先だってのニュースで、フランスからイタリアへ飛ばしたニュートリノが光速より早く飛んだと報じられていた。
へえ~、光より速く飛んだんだ! あのモンブランの山の下を飛んだんだ・・・。
これは、アインシュタインの特殊相対性理論でいう、光より速く進む質量を有する
物体は存在しないという現代物理学の基本を根底より揺るがす事件だという。
その真偽のほどは更に確かめられるというが、過去3年にわたる実験結果がそういう
のだから先ず間違いないだろう。
フランスからイタリアまで・・モンブランのはるか地中を・・(ネットから)
このことを先日テレビで、視聴者に分かり易く・・・ということだろうが、
その解説で「光よりちょっと遅いロケットがあったとして、そのロケットに時計を
載せて測ってみたら、光が到着する時間よりちょっと遅い時間で到着する。
もし、光と同じ速度のロケットならば、光が到着する時間に対して全く遅れがなく、
遅れ=0となり時間は進んでいないことになる。 もし、このロケットが光より速く
飛ぶといえば、この時計はマイナスとなり、少し未来に行く・・・」そんなことを
図解して説明していた。
・・・この解説に混乱してしまった。
つまり、この解説でいうのは、光に対して相対速度であることは容易に理解でき
るが、それが現実界での「未来」という表現が災いした。 もしそうなら光が進む
速さが即ち現世の「時間」であるということになるのであろうか?
光は粒子であるとか波動(電磁波)であるとか、これら両方の性質を有している
ということは理解できていたけれど、それが、その速度が「時間」であるという概
念は、さっぱり理解できないでいる。
このようなことが未消化のまま・・・「時間というのは何か?」という根本的な
疑問が湧いてきてしまった。 時間という概念を、3次元空間に更に時間軸を加えて
4次元空間、4次元の世界などとこれまで言ってきた。すなわち、ある空間が時々刻々
と変化して(動いて)いるということだ。 同じ空間にいても、昨日と今日は時間軸
が進んでいることによって違う空間にいるということになる。昨日と違った何かが
起こっているかもしれない。
子供の頃と年をとってからの時間の速さの感覚は随分違うように思えるのは誰にも
同じである。7歳の子供の1年は、7分の1年であり、70歳の人の1年は70分の1となり、
計算上では10倍速いことになる。
先に、このブログで「ゾウの時間ネズミの時間」を取り上げたが、これは生物学的
な面から動物の体重にそれぞれの時間が比例(3/4乗に比例)しているといっていた。(本川氏)
時間とは何なのか?
昔から時間を計測する道具が発明されている。太陽の影移動を利用した陽時計や全く
違う原理を用いた砂時計もある。ある瞬間からある瞬間までの時間を計測している。
時間の最小単位はあるのか? 1秒?0.1秒? 0.0001?・・・ 時間は連続量だから
細分化には限界がある。
先ほどは、年齢による時間の感覚や生物学的な時間の概念に触れたが、宗教界・・
たとえば仏教の世界にも時間概念は当然存在していて、物事はすべて移ろいゆくもの
であり、不変な存在などない「諸行無常」が根本的な認識である。
昔話の浦島太郎が、竜宮城にいる間に現世との時間差が生じ、この世に戻った途端
に白髪の老人となってしまった。
あぁ~、時間とは何か? ますますわからなくなってきた・・・。
時計をとめて