曼殊沙華」は広く呼ばれてい
ますが、「しびとばな」や「じごくばな」など墓地に植えられることが多いことや、
根に毒があることから忌み嫌われていることもあります。
 しかし、最近では、球根が園芸店で販売されたり、ヒガンバナの群生が観光地と
して登場するなど人気が出てきてもいます。

 球根に毒性を持つことから、雑草除けに田んぼの畔に植えられたり、ネズミや獣
除けとして、墓に植えられたりしたそうです。

 ヒガンバナの一年を見ますと、9月頃ニューッと花茎が延び、独特の花が咲きます。
そして、10月頃には花茎が倒れて地際から葉っぱが出てきます。濃い緑色の葉っぱ
は地表で茂り茎は出ないのですね。冬の間にたっぷり日射しを浴びて生長し、球根が
分かれて数が増える。5月頃に葉っぱが枯れて、球根の状態で夏季は休眠に入るの
です。そして、9月頃に休眠から覚め、花茎を長く伸ばし花を咲かせるというサイ
クルを辿ります。
           
           
 球根は正確には葉っぱと茎が変化したのもので、鱗茎と言い、身近なものでは、
タマネギやニンニク、ラッキョウなども鱗茎ですね。

        球根が増え過ぎて、花茎が出てこない・・
           
          

 日本に自生しているものは殆ど3倍体で、これはタネを結ばない品種なんですね。
動物では、一般に、両親からそれぞれ1対の染色体を受け取り2対の染色体を持つ
2倍体です。 しかし、植物の場合は、自然状態でもn倍体のものが存在する上、
人工的に性質向上のため3倍体、4倍体の個体を作っているのです。 
 偶数倍体では実や種が多くなり、奇数倍体では逆に少なくなるという性質がある
そうです。一般に偶数倍体は基本倍体の個体よりも大きく育つ傾向にあるそうです。
4倍体の代表にジャガイモがあります。ブドウの巨峰やピオーネなども4倍体だそう
です。

 原産地とされる中国にはタネを付ける2倍体とタネを付けない3倍体の個体がある
とあります。中国原産の2倍体は3倍体よりも全体的に小さく、コヒガンバナと呼ばれ
ているそうです。

 ヒガンバナの仲間には、ショウキラン、ナツズイセン、キツネノカミソリなどが
あります。子供の頃、大阪では(或いは我が家だけかもしれませんが)ヒガンバナ
のことをキツネノカミソリと呼んでいました。

 最近白いヒガンバナを見かけますが、これは、シロバナマンジュシャゲといい、
ヒガンバナとショウキランが掛け合わさった雑種ではないかと言われているそうです。

                 

 昨年の拙ブログの10月初めころを見ていると、10/5には、ススキの穂が伸び、空
は澄み渡り、シジミチョウが飛び交い、その風に秋を感じ、また、それまでシャワー
で過ごしたお風呂は、湯船にお湯をはり、肩までつかるスタイルに・・、更には熱い
紅茶の香りにも秋を感じたとありました。

 さらに、ノーベル賞の授与が始まる頃で、昨年(10/7)のノーベル平和賞には、
「ウクライナ人権団体、ロシア人権団体そしてベラルーシ人権活動家」の2団体1個人
に授与されると発表があり、大きな反響を呼んだとありました。 ノーベル賞選考
委員会の配慮も空しく流れ、未だに無益な戦いを強行する国がいるのです。

 今年のノーベル賞の行くへにも、興味がそそがれます。

 そういえば、9/27の早朝6時ころに南の空に大きな虹が出ていました。最近では
このような大きな虹を見かけることはなかったですね。

 朝は肌寒くなりました。

 

 

 

戀の曼珠沙華

 

 

 

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