蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

お茶を濁す  (bon)

2016-03-31 | 日々雑感、散策、旅行

 先日、利休を取り上げましたが、その際にお茶に因んだ言葉をいくつか思いだし、話しはそちらに
飛んで来ました。 あれこれとネットを見ていますと、かなりあることに驚きました。
どれもよくご存じの言葉ですが、改めて見てみたいと思います。
 

お茶を濁す (故事ことわざ辞典から)いいかげんなことや適当なことを言ったりしたりして、
一時しのぎに その場を取り繕うこと。 とあり、その語源は、「茶の湯の作法を知らない者が、抹茶を
適当にかき回し、それらしくお茶を濁らせてその場をごまかすことから出た言葉といわれる。」 
ちょっと耳が痛い感じです。 濁す・・は曖昧にするということだと念を押しています。

お茶を引く ヤフー知恵袋あたりを見ていますと、次のようにいろいろと出てきました。 
昔、遊里で客のつかない暇な遊女に、客に出す茶を挽く(抹茶にする)仕事をさせたことから、芸者・遊女・
女給などが客がなくて暇でいるという意味になった。 今でも、水商売で、客が来ない暇なことを
“お茶を引く”といっていますね。
 

           (ウイキペディアより)



 で、遊女・遊郭が出て来たところで、遊郭由来のことばが紹介されていましたので、いくつか抜粋してみます。

上がり お寿司屋さんや料理やなどで、最後に“上がり”(お茶)を頼みますよね。 この“上がり”と
いうのも、元は、遊郭由来で、「上がり花(あがりばな)」の略とありました。
“お茶を挽く”という言葉は、
客のつかいない遊女や芸者が暇を持て余していることを意味するため、遊郭では“お茶”を忌み嫌い、
「客があがる」という縁起を担いで「お茶」を「あがり」と言うようになった。 「あがり花」の
“花”は「最初」のことで、“出たばかり”という意味だそうです。出花(でばな)というのもありますね。元は、店側が使っていた言葉ですが、それが転じて最近ではお客側が使ていますね。

おあいそ  飲食関係で、会計やお勘定を意味する。 その由来は、遊郭の会計方法に使われた言葉で、
元は「お愛想尽かし」の意味で、女性を傍らにした客に、「お楽しみのところ、お愛想尽かしですが…」と
勘定書きを店の人が差し出していた。遊郭で遊ぶ人に、店の人間から使う言葉ですが、これも、いつしか、
客から言う言葉に変化していった・・のだそうです。

寄り付き 大引け  これは、株式取引で使用されていますが、“寄り付き”は、取引所で、
午前または午後の最初の立合で、特に午前のものをいう。 そしてその際の相場をいうとあります。
また、“大引け”は、取引所での最終の立ち会い。あるいは、そのときの相場。前場と後場の大引けのうち、
通常は後場の大引けをさすとあり、元は、遊女と客が見合ったことを“寄り付き” 、遊郭の営業終了が
“大引け”を意味したそうです。

かまとと  よく知っているのに、知らないふりをすること。何もできないフリをする女性を指すことが
多い。とあり、その由来は、江戸時代末期に上方の遊郭で、「蒲鉾(カマ)は魚(トト)からできてるの?」と
知らないふりをしてわざとらしく客に遊女が聞いた事からできたと言われている・・のだそうです。ほんとかな?

茶番劇  goo辞書を見ますと、もともとは、客のために茶の用意や給仕をする者を茶番といっていた
ようですが、それから意味が転じて、こっけいな即興寸劇を言うようになり、江戸歌舞伎の楽屋内で発生し、
茶番狂言などとも言ったそうです。更にそれが、底の見えすいた、下手な芝居。ばかげた振る舞いの意となり、
茶番劇というようになったとか。

お茶する 日本語俗語辞典には、“お茶する” とは、喫茶店へ行くこと。とあります。1980年代の
流行語の一つだそうですが、○○する?などのように、動詞を“する”に代替えた言い方なんですね。
映画する?(を見る?)、音楽する?(聴く?など)  また、 否定系の“お茶しない?”と 誘い言葉も
ありますね。  

茶飲み友達  ネットの解説で、以下のようなのを見つけました。 「お茶飲み友達というと、
年配者に多い傾向があるように思われますが、昔は若い人でも異性に好意を持ってそれを表現する際に、
よくお茶に誘うというケースが多くみられました。 
もっとも最近ではお茶ではなく、異性を誘う場合は
食事だったり遊びに行ったりすることのが一般的であるようです。そのために異性からお茶飲みに誘われたら、
それは恋人まではいかなくても、それなりの好意に近いものがある可能性が高いと言えます。とくに相手が
年配者だった場合は、友達以上恋人未満といった感じで、異性として意識されていると予測されます。
もっとも単に友達として付き合いたいと言うのでも、お茶程度なら付き合ってみるのも良いでしょう。
食事やどこかへ遊びに行くとなると、もっとかしこまった感じもしますし、一緒にいる時間も長くなるのが
一般的です。それゆえに本格的なアプローチの部類に入りますが、お茶ならばそこまでいかず、もっと気軽な
関係を築ける可能性もあります。」   どうですか皆さん!


 この他にもたくさんありますが、この辺で 上がり とします。

  鬼も十八番茶も出花  娘十八番茶も出花 茶色 茶封筒 茶碗 茶店 茶代・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

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薬師寺花会式  (bon)

2016-03-29 | 日々雑感、散策、旅行

                桜の開花が早かったものの、その後の気温が低く、“花冷え”が続いたため、
                           今週あたりがお花見の最高時期かもしれません。
                            誘拐された朝霞市の中学生は、先々週、不在のまま卒業式を挙げたそうですが、
                           おととい、無事に保護され、約2年ぶりに両親と言葉を交わしたそうです。  
                           真相はこれからですが、先ずは良かったです。

 

 奈良、薬師寺の法要のお話です。 (薬師寺公式サイト等から引用しました。)

 花会式とは、お水取り などと同じように、修二会(法要)のことですが、奈良時代から脈々と続いてきた
法要です。 修二会とある通り、この法要は2月(旧暦)
に行われますが、薬師寺の場合は旧暦の2月末に
行われていた事から、そのまま新暦に直して3月25日から3月31日にかけて行われています。
国家の繁栄と五穀豊穣、万民豊楽などを祈る春の行事です。

 東大寺の修二会では、若水を汲む行事で“お水取り”という俗称で呼ばれますが、薬師寺の修二会では、
十種の造花がご本尊に供えられるところから“花会式”と呼ばれ、「奈良に春を告げる行事」として
親しまれているのです。最終日の3月31日の夜には「鬼追式(おにおいしき)」が法要の結願(けちがん)を
飾るのだそうです。 このような現在の形態となっての法要は1107年に堀河天皇が皇后の病気平癒を薬師如来に
祈られ、その霊験を得て病気が回復し、皇后は10種類の造花をお薬師様の御宝前に供えられたことからと
伝えられているようです。

                薬師寺花会式
          (ネット画像より)
 

 また、花会式の法要のスタイルは非常に特徴的だといわれています。 花会式では、一日に、初夜[しょや]・
半夜[はんや]・後夜[ごや]・晨朝[じんぢょう]・日中[にっちゅう]・日没[にちもつ]の合計6回の
法要があり、十人の練行衆と呼ばれる僧は不眠不休で法要を行うのです。 実際の法要は、初夜・半夜と、
後夜・晨朝と、日中・日没の2回分の法要を朝、昼、夜の3回に分けて行うのですが、中でも圧巻なのは
初夜・半夜の行であるそうです。 残念ながら、この初夜・半夜の法要模様のu-tubeは見つけられません
でしたが、サイトによれば 「薬師悔過のお経は朗々とした節回しであるかと思えば、ある部分では非常に
大きな声を張り上げ、絶叫とも言って良いほどの声で読経することもあり、非常に変化に富んだお経であると
言えます。堂内で参詣する大衆を全くもって圧倒し、南都声明[なんとしょうみょう]の醍醐味を味わい
ながら花に囲まれた荘厳な世界を現出してくれます。」とありますから、機会があれば一度体験するのも
よいかもしれません。


             ベランダの鉢植え桜です。今年も咲きました。
                (3/23)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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利休忌  (bon)

2016-03-27 | 日々雑感、散策、旅行

 千利休は、今から425年前の旧暦2月28日に亡くなりましたが、今日3月27日は表千家で、翌28日には
裏千家でそれぞれ利休像を掲げ、追善茶会が行われているとあります。
茶道に縁のない身には、翁の究めた“わび茶”の奥深さなどは知る由もありませんが、利休翁については、
かって映画化もされたり、歴史の中でも有名です。     

   千利休像
      (ウイキペディア 長谷川等伯画より)
 

 千利休は、1522年、和泉国・堺の商家に生まれ、若年より茶の湯に親しみ、17才で師に仕え、
師とともに茶の湯の改革に取り組んだとあります。 当時、貿易都市堺では、茶の湯が大いに流行し、
堺の有力商人たちは、名物とされる茶器を蒐集したり 新たなスタイルの茶の湯を楽しんだそうです。

 その頃、織田信長は将軍・足利義明を京都から追放し、天下統一に向けて、その勢力が隆盛を迎えつつ
あった時代で、信長は茶の湯の流行に着目し、自身も数寄大名として茶の湯を嗜むとともに、政治の中に
茶の湯を政略的に利用したとも言われ、茶器の蒐集にも力を入れていたそうです。
信長が堺を直轄地とした時、利休は「茶頭」として雇われています。 利休はまた、堺の南宗寺に参禅して
いましたので、その本山である京都大徳寺とも親しく交わっていたそうです。

 本能寺の変(1582年)の後は豊臣秀吉に仕え、秀吉から重い信任を受けていました。 正親町天皇への
禁中献茶に奉仕する際、宮中参内するために「利休」なる居士号を勅賜されたのでした。 また秀吉の
命を受け、黄金の茶室の設計などを行う一方、草庵茶室の創出、楽茶碗の製作、竹の花入の使用を
はじめるなど、わび茶の完成へと向かっていくのだそうです。
秀吉の聚楽城内に屋敷を構え、聚楽第の築庭にも関わり、禄も三千石を賜わるなど、茶人として名声と
権威を誇り、秀吉の政事にも大きく関わっていたそうです。

 それが、1591年、利休は突然秀吉の逆鱗に触れ、堺に蟄居を命じられ、前田利家や、古田織部、
細川忠興ら大名である弟子たちが奔走したにもかかわらず助命は適わず、京都に呼び戻された利休は、
聚楽屋敷内で切腹を命じられるのです。享年70才。切腹に際して、弟子の大名たちが利休奪還を図る
恐れがあることから、秀吉の命令を受けた上杉景勝の軍勢が屋敷を取り囲んだと伝えられているそうです。
死後、利休の首は一条戻橋で梟首されたとあります。

 利休は、なぜ突然 秀吉の逆鱗に触れたかについては、いろいろな説があるようですが、ウイキペディアから
2つほど引用しますと、

  ・「大徳寺三門(金毛閣)改修に当たって増上慢があったため、自身の雪駄履きの木像を楼門の二階に
設置し、その下を秀吉に通らせた」[

 ・「秀吉と茶道に対する考え方で対立した」

などがありますが、利休が参禅していた南宋寺は徳川家康と繋がりがある上、秀吉から堺への追放令が
出る直前に、家康一人を茶会に招いていたことが大きく起因しているのではないかと思えるのです。
切腹の際にも、利休奪還を恐れて軍を配置したことからも秀吉が怯える要素があったのではないか。

 秀吉に可愛がられ、茶人としての名声の絶頂を得、天下人の側近として、天下一の茶の湯者として
名を馳せた利休の生涯は、皮肉にもその天下人・秀吉との対立によって幕を閉じることになったのです。
利休の幼名は 田中与四郎(與四郎)、後に、法名を宗易と名乗っています。

 利休の茶道は、三千家として今も続いています。すなわち、表千家・裏千家・武者小路千家です。
茶道の数ある流派の中で、最大流派である三千家は、ウイキペディアによれば、利休の死後、先妻の嫡男
(道安)と 後妻の連れ子(少庵)が後継者となるのですが、直系の道安は早くに断絶となり、傍系の少庵が
この道を受け継ぎ、その子、千宗旦の次男宗守が武者小路千家を三男宗左が表千家、四男宗室が裏千家を
それぞれ独立して流派を継いでいるのですね。 本家の堺千家は断絶しているのです。

 家元制度が確立され、三千家が最大の組織を誇りますが、中でも裏千家が表千家の倍以上の組織を維持して
いるそうです。

 
 人物、逸話についていくつか抜粋しておきます。

  • 現存している利休の甲冑・具足から推定すると身長は180cmほどで、当時としてはかなりの巨躯だったとされる。利休没後100年頃に成立したと推定される『南方録』にも利休が大男であったという記述がある。
  • ある朝、秀吉が利休に茶会に招かれると庭の朝顔が全て切り取られていた。不審に思いながら秀吉が茶室に入ると、床の間に一輪だけ朝顔が生けてあり、一輪ゆえに際立てられた朝顔の美しさに秀吉は深く感動した。
  • 秋に庭の落ち葉を掃除していた利休がきれいに掃き終わると、最後に落ち葉をパラパラと撒いた。不思議に思った周囲が尋ねると「少しくらい落ち葉がある方が自然でいい」と答えたという。
  • 切腹を命じにきた秀吉の使者に対しても動じず「お茶の支度が出来ております」と述べた。

 


ポップスにこんなのがありました・・

 


茶音頭(地唄)

 

 

 

 

 

 

 

 

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電力自由化  (bon)

2016-03-25 | 日々雑感、散策、旅行

 いよいよ4月から電力の自由化が始まり、小売電力事業者は、253社(資源エネルギー庁 3月18日現在)が
新規参入したとあります。(この他、これまでの電力会社は全国10社あります。)
 このテーマについては、横目で見過ごそうと思っていましたが、思い直してちょっと日記風に残して
おこうと思いました。

 昨日(3/24)NHKテレビの「あさイチ」でも取り上げていまして、番組ディレクターとしては、
自由化に際して“電気代”がどれほど安くなるか? その会社はどこか? を基調にシナリオ展開されて
いましたから、やはり“電気代”が最も一般関心事なのでしょう。

 そもそも、電力の自由化の目的は、これまで地域独占(自然独占)であった電力市場に新規参入規制を
緩和し、市場競争を導入して電気料金の引き下げ、資源配分の効率化を進めることにありますから、
電気代が安くなることは歓迎です。 

 で、電力供給の仕組みは、資源エネルギー庁のページを参照しますと、

発電部門 水力、火力、原子力、太陽光、風力、地熱などの発電所を持ち電気を作る部門

送配電部門 発電所から消費者(家庭等)までつながる送電線・配電線などの送配電ネットワークを
管理し、物理的に電気を家庭等に届ける部門です。
また、ネットワーク全体で電力のバランス(周波数等)を調整し、停電を防ぎ、電気の安定供給を守る
部門でもあります。

小売部門 消費者(家庭等)と直接やりとりをし、料金メニューの設定や、契約手続などのサービスを
行い、消費者が必要とするだけの電力を発電部門から調達する部門です。 今回、電力小売全面自由化により、
この部門に事業者が自由に参入できるようになったのです。(大規模工場などの大口電力消費者には、
これまでも自由化されていました。)

 ここで、発電部門 は、すでに原則参入自由となっていますが、「送配電部門 は安定供給を担うため、
電力小売全面自由化後も引き続き、政府が許可した企業(各地域の電力会社“東京電力、関西電力等”)が
担当します。

 そのため、「どの小売事業者から電気を買っても、これまでと同じ送配電ネットワークを使って電気は
届けられるので、電気の品質や信頼性(停電の可能性など)は変わりません。 なお、電気の特性上、
電気の需要(消費)と供給(発電)は、送配電ネットワーク全体で一致させないと、ネットワーク全体の
電力供給が不安定になってしまいます。 そのため、もし小売部門の事業者が、契約している消費者が
必要とするだけの電力を調達できなかった場合には、送配電部門の事業者がそれを補い、消費者にきちんと
電力が届くように調整します。」とあり、今回の自由化により、新しい参入会社に移行しても、
これ迄と同じ品質で、安定に受電できることが保証されているのですね。
 ここで、最後に述べられていることは、新規参入会社が、契約需要家の必要とする電力を調達できなく
なった場合でも、送配電部門でそれを補って、エンドユーザには迷惑がかからないといっているのです。
つまり、不足した電力は、小売会社と発電会社との双方の決済により解決されるというのです。

     電力供給の仕組み
       (資源エネルギー庁)
 

 ここで、新しく契約会社を変更した時の具体的な電力供給の仕組みがどのようになっているか?に
ついては、ネット調べでは確認できなかったので、推測でしかありませんが、おおよそ以下のように
考えられます。
 すなわち、新しい参入会社Aと契約したとすると、受電メーター(スマートメーター)のところに、
契約社Aが記録され、私が消費した電力は、このメーターから契約社Aから購入したことになります。
実際の電気は、これまでと同じように供給されていますが、受電メーターのところで、A社と判別される
のです。これらの消費者を合算したものが、会社Aが販売した総電力量となります。そして、会社Aは、
発電会社と契約(仕入れ)した
購入電力量との差に応じて決済される。 仕入れ量=販売量が理想で
ありますが、通常は差が生じると思われ、差がマイナス つまり、仕入れ量より販売量が上回った場合は、
ペナルティ料金で割高料金が加算される。ここで、会社Aが、自家で発電部門を持っているか、複数の
発電会社と契約した場合の事例があればより分かりやすいのですが、この部分の例示が見つけられません
でした。 会社Aは、自ら電力送電網に供給する電力がその接続点で計測されており、その分が相殺される
仕組みがとられていると思われます。複数の発電部門と契約している場合も同様にして、消費量に応じた
比例配分?などで区分されるのではないかと想像できます。

 チョット違った例ですが、たとえば銀行で送金する場合、送金したお金が、そのまま相手に届けられる
のではなく、送金点で引き落とされて、相手の口座に振り込まれる・・当り前ですね。他行に跨る場合は、
銀行同士が接続している関門点で差し引きされる。お金にしるしが付いていませんから出し入れされる
情報だけがやり取りされ、実際のお金(電気の場合は電力)は、それぞれネットワーク上にある
(送電線上にある)お金(電力)が供給されるのですね。 また、鉄道の乗り入れで、ICカードで自由に
乗り継ぎ出来ているのも同じような仕組みなのでしょう。

 番組「あさイチ」では、新しく契約したい会社の選択の例をやっていました。 
ネットの検索サイトに、領収書等から、契約アンペア数、電気料金、生活のライフスタイル(家族、夜型?
など)を入力すると、複数の会社がリストアップされ、各会社の電気料金(割引額)、契約内容などが
表示され、その中から選択すればよい ということになるのです。 この時、割引内容には、電力
そのものの料金の他、自社が提供するサービス(ガス、携帯電話、ケーブルテレビなど)などとの
セット割引されていることがあり、どの部分の料金が割り引かれているかをチェックしたり、契約解除時の
解約金の額なども把握しておく必要があると解説されていました。これらの条件や料金から、自家の
消費電力の量やライフスタイルに合った会社を選択することが大事であると・・。 単位電力料金が
消費電力の大きさで段階的に設定されていることが多く、一人住まいなどの消費量が少ない家庭では、
電気料金が現状よりも高くなるケースもあるようです。

 しかし、電気料金が安くなるということだけで新しい契約会社を選択するという人ばかりでなく、
エコや脱原発などを重視する人は、料金が現在よりも高くなっても、再生可能エネルギーを供給してくれる
会社を選定するケースも紹介されていました。

 電力自由化の概要は以上の通りですが、電力需要の盛んな夏場などを無事に乗り切れるか不安が無い
わけではありません。いずれにしても、節電に努めることは大事なのですね。

 長くなりましたが、最後に、私自身はどうしたか? については、いとも簡単に、ごく最近、
ネット検索も何もしないで、これまで利用している“ガス会社”に移行申請しました。
安くなるか? ではなく、これまでの電力会社から離れる・・との意から、どちらかといえば感情?的な
面からかもしれません。   なぁ~んだ!

 

 

 

 

 

 

 

 

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光格子時計  (bon)

2016-03-23 | 科学・生物

 正確な(精度の高い)時計が求められていました。

 古代より、人々の活動には時刻を知ることや時間を計る(計測する)ことが必要であった。紀元前には、
すでに日時計が発明されていて、その後 各方面での研究や開発が進み、水時計、砂時計などが考案されて
きています。

 15世紀頃から始まった大航海時代には、自船の位置を把握するため、精密な緯度や経度の測定法が
求められていましたが、緯度は天体の位置測定で容易に求められるようですが、正確な経度は測定困難
でした。 精度の高い振り子時計でも、海上では波の揺れの影響で機能しなかったのです。
1759年に、イギリス人 ハリソンにより、船上でも正確に時間を計測できる「クロノメーター」
(ゼンマイ式時計)が開発され、当時大英帝国は世界を主導する立場にありました。 グリニッジ平均時
(GMT)を見ても、時計による覇権の典型とみなせるのです。

 時刻、時間は 人間の活動における基準の一つでもあり、人と人との活動やコミュニケーション(約束)に
おいて共通な基準を与えるものです。 卑近なところで、会合開始、終了時刻、列車の時刻表、時報、金融、
商取引
などなどです。 そして、人々の活動が世界を舞台とする時代には、世界で共通の時刻の設定が
必要であり、また、計測における時間も、より正確性が求められてくるでしょう。

 1960年代には、世界時(UT)が定められるようになり、時代の進展とともに、その制度の要求に応じ、
UT0~3と発展し、ついに1972年には「協定世界時」(UTC)が制定されることになるのです。
 これらの時計の基になる1秒は 地球の自転を基に定義されてきているのですが、地球の自転は不安定で
ある上、潮汐摩擦の影響でだんだん遅くなっていることが判明しているのです。

 一方、1950年代から開発が進められてきた、原子時計は 1967年の国際度量衡総会で、セシウム原子の
放射周期を基にした1秒が定義されたのです。 これは、10桁の精度を持つと言われますが、82年には
さらに18桁の精度の原子時計が開発されたとあります。
 我々の良く知る、水晶振動子を用いた市販の「クオーツ」電子時計は、80年代から出現するのですが、
この精度は5桁程度ですから、上で述べた原子時計による電波を受信して自動修正する「電波時計」として
普及しているのです。 日常不要とも思える、原子時計の高い精度を追及して、一体何の役に立つのか? 
などの疑問もあったかもしれませんが、これが大きな役に立つのですね。

 アメリカ国防高等研究計画(DARPA)は、1978年原子時計搭載のGPS(全地球測位システム)を成功させ
ていますが、83年にはこれを開放して、今日のGPSカーナビやスマホなどの位置測定に役立っているのですね。
 時計の精度を高める・・というのは、このような想像もつかないところに役立っているのです。
 GPSは、ご存知のように、打ち上げられたGPS衛星のうち複数個の衛星を使った電波の受信時間差から
割り出して位置測定を行うシステムであり、この精度は時計の精度に依存するのですね。
スマホなどの応用例は、地図情報と連動した位置情報表示で、登山、フィールド、船舶、ゲームなど
多方面に広がっています。カーナビの利便性はよく知られているところですね。

 この、時計の精度向上は、現在も世界で開発研究が進められていて、1989年には、「単一イオン時計」
(単一イオンの光遷移を観測)を実験的に完成させており、セシウム原子時計の10桁精度に比べ、
光震動を用いるとさらに精度は4~5桁向上することが出来たのです。 さらに、測定時に混入する
「量子ゆらぎ」の影響を軽減するために多数回の測定を行った平均を取ることによって、18桁の精度を
保ったのでした。 つまり、10日間を費やして、100万回測定を繰り返して得た結果なのだそうです。

 ならば、「もし一度に100万個の原子を観測することが出来れば、たった1回、1秒の計測で18桁の振動数を
読み取ることができるだろう」との思いを込めて発明したのが「光格子時計」なのです。 しかも、
これは日本で発明されているのです。 
 香取秀俊
氏(東京大学大学院教授・理化学研主任研究員 1964年生)は、2001年に提唱し、03年実験を
経て、05年に開発成功しています。2010年に発表した「光格子時計」は、原子を光の定在波に閉じ込めて
100万個の原子の同時観測を実現したのでした。そして、昨年、2015年香取氏らは、ストロンチウム光格子
時計2台を比較することにより18桁の精度を確認したと発表しました。 同年9月に行われた世界度量衡
委員会に於いて、世界7グループの測定結果の加重平均から16桁の1秒の定義が勧告されたのです。

 香取氏が研究をする理研(埼玉県和光市、標高35.6m)で作った時計と、15km離れた東大(東京・本郷、
標高20.5m)で作った光格子時計と振り子の振動数を比べると、東大の振り子がわずかにゆっくり
振動する
のがわかり、『これは、重力が強い程 時間がゆっくり進む、アインシュタインの一般相対論的時間遅れ
からである。』と述べられ、『重力が強くなった分だけゆっくり進む時間を表示する。相対論的な
“時空”の歪が日常のスケールに顔をのぞかせ、時間を共有するための道具だった時計は、重力で歪んだ
時空間を探るツールに変貌する。』と述べられています。   

       「柔らかい時計」サルバドール・ダリ
          ( naverまとめダリ画像より)
 

 これほど時計の精度を高めていったいどうする?かは、 かって、原子時計が発明されて、精度が高め
られてそれが、GPSなどへの発展を見るのと同じように、今後、さらに、GPS制度を阻む厚い大気擾乱の
影響を除外した超高精度な位置決定も可能となるだろうし、自動運転にも役立つだろう。
また、光格子時計がkm間隔のグリッド状に光ファイバーで繋がれば、地殻や地下水の変動、マグマだまりの
移動などが実時間で把握することもできるだろう・・と近い将来の夢を描かれています。 そして、
『20年後の社会インフラとして、まずIoC(Internet of Clock)が生まれているのではないか? 
GMTで9時間も遅れを取った日本がGPSに代わる次世代相対論的時間インフラのテストベッドとして世界に
貢献するチャンスではないか。』と強い意気込みさえ見せられています。


 

 

 

 

 

 

 

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すずめ  (bon)

2016-03-21 | 花鳥風月

                 昨日は、春分でした。 センバツ高校野球が始まりました。
           今日、振り替え休日で連休です。 琴奨菊vs稀勢の里はどちらが・・! 

 

 最近めっきり見かけることが少なくなった「スズメ」です。 
でも、餌などを置いておくと、街なかでもよく飛んできて、餌が無い時は、近くまで飛んできて
そのあたりにたむろ?して、餌を催促しているような感じになります。
 我が家のベランダにも、お皿などに、餌を入れて置いておくと、どこから来るのか、集まってくるのです。 
食パンを小さくほぐして、お皿に入れておくのですが、そのあたりを飛びまわりながら、餌をついばんで
いるのです。 
 時々、一回り大きくてすばしこいムクドリ、ヒヨドリがくると、スズメは、遠慮して、近くに下がります。 
じっと見ていると、スズメは要領が悪く、ムクドリなどが、餌をくわえて、どこかに飛び去って、
餌皿に誰も居なくなったときに、素早く取りに来ればよいものを、近くから眺めているだけで、その内また、
ムクドリがやってきてしまう。
 スズメは見たところどれもほぼ同じ模様をしていますが、やや大きくて太っているのやら、痩せて
かわいそうに見えるのや、一目で小さいと分かるものまで、いろいろいるのですね。

 ベランダのスズメ
   

 

 以前には、みかんを串刺しにして置いておくと、メジロが来てよく食べますが、メジロはやや鈍感で、
人の気配がしてもしばらくは、ついばんだままいるのです。 メジロは形も可愛いし、なんとなく愛らしく
感じますが、最近は、食パンですので、もっぱらスズメたちです。
 で、ムクドリ、ヒヨドリなどは、花のつぼみを食べたり、花が咲いた直後に花を食べたりしています。
さくらなども好物かもしれません

 

 ウイキペディアによれば、すずめ、雀(学名 Passer montanus )は、スズメ目スズメ科スズメ属に
分類される鳥類とあり、人家の近くに生息する小鳥である と記されており、現生鳥類約1万400種のうち
半分以上の約6200種がスズメ目に含まれるという鳥類最大の目である のだそうです。
 世界中に広く分布しており、人間にとって最もなじみの深いグループのひとつで、一年中見られる留鳥
または 漂鳥である。典型的なシナントロープで、人間が住み始めた集落にはスズメも居着き、逆 に
人間が離れ集落が無人になるとスズメも見られなくなるという傾向がある のだそうです。

 いつも良く来る、ムクドリ、ヒヨドリそしてメジロなどもスズメ目で、この他、シジュウカラ、
ツバメ、ウグイス、なども雀に近い種です。 カラス、モズなどは、同じスズメ目ですがちょっと離れた種
のようです。

  おまけです。
 
今年も、木瓜(ボケ)が咲いています。 昨年は、つぼみのうちに、鳥たちに食べられてしまって、
花は少なかったです。

        木瓜
          



 

 

 

 

 

 

 

 

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早割  (bon)

2016-03-19 | 日々雑感、散策、旅行

 航空券などでお馴染みの早割・・早めに予約購入すると割引が得られる(割安)そんなサービスですね。 
先日のNHKの番組「あさイチ」で、葬式(葬儀)の早割をやっていました。
 しっかりと見ていた訳ではなかったので、具体的にどのように番組が進行されていたかはわからない
のですが、なるほど・・だれでもいつかはお世話になるのだから、早めに予約しておくのも良いのかも・・。
早ければ、それだけ割引率も高く“お得”なんだそうです。

 で、例によって、ネット調べをしてみましたら、ありました。

「小さなお葬式」との見出しで、㈱ユニクエスト・オンライン(本社:大阪市北区)は、2014年3月に
プレス発表していました。この会社は、インターネットで業界初の定額・低料金のお葬式「小さなお葬式」を
運営しており、業界初の「早割(はやわり)」チケットを販売したとのことです。
その後、1年間で 5,000件 の販売実績があったことから、昨年4月からインターネットだけでなく、
コンビニでの購入も可能にしたとありました。

          小さなお葬式HPから
          

 HPでは、早割の仕組みが紹介されていました。
 チケット購入時(申し込み時)に500円を支払う。 30日~3年の有効期限で、3年が過ぎると権利は無効と
なる(500円は掛け捨て)。 継続するには、500円が必要。チケット購入時から30日以内は免責なので
早割効果はありません。
で、小さな家族葬プラン(493,000円)の場合、31日~1年未満は15,000円割引、2年目30,000円、
3年目50,000円割引と、早い方がお得・・とうたっています。 また、葬儀場所は、全国3000か所のホールが
提携されていて、すべての都道府県で葬式が可能とされていました。

 えらい時代になってきました。 普通は、その時になって初めて行動するものと決まっていました。 
お葬式をする時、葬儀社などとの交渉にバタバタして、それでなくても、いろいろとパニクッていて
一度にあれこれと決意することが迫られる・・そんな経験をお持ちの方も多いのではないかと思います。
事前に登録して、あれこれと決めておく・・確かに合理的であります。どんな形式にするかなど、
場所も決まってしまいますから精神的にも楽ですね。
 ネットには、この早割りチケットを購入している多くは、親の葬儀に当てているとありました。
もちろん自身の葬儀も当然あります。

 運営会社の方は、チケット購入時に500円の掛け捨ては 特に意味があるわけではないように思いますが、
とにかく葬儀の予約が事前にとれること、この“早割”が営業キャッチフレーズとなり、葬儀が他社に
取られない保証が得られる。こうすることによって、葬儀社と有利な(料金で)契約が出来、差額が
利益に見込まれる。 私の知るところでは、病院などと何社かの葬儀社が取引関係として存在し、
その時の医師?などによって、当該葬儀社が推薦されるようです。また、町内会などで葬儀場を持つ場合
などでは、葬儀社はその町内で決められるようです。 しかし、多くの出稼ぎサラリーマン諸氏にとっては、
地元との繋がりが希薄であるため、この“早割”は、意外と便利なのかもしれません。

 お葬式といえば、その昔、伊丹十三監督の映画「お葬式」や 割と最近の「おくりびと」が思い出され
ますが、厳粛な葬儀というより、その裏側の相続問題や、血縁関係者間のどろどろした面を捉えたもので
ありましたが、この早割りは、ビジネスとして登場しているのですね。
 いずれするのだから、それが事前に、あらかた思う通りの形式にセットできて おまけに割引になると
いうのだから・・まさに新しいビジネスなんですね。



 

 

 

 

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面白い言葉  (bon)

2016-03-17 | 日々雑感、散策、旅行

                     今日は、暖かくなりそうです。
                    先の、コンピューター囲碁「アルファ碁」は、4勝1敗で終わりました。

 これといった定義があるわけではなく、また、このような語を集めた資料的なものがあるとも思えなく、
全くの“自己流的おもしろ”言葉で、私だけが面白がっているのかも知れません。
 前置きに言い訳が先行していますが、どんな言葉が面白いと思っているか、恥ずかしながら順に並べて
みました。 コメントなどありましたらお待ちしています。

里心(さとごころ)
 他家や他郷に出ている者が、実家や郷里を恋しく思う心。とあります。故郷(こきょう、ふるさと)を
懐かしく思うだけではなく、そこに戻りたい、今いるところで頑張っているけれども、気が張ってストレスも
たまる。 あの自由で気ままにふるまえた故郷を恋しく思うのですね。
 里は、生まれたところのことで、里心がつくのは、その環境が違っていて、何らかのストレスを感じた時に
起こるのでしょうか。

 走り書き
 急いで続けざまに文字を書くこと。また,そうして書いたもの。  辞書にはこのように出ています。
ささっと、走るように急いで文字を書くことですが、その状況を良く言い当てていると思うのです。
走るというのが面白いです。 こんなことに関心している場合ではない?! 
速記というのがありますが、こちらは、話し言葉を、そのまま早く写し取る、“早や書き”で、それには、
流儀あるいは法則などがあるようです。 
 また、メモと走り書きの違いを気にする人もいるようですが、これは似ているようでも、表現している
次元が異なっていて、メモは、メモリアル=備忘録で、個人的な書きとめ、伝言するための簡単な記述で
あって、走り書きは、書いている(書かれた)状態を言っているのですね。
メモを走り書きする・・なんてのもあります。

 上の空(うわのそら)
 デジタル大辞泉には、
  他の事に心が奪われて、そのことに注意が向かない(集中していない)こと。また、そのさま。
 心が浮ついて落ち着かないさま。「上の空で人の話を聞く」
 2 天空。空中。そら。
 3 あてにならないこと。根拠がなく不確かなこと。また、そのさま。

とありますが、“空の上”がなぜ、このような意味、つまり「他のことに心が奪われて・・」を意味するのか、
うまい表現といえばそうですが、どうしてこのような言い方が出来たのでしょうか?
 自分勝手な解釈ですが、地上に立って真上を見ると、そこには空があります。しかし、空とは、その中に
入れば、これといった存在物を確認することはできません、つまり“何もない”のですね。 この空の更に上 
ですから、もうこれは何もない・・心が空(くう=から)である。心ここにあらず・・ですね。 
仏教で言う「空(くう」」は、有るとか無いとかでいう、“無い”ではなく、そのような次元ではなく、
もともとすべては空(くう)、つまり無(む)だというのですから、難しいですね。

 空耳(そらみみ)
 もう一つ、空に、空耳がありました。

 実際にはない声や物音を聞いた様に思うこと・・ですね。 物理的な耳ではなく、聞こえるという視点から、
それが空(くう)であるところから、声、音は無かったというのですね。 しかし、この意味は、実際には、
声や音が無いにもかかわらず、あたかもあった(ある)と感じる・・むしろ“有る”事の方を表現している
のですね。⇒幻聴   ネットには、視覚の場合は、空目という とありました。

 合わせ鏡
 面白い言葉 に、最初に気が付いたのがこの言葉なんです。 2枚の鏡を合わせて、うしろ姿を見る・・
なんとも粋な表現を考え出したものだと、改めて感心したのでした。 この状況を端的に表現する方法は
なかなか見当たりませんが、昔の人は良く言い表したものですね。それでウイキペディアを検索してみますと、
以下の3つのことがまことしやかに解説されていました。

 ―有限性
 合わせ鏡の像は「無限に続いている」と評されることがあるが、実際には、有限個の像しか見ることは
できない。その理由は・・として述べられています。

 ◇1枚目の像が、2枚目以降の像を隠してしまう。これを避けるために、鏡や像の位置関係をずらすと、
有限回の反射で像は鏡からはみ出てしまう。
 ◇反射率100%の鏡は存在しない。
 ◇像は光の行程の逆二乗に反比例して小さくなるため、有限回の反射で見える限界より小さくなる。
 ◇真空中以外では、光は吸収・散乱される。
 ◇光速度は有限なので、無限の像を生むには無限の時間が必要である。

 -光時計
 合わせ鏡は、特殊相対性理論の思考実験に使われる。合わせ鏡の間を反射する光を利用して時間を計測する
光時計を使って、速度による時間の遅れを説明できる。

 -都市伝説
 合わせ鏡を作り呪文を唱えると悪魔が現れる、過去・未来が見えるといった都市伝説がある。

          合わせ鏡
           (ネット画像より拝借しました。) 

後ろ前
 後ろと前で、何の変哲もありませんが、これは、どうやら衣服に関して使われる以外、あまり例がない
ようです。ネットによれば、
  洋服などの後ろと前とが逆になること。「帽子を後ろ前にかぶる」「後ろ前に着る」
 2 着物を縫い直すときに、前身頃と後ろ身頃を取り替えて縫うこと。

とありますが、シャツなど、後ろと前を反対に着てしまった時などに使われています。

左前(ひだりまえ)
 こちらは、デジタル大辞林では、
  相手から見て、左の衽(おくみ)を上に出して和服を着ること。普通の着方と反対で、死者の装束に
用いる。ただし、女性の洋服類は左前に仕立てる。
 2 運が傾くこと。経済的に苦しくなること。左向き。「家業が―になる」

とありました。ここで言う前とは、“手前”の前であるらしい。つまり自分から見て、前にあるということで、
洋服の場合、男は、右の襟が“手前”になり、女物は、その反対に左が“手前”になっているのですね。
和服(着物)の場合は、男女とも、千年以上も前から右前ということなんですね。利き手が、右利きの人が
多いので、右前の方が活動しやすい・・などとの理屈もあるようですが、まあ、そのようになっているのだ!と
思いましょう。洋服の場合はどう理屈をつけるか?もありますから・・。

 2の意味が面白いのですね。“このところ、うちの会社は左前”など、苦しい時の表現にありますね。
語源としては、和服(日本において)は男女とも右前ですが、死者に着せる時、区別して“左前”に
着せるのだそうです。それで、縁起が悪い、経済的によくないことに当てはめているのですね。

左うちわ
 左が、よくないこと・・でもないようです。左うちわ、左扇などは、ゆとりがあり、特に経済的にあるいは
勝敗に余裕が有る様をこのように言っています。 一般に、右利きの人が多いので、右手で一所懸命に
仕事をこなしているときに、ゆうゆうと左手にうちわなどをもって、風を送っているさまをこのように
表現しているのですね。

 

 まだまだ、・有明けの月 ・狸寝入り ・油断・・・など、次々と、このような言葉が出てきて止まりま
せんが、この辺にして、後は自分だけで楽しんでいることにします。
ここまでお付き合いくださいましてありがとうございました。


 

 

 

 

 

 

 

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ディープ・ラーニング  (bon)

2016-03-15 | 日々雑感、散策、旅行

                 このところ、寒い日が続いていますが、
                お水取りも終りましたのでそろそろ暖かくなってくるでしょう。


 コンピューターが3勝1敗、今日15日、最終の対局があります。
 コンピューターと韓国第一人者のプロ棋士、李世乭(イ・セドル)九段との囲碁対局の話です。 
新聞でも、テレビでも大きく取り上げられていましたから、大方の人はご存知ですね。 ほんの数年前まで、
コンピューターがプロ棋士に勝つなんて想像もしていなかった、せいぜいアマチュア有段者くらいの実力だった。
今回の対局前の予想でも、恐らく李九段の勝だろう・・と見られていたそうです。

 ちなみに、コンピューターとプロとの対戦の歴史を見てみますと、

    1994年 チェッカー 世界チャンピオンに勝利
    1996  オセロ    〃
    1997  チェス    〃
    2013  将棋    プロ棋士に勝利
    2016  囲碁    世界トッププロ棋士に勝利(目下3勝1敗)

                 (ウイキペディアより)


 で、囲碁については、既に1960年代にコンピューター囲碁の研究が始まっていたそうですが、1970年代
あたりでは、まだ、置かれた石の周辺に発生する影響を関数として扱う手法や、石の生死を判定する
アルゴリズムなどが生まれた程度で、1979年には、攻撃と防御の基本的戦略と、完全につながった石や、
つながってはいないがひと塊の石として認識できるなどの、階層パターンを持った囲碁プログラムが出来ていた。
(ウイキペディア) 80年代中頃には、コンピューター囲碁大会が開催されるなど、世界中でも話題となり、
90年代後半から2000年に入り日本でも“世界コンピューター囲碁大会”が開催されるなど次第に盛り上がりを
みせていましたが、2009年あたりでも、プロ棋士に8子、9子を置いてようやく勝つといった程度だったとか。 
 この頃の囲碁コンピュータプログラムは、私たちがするような“手筋”を読むやり方に近く、「モンテカルロ
法」と呼ばれる手法による、石の生き死に、地所の大きさなどの評価関数や対局手筋の知識ベースを参照したり
するプログラムであったようです。コンピューターの性能も今日ほどではなかったからかもしれませんが、
プログラムの改良は次々と発表されていきました。 

 2015年1月、井山名人と4子局を2局打ち、名人が2勝し、同3月の本因坊治勲との3子局でも本因坊が
勝っていました。

 それが、2012年にGoogleのXLabが発表した、ランダムに選んだ大量の猫の画像データをディープラーニング
(深層学習)によって コンピュータに読み込ませ、猫の特徴量を示すネットワークを構築することで
“猫が認識”できた ことを契機に、コンピュータ囲碁にこの手法(と、モンテカルロ法を結びつけた手法)を
取り入れた「アルファ碁」(グーグル傘下のベンチャ企業開発)との対局が、このほど行われ、冒頭の戦績を
残すという画期的な“偉業?”となったということです。

 ようやく、表題に近づきましたが、このディープ・ラーニングという手法が、もう30年も前から騒がれていた、
人工知能(AI)をこれまでの研究レベルをグッと引き上げた感があります。すなわち、私たちが、いろんな
“花”を区別して、認識していますが、それは、花の形、色、花びらの付き方・・などなどのいろんな特徴を
分析して、記憶して、花を見た時、これは、ユリ、これはチューリップ と判別しています。この時、
花のどの部分を見れば良いか、似た花の場合などは、どこがその特徴か? など、対象によって、特徴を
見分ける部分を選定しているのですね。 コンピューターに大量の画像を入力して、それらの特徴量をどんどん
記憶させ、何層にも分けた分析ネットワークを独自に構成(自己学習)して、認識精度を高めて行く・・
そして目的のものを選定(認識)する。 そんな感じなんでしょうか。

 今回の「アルファ碁」では、プロ棋士の対局、16万局、3000万の盤面画像を読み込ませて、次の手を
どこに打てば、最終的に勝つ確率が最も高いかを推論する。 対局相手が、予想外の手を打ってきた場合でも、
混乱せずに冷静に対応できるのだそうです。 特に、スパコンを使用しているのではなく、1200個以上の
CPUを繋いだ装置で計算しているという。 対局の感想としては、プロ棋士なら打ちそうにない手が出て
いたりもするようですが、次第にそれが活きてくるようでもあり、後半になるほど強くなってくるようだとも・・
言われていました。  そして、疲れを知らない・・。

 ディープ・ラーニング技術は、自動車自動運転、がん細胞などの画像診断、ロボットの制御など
「人工知能」を発揮した応用分野が今後ますます広がることでしょう。

 ランチの会のメンバーの一人が先日、車のディーラーで、自動運転車に試乗した時の感想として、
「ハンドルが、勝手にぐるぐると動くのを見るのは精神的によくない。」といっていました。

最後に、ITmediaページの松尾氏の著書から・・
 『ディープラーニングの登場は、少なくとも画像や音声という分野において、「データをもとに何を
特徴表現すべきか」をコンピュータが自動的に獲得することができるという可能性を示している。簡単な
特徴量をコンピュータが自ら見つけ出し、それをもとに高次の特徴量を見つけ出す。もちろん、対象は画像や
音声だけではないし、これだけですべての状況における「特徴表現の問題」が解決されたとはとても思えない。
 しかし、きわめて重要なひとつのブレークスルーを与えているのは間違いない。「人間の知能がプログラムで
実現できないはずがない」と思って、人工知能の研究はおよそ60年前にスタートした。いままでそれが実現
できなかったのは、特徴表現の獲得が大きな壁となって立ちふさがっていたからだ。
 ところが、そこにひと筋の光明が差し始めている。暗い洞窟の先に、いままで見えなかった光が届き始めた。
できなかったことには理由があり、それが解消されかけているのだとしたら、科学的立場としては、
基本テーゼに立ち返り、「人間の知能がプログラムで実現できないはずはない」という立場をとるべきでは
ないだろうか。
 いったん人工知能のアルゴリズムが実現すれば、人間の知能を大きく凌駕する人工知能が登場するのは
想像に難くない。少なくとも、私の定義では、特徴量を学習する能力と、特徴量を使ったモデル獲得の能力が、
人間よりもきわめて高いコンピュータは実現可能であり、与えられた予測問題を人間よりもより正確に解く
ことができるはずである。それは人間から見ても、きわめて知的に
映るはずだ。』

 

 追)韓国ドラマ「未生(ミセン)」が人気ですが、韓国では、ミセンと読み、「囲碁用語で、まだ目が2つ
出来ていない状態の不完全な石」を言うらしいです。で、このドラマは、26歳まで囲碁のプロを目指してきたが、
突如、韓国の大手商社に入り、会社知識の無いまま、他の新人と共に苦労しながら成長して行く・・
組織のいろんな人物との絡み合い、業務の難しさ、喜びなどなど、誇張されないリアルな場面が描かれて、
つい、我が身に置いて引き込まれてしまいます。

 

 

 

 

 

 

 

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地方と地域  (bon)

2016-03-13 | 日々雑感、散策、旅行

 ウイキペディアなどの定義によると、“地方とは、ある国の地域。三大都市圏以外の都市。”とあり、
中央との対称的な関連から、“中央卸売市場⇔地方卸売市場、中央競馬⇔地方競馬”などの例示があります。
一方、“
地域とは、同じ性質をもっているなどの理由からひとまとめにされる土地のこと。”とあり、
内容的には、“人間と自然の関係、海洋・景観・環境の関係、さらには、機能的に結びついて形成された
生活圏、通勤圏”などが挙げられていますが、 今一つ “これだ!” という違いが明確ではありません。

 なぜこのような事を言うかといえば、先の、第二次安倍内閣の主要政策の目玉の一つとして「地方創生」が
上げられて、地方創生担当大臣が新設されていますが、
神野直彦氏(地方財政審議会会長)の記事
「地域創生と地方創生」では、この 
地方地域 の意味内容が取り違えられており、本来「まち・ひと・しごと
創生法」の目指すところは、地
創生でなくてはならないのに、文字通りの地創生が推進されていると
指摘されているのです。
 地域としての生態系、風土、歴史によって育まれた「生活の場」を対象とした活性化を目指すべきであるのに、
政府の推進策としての地方創生は「中央の利益追求手段」を対象としているに過ぎないと指摘しています。
「地方創生」の地方には、「生活の場」としての位置づけは無く、「ひと」「しごと」つまり、「人口減少」の
克服と脱工業化、経済成長の確保が政策課題だと。 そして、人口減少そのものよりも、中央を支える地方が
消滅するという「地方消滅論」が強調されている と述べられています。

 そもそも、工業化が進展すると、都市化現象が起こるのは当然であり、工業化が行き詰まると、普通は
(ヨーロッパなどでは)「逆都市化」現象が起きるが、日本では、1980年代後半にバブルが生じると、
再び地方圏から大都市圏への人口流入が起こり、バブルが弾けた90年代にこれが止まるけれども、既に
工業化の行き詰まりが生じているため、工場機能が、地方圏から途上国へフライトし、日本には、管理機能・
企画機能・開発機能・研究機能などが残り、東京圏に集中する。 したがって、地方圏に散在していた支社、
支店などは整理されてしまう。地方圏に本社がある企業も、グローバリゼーションに伴い、東京支社機能を強め
従業員を東京圏に移動させてしまっているというのです。

 ここで、神野氏は、この問題を解決するために、「生活の場」の再生を強調されているのです。すなわち、
ポスト工業化社会を担う新産業の創設には、旧来型産業が立地する東京圏よりもむしろ地方圏に利があるのでは
ないか。だから、ヨーロッパなどでは逆都市化が生じた。工業社会における大量生産・大量消費の量の経済から
質の経済に転換させる、すなわち量から質に転換させるのは、とりもなおさず、人間の人間的能力 つまり
「知識」である。地域社会に、人間的能力を育むために、優れた人間が育ち、集まる必要がある。ここに、
地域創生の合言葉は、環境と文化であるといっています。 工業が破壊した自然環境を再生させ、人間の
生活様式としての文化が花開いた社会には、研究機関や大学などが集結し、学問、芸術、科学などが発展する
ことになり、そこにこそ新産業が誕生する・・と主張されています。 その際、農業は知識集約産業である
ことを忘れてはならないとも言明し、ここにおける農業は、工業化による自然破壊ではなく、自然の
メカニズムにあった知識による知識集約農業が推進されなければならない・・と指摘しています。

       地域おこし協力隊の活動(和歌山県の例)
            (紀伊民報より)
 

  地方と地域について、単に言葉の定義ではなく、その意味するところ、すなわち新しいこの国の政策として、
推進する方向性が、人口減少による地方消滅課題の解消や中央の利益追求手段に重点が置かれているとすれば
それは、将来に向けた根本的な解決とは言えないのではないかと思います。時間がかかっても、それぞれの
地域が、その地域の文化と風土に根差した活気ある都市として栄えるような政策を推進されるべきだと思います。
国の政策、つまり かじ取りが 大事であることは勿論否めませんが、それとともに、その地域に、あるいは
他の地域と共に そこを場として生きる人々の意識、価値認識、活動が伴わなくてはならないのではないか
とも思うのです。では、具体的に次の一手をどうするか? 難しいですが、先ずは、そのような知恵が生まれる
ための「意識づくり」「動機づけ」「導き」のための
ウネリを起こすことではないでしょうか? 
皆様の考えはどうでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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あの3.11から  (bon)

2016-03-11 | 日々雑感、散策、旅行

ちょうど、5年が経ちました。

 今月に入って、番組などにも特集が頻繁に組まれて、今なお未曾有の大震災の爪痕が多くの人々に、
広い範囲にわたって生々しく残されているのです。現時点でまだ、2561人もの方々が、行方不明だそうです。

 大震災直後の、死者・行方不明は18,456人と報じられ、内65歳以上が1万人、90%が水死だそうです。
阪神・淡路大震災の死者は、80%以上が圧死であったそうですから、津波の恐ろしさがまざまざと伺えます。
家屋などの建築物倒壊など40万戸、避難者40万人以上で、昨年末でもまだ18万2000人の人が
避難されているという。 仮設住宅の不自由な生活とともに、復興住宅に移住された人々も65才以上の
高齢者が38%にも及ぶ、仕事を奪われてしまった人々などなど、あれから一転して、命を取り留めた人々も、
日常の不安な生活、精神的にも落ち着かない、先が見えないで苦しむ人々が多くおられるのですね。

 3.11は、地震・津波の被害だけでなく、これの原因による原発災害が大きな問題として残されていて、
今まだ原因の調査すら十分進んでいないといい、汚染水漏えい問題も、対処療法を繰り返すのみで、
風評被害も未だに残り、大きな、未経験の災害がまだ残されたままですね。 避難者もバラバラに離散した
家族も多く、いつ戻れるとも知れない希望の無い毎日を送られているのです。

 復興庁HPから、公共インフラ復旧・復興状況(H28.2.29)を見ますと、

   ・災害公営住宅           49%

   ・復興まちづくり(民間住宅等宅地) 32%

   ・農地復旧             74%

   ・漁港復旧             73%

で、丸5年経った現在の数字ですから、遅々として進んでいないのですね。まぁ、難しい問題があるのでしょうが・・。

         奇跡の松
         (ネット朝日新聞より)

 

 こんな風に、思い起こしているうちに、あの日に出会った私の状況が想い出されてきます。たまたま、
埼玉北部に用事で出かけていて、数人がテーブルを囲んで話し合っている時、ガタガタ・・と来たのでした。
ただならぬ、地震の大きさに、身を固くして、取りあえず最寄りのJR駅まで歩きましたが、列車は運休のまま
3時間ほど、頻繁に起こる余震に次第に不安が募ってくるのを感じていました。やっと家に連絡が通じた以外、
情報入手が無いまま、日暮れ近く、最寄りの小学校体育館で一夜を過ごしたのでした。寒い日でした。
うす暗い体育館でじっとしているとき、大阪の友人から安否のメールをいただいて ひと時 我に返ったような
感じがしました。

 私自身は、単なる帰宅困難者の一人に過ぎませんが、この時の様子を、翌日のブログに記事アップしました。
ブログでは、3月末までに、14件の記事掲載のうち、12件が震災関連で、内、原発関連が7件ありました。

 昨日の新聞では、高浜原発3,4号機の停止仮処分が決定したとあり、即刻原発停止処理が行われることと
なりましたが、その理由は、原子力規制委員会の新規制基準を満たす、関電の説明が不十分だというのが
主な点ですが、未だ、福島原発事故原因が明確となっていないことに対する、新規制基準の策定の信ぴょう性を
問いただしているとする見方から、読売の社説などは、裁判所自らが原発の安全を審査するのか・・とした、
不合理な決定と断じています。政府も、原子力規制委員会の判断を尊重して、再稼働方針に変わりなし・・と
事務的なコメントを出しています。 まあ、判断は、それぞれ専門機関で策定したものに従うとの原則は、
その通りですが、その核心は、未だ判明しない部分を内在したままの基準を、あたかも、ガラス細工で出来た
球が、壊れないように大事に触れないままそっとしているかのごとき様相が伺えて相がありません。
福島の苦しみは、また別のこととして、原発を完全に止めることが出来ないために、“原発は安価、安全”を
何度も上塗りをして事業者保護の側にあるのですね。それにしても、福島の原因をキチット解明し、対策も
切り張りでなく抜本的改善策が構築され、さらに使用済み核燃料の始末を明確にしてからの議論であるように
思えるのですが・・。



 







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部分日食  (bon)

2016-03-09 | 日々雑感、散策、旅行

 今日、3月9日は全国で部分日食が見られます。お天気はどうでしょうか? 
6:30の予報では、曇りで、午後 雨とか言っていますからだめでしょうね!

 2012.5.21に金環日食が見られましたから、4年ぶりとなります。
しかし、全国で金環日食が見られたというのは、これは大変珍しいことで、例えば、埼玉で、これまで
金環日食が見られたのは、1839.9.8 だといいますから、まだ江戸時代・・! それが4年前に見られて、
次にいつ見られるかといえば、2312.4.8とありますから、300年も先のこと。 金環日食の他には、皆既日食が
あり、こちらの方も、1460.7.18ですから、室町時代も終わり頃の混乱時代、応仁の乱のちょっと前くらい、
次に見られるのはといえば、これまた はるか先で、2712.4.8 なのだそうです。
皆既も金環ももう人生のうちには無理なようですね。

 今年、インドネシアで、皆既日食が見られるそうで、3/9を中心に「皆既日食観測ツアー」が、多くの
旅行社で企画されています。 皆既日食は、なかなか見ることが出来ないとなれば、このようなツアーも
人気があるのでしょう。

 今日のは、部分日食で、東京では10時12分頃から12時頃まで欠けるそうですが、大体15%くらいが
欠けるので、それこそ“日”で虫がかじったような感じでしょうか? 部分日食ですと、2019年の1月と
12月に、そして2020年にも見ることが出来るそうです。

       見えたとしたら・・
         (アストロアーツ シミュレーション画像より)

 

 日食、月食は、太陽と月と地球が一直線上に並ぶ時に起こりますが、新月、つまり、太陽と地球の間に
月が入った時は日食、 太陽と月の間に地球が入った満月の時には月食が起こります。太陽は月の400倍の
大きさですが、その距離が(地球から見て)丁度400倍離れて太陽があるために見かけ上の大きさが丁度
同じ大きさとなるために、皆既、金環などが起こるのですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

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心内辞書  (bon)

2016-03-07 | 日々雑感、散策、旅行

 私たちは、日常、ほぼ無意識のうちに、言葉を話し、聴き、読んだり、書いたり、聴いた言葉を繰り返す
などをしています。もちろん、熟慮の上での発言や、注意を払って聴く場合などもありますが、いまここで、
問題としているのは、言葉というものが、どのように認識され、理解して、行動に移すなどの行為に結びついて
いるか?という、言語学的な側面から、その構造みたいなものを捕えてみたいと思いました。

 心の中の辞書というか、脳の中でどのようにして、これらの言語行為がなされているか、ネットによれば、
“話す,聴く,読む,書く,聴いた言葉を繰り返す,などは言語運用とよばれ,それらの活動のすべてに
司令を出しているのが母語についての言語知識(または言語能力)と考えられていて、さらに、その言語知識は、
心内辞書(レキシコン)と計算システム(言語の演算)からなる。” と述べられています。

 つまり、脳の中に ある種の辞書があり、それに基づいて いろいろと変化させたり編集したりして、
言葉を理解したり発声したりしているというのです。 また、幼児が短期間のうちにいろんな言葉を覚え、
言葉の“音”からその意味を理解し、あるいは自らの意志に基づく言葉を発するメカニズムはどのように
なっているか? そこで、この辞書(心内辞書)について、その構造などについて調べてみたくなったのです。

  心内辞書は、「印刷された辞書や電子辞書と意味を解釈する点では似ているが、検索の方法はまったく
違うそうで、音声を聞いて意味を解釈するプロセスは、音素を次々に照合して絞り込んで一意に特定する
のではなく、聞いた音の特徴から意味を類推し、同時に自分が予測した意味と合致させるというプロセス」
なのだそうです。 したがって、音が全て聞き取れなくても音の一部の特徴だけで解釈可能な優れた辞書と
いえますが、実際にはどのような記憶の形として保存されているかなどは、まだ解明されていないそうです。  
この心の中の辞書は、高校を卒業する頃で、母語の場合に数万語以上が理解できる状態に達していると
いわれているようです。この辞書は、英語ではMental Lexiconと呼ばれています。

        心内辞書
          (アマゾンHPより)

 

 最近の、言語学者 由本(ゆもと)陽子氏(阪大大学院教授・文博)の記事に、おもしろい例がいくつも
紹介され、この難題が比較的分かりやすく説明されていて、我々が通常、文(言葉)における文法という
文型や規則原則があるように、言語そのものにも文法のようなものがあって、これによって言語知識や
言語使用が支配されている、そのような体系であるといっています。これを「生成文法」というのだそうですが、
これは普遍的な原理体系であるとされています。 幼児が、短期間に言葉を操ることが出来るのはこのため
なのだそうです。

 たとえば、実例で、6歳の幼児の会話で、「野球は、ピッチャーとキャッチャーとバッチャーがいるんだよ」 
これは間違った認識に基づく応用ですが、幼児がこれらの単語が2つの要素からなる事を理解し、さらに
人を著す接尾語だと認識していることが示されているのだと。 このことは、幼児の 心内辞書ににある
「語の文法」に従った結果であると指摘されています。 また、大人の世界でも、誤った語形成は見られ、
“酎ハイ、ウーロンハイ、コークハイ”がそうだと・・。 酎ハイは、ハイボールのウイスキーまたは
ジンの代わりに焼酎をソーダで割った飲料のことをさすが、ウーロンハイなどになれば、もはやハイボールとは
全く関係しなくなっているのです。“ハイ”の元の意味は完全に失われてしまい、カクテルの一種として
新たな接尾語として使われたことになると分析されています。

 また、心内辞書の中では、語彙情報を基に、単語を組み合わせて、さらに新しい言葉(単語)を創り出して
いるとも指摘しています。 例えば、動詞。 動詞は述語ですが、多くの場合単独では機能を果たさず、
対象や着点などを必要とする。 つまり、「壊す」では、何をという対象が必要だし、「与える」では、
何を誰にという具合に対象と着点が必要となる。これらの要求される対象や着点を“述語の項構造” と呼ばれ、
このうち、“対象”などはその動詞に最も密接な「直接内項」とされ、名詞+動詞の組み合わせで具体物を表す
複合名詞が構成されています。例えば、「爪切り」、「ねじ回し」、「音頭取り」、「火消し」などが
あげられます。「爆買い」、「山積み」、「上乗せ」などは、状況を示す複合名詞でしょうか。

 しかし、動詞がもう一つの項(着点=場所)を必要とするような場合は、そのことを付加しなければ
意図する意味は表せないとしています。「石切り」が採石場を表す場合は、「石切り場」、「魚釣り」で
釣り場を示す時は「魚釣り場」、「酒飲み」では、「一杯飲み屋」などの例が示されています。

 何気なく使っている、言葉も言語学の分析によれば、いろいろと原理的なことが判明して、どうして
そうなるのか? などがほんのちょっと理解できた気がしますが、まだまだ、生煮えの域が出ず、もっと奥が
深いとしりつつ、なかなか踏み込めないでいます。 人工知能を構成したりする時には、これまでの
シソーラスだけでは不十分で、このような心内辞書や生成文法を紐解く必要があるのでしょうね。

 生煮えで申し訳ありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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児島高徳  (bon)

2016-03-05 | 日々雑感、散策、旅行

                  今日、3月5日は、二十四節気の「啓蟄」で、いよいよ春の入り口になりました。
                        昨夜の “なでしこ”、“世界卓球女子” はともにハラハラしどうしでした。

  なぜ、児島高徳(こじまたかのり)なのか?
 突然、この記事アップとなったいきさつ(というほどのこともありませんが)は、先日、メールで椿(ツバキ)の
やり取りをしていた人が、突然 膝をケガして、ギブスのお世話になる羽目になられた。折しも、椿が満開で、
それこそ不自由な脚で毎日落花の椿の掃除が大変だと・・。どこに災難が潜んでいるか、知る由もありませんが、
まあ、気を付けなければなりません。
 で、この“落花”から、“落花の雪”に進み、「落花の雪に 踏みまよう 交野の春の桜狩・・」へ
これは、太平記 第2巻の 日野俊基が鎌倉に送られる、いわゆる道行の歌に思いが飛び、そういえば、
「太平記」の偏者の中に、児島高徳がいた。 
そんなわけで、この人を・・という回りくどいタイトルになりました。

 児島高徳といえば、あの小学唱歌「天莫空勾践 時非無范蠡」があります。 
この歌は、文末にU-tubeからアップしましたが、私が子供の頃に姉あたりが歌っていたのを聞いたことが
あるのを覚えているのです。 当時は、何のことか意味も何も知らないまま覚えていたようでした。
「♫ 天 勾践(こうせん)を 空しゅう するなかれ~  時に 范蠡(はんれい) 無きにしもあ~らず ♫」

 「太平記」は、全40巻の長編軍記物語で、南北朝時代を舞台に、後醍醐天皇の即位から、鎌倉幕府の滅亡、
建武の新政とその崩壊後の南北朝分裂、観応の擾乱、2代将軍足利義詮の死去と細川頼之の管領就任まで
1318年~1368年頃までの約50年間を書いたものであります。
 児島高徳は、この太平記に出て来るだけで、それも児島として出て来ることは無く、これ以外に彼を記した
歴史書が無いため確たる根拠はないとされているようですが、この太平記の編纂をした中心人物の一人では
ないかとも言われているようです。

 彼は、備前の国の出身で、1331年の元弘の乱以降、ずっと後醍醐天皇(当ブログ2015.9.26)に忠誠を励み、
南北朝分裂後も一貫して南朝側に仕えた武将で、後に備後の守を賜るとあります。 

 で、後醍醐天皇が1332年、幕府に敗れ隠岐に遠流となるのですが、この時 高徳は、備前国境の船坂山において、
後醍醐天皇の奪還を画策するも、失敗に終わり 軍勢は雲散霧消してしまった。しかし、高徳はただ一人、
天皇の奪還を諦めず、夜になって警備を潜り侵入するも、天皇の奪還を断念し、傍にあった桜の木へ
「天莫空勾践 時非無范蠡」という十字の漢詩を彫りました。 これが有名な「白桜十字詩」と呼ばれ、
先の小学唱歌にもなったのです。 すなわち、「天は春秋時代の越王・勾践に対するように、決して帝を
お見捨てにはなりません。きっと范蠡の如き忠臣が現れ、必ずや帝をお助けする事でしょう」と。

朝になってこの桜の木に彫られた漢詩を発見した兵士は何と書いてあるのか解せず、外が騒々しい為に
何事か仔細を聞いた後醍醐天皇のみこの漢詩の意味が理解できたという。

 翌年に、天皇が隠岐を脱出、伯耆国船上山において挙兵した際には、高徳も養父・範長とともに赴いて
幕府軍と戦い戦功を挙げたとされています。

        桜の詩
         (ウイキペディアより)
 

 また、冒頭の椿の“落花”から、“落花の雪・・”に繋がるところは、ネット調べで、太平記第二巻
「俊基朝臣再び関東下向の事」の段、すなわち都から鎌倉への囚われの身の道中、あの有名な道行文の
冒頭の部分です。

「落花の雪に踏み迷う、交野(かたの)の春の桜狩り、紅葉の錦きて帰る、嵐の山の秋の暮れ、一夜を明かす
程だにも、旅寝となれば物憂きに、恩愛(おんあい)の契り淺からぬ、我が故郷(ふるさと)の妻子(つまこ)をば、
行方も知らず思いおき、年久しくも住みなれし、九重の帝都をば、今を限りと顧みて、思わぬ旅に出でたまう、
心の中(うち)ぞ哀れなる。・・」

 元弘元年(1331年)、後醍醐天皇の側近、日野俊基(としもと)は幕府転覆を企てたとして六波羅探題に
捕らえられ鎌倉へ護送され、鎌倉の葛原で斬られるのですが、その時の道行文なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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今年もサギソウの芋  (bon)

2016-03-03 | 花鳥風月

 昨日は、風もなく うららかな春を感じさせるお日和でした。ベランダで、サギソウの芋掘りと、
植え替えをしました。

 もうこれで何年目か、しかし、最初に求めた球根(イモ)がずっと続いていますから、我ながら、
よく枯らさずに毎年芋ほりが出来たものと感心しています。

それでも、今年のイモは果たして、出来ているか? 大ぶりの形のイイのができているだろうか? 
不安と期待を持ちながら、鉢のミズゴケを掘り起こして行くのです。 一つでも見つかれば、ホッとして、
ワクワクするのです。

            球根を掘る前の、枯れた鉢の姿です。
                   


 しっかりと詰まったミズゴケを少しずつ めくりながら期待と不安が・・

ありました! イモは出来ていました! 

    イモが入っている(出来ている)部分のアップです。
          


 これらの球根(イモ)を、オーソサイド500倍の消毒液に30分ほど浸けました。 消毒の間、ミズゴケの処理、
水につけたミズゴケを良く絞って、約2cm位の長さに切り 鉢につめやすくします。

ミズゴケを切ります。            これを全部、鉢に詰め込みます。
   

 

         消毒を終えた 収穫した球根
            
             (大きいのが10個くらい、全部で30個以上ありました。)

 

 洗った鉢に、新しいミズゴケを敷き詰め、肥料(マグアンプ)を入れて、ミズゴケで層を作り、そこに、
球根をならべて、上からミズゴケで覆い押し込んで出来上がりです。
 これまでより、一回り大きい球根が10個ほどできたのは、花が終ってから数度液肥をかけたのが
栄養分となって球根を太らせたのかもしれません。 

         植えつけ完了
            
              (5月頃には、芽が出て来るでしょう。) 

 

 そろそろ、畑(市民農園)にジャガイモを植え付ける時期が来ましたので、先の日曜日にホームセンターで、
種イモ1㎏を購入してきました。12個あり、ちょっと大きめのもあり、半分に切っても良いのですが、
植えつける場所が狭いのでそのまま切らずにタネにすることに・・。来週あたり、植えつけることにしています。

 ホームセンターでは、赤い 形の良いミニバラの鉢が売られていましたので、先日頂いた額縁コンテナに
収めてみようと購入しました。
早速、額縁に入れてみると、まことぴったりで、赤い花が額縁の時代焼きにうまく映えて見事な構図に
仕上がりました。

 さて、どこに置くのが良いか? 額縁をあちらこちらに、持って回って置いてみる。
室内もなかなか良い感じですが、特別にベランダで撮影のために持ちまわりました。写真が済んだので、
リビングから見えるところに置き直しています。

 額縁に入ったミニバラ (ベランダで)      (室内で)
              

 

 

 

 

 

 

 

 

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