蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

潮汐力  (bon)

2015-08-30 | 日々雑感、散策、旅行

                       関東地方は、連日小雨が降り続いています。
                   今日は、満月ですがお月様は望めそうもありません。 

 潮の満ち引き、潮汐(チョウセキ)力のことです。

 二十四節気にまつわるお話をまとめている中で、どうしても“脇役”のはずの『月』について言及したい
思いに駆られ、月による影響の一つの現象を取り上げてみました。

 二十四節気自体は、一年のそれぞれに対する季節に関する名称で、太陰太陽暦では月名と季節がズレて
農作業など実生活には不便であるところから工夫されたのでした。立春、春分、夏至、冬至・・などなど
です。 春分、秋分では、暑さ寒さも彼岸まで・・とか、立夏には稲の種蒔き時が来たとか、芒種は
田植・・などと 農作業の目安にしていました。
日本では、これらに加えてさらに詳しい“雑節”を設けています。土用、八十八夜、入梅・・などです。

 で、月とどういう関連があるのかといえば、まず、なぜ1年は12か月とされているか・・は、
月の満ち欠けが12回繰り返して元の季節に戻ることからであり、このひと月を“節”“中”に分けて
24節気が構成されているのです。
 そして、もしこの月が無かったら、地球の自転速度は今の3倍の8時間程度に速くなり、地上には絶えず
風速100m位の風が吹き、そのため海の波高は30~50mにもなるとか・・。月が無ければ、地球の自転軸が
ズレはじめて、北極南極が今の赤道付近に移動したりして、氷が溶けて海面上昇や熱帯樹林が北極付近に
来たりして樹木が減少して酸素濃度が低下するとか・・大変なことが起こると想定されています。
また、月が無ければ、潮の干満が違ってきます。月の影響力による干満が無くなり、太陽の引力による
干満のみになり、太陽によるそれは月の影響力の1/2で、干満差が小さくなり、干潟が減少、
海流も弱くなり海洋生物が減少などによる人間の食生活にも大きな影響があるなどといわれています。

 しかし現実には月が存在して、上に述べたようなさまざまな役割を果たしていることが分かります。
そして、月の影響力の中で、掲題の潮汐力は、海洋及び海洋生物などへの影響だけでなく、陸上の
植物や生物などにも大きな影響を与えていることが分かっているのです。潮の満ち引きと生物の関係が、
さらに農作業などに影響を与えていて、二十四節気とは別の視点からの指標を得ているのです。

 潮の満ち引き、潮汐は、一日に2回生じる“満潮”と“干潮”があり、また、“大潮”や“小潮”など
太陽との関連した干満があります。潮汐は、潮は朝に起こる干満で、汐は、夕方に起こる干満のことを
指しています。潮汐の字のサンズイ偏をとると、朝・夕ですね。

 地球が1日1回自転していますから、月は1日1回昇り、満ち潮が1回起こりますが、月の無い反対側
では、地球の自転による遠心力で潮位が高くなるのです。また月の影響がなくなる2回は干潮となります。
ですから、干満は6時間おきにやってきます。 
 また、大潮、中潮、小潮などというのは、太陽、月、地球の関係で生じる干満で、新月の時が
最も大きな満潮で、次が満月の時で、ともに“大潮”と呼んでいます。
上弦、下弦の月の時は、太陽と月がちょうど90度の位置関係にありますから、月の影響を受けずに
“小潮”となります。

       潮まわり
        (野菜日記・農健クラブより) 

 昔、子供が生まれるのは、満潮の時だとか、人が息を引き取るのは潮が引く時などと聞いたことが
あります。現在は必ずしも自然のリズムでは無いかもしれませんが、虫などの場合は、このリズムで
あるそうです。 虫の防除の適期は、大潮の最後の日から3日間くらいだそうです。この時期、
虫が卵から孵化したばかりの時期で 農薬が効きやすいのだそうです。
また、液肥などを葉面に散布する時期も、気孔がいちばん開く大潮の時が効果的なのだそうです。 
更に月の引力に着目すると、引力が強い時は、生物の体内に流れる液体を上部に引き寄せ、引力が弱い時は、
足下に液体が流れようとするというのです。この事は、地中における水分についても同じで、月の位相は、
生物が持っている体内時計の調整と生態リズムを調整するのだそうです。
 月の引力のほか、月光(月の明るさ)にも影響を受け、経験的に月と農業の関係について次のように
言われているようです。(部分)

・満潮時には植物の成長は早く、干潮時には緩やかになる
・満月は生殖成長、新月は栄養成長
・上弦から満月の間は、果菜類の収穫に適してる
・移植・定植は月齢24から月齢29(新月)までが活着が良い
・満月ではpHが上がり、新月ではpHは下がる
・下弦から新月の夜に木を切ると堅い丈夫な木が伐採できる

 現在では、植物工場、野菜工場などといったコンピュータ管理の下で栽培される野菜などが出回って
いる時代ですが、そこまで行かなくても、殆どがハウス栽培で、温湿度が管理され、出荷時期まで
調整されていますから、上で述べたような自然の影響がもはや入り込む余地がないのかもしれません。
遺伝子までも組み替えられている時代ですから・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

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さるすべり  (bon)

2015-08-28 | 花鳥風月

 百日紅は夏の花として、最近では、街路樹などにもなって夏の太陽に映えてきれいな景観を呈しています。
この花木、ウイキペディアによれば、ミソハギ科サルスベリ属の落葉中高木とあり、中国南部原産だそうです。

 ここまでの、サルスベリのイメージとは異なり、ベランダの、既に盛りを過ぎた盆栽仕立ての小さな
鉢物をご覧いただきます。 

         盛りを過ぎた小さなサルスベリです。
           


 ベランダには、いずれも鉢植えですが、他に1m半くらいの白い花が咲くのがあります。それは、
夏の中頃に既に花は終わって、今は、黒っぽい種が付いています。また、ピンクのやはり背丈くらいのが
ありましたが、大規模修繕の時(2年前)に枯らしてしまいました。

 で、この小さな、赤い花が咲くものが、急に寒くなり始めて、次第に花も散って寂しい限りですが、
まだ少し余韻を残しています。 夏の暑さの中で見ると、燃えるような赤い色が、カッと暑さに向かって
いるような感じがしますが、この写真でも、どことなく寂しげな、落ち行く姿が想像されます。 
しかし、誕生花としては、8月29日とありました。花言葉は、雄弁、愛嬌、不用意なのだそうです。

 早く、猛暑が終らないかなぁ、もうこりごり~ なんてちょっと前まで、そう思っていましたが、
途端に涼しくなって、肌寒さを感じ何やらさびしい、膨らんでいた風船が萎んで行くような、そんな
感じの今日この頃です。
まだ、地域によっては、30度を超えているようですが、関東では24~6℃の、すぐ先日までの最低気温より
下回っています。

 ベランダでは、まだ、百日(百日紅ではなく)が色とりどりの花を咲かせていますが、9月の中頃
ともなれば、ススキが穂を付けてきたりして、秋の景色を迎え、さわやかな風と共に気分も平常に戻り、
実り多き季節を謳歌して行くのでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

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冨士浅間鎮火祭  (bon)

2015-08-26 | 日々雑感、散策、旅行

                          今日は、朝から小雨が降ったり止んだりの肌寒い一日です。
                           あの、狂ったような暑さはいったいどこへ行ったのか? 
                           このところ、気温が急変、株価も激変の日が続いています。
 

 冨士浅間神社の鎮火祭(吉田の火祭り)は、北口本宮冨士浅間神社とその摂社である諏訪神社の祭として、
現在は「鎮火祭」という名称で、今日8月26と27日の2日に亘って行われます。 
特に8月26日の夜は、街中で大松明が焚き上げられ、富士山のお山じまいの祭としても知られています。 
夏の終わりを告げるお祭りなんですね。

          浅間神社
           (浅間神社HPより)

 

 神道説では、浅間神社の祭神は木花開耶姫命(コノハナノサクヤヒメノミコト)と説かれており、
古事記では、邇邇芸命(ニニギノミコト)との一夜の交わりで身ごもったコノハナノサクヤヒメは、
ニニギノミコトに自分の子ではないと疑われたので、身の証を立てるために出入り口の無い産屋を造り、
室内を壁土で塗り込め、その産屋に火を放ち燃え盛る火中で無事3人の子を産んだというものです。
そのことから、浅間神社の祭神の神徳は、火伏セ・安産・厄除け・産業守護といわれているのです。
この故事になぞらえて、火を焚くのだと言われているのだそうです。

          オオタイマツ
           (吉田の火祭りより)


 このくだりは、当ブログ 古事記から(6)を参照いただきたいと思いますが、ニニギノミコトは、
アマテラスオオミカミ(天照大神)の孫であり、いわゆる天孫降臨をした神であり、コノハナノサクヤヒメと
結婚して、火の中で生んだ3人の中の最初の子は海幸彦で三番目の子が山幸彦です。

 また、諏訪大社との関係では、大国主命(オオクニヌシノミコト)の子、タケミナカタノカミが、
アマテラス側のタケミカズチに追われ諏訪湖まで逃げて来ました。この時タケミナカタは、松明を燃やして
戦ったのでその由来で ここ吉田でも火祭りを行うという説があるそうです。
アマテラスとオオクニヌシの国譲りの戦いは、オオクニヌシ側が敗れ、子のタケミカタは諏訪大社に、
オオクニヌシは出雲大社にそれぞれ祀られているのです。古事記から(5)をご参照ください。

 ついでながら、復習になりますが、オオクニヌシは、スサノオノミコトの6世の孫で、スサノオはアマテラスの弟という関係なんですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

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伯耆大山  (bon)

2015-08-24 | 日々雑感、散策、旅行

 今年の夏山行は大山でした。
久しぶりに実際に登山を組み入れられた計画で、ここ数年は温泉めぐりとハイキング程度の行程でしたから、
無事に達成できるか内心不安と期待を持ちながら、とうとうその日が来ました。(8月21日~23日)

 岡山駅で、山のグループみんなと合流して、一路米子に向かいました。
一行10名は、米子でレンタカー2台に分乗して玉造温泉に向かいましたが、その途中で、早や、
懸念していた雨模様となってきました。 
ここ、2~3日の列島には、前線が停滞しており、折しも2つの台風が近づいていて、天候は
不安定となっていました。

 宿では、一年ぶりの再会で、広い露天風呂をみんなでゆっくりと過ごし、広間での夕食は、料理長
腕自慢の料理を前に、各自好みのアルコールも入り、自由でのびのびとした談笑とご馳走の楽しい時間が
過ぎるのでした。 翌日は、大山に登る・・そんな話題や 過去のもっと若かったころの剣岳や穂高岳の
想い出話に夢が広がって行きました。

 遠くに見る大山              楽しい夕食で~
   


 翌日は、朝から小雨が降ったり小止みになったりのお天気で、予報では午後から晴れということでしたが、 
大山寺の駐車場を出る時は、雨合羽上下に身を包んだ完全武装?姿でいざ出発・・となりました。

         元気で イザ・・
             


いきなり、丸太で小石を支えるような階段状の急な登りの連続で、自分の歩幅ペースがとれず、延々と続く
この登り階段に閉口しながら、たちまちの内にハアハアと荒い息遣いとなり、顔からはポタポタと
汗が流れ落ち、雨具の中は、さながらサウナ状態と思えるほどでした。 
我慢して、1時間ほど登った頃には雨も上がり、雨具を外した時は、まるで生きがえったような感じで
ホッとしたのでした。ちょうど3合目あたりでした。

 小休憩して再び登り始めますが、坂道は急な丸太階段状がどこまでも続く単調そのものでした。 
しばらく頑張っていると木々の間から上空に青空が見え、ひと時期待が膨らんできました。しかし、
間もなく日頃の運動不足のせいから脚の筋肉に負担を感じるようになり、段に脚を掛け、脚力で身体を
一段上げるのが思うように進まなくなってくるのを感じ始め、これは下りのことを考えると、もはや
頂上までは断念せざるを得ない・・と納得するのですが、せめて6合目の避難小屋までは行きたい。 
歩き始めて2時間余りすぎ、ようやく5合目にたどり着きました。 湿度が高く蒸し暑く、身体じゅう汗で
濡れていました。 小休止して、歩きだし、既に標高1200mの標識は通過していましたが、とうとう
“元谷の分かれ”の分岐点に来たとき、6合目避難小屋をも諦めて、その分かれから別ルートで下山に
向かうことにしました。残念ですが仕方ないと言い聞かせるのでした。

 振り返ると稜線が・・
  


別ルートの下りもやはり急な丸太階段状の歩き難い下りが延々と続きました。 かなり下って途中 
幅広い川原に出た途端、あぁ、55年前は、この川原を通って登ったんだ! と突然その部分だけが
想い出されたのです。 あの頃は、20歳でした。 水筒も持たず、わらじ履き姿で山頂の馬の背のような
怖い稜線を渡ったことなどは想い出として有ったのですが、この川原の道に来て、ハッと具体的な
イメージが浮かんできたのでした。 隔世の感じを覚えたのです。
 いかにも重厚で歴史の香りがする 大神山神社まで下りてきました。 長い石段を下り、それが終ると
さらに、ゴツゴツとした石敷き道をどこまでも下り ようやく下界にたどり着いたときには汗だくの身体に
真夏の太陽がギラギラと照っていました。 

 大神山神社奥宮              暗夜行路碑
    

 


 ひと休みして、まだ陽が高いのでここから90km離れた出雲大社に向かいました。最近、このブログ記事
“古事記から(5)”にアップした大国主命の像の実物をみたり、既に夕方近くではありましたが多くの
参拝者で賑わっていました。 早くも、筋肉痛が出始めた脚をひきずるようにして境内を歩きその広さと
重厚な社殿、そして写真などで見るあの大きな注連縄を目近かにし、改めてその巨大さに関心したりして、
大社を後にして宍道湖沿いに松江に向かいました。

 出雲大社大しめ縄前にて          2日目旅館の朝
  
 

 今年のイベントも終りに近づき、翌日は朝から松江城をガイド付きでたっぷりと見学したため、
妖怪ロードの方は割愛しまたの機会に譲ることとして米子駅でお昼をとり列車の人となりました。

 松江城をたっぷり見学
     


            天守閣から宍道湖を望む
              

 

 このグループは、今回で31回目のイベントを迎えましたが、私が北陸勤務時代の職場の仲間を中心に
構成され、グループの名を“三究会”と名付けています。かっては3,000mクラスの山々を踏破して
いましたが、この三究会は山登りだけを目指すのではなく、山を含む自然とお湯(温泉)と味の3つを
究めよう、そして人生を語ろうとの趣旨のもと、楽しみを求める会なのですが、よくもまあ31年も
続いたものとお互いに感心しているのです。

 今年も無事に、楽しいうちに行事が終り、また一つ想い出を重ねることが出来ました。大山登山は
途中5合目で断念しましたが、疲れた身体全身に満足感を覚えながらみんなとお別れとなりました。



 







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自作ハガキ  (bon)

2015-08-20 | 日々雑感、散策、旅行

 先日、小川町の埼玉伝統工芸会館内、和紙工房で体験制作をした“ハガキ”が、送られて来ました。

 いろいろと盛りだくさんの、花葉などを付けたために、殆ど、文章を書くスペースがなく、
やはりこれだと全くの失敗作です。 
そして、当日も、指導職員が言っていましたが、花・葉はなるべく薄く平らになるようにと注意していました。
仕上がってみると、花・葉の面は、きれいに平らになっているのですが、裏面(宛名面)に、枝などの
出っ張りが、凸凹に小さく盛り上がっているのです。
これだと、きれいに文字が書けない・・ということになるのですね。

 小川和紙のハガキ              切手面
  

 

 でも、まぁ、自作だから・・そして、これに書いて出すこともないか・・!


 

 

 

 

 

 

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暗夜行路  (bon)

2015-08-18 | 日々雑感、散策、旅行

 この8月に入って、思い立って、文教堂書店で「暗夜行路」(志賀直哉、前編・後編合本、新潮文庫、
平成26年45刷)を買い求め、このほど読み終えました。

 今週金曜日(8月21日)から、山陰の大山(伯耆大山)行が 6月下旬に決まったからです。 
伯耆大山には、55年前に高校同級だった3人で、大阪から山陰周遊無銭旅行をした時に登頂したことが
ありました。 ちょうど20歳くらいの、今から思えば、まだ精神的にも安定していたとは思えない
無謀ともいえる旅行であったかもしれません。 周遊切符の他には、2,000円の現金とチーズ1箱、
着替えなどの軽装そのものでした。 その、周遊の丁度真ん中あたりが大山登山でした。
 登山らしい装備は何もなく、水筒さえ持たず、皮靴ではなんだからということで、わらじ2足
(1足は予備)で登ったのでした。 その前日も、予約した宿があったわけでなく、大山寺を歩いている時、
たまたま目に止まった宿屋を訪ねるというありさまでした。 確か、1泊2食で600円余であったような
記憶があります。

        暗夜行路
           

 

 暗夜行路は、それ以前に 読んでいたのでしょう。 主人公の時任謙作がこの大山に登ったように、
当時の我々も登ろうという形で、3人は粋がって小説のように行動したのでした。
 しかし、暗夜行路というのは、どのような内容で、なぜ時任謙作は大山に登ることになったのかなど、
恥ずかしながら皆目覚えていなかったのです。 今回、大山行が決まって不思議なことに、すぐに
主人公である 時任謙作 の名前が出て来て、そして、55年前にそのように大山を登ったことも・・。

 この小説を読み終わって、主人公が、そもそもの自身の出生の秘密(母と伯父の子)の悩みをどうする
ことも出来ないうちに、妻の過失がまた、それと類似であるなど、直接憎むべき対象が無いままに、
混沌とした苛立つ気持ちに苛まれ、それらを払しょくするための別居に似た旅行として大山に過ごし、
大自然の中に自己を見出す・・そして、病に倒れ妻が駆けつけたとき、ようやく和解に似た落ち着いた
心境を得るところで終わるのです。 600ページ弱の最後の100ページ足らずが、この大山に絡んだ部分で、
しかも主人公は、登山途中、腹痛がひどく頂上までは登っていないのですね。

 50年以上も経って、こんな想い出に浸る・・そんな日常を過ごしているといえば、全く隠居身分と
失笑されるかもしれませんが、この大山行が決まって、若い頃の自分の行動や当時どんなことを考えて
いたのか、詳細は不明ですが、その一端が見える思いがしています。

 今回は、十分事前計画された行程で、装備もそれなりに整え、宿泊はなだたる温泉旅館ですから安心です。
あの時は、頂上まで行きましたが、今は、頂上付近は崩落が激しく、19m下の弥山(1710m)を目指す
予定です。 当時と全く異なる部分は、55歳ある年齢差です。

 

 

 

 

 

 

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サギソウ‘15  (bon)

2015-08-16 | 花鳥風月

 今年、何羽か白いサギソウが飛びました。
 昨年は、開花もようをブログアップしましたが、9月18日でしたから、今年は、1か月ほど開花が早い
ようです。 暑かったせいかもしれません。 
 何年か前に、直射日光は遮るようにしましたが、風通しが悪かったのか、夜間の気温が高かったようで、
全く開花しませんでした。 この経験を踏まえて、今年は窓外の花置きのところにすだれの日陰を作り、
そこを定位置としてみました。窓からすぐに見えるし、水遣りも手間いらずで、一挙両得?みたいな
感じです。

 すだれの下のサギソウ           アップです
   


このサギソウについて、ウイキペディアには次のように書かれていました。
「日当たりのよい湿地に生えるが、しばしば山野草として観賞用に栽培される。地下茎の先端に形成
される球茎によって栄養繁殖で年2~3倍程度に増殖できるため、生産業者が営利的に増殖して大量に
市場供給している。園芸店には主に消費的栽培を前提とした花付きの鉢植えが流通するが、栽培経験者
向けの未開花の苗や、一部は球根の状態でも販売される。品種によって流通価格は異なるが、野生型
あるいは普及品種であれば、1球あたり数百円以下で入手が可能である。」

 「そのように生産品の入手が容易であるにもかかわらず、保護されている自生地ですら盗掘が絶えない。
遠目にも目立つ開花期は、移植に最も不向きな時期であり、注意深く掘りあげなければ枯れてしまう。
金銭価値も乏しいことから転売目的などで採集しているとは考えにくく、無計画な“お土産採集”
“観光記念採集”が相当数あるものと推察される。開発による自生地の減少に加えて、採集圧が加わるため、
今では自生状態でみられる場所はきわめて限られる。」

「本種は市販球根を1回開花させるだけなら難しくはないが、植物ウイルスの感染による枯死がしばしば
見られ、同一個体を長年にわたって健全な状態で維持栽培するのはベテラン栽培家でも容易ではない。」

 国営昭和記念公園には自生地風の観賞用の花壇があり、毎年花期に「サギソウまつり」が開催されて
います。 私は、知人から教わり、夏のサギソウ祭り、春の講習会に参加し、それ以来ずっと毎年
チャレンジしながら楽しんでいます。

 上から                  正面
    


サギソウは、日本では環境省により、レッドリストの準絶滅危惧(NT)の指定を受けています。 
ゴルフ場や宅地開発などによる湿地の消滅、栽培目的の人為的な採集、自然遷移に伴う湿地の
乾燥化などにより、絶滅した自生地が多く個体数は減少しているという。

準絶滅危惧(NT)

   
 

また以下の都道府県で、レッドリストの指定を受けているとありました。

・絶滅(EX) - 東京都、福井県、徳島県、高知県
・野生絶滅(EW) -山梨県
・絶滅危惧IA類(CR)- 秋田県、山形県、茨城県、長野県、和歌山県、福岡県、長崎県
  -最重要保護生物(A)千葉県
  -絶滅寸前種 - 京都府、奈良県 
・絶滅危惧I類(CRまたはEN) - 宮城県、栃木県、新潟県、富山県、石川県、鳥取県、  
 島根県、 香川県、鹿児島県 
  -Aランク –岩手県
・絶滅危惧IB類(EN)- 愛媛県、宮崎県
・絶滅危惧II類(VU) -岐阜県、静岡県、愛知県、三重県、岡山県、広島県、佐賀県
 熊本県 
・Bランク –兵庫県
・準絶滅危惧(NT) - 福島県 
  -希少種 – 滋賀県


    花言葉は  “夢でもあなたを想う”

 

 

 

 

 

 

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小川和紙  (bon)

2015-08-14 | 日々雑感、散策、旅行

 埼玉県比企郡小川町は、緑豊かな山々に囲まれた小川盆地で、その山あいに槻川や兜川を抱き、
原材料となる資源が豊かだったこと、都心に比較的近いという地理的条件とが、伝統工芸の歴史を育んで
きたのでしょう。 伝統産業のなかでも、和紙の歴史は古く、1,300年も前から和紙づくりが行われて
いたとのことです。

 孫たちを連れて、ここ、埼玉伝統工芸会館にやってきました。 お目当ては、和紙作り体験です。 
 最寄駅から、急行で1時間余りの奥地?で、駅も昔風の感じがして、突如タイムスリップしたような
感じでした。 折しも、お盆休みをしているらしく、お店などもお休みのところが多く、駅前なども
ひっそりとした感じがしました。

 駅前から、バスで10分ほどのところに、伝統工芸会館と道の駅 が統合されたような施設がありました。 
和紙体験は後にして、会館内の展示を一通り観ました。 和紙で出来た様々な着物や洋服など、
折り紙で作られたさまざまな花や動物などなどが一面に展示されていました。 シャチ、サメ、カメ、
マグロ、鯛、イワシなどなど折り紙で作られた魚などが、壁一面に泳ぐ水族館を模していたのは圧巻でした。

 いよいよ体験工房で、言われるままに手続きをして、いざ紙漉きの手ほどきを教わり、孫たちは
「流し漉き」という、B3くらいの大きさの和紙作りを希望し、私は、ハガキをやってみました。
どろどろに材料が溶けた水槽に、例の木枠を両手で浸け、手早く前後に動かしながら、万遍なく溶けた
材料を枠に漉く・・あれをやったのです。 簾からどろどろした紙を板の上に、静かに置くところは
指導職人がしてくれて、その上に、自分の好きな花びらや、葉などの飾りを自由に載せて飾りを付ける
工程がやや難しいが楽しい部分でした。

 乾燥が必要なので、10日くらいして自作品は郵送してくれるとのことで楽しみが持続することに・・。

 和紙工房で             作品例
  

 

 お盆休みということもあったのかもしれませんが、全体にのんびりとした素朴な感じの会館を出て、
すぐのところにある道の駅で、地元麺屋の冷やしうどんを食べ、お土産を買って目的は終わりました。

 やや物足りない気がしましたが、真夏の日中、暑い盛りでしたし、土地勘が全くなく、手にした
無料地図を頼りに、駅近くの槻川遊歩道に足を延ばしてみました。木陰も少なく、時期的に人影も少ない
のんびりとした、しかしやや早瀬のような川を間近にすると、日常あまり経験しない感情を覚えました。

            槻川遊歩道
             


 栃本堰という、300年前に小川用水(灌漑)として造られたという、勢いよく水音を立てて
白い飛沫をあげて止めどなく流れる様に、しばし見とれていたりしました。魚道という、魚が昇るための
水路が脇に設えてありました。

 栃本堰を望む             手前が魚道
   


 普段、エレクトロニクス文明に囲まれた生活から、しばし、遠ざかった世界にタイムスリップしたような体験をしてきました。

 

栃本堰
  
 



 ここ小川町で陶芸をやっている歌手 岩本公水の作品が、会館に展示されていましたので・・。

 

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花火  (bon)

2015-08-12 | 日々雑感、散策、旅行

 このところ、毎週土曜日あたりには、自治体主催などの花火大会があり、大きな音と共に、特大の
スターマインなどが威勢よく打ち上げられ、しばし、暑さを我慢して眺めることが多くあります。
 子供の頃に見た花火は、一度上がると、次に上がるまで待ち時間が長かったように記憶していますが、
最近のは電気仕掛けで次々と、5000発、1万発など飽きずに楽しませてくれます。

 夏休みに、孫たちが来ると大抵 ベランダ花火を楽しむ習慣になっています。その孫も、高1、高3に
なった今年も、やはり、ベランダ花火となりました。 近くのスーパーで買い求めた花火は、もちろん
打ち上げ式でなく手持ちのものばかりですが、イマイチ迫力がなく特に線香花火なども、玉がすぐに
落ちたり、火花が貧弱な感じで、何やら物足りなさが残りました。
 スマホか何かで検索しているうちに、花火問屋に直接出向いて買ってみよう、ということで、
浅草橋の専門店で買い求めてきました。

 人形やおもちゃなどの問屋が軒を連ねる浅草橋の 隅田川と平行した江戸通り近辺に十数軒花火問屋があり、
なかなかの老舗で、構えも立派で、小売りもOK、店員も愛想よく説明してくれる。会社のグループでの
イベント用らしい、何種類もの打ち上げ花火を含めて大量に買って行く若ものも居たり、お店は大変
賑わっていました。

    お店(例)           店内
                 

 

 当方は、どちらかというと、手持ち。それも特に線香花火でしっかりとしたものが欲しいといえば、
すかさず“それは国産に限る”ということで、その種類も、“大江戸牡丹”“徳川牡丹”などと
名付けられた、それらしくデザインされた紙封筒様の中に収められていました。
良く売れている“徳川”をはじめ、いくつかオリジナルも含めて買い求めてきました。 

  線香花火              徳川牡丹とその中身
           

 

浅草橋で花火を買って、浅草の方に足を延ばして、人形焼などを買って、早や家に向かいました。
外国人観光客の多いのが目立っていました。

 仲見世                   スカイツリーも
      

 

 で、実際はどうだったかというと、火を付ける前の花火の姿がきれいだし、色使いもどことなく上品で、
火付きが良く、花火の燃えている時間がちがうように感じました。線香花火でいえば、火玉が大きく、
飛び散る火花も大きく、長持ちしました。それに品質のばらつきもあまり感じませんでした。
線香花火の他に、色がいくつも変わるものや、二重になって後から追いかける式のものなど、やはり
一味違った味わいがありました。2夜にわたって楽しみました。

 徳川牡丹(国産線香花火)         九州炭火
         

 

 ところで、線香花火の名の由来は、江戸時代に香炉に線香のように立てて遊んだことからだそうですが、
もともと、西日本では、竹ひごや藁の先に黒色火薬をむき出しに付着させたものを、香炉などに立てて
遊んだのだそうです。この構造を「すぼ手」というそうですが、東日本では、藁の代わりに和紙の
こよりの先に黒色火薬を包み込んだ「長手」とよばれるもので、最近ではほとんどがこのタイプが多い
ようです。

 ついでですが、黒色火薬は硝石・硫黄・炭から作られますが、線香花火の火薬には、本来は、炭として
松煙と麻炭が使われていましたが、近年は入手困難で、代用品が使われているそうです。

 線香花火が燃える段階は次の4段階に分けられそれぞれに名前が付けられています。 

 1、  牡丹:玉の状態。
 2、  松葉:玉が激しく火花を発する。
 3、  柳:火花が低調になる。
 4、  散り菊:消える直前。

 隅田川や、秋田大曲の花火などをテレビで見ると、どれも凄い名前が付けられていて、そのこだわりを
伺わせていますが、手持ちの線香花火でさえ、産地(国内)や製造メーカによって、火をつける前の状態が
すでにこだわっていて、包装、色彩、ネーミングなどユニークなものが多いのに気づきました。
そして、一瞬の火花の色、形、その変化など花火師の工夫を垣間見ることが出来るのでした。

 

 

 

 

 

 

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よさこい祭り  (bon)

2015-08-10 | 日々雑感、散策、旅行

 この時期、全国的なお祭りシーズンですが、よさこい祭りを取り上げてみました。 
8月9日の前夜祭から始まって4日間、四国は高知市で、毎年盛大に繰り広げられるお祭りです。 
よさこい”は、夜さり来い(夜にいらっしゃい)という古語が変化した言葉だそうですが、囃子に
“よさこい、よさこい”と歌われています。

 よさこい祭りは、昭和25年(1950年)頃に初めて披露されたとあり、それほど伝統的なお祭りではない
ようで、形式も、地方車(じかたしゃ)と呼ばれるトラックに音響機器を搭載し、踊り子がその後ろに
連なってよさこい踊りを舞いながらパレードする形式で、踊り子たちの衣装や化粧もこったものが多い。
あの、「南国土佐を後にして」の作詞作曲をした武政英策が、踊りに使われる「よさこい鳴子踊り」を
作詞作曲をしたのみならず、踊り子の手に“鳴子”を持って鳴らしながら踊るユニークな踊りを発案する
など大きく関係しているとありました。 

           鳴子
            (ネット画像より)

 

そしてその後、楽曲の自由なアレンジを許可したため、いろいろなバリエーションが生まれ、
サンバ、ロック、演歌、フラなどチームが趣向を凝らした楽曲と自由な振り付けを披露しています。
 そしてこのお祭りは、平成4年(1992年)に札幌で“YOSAKOIソーラン祭り”が開催されたのを皮切りに、
急速に全国に広まったのです。 
専門家は、七夕などの装置集約型の商店街イベントでなく、主催者側のコストが少ない参加者集約型
都市イベントとして、地元の民謡と鳴子を手にしたよさこい祭りが急速に各地で普及したという。 
わたしの街でも、毎年若者たちによって祭りの目玉として競演されています。

         よさこい踊り(例)
            (ウイキペディアより)

 

「よさこい系」「YOSAKOI系」の祭は、次のようなフォーマットを踏襲しているという。

  • 鳴物:手に鳴子などを持って、鳴らしながら踊る。
  • 音楽:地元の伝統民謡、ご当地ソングをアレンジ(ジャズ、ディスコなど)した曲に合わせて踊る。
  • 衣装:おもに和風にアレンジされたデザインのチームオリジナルの衣装を着る。
  • 化粧:歌舞伎・バレエ等の舞台化粧や、そのアレンジ、フェースペインティング等。
  • 演舞:各チームは、独特の振り付け(ステージ形式、パレード形式)を織り交ぜた集団での踊り。

 よさこい節は、高知県の代表的な民謡ですが、その起源は定かではないようで、高知城築城の時に
歌われた木遣り音頭から変化したものとか、“江島節”が土佐に入って盆踊唄に使われ、よさこい節に
なったとの説がある。

 ものの本によれば、その歌詞は次の伝説を歌ったとありました。    
「昔、五台山妙高寺の純信という坊さんが、鋳掛屋の娘お馬に心を奪われ、夜な夜な山を下りて、
当時繁華な、はりまや橋で、かんざしなどを買ってはお馬に与え、歓心を買っていた。これがいつしか
町の人々に知れ渡り、二人の浮名は高くなった。 そこで純信は、お馬を稚児姿に変装させて駆け落ち
したばかりか、関所破りまでしてしまった。まもなく二人は連れ戻され、それぞれ追放され、二人の恋は
断ち切られてしまったという。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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立秋  (bon)

2015-08-08 | 日々雑感、散策、旅行

 この暑いさ中に何を言ってくれる・・! 
連日猛暑日が続き、記録的な暑さとなっています。 関東南部は雨が少なく、予報では、期待させる時も
ありますが、空振りで終り、それこそ“カラカラ”の街・・「東京砂漠」? なんですね。

 今年は、今日、8月8日が立秋です。昨年は、7日がそうでしたが、夏至と秋分の中間で、
秋の訪れを感じ始める頃なんです。暦の上では、暑さの頂点で、翌日から“残暑”となるのですね。
暑中ではなく、
「残暑お見舞い申し上げます」。

 立秋は、二十四節気の一つで、太陽黄経が135度のときです。 高校野球で、甲子園が熱気に
包まれている頃です。


「秋きぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ 驚かれぬる(藤原敏行)」

 暑い暑いと思っていても、気が付くと入道雲がうろこ雲にかわっていたり、かすめる風の冷やかさに
秋の到来を感じる・・のももうすぐです。

         立秋の日のサギソウです (もうすぐ、サギ(咲き)ソウです。)
           (2015.8.8)
 

 芸術の秋、食欲の秋、収穫の秋・・秋にまつわる言葉などを拾ってみました。

秋季、秋雨、三秋(初秋、仲秋、晩秋)、天高馬肥(天高く馬肥ゆる秋)、秋風、一日千秋、一刻千秋、
千秋晩成、物言えば唇寒し秋の風、一葉落ちて天下の秋を知る、女心と秋の空、秋の夜と男の心は
七度変わる、秋風と夫婦喧嘩は日が入りゃ止む、秋ナスは嫁に食わすな、秋の日はつるべ落とし、
秋の稲妻千石増す・・

小倉百人一首にも

 「秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ(天智天皇)」

 「奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋は悲しき(猿丸太夫)」

 「み吉野の 山の秋風 さ夜更けて ふるさと寒く 衣打つなり(参議雅経)」


 あぁ~、早く涼しくなってくれないかなぁ~

 

 

 

 

 

 

 

 

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蓼科農園夏合宿'15  (bon)

2015-08-06 | 蓼科浪漫倶楽部 畑

                  甲子園では、開始100年目(第97回)の高校野球が始まりました。
                        広島では、70回目の平和祈念式典が行われました。
                        関東は、猛暑日6日連続という記録的暑さが続いていますが、
                        今日も35℃を超えたようですから、嬉しくない記録更新です。

 
 ブログ記事アップをしばらくお休みさせていただいていましたが、8月2日から5日まで、蓼科農園にて
暑さと、雑草と戦っていました。
 成長旺盛な雑草は、ほぼ1か月のうちに畑全面を覆い尽くしていました。防草シートの威力は大したもの
でしたが、シートとマルチの隙間や作物を植えているマルチの穴から割り込んで伸びた
雑草を抜き取る
作業がメインとなる一方、畑周辺は、2台の草刈り機がフルに稼働したのでした。

 雑草に覆われた畑(全景)           (さつまいも)
   


 大豊作のじゃがいもは、2畝を残して5畝を収穫しました。九州から取り寄せた“タワラムラサキ”と
“マゼラン”そして“男爵”合わせて2~300㎏はあるかという豊作でした。
形、質とも良く、これまでの最高でした。

 Kさんのお孫さん2人も大喜びで、せっせと収穫に大いに活躍しました。
 ナス、ミニトマトも豊作でした。これらは、採り頃をはずし、やや成長し過ぎのものもありますが
満足でした。
パプリカ、万願寺とうがらしは、太陽をいっぱい受けた濃い緑の丸々とした肉厚の立派な出来でした。

 ジャガイモの収穫             成果(部分)
   


           パプリカも・・
             

 

 熱中症を用心して、冷たい麦茶、スポーツドリンクをたっぷり、3~40分作業でテントに戻り
休憩というリズムで、流れる汗の中、全員無事、元気を維持することが出来ました。農家の人達なら
作業を休む日中も、黙々と作業を続ける老人たちの姿は、常軌を外した仲間に見えるかもしれません。

          お茶タイム
             

 

 それでも、午後3時半を過ぎると、熱風は、柔らかな風に変わり、1日の峠を越えたことを知り、
夕暮れ間じか、暑さと作業で疲れた身体を温泉で流し、湯上がりの風を受ける時、ホッと達成感に似た
満足を覚えるのでした。

            夜は、涼しいBBQ            
              


          みんな頑張りました。
             

 

 八ヶ岳は積乱雲をバックに、遠くかすんで見えた真夏の4日間を無事、予定の作業を終え畑を後にしました。

 

 お楽しみ スライドショーです。(5分20秒)

  
              

       





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二子玉川  (bon)

2015-08-01 | 日々雑感、散策、旅行

 連日猛暑日が続いていますが、昨日 この暑い中の“ランチの会”は、ここ新しくグランドオープンした
「二子玉川ライズ」をお目当てにして、楽しいランチと談笑のうちにみんな満足したのでした。

 二子玉川ライズ               ランチ風景
   

 二子玉川といえば、50年前に、ここから3つ目の“溝の口”に 私が住んでいた頃の通勤駅で、
当時は、二子玉川園などの遊園地があり、大井町線の終点駅でもありました。駅は当然地上駅で、
多摩川が近くを流れ。当時、ここでボート遊びをしたこともありました。

      昭和40年頃高架工事中の二子玉川園駅
          (二子玉川ライズHPより)


        現在の二子玉川駅(高架)
           


こんな、のどかなところに、この遊園地跡を1982年から都市再開発が行われ、5年ほど前からそれぞれの
地区が竣工し、いよいよ今年 メインのショッピングモールなどを含めた施設がオープンしたのでした。
開発テーマが、「水・緑・光そして自然との共存」というだけあって、そのコンセプトが見事に活かされた
商業主義一辺倒ではない 癒し空間をも創成した、馴染みやすい感覚を覚える空間でした。
「働く・過ごす・暮らすがつながる」二子玉川ライズ と称した新しいタウンは、まだ最終開発を残しながら
人々に親しまれる空間が演出されていました。

 テラスマーケットの屋上には、メダカがいる小さな池が作られていて、“アサザ”がきれいに黄色い花を
つけていました。 途中、女子学生らしき二人に、アンケートされるなど、ハプニングがありましたが、
この商業タウン地区のアメニティ度などを調べているようでした。

      メダカのいる池
          

 

 前置きで、終わりそうですが、ランチはほどほどに、自作のトマトなども持参され、一味違ったおいしさに
感激したり、写真の画素密度とプリントした時の鮮明度、深みなどの違いについて、あらかじめ持参された
プリント写真(A4版)を見比べたり・・そんな技術談義に花が咲いたり、いつものようにゆったりとした
ひと時でした。
 テラスマーケット1~2階は、蔦屋家電の新感覚のレイアウト、こだわり商品、そして展示スタイル・・
一瞬、戸惑いを感じるうちに、いつしかその空間に溶け込んでしまっている自分を感じ、ゆっくりと書籍、
エレクトロニクス関連、カメラ関連、健康器具など、レトロも含めた未来志向の品揃えに感心しました。
フロアのアチコチに店員の姿が見えますが、これらの店員は、“コンセルジュ”と呼ばれる振る舞いを
しているのでした。

 新企画に、戸惑いながら暑いさ中、少し行ったところの、「玉川大師」なる、昭和3年開山の新しい
お寺に参拝しました。お目当ては、“お戒壇”で、帽子を脱いで、静かに細い入口に吸い込まれて行きました。
手伝いに、ゆっくり進む細い地下道は、全くの闇の中、しばし、すべてが頭の中から遠ざかり、ただ足元、
進む先のみに注意が注がれた瞬間でした。
途中、うす明かりの中に、四国八十八か所の石仏が安置された空間がありました。
無事、皆さんお戒壇を終えて、地上の熱斜の娑婆に戻ったのでした。

 玉川大師                 石仏群   
  

 

 お昼前の集合から、変化に富んだ一日を過ごし、駅近くでゆったりとした 超長めのお茶タイムを経て、
5時半頃お開きとなりました。楽しいひと時をありがとうございました。
    <写真は、Tプロ撮影のものを使用させていただきました。> 



 

 

 

 

 

 

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