蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

高齢者とクスリ  (bon)

2016-05-31 | 日々雑感、散策、旅行

  医師から処方された薬を飲み残してしまう いわゆる“残薬”への関心が高まっています。
75歳以上の高齢者の飲み残し分だけで年間約500億円に上るとの試算もあるといいますから
穏やかではありません。高額の医療費が無駄になるだけでなく、健康にさまざまな危険を及ぼし
かねない・・などの指摘があります。

 しかし、ここでは、これとは逆の発想で、如何に処方される薬を減らすか、特に、高齢者に対して
投薬が多すぎるとの見方で、何とか投薬を減らせないかの活動をされている医師の講演録から
拾い読みで、その要点をまとめてみました。

 

 先ごろ届きました会報に、『高齢者の賢い薬の飲み方・減らし方』と題した講演録(講演は、
昨年12月)が掲載されていました。講師先生は 秋下雅弘氏(東大病院老年病科教授・東大・医・
昭60)で、50歳半ばの まだお若いお医者さんですが、老年病科ということですから、日夜高齢者と
付き合っておられる、まさしくご専門のようです。

       平均寿命(青)と健康寿命(赤)(平成22年)
                (厚労省HPより)
 

 

 日本人は、長寿世界一ですが、健康寿命でも男性 70.42歳、女性 73.62歳で世界一です。
高齢者と一口に言っても、高齢になるほど個人差が広がり。たとえば要介護認定率でみれば、
65歳以上の“前期高齢者”では、4%に対して、75才以上の“後期高齢者”でのそれは、30%超で
あり、この10歳の差で急激に増加しています。 東大病院老年病科に入院した人では、薬物有害事象は
年齢が上がるほど増加し、後期高齢者ではなんと、15%にも上るとのことで、高齢になるほど
薬による副作用が発症しやすいといっています。これは、諸外国でも同様の報告がされていて、
“薬を飲む”ことに、もっと関心を払うべきだと指摘しています。 薬の副作用といえば、
アレルギー、薬疹、薬剤性肝障害、腎障害が上げられますが、高齢者の場合には、“薬の効き過ぎ” 
が多いと指摘されています。

 例えば、高血圧の人が降圧剤で血圧が下がりすぎたとの弊害から、2014年、日本高血圧学会の
治療ガイドラインでは、従来の治療対象の 140/90 以上の患者に対して、後期高齢者については、
150/90 未満とするなど改訂されています。 高齢者の場合、血圧を下げ過ぎると脳の血流が落ち、
脳の機能も落ちると推定されているからです。 また、同様のことが高齢者の糖尿病についても
いえるそうで、糖尿の薬で血糖値が下がり過ぎで意識を失ったとの例もあり、高齢者が病院に
搬送されるほどの低血糖を起こすと、認知症発症リスクは2倍になるといっています。 
 血糖値HbA1cに対して、2013年の国際糖尿病連合(IDF)のガイドラインでは、
従来のその管理基準を一律 6.5%以上としていたのに対して、高齢者一般は 7.5%未満、
健康状態にやや問題アリの高齢者は 8.0%未満、認知症患者などは、8.5%未満などと管理目標が
緩和されているのです。

 多くの高齢者は、慢性疾患を含む複数疾患を抱えているため、それだけ多くの診療科にかかる
ことになり、多くの薬を処方される結果となるのです。中には、長期服用の薬もあるかもしれません。
こうした多剤服用が薬の副作用の発生リスクを高めていることになるのです。しかも、高齢者の場合、
同じ疾患でも若い世代とは症状の発現が異なるため、誤診と誤投薬が多いとも述べています。

 例として、75歳の女性に見られた“歩行困難としびれ”の原因として、一つではなく次のような
たくさんの症状が考えられます。

   歩行困難とシビレの原因
        ・糖尿病性神経症    (糖尿病内科)
        ・閉塞性動脈硬化症   (血管外科、循環器内科)
        ・骨粗しょう症     (整形外科)
        ・脊柱管狭窄症     ( 〃  )
        ・抑うつ        (精神科)
        ・白内障        (眼科)
        ・糖尿病性網膜症    ( 〃 )
        ・廃用症候群      (リハビリ科)

 もし、彼女がこれら診療科すべてにかかったら、それぞれから大量の薬を処方され、大変なことに
なりかねません。 これらの症状全体を包括的に捉えて、“効果のある治療は施し、効果が無い
治療はしない”とするべきだと・・。

 面白い事例が上げられていました。 79歳の男性が妻に先立たれて一人暮らしをしていましたが、
息子夫婦と同居するようになって以降、具合が悪くなったというのです。 彼は、降圧剤を3種類
処方されていて、その内の1つは脈を遅くする作用がありましたが、一人暮らしの時は、飲み忘れが
幸いしていたのが、同居後は、息子夫婦がきちんと服薬管理をするようになった結果が薬が効き
過ぎた・・。

 高齢者は、“何とか薬で良くならないか?”と期待する傾向がありますが、これは薬漬けの
原因でもあると指摘し、高齢者が医師にかかる際、次のことを守ってほしいと述べられています。
①むやみに薬を欲しがらない   ②他院や他診療科で処方された薬を正確に伝える
③処方された薬はきちんと飲む ④薬を止めたい時や減らしたい時は、自己判断せず必ず医師に
相談する。

 

 私は、これまでたまに風邪などで、お医者にかかりますが、“お薬手帳”など面倒で持参した
ことがありませんでしたが、今後、お医者にご厄介になる時は必ずお薬手帳を持参するようにしたい
と思いました。

 

 

 

 

 

 

 

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GISフォーラム  (bon) 

2016-05-29 | 日々雑感、散策、旅行

              G7サミット、特段の事故が無く無事終わって何よりでした。
            このほど、井の頭公園の“はな子”(象)が69歳でなくなりました。
            昨年11月に行ったときには、元気で鼻を振っていたのに・・。

 

 一昨日、5/27(金)には、久し振りに先端技術フォーラムを聴講して来ました。
といっても、たくさんの中の1つのセッションだけ聴講しました。

 このフォーラムは、esriジャパンによる「第12回GISコミュニティフォーラム」と題して、
この26~27日に、六本木の「東京ミッドタウン」で開催され、基調講演は、増田寛也氏
(元総務大臣)ほか5名から問題提起と提言など、そして、2日間のセッション・講演は
50以上に亘る大々的なものでした。 

        プログラム表紙(部分) 
          ((GISフォーラムHPより)

 

 このうち 私が聴講したのは、かって職場を共にした当時新進気鋭の友人T氏が講師を務めた
「新発想のGISマーケティング情報サービス」と題する講演で、今後に向けた地図・地番データを
含む空間情報を活用した新ビジネス展開事例と提言がなされていました。 
 このルーム定員は80名とのことでしたが、なんと補助席まで使われていて、2~30代の
若いビジネスマンの熱気に包まれていました。 驚きましたのは、美容講習会?かと見まがうほど
若い 多くの女性が参加して熱心に聴いていたことでした。 難しい、最新のテーマであるにも
かかわらず・・です。 そんな中、年齢的に、4~50才も若い人たちの中では、私の存在は
異様に見えたことでしょう。

        セミナー会場風景
                   

 

 で、GISというのは、Geographic Information System の略で、あまり馴染のない方も
おられるかもしれませんが、いわゆる電子化された地図情報システムなんですね。この電子化
された地図情報が基盤となって、その地図が示す内容、つまり地形、用途、建造物、地番、
住居表示などなどが加味され、いわゆる地点空間情報として、地域行政、自治体、不動産関連、
農業・畜産関連、防災などの他、地域マーケティング、出店計画さらには医療、教育関連まで
広範な分野への応用が考えられるのです。 さらには、昨今のビッグデータなどの時系列情報など
とも関連づければ、これまでにない新しい戦略情報が得られるかもしれません。

 GISを高度に活用できる社会の実現にむけ、地図情報の電子化のみならず、それを活用していく
技術、制度、人材等が必要であり、これらの総体を社会的な基盤としてとらえ、総合的かつ計画的に
推進することを目的として、平成19年5月に、「地理空間情報活用推進基本法」が、国会で
制定されています。

 

 ほんの少し、その端っこをちょっと垣間見させていただいただけで、とやかく述べることは
何もありませんが、その、技術的な観点、目指すべき方向・目的などすべてが新しい刺激で
ありましたし、また、それを取り巻いている環境みたいな広がりを想像する時、自らはやはり
遠い昔に置き去りにされていることをはっきりと認識されるのでした。 やはり、
技術とその応用の空間は着実にしかもはやい速度で進んでいることを客観的に実感したのです。

 ありがとうございました・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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バスタ新宿  (bon)

2016-05-27 | 日々雑感、散策、旅行

 先日(5/20)、園芸友の会で箱根湿生花園他に行く時の集合場所であり、ここから小田急バスに
乗車したのでした。 新宿に新しいバスターミナルが出来たことは、知っていましたが、ここに
来たのは初めてでした。 ご存知の方も多いかと思いましたが、ちょっと紹介してみます。 

 バスタ新宿は、新宿駅南口 甲州街道(国道20号)を渡ったところにできた、バス、タクシーの
乗降場などを集約した交通ターミナルで、正式名称は 新宿南口交通ターミナルといい、今年(先月)
4月4日に開業したところです。 立体道路制度を活用していて、3・4階および進入路は国道20号の一部なのだそうです。

              バスタ新宿
        (バスラボHPより) 


 もともと、新宿駅は南口側に駅前広場がなく 国道20号上でのタクシーの客待ちや一般車の乗降が
行われ、渋滞や接触事故が起こり易いという状態であり改善の必要があったことと、新宿駅周辺の
高速バスは運行会社の違いなどからバス停留所が19か所に分散しており、利用者にとって分かり
にくい点や、一部の停留所は新宿駅から遠く離れた道路上にあるなどの課題があったのです。

 そこで、国土交通省が事業主体となり一般国道20号の「新宿駅南口地区基盤整備事業」の一環として
鉄道駅や高速バス・タクシー乗降場などを1つの建物に集約することとなったというのです。 バスタは、Bus & Taxicab Terminalの略だそうです。

 3階はタクシー乗降場と高速バスおりば(降車場)、そして新宿WEバス(最後に説明します)
乗降場とタクシー待機スペースがある。

        4階フロア配置図  こちら側が甲州街道
           (バスタ新宿HPより)


 4階の高速バス・空港バスのりばには、ターミナル・フロア中央部を囲むよう四辺にAからDの
エリアがあり、各エリアにはそれぞれ3カ所、合計12カ所の乗降場所がある。また、11台分の
バス待機場が備けられている。各エリアはバスの行き先などで概ね以下のように区分されています。

・Aエリア(A1 - A3):空港リムジンバス、北関東・千葉・福島方面
・Bエリア(B4 - B6):箱根・静岡・山梨方面
・Cエリア(C7 - C9):北陸・長野・岐阜方面
・Dエリア(D10 - D12):仙台・名古屋・大阪方面、ツアーバスからの転換事業者

4階フロア(バスのエリアです)
  

  私たちは、当日、箱根でしたから Bエリアから箱根桃源台行バスに乗車しました。

そして、AエリアとBエリアの間の角(南東角)にインフォメーションカウンターとコインロッカーが、
ミライナタワーと直結するBエリアの背後に待合スペースと発券カウンター・自動券売機が設け
られています。 しかし、ガラスの森美術館などとセットされた“割引チケット”は、ここでは
発売されていないそうで、バス会社等の販売所で購入しなければならないようで、私たちの場合も
幹事さんにはご苦労をおかけしました。

       発券カウンター とバス出発案内盤
         (ピンボケでした)
 

 この、バスタ新宿の開業に向けて、日本バス協会及び新宿駅周辺に乗り入れる主要バス会社11社の
出資により、新宿高速バスターミナル株式会社が2014年(平成26年)12月2日に設立されています。
資本金2000万円のうち日本バス協会が50%、バス会社11社が残り50%を出資したとあり、同社は
発券窓口運営、旅客・交通誘導、乗入ダイヤ調整、利用料の設定、新規乗入の承認といった
当バスターミナルの管理・運営を行っているのだそうです。

 新宿WE(ウィー)バスというのは、私も初めて知ったのですが、W(West=西口)とE
(East=東口)を結ぶバス、あるいは、私たち(we)のバス という意味で付けられたそうですが、
新宿駅周辺の交通の利便性を向上させ、魅力あるまちづくりを進めるために導入した、観光スポット・
商業施設・駐車場・駅等を結ぶ循環型バスだそうです。運行事業者は、京王バス東(株)。
(新宿区HPより)

         御殿場付近から見た富士山
           

 

 

 

 

 

 

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仙台青葉祭り  (bon)

2016-05-25 | 日々雑感、散策、旅行

 すずめ踊りなどで知られた、賑やかな仙台・青葉祭りは、毎年5月第3日曜日を中心に華やかに
繰り広げられています。 今年は、5月14~15日だったようです。
 しかし、ちょっと調べてみましたら、このお祭りは、いくつかの変遷をたどって今日のように
市民挙げてのお祭りとなったようです。

 もともとの起源としては、1655年に徳川家康を祀った仙台東照宮の祭り「仙台祭り」として、
9月17日に 藩を上げて行われた盛大なお祭りで、70基もの山鉾が城内を練り歩いたというのです。
それが明治に入り、明治7年(1874年)に伊達政宗を祭神とする青葉神社が創建された後には、
青葉神社の祭礼に変わり、政宗の命日である5月24日に執り行われるようになり、「青葉祭り」と
呼ばれ盛大に行われたとあります。 特に明治18年の政宗公没後250年祭や、昭和10年の
300年祭には多くの山鉾が市中に出て盛大に行われたそうです。
 ところが、昭和40年代後半には交通事情等によりこの青葉祭りは途絶えてしまったのだそうです。

        青葉神社
          (ウイキペディアより)


 そして、伊達政宗没後350年にあたる 昭和60年(1985年)に、途絶えていた「青葉まつり」を
“市民がつくる市民のまつり” として復活させたのだそうです。このとき、青葉神社の例祭とは別に、
市民挙げてのお祭りとして、5月の第3日曜日の本祭りとして現在盛大に行われているのですね。
仙台の初夏を彩り、仙台3大まつりの一つとして定着しているといいます。本まつりでは御輿行列や
時代行列、仙台山鉾巡行がまちを練り歩く様が見られ、その前夜に行われる宵まつりでは、
すずめ踊りコンクールなど、さまざまなイベントが繰り広げられているそうです。

 まぁ、どうでもいいことですが、このような大きなお祭りが、変遷しているというのも珍しい感じが
しました。

        伊達政宗像(土佐光貞筆)
          (ウイキペディアより)
 

 ところで、この機会に伊達政宗について、再確認してみました。
 1567年生まれといいますから、戦国真っ只中といえるかもしれませんが、後に敵味方になる
真田信繁(幸村)もこの年に生まれているのですね。 幼少時に患った疱瘡(天然
痘)により右目を
失明し、隻眼となったことから後世
独眼竜とも呼ばれましたが、1601年には仙台城、城下町を建設し、
伊達家第17代当主、仙台藩初代藩主として
数々の業績に輝く人であったようです。

 豊臣秀吉が、1590年小田原城征伐を挙行すると、どちらかといえば東北の独立武将であった政宗も、
その兵力を勘案して秀吉側に参戦するなど、その後秀吉の傘
下に入り活躍したそうです。しかし、
関ヶ原では、東軍に属し、家康の側近として
重宝がられ、また政宗も忠臣であったようです。
特に3代家光からは、親父として
慕われたようで、政宗が病(癌性腹膜炎)で没する3日前にも
見舞いに来たそうで
す。 結局、1636年5月24日、享年70歳(満68歳)で人生を閉じたのです。

 関ヶ原の後、大坂冬の陣(1614年)では、同年生まれの真田信繁(幸村)勢により敗退を強いられる
のですが、この時の幸村の弁に、「関東勢百万と候えど、漢たるは一人も無きに見えにし候」
(「関東武者は100万あっても、男と呼べる者は誰一人として居ない」)と嘲笑したという
エピソードがあるようです。ここは、伊達としては、悔しい思いであったのでしょう。 
このあたり、今のNHK大河ドラマではどのように表現されるでしょうか、楽しみです。

  拾い読みで、粗々過ぎるかもしれませんが、青葉祭りに関連して・・。

 

 

 

 

 

 

 

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今日は真夏日  (bon)

2016-05-23 | 日々雑感、散策、旅行

  今日5月23日の最高気温は、30℃と予想され、今年最初の真夏日となると予報されていました。
 日本気象協会によれば、今日23日の最高気温は、

       32℃  福島、京都、岐阜など
       31℃  名古屋、さいたま、熊本など
       30℃  東京、大阪、岡山など

となっています。 北海道では、昨日、観測史上(1978年以降)最も真夏日の多い5月で、
既に4日連続の真夏日だというのですね。 先日などは、東京で24℃くらいなのに、旭川では
30℃を超えていました。 記録によれば、東京の年間平均気温でみても、過去100年で3℃も
上昇したと発表されていました。 平均気温の上昇は、他の都市の1~2℃上昇にくらべて、
東京のそれは高いと言われています。やはり都市化の影響かもしれません。

 私の手元にあります温湿度計は、やや高めに出るのですが、現在(5月23日午前11時30分)
室内で、気温28℃、湿度45%、気圧1015hPを指しています。

  いよいよ夏を迎えるにあたって、ベランダの日よけ対策が大事になって来ます。毎年、今頃 
いろいろと思案を凝らすのですが、結局は大した対策も出来ないまま、植物には、最悪の環境を
強要することになってしまい 気持ちだけは、植物にはいつも申し訳ないと思っています。

 家(集合住宅)の周りは、今が一番きれいな時期で、緑の木々の下は、一面サツキツツジの
赤やピンクがぎっしりと咲き詰まっています。

 地上6階のベランダの様子を、パチリトしましたのでいくつかをアップします。

 ベランダのサツキ(一つの花が赤・白にくっきりと線引きしたように咲いているのがありました。
1つの株に赤・白の花が咲いています。)

 

 

ヤマボウシ ハナミズキの後に咲いてきますが、今年は例年に比べて花が小さいです。

          

 

隅田の花火(アジサイ) まだこれからの季節です。

          

          

 ゼフィランサス 昨年も咲きましたが、今年も突然咲いてきました。別名レインリリーというそうです。
和名では、サフランもどき。

          

 

ペチュニア もこうしてみるとまあまあに見えますね。ツクバネアサガオとも言っていたのですね。

          



 

 

 

 

 

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箱根湿生花園とガラスの森美術館  (bon)

2016-05-21 | 花鳥風月

 昨日は、五月の風に吹かれて、箱根に行って来ました。 
久振りの箱根でしたが、今回は、先月オープンしたばかりの、“新宿バスタ”(バスターミナル)から、
小田急高速バスで、御殿場⇒乙女峠⇒千石原のコースで、箱根湿生花園と箱根ガラスの森美術館に
行ってきました。 既に恒例になりました、園芸友の会、春の“屋外例会”として、企画されたのでした。

 お馴染みの箱根ですが、今回のところは初めて訪れました。どちらも、大変充実した内容で、
さわやかな空気の中、会員一同、楽しい一日を過ごしました。

 箱根町立箱根湿生花園は、仙石原湿原を広く知ってもらうために、1976年に開園され今年、40周年に
あたります。公式ページには、「箱根湿生花園は、湿原をはじめとして川や湖沼などの水湿地に
生育している植物を中心にした植物園です。 園内には低地から高山まで、日本の各地に点在している
湿地帯の植物200種のほか、草原や林、高山植物 1100種が集められ、その他、珍しい外国の山草も含め、
約1700種の植物が四季折々に花を咲かせて います。」 とありますが、今回の訪問時期も素晴らしく、
たくさんの花たちが我々を迎えてくれていました。

        箱根湿生花園入り口
           
 

あけぼのフウロウ、エーデルワイス    クリンソウ、あやめ
 


白いこまくさ、クロユリ          コウホネ、ハマナス
 


         園内は静かな湿地帯
            

 

ヤブレガサ、ニッコウキスゲ        クサタチバナ、ミヤマキリシマ
 


          ヒマラヤの青いケシ
            

 

 この他、ヤマシャクヤク、ヒメシャクナゲ、チョウジソウなどまだまだたくさんの花たちや、
既に終わったミズバショウやこれから咲くものまで十分堪能できました。 
さすが園芸友の会メンバーだけあって、いろいろとうんちくが傾けられたり、経験談などが添えられて、
一層深まった感じがしました。

 「とってよいのは写真だけ」という洒落の効いた立て看板がありました。


 箱根ガラスの森美術館は、開館20周年記念イベントとして、特別企画「炎と技の芸術 ヴェネチアン・
グラス展」が開催されていました。 残念ながら、美しい展示されたグラス作品は、16~19世紀の
ものが中心で、すばらしい数々でしたが写真でお見せすることが出来ません。
しかし、館内が一面美術館のような工夫が凝らされていて、大変美しいところでした。レストランでは、
イタリアの歌手によるカンツオーネ演奏もすばらしかったです。

          館内一望(遥か向こうは、大涌谷の白い煙)
           


ヴェネチア風演出             レストラン「ラ・カンツオーネ」
 


つるアジサイ               ガラスの木
 


 クリスタルグラス片を16面カットした無数のチップが、風を受けて太陽の光を七色に輝かせる
素敵なオブジェがあちらこちらで目を楽しませてくれていました。


東名高速道、足柄あたりからは、クッキリとまだ雪が残る富士山が微笑んでいるようでした。 








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喜寿の会  (bon)

2016-05-18 | 同窓会

 清水谷10期会同窓会(喜寿の会)は、5月16~17日、淡路島(海月館)にて盛大に開催されました。
前日夕から降り出した雨は、同窓会総会、そして懇親会へと続く“喜寿の会”を、一層ギュッと
包み込むように、和気あいあいと 時の過ぎるのも忘れて盛り上がるのでした。

 翌日は嘘のように晴れ渡り、福良港から咸臨丸での観潮は、船上での楽しい語らいの渦を、
ひととき 間近に見る渦潮と大鳴門橋のダイナミックな景観に引き込み、写真を撮り合ったり
みんな童心に帰った姿がそこにありました。

 途切れることの無い楽しい語りのバスガイドさんの案内で、鳴門みさき荘では、おいしい昼食と
向かい側の徳島県、広く続く瀬戸内海を一望して、一路NHKドラマ“アサが来た”のラストシーンで
知られる“花さじき”へ・・そして淡路ハイウエーオアシスに立ち寄った後、約4kmの明石海峡大橋を
最後に、幹事の皆さんに感謝しながら、いつまでも消えない余韻を残して、神戸でお別れとなりました。

 昭和33年(1958年)に卒業した、私たち新制高校10期生は、卒業50周年記念同窓会(大阪)開催を
節目に同窓会体制をリニューアルし、その後、古希の会(京都エクシブ)、奈良会合(奈良ホテル)、
東京会合(日航ホテル東京)を経て、今回、一応の区切りとして喜寿の会を淡路島(海月館)の
開催となりました。 わずか3年という短い時ではありましたが青春を共に過ごした仲間の絆は、
今なお 暖かく固く結ばれ、このまま糸が切れてしまわないように、これまでのようなスタイルで
なくても、何がしかのつながりが絶えることのないようにとの強い希望の声が上がっていました。

 改めて、幹事の皆さんのご苦労に感謝しつつ、楽しい想い出のページをいくつかの写真にまとめてみました。

受付風景(海月館ロビーにて)       幹事の皆さん
 


懇親会                  校歌斉唱
 


         中締め(この後2次会へ)
             


咸臨丸にて
 


渦潮(大鳴門橋)             渦潮アップ
 


お昼(鳴門みさき荘)           花さじき(ポピー上中央奥に明石海峡大橋)
 

 

 

 お待たせしました。オートスライドをお楽しみください。(約6分)






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猫をかぶる  (bon)

2016-05-15 | 日々雑感、散策、旅行

         昨日で、熊本地震から1か月が経ちました。しかし、まだ多くの人達が避難状態で、
         過去ではなく現在なのですね。 不自由と不安・・心が痛みます。


 テレビから、“猫をかぶる”・・という言葉が、耳に入りました。久しぶりに聞いた言葉ですが、
そういえばなぜ猫なのか? 気になりましたので、ちょっと寄り道してみました。

 猫をかぶる  デジタル大辞泉には、「本性を隠しておとなしそうに見せること。また、知って
いながら知らないふりをすること。」 とありました。しかし、目的はなぜ“猫”なのか?が
知りたいのですが、今一つ明確な語源については見当たりませんでした。 知恵袋みたいな記事に、
“藁(わら)で編んだ『ねこだ』(筵のこと)を被ることから、知っているのに知らない振りをする
意味で使われる。後に「猫」の字を当てたといわれる。” とありました。また、別のところには、
“うわべは猫のように優しいふりをしているが、実際はそうではない。”・・となると、獅子舞のように、
猫のハリコを被り、本性を隠すというのが、元の意味かもしれません。
猫は、かわいくて優しい、人なつっこい・・そんなところをいっているのでしょう。

 ところで、猫(ネコ)というのを改めて見てみますと、ウイキペディアには「ネコは、狭義には
ネコ目(食肉目)-ネコ科―ネコ属―ヤマネコ種―イエネコ亜種に分類される小型哺乳類である
イエネコ(学名:Felis silvestris catus)の通称である。人間によくなつくため、イヌ(犬)と並ぶ
代表的なペットとして世界中で広く飼われている。」とありました。 
そういえば、ネコ科の大型種には、ライオン、トラ、ヒョウ、ジャガー、チーターなどがいて、
小型種にヤマネコがいる・・そして、ヤマネコは、もはや日本では沖縄県のイリオモテヤマネコが
天然記念物として残っているだけで、殆どはイエネコ・・つまりネコなんですね。

 しかし、もっと見ていきますと、ネコ目には、イヌなども含まれているのですね。

どういうことかといいますと、
 ネコ目(食肉目) の分類は、次のようになっています。

    • ネコ亜目
      • イヌ科 : 13属35種。
      • クマ科 : 6属10種。
      • ネコ科 : 4属37種。
      • ジャコウネコ科 : 17属35種。
      • イタチ科 : 24属55種。
      • レッサーパンダ科 : 1属1種。
      • アライグマ科 : 7属19種。
      • スカンク科 : 3属10種。
      • マングース科 : 17属35種。
      • ハイエナ科 : 4属4種。
    • アシカ亜目
      • アシカ上科
      • アザラシ上科

なるほど、ネコ目というのは、かなり幅が広いのですね。 驚きました。

 

 ペットのネコに戻って、最近言われていることに、ペットの代表であるイヌとネコの飼育推移に
変化が見られ、これまでずっと、イヌ(犬)の方が多く飼われていたのに、ここに来て、ネコがイヌを
上回って来ているというのです。

 アニコム損保会社のページに以下のようなグラフがありました。

 

                 2007年  猫1300  犬1252
                 2008年  猫1374  犬1310  (万頭)
 

 学者などの分析では、最近の生活環境の変化に伴って、狭いところでも清潔で、散歩に連れて行く
必要が無いなどの利便さや飼育コストが平均的にネコの方が低いことなどから、ネコが増えて来ている
といわれています。

 もともと、イヌとネコを比べてみると、「愛玩用家畜(ペット)としては、ネコはイヌより
飼育開始時期は遅いが、これは家畜化の経緯の違いによる。イヌは狩猟採集民の猟犬や番犬として
必要とされ、早くから人の社会に組み込まれた。ネコは、農耕開始に伴う鼠害の対策として登場して
きたのだという。つまり、穀物を鼠から守り駆除する番人として渡来したと考えられる」と
ありました。

 しかし、考えてみれば、イヌもネコも人の生活の中で共に生活し、人になついて、与えられた食料を
美味しそうに食べている動物・・というのも不思議な感じもするのですね。かわいい、癒される・・。
上にあげた図でも、これらのペットの飼育数は次第に増加傾向にあり、一方では、少子化で
15歳未満の子供がいる世帯数が減少傾向にあり、とうとう2003年では、ペット(イヌ+ネコ)数が
上回り、その後拡大傾向にあるというのです。 2008年では、イヌ+ネコは2684万頭に対して、
15歳未満の子供の数は1725万人となっています。

 

 ところで、ネコ(猫)を含む言葉を探してみますと、結構ありました。

猫なで声、猫の額、猫の手も借りたい、猫かわいがり、猫に小判、ねこばば、ネコの首に鈴をつける、
ネコにかつぶし、ネコ眼、ネコ舌、ネコの子一匹いない、猫も杓子も、猫マタギ、猫だまし・・など
まだまだあるでしょうね。 
これに対して、イヌ(犬)を含む言葉を探してみますと、 犬も歩けば棒に当たる、夫婦喧嘩は犬も
食わない、犬死、イヌが西向きゃ尾は東、犬かき、犬釘などあまり多くは無いようです。
 このことからいえば、ネコの方がより人間生活に密着している・・といえるのでしょうか?

 

 明日は、高校同窓会が淡路島で開催されます。行ってきま~す。

 

 

 

 

 

 

 

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夏野菜 ’16  (bon)

2016-05-13 | 日々雑感、散策、旅行

 昨日は、夏のような暑い良いお天気でした。
市民農園の様子を見てきましたので、毎年同じことですが、日記のつもりで記事アップしました。

 目の前にある市民農園の借地区画(15㎡)の今頃の様子です。 蓼科農園畑開きを終えて帰宅翌日
(5/1)に、途中 pookyが懇意にしている練馬の農家から苗を分けてもらい、夏野菜定番の苗
(トマト、キュウリ、ナス)を植え付けました。昨年は、5月25日に当ブログにアップしていますので、
それと比較しますと、わずか10日余りしか違わない(短い)のにその姿は、歴然としています。
この時期、10日というのは、植物にとっては、成長真っ最中ということなのでしょう。

        市民農園全景 (全部で92区画あります。)
          (左下が、私の区画です。)

 

自区画全景(15㎡)            自区画の空撮(実はベランダから・・)
 
手前から、ニンニク、タマネギ、      左から、ナス、キュウリ、トマト、ジャガイモ・・ 

 トマト  植えつけて、10日余りですが、既に脇芽がたくさん出ていました。 苗そのものが
大きかったこともあるでしょうが、少し花が咲いています。脇芽を摘んで2段目の誘引をしました。
トマトの青臭い香りが一面に広がりました。

        トマト(5本)
         
 

キュウリ  例年同じですが、お行儀が悪く、ネットにうまく蔓を巻きつけずにだらりとぶらぶら
させていました。 既に、土際に黄色い花が2つ3つ咲いて、花の元にはキュウリの赤ちゃんが
チョイとくっついているのです。 かわいそうですが、これらは切り取って、根本は、スッキリと
させておこうと思っています。

        キュウリ(5本)
          
 

ナス  マルチなしで植えています。昨年は、病気にかかったらしく、殆ど採れませんでした。
いくつかは実は出来ましたが、小さく、硬くて実用にはなりませんでした。今年はどうか・・
期待しています。 ピーマンは、pookyが苗作りをしてくれていますので、蓼科農園大合宿の帰りに
いただいて植える予定です。

        ナス(左の空地は、ピーマンの指定席)
           


ジャガイモ  桜が開花するころに芽がでるように、3月初め頃に植えました。ホームセンターで
仕入れたメークイン1㎏です。 もう花が咲いています。 大体、ジャガイモは失敗なくいつも
心配なく収穫が出来ていますので、今年も大丈夫でしょう。

       ジャガイモ
          
 

サトイモ  蓼科でもらってきたイモ10個を植え付けています。10日余り過ぎますが、まだ芽が
出てくる気配はありません。やや深めに植えています。

       サトイモ(10個)
          
 

タマネギ、ニンニク  タマネギは、蓼科の苗、我が家でタネを蒔いた苗などを植えていますが、
元気です。6月頃に収穫が出来そうです。赤タマネギ、と普通のタマネギを半々くらい植えています。
ニンニクは、蓼科の玉、と昨年の玉をほぐして芽出しして、定植したものです。 3回ほど、
液肥をやりましたがこちらも元気です。

タマネギとニンニク           赤タマネギのアップ
 


長ネギ  まだ、こんな感じです。鉛筆くらいになるまでしばらくかかりそうです。
3月中旬に種を蒔きました。まぁ、気長に待つとしましょう。

           長ネギ
            

 

 狭いところに、いろいろと植えつけていますと、大きく成長してくると、隣同士が触れ合うような
感じとなり、好ましくはありませんがやむを得ないところです。

 

 

 

 

 

 

 

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出雲大社祭  (bon)

2016-05-11 | 日々雑感、散策、旅行

 昨年の夏(2015.8.22)、伯耆大山登山の折に、出雲大社にもお参りしてきました。
この、14日~16日にかけて、例大祭が行われるのですが、今年は、昨日5月10日に、後述する「遷宮記念祭」が行われるとあり、未確認ながらここに記事アップした次第です。 

 ご祭神は、よく御存じの、大国主大神で、古事記などでは、大国主神が国譲りに応じる条件として
「我が住処を、皇孫の住処の様に太く深い柱で、千木が空高くまで届く立派な宮を造っていただければ、
そこに隠れておりましょう」と述べ、これに従って出雲の“多芸志(たぎし)の浜”に「天之御舎
(あめのみあらか)」を造ったとされています。

         出雲大社本殿
           (出雲大社公式HPより)
 

 出雲大社は古くから、福の神、平和の神、縁結びの神、農耕の神、医薬の神として崇められて
いますが、一般によく知られている“縁結びの神”というのは、どう言うところから言い伝えられて
いるのでしょうか? あまり明確な理由は見当たりませんでしたが、一説に、大国主神は、
多くの姫たちと結婚したからいつしかそう呼ばれるようになったとか・・。

 祭礼は、5月14日~16日に大祭礼が行われますが、今年は、約60年に一度の大規模な社殿の
修造が行われる「平成の大遷宮」の事業(2008.4~2016.3)が3月に完了したことから、平成25年
5月10日に「本殿遷座祭」を斎行して、大国主大神が麗しく蘇った御本殿に還ったことを記念し、
今年5月10日には、遷宮記念祭が行われるというのです。そして、当日、遷宮記念祭祭典後、
特別に八足門(やつあしもん)内から本殿を巡拝する「おにわふみ」を行う(雨天中止)とあります。

          八足門
           (出雲大社公式HPより)


前回、本殿が公開されたのは、1949年だといいますから、67年ぶりということになります。
誰でも参加できるようですが、服装は正装とあり、襟付・袖付シャツ、長ズボン、膝丈スカート、
靴(運動靴可)はOKで、 Tシャツ、トレーナー、ジーンズ、ジャージ、カーゴパンツ、短パン、
短いスカート、スパッツ、レギンス、トレンカ、作業着、サンダル、ミュール、ハイヒール、
素足など軽装はNGとされています。
本殿は、延享元年(1744年)に造営された、国宝指定の荘厳で大規模な木造建築なのだそうです。

 おにわふみ・・は行われたのでしょうか? もし、中止だとしたら、次回は60~70年後でないと
中には入ることが出来ないのですね。

         昨年訪れました。
             

 

 

 

 

 

 

 

 

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レモンなど  (bon)

2016-05-09 | 花鳥風月

 5月も連休が終わると急に夏のように気温が上がり、少し動くと汗ばむほどになってきました。 
今年は、いつもより強い風が吹き荒れて、草花たちは、休む暇もなく揺れています。
 そんな中、べランダでは、甘い良い香りが立ち込めています。
レモンとみかん、少し前にはフジ(カピタン)のオンパレードでしたから・・。レモン、
みかんは、
今が花盛りで柑橘類が好きなアゲハ蝶が寄ってきています。

 この時期(5月上旬)のベランダから、いくつかピックアップしてみます。

 

 レモン  頒布会で、届けられたものでかれこれ13年が経ちます。毎年少しのレモン(実)を
味わわせていただいていますが、やはり春の花の香りがいいように思っています。この時期の様子を
写真にパチリトしました。  こんなにたくさんの花をつけて、結実するのは5~6個ですから、
大変効率の悪い花ですね。 うまく栽培すれば、もっとアップするのかも知れませんが・・。

咲き過ぎ?みたいな感じです。       アップしました
  

 

        昨年収穫したグリーンレモンです。(2015.10.20)
             

 

 

 みかん  こちらも頒布会で来たモノなので、レモンとほぼ同じ時期ですね。種類は温州ミカン
なんです。 やはり、まあまあの大きさのが、5~6個収穫できて、甘みがあってそれなりのモノが
出来ます。もっとたくさんできるにはどうすればよいか? 8号鉢程度では望むべくもありません。
やはり地植えに勝るものは無いでしょう。

            甘い香りの競演
                     

 

 バラ  これは成り物ではありませんが、ありきたりの名前もないバラです。通販で小さい苗木を
買ったのがもう10年も前ですから、こちらもよほど我慢強い性質だと推測しています。何しろ30㎝
くらいの鉢に植えられて、10年も経ちながらまだ、花を咲かせています。それも四季咲きですから
年に何度か楽しませてくれています。

こちらを向いて              もう一つ
  

 

 ジュウニノマキ  2年前に園芸友の会の講師先生からみんなにいただいたもので、当時のブログにも
アップしていました。“十二の巻”(2014.10.1)  その時、ネット調べをしていましたら、
このジュウニノマキに花が咲くとあり、ブログにも紹介していました。
 ところが、あれから2年も経たないのに、いただいた我が家のそれにも花が咲きました。ほぼ、
1か月前あたりから、細長い軸がニュ~っと伸びて、その先に何やら蕾のような物がついていたのですが、
ここにきて、その先の蕾状のものがさらに伸びて、いくつかの花になっているのです。
 どう見てもきれいとは言えませんが、珍しくもあり可憐な感じがしています。

        ジュウニノマキ5月
             

花アップ                 さらに花アップ
  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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赤十字  (bon)

2016-05-07 | 日々雑感、散策、旅行

 昔、子供の頃に嫌な思い出があります。  小学校の頃だったと思いますが、家の近く、大阪の
上町筋の 上本町1丁目から馬場町(現、法円坂)あたりに、日赤病院と大阪国立病院が上町筋を隔てて
向い合せにあって、それが大火事となったことがありました。 日赤だったか、国立病院だったか
忘れてしまいましたが、夜の火事でそれは大変だったようです。

  赤十字は、みんなよく知るところですが、明日、5月8日は“世界赤十字デー”なのだそうです。
良く知っている割には、その成り立ちなどは忘れてしまっていますので、改めて、その沿革などを
調べてみました。 ウイキペディアや日本赤十字社HPなどに詳しく出ていました。

 スイス人実業家にアンリ・デュナンという人がいました。 彼は、1859年にイタリア統一戦争の
激戦地 ソルフェリーノにおいて4万人に上る死傷者の悲惨な有様を目撃したのでした。 デュナンは、
すぐに村人と協力して、戦場に倒れていた負傷者を教会に収容するなど懸命の救護に当たりました。
デュナンの心の中では「傷ついた兵士は、もはや兵士ではない、人間である。人間同士として
その尊い命は救わなければならない」との信念が生まれ、ジュネーブに戻ったデュナンは、1862年に
『ソルフェリーノの思い出』を執筆出版しました。この本がきっかけで、アンリ・デュナンの訴えは
ヨーロッパ各地に反響を呼び、1864年にはジュネーブ条約が調印されて、国際赤十字組織が誕生
しましたとありました。 1864年といえば、幕末、京都三条木屋町の旅館「池田屋」での新撰組による
長州など尊王攘夷派の殺傷事件がありました。日本は、明治維新に向けて、大きく展開している頃でした。


 アンリ・デュナンは、赤十字創設者として、ノーベル平和賞の第1回受賞者となり、その後、
1948年第20回赤十字社連盟理事会で、彼の功績をたたえ、彼の誕生日である 5月8日を“世界赤十字デー
(World Red Cross Day)”と定められたのです。

 赤十字のマークは、文字通り、白地に赤の十字ですが、これは、赤十字の創設者アンリ・デュナンの
祖国であるスイスに敬意を表して スイス国旗の配色を逆にしたものが基になっているといいます。  
この、赤十字マークは、戦争や紛争などで傷ついた人びとと、その人たちを救護する軍の衛生部隊や
赤十字の救護員・施設等を保護するためのマークで、
 紛争地域等で「赤十字マーク」を掲げている
病院や救護員などには、絶対に攻撃を加えてはならないと国際法や国内法で厳格に定められている
のです。 つまり、赤十字マークは、いざという時にわれわれ国民一人ひとりを守るマークだと
いうことです。 なので、一般の病院や、薬局などに赤十字マークを付けることは法律で禁じられて
います。 そして、このマークは大きさとか、位置だとかの規定は全くないといいます。
いざというときに、このマークを記すためで、いちいち既定などは制定しないのだそうです。

 現在、190の国と地域に広がる活動は、「人の命を尊重し、苦しみの中にいる者は、敵味方の区別なく
救う」ことを目的として、赤十字社・赤新月社のネットワークを生かして組織作られているのです。
ここで、赤新月というのは、イスラム圏で、十字がキリスト教のイメージのためこれを避けて新月
(細い三日月)としているのです。

       赤十字       赤新月       赤水晶(新しく制定された)


           (いずれも赤十字HPより)


 赤十字基本7原則というのがあるそうです。基本の原則は、“人道”で、その他の6つは、
この人道の原則を実現するために必要となるもので、すなわち、 人道、公平、中立、独立、奉仕、
単一、世界性の7つを定めています。

 一方、日本赤十字社は、1877年(明治10年)に設立された博愛社がその前身となっています。
その後、1886年(明治19年)に日本政府がジュネーブ条約に加入したことに伴って、翌1887年に
名称を日本赤十字社と改称したとあります。

           日本赤十字社章
              (日本赤十字社HPより)

 1877年2月に発生した西南戦争では、明治政府軍と薩摩軍の激しい戦闘が繰り広げられ、両軍ともに
多数の死傷者を出しましたが、この悲惨な状況に対し 佐野、大給(元老院議官)の二人は救護団体
による戦争、紛争時の傷病兵の救護の必要性を痛感し、ヨーロッパにある赤十字と同様の救護団体
「博愛社」の創設を政府に提案しましたが、混乱期にあったため却下されました。しかし、同年5月、
熊本の司令部に直接願い出、征討総督である有栖川宮熾仁親王によって、博愛社の活動が英断された
とありました。

       赤十字国際委員会ジュネーヴ
               (赤十字HPより)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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端午の節句  (bon)

2016-05-05 | 日々雑感、散策、旅行

                          昨日の嵐に打って変わって、今日は穏やかなお天気となりました。
         金融界は嵐のまゝ連休に入っていますが、明け直後はどのように? 

 

 5月5日に関する記事は、このブログ内で、「5月5日」(2013.5.5)、「午(ご)にまつわるお話」
(2013.5.6)の2つにアップされていますので、内容が重複しない範囲で記述してみました。
なので、端午の節句の謂れや習慣などについては割愛しました。

        菖蒲とヨモギ
         (ネット画像より)

 

 端午のとは、“始め、はし”などの意から、年の最初の“午”の日となります。
十二支のは何月に相当するかについては、二十四節気などとも関連し、次のように定められています。

すなわち、

    ・冬至を含む月を 子月 新月(朔)を一日とする  11月
    ・大寒を含む月を 丑月     〃        12月
    ・雨水を含む月を 寅月     〃         1月
      ・・・
    ・夏至を含む月を 午月     〃         5月
           ・・・

となっています。

 したがって、その年の最初の“午”は、5月ということなんですね。 しかし、以上の説明での“月”は、
旧暦ですので、本来は新暦で言えば、夏至を含む月は6月になってしまいますが、午(ご)は5に通じる
ところから新暦でも5月としているのですね。
 そして、節句には、五節句があり、月と日が重なる奇数月(新暦で)をいい、

     1月7日  人日(じんじつ)  七草粥を食してお祝いをした

     3月3日  上巳(じょうし)  桃の節句

     5月5日  端午(たんご)   菖蒲の節句

     7月7日  七夕(たなばた)  七夕まつり

     9月9日  重陽(ちょうよう) 菊の節句

5月5日を端午の節句というのです。 

 最近では、都市部では“こいのぼり”を殆ど見かけることは無くなりました。ビルやマンションでは、
ベランダからこいのぼりを突き出すのは危険とかで、ままならないようです。郊外あたりの戸建ての
広いお家や農家の庭に見られることはありますね。また、川の上を渡すようにたくさんの鯉のぼりを
泳がせている姿などが人を呼んでいます。
 テレビでは、東京タワー広場に333匹のこいのぼりを泳がせている映像が出ていました。東京タワーの
高さ333mに因んでいるのだとか・・。

      東京タワーの鯉のぼり
         (公式HPより) 

 

 

 

 

 

 

 

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鴨川をどり  (bon)

2016-05-03 | 日々雑感、散策、旅行

                   今年も早いもので、もう5月の連休も後半に入りました。あいにく、西日本
                   から発達した低気圧が北上し、列島は軒並み風雨もようが予報されています。
                        そういえば、街なかではめっきり “こいのぼり” を見かけなくなりました。

 

 鴨川をどり公式サイトには、「京の五花街の一つ、先斗町歌舞会が行う春のをどり「鴨川をどり」は、
1872年(明治5年)に創演されました。 明治の一時期や第二次世界大戦で中断された時期もあり
ましたが、戦後すぐに再開され、現在に至ります。1951年から1998年までは、春・秋と年二回の
公演が行われ、その公演回数は 178回(※2015年現在)を数え、京の五花街のなかでも最多公演回数を
誇ります。春のみの年一回に戻った現在も、華やかな芸舞妓たちによる舞踊劇(第一部)、純舞踊
(第二部)の二部構成で観客の目を楽しませています。」とあります。

         鴨川をどり
          (鴨川をどり公式サイトより)

 

 明治5年といえば、都が東京に移ってしまった 京都を盛り上げるため、日本初の博覧会
「第1回京都博覧会」を企画し、その余興として実施された「都をどり」と共に、1か月遅れて
「鴨川をどり」が、5月1日から24日にかけて 先斗町歌舞練場で上演されたのでした。
(都をどりは、祇園甲部歌舞練場で行われています。)
 ちなみに、各をどりの主催は、鴨川をどりは、先斗町歌舞会で、都をどりは、祇園甲部歌舞会と
ありました。

 昭和初期の鴨川をどりには 洋楽が使用され、中には少女レビューも上演され、ジャン・コクトー、
チャップリンをはじめ海外の著名人らを魅了したと伝えられています。

 お茶席は、鴨川をどりでも開催されていて、会期中、会場四階にお茶席が設けられて、開演前に、
芸妓さんのお点前を楽しめるようになっています。菓子皿はそのままおみやげとしてお持ち帰りできる
ようです。

        芸妓さんお点前のお茶席
          (鴨川をどり公式サイトより)


 鴨川をどりの茶席も、立礼式によって行われますが、当時、裏千家玄々齎宗匠が外国人客の接待の
お茶のために考案された点前作法で「椅子点」と呼ばれています。現今諸流で行われている椅子点前の
規範となっているといいます。

 今年も春の京都の風物詩として楽しまれていることでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

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蓼科農園畑開き’16  (bon)

2016-05-01 | 蓼科浪漫倶楽部 畑

                  ゴールデンウイーク真っただ中の今日は、穏やかな暖かい暑い
                               くらいの良いお天気で、各地の行楽地は賑わっていることでしょう。
                               今年は、2日間お休みを取るとナント、10連休になるのですね。

 

 畑開き'16は、4月27~30日の連休直前にありました。
畑開きとしては、初めての多人数 8名が勢ぞろいして、まだ、少し雪が残る八ヶ岳に守られながら、
2016年の蓼科農園をスイッチ・オンさせたのでした。

         まだ雪の残る 八ヶ岳の勇姿
           


 整地された広い畑を、畝建てし、施肥、マルチ掛けの後、ジャガイモ 7畝、サトイモ 4畝の
植え付けをしました。 また、冬越しのタマネギ、ニンニク、イチゴなどは、もうすでに勢いづいた
雑草を取り除き 追肥をしました。タマネギなどと一緒にマルチの穴から伸びた雑草は、タマネギを
抑えながら、注意深く雑草を引き抜くために大勢で取りかかっても、結構時間がかかりました。

ジャガイモの植え付け           除草と追肥
  


         お茶タイム
           

 

 K邸のこの時期、サクラ、コブシの紅白色に囲まれて 美しく彩られていました。庭には、スイセンの
黄色が今を盛りと賑わい、ニホンサクラソウの一群は今、ピンクの花をつけ始めていました。

さくら、こぶしに囲まれて         庭のスイセンは今見頃・・
  


 2日目の夕食・団欒は 野菜ふんだんの焼肉、それに特製“さば寿司”さらに珍味などと、種々の
アルコールの入った面々の楽しい会話に いつにもまして盛り上がりました。 昨年の収穫祭から、
わずか約半年後の再会だというのに、もう懐かしい気分が満ち満ちているのでした。

楽しい夕食               ヘルシー朝食       
   
 

 2日目は、生憎雨模様の予報でしたが、朝から予報通りのお天気となり、作業は、十分に進みません
でしたが、それでも、初日、3日目の頑張りで、予定した作業はすべて完了し、見違えるような、
生き生きと命が吹きこまれた“蓼科農園”が無事仕上がりました。

2016農園更地(手前は、冬越しのタマネギなど)  命を吹き込まれた蓼科農園(完成)
  


 フカフカの土に、小雨が混じり 長靴で歩くのも一苦労しながら、イモ類だけでも、400個以上を
植え付け、さらに、畝間に“防草シート”まで敷きつめ、久し振りの疲れを感じましたが、
無事完了できたことに、全員快い達成感、満足感を覚え、癒されるのでした。

         頑張りました・・
            


 いよいよ、今年も始まりました~。


お楽しみ、オートスライドをど~ぞ。(5分19秒)

  




 

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