蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

お受験  (bon)

2017-01-30 | 日々雑感、散策、旅行

 もうかなり前に、“お受験(おじゅけん)”とか“公園デヴュー”などという言葉を聞いた
覚えがありました。小学校や さては幼稚園に入学する試験を突破するための親の活動を、
皮肉交じりで言った言葉かと思っています。 このような事態は、幸い経験がないまま、既に
下火となっているのかと思っていました。

 ところが、先頃(1/28)の、読売新聞朝刊1面の広告欄を見てギョッとしました。

  『 お受験・英才教育の真実 天才・奇才のつくり方 

     ・他誌では読めないー小学校新序列マップ
      ・志願者数/内部進学状況/寄付金/学費 最新お受験データ&ランキング
      ・大図解―名門小学校の試験傾向一覧 
      ・子供たちの素顔&各校別ライバル・併願先

     1/21号 週刊 ダイヤモンド(ダイヤモンド社) 

 

          (ダイヤモンド社HPより)

 


 あぁ、このような小さな子供の世界にまだ競争が残っているのか!  しかも、
キャッチ
コピーの表現に“天才・奇才の
つくり方”とあり、そこのところがあまりにも人工的な
イメージで、子供をあたかもモノのように捉えられているように感じました。  最近、
IPS細胞を豚に移植してヒトに向けた臓器培養の研究成果が報じられていましたが、とも
ども何やら殺伐とした雰囲気を感じたのでした。

 「週刊ダイヤモンド」といえば、ウイキペディアによれば、1913年(大正2年)に経済月刊
誌として創刊された由緒ある雑誌とあり、数ある週刊誌とは一線を画している? などとも
思っていました。
 しかし、どうやら、昔の“お受験”が、今もなお活発に息づいているのですね。 雑誌の
内容は読んでいないから分かりませんが、サブタイトルや広告の見出しから、かなり過激な
状況を推測してしまいます。

 ネットを見ていますと、様々なサイトが目に止まりました。 一例として・・

 ○小学校受験新聞 http://www.jyukennews.com/

 ○お受験インデックス  http://www.ojyuken-index.com/primary.html

 ○お受験じょうほう  http://www.ojuken.jp/

等がありましたが、学校紹介、試験傾向、費用ランキングなどが掲載されているようです。
お受験ママのファッションなどのサイトもありました。

          (ネット画像より)
 

 そもそも、お受験とは何だったのか? ネットにありました。
『バブル経済期の1980年代以降、小学校受験ブームが到来した。 バブル崩壊によりブームは
一時的に沈静したが、ゆとり教育への危機感から「学力指導への期待」「地元の公立小学校へ
の不信」「激化する一方の中学受験のあり方への疑問」等、公教育や中学受験への不満を背景
に2000年頃から再び小学校受験熱が大きな高まりをみせている。』

 『学校側も少子化への危機感から学校の門戸を幅広い層に広げる必要があり、少しでもよい
環境で子供を学ばせたいと願う親の熱意と相まって、首都圏や関西圏の一部では小学校受験は
珍しくない光景となっている。特に受験が盛んな渋谷区や千代田区、文京区などでは就学児童
の4割超が国私立小に進学する地区もみられる。』

 『2006年から関関同立が相次いで小学校を開設することで関西の私立小ブームに火が点き、
関東でも第二慶應幼稚舎の2011年開校を控えて私立小への注目の更なる高まりが予想されてい
る。これら以外の有力私学も、早い段階での生徒の確保、高い学力レベルの維持、運営資金の
獲得、ブランド力の維持などを目的に小学校開設を計画しており、その成否が自校の存亡に関
わる問題と考えている』

 また、小学校受験に対する批判記事もありましたが、その中の一部に次のような下りがあり
ました。
『・・・アメリカのワシントン・ポストは小学生受験に熱中する親を批判、子供たちは本当に
有名小学校に入りたいのだろうかと批判。日本はアメリカと違い飛び級制度がなくエリート
コースに乗るためには有名高校・中学・小学校に入ることが義務つけられていると説明。その
うち日本のエリートは産まれる病院のベッドの段階ですべてが決まるようになるだろうと皮肉
った。』

 松竹映画、『お受験 OJUKEN』もあったのですね。滝田洋二郎監督、矢沢永吉の映画初主演
作品で1999年に公開されたとありました。

 

 

 

 

 

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浪漫倶楽部 in 日本橋 (bon)

2017-01-28 | 日々雑感、散策、旅行

 蓼科浪漫倶楽部の活動は、春4月下旬から11月中旬までの蓼科農園での畑仕事が中心です
が、この度は、丘?に上がって、東京駅前 日本橋「DEN」にて、東京メンバ―による新年会
がありました。 昨年は、六本木の・・イタリアン「ニコラス」(ブログ2016.1.14)でした
から、これも恒例になりそうです。 
 今回の懇親会場「
DEN」は、八重洲通りのブリジストン美術館の筋向かいなのですが、
目当てのブリジストン旧本社ビルが取り壊されていたのには、改めて時の移りを覚えるので
した。2015.5に工事が始まったといいますからざっと2年前・・ということで、この界隈に
久し振りということになります。

 今年最初の顔合わせとなりました、今回の懇親会は、あいにくKさんが所用で欠席となり、
5人の畑メンバーとなりました。昨年11月中旬の“畑じまい”以降の再会で、まだ2か月ぶり
というのに、シーズン中は月
1回のペースであったことや、年をまたいでいるせいか、ずい
ぶん久しぶりの感じで どことなく懐かしくさえ思いながら、今年の抱負や意気込みなどを
語りあい、おいしい和食に満足しました。
 食後は
pookyさんの蓼科浪漫倶楽部スライドが上映され、あわせて、これまでの収穫祭
などのオートスライドを大画面で見ながら、懐かしい思い出話に盛り上がりました。

DENにて              pookyさんのプレゼン
 

 

 この日、早めに 午後 pookyさんと待ち合わせて上野公園を散策しました。
話がちょっと長くなりますが、お天気も良く暖かかったので、その模様を・・。

 来月3日の“東期会新年会”で、JR上野公園口の集合から懇親会場「伊豆栄不忍亭」まで
の行程を確認するのが目的でした。 当日、上野駅公園口集合でそのまま懇親会場へ直行と
いうのはあまりに無粋な感じがしますし、時間的にも少し余裕をとってあるので、久しぶり
の上野公園をちょっと立ち寄りしたりする相応しい場所がないか? さりとて、寒い時期
でもあり、あまり長距離を歩くのもどうか・・ そんなことを思いながら、とりあえず
上野寛永寺方向に歩いてみました。

         国立科学博物館前の巨大クジラ
          

 

 東叡山寛永寺(根本中堂)が本命かとも思いましたが、 ここは国立博物館の北隣の
平成館を横切ったまだ先、つまり、谷中に近いところにあるので、すでにここは見送り、
寛永寺開山堂(両師堂)へ・・。慈眼、慈恵両大師をお祀りしたところですが、境内は
やや小さくスポットになるものがないようで、それに懇親会場とは正反対の方角にある
ので、当日の候補にはなりにくい・・そんな風に思いました。

 国立博物館は、ちょうど「春日大社 千年の秘宝」の開催中で入り口付近は賑わっていまし
たが、その前を通り、東京都美術館横を通り抜けて、動物園正門を過ぎ、上野東照宮に向か
いました。参道の灯篭や五重塔など見どころがあり、もし時間的に許されれば内部見学も
可能だと思われました。参道入口には“冬ぼたん園”が開催中で 風情が感じられました
が、入園料700円とあり、会費からの支弁は無理そうで割愛?かもしれません。

        動物園入口反対方向
          


上野東照宮唐門              参道
 

 

 そんなことを思いながら、東照宮を後にして、上野精養軒を右に見て、不忍池に下りて
きました。途中、五条天神社では、紅白梅が満開でした。 ついでに不忍池弁財天に足を
延ばしましたが、お堂の横の広場、池のほとりでは、鳩、ゆりかもめが飛び交っていました
ので近づいてみると、なんと、手のひらに乗せた米粒をスズメが集まってきて、手のひらに
止まりながら、あわただしくついばんでいるのです。見ると、目の前の木に、すごい数の
雀がいて、忙しく飛び回っていました。 あの野生のすばしこいスズメが、ヒトの手に
集まる姿は何ともほほえましい光景でした。

       手のえさをついばむスズメ(慌ててピントが・・)
  
 

 不忍池に沿って、目的地・・懇親会場を見届けて、念のために「旧岩崎邸庭園」まで
歩いて場所確認を終えました。途中ぶらぶらしながらでしたが、約2時間の散策は、程よい
疲れを感じ、そのまま、JR御徒町から東京駅に向かい浪漫倶楽部メンバーと合流しました。

         冬の不忍池
           
 

 畑談義のほか、話題のトランプなどにも、それぞれの思いが語られ論客のテーブルは
いつものように盛り上がるのでした。 会の後、まだ冷めやらない面々は、東京駅地下の
ティールームでお茶して、楽しい一日が終わりました。

 

 

 

 

 

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文化財  (bon)

2017-01-26 | 日々雑感、散策、旅行

 今日1月26日は、文化財防火デーなんですね。

 この日を前に、一昨日(24日)には、昨年の映画興行収入トップのアニメ映画「君の名
は。」の聖地巡礼の主要スポットである新宿「須賀神社」(四谷三丁目)で、消防訓練が
行われたと報じられていました。 全国各地で、この日にちなんで防災訓練が行われ、広く
一般に文化財愛護に関する意識の高揚が図られています。

        文化財防火デー ポスター
            (ネット画像より)


         須賀神社(新宿区)
          (須賀神社HPより)

 

 文化庁HPから要約しますと、今から68年前、1949年(昭和24年)1月26日に,現存する
世界最古の木造建造物である法隆寺(奈良県斑鳩町)の金堂が炎上し,壁画が焼損したこと
に端を発し、翌昭和25年に文化財保護の統括的法律として文化財保護法が制定されました。
 その後,昭和29年11月3日に法隆寺金堂の修理事業が竣工したことを受けて,文化財保護
思想の一層の強化徹底を図るために普及啓発事業の一環として,法隆寺金堂の焼損した日で
あること,1月と2月が1年のうちで最も火災が発生しやすい時期であることから,昭和30年
に,1月26日を「文化財防火デー」と定めたとあります。

 昭和30年の第1回文化財防火デー以来,毎年1月26日を中心に,文化庁,消防庁,都道府県・
市区町村教育委員会,消防署,文化財所有者,地域住民等が連携・協力して,全国で文化財
防火運動を展開して来ているのです。
 60年もの歴史があるにもかかわらず、あまり知らなかったとは申し訳けない限りです。

 この際、文化庁HPを繰ってみると、文化財とは、『我が国の長い歴史の中で生まれ,はぐ
くまれ,今日まで守り伝えられてきた貴重な国民的財産です。このため国は,文化財保護法
に基づき重要なものを国宝,重要文化財,史跡,名勝,天然記念物等として指定,選定,
登録し,現状変更や輸出などについて一定の制限を課す一方,保存修理や防災施設の設置,
史跡等の公有化等に対し補助を行うことにより,文化財の保存を図っています。・・・
さらに,我が国を代表する文化遺産の中から顕著な普遍的価値を有するものをユネスコに
推薦し,世界文化遺産への登録を推進しています。』とあります。

 文化財保護法は、上記の通り、昭和25年に制定され、この施行に合わせて、前身である
史跡名勝天然記念物保存法(1919年制定)、国宝保存法(1929年制定)及び重要美術品等ノ
保存ニ関スル法律(1933年制定)は廃止されました。

 このような流れにある文化財は、有形、無形文化財に分けてそれぞれ対象が定められて
いて、無形文化財としては、先のブログ記事“和食文化”(2017.1.12)にありますように、
歌舞伎、能、文楽などの古典芸能や民俗芸能が中心で、茶の湯、生け花,香道などはこれ
まで、日本の文化財保護法の対象にはなっていなかったために、“和食文化”は、日本の
文化財保護法下の重要無形文化財指定を受けないまま、いきなりユネスコの世界無形文化
遺産登録(2013.12)がなされたのです。これを機会に、今後は、これらの無形文化財も
対象に含めて管理するそうです。

 この時季、大気は乾燥しています。
文化財ともども、身近な火の周りにも注意したいものです。

 

 

 

 

 

 

 

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驚愕と不安  (bon)

2017-01-24 | 日々雑感、散策、旅行

            日本列島は雪に覆われています。鳥取では、200台以上の車が
 
       立ち往生しているという。北海道上川地方では、昨朝の最低気温
        氷点下31.8℃(占冠村)を記録しています。
        稀勢の里がようやく、明日正式に横綱昇進が決まるようです。

 

 このところ連日、新聞紙面の多くを割いてトランプ関連の記事が報じられています。
まったく厄介な人が、大国の指導者になったものだと多くの人が気をもんでいるので
しょう。
 米国内のあちこちで、世界中で抗議・反対デモが起こっていたり、困惑を隠せない
各国首脳もいます。

 子供のころ、学校内で、勉強はあまりできないが喧嘩が強く、家は裕福な どうしよう
もない腕白がいたりして、それを取り巻くグループが幅を利かしている・・そんな光景が
ありました。会社でも、自論を押し通す兇漢がいたりもしますね。ことごとく先方針を
覆すことで新しい改革であると自負する軽薄な指導者を見たりしたこともありました。
どちらも、学校という枠の中での話、会社の一部組織の中でのことですが、これが、
ワンマン軽薄社長などに至っては、しばらくは手が付けられないでしょうね。ましてや、
大国の指導者ともなれば、だれがこれを諫めることができるでしょうか? 短慮な自論を
展開しながら、近視的な損得判断、しかも、暴言を隠さずの振舞に、今や世界中の驚愕
と不安を引き起こしているのですね。

 外国に雇用が奪われているとする製造業の国内移設、貿易の保護主義政策により回復
させるという論理自体に、私でさえ疑問を感じるのです。 製造業は、急速な機械化
(自動化)により雇用の減少があり、移民による雇用は、むしろ機械化(自動化)が及
ばない零細な部分やその他賃金のより安い雇用として選択された結果ではないのでしょ
うか? そうだとすれば、強制退去させた移民に代わって地域の雇用を当てたとすれば、
賃金の問題、そしていづれ製品価格への転嫁となり、市民はより高い製品を購入すること
になる・・そんな矛盾に入ってしまうのは自明であると思うのですね。  今の時代は、
国際分業の時代としてバランスが保たれてきていると思います。 今朝のニュースでは、
TPP脱退の大統領令に署名したそうです。

         不毛
          (ネット画像より)


 保護主義、アメリカファーストの思想では、厄介な地球温暖化防止のための「パリ
協定」などは、まったく論外の施策でしょうね。 極端に言えば、ある程度産業を犠牲に
してまで、温暖化ガス排出を抑制してゆこうなどとする協定なんですから、もっとも嫌な
協定と映るでしょう。自国さえよければよい、地球のことなどいちいち考えておれるか!
国際協調? そんなの論外だ・・! しかし、その地球にいるのですよね。 

 もはや、相互扶助の概念、フィランソロフィーやメセナなどの思想は無縁とも感じら
れますね。

 

 老子の言葉に「無用の用」というのがあります。 車輪の真ん中に穴が開いていてこれ
は無用だと思ってはいけない、この穴があるから車軸を通して車輪として機能する、器の
中が空洞になっているが、これがあるために器として機能する、家は、中が空間だらけで
あるが、この空間が住まいとして活用される・・そんな、ことなんですが、つまりは、
物が有る部分だけが有用などではなく、物のない部分があって初めて用を足すことができ
るということなんですね。
 似た感じのことに、ハンドルの遊び、アクセルブレーキの遊び、
道路、砂浜などが例え
られます。道路や砂浜に立つとき、自分の足の部分があれば立つことはできますが、そん
な道路では怖くて歩けないし、砂浜では、足元が削られて立っていることもできない。
一見、役に立っていない部分があるが、それが必要なんだということなんですね。

 しかし、えらい人(厄介な人)を選んだものです。今や、ロシアや中国も穏やかではなく、
英国の出方によっては、欧州もバラバラになる可能性もあるなど、一人の人によって世界
中の秩序や経済のバランスが崩れてしまう不安がぬぐえないのですね。

「傍若無人」、おそらくは、この人がこれまで不動産業の世界で歩んできた処世術なのか
も知れません。

 「一将功成りて、万骨枯れる」の図式になりかねませんね。 


 

 

 

 

 

 

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緑茶  (bon)

2017-01-22 | 日々雑感、散策、旅行

       とうとうその日がやって来ました。 独立240年で培ってきた精神は
      どこへ行ったのか? 未熟としか言いようがないような・・。  新しい
      指導者を迎えて、支持率40%、反対デモの中の就任演説、前代未聞。

 

 突然ですが、お茶なんです。
 今朝(1/22)のテレビで、日本製の紅茶をやっていましたが、今回取り上げているのは、
緑茶なんですね。

 お茶は、中国で生まれ、奈良・平安時代に遣唐使や留学僧などが持ち帰って飲んだと記録
があるようですが、日本で定着したのは、鎌倉初期に禅宗を学んだ、栄西禅師(臨済宗開祖、
1141-1215)が帰国後、「喫茶養生記」を表し、飲み方や製茶法を普及させたのが始まり
のようです。京都を中心として全国に広まって行き、武家社会で特に重宝がられ、信長、
秀吉、家康なども宇治の抹茶作りを保護育成したとあります。

         (ネット画像より)
 

 高級品であったお茶を、広く庶民にも普及させたいと、宇治に生まれた永谷宗圓は、
1738年に、もっと簡単な製法で加工した茶葉を煎じた「煎茶」を編み出し、京都ばかりで
なく、当時の文化の中心であった江戸に出るのです。 永谷宗圓は、今の「永谷園」の祖で、
以来一般庶民への普及を一途に進めてきたとあります。幅広いお茶の間商品のほか、大相撲
の懸賞でも、多い時には一場所200本も掛けているとかで、お馴染みですね。

 そしてこの、宗圓のお茶が、山本屋(山本嘉兵衛)の目に止まり、「天下一」の名前で
販売し、爆発的な人気を博したそうです。これがのちの「山本山」なのだそうです。
“上から読んでも山本山、下から・・”の分かり易いCMのあれです。 この山本山は海苔も
扱っていて、「山本海苔」店と混同しやすいですが、まったく別の会社ですね。どちらも
日本橋にありますが。

 話はそれましたが、お茶の種類は、その発酵度によってそれぞれ違った特性を持ったお茶
が出来ています。緑茶は、不醗酵茶で、煎茶、玉露、かぶせ茶、番茶や中国茶があります。
この他、弱醗酵茶は白茶、単醗酵茶は青茶といい、ウーロン茶などがあり、発酵茶はご存じ
の紅茶があります。また、後醗酵茶は黒茶と呼ばれ、プーアール茶などがあります。
産地も、その昔の京都(宇治)から、全国的に拡大され、今や、静岡、鹿児島、狭山、
福岡、熊本・・など多くの地域で生産されています。

       お茶の全国主要産地
                  (農水省HPより)
 

 酒造会社から発行されている「健やかだより」にも特集記事として“体と心の栄養・・
緑茶”が掲載されていました。 また、ネットを繰っていましたら、公益財団法人世界緑茶
協会(World Green Tea Association)というのがありました。 財団法人から平成24年に
公益法人に移行し、所在は静岡市にあります。事業内容として、(1)世界の緑茶に関する
情報の集積及び発信として、日本茶の輸出促進、世界への情報の発信と集積など、(2)茶
文化の提案及び普及として、茶文化セミナー、講演会等の開催、緑茶に関する情報誌の発行
などを行っているとありました。


 毎朝起きて一番に口にする、淹れたての温かい煎茶の香りと味は、その日を元気づけて
くれるのです。


 

 

 

 

 

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駒場界隈  (bon)

2017-01-20 | 日々雑感、散策、旅行

 一昨日(1/18)は、日本民芸館創設80周年特別展、旧前田候爵邸巡りのお誘いを受けて、
真冬ながらそれほど寒さを感じない日射しを受けて駒場界隈の散策となりました。
駒場東大前(井の頭線)で待ち合わせ、東大構内の学食へ。これまで、学食は早稲田や立教
などにもお邪魔していますので、初めてのところでも何となく気安い感じで、年甲斐もなく
入りました。 まだ、お昼には少し早く、学生はパラパラでしたが、時間帯になるとかなり
混みあうような張り紙がありました。サラダを入れて640円也の学食を美味しくいただいて、
名物のイチョウ並木に出ると、授業を終えて食堂に向かう頭脳集団と真っ向からの擦れ違い
となりました。激戦を突破した連中も、他愛ない会話を交わし楽しそうでした。

東京大学(駒場)             イチョウ並木
 

 

 長いイチョウ並木を通り抜けて、駒場公園に入りました。旧前田侯爵邸を目指しましたが、
あいにく洋館は工事中で、和館のみ開館されていました。 昭和5年に、洋館に付属した
迎賓館として竣工した それほど広くはありませんが重厚な書院作りの近代和風建築は、
平成25年に重文指定を受けています。もともと前田家の本邸は、文京区本郷にありましたが、
関東大震災復興計画に関連してこの地に移転したとありました。  加賀百万石の系譜を
引く、第16代当主前田利為の本邸として(昭和4年)竣工した建物(洋館)だそうです。
洋館は、工事中で、その風貌を見ることはできませんでしたが、絵葉書では、素晴らしい
景観で、是非再度訪問したいと思いました。

駒場公園内の紅白梅            旧前田邸(和館)玄関
  


 駒場公園を取り囲むように歩いて、閑静な住宅地の中に、日本民芸館(本館と道路を隔て
て西館)がありました。水曜日でしたが、特別展開催中とあって、見学者も多く、賑わって
いました。

日本民藝館(本館入口)          同 西館
  


 この館は、柳宋悦の邸宅であったところを、民藝運動の拠点として、賛同者と共に1936年
に開設されたとありました。 「民藝」という新しい美の普及と美の生活化を目指し、
民藝運動を展開し、自らは、陶器、染織、木漆工、絵画、金工、網組など多くの塊集品をも
展示するなど積極的な活動を展開していた名残が感じられました。 素晴らしい美術品に混
じって、ちょっと気取った普段使いにもできそうな茶碗や、水差しなどには温もりが感じら
れるのでした。 棟方志功の力強い版画や写真に撮りたいような染織もありました。

 現役の頃、何度か東大構内のホールや講堂でのセミナー、発表会に来たことがありまし
たが、何十年も経って、まったくフリーな立場で学食やらキャンパス内をそぞろ歩くなど、
予期しない行動もまんざらでもない気分に浸りながらの散策に 充実したひと時でした。
駅前の小さな喫茶店でお茶してお別れとなりました。

 渋谷井の頭線コンコース(岡本太郎画)  渋谷交差点(宮益坂、左道玄坂、右ハチ公)
  




 

 

 

 

 

 

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二十日正月  (bon)

2017-01-18 | 日々雑感、散策、旅行

       20日といえば、今やアメリカ大統領就任演説に世界中が興味を
                  注いでいるでしょう。 このほか、20日は二十四節気の“大寒”で、
                  5日の“小寒”から、来月4日の立春までの“寒のうち”のちょうど
                  “中日”に当たる、一年でも最も寒い時季ですね。

 

   明後日、1月20日は、昔は、“二十日正月”というのがあったそうです。旧暦の1月20日の
ことで、この日をもって正月の行事は終了する節目の日とする地域が多かったそうです。
ウイキペディアには、「京阪神地方では、正月に用いた鰤の骨や頭を酒粕・野菜・大豆など
と一緒に煮て食べることから骨正月・頭正月とも言う。他の地方でも、乞食正月(石川県)、
棚探し(群馬県)、フセ正月(岐阜県)などと言って、正月の御馳走や餅などを食べ尽くす
風習がある。」とありました。  お正月の豪華食事に比して、貧弱な食事を“乞食正月”
などと表現するのも面白いですね。
 でも、このような行事は、全く知りませんから、もうずい分昔のことなのかもしれません。 
小正月というのは、聞いたことがあります。 1月15日に行う行事で、元日から7日までを
大正月といい、15日を小正月といっていて、農作祈願などが行われていたそうです。小豆粥
を食べるなどの習慣もあったといい、お正月に働いた労いとして、“女正月”などという
地域もあったようです。今でも、カレンダーには、表記されていますから、何かしている
地域もあるのかもしれません。

 沖縄クリップという、HPを繰ってみますと、沖縄では、現在も「二十日正月(ハチカソー
グァチ)」という、お正月の祝納めをする伝説があるそうです。 その日には、那覇市の
辻町一帯で「ジュリ馬行列祭り」を見ることができるのです。
ちょっと長いですが、いわれ等をコピペしてみます。

         ジュリ馬行列祭り
          (沖縄クリップより)
 

「“ジュリ”とは沖縄の方言で=尾類(遊女)のことで、琉球時代、那覇には、辻(チージ)、
仲島(ナカジマ)、渡地(ワタンジ)と呼ばれる三大遊郭地域がありました。ジュリ馬行列は、
辻の各遊郭から選ばれたジュリたちが、華やかに着飾り、馬の頭の飾りものをつけ、“ユイ
ユイ”と威勢よく声をあげながら、道路を練り歩くお祭りのことです。かつては『那覇大綱
挽き』『那覇ハーリー』と並んで那覇三大祭と呼ばれていましたが、1988年を最後に 公娼
制度を認めるものとして女性団体から反発され、以来1999年までの12年間途絶えていました。
しかし、地域の伝統を継承し、活性化にもつながるとの意見から、辻町を宣伝し観光客誘致
にもつながるとして2000年に復活し、ジュリ馬行列が行われています。
 琉球時代、農村地区はかなり貧しく、ジュリ達は売られてきた娘達が多かったと言われ、
自由に外出することも出来なかったジュリたちが、この日ばかりは、ジュリ馬行列にだけ、
外の世界にいる家族に自分の元気な姿をみせることができたのです。そんな彼女たちが馬舞
者になって、町を練り歩く時、 華やかな雰囲気の中で自分の娘の姿を目頭を熱くして見て
いる親や兄弟が居たという悲しいお話があったのです。」

 「ジュリ達は、お客をもてなす為に料理や唄・三線・琴・踊りなどの芸事にも磨きをかけ、
言葉・立ち居振る舞いから、衣装・髪型・料理・芸能に至るまで独自の文化を創り上げたそ
うです。」 とありましたが、現在どのようなお祭りなのでしょうか。文末に、u-tubeより
動画をアップしました。


  今年に入って、早や1月も下旬となってしまいました。

時間は1秒1秒着実に進みながら時代が流れてゆくのですね。いろんなところで、いろんな
ことが起き、うれしいことも、悲しいことも、驚きもあったり、そして自身も少しづつ
変化して(この場合老化して)ゆくのですね。

 平家物語の冒頭、『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、
盛者 必衰の理をあらはす。 おごれる人も久しからず。 ただ春の夜の夢のごとし。
たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。』
・・そんな思いがよぎりました。

 

 

 

 

 

 

 

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多死社会  (bon)

2017-01-16 | 日々雑感、散策、旅行

               昨日の日曜日は、大学受験センター試験2日目が終りました。
        雪の中開始時刻を変更した地域もあったようですが無事終わりました。
        京都では、第35回全国女子駅伝が大雪の舞う中みんな元気に走っていました。
        今、テレビでは、全豪オープンテニスが流れていて、第5シードの
        錦織は順調に試合を進めています。あちらの気温は、30℃を超えているとか。 



 深刻なテーマで申し訳ありません。

 TPPがどうの、トランプがどうの・・なんて言っている場合じゃないのですね。   昨日
(1/15)、読売新聞の日曜版、社会保障面の「QOD」(Quality Of Death)第4部に
五木寛之氏の思いが語られていました。 このテーマと、氏の語りを読んで、あッ、と現実
に引き戻された感じがしたのです。 喜寿も過ぎ、体力は勿論のこと、足腰などの不具合を
つね日頃感じている我が身にとって、まさしく当然のこととして、もっと真摯に受け止める
べきであるのに、なんと、空々しい感覚でいることか・・!

 話の流れは、日本の将来人口の推移から、少子社会から多死社会に向かっている現実を
受けて、やがて訪れる多死社会の時代にどのように“死”というものに向き合って行くか
・・そんな流れで、今回はその第1回目で、五木氏の語りとなっています。 

 高齢化が進んでいますが、当然のこととして死亡数が増加してきます。650万人の団塊
の世代がこの域に突入してくるわけで、下の内閣府のグラフからもわかる通り、2040年頃に
死亡者数がピークとなり、167万人/年と推計されています。1970年のそれは、68万人でした
から 倍以上に膨れ上がり、これまでの社会で経験したことが無い時代に入るのです。
ネットを繰っていると、火葬場不足が深刻になって来つつあり、すでに“遺体ホテル”など
のビジネスが出現しているというのです。

 日本の将来人口推計(内閣府HPより)
  

死亡数推計(内閣府HPより)
  

            

  五木寛之の小説、エッセイなどは、これまで割と読んでいまして、本人の死生観や物事の
捉え方などにも共感を覚えています。仏教などの捉え方も好きな方です。そんな状況の中で、
彼の語りが、グッと来たのは、淡々とした語りながら以下のいくつかのパラグラフでした。

「死が突然訪れて来れば簡単ですが、多くの場合、自分が崩れゆく過程を体験しないといけ
ない。昔は宗教があり、あの世の極楽と地獄という観念がリアルにありました。しかし今は、
死ねば宇宙のゴミになる感覚でしょう。」 「自らの人間的、肉体的な崩壊に日々直面して
いかなきゃいけない。介護を受ける人たちも、ある種の失意というか、痛みを感じているん
だろうと思います。 だから、認知症は、天の恵みなのかもしれないという医師もいます
ね。」で、本人は、そのような状態になれば、あまり食べず、水もあまりとらずに、枯れて
ゆけばいいじゃないか・・などと語り、これからは、家族との絆も薄れるなかで、自らの老
いや死と向き合わねばならない時代だといっています。子や孫に囲まれて、息を引き取るよ
うなことは、もうあり得ないと思った方がよいのではないか。最期は一人で逝く覚悟が必要
だと・・。

 組織からも離れて、すでに久しく、それなりに軟着陸して無事な毎日を過ごしているつも
りで、新しい楽しみの周りの中に、ほのぼのとしているのも結構でありがたいと思っていま
すが、そろそろ、有りがたい楽しい周りだけではない現実を受け入れることが、待ったなし
であることを改めて認識した次第です。
 いつまでものんびりとして、おめでたいことでした・・!

 

 

 

 

 

 

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新年の集まり ‘17

2017-01-14 | 日々雑感、散策、旅行

             列島は大雪に見舞われています。強い寒気団が南下しているそうです。
                  アメリカ次期大統領のトランプ発言で、為替、株価は連動して変動しています。
                  このような人がいてもいいですが、大国のリーダとしてはいかがなものでしょうか?

 昨日(1/13)は、夕方から新年の集まり(飲み会)に参加してきました。すでに恒例にな
りましたこの会は、入社同期で同じ専門技術分野の連中の集まりです。
  例年、幹事を務めてくれていたN君の姿は 今年見られませんでした。 元気印の彼は、
何の前触れもなく、昨年6月に急逝したのです。 彼の先だちを悼み一同、黙祷をささげて
会は始まりました。 しばらくは彼の話題に、思いが寄せられましたが、その内、懐かしい
想い出話や、アルコールの進度と共に昨今の時事問題や、趣味の話などに盛り上がっていま
した。 

 入社時に同じ専門技術分野に配属されたという縁だけのメンバーですが、既に半世紀を経
てもなお、このような絆が続いているのか不思議といえばそうですが、入社後数年の同じ
環境の中での繋がりがやはりその基盤にあって、その後は幅広く もはや専門技術の枠は
すっかり離れてしまってくるのですが、時々集まる機会が、お互いの接着の場となってきた
のでしょう。 同期入社といえば、お互いがライバル・・などと、とくに昨今では、思われ
るかもしれませんが、この場合は、組織が大きいということもあるのでしょうか、そのよう
なことはあまり気にしなかったのでしたね。 まぁ、時代も余裕があったのかもしれません
ね。 そんな風ですから、いつまでも仲の良いグループとして存続しているのかもしれま
せん。

 そういうことで、こうして会う時は、いつもお互いの垣根などは無く、話題は昔のこと、
現在のことなど湧き出て来て絶えることが無く盛り上がるのでした。 年齢にふさわしく、
ご多分に漏れず健康関係の話題も出たりして、以前よりはアルコールの量も少なくなりま
したが、楽しい時間は瞬く間に過ぎてしまいました。 
 来年もこのように元気で再会できることを誓ってお開きとなりました。

 夕方5時の日比谷界隈は、すでに薄暗く寒い夕暮れです。 昨年、気が付かなかった景色
で、日生劇場に連担した、巨大なビルが聳えているのに驚きました。 薄暗い中で、パチリ
としました。

新日比谷プロジェクト(仮称) 今年度竣工予定で、地上35階、192m)
  

 

           鹿鳴館跡地のビル(大和生命)は一面ガラス窓
             

 

 

       

 

 

 

 

 

 

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和食文化  (bon)

2017-01-12 | 日々雑感、散策、旅行

 2013年(平成25年)12月に、和食文化がユネスコ無形文化遺産に登録されています。項目
としては、「和食:日本の伝統的な食文化」とされています。

 今、和食ブームですよね。訪日外国人は、2000万人を超えたとありますが、“訪日前に
期待すること”を訪ねると76%の人が“和食”を上げるのだそうです。 海外では大変な
和食ブームで、日本食レストランは増加の一途だとか。 これに反して、日本国内では、
何やら和食離れしているようで、和食の料理人を志望する若者も激減してるそうです。 
 今年のお正月も、孫たちはご飯をほとんど食べないのですね。ま、お雑煮(1,3日は、
白みその丸餅、2日は焼いた切り餅のお澄まし)や、おせち類は食べていましたが、年末な
どは、皆目ご飯が減りませんでしたね。

 和食文化について、ユネスコ世界文化遺産登録に向けた検討会の座長を務められた熊倉
功夫氏(日本の歴史学者、文博、国立民族学博物館名誉教授、74歳)の、講演記録が、
今年1月号の会報に掲載されていましたので、普段何気なく思っている“和食”について、
記録のご紹介の形で改めて記述してみました。

  はじめに、文化遺産に関して、次のような内容が紹介されていましたが、なるほどそう
いう
ことなのかとうなづいた次第です。すなわち、現在、ユネスコ世界無形文化遺産に登録
されて
いる日本の無形文化財は、歌舞伎、能、文楽などの古典芸能や民俗芸能を中心として
20数件あり
ますが、これらの文化財は、西洋にもあるジャンルであり、茶の湯、生け花,
香道など西洋に
ないものはこれまで、日本の文化財保護法の対象にはなっていなかった
ために、和食文化は、
日本の文化財保護法下の重要無形文化財指定を受けないまま、いき
なりユネスコの世界無形文化
遺産登録がなされたのです。

 熊倉氏も言われていますが、「和食とは何か」ということで、ユネスコに登録するとき
には、その定義としては、「米飯、汁、菜、漬物を基本の献立」としながら、その基本精
神には「自然の尊重」が挙げられ、旬などの季節感、家族と地域の絆、自前の茶碗・箸な
どを持つ習慣や食べ方などを挙げています。また、昔から、日本人は唇を接することに
潔癖でした。逆に言えば、唇を共にすることは他人ではなくなるための儀式であったと
考えられ、その典型が杯の応酬でした。宴会で、部下が上司の盃をもらい、返杯する。そも
そもは、武家の巡杯の儀式に始まることで、これが今も結婚式の三々九度の盃に残って
いるのです。このような特徴は、 
農水省HPでは、和食の持つ4つの特徴として、次のよう
まとめられていました。すなわち、

 (1)多様で新鮮な食材とその持ち味の尊重 
 日本の国土は南北に長く、海、山、里と表情豊かな自然が広がっているため、各地で
地域に根差した多様な食材が用いられています。また、素材の味わいを活かす調理技術・
調理道具が発達しています。

 (2)健康的な食生活を支える栄養バランス
 一汁三菜を基本とする日本の食事スタイルは理想的な栄養バランスと言われています。
また、「うま味」を上手に使うことによって動物性油脂の少ない食生活を実現しており、
日本人の長寿や肥満防止に役立っています。

 (3)自然の美しさや季節の移ろいの表現
 食事の場で、自然の美しさや四季の移ろいを表現することも特徴のひとつです。季節の
花や葉などで料理を飾りつけたり、季節に合った調度品や器を利用したりして、季節感を
楽しみます。

 (4)正月などの年中行事との密接な関わり
 日本の食文化は、年中行事と密接に関わって育まれてきました。自然の恵みである
「食」を分け合い、食の時間を共にすることで、家族や地域の絆を深めてきました。

 日本における食の古くは、「折敷(おしき)」という、足のないお膳で銘々が食べてい
たそうで、それが1000年以上も続いて、ようやく大正末期にちゃぶ台が登場するまで,
銘々膳であったそうです。もちろん室町時代、江戸時代などでは、同じ銘々膳でも、もっ
と豪華な足の着いた、最高位の1本足のお膳などで食べていたのですね。いまでも、和式の
結婚式や料亭、旅館などでは、この類のお膳で食べることもありますね。え、銘々膳の
場合に、たくさんの料理を出すときは、2の膳、3の膳などとお膳が増えるのです。 
基本は、一汁三菜で、多くなれば、二汁五菜、三汁七菜などと増えますが、このような
おもてなし料理がいわゆる「本膳料理」で、日本特有の料理であったのですね。本膳料理
は、食べきれないので、食べ残して折詰にして持ち帰るのが普通で、特に鯛はその場では
手を付けずに持ち帰るのが習わしだったそうです。 尚、蛇足ですが、本膳料理の基本は、
一汁三菜で、米飯と漬物に汁、そして、膾(かい=なます)、平皿、焼き物の三菜で構成
されています。で、漬物は表現されていませんが、なくてはならない一品なんだそうです。
しかも発酵したものに限るのだそうです。

        本膳料理例
         (ネット画像より)
 

 このような本膳料理から、発展して「茶の湯の懐石」があります。これは今から450年
ほど前に革命的に新しい料理が登場してきたといいます。 茶の湯の懐石では、その場で
全部食べ切る、料理ができた都度運ばれてくる、そして趣向という演出が施されている、
とされています。料理が出てきた都度運ばれてくるというのは、西洋でもそうですが、
これが確立したのは、1870年代といいますから、日本のそれよりもずっと後のことなので
す。 茶の湯の懐石でも、基本は一汁三菜ですが、懐石ではこれに続いて、酒と菜(この
場合肴)が出て続くのですね。

 和食料理技術は、本膳料理と茶の湯の懐石をもとに、発展を遂げ、幕末までに完成した
といわれ、近代には、さらに発展して、湯木貞一や北大路魯山人などの天才料理人によっ
てさらに一新されてきました。湯木貞一(1901~1997年)は、懐石料理の名料亭「吉兆」
を創業し、「松花堂弁当」などを発明するのです。

 しかし、冒頭にも述べましたように、今や和食は危機にあるといっても過言ではないか
と言われています。和食の料理人は、修行が大変そうとか、日本料理店は繁盛しないなど
という理由から激減しているようで、一方、食生活面からも、若者は西洋料理のマナーは
知っているが、和食のマナーは知らないとか、お店の中の掛け軸や、生け花などにも関心
が向けらないなど、和食文化から遠ざかってしまいました。 講演録には、2015年、20代
の若者1万人に調査した結果、20代の男性のうち18.4%が1か月に一度もお米のご飯を食べ
ていないというし、お正月に自宅でおせち料理を作る家庭も30%くらいに減少し、初詣に
行った後、ファミレスで食事・・となるようです。いまや、日本の家庭の最大のイベント
はクリスマスで、そのうちハロウイーンになるのでは・・とありました。 和食文化の
構造として、図のような「和食文化の四面体」を提示されています。すなわちこの四面体
が今や崩れてきているというのですね。

       和食文化の四面体(熊倉氏論文より)
         (日本の伝統的食文化としての和食より)


 講演者の熊倉氏は、会長を務める「和食文化国民会議」で、語呂合わせで「いい日本食」
となる11月24日を和食の日に当てて、まずは、全国の小中学校と保育所の給食で天然出汁
のふるまいをしたそうです。味がわかる人と、わからない人との差は、その味の記憶の差
であるといい、子供のころから様々な味を記憶しておくことが大事であると締めくくられ
ていました。


 

熊倉氏のNHK文化講演会より(音声だけで、ちょっと長いですが)

 

 

 「11月24日は和食の日」にあわせ、キッコーマン株式会社の協力のもとデザインした「炊き込みご飯」、「お鍋」、
「卵かけご飯」の3種類の新しいライティングを点灯し、日本の伝統文化の一つである和食文化を世界へ発信し
た時の映像だそうです。

 

 


  

 

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フリマアプリ  (bon)

2017-01-10 | 日々雑感、散策、旅行

 ネット上のフリーマーケットのことです。 ・・アプリとありますのは、スマホにダウン
ロードして、このフリーマーケットを使用するためのソフトアプリケーションのことなん
ですね。

 先日、テレビで解説していまして、最大手の㈱メルカリの山田社長が出演していろいろと
開発経緯やこれからの戦略などを話していました。 この種のサービスが現れるというのは、
感じとしてだいたい理解できますが、すでにここまで普及しているとは知りませんでした。
何せ、スマホもまだ使用していないガラジー(爺)?ですから・・。 
そんなこと思っていましたら、先週土曜日(7日)の読売くらし欄に大きく取り上げられて
いましたので、全貌をブログ記事として取り上げてみたくなりました。

                    フリマアプリ
           (ネット画像より)

 4~5年前にこのサービスが始まったようで、ちょっと遅れて2013年7月にサービス開始し
た㈱メルカリ社では、これまでの累計ダウンロード(アプリ)数は4000万件を超えていると
いい、月間の取引額が100億円に達しているという。 ㈱メルカリより1年前にスタートした
ファッションアイテムを中心とした㈱フリル社は、600万件のダウンロードがあるという。

 フリーマ-ケットといえば、その昔 ガレージセールなどと呼ばれたりして、素人衆が不用
品などを持ち寄って、楽しく賑わいを見せていました。  思わぬ掘り出し物に出会って安く
お得に買ったりした思いをお持ちの方も多いかと思いますが、その場に出向かなければなら
ないし、出店する人もそこに出向く必要が当然あります。 しかし、ここでいう「フリマ
アプリ」サービスは、ネット上で、売り手はスマホを使って、品物を写真、解説付きで提示し、
それを買い手が検索したりして気に入れば購入する・・つまり、売り手も買い手も、物理的に
ある場所に移動することなく、スマホ上でフリーマーケットが実現できるのですね。

 少し前から、すでにお馴染みになっている「ネットオークション」サービスがあります。
ヤフオクとか楽天オークションとか。 この、オークションでは、価格は売り手が設定した
金額が買い手によって「セリ」にかけられて、最高値の人が落札する仕組みですが、これに
対して、フリマでは、売り手が設定した価格どおりで購入でき、事前にお互いが質問したり
価格交渉などコミュニケーション機能がある点が大きく異なっているのですね。 売り手が
決める価格は、ネット側で示してくれる「相場」がヒントとなっているといいます。

 取り扱われている商品としては、かなり幅が広く、子供用品からファッションアイテム、
さらには使用途中のもの、果ては、子供用の工作用にラップやトイレットペーパーの芯など
もあるとか・・。したがって、10~30代の女性に人気が高いそうです。 ある研究機関では、
「節約志向の表れ、シェアリングエコノミーに通じる合理性がある」と評しています。

          メルカリの取引例
            (ネット画像より)

           

 確かに、まだ使えるのに不要になってしまったものでも、他の誰かにとっては、役に立つ
ものはあるわけですから、もったいない思考からすれば画期的な「出会い」システムだと
思います。また、いわゆる個人ー個人(CーC)の取引ですから消費税がかからないしお得感も
あります。取引を安全に行うため、提供サイト(業者)が中に入って、買い手が業者に入金
(前払い)し、そのことが売り手に連絡されて 商品が買い手に発送され、到着確認を業者が
把握して売り手の口座に入金するという方法がとられているそうです。仲介業者は、金額の
10%が手数料として入るという仕組みです。 ただ、このサービスの課題としては、売り手の
梱包がまずかったり、ブランドが偽であったりなどのトラブル時の処理が残ります。
コメント機能使って、事前によく確かめて・・などの注意もあるようです。

 現在、フリマアプリを提供している主な会社は、 ショッピーズ、 フリル、 メルカリ、
LINE MALL、 ラクマ、 Dealing などがあるそうですが、最大手の㈱メルカリの山田社長は
テレビのインタビューで、すでにアメリカに進出してすでに普及しているし、今後はヨーロッ
パ、アジアなど世界に普及させてゆきたい。 ある意味で、資源の再利用、さらにはエコに
つながるとも考え、どんどん攻撃的に展開したい、と話していました。 ちなみに、ネットで
㈱メルカリを調べましたら、本社は、港区六本木の六本木ヒルズタワー18F にあり、2013.
2.1設立、資本金41億、業種は情報通信業とありました。
 なお、
「メルカリ」の名称は、ラテン語で「商いする」という意味の「mercari」に由来し、
「マーケット」の語の起源でもあるとありました。


 





 

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すかたん  (bon)

2017-01-08 | 読書

 関西弁で、とんちんかん、まぬけ、当てが外れること などを意味しますが、このタイ
トルの小説(文庫本)を、昨年11月末に若冲展を京都・相国寺に観に行った折、帰りがけに
“これ、新幹線で読んだら・・! 面白かったよ”ってKuさんが手渡してくれたのでした。

新幹線で読み始めたものの、眠くなってそのまま鞄に入れたまま、帰宅してからも机に出し
て、それっきり失念してしまって、ようやく暮れも押し詰まって読み始めたという失態を
演じてしまいました。

 小説「すかたん」(朝井まかて著、講談社文庫、2014.5)は、江戸時代末期頃の大坂天満
の青物問屋を舞台に、主人公の江戸っ子の知里と青物問屋の若旦那の織りなす物語で、
大阪弁で展開される青物市場、農家のからみから、大店問屋の家風など多くの登場人物の
性格やことの運びがテンポ良く語られていて大変面白く一気に読んでしまいました。

                すかたん
          (アマゾンHPから)
 

 主人公知里は、江戸詰藩士の夫の赴任先、大阪に住むことになるのですが、急な病で夫が
亡くなり、慣れない土地で自活することになってしまいます。住み込みの奉公先は、天下の
台所、大阪でも有数の青物問屋「河内屋」で、お家さんつきの上女中として住み込みで奉公
することになるのですが、言葉や習慣の違いに戸惑いながら、厳しいお家さんの叱責にも、
浪速の食の豊かさに目覚め、いつしか若旦那との恋も芽生えてくるのです。
 この若旦那は、はやとちりで後先の見境いがない“すかたん”なんですが、青物に関して
の情熱は人一倍で、目先の利益ではなく、生産者、消費者そして流通のあり方など広い視野
から、問屋・農家の敵対問題を見事に解決して行くのです。
 若旦那の人柄、お家さんの風格、大店主人の貫禄、そして知里の純粋で有能な働き者が
うまく描かれていて、当時を知る由もありませんが、イメージが膨らんでくるのでした。 
青物屋の主人であった伊藤若冲の描いた絵が出てきたり、それが、丸大根であったり、
若冲展を見た帰りだけに、心憎い思いがよぎるのでした。

 作者の朝井まかては、1059年、大阪府羽曳野市生まれとありますから、根っからの大阪弁
(時代は遡りますが)を、ふんだんに展開されていて、何か懐かしい感じがしました。
「すかたん」は、2012年に単行本で出版されたものですが、それが2014年に文庫本として
世に出されると同時に、2014年、「恋歌」が、第150回直木賞を初候補で受賞しているのです。

 すかたんのほかに、文面に懐かしい大阪弁が出てきましたので、いくつかを紹介しておき
ます。

 ・「おなごの性根は縫物をさせたら、ようわかる。あんたの縫い目はあっちへよろよろ、
こっちへよろよろ、いやいややってるのが丸わかりや。こらえ性の無い、せっかちのおっ
ちょこちょいで、おまけに下手くそのくせに心が籠ってない。 ・・・あれ、あんた、目ぇ
に見えへん心の内にまで踏み込んでまで説教されとぉない、そないな顔してるな」

 ・「いやいや、それでもな、皆、口を揃えて言うんや。もう二度と来んといて欲して思う
んやけど、ちょっと間ぁが空いたら待ち遠しゅうなるんやてな。若旦那さんと一緒に畑して
たら、自分らみたいな者(もん)でも楽しんでええんやて、そないな気ぃになるてな」

 ・「あん? 小万、お前、小万やないか」「今頃、何言うてはりますのん。若旦那さん、
ほんまに呑み過ぎやわ」「ええねん、今夜はええねん」「かなんお人やねぇ・・」

 ・「そやけど本当にこれで良かったんかて、近頃、ふと思うことがある。惣左衛門はんに
してみたら子ぉを楯に取られた格好や。私に要らぬ気ぃ回さはるし、こっちも継子苛めして
るてなことを一寸たりとも思わすもんかて気ぃ張って・・とうとう互いの胸の内がようわか
らんようになってしもうた。」

 

 最後に、いくつかの言葉を・・

・口銭(こうせん) 手数料、儲け

・転合(てんご) ふざける、いたずら

・お為(おため) お駄賃、お返し、ご祝儀、

・最前(さいぜん) さきほど

・前栽(せんざい) 座敷の前庭

・ほな それでは、それなら、ほんなら


     ほな、これで失礼します。

 

 

 

 

 

 

 

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高尾山初詣 ‛17  (bon)

2017-01-06 | 日々雑感、散策、旅行

 昨日1月5日は、平年並みの寒い朝になりました。
 京王高尾山口に9時集合して、ケーブルカー乗り場まで冷やっとした風に当たりながら、
この分だと今日はシモバシラが見えるかも・・と期待したのでした。
 既に、恒例になりましたお正月に高尾山・・というのは、今回で12回目でした。山頂
には、近くの高校生でしょうか、何組も来ていて、それぞれのトレーナー姿で元気よく、
挨拶などを受けたり、冷たい風の中一層さわやかな空気が漂っていました。ケーブル
山頂駅から40分ほどで、薬王院、そして一段奥の飯縄権現にお参りをしました。     

薬王院(お寺)              飯縄権現(神社)
   

    
 お参りをした後、上り坂をしばらく歩いて599mの山頂に来ました。 富士山がとても
きれいに映えていました。白く雪に覆われた山肌に、少し雲がかかった絵になる姿でし
た。昨年は霞んだ空の中で、その勇姿を拝むことは無かったですから、やはりこのよう
な素晴らしい姿を見ると、勝手に、出迎えられたような気分になってうれしく感じるの
でした。 ここまで来ただけで、両足の張りを感じ、あぁ、運動不足が効いてきている
な!と反省がよぎりました。

きれいに映える富士山           三人衆
  
 

 富士山をパチリとして、早速お目当てのコースへ。 もう馴染となりました、シモバ
シラコースです。 山道に入って、すぐに小さな、しかし、しっかりとしたシモバシラ
が出ていました。ラッキー! つづく山道を30分ほど行きましたが、もうシモバシラの
出ているところは、ありませんでした。  なかなか微妙な条件のようで、4年ぶりの
シモバシラでした。 そういえば、2013年は富士山も、シモバシラもたくさん出ていて
とても素晴らしい年でした。 この時は、家族も含めて10名ほどの団体?で訪れたの
でした。

 シモバシラ‛17 (氷の華)
  
 

 一丁平で、早めのお昼を取りました。お正月らしく、ミニおせち、それに自慢の自作
黒豆の披露と、楽しいお昼でしたが、風が強く寒さがすぐに来て、早や早や済ませて
見晴らし台に登り、そこから再び富士山や大山、それに江の島あたりまで見通せました。
お昼過ぎまで富士山が見えるのは、やはり寒い証拠?などと思いながら下山に向かいました。

 毎年来ていて側を通っているのに、気が付かなかった「福徳弁財天」を拝顔する予定は、
登り始めから決めていました。 昨年、元職場のお仲間から教わった弁天様を是非訪問
しなければ・・観てみたいということになったのです。 解説には、弁天様は美人でも、
元は蛇だから、ほどほどに・・とありましたので、少し距離を置いて拝顔しました。

          福徳弁財天入口
            
 

 予定した、富士山、シモバシラ、弁天様をすべて見ることが出来て満足してケーブル
を降りました。 もう脚は、かなり弱っている感じで、これまでにない疲労感を覚え、
この一年の差は大きかったと改めて思うのでした。  日頃、もう少し鍛えておかな
いと・・とこの時ばかりは反省しきりでした。  いつものようにお茶して、今年は
お風呂をパスして帰りの電車に乗り込みました。今年も一年無事に過ごせそうですね。

 


 写真がたくさん撮れましたので、オートスライドを作成しました。ご覧ください。
  (2分半少々です。)

  





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お屠蘇気分で~  (bon)

2017-01-04 | 日々雑感、散策、旅行

 お天気が良く、暖かい3が日でしたから、お出かけの方も多かったのではないでしょうか?
家族が集まり、お膳を囲んだりして賑やかに過ごされた方も多かったと思います。

 現役の皆さんは、今日から仕事始めで張り切ってスタートを切られたことでしょう。昔は、
“仕事人間”の人が多かったようですから、年末始の休みが長く感じて、初出の頃になると
“競走馬がゲートに入った時のような気分”でしたね・・。

 喜寿も過ぎると、そんなことも遠い夢として懐かしく思われ、組織離れしてからも久しく、
初出の緊張はどこへやら・・。 お屠蘇気分も冷めやらず のんびりとしたスタートは変わり
映えもなく、身近な話題をいくつか・・・。

 

宵空で月が火星・金星と共演!

 昨年秋頃から、金星が輝いていますが、2017年に入って、宵の西空で火星・金星と月の共演
が見られます。昨夕(1/3)17時半ごろ、南西45度くらいに美しい光景が展開されていまし
た。 細い月(月齢4歳)と金星は金色に輝いていました。 金星はマイナス4等級を超える
明るさで輝き、まさしく“宵の明星”で、早速コンデジでスナップしました。肉眼では火星は
見えませんでしたが、カメラをズームアップすると、細い月のスグ右に、1等級で輝く火星が
確認できました。

月と金星、火星の共演          火星(ぐぅ~とアップすると見えました。)
 


 金星は、太陽の周りを約225日/年で回り、地球より内側(太陽側)にあるため、地球の夜
側に見えることは無く、夕方西の空(宵の明星)か明け方の東の空(明けの明星)のどちらか
で見ることが出来るのです。

 お空の話のついでに、「しぶんぎ座流星群」が、今日1/4の2~3時(未明)に極大を迎え、
最大35個/時間も見えるそうですが、都心ではいくつ見えるでしょうか? 今回は、寒い時期
なのでパスしました。


青学3連覇

 2~3日の第93回箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝競走)は、青山学院大学の往路・復路
とも優勝し、3連覇を果たしました。青学の復路7区がちょっと苦しかったですが、順調に
完全優勝を遂げたのです。 長い箱根駅伝の歴史で、連覇を果たしたのは、6連覇:中大
(1959~1964)、5連覇:日体大(1969~1979)、4連覇:日大(1935~1938)、順大(1980~
1989)、駒大(2002~2005)で、今回の3連覇がこれに続いています。 また、青学は、昨年
10月の出雲駅伝、11月の全日本大学駅伝と今回の箱根で3冠を果たしたことになります。
 しかし、6連覇を果たしている中大は、昨年10月の予選会で44秒差の11位で予選落ち
で今回は出場していなかったのです。これまで、連続出場87回、通算90回出場の名門校
なのに・・。そういえば、箱根の景色も少し変わってきたよう名感じですね。なじみの薄い
学校が結構出場している・・。

 

若さんの 2016年記録2題

その1“79”

 昨年のゴルフラウンド回数は大幅に少なく月2回のペースでした。千葉県デイスターゴルフ
クラブか千葉読売ゴルフクラブの2コースがメインでプレイしました。年間を通じてドライビ
ング・レンジでの練習は3回のみで、神楽坂ZEN GOLFでのハイテク・シミュレーション・マシ
ンでの練習は、一度もしませんでした。その結果、ボールをスイートスポット(芯)でヒット
する率が下がり、飛距離もフェアウエイヒット率もさがり、平均スコアは90前後という結果に
なりました。そんな状態の中で、5月の79がベストスコアでした。この時のスコアカードは、
写真(部分)にあるように、ある米国ゴルフスクールの記入法を参考にした独自方式で記録し
ています。

   ゴルフスコア(部分)
    

 

その2 “189”

 こちらの数字は新記録なんです! 12月のとある日、早朝の気温10℃越え、日中最高
18℃と絶好のゴルフ日和でした。 千葉読売GCで某大手出版元会長、現役局長、若手役員
そして官能小説家のKさんと私の5人打ち。 ワイワイガヤガヤで大いに盛り上がりました。
しかし、プレイ中、ちょっと頭痛を感じパットが集中できず、オリンピックで4,000円近くの
大負け! 風邪かなと思ったのですが、熱はないので、思い付きでロビーにある血圧計に腕を
入れるとなんと189/100と人生最高記録を達成! 念のため、かかりつけ虎の門病院脳神経
外科に翌日かけこみました。 白衣高血圧症の私は美人でも、そうでなくても自宅計測より
高くなりますが198/105とさらに記録更新! ベッドに待機命令されるや、MRI,CTと画像診断の
検査は無事クリアし血圧降下剤処方で一件落着しました。 現在血圧の方は、年齢相応並みの
水準に落ち着いています。なんだったのアレ!

 
  千葉デイスターGC    血圧計      白衣の看護師さん

 

歴要項

 歴要項とは、ウイキペディアに、「国立天文台で計算した、翌年の暦をまとめたもので、
その年の2月の最初の平日の官報に発表されます。今年2017年の歴要項は昨年2016年2月1日に
発表されているのです。歴要項の主な中身は、国民の祝日、日曜表、二十四節気および雑節、
朔弦望、東京の日出入、日食および月食、水星・金星の日面経過等で構成されている」とあり
ます。今年のカレンダーなどは、昨年発表されたこの歴要項に基づいて作成されているのですね。

今年の祝日は、以下の通りです。

          2017年国民の祝日
           (歴要項より)

  で、春分の日は3月20 日、秋分の日は9月23日になります。

 

 

 

 

 

 

 

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数独(8)  (bon)

2017-01-02 | 日々雑感、散策、旅行

 2017年元旦は、穏やかなお天気で明けました。 日中は春のような暖かさで初詣もうららか
な感じでした。
 皆様には良いお正月をお過ごしのことと思います。 今年も、ブログ蓼科浪漫倶楽部がマン
ネリ化しないよう心して頑張りますので、お付き合いの程よろしくお願いします。

 今年は元日に「うるう秒」を追加(1秒追加)がありました。これは、原子時と天文時を
わせるために、世界中で一斉実施されます。日本では、1月1日または7月1日に実施さ
れます
ので、前回は、2015.7.1でしたからちょうど1年半振りということになります。午
前8時59分
60秒をカウントすることでこの1秒の追加が行われたのです。 

         うるう秒の調整
           (yahooニュースより)
 

 元日の恒例のイベントとしては、ニューイヤー駅伝、ニューイヤーコンサートを楽しみ
しています。 
駅伝は気温が高く選手には大変だったようですが、18年ぶりに旭化成が優勝
しました。 天皇杯サッカーは、延長戦にもつれ込みながら鹿島が優勝しました。  コ

サートは、90を超える国に同時放映で、4億人も視聴するとか言われていて、今年の指
揮者は
これまでで最も若い人で、新しい曲も取り入れているとか興味しんしんでしたが、録
画して
トランプなどしていて、後で再生しましたらメモリーが不足していて録画出来てい
ませんで
した。 早々に、失態第1号をやらかしました。

 午後には、大宮の「武蔵一ノ宮 大宮大社」に行ってきました。ここは初めてでしたが、
大変な人出でした。 また、テレビでは東京でモチを喉に詰まらせて病院に搬送された人が
6人で、うち男性2
人が亡くなるという非報が流れていました。

 武蔵一ノ宮大宮大社は、大勢の人でした。
 

 

 今年の世界情勢はどう展開するでしょうか?アメリカ大統領が代わり、アメリカファー
スト政策が強くなれば経済情勢はさらに大きな混乱が見られるかもしれませんし、外交路
も安定が維持されるでしょうか? EU問題の行方、フランスの路線、シリア難民問題
等々、
重大変化要因が目白押しです。日韓問題も再燃しそうですし、国内も辺野古問題、
豊洲関連、
五輪費用分担、天皇退位事案等々、年明け早々休む暇はありません。

 せめて、お正月くらいはのんびりと数独で頭の体操などはいかがでしょうか。 お正月
行事や用事でかえって忙しい?方もおられるかもしれませんね。 お時間の取れる方は
ぜひ
チャレンジしてみてください。 数独問題の出題は、市販の「ナンプレVINTAGE200」(成美
堂出版 2015)
から4問選びました。

      


      


 今日明日は、箱根駅伝です。今、平塚中継所を過ぎてちょうど半分くらいのところです。
今年も平和なお正月です。 


   

 

 

 

 

 

 

 

 

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