特になんてことはありませんが、最近、ふっと頭をよぎったりして、“どうして、この
ような意味になるのだろう?”みたいな言葉があります。 いくつかありますが、その
内容的な構図はそれぞれに異なっていて共通するものではないと思います。 自分がその
ように思っているだけかもしれません。
そんな、曖昧な事柄ですが、以下にいくつかの“不思議な言葉”を列記してみました。
『今度』(こんど) です。 漢字は、「今」で、このたび なのに、“今度遊びに
行くよ”とか“その話は今度にしよう”など、「今」ではなく「次回」あるいは「少し後」
みたいに使われています。これが不思議・・なんですね。
手元の辞書を引いてみました。①新明解国語辞典(三省堂 1979年)、②広辞林(三省堂、
1968年)。 ①では、1現在行われているもの、2ごく最近のこと、3近い将来のこと とあ
り、②では、このたび、今回 と素っ気ない意味でした。
ちなみに、「今」というのは、①では、現在の時点、もうすぐ、もういちど、かりに と
いう意味があり、 ②では、現代、少し前、新しい、おっつけ、やがて、さらに とありま
した。
この流れでいえば、今という意味合いもあり、近い将来(この次)の意味もあるわけです
が、どうも、現在の時点という意味合いにはとれないのですね。ネット調べでは、1 何回
か行われる事柄の中で、いま行われていること。また行われたばかりであること。このたび。
今回。「今度の話は気乗りがしない」「今度という今度は懲りた」 2 最も近い将来。こ
の次。次回。「今度の休みに山へ行く」 3 最近。このごろ。
さらに、「今度」は現在のことだけでなく、近い過去と近い未来についても用いる。
「今度入社したA君です」「今度そちらに伺います」「今度会うときには」など。 また、
「今度のオリンピックでは・・」といった時、終わったリオの話しである場合もあり、次回
の東京オリンピックを指す場合もあります。 関心の違いで意味合いが異なるのですね。
今度=sometimeの意味もある。「今度ランチしよう」 しかし、「今回」となれば、過去
と現在の意味はあるが、未来について使うことはない。とあり、 言葉は、不思議です。
(ネット画像より)
つぎは(今度は)、
『多少』です。
「多少」の使い方は少々面倒くさい面があるという。
辞書①(国語辞典)では、多いか少ないか、 いくらか、文脈により多い/少ない どちら
の意味にもなりえる。「多少の心得はある」(多い)、「多少なりとも~」(少ない)
辞書②(広辞林)では、おおいこととすくないこと、多いこと、いくらか、少しは とあり、
どちらの意味もあるようですが、ネットなどの例では、圧倒的に「少ない」の意味で使われ
る言葉のようだとあり、「多い」意味でつかわれる例は、現代語ではあまりないようだとあ
りました。「多少の誤解は生じるだろう」「多少は無理がある」
しかし、。「多少にかかわらず、ご注文に応じます」などでは、多い意味も少ない意味も
共に含んだ“量の多寡”を問う内容もありますから、一概には言えないのかもしれません。
『寄る』 ここでは、天気予報などで使用する “風向き” のことなんです。この言葉
は、ずっと以前から気になっているのですが、例えば、南寄りの風 といった場合、南の方
から吹いてくる風のことですね。 しかし、「寄る」という意味からすれば、右寄りに走る
といえば、右の方によって(つまり右方向に)走るとなりますし、「寄り道」でも、どこか
に行く途中で別のところに行く・・その方に寄る・向かう 意味となり、いずれにしても、
その方向に向かって となります。南寄りの風 とは、南の方に向かって流れる風 の意味に
なるような気がしているのです。(文字からくる印象としては)
辞書①では、側に行く、重なる、途中で他のところを訪ねる 相撲の寄り切り 辞書②
では、近寄る、近づく、立ち寄る、集まる、重なる、かたむく などがあり、どうみても、
風向きの例にはなりにくいように思うのです。
ちなみに、『因る』(よる)という意味では、①では、よりどころとする、原因など
②では、もとづく、原因する、応じる などで、どうも風向きの場合は、こちらの『因る』
が、言い当てているようですね。 しかし、ネットの知恵袋などでは、『寄り』が使われて
います。
さらに、気象庁での用語では、以下のようになっていました。(漢字は使われていない)
風向に関する用語
分類 | 用語 |
区分
| 説明 |
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風向 |
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風の吹いてくる方向。 |
備考 |
観測では16または36方位を用いているが、予報では8方位を用いる。 |
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(南の)風 |
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予報期間内および予報区内の平均風向が(南)を中心に45度の範囲にあるとき。 |
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(南よりの)風 |
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風向が(南)を中心に(南東)から(南西)の範囲でばらついている風。 |
備考 |
a) 東、西、南、北の4方向のみに用いる。 b) 予報文には用いない。注意報・警報、情報文でも必要最小限にとどめる。 |
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(東または南の)風 |
備考 |
a) 音声伝達では「東の風または南の風」を用いる。 b) 予報区域内で、場所によって東の風が吹くところや南の風が吹くところがあるときに用いる。 c) 風向が大きくばらつく予報は好ましくないので多用しない。
|
(気象庁HPより)
『靴下』です。 なぜ靴下というのでしょうか?
靴よりは上にあるはずですが、なぜ“靴の下”というのか不思議なんですね。 辞書①で
は、位置や程度が低い、内側にあって表から見えにくい、仮の(下書き)、すぐそのあと、
辞書②でも、しも、うら、低い場所、劣った地位、ためす などの意味がありました。
これからすれば、どうやら、“内側”の意味からきているように思えます。ネットでは、
『日本語の「下」という言葉には、上下の下という意味の他に、内という意味もあります
よね。 例えば、「ジャケットの下に着る物」と言えば、ジャケットの下側でボトムス、と
は誰も思いませんよね。ジャケットの内に着るシャツ等を指します。 それと同じ意味で、
靴の内に履く物だから、靴下という名前になりました。靴よりもはみ出して、ふくらはぎや
膝まである場合が多いので、ふと考えると不思議な感じはしますよね。』 また、『靴下は、
靴の“下(内側)”に穿く「下着」の一種。雨や雪の日などに靴の“上(外側)”に履くの
は「オーバーシューズ」です。同様に、ズボンの“下(内側)”に穿く下着が「ズボン下」
なら、パンツの“上(外側)”に穿くのは「オーバーパンツ」です。』
『茶碗』 ご飯を入れるお椀なのに、なぜ “茶” なんでしょうか?
ネットから、引用させていただきました。 『茶碗とは、元来は茶の湯において用いられ
る茶を入れて飲むための碗を指す語である。 ただし、近年では広く陶磁器製の碗を指して
用いられる。 現代の日本において「お茶碗」と言った場合には飯茶碗を指すことが多いが、
ご飯をよそうための椀は、特に ご飯茶碗 あるいは飯碗と呼び区別することがある。』
なるほど! さらに追い打ちをかけるようですが、『元々、中国からお茶と共に、お茶を
飲むためのお椀として入って来た器を単に「茶碗」と称しましたが、時代と共に「お茶を飲
む茶碗」「物を入れる茶碗」などに分化されご飯を入れるのに丁度良い事から、茶碗に、
ご飯を入れるのが普及した。』 『碗形(わんなり)の形をした陶器の事を「茶碗」と総称
しているからです。』
だそくで、お茶を飲む茶碗も、抹茶茶碗、煎茶用の煎茶茶碗、白湯・番茶用の湯呑茶碗が
あります。
『身体』からだのことですが、どうして“身長”といい、“体重”というのでしょうか?
身体の意味は、 1み。からだ。「身体」「病身」 2おのれ。みずから。じぶん。
「自身」「立身」 3物のなかみ。本体。「刀身」「砲身」 とあり、身体の定義としては、
『生物的かつ文化的に規定された、有機体としての人間や動物の構造を指す。』と難しい
内容となっています。 で、身長・体重については、ヤフー知恵袋に次のようにありました。
『体重は、体の重さという意味ですからよいとして、身長に身という字を使うのは人以外の
動物と区別するためです。身には、生きている人間のからだという意味があります。よって、
身長は、生きている人間が直立したときの長さという意味なのです。 対して、人間以外の
動物は体長を使い、身長とは言いません。人以外の動物は直立しないので、頭+胴の長さを
体長と言います。 つまり、体重は人間だろうが動物だろうが同じですが、からだの長さの
定義は人と動物では異なるので、人に身長を使い、動物に体長を使って区別しているのです。』
そうなんですね。 独身、全身、親身、身長、身上、身軽 などがあり、一方で、体重、
体位、体操、全体、胴体、躯体 などを見ていますと、定かではありませんが、なにやら、
“身”というのは“ヒト”の中身に重点があるようで、“体”は、どちらかといえば、形
態、物理的なかたちに重点を置いた意味があるように思えてきました。
まぁ、どうでもよいことにくどくどと時間を費やして申し訳ありません。このほかにも、
『道路』などのような、同じ意味を持つ字が重ねられて表現されている言葉も多いのですね。
延伸、会合、停止、創造、表現、返還・・などたくさんありますし、家などの各部屋の呼び
方も、居間、客間、寝室、食堂、玄関、さらに書斎など・・これが大きくなり、公共的な
物件ともなると、図書館、美術館、体育館、講堂、議事堂、金堂・・などがあります。
また、機会がありましたら、記事にしてみたいと思いますが、お付き合いいただけるで
しょうか?