蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

谷川岳   (bon)

2012-07-31 | 日々雑感、散策、旅行

7/28~から、今年の夏山・・谷川岳に行って来ました。

麓からは、もちろんロープウエイのお世話になり1300mちょっとのところまで運んでもらいました。
歩き始めてすぐに、まだ朝というのに、照りつける厳しい日射しにもう汗だく。

それでも一年ぶりの山歩きに、目指す頂上もくっきりと見え、ウキウキしながらゴロゴロ道を登り始めました。

目指す谷川岳頂上


出発前の勢揃い



 1時間ほどで熊穴沢避難小屋に到着した時には、すでに(汗で)ずぶ濡れ状態でした。
木陰がなく、そのまま一息入れてここからの急なのぼりを覚悟して歩を進めました。
 さすが急な岩のぼりは、クサリやロープの助けを借りて何とかクリアしながら、暑さもあって息がはずむ。

 しかし、そのうち「この暑さで、急な岩下りを無事にこなせるか?」「無理はしていないか?」
などの邪念が来たりして、とうとう頂上をあきらめて座り込んでしまいました。

 以前なら、こんなことはなかった。 
座り込んでいるところも、木陰などはなく炎天下で、持参した飲み物も生暖かい。

 この山の会は、北陸勤務時代にできた会で今年28回目でした。あの時から、みんな確実に28歳齢を重ねているのです。
昔は、縦走などが主でしたから山小屋宿泊でしたが、その内、最後は温泉宿にしたりしていましたが
今回は2泊とも温泉旅館で夜は宴会・・の楽しみでした。


 そもそも、この会の名前は「三究会」といい、自然(山はもちろん含みますが、山でなくても・・)と
お湯と味の三つを究めて、もって人生を究める・・などから命名したものですから、今日を見通していた
のかもしれません。

 一ノ倉沢の絶壁を下から眺めたかったのですが、途中道路が土砂崩れで通行不可で
見ることができませんでした。
昔、行った時の思い出では、若い息子たちを亡くした遺族が、絶壁を望む道路脇にお線香を焚いて
拝んでおられた姿が今でも目に残っています。


 お陰様で、11人のメンバー全員が無事帰宅したことに感謝し、今日のけだるさと筋肉痛に悩みながら
改めて楽しい思い出を感じています。

帰りに訪れた、水上(みなかみ)の「たくみの里」です。



懐かしの歌唱曲シリーズ















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トンボと花たち(pooky)

2012-07-27 | 花鳥風月
夏の暑いさなかに可憐な花が咲いています。
ツルハナナス(別名ヤマホロシ)は次々と花を咲かせ、蔓を伸ばしています。
ナス科のつる性半常緑低木です。


シュウカイドウ(秋海棠 べゴニヤ属)が花を付け始めました。

一輪差しで楽しめますね!

キンシバイの仲間のアンドロサイマムという品種で
花が咲き終わった後にかわいらしい実を付け色ずいてきました


トンボがやってきました!
2~3日我が家の庭で過ごし何処かへ行ってしまいましたが・・・
どこで生まれたんでしょうか?


トマトが色づきました
蓼科に植えた苗の残りを植木鉢で育ててやっと真っ赤に!食べられそうです。
少し小さな実を付ける品種で、今のところ5段実を付けています。


全部が色づき食べられると良いんですが・・・楽しみです。

フォレスタ 夏は来ぬ   (mak)




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じゃがいも   (bon)

2012-07-26 | 日々雑感、散策、旅行

市民農園の借りている一区画は、20㎡ですが、ちょっとほっておくと草がたちまち覆い尽くす感じになり、
同じく借りている他の区画と比較して恥ずかしい思いになります。

かといって、いつもきれいにしているかというと・・そうでもなく、すぐ近くなのにずぼらしています。

昨日は、夕方になって草取りを兼ねて、気になっていたジャガイモを掘り上げました。
掘り上げたといっても、わずか8株(一畝)だけですので、あっという間に終わりました。

今年、植え付け時期が遅れて種イモの男爵系は終わっていて、メークインしかなく、
それも小さい(50グラムまでくらい)種イモしかなく、でも我慢してそれを植えておいたのでした。

 ところが掘ってみると、ゴロゴロと出てくる・・感じで、大きいのは450gもあったり、全部で
10㎏もあったような気がします。



種イモは確か1kgでしたが、そのうち半分も植えていなかったように思いますので、3か月ちょっとで
10倍以上になった計算です。


 蓼科農園とは比較にならないほど狭いところだし、一畝でわずか8株程度のミニチュアですが・・
結構、作業量はあるのですね。
 今年は、トマトがうまくいっているようです。キュウリは、こんなに近くなのに、いつも巨大目のものを
収穫しているようです。ナス、ピーマンは時々、サトイモも順調のようです。 
タカノツメは、まだ大して大きく育っていませんが、楽しみにしています。


 ついでに・・・、ベランダのプランターのミニトマトのその後です。
初期に青い実がなっている頃に「バイラス病?」にかかり、突然2株とも枯れてしまいました。

このブログにもアップしました(青いトマト)が、そのとき、1本のトマトの「脇芽」が、大きく伸びているのがあり、
それを試しに別のプランターにさしておきましたら、それが成長して今頃たくさんのミニトマトが出来て来ています。



 このところすっかり、農作業に溶け込んでいるんですね。


昨夜の、「なでしこ」は、終わってみると当然の結果のように思いますね。でも幸先のいい試合でした。













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天神祭   (bon)

2012-07-25 | 日々雑感、散策、旅行

大阪天神祭は今日、7月25日が本宮です。

大阪では、天神祭が来ると「あぁ~夏が来た」と実感したものだ。


天満宮の夏祭りで、京都祇園祭、東京山王祭とともに日本三大祭りに挙げられています。

そもそもは、堂島川と土佐堀川の二つに分かれる中の島の剣先で鉾流しの前儀が行われ、そこから鉾を流し、
鉾の流れ着いたところをお旅どころと定めて、本社から出発した神輿は猿田彦、ふれ太鼓、風流花笠、
稚児、武者行列などに守られて陸渡御して、この剣先(鉾流し橋)まで来て、そこからお迎え人形船のほか
多くの船にのりお旅所まで船渡御される。

どんどこ船
(ウイキペディアから拝借しました。)


 現在は、お旅所は固定されていますが、この陸渡御、船渡御そして奉納花火が天神祭のメインだ。

 たびたび中止されたそうですが、千年以上続いている祭りで、今日ではかなり商業化されて
一般から有料で乗船できる多くの船が出るそうです。


 ・・その昔、北で呑んだ後など、梅田に近いお初天神境内すぐ横のところに、引き戸作りの蕎麦屋さん
「夕霧そば」に行ったものでした。(屋号は瓢亭でした。)
 
熱中症にご用心・・!













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素粒子   (bon)

2012-07-23 | 科学・生物

このところ、ヒッグス粒子らしきものが発見(確認)されたとか、現代物理学の基礎にとって大変大事なことだ・・
とかいわれていて、先日の国谷さんの番組でも取り上げられていて、分かり易い解説に努力されていた・・

けれども、自分にとっては、なかなか釈然としていません。 ちょっと涼しいので、昨日いっぱい頑張ってみることにしました。

 いきなり、ヒッグス粒子に取り組んでも・・とおもって、先ずは、素粒子とは、から入門してみることにしました。

 で、入門してその成果はあったのかといいますと、今のところ成果はありません。
なぁ~んだ。 と言わないで、どなたかわかる人がいれば、意見を出し合ってだんだんと核心に
入って行けばどうか?・・と思い、敢えて記事アップすることにしました。


 物質を構成する最小単位
 分子→原子→(原子核+電子)→[(陽子+中性子)+電子]

陽子と中性子が結合した原子核の周りを電子がまわっている。
陽子の数を原子番号と呼びその数によって元素が決まる。(陽子の数と電子の数は等しい。)

 原子番号=陽子の数 で、1は水素、2はヘリウム、3はリチュウム・・11はナトリウム、リンは15、カルシウムは20、鉄は26、もっと行って、金は79、鉛82、ウランは92…ずっと行って118まであります。昔、高校時代に周期表(周期律表)なんてありましたね。
あれです。周期表の周期は、元素の性質の類似性を基に18のグループに分けたもので、水素、リチュウム、
ナトリウム・・などは、第1グループ、ヘリウム、ネオン、アルゴン・・は第18グループという具合。
最近話題のレアアース(希土類)は、第3グループに・・という具合です。

 余談ですが、原子を観察するとして、仮に東京駅に直径1mのボールを置いて、これを原子核とすると、
これのまわりを電子がまわっているわけですが、なんと、100kmも離れた、宇都宮とか甲府あたりの円を回っている
ことになるのだそうです。つまり、原子の大きさとは電子がまわっている広さのことといえる。

 だんだんややこしくなってきますが、もう少し・・。原子核内で、陽子と中性子は相互に入れ替わる
(つまり、陽子から中性子へ、または中性子から陽子へ)のですが、これをベータ崩壊といって、
陽子から中性子+陽電子+ニュートリノに、そして中性子からは陽子+電子+反ニュートリノに変わる。

ついでにいうと、原子核の中で、(一般に複数の)陽子と中性子がくっつきあっている訳ですが
これらを結び付けている力を媒介する粒子として中間子がある。 
湯川秀樹博士がノーベル賞を受賞したのは、この中間子の発見であった。

なぜ、中間子というか? それは、湯川博士が、この発見した粒子の質量を計算したところちょうど
核子(陽子+中性子)と電子の質量の中間くらいだったので、この名を付けたとか・・。


ここで、ようやく素粒子をまとめてみよう。
さて素粒子は?

   (1)電子
   (2)陽子
   (3)中性子
   (4)光子
   (5)ニュートリノ

ここで、
電子、陽子、中性子は、明確に物質(原子)を構成している。
ニュートリノも、ベータ崩壊において、核子から電子と共に飛びだして来るのだから、とりあえず、
物質を構成する粒子であると考える。

光子は、ずいぶんと趣が変わる。光は、荷電粒子間に働く力(クーロン力)を司るものであり、「電磁場」とはまさに、
光子が飛び交う場所である。どうも、力を伝える粒子である。

   (6)中間子

重力(万有引力)という力は、知られていて、質量を持つ物質間に働く力であり、明らかに電磁気力や
核力とは異なる。従って重力を媒介する(であろう)粒子として、重力子が登場した。

   (7)重力子

ベータ崩壊が起こるには、何らかの力が必要であり、それは電磁気力とも核力とも重力とも異なるのである。
未発見である重力は別格として、このベータ崩壊を起こす力は、電磁気力や核力に比べて非常に小さいので、「弱い力」と命名された。
そしてこれを媒介する粒子として、ウィークボソンという新粒子が発見された。

   (8)ウィークボソン


自然界に存在する力は、「電磁気力」「核力」「重力」「弱い力」の4種類しか見つかっておらず、
物質を構成する粒子「電子」「核子」「ニュートリノ」と力を媒介する粒子「光子」「中間子」
「重力子」「ウィークボソン」で、全て出そろった。


ところが、
湯川粒子(中間子)を発見する過程で、中間子が、ミュー粒子という未知の粒子に崩壊することが観測されたのである。

この他、宇宙線の中から逆V字型に見える未知の粒子、ラムダ粒子が発見され、つぎつぎと雪崩式に「ケイ中間子」
「シグマ粒子」「グザイ粒子」「イータ中間子」「エヌスター粒子」「シグマスター粒子」「グザイスター粒子」
「オメガ粒子」...が発見されてきた。


 ここまでも良く理解できないまま、我慢してきたがとうとうくたびれて、ぐ~っと飛ばして
結論的なところをまとめて終わります。 
しかしまだ、ヒッグス粒子が何ぜ質量を媒介するのか? なんてところには至っていないので、
今回飛ばした部分はまた別の機会に(気が向いた時に)もう少し咀嚼してアップしたいと思います。

 最後に、キッズサイエンティストというネット記事からまとめに相応しいと思われる図を引用しておきます。
(キッズサイエンティストから引用しました。)

大変お疲れ様でした。


Great guitarist








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土用   (bon)

2012-07-20 | 日々雑感、散策、旅行

昨日、7月19日は「土用の入り」なんです。

土用とは、二十四節気・五節句などの暦日のほかに、季節の移り変りをより適確に掴むために
設けられた雑節の一つです。雑節は、以前にも述べましたが、節分、彼岸、社日、八十八夜、
入梅、半夏生、土用、二百十日、二百二十日の九つあります。

で、土用というのは、二十四節気の四立(立夏、立秋、立冬、立春)の直前約18(又は19)日間ずつの
期間を言います。 しかし、普通は夏の土用だけを指して言っています。


 昔、中国で五行説といって天地のすべては、木、火、土、金(ごん)、水の5気が支配するもの
という考えから、春は木、夏は火、秋は金、冬は水の分担とし、残りの土は、四季をそれぞれの終わりに
四分の一(18日または19日間)ずつをとって「土」の分担としたのがその起こりと言われているとか。

昔は、土用は一年中で最も暑く、虫干しに最適の時期とされていますが、いまどき虫干し・・
と言いてもわからない人が多いのでしょうね。


「土用の丑の日」にうなぎを食べる~なんてよく言いますよね。
これって何のいわれもないんだそうですね。 

江戸中期の頃、太田蜀山人(南畝)が、夏枯れ時で困っている知人の「うなぎ屋」の愚痴を聞き、
独特の機知を働かせて店頭に「土用の丑の日」と大書きした看板を出させた。
何のことかわからないところに返って宣伝効果があったと見えて 知ったかぶりの江戸っ子たちは、
わんさとうなぎを求めた・・・という。
(太田蜀山人ではなく、平賀源内という人もいるとか・・)

まあ、暑い夏バテを防ぐためには、脂ののったうなぎはいいのかもしれませんが、当節、
ウナギの稚魚「しらすうなぎ」が採れなくて、結構お高くなっていますが、
この際
皆さん食してみてはいかがですか・・・?

うなぎの稚魚のアヒージョをK嬢がおすすめの新宿のスペイン料理店で、食べたかったが今やおそらく目玉が飛び出るほど高いかもね。残念ながら諦めます。(mak)


ちなみに、今年の「土用の丑の日」は、27日(つちのと うし)がその日です。
(今日は、涼しい~デス。)






サマータイム(Summertime)の歌詞

Summertime, And the livin' is easy
Fish are jumpin' And the cotton is high
Oh your daddy's rich and your mamma's good lookin'
So hush little baby,
Don't you cry

One of these mornings
You're going to rise up singing
Then you'll spread your wings
And you'll take to the sky
But till that morning
There's a'nothing can harm you
With daddy and mamma standing by


サマータイム(Summertime)の訳詞・和訳

夏は暮らしやすい
魚は飛び跳ね、木綿の木は高くなる
パパはリッチで、ママは美人
だから赤ちゃん、泣かないで

いつの朝か、あなたは歌い出し
翼を広げ大空へ羽ばたくでしょう
でもその朝まで、あなたが怖がることは何もないのよ
パパとママが側にいるから





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グラジオラス   (bon)

2012-07-18 | 花鳥風月

ほんとに暑いですね。
群馬では、昨日39℃を超えたそうです。

 ベランダの日中は、太陽直下と照り返しの両方でとてもじっとしておれませんね。
ビーチパラソル・・なんてのもやっても熱気がすごくてたちどころに汗が出てきます。

そんな中、我慢してパチリ・・して、すぐに室内へ退散しました。

ベランダのグラジオラス


 これも、何年も居るんですが、たまに土を替えたりしているせいか元気のいい花を付けてくれますね。

グラジオラスは、アヤメ科の球根植物で日本には明治時代に入ってきた新しい品種だそうです。
別名トウショウブとかオランダショウブともいうそうです。 
 花の咲く前の蕾が連なっているところが「剣」に似ているところからGladius(ラテン語で剣)の
名前が付いたとか・・。


夕方、市民農園にカメラを持参して、まだ暑いから作業は一切せずにパチリだけ・・。 
サトイモ、トマト、キュウリを撮ってきました。 この他、ナス、ピーマン、ジャガイモそしてタカノツメもい植えています。
玉ねぎ、夏ダイコンは先日収穫しました。

サトイモです。 おととい足元の草を取りましたので少しスッキリしています。











 市民農園に行く前、でれ~っとして久しぶりにアメリカ映画「麗しのサブリナ」をテレビで見ました。

 懐かしいモノクロでオードリーペップバーン、ハンフリーボガード、ウイリアムホールデン・・
富豪実業家と運転手の娘とのロマンティックコメディー に暑さも忘れてのんびりとしたひと時でした。

 エアコン効かして、テレビで映画・・・あぁ、原発問題だというのに・・。





Louis Armstrong La vie en rose









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祇園祭   (bon)

2012-07-17 | 日々雑感、散策、旅行

今日、7月17日は京都祇園祭のクライマックス「山鉾巡行」が行われている。
35℃を超える猛暑日の中、宵山と共に暑い夏の京都が今年も巡っている。

京都祇園祭は、よく知られているし何度か見たこともある・・。
とりたてて言うこともありませんが、この際、ちょっと調べてみました。

京都観光スポットサイト(ネット)より、そのまま引用させてもらいました。
「毎年7月1日の「吉符入り」から31日の疫神社「夏越祓」まで1カ月に渡る神事が今年も京都に夏を告げる。

京都八坂神社のお祭り祇園祭は、疫病退散を祈願した祇園御霊会(ごりょうえ)が始まりです。
平安京はたびたび疫病が流行し、鴨長明の方丈記には、野垂れ死にした人の亡骸で鴨川が堰き止められた
などとも書かれているほどで、人々は祟りや疫病の恐怖に脅えていました。
貞観5年(西暦863年)に平安京の広大な庭園だった神泉苑で、仏教経典の読経、神楽・田楽や
踊りなども行う御霊会を行いました。
しかし、疫病の流行は続き、貞観11年(西暦869年)に平安京の国の数66本の鉾を立て
悪霊を集め祓い、インドの祇園精舎の疫病神「牛頭天王(ごずてんのう)」を祀り、
祇園天神とも称された「祇園社」に神輿三基を送り、御霊を鎮めるために祀り、やがて
平安末期には疫病神を鎮め退散させるために神輿渡御や神楽・田楽・花笠踊りや山鉾を出して
市中を練り歩いて鎮祭するようになった神仏習合の御霊会が祇園御霊会です。」

さらに、ウイキペディアから要約しこれに付け加えますと・・・

応仁の乱での30年の中断や第二次世界大戦などでの中断はあったけれども、現在まで、
1000年を超える歴史があるのですね。
なお、名称は明治維新による神仏分離令の影響で「祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)」より
「祇園祭」と仏教色が排除されたものとなっているのだそうです。

室町時代以来、祇園祭のハイライトは山鉾巡行であったが、現在では「巡行の前夜祭」である宵山に
毎年40万人以上の人が集まり盛り上がりを見せるため、祇園祭といえば宵山を先に思い描く人も多いとか。

朝の雅やかな山鉾巡行とは打って変わって、夕刻より行われる神幸祭での神輿渡御は、勇壮豪快で荒々しく、
3基の大神輿を総勢1000人以上もの勇猛な男達により担ぎ揉まれて神輿が暴れ狂うという。
いわゆる暴れ神輿というのだそうだ。
楼門前に集結して、揃い踏みにて神輿全基連合で勇壮に担ぎ上げられ練り暴れて、楼門前は歓声に涌きかえる。
その後はそれぞれ別ルートにて御旅所へ向かう。


「朝に山鉾が動く美術館の名をほしいままに巡行した都大路を今度は神輿が勇壮に練り暴れながらの渡御を行い、
四条寺町の御旅所宮入りにて神幸祭での最後の豪快な練りを披露する。
山鉾巡行を祇園祭のハイライトと呼ぶならば、神輿渡御はまさしく祇園祭のクライマックスと
呼ぶにふさわしいものである。」


宵山、山鉾巡行は何度か行ったことはありましたが、この神輿渡御のことは知りませんでした。

ちなみに「後の祭り」という諺があるが、これは祇園祭の大一番である山鉾巡行・神幸祭神輿渡御が終わり、
この後の祇園祭がたいしてメインとなるものがないことからこの諺が言われるようになった・・・などとも。
















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白いサルスベリ  (bon)

2012-07-15 | 花鳥風月

蒸し暑い日曜日です。
梅雨前線が居座っていて、九州から西日本一帯に豪雨をもたらし、死者も出て大きな被害を及ぼしている。
蒸し暑いぐらい・・我慢すべきですね。

 一昨夜の金沢では、私としては久しぶりに飲み過ぎたせいか、暑さのせいか今日はまだ体がだるく
何となく力が入らないぼんやり決まらない状態です。


 日曜日の朝は、新聞に載ってくる数独とクロスワードを、お茶を飲みながら簡単に済ませる習慣に
いつしかなっています。 
 今日もそれは終わり、特別の用もないので、ベランダの花をパチリとしてきました。


 白いサルスベリが咲いていました。

 
これより先に、ピンクのさるすべりがありましたが、ベランダを整理する一環で鉢植えを
整理してしまいました。長年、一緒にいたのに何となくかわいそうな感じでしたが、木自体が
少し弱ってきていていましたので仕方なく・・。

「炎天の 地上花あり 百日紅」(高浜虚子)



 かって、ブログにもアップしましたノウゼンカズラが丁度花を付けていましたので、ついでにパチリ・・。

 
肥料も上げていないので、今年は咲かないかも・・? と思っていましたが律儀に反応してくれています。


 「家毎に凌霄咲ける温泉(いでゆ)かな」(正岡子規)。











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なつかしい会合   (bon)

2012-07-14 | 日々雑感、散策、旅行
 7月13日の金曜日の夕べ、金沢駅前のホテルで年に一度のパーティーに出席してきました。

今年は第26回目でしたが、これは1985年(昭和60年)に会社がいわゆる民営化し、組織が大幅に変わることを見越して、
同じ専門技術グループ組織も廃止されるために、このグループの集まりを残すために会を発足したのでした。 
 その会は「北陸はんそう会」と名付けました。
この技術グループは、電気通信設備のうちもっぱら長距離伝送設備の計画、建設、保全全般を担当するものでした。
石川、富山、福井の3県全域を受け持ち範囲としていました。

「はんそう」とは、搬送のことで、「電話(通話)」を何回線も多重化して効率的に長距離区間を
運ぶことを意味しています。「はんそう会」は、「は~ん、そうかい!」に語呂合わせをしています。

 アナログ技術の時代は、多重化の草分けとした6多重から、12、24、60、960さらには
1200、2700多重という風に伝送周波数を分割してきれいに並べて(多重化して)伝送されていましたが、
その後のデジタル技術では、時分割多重方式が進展し、1万回線もの電話が多重化されて長距離を運搬しているのです。


 このような技術グループは、民営化の波を受けて、これらの技術を中心にしながら、
いわゆる通信ネットワークを活用した企業活動の一層の効率化、すなわちビジネスソリューションを
提案・構築するSI(システムインテグレーション)ビジネスを取り込む方向に発展してきました。

 お客様である企業経営者の課題解決に対して、情報通信ネットワーク(コンピュータを含む)
によるシステム技術が如何にソリューションを与えるか、お客様と一緒になって提案するという
これまでの事業展開を大きく変えるものでした。

 そんな大きな変化と模索の時代を過ごした連中も、今はもうみんな自適の道にいて、当時の先鋭さも消えて、
ただなつかしい戦友?のような響きさえ感じられる一年に一度の懐かしい会合でした。

 もちろん、会にはその後の若者・・といっても40代くらい・・の現役連中もいて、彼らの
活発な声にも圧倒され、既に半世紀以上が過ぎ事業環境、技術環境も大きく変化してはいるが、
誰かれなく自由な楽しい雰囲気での談笑は、また違った側面からの熱いパワーを感じるのでした。


 少し早目に到着したので、近くの懐かしい街を散策しました。

尾崎神社の裏通り、静かな「お堀通り」です。



四高記念館と石川近代文学館の赤レンガ



香林坊から夜の街「片町」方向を見る










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蓼科浪漫倶楽部 七夕まつり  (bon)

2012-07-12 | 蓼科浪漫倶楽部 畑

7月の浪漫倶楽部の蓼科農園は、7月8日~11日、「七夕まつり」と称し、関西からの同級生
4名の参加を含めて秋の収穫祭に匹敵する盛り上がりの中で楽しく過ごしました。

 時に大粒のにわか雨では、一時的に車に待機するなどのハプニングもありましたが、総じて
良いお天気に恵まれた暑い真夏の作業になりました。
今年、初めてクッキリとした稜線に縁どられた八ヶ岳連峰を見ることが出来ました。




ジャガイモや玉ねぎの収穫、レタス、キャベツ等の葉もの収穫をしたほか主たる作業は、
ひたすら除草と草刈でしたね。




 ゴルフ組、散策組に分かれ、それぞれ楽しみを求め、夜はみんなでバーベキュー、ワイン、
談笑で夜が更けるまで祭り気分は高まりが続くのでした。

きれいに除草された蓼科農園



 その昔の高校時代の楽しい話題から、最近の国内、国際の危機的情勢の問題や回避策などの議論まで・・
年齢を忘れたこのパワーはどこから来るのでしょうか?


楽しい写真のオートスライドをどうぞ~。


浮世離れ:
カフェギャラリー「夢美」:畑仕事の合間に昼食で立ち寄った店、この店に似つかわしくない泥まみれの長くつ(赤い靴ではなく)履いた汚い7人の百姓集団(おっと一人は若娘でした)を快く受け入れてくれたのは嬉しい限り、その食したカレーライスが素朴な味で、意外に美味しい。
この店の店主は現代美術工芸家でもあり、店内に彼の多くの作品が所狭しと並んでいる。
兎に角、浮世離れの世界で、幼児に帰った気分となり、普段の憂鬱を忘れさせてくれる。
下の写真をCtrl押しながらクリックすると童謡が鳴り出しますので、この店の主人(72歳)が醸し出す子供心を忘れないようしたいものである。 

(mak)






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福島原発事故は人災(官業癒着)    (mak)

2012-07-07 | 原発



東京電力福島第一原発事故調査を検証する国会事故調査委員会が、最終報告書を衆参両議院長に提出した。2006年に改定された国の耐震指針への対応を東電は無視し、保安院も黙認したことを「事故の根源的原因」と指摘し、「自然災害でなく人災」であると断定。それは「規制側が東電の虜」になっていたために、原子力安全についての監視監督機能が崩壊していたとまで、報告書は指摘した。

官業の癒着が監視を骨抜きにして、国民の生命と安全を奪ったと行っても過言ではなく、国家的重罪であると言っても過言ではない。

述べ1167人に900時間以上の聴取を行い、関係先から2000件以上の資料を提供させ、、671ページからなる報告書を国会に提出した。

また、委員会は、国会調査委は国民の付託を受けた国民のための調査であるとの観点より、国民に調査の状況を公開するために、会議の模様をインターネット動画配信で逐次公開した。
 事故調委員会のビデオを見るためには、事故調のVideo動画  をクリック  

報告書を閲覧するためには、東京電力福島原子力発電所事故調査委員会 をクリック 

    

国会 東京電力福島原発事故調査委員会NAIIC(National Diet of Japan Fukushima Nuclear Accident Independent Investigation Committee)をクリックするとホームページが開き、報告書及び動画閲覧可能。       

 

委員長の黒川清が報告書の「はじめに」の中で、福島事故が起こった根源について下記のように述べている。この指摘は原発問題にとどまらず、日本社会が現在抱える問題の根源にも当てはまるものであると考える。                             

報告書5ページからの抜粋:
「想定できたはずの事故がなぜ起こったのか。その根本的な原因は、日本が高度経済 成長を遂げたころにまで遡る。政界、官界、財界が一体となり、国策として共通の目 標に向かって進む中、複雑に絡まった『規制の虜(Regulatory Capture)』が生まれた。 そこには、ほぼ 50 年にわたる一党支配と、新卒一括採用、年功序列、終身雇用といっ た官と財の際立った組織構造と、それを当然と考える日本人の「思いこみ(マインド セット)」があった。経済成長に伴い、「自信」は次第に「おごり、慢心」に変わり始めた。 入社や入省年次で上り詰める「単線路線のエリート」たちにとって、前例を踏襲する こと、組織の利益を守ることは、重要な使命となった。この使命は、国民の命を守る ことよりも優先され、世界の安全に対する動向を知りながらも、それらに目を向けず 安全対策は先送りされた。」 

6ページからの抜粋:
「100 年ほど前に、ある警告が福島が生んだ偉人、朝河貫一によってなされていた。 朝河は、日露戦争に勝利した後の日本国家のありように警鐘を鳴らす書『日本の禍機』 を著し、日露戦争以後に「変われなかった」日本が進んで行くであろう道を、正確に 予測していた。 「変われなかった」ことで、起きてしまった今回の大事故に、日本は今後どう対応し、 どう変わっていくのか。これを、世界は厳しく注視している。この経験を私たちは無 駄にしてはならない。国民の生活を守れなかった政府をはじめ、原子力関係諸機関、 社会構造や日本人の「思いこみ(マインドセット)」を抜本的に改革し、この国の信頼 を立て直す機会は今しかない。この報告書が、日本のこれからの在り方について私た ち自身を検証し、変わり始める第一歩となることを期待している。」

国会事故調査委員会の黒川清委員長以下10名の委員は、国民の付託を受けたことを自覚し、 国民のために、今回の事故調査を立派に遂行したと考える。

 


宮台真司のコメントがするどいことに感心する:
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あれあれあれ   (bon)

2012-07-07 | 日々雑感、散策、旅行

森山良子の「あれあれあれ(Ale Ale Ale)」を、前にも一度聞いたことがありましたが、
この前の日曜日に再びテレビで聞きました。

 森山良子作詞、村上ゆき作曲で、タンゴのリズムに合わせて、歌詞が大変面白い。
・・というか、身に覚えのあることだらけ・・・で、おまけに早口で歌うものだから・・・。


森山良子といえば、「涙そうそう」(作詞)とか、「サトウキビ畑」などが印象的で、その昔の
デビューでは、「この広い野原いっぱい」が有名で、どちらかといえば穏やかで上品なフォークソングの
イメージがありますが、この「あれあれあれ」は、コミカルで彼女の作風からは一風変わったイメージの曲です。 

 作曲者の村上ゆきと食事していた時の会話から、この歌のヒントになったとか言いていましたが・・・
ここにアップします。


 彼女は、1948年生まれの64歳で、1967年(45年前)のシングルに「今日の日はさようなら」を出しています。 
息子に、森山直太郎がいます。
















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七夕   (bon)

2012-07-06 | 日々雑感、散策、旅行

7月7日は七夕です。 五節句のひとつで、旧暦7月7日でしたが現在では新暦の7月7日をその日に当てています。
旧暦で行うところもあるようです。

たなばた・・については、昨年、このブログにアップして、織姫と牽牛の伝説や天の川を挟んで
織姫星と彦星が対峙して一年に一度逢うことが許されているが、実際にはこの両者の間を光の速度で
行ったとしても、約14年半の時間を要する・・など記事にしました。

日本での、七夕まつりの歴史は、聖武天皇の時代(734年)から行われているとあり、笹竹に
五色の色紙に字を書いて飾り、ウリ、ナスなどをそなえて子供たちの読み書き、手芸などの上達を
七夕さまに祈る風習は、特に江戸時代寺子屋の行事として盛んになったといわれているそうです。

大震災の復興を祈って、仙台の七夕祭りをはじめ、花笠踊り、ねぷたや竿灯など東北は最大の祭りシーズンだ。

神奈川県平塚の今日の飾り・・毎日新聞から拝借しました。
(毎日新聞ネットから)


我が蓼科浪漫倶楽部では、今年、この時期に「七夕祭り」で大いに盛り上がろうと、
蓼科農園参加者はみな心待ちにしていることだろう。 (7月8日が初日)


折角楽しい雰囲気になっているところ、またまた無粋なことが気になってきた。

何かといえば、「七夕」をなぜ「たなばた」と読むか? 
その昔、なぜなのか?と思ったこともありましたが、それ以上深入りせずにそのままになっていました。

この機会に、ちょっと調べてみたら、これは「熟字訓」と呼ばれるもので、漢字の単字単位ではなく
熟字単位で訓読みを当てたもの・・とある。 
皆さんはご存知のことだったかもしれませんが、この熟字訓はたくさんあるんですね。

すこし例を挙げてみますと・・梅雨(つゆ)、五月雨(さみだれ)、五月(さつき)、十六夜(いざよい)、
さらに 紅葉(もみじ)、小豆(あずき)、百合(ゆり)、銀杏(いちょう)、無花果(いちじく)、
・・もっと、眼鏡(めがね)、足袋(たび)、浴衣(ゆかた)、女将(おかみ)、海人(あま)、
大人(おとな)、下手(へた)、・・・終わらない~。
外来語の煙草(たばこ)などもそうだし、地名でも大和(やまと)、飛鳥(あすか)・・・。


懐かしの名曲メロディー










 
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ぎぼうし   (bon)

2012-07-05 | 花鳥風月

 ぎぼうし(擬宝珠)がひっそりと咲いています。

ユリ科の多年草ですが、小さな鉢(2鉢に)植えてもう何年もすぎるというのに、律儀にこうやって、
毎年静かな花を咲かせてくれます。

花言葉は、落ち着き、沈静、静かな人・・というだけあって、本当に控えめな花ですね。

今年のぎぼうしです。



なぜぎぼうし(擬宝珠)かといえば、若い花序がこれ・・つまり、擬宝珠に似ているからというのですが、
あまりそうは思えないですね。

宝珠とは、ウイキペディアから京都三条大橋のものを拝借しました。
(ウイキペディア京都三条大橋より拝借)


つまりはネギ坊主の意ですが、皆さんはいかがですか・・?

また、オオバギボウシというのがありますが、これは別名「ウルイ」と言って山菜の仲間ですね。
これは、食したことがある・・・。

この日曜日から、7月の蓼科農園が始まります。名打って「七夕祭り」。大勢の参加が決まっているとかで、
さぞかし賑やかな祭りになることでしょうが、 ここは、静かに、落ち着き・・の
ぎぼうし=擬宝珠のような品位も添えられることでしょう・・!






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