蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

天才ピアニスト 牛田智大      (mak)

2013-08-30 | 日々雑感、散策、旅行

今朝のNHKテレビに出演していた天才ピアニスト牛田智大氏の演奏に大感動を受け、早速Youtubeから転載しました。このピアニストのことは既に皆さんよく御存じかもしれませんが、
取りあえずお聞きさい。




牛田智大氏は1999年生まれの13歳、3歳から本格的にピアノを引き始め、2008年から5年連続でショパン国際ピアノコンクールin Asiaで連続優勝、昨年3月にデビュウアルバムを発表、秋には 新国立美術館で開催された「リヒテンシュタイン展」のテーマ曲を担当、既に全国各地でリサイタルで飛び回っている。
 

新聞は日本経済新聞、愛読書は小説家重松清、将来はこれからの若い世代の人に音楽を楽しんでもらうために音楽分野の事業(学校など)を展開したいと。

今朝のNHKのインタビュでの受け答えも、はきはきと簡潔にこたえており。インタビュウしている司会者をおたおたさせ呆気にとらわせていた。

このピアニストはまだ13歳の少年です。まさに天才。


 






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学力テスト   (bon)

2013-08-29 | 日々雑感、散策、旅行

 4月頃に実施された、小6・中3全員を対象にした学力テストの結果が発表された。
実施対象が全員となって県別などの具体的な学力(テスト結果)や平均点からの差分など
具体的な(対策につながる)値として参考とすることが出来る。
民主党政権では、コスト削減などとの名目から約3割の抽出方式のテストとしていたそうで、
これだと全体の傾向を(評論的に)把握するにはいいが、その結果からどのように対策をとって行くか
などのアクションが採れないのではないか。
 こんなことも知らなかったのですが、あの政権の考えていることのベースはいったいどこにあったのか
といいたいところです。

 まぁ、そんなことはちょっと横に置いておいて、
学力テストの結果をしばらく見ていて、野次馬根性から自治体別(都道府県別)数値から、その差が
明らかなのはなんなのか?
疑問と興味が湧いてきました。  

 都道府県別の結果は、表の通りです。
問題は、Aは基礎的な知識、Bは現実的な応用力を評価する2種で、それぞれ小学6年生と中学3年生、
約3万校、219万万人のテスト結果です。

 表から、秋田県が小・中ともダントツに優れていることが分かります。
そして、福井県、石川県、青森県などが続いている。最下位の沖縄県は、全国平均との差が以前より
少なくなったと論評されていて、全体的に底上げ(改善)されてきた・・との見方である。

 それにしても、8科目とも、平均よりすべて下回っているのは、やはり何とかしなくてはならないのだと思います。
沖縄県だけではなく、大阪府、長崎県、和歌山県、三重県なども全科目平均以下である。
平均以下を見ると、小学6年では、愛知、滋賀、岡山、島根、群馬、山梨、宮城、栃木、静岡、北海道などがあり、
中学3年では、福岡、佐賀、鹿児島、高知、大分、北海道などがある。 
日本列島に色付けして行けば、どうも西日本が相対的に平均を下回っている、つまり東日本、
とくに北日本が全体的に優秀?であるような感じがしてきました。
数学的な根拠に基づいている訳ではなく、“感じ”に過ぎませんが、皆さんはどのように感じられますか? 
また、この結果だけから、自治体別の成績を評価するというのも、チト軽々かもしれませんが、しかし、平均を下回っている自治体は、何とかするべきではないでしょうか。

 しかし、わが出身の大阪府はなんと不甲斐ないレベルなのかとあきれてしまいました。
いまさら、橋下云々でもないでしょうが、何とか対策を取ってほしいものと思いました。

   表 各都道府県別公立校の平均正答率(%)  

     
     
     
                         (国立教育政策研究所データより転写。 色彩しました。) 

 

     

 

 

   

 

 

 

 

 

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タンゴの女王   (bon)

2013-08-28 | 日々雑感、散策、旅行

 今朝の新聞に、“タンゴの女王、藤沢嵐子死亡”の記事がありました。
8月22日に老衰で亡くなられたと書かれていました。

 私としては、失礼ながら・・ えっ、最近亡くなられたの? 
私が若い時に、活躍されていてよく彼女の歌を聞いていましたが、そのうちトンと歌は勿論、
噂さえも聞いたことがなかったので、もうとっくにこの世にはおられないのだとばかり思っていました。

 聞けば、1925年生まれの88歳とありますから、年配ではありますが、
私の中ではもっとお年を召している・・そんな感じでしたから、この記事は何となくスッと来ませんでした。

 早川真平率いるタンゴバンド “オルケスタティピカ東京” の専属歌手として絶頂の“女王”であり、
本場アルゼンチンでも絶賛を浴びたとか・・。

 1991年に引退とあり、新潟に住まいを移し、ひっそりと暮らしていたそうで世の中には出てこなかったのですね。

 


  代表的な曲を3曲アップしておきました。

  

 

  

 

  

 

 

 

 

 

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シェールガス革命     (mak)

2013-08-28 | 経済 政治 談義

 

 シェールガスという言葉を目にしたのは2年ほど前になるかもしれないが、このところ新聞、テレビ、ネットで賑わっている。しかしその内容は断片的であるため、その全貌と重要性を掴むことが難しい。
 「シェールガス革命」(泉谷渉)と「アメリカの世界戦略に乗って、日本経済は大復活する」(中原圭介)の2冊の本を読んだが、
シェールガスは、世界の経済ばかりか、政治、社会構造を激変させるぐらいのインパクトをもつ「21世紀の産業革命」と言っても過言でない大事件であることを分かりやすく理解することが出来た。

これら2冊の本の要諦にネットで調べたデーターを交え、その重要性と全貌を順次解き明かしていきたい。

 

先ず、 シェールガスとは、
地下2000~3000メートルの固ーロッパやアジアほか世界中に埋蔵されている、天然ガスの一種。

 シェールガスの埋蔵量は既存の天然ガスと合わせて、アメリカだけで150年分、中国とロシアを除いた世界で400年分(中国ロシアの推測埋蔵量を含めた世界の埋蔵量は700年分)もある。石油は20~30年、石炭は100年以下で枯渇する状況にあり、懸念されていた世界のエネルギーの枯渇問題は完全に回避されたわけである。

 コスト(キロワット時当たり)も石炭6円、石油10円、水力13円、風力20円、太陽光25~30円と比べて、シェールガスはたったの6円と石炭並にやすい(ただし、石炭はCO2を大量に排出することを考えると安くても問題あり。) 

  CO2排出量についても、石炭より40%、石油より10~15%減で絶対優位に立つ。
シェールガスは、その一種である天然ガスの多くは、メタン、エタン、プロパン、飽和炭化水素を主成分とし、ベンゼンは含んでいない。主成分のメタン(CH4)で、水素にいちばん近く、燃やしても水素と水になるだけである。石油はCを多く含む炭化水素CHが主成分で、燃やすと炭酸ガスを多量に発生し、地球温暖化を招くことになる。従い天然ガスの一種であるシェールガスは地球上に存在する可燃性ガスの中で最もクリーンなガスと言える。  

以上の通り、在来のエネルギー資源が抱えている問題(エネルギー枯渇、コスト、CO2問題、危険な原発)の大半を解決してしまうエネルギー革命と言えるのである。

 在来型の天然ガスは世界中に存在しているが、地層から浅いところに存する油田、ガス田、炭田から掘るだけで自然と噴出するので、開発が進みとりすぎてしまい、世界から消えつつあります。
 非在来型のシェールガスが世界に潤沢に存在することは昔からわかっていたが、2000メートル~3000メートルの深いところにあり、採掘が容易でなく経済性が合わないことが難点とされていた。
 その商業化を無名の小規模のベンチャ石油企業(Mithcel Energy)が、アメリカエネルギー省の資金援助を受けて、30年以上の歳月を掛けて執拗懸命に開発した結果、2005年に実業化に成功した(Fracturing 垂直水平掘削破砕法の開発に成功)。 採掘可能なシェールガスの量は、在来型の天然ガスの20倍もあると見られている。
 

 大手のエクソンモービルなどが見向きもしないベンチャー技術を探求しようとする一介の小規模企業を、政府ともども、同社を支援する投資家も投資をし続け、シェールガス革命を実現させたことに、アメリカの懐の深さと活力を感ぜざるちそうを得ない。日本が学ばなくてはならないのはこうした取り組みである。
 
 アメリカではシェールガスの本格生産が始ま未だ10年もたっていませんが、ここ数年で急増し、現在では天然ガスの3割近くまで占めるに至っております。そのため天然ガスの価格は急落しており、2008年には 100万BTU(英国熱量単位)あたり12.5ドルを超えていた価格は、2012年には2ドルを割り込む価格まで下がるほどです。このようなシェールガスの価格破壊力が「革命」といわれる所以です。

シェールガス井戸が一万本も掘られ過剰供給で経営破綻:
 石油、ガスの製造の上場企業 CMX Resouces Incが4月に、天然ガスの価格が暴落した煽りで、経営破綻し、会社更生法(Chapter11)をオクラホマ州に申請したと、報じられた。http://yhoo.it/14BBtEX日本では、副H島原発事故後に長期契約した高値で輸入した天然ガスで、電力会社が値上げ申請しているというのに、米国ではシェールガスやシェールオイルを掘りすぎて、会社が倒産するほどに有り余っている。
  アメリカ政府エネルギー省も、価格維持のために天然ガスの輸出認可を広げて行くことを」決定したので、徐々に世界のエネルギー市場価格が下がっていくことが期待されている。、
 

                          

 グリーニューディール政策を声高に叫び、再生可能エネルギーの開発を奨励していたオバマがだんまりを決め込んでしまったのは・・・・・・。いつも難しい顔をしているプーチンが安倍首相にニコリと笑い「北方領土問題も何とかなるかもよ」言い出す始末。もちろんシェールガスが市場に出回って来ており、ロシアの天然ガスも売れなくなる事を心配して、「日本に天然ガスを買ってもらいたいと」思惑があることありあり・・・・・習近平がオバマにシェールガスの採掘法を教えてほしいと、腰を低め....。
我らの安倍さんもオバマにシェールガスを売ってほしいと懇願、オバマも「日本にシェールガスをバンバン出してもいいよ。TPP参加も大歓迎と笑いかける」・・・・・まさに世界の政治の世界に激震が走っているのです。 

シェールガス採掘に立ちはだかる中国の課題:
アメリカの1.5倍もの埋蔵量が眠っている中国であるが、中国内陸部の砂漠に近い大乾燥地帯にあるため、水源がないため、採取に大量の水が必要であるため、シェールガスの採掘は難しい。また、内陸部の農村部であるために、人材不足、採掘に欠かせない機材、部品の手当がしにくい、さらにロジスティック、技術的にもインフラがなく、当面、中国は豊富な埋蔵を生かし切れないであろう。

 アメリカの製造業が安いエネルギーを国内に手にし、労働者の賃金の低下で米国内での製造業が競争力を付け、国内回帰が進んでおり、中国からの輸入を減らすことになり、輸出と海外からの投資で成り立っていた中国経済は悪化の一途を辿っていくことになるであろう。現に中国の2013年第一四半期のGDP7.5%は前年四半期より鈍化している。

ロシアに揺さぶりをかけるウクライナやポーランド:
ヨーロッパにもシェールガスブームが到来しているが、ウクライナ政府はロイヤル・ダッチ・シェルと合意し、国内の大型シェールガス田開発をシェルに任せることを決定した。投資額は9000億円。 


下記グラフは2005年から2012年の天然ガスの生産と市場相場の推移

 シェールガスの採掘、回収に使われている同じ技術を用いて、シェールオイルの生産も急増しています。世界最大のエネルギー消費国で、今まで国産の石油、ガスがあるものの輸入に頼らざるを得なかったのが、自国生産のシェールガス、オイルが増え、国際エネルギー機関によれば、2015年までに天然ガスでロシアを抜き、2017年には原油でサウジを抜いて、両方の資源の世界最大の生産国となる見通しです。

 今まで、原油、ガスを輸入していたアメリカが輸出国に転ずれば、貿易赤字が縮小し、経常収支が好転し、その結果ドルが強くなり、円安になっていく、もうすでにその兆候が出ている様相を呈しています。日本では、福島原発事故以降原発停止に伴い、天然ガスの輸入の急増で2011年に31年ぶりに貿易赤字を計上し赤字が拡大しつつあり、経常収支も赤字に転落する寸前にあります。その結果ドルが強くなり、円安になっていく、もうすでにその兆候が出ている様相を呈しています。安倍首相が日米首脳会談でオバマ大統領にシェールガスを売ってもらいたいと懇願し、その代償としてオバマからのTPPへの参加のお誘いもすんなり受け、その後のTP0交渉で譲歩してでもシェールガスの輸入に道筋を立てねばならない状況にあることは、新聞に報道されている通りです。(参考資料 シェールガスの輸入にに伴う問題点 http://nkbp.jp/12x0q34 )

アメリカの製造業の復活: 
シェールガスはエネルギーとしての安いだけがメリットだけでなく、メタンもエタンもプロパンも取り出せるし、エチレンも作ることができる。プラスチック、自動車材料、繊維、電子材料の素材の原料になるわけであり、石油由来に対し20分の一から30分の一のコストで作れてしまう。
石油からつくられる化学品をシェールガスを使った生産方式に切り替える動きが広がっております。石油化学大手のダウケミカルは石油ではなくシェールガスを原料としたエチレン工場に建設する大型投資3000億円を決定しました。(参考: http://bit.ly/19Ho7I4) これは石油化学工業がガス化学工業への産業転換を示唆しております。
 エネルギーや化学、鉄鋼などアメリカ国内の投資額はすでに870億ドルを突破しております。カリフォルニア、テキサスなどの地域で、発電所、精製施設、パイプライン、地下貯蔵施設の建設に今後5年間で2260億ドルの設備投資が予定されている。
 鉄鋼分野でも、アメリカ鉄鋼大手ののニューコアがルイジアナで、7億500ドルを投じて製鉄所を、世界最大手の身たるスティールの米国部門もシェールガス活用の設備を検討中である。自動車用鋼板の技術で神戸製鋼と提携しているUSスティールも シェールガスを使って純度の高い直接還元鉄を製造する投資をする。死んだと思っていたオールドエコノミーまでも蘇る勢いには驚きである。
景気の話はまだまだ続く。
あのフォードがミシガン州でガスプラグインハイブリット車の大型投資をすると。その後近い将来大型の新工場をデトロイトに、GMやクライスラーもデトロイトhttp://bit.ly/14wVP2fへの復帰を考えていると、死の町と化したデトロイトが、安く、クリーンなガスの出現で生き返るのである。

割安なシェールガスの普及は、ガス火力発電所の建設ラッシュのほかに、パイプラインの敷設や貯蔵施設の建設など、ガス社会へ対応すべくインフラ整備が急ピッチで進んでいるのです。このように、シェールガスの普及で製品の製造コストが下がり、アメリカの製造業の競争力が付きつつあるのです.実はこのことで、アメリカの基幹産業が復活し、アメリカはブッチギリの最強国に復帰することは間違いない。
 
リーマンショックから5年、アメリカは中国から製造業を取り戻し、再び「世界の工場」として復活する。ー中原圭介の意見
 上述した安いエネルギーを手にした米国では、シェールガス革命が騒がれる前から、製造業の国内回帰が始まっていると中原氏は自らの著作本で述べております。
金融危機を受けて、経営に行き詰った自動車大手3社は大幅な賃金下げに踏み切り、例えばジェネラルモーターズは、労働者の福利厚生を含めた賃金を自給80ドルから2009年からの新規雇用労働者を19ドルまで下げ、黒字転換に成功したのです。こうした賃下げは全産業に波及していき、GEは中国の家電工場をケンタッキーに移し、新雇用労働者の時給は13ドルと引き下げました。このように金融危機後アメリカの製造業は国内復帰を進めているのです。一方、圧倒的安い賃金で「世界の工場」となって発展してきた中国においては、賃上げのストライキが拡散し、大幅な賃上げをせざるをえない状況にあり、中国からアメリカに工場を移転する企業が増えているのです。

 シェールガスに伴うエネルギーコストの低下、と賃金コストの低下が相まって、国際競争力をつけようと、アメリカ国内への復帰が進んでおりますが、アメリカの製造の国内復帰だけでなく、欧州や日本の企業さらには台湾、メキシコ、ブラジルなどのまでも、安価なシェールガスに吸い込まれるようにアメリカでの工場建設を決定しているのです。英蘭ロイヤルダッチシェル、旭化成、クラレ、台湾プラスチック、ブラジルのジーンズデニム大手のサンタナ・テキスタイル、南アフリカのエネルギー大手サソールナなどまさに工場建設ラッシュが起こっているのが現実なのです。
 こうした設備投資が増え続け、雇用環境が改善され、経済が悪いとされていた米国が急速に復活しようとしていると、中原圭介氏が述べております。このようなシェールガス革命の現実を
大手メディア報道では知る術もないでしょう。

世界はデフレへ:中原氏の意見
 エネルギーコストの低下により、電力が安くなり、化学品の素材の製造コストが下がり、アメリカの製造業が生産する製品価格が下落し、安い製品がアメリカから世界にあふれ世界中にデフレ圧力が広がっていきます。
 デフレが常態化すれば、安い賃金でも国民は豊になれるし、企業は競争力を高めることができ、通貨安と同じ効果を発揮することが可能となります。国内外から設備投資を呼び込み、アメリカ人の雇用を生み出し、オバマ政権以降の政権は、ドル高が進んでも、寛容な態度で、デフレ礼賛するようになり、まさに、アメリカの復活はデフレとともにやってくると言えるのです。中原氏の意見によると、アメリカ経済の復活とは、物価変動の影響を除いた実質GDPが飛躍的に上昇する中で、国民の生活が豊かになるという本当の意味での復活のことを指していると。もっと言えば、物価変動が影響する名目GDPなどは、いくら下がっても構わないのです。


 世界経済の歴史を遡れば、インフレになるのは戦争か財政難といった一時的な現象であり、18世紀後半から19世紀後半にかけてのイギリスの産業革命の隆盛期や、19世紀後半の大デフレ期(グレイトデフレっション)においては、技術革新の飛躍的な進展が世界的なデフレをもたらしました。しかしながら。これらの時代に平均寿命が大きく伸びるなど、人々の生活は極めて豊かになりました。アメリカのシェールガス革命が産業構造そのものを変える「第2次産業革命」であることを考えると、歴史に照らし、デフレになっていくことが避けられないでしょう。

アメリカの世界戦略を理解すること:
 アメリカは数年のうちに世界最大のエネルギー資源大国となる状況下、中東産油国への依存が低くなるわけで、中東地域を守る理由がなくなってしまいます。アメリカ自身が世界で最も成長が見込まれるアジア地域への経済的関与を強めたいと考え、その地域での中国の軍事的経済的台頭を警戒するために、安全保障の軸足をアジア・太平洋地域に移す世界戦略に着手し始めております。
 このアメリカの戦略を達成させるには、信頼に足る長年の同盟国であり、世界3位の経済規模と技術力をもつ日本とタッグを組むことが望ましいとの、深淵な構想があると考えるのが自然でしょう。それを裏付けるように、尖閣問題で中国が攻撃すれば、安保条約に基づき、日本を守ると明確に中国に伝えております。また、日本にTPP参加するように促し、先ごろ経済的同盟国である日本へのシェールオイルの輸出を認可しました。 アメリカの政治は日本が考えている以上に、「日本もアメリカと同じように、中東への依存を低下させなければならない。そのためにアメリカと日本はエネルギー安全保障で強く結びつかなければならない」と世界の
大局を見ながら判断しているのです。(あくまで中原圭介氏の主観であると思いますが、見事な先見であると感心した次第、大いに参考に術すべきでしょう)

日本の技術力が頼りにされる:
 日本のシェールガス埋蔵量は微々たるものである。だがシェールガス革命を後押しする技術を持っている点で、アメリカから頼りにされる技術排出国であります。シェールガスを掘り出してから基地にため、液化した後に専用タンカーで輸送するという一連のプロセスに必要な、素材、プラント、線あp九、汚染処理システムに至るまで、日本の技術が縦横無尽に活用されている、日本の技術がなくてはシェールガスの実用化はままならないといえるのです。

 とりわけ、日本の素材企業群が大きな役割を果たしております。
住友ベークライトフェノール樹脂はシェールガスを採掘する場面で、砂をこの樹脂でコーティングすると地熱で固まり、隙間からガスが流れ出る道を作ることが出来ます。採掘には必須の素材です。アメリカのオハイオ州に追加投資をして、増産することを決定しました。
クレハはシェールガスの掘削に必要な樹脂・ポリグリコール酸の量産化を世界で初めて成し遂げました。
新日鉄住金・和歌山 鋼管パイプは、2000-3000メートルにパイプを入れて明日を地表に上げていく掘削にはなくてはならない必須、その地圧に耐えれるシームレスのパイプを作ることができるのは、世界でただ一社。 アメリカではまるでゴールドラッシュさながらのシェールガスのラッシュが続いており、シームレス鋼管は年間600万トンの特需に沸いている。現在1万本の井戸を掘る経過鵜が進行しているが、同社が独占している。アメリカで2015年本格生産をスタートすべく、大型投資を進めている。
 

汚染水処理も日本企業の独断場:ガス採掘には化学薬品も使用され、汚染水を処理することも早晩問題になってくる。オルガノ、栗田工業、東レ、日東電工、旭化成の技術が重要となってくる。

アメリカへの投資が急増:
先述のごとく、石油化学の大手ダウ・ケミカルシェールガスを使い、化学製品の基礎原料となる「エチレン」を製造する 工場へ大型投資を決定しました。日本の場合は石油を原料とするナフサ(粗製ガソリン)からエチレンを製造するのを得意としており、シェールガスから抽出できるエタンを原料とするエチレンの20-30倍のコストがかかり、勝ち目がありません。住友化学は千葉県のエチレン工場を閉鎖してしまいました。欧州エネルギー企業の大手英蘭ロイヤルダッチシェルもエチレン製造工場をアメリカに建設する大型投資を決定。出光興産も三井物産、ダウ・ケミカルと連携して、ダウがテキサス州に建設するエチレンの大型工場のp隣接地に製造プラントを建設する。総投資額は1000億、2016年稼働の予定。ここで生産されるのはこそ化学品のアルファオレフィンという製品だが、製造コストの50%を占めるエチレンをシェールガスを原料にすることで、利益率を高められるし、競争力をつけることができる。
三菱ケミカルホールディングス、ダウ・ケミアカルと組んでシェールガスを活用した石油化学コンビナートを構築する。同社が世界一のシェアーをもっているアクリル樹脂メチルメタクリートの工場を建設する。自動車の塗料、携帯電話の表示窓ほか多様な用途に使われる。
旭化成はアクリルニトリルという化学品素材をシェールガスから量産する技術の開発に成功した。これまでの石油から分離したナフサから得られるプロビレン原料とする方法と比べ低コストの量産が可能となる。2018年操業を開始する予定で、工場稼働後世界第2位のシェアーをアップすることが期待される。その他、クラレ、三菱重工、炭素繊維メーカーの東レ、帝人、三菱レイヨン、などなど技術力のある製造業の米国への投資増強が目白押しである。

 

 アメリカのシェールガス革命は石油社会からガス社会への転換であり、モノづくりを根本的に変えるだけでなく、社会構造を変えるほどの21世紀最大のイノベイションであり、18世紀の英国に始まった産業革命に次ぐ、第2次産業革命と言っても過言ではないと思います。

アメリカが本格的にシェールガスを輸出するようになったら、世界のエネルギー価格が下がり、資源で外貨を稼いできた国々の経済は疲弊させてしまうでしょう。

こうした激動の世界で、日本が復活するには、アメリカの世界戦略に乗るしかありません。
アメリカも世界戦略を達成するには、日本の協力が必要不可欠となっております。
日本の政治は世界の情勢とアメリカの世界戦略を理解して、当たり前の適切な対応が求められると考える。

  

 Dailymotionの動画も参考になる。

 

 

 

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ネット休暇   (bon)

2013-08-25 | 日々雑感、散策、旅行

 このブログの読者には、ネット中毒?のような人はいないと思われますが、
今や、かなりの人はネットにハマっていると想像でき、その延長線で考えると
“ネット依存症” もあながち否定できないかもしれません。

 今日の記事は、例によって知人のH氏からの情報で、ちょっと長めではありますが、ところどころに、
自らのネット中毒を反省し、それから逃れる “努力?” のような心の動きがにじみ出ていて面白いです。

 何も、ネット(デジタル)にこだわるわけではなく、何事についても言える事ですが、
ときどき自らを客観的に眺める時間・意識は必要なことですね。

 では、記事をどうぞ・・    


*************************

COURRiER Japon 2013年09月号 p44-47

   「全米で最も“オンラインな男”が『ネット休暇』を取ってわかったこと」

        Text by バラトゥンデ・サーストンfrom ファスト・カンパニー(USA)

 【要旨】無駄な時間やモノ、固定観念など「必要のないもの」を捨てることの有効性に関する考察を集めた
特集「人生の9割は、『捨てる』ことで決まる」のPart3「『負の感情』を捨てる」のなかの記事。
この10年ほどのあいだに人々のインターネットの使い方は大きく変化し、いまや、ツイッターやフェイスブックなどの
SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)で情
報の受発信をすることは、あらゆる世代で珍しい
ことではなくなっている。

 しかし、日本において「 SNS疲れ」という言葉で指摘されるように、 SNSへの過度の依存による
精神的な負荷もしばしば指摘される。
それに対処するものとして米国で広がってきているのが「デジタル・デトックス」。

 インターネットに常につながっている状況から一時的に退避し、ネットへの依存を見直そうという動きだ。
本記事では、作家、コンサルタント、パフォーマーなど多彩な顔を持ち、デジタルライフの解説者としても知られる
筆者が、25日間のデジタル・デトックスを実践した体験をリポート。
そこから何を感じ、どのような教訓を受けたかについて詳しく述べている。

  ------------------------------------------------------------

 僕は友人から世界で最も“オンラインな男”だと言われている。2012年は超多忙な生活を送っていた。
昨年の生活を数字で表したデータの一部を紹介しよう。
海外への渡航回数6回、訪問した都市34、地元ブルックリンにいなかった日数 179日、フェイスブックへの投稿数
1518回(1日平均4回)、ショートメッセージのスレッド数3702(1日平均10)、ツイート数1万1541 
(1日平均32)、 
Gメールのスレッド数5万9409(1日平均 163)……。僕は限界に達していた。

  そこで、夏には長年の友人であるジュリア・リントン・ボルティを「主席補佐官」として雇った。
そして5ヵ月を経た頃、ジュリアはこう切り出した。

僕が「ネット中毒」に陥っていることなどが原因で不機嫌になっている、というのだ。
そこで、ジュリアと相談しながら休暇を取る方法を模索し始めた。

 数週間、どこかの離島に逃れることも考えたが、欲していたのは“物理的な脱出”ではないことに気づいた。
ただ、デジタルの世界で存在を主張する義務から解放されたかったのだ。そこで、僕はデジタル上での
人とのつながりと距離をおくことにした。

 

 僕とジュリアは、僕の“デジタル・デトックス”期間を25日間に決めた。
次にしなければならなかったのは、具体的に何をやめるか決めることだった。

 2つのことを心がけた。
まず、仕事関係の用事はすべて棚上げすること。次に、この25日間はメールを含むすべての SNSを避けることだ。
メールに煩わされない休暇にするため、ジュリアが数日おきに受信ボックスをチェックしてくれることになった。
これで急を要する用事を見逃さずにすむ。

  次に、僕の“雲隠れ”について直々に知らされるべき VIPのリストを作った。
代理人、弁護士、会社の共同創設者、家主、親しい友人、姉といった人々だ。
それぞれにメールや電話、もしくは会って話をした。その後、メールとよく利用している SNSの両方で、
近々姿を消す予定であることを告知した。

 次なるステップは、iPhoneと SNSのサービスを停止することだ。
ところが、この段階に来て事態は複雑になった。これらのすべてから解放されようとすることにより、
自分がどれほど身動きの取れない状況に陥っていたかを知ることになったのだ。

 
 メールには「不在通知」機能があるが、ほとんどの SNSにはそれがない。僕に連絡を取ろうとした人は、
なぜ反応がないのかを知る術がないのだ。
そこで僕は、アカウントを「解除」または「停止」しなくて済む有効な策を編み出した。
プロフィール写真を替えたのだ。黒い長方形の背景に、シンプルなメッセージを綴った。
「13年1月7日までオフライン。返信は期待するべ
からず」

 ところが、それだけでは SNSから逃れられなかった。僕はこれまで自分が受け入れてきた“騒音”のレベルに
愕然とした。フェイスブックやツイッターをはじめ、あらゆるアプリやサービスで、僕はプッシュ通知を黙らせる
手続きを延々と取らなければならなかった。

 

 ネット休暇の初日、僕はソーホー地区に出かけた。あるカフェが毎年開いているイベントに参加するためだ。
イベントの後は3人の友人と一緒に、とある中華レストランを探して歩き回った。結局、僕らはその店ではなく、
餃子3個で1ドルというお買い得な店にたどり着いた。

 その後は、マッサージ屋に向かった。マッサージ師が数十年、僕がいま泊まっている地区に住んでいたことがわかった。
このマッサージ師に“検索エンジン”になってもらい、近所のレストランや文化について尋ねた。

  SNSなしの最初の1週間は、楽しく、そして“ソーシャル”だった。友人とミュージカルを観に行き、帰りにディナーをとった。
僕の注文の内容を知っていたのは、ウェイターと友人と僕だけだった。
パットン・オズワルトの小説を読み、感想は自宅のディナーに招待した7人にだけ話した。
それから、新しい眼鏡を買い、実際に一緒に時間を過ごした人たちにだけ自分の新しい
顔を見せた。

 遠くの出来事について常に新しい情報を受け取っていなかったせいか、僕は自分の身近な世界に集中していた。
ある晩遅く、僕はレストランで隣の席に座っていたダンサーと知り合い、数時間にわたって会話を楽しんだ。
また別の朝には、ダイナーを20年前に開いたカナダ人兄弟の一人から、変わりゆくこの地域の話を聞いた。

  最初の1週間が終わる頃には、静かな日々の生活にほぼ違和感がなくなっていた。
新しい情報を知らないことに対して感じていたストレスもかなり減り、ネット上で自分の存在を“証明”していなくても、
自分は存在していると思えるようになった。

  そんな有意義な日々を経て、休暇はあっという間に終わってしまった。
デジタル世界に復帰して、あることに気づいた。すべてを元に戻す必要はないのだ。
アプリのプッシュ通知を再設定する必要なんてどこにもない。
ツイッターでメンションされるたびに通知を受け取らなければならない理由もない。
僕は“接続”された生活に戻ったが、以前ほど“接続”してはいない。

  オフライン休暇がくれた何よりの贈り物は、何もしないでいることや頭を空っぽにすることの大切さを
改めて教えてくれたことだ。そこで、四半期に一度、僕はアポをまったく入れない“空白の1週間”を設けることにした。
それ以外にも、ほぼ毎週、数時間単位でネットの世界を無視するようにしている。
通りを歩きながらモバイル機器を操作することはめったになくなった。

 

 僕はいまなお、IT時代の申し子だ。使っている機器やサービスも、世界とつながっている感覚も好きだ。
でも、その「代償」にも敏感になっている。
デジタルで人生をより良いものにし、世界とつながり、常にシェアすることを選んだ結果、人間は人生を
実際に“生きない”リスクを負うようになった。ネット休暇によって、僕はそれを認識することができた。
みんなが、常に“つながっている”状態を追い求める生きかたから休みが取れるようになるといい。
そうすれば、他のもっと深い“つながり”を見つけ、深めることができるだろう。

 

コメント: アルコールや薬物のように身体や精神、生活に重大な悪影響を及ぼすものは別にして、
何かに一度“ハマってみる”ことは決して悪いことではない。
どっぷり浸からなければわからないこと、体験できないことがあるからだ。
一方で、その“ハマった”ものから、少し距離を置いてみると、また別の景色が見えてくるはず。
 本記事のような「ネット休暇」を取るにあたっては、「情報や人間関係から取り残される」「損をする」といった
不安を抱く人もいるだろう。 しかし、ネットから一時離れることで見える「別の景色」がある以上、
「損をする」どころか「得をする」のである。 「捨てる」ことは何かが自分から離れることであるため、
マイナスに捉えられることが多い。
だが、それを「新しい体験」としてポジティブに考えることで、視野が広がり思考が深まっていくのではないだろうか。

 

Copyright:株式会社情報工場

 

 

  

 

 

 

 

 

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頑張っているM君のイラストを紹介!

2013-08-24 | 日々雑感、散策、旅行

同期のM君の紹介です。

彼は昭和52年ごろに縁あって朝日放送(6ch)のテロップの絵を描く事になりました。

このテロップ(イラスト)は放送と放送の合間に放送局がどこであるかを示す必要があり使われていたテロップです。

今ではコマーシャルが流れていますが・・・

M君は制作した作品を提出してきましたが、数ある中から選ばれるのは数枚だったそうです。

季節感あるものや、色んな情景を作品として描き続けたイラストの作品を数枚

ここに紹介いたします。

今ではこれらのテロップ(イラスト)が活躍していたことを知る人も放送局内でも少なくなっている事でしょう。

古きその時代のちょっとした情緒を伺い知ることができるイラストです。

これらの作品は下書きなしに書かれています。

朝日放送の宣伝でありませんが、

沢山の作品がありますので又別の機会に紹介させて頂きましょう。

今も元気に挿絵の制作をして頑張っています。

M君がんばれ!!

 <!-- M君のイラスト -->

 

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2度目のノウゼンカズラ  (bon)

2013-08-23 | 花鳥風月

 今年、6月中旬に満開に咲いたノウゼンカズラは、一旦花がすべて終わりました。
花柄を取り除いて放っておいたら、再び写真のようなきれいな花が咲きました。

 もともと、とても元気な花木ですから、当然かもしれませんが、小さな鉢植えの上に、
今年の暑さ、ベランダはサウナのような劣悪環境なんですが、よくまぁ、ここまで元気なんですね。
この花は、我が家に来てもう10年組ですが、置き場所が悪かったのか、鉢の大きさが小さかったのか、
これまでここまで咲くことはなかったのです。

 先ほどパチリトしたノウゼンカズラです。
        

 

 今日、8月23日は、「処暑(しょしょ)」です。 二十四節気の一つで、立秋から16日目にあたります。
処暑とは止暑との意味だそうで、暑さが終る頃というのだそうですが、今日の気温は、11時現在で
32℃(東京)とあり、まだしばらく真夏日が続きそうです。


 また、この日は、「三伏の候」といわれる夏の極暑の期間の三伏目が終る日とも言われているとか・・。

 ウイキペディアによれば、「三伏」とは、陰陽五行説に基づく選日の1つで、初伏(しょふく)・中伏(ちゅうふく)・
末伏(まっぷく)の総称であり、夏至以後の2つの “庚(かのえ)” と立秋以後の最初の “庚” の日を
それぞれ初伏・中伏・末伏という。

庚(かのえ)は「金の兄」で金性であり、金は火に伏せられること(火剋金)から、火性の最も盛んな夏の時期の
庚の日は凶であるとする。 そして、夏の間の3回の庚の日を三伏としている。
これらの日には、種まき・療養・遠行・男女の和合など、全て慎むべき日とされている。

 また、三伏の時期は、7月中旬から8月上旬と、ちょうど酷暑の頃なので、「三伏の候」「三伏の猛暑」と
手紙の前文に書くなど、酷暑の頃を表す言葉として現在も用いられている。・・・とあります。

   なるほど・・!

 

 まだ、少し早いのかもしれませんが、鉢植えにした“ススキ”から穂が出ていました。こんなに暑くても、
植物の季節感は鋭いのですね。

 すすき?(鈴木)といえば、昨日、4000安打を達成しました。日本人ではまだ誰も達成していないすごい
記録ですが、この瞬間、ゲームは中断されて、「イチロー」選手の偉業が祝福されていました。
すばらしいですね。

 

   穂が出始めたススキ・・
         

 

   

 

     

 

 

 

 

 

 

 

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大阪府第一高等女学校について  (bon)

2013-08-18 | 日々雑感、散策、旅行

 蓼科浪漫倶楽部のメンバーは、もともと蓼科の農園を中心として発足した高校の同級生
「清水谷大好き人間」の集まりで構成されています。
この農園には大体月一の割で作業のために集結し、いろんな談義の中で、いつも必ず出てくるのが、
母校のことや当時の出来事で、時にその話題が発展し大いに盛り上がるのです。

 わずか3年の学園生活は、まさしく青春の真っただ中にあって、今となっては、楽しい想い出ばかりが
渦巻きたちまちのうちに50年以上もタイムスリップしてしまうのです。

 
 そんなわが母校について、いまさら語ることもありませんが、創立当時の事柄について改めて調べなおして、
ここに歴史的事項を記述しておきたいと思いました。
 

 わが母校は、1900年文部省告示194号により、府立高等女学校の開校が認可され、
1901年発足の運びとなった 府立高等女学校の校名は 「大阪府第一高等女学校」 と告示された。
しかし大阪府ではこれまで設置順の番号で名付けられていた校名を廃止し、1901年4月より学校所在地の
地名からとった校名へと一斉に改称することを決定した。
このため開校直前の1901年3月12日付で 「大阪府清水谷高等学校」 の校名が告示された。
そして、大阪府清水谷高等女学校として開校してわずか2ヶ月後の1901年(明治34年)6月3日には、
「大阪府清水谷高等学校」へと改称した。
つまり、大阪府第一高等女学校は、この校名で一旦は認可されたが開校時には「清水谷」の所在地名が
付されることとなり、事実上、学校としては存在しなかったということになる。
しかし、実質的には「大阪府第一高等女学校」には変わりはないことは、初代校長着任当時の
世論や各界の動向からうかがえる。


 そもそも、1900年当時は府立高等女学校は存在せず、1900年4月25日、南区千年町に
大阪市立第二高等女学校が開校したことにより、大阪市内には大阪市立第一高等女学校・
大阪市立第二高等女学校の2つの高等女学校が設置されることとなった。

 一方で『大阪府教育十カ年計画』では大阪市内の中等教育について、大阪府は普通教育学校を中心に、
大阪市は実業教育学校を中心に運営することと示され、高等女学校は大阪府が一元的に運営することになり、
従来の大阪市立の高等女学校2校は 1901年4月に大阪府に移管されることになった。
そして、移管と同時に開校することになった大阪府清水谷高等女学校では、開校の際に
大阪市立第二高等女学校を合併して同校生徒を編入する形をとった。 
したがって、現、大阪府立清水谷高等学校のルーツは、1900年4月に開校した「大阪市立第二高等女学校」
であるともみなせるが、 初代校長(大村忠二郎)の識見により、1901年の大阪府清水谷高等女学校創立を
そのルーツとした。 このくだりについては、「清水谷100年史」(2001.6.11)にも明記されています。
 
なお、大阪市立第一高等女学校は現在の大阪府立大手前高等学校の前身にあたります。

 

 戦後、学制改革により、1948年に「大阪府立清水谷高等学校」が発足した。
近隣の大阪府立高津高等学校(旧制大阪府立高津中学校)と生徒・教職員を交流し男女共学となった。
旧制清水谷高等女学校生徒はくじ引きにより、新制高津・清水谷の両高等学校に振り分けられた。
 先輩(高校3回生)の話によれば、高津高校から、春4月桜花満開の清水谷高校正門のスロープを、
女学生たちの盛大な拍手に迎えられながら登校しそれぞれ校舎に入ったそうです。

 創立3年後(明治36年)、すなわち本科1回生の卒業により同窓会「清友会」が発足したのです。

 

 大阪府第一高等女学校(現・大阪府立清水谷高等学校)初代校長は、大阪における女子教育の第一人者、
大村忠二郎(1862.11.27~1921.9.3)である。氏は岡山県出身の教育者で、
大阪府が女子の教育機関を整備するにあたって、府立初の高等女学校「大阪府第一高等女学校
創立に伴って、各地で手腕を振るっていた大村忠二郎が任命された。

 明治初期には、実生活に必要な「技芸」を授ける程度だった女子教育は、1899年公布の「高等女学校令」により、
高等普通教育を目指すこととされた。

 大村校長の熱意は勿論のこと、「大阪府清水谷高等女学校」として発足した府立第一高女への
各界の意気込みは相当なもので、生徒の教養・見識を高めるため、名士が多数、協力・講演した。
大隈重信や渋沢栄一をはじめ創立後20年間の記録に残るだけでも120人以上が来校しており、
清水谷高女の敷地に建てられた同窓会館「済美館
」に 首相西園寺公望が揮毫したのも、大村校長の
信奉していた親友成瀬仁蔵
の後見人である西園寺が、自身の「女子教育の重視」という考えを
大阪の殿堂で示すためであった・・とあります。

 首相西園寺公望が揮毫した「済美館」は、1907年(明治40年) - 開校5周年記念として、 (木造2階建て、)を建設した。
「済美館」は、教育勅語の「世世美厥濟」(よよそのびをなせ)から名づけられた大阪府立清水谷高等学校にある
同窓会館である。 現存する済美館は、1925年(大正14年)に鉄筋コンクリート構造3階建てへ改築された
近代建築せある。清水谷高校の同窓会、「清友会」の本部事務局が置かれており、本校に唯一残る
旧制高等女学校時代の建物である。
附属図書館として45年間転用されていたこともあって、清水谷校を象徴する“白亜の殿堂”として慕われている。
当時、鉄筋コンクリートの建て替え費用は、清友会が宝塚少女歌劇団公演を大阪市中央公会堂で開催して捻出した・・
とあります。(ウイキペディアを参照しました。)

  「済美館」  左下に写っている胸像が大村忠二郎初代校長です。
      (ウイキペディアより)


                    現在の済美館 (同窓会HPより)
                     

 

 また、大村校長は人材確保にも尽力した。中でも音楽科教員として招いた永井幸次は清水谷高女を
音楽でも殿堂に育てあげ、その教材として編纂した「女子音楽教科書」が後に全国の高等女学校での
基準本として使われるようになった。


膨大な記述、資料から抜き読みなどしましたので、分かりずらい所がありますがお許しを・・。

 

 

 

 

 

 

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5時間の飲み会  (bon)

2013-08-17 | 日々雑感、散策、旅行

 まだ陽が高い、暑い盛りの午後3時に同じ住人の4人が揃って飲み会に出かけました。
行く先は、近くの駅前の居酒屋でしたが、すでにこの時間というのにお客がかなり入っていました。
“土日は結構早いんです~” 店のお嬢さん。

 4人のうち3人はこれまでにも数度飲んだことがありましたが、1人は飲むのは始めての人でした。
日中目を合わせたりしてあいさつを交わしている程度だったのですが、4人の会話が、打ち解けるのには
時間はかかりませんでした。


 これまでどのような人生を経てこられたかは、皆目わかりませんし、また、そのような詮索は控えられますから、
それぞれの人方の来し方には、極力触れない形で、それでも気負うところがなく、話題はあちこちに飛びながら、
延々5時間以上も間断なくおしゃべりしていた・・のには、改めて驚きでした。

 他の3人は、分かったことですが、みなさん昭和24年生まれの団塊の世代のおしまいあたりの方々で、
それぞれ現役時代はかなりやっておられたことが言葉の片りんから窺い知れました。
今や利害も無く、義理もない者同士が、ゆったりと長時間楽しく会話できるというのは、それぞれの過去に
100%でないかもしれないけれども、ある程度満足して 現在は、それらの職場組織から離脱した安堵と
懐かしみと、その上で抱いている問題点や課題が話のネタになっているようにも思われると共に、
社会への愚痴?などを織り交ぜて5時間を過ごしたのでした。

 これまでの飲み会は、かってのお客様と同席・・は別として、大体職場や学校などの関連する連中との間でしたが、
地域住人との飲み会でこれほど長い時間を、楽しく過ごしたのは初めての経験でした。 
人それぞれの人生論、経験話し、社会に対する問題意識などが改めて身近に語り合えて、
5時間もそれほど長くは感じなかったのでした。


 そんな感じを抱きながら、先ほど9時少し前に帰ってきて、お酒の勢いもあってこのブログに向き合っています。
失礼ながら今宵は少し酔っぱらっているようです~  

 

 

  

 

 

 

 

 

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グレンミラー物語  (bon)

2013-08-16 | 日々雑感、散策、旅行

テレビで映画「グレンミラー物語」(1954年アメリカ映画)を観ました。

外は、今日も暑いけどホームシアター?? で、ゆっくりと鑑賞しました。

グレンミラーの記事は、昨年12月にこのブログにアップしたばかりですが、あの時は、グレンの命日・・
ということでアップしたのですけれど、
今日はたっぷりと映画を楽しみ、軽快なスイングをたっぷりと耳にすることができました。
中で、ルイ・アームストロングも出てきました。

 映画は、ジェームズ・スチュアートとジューン・アリソンの主演で、
戦時中ですから時々画面にそれらしい映像が出てきますが、全編を通して軽快な管楽器中心の
ムードミュージックが流れ、やはりその時代を浮き彫りにしていました。

しばしタイムスリップし、楽しい映画でした。

 

 皆さん聞きなれたあのメロディーをいくつか・・

  

 

 

 

 

 

 

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大阪も暑いねぇ~  (bon)

2013-08-15 | 日々雑感、散策、旅行

このところ、天気予報に  “あぁ、また今日も・・”  なんて、うんざりすることもありますね。

 今日8月15日は、68回目の終戦記念日。もうあれから68年も過ぎたのですね。
310万人を超える、すごい犠牲者の上に今日の日本がある・・と思えば、いささか胸に迫るものを
感じずにはいられない。 終戦のあのどさくさは、子供心に記憶している。
それでも、私にとっては、疎開していたこともあり、戦争のあの惨禍を直接身に感じたことがなかったから、
切実な記憶には乏しいのではないかと思っています。 

 

 こんな暑い夏は始めてのような気がします。 四国高知では、41℃を連日記録したとか、
こんなことはなかった。
テレビで見ると、大阪も連日37℃を超えているようで、これも昔にはなかったことだろう。


 そんなことで、改めてネットで大阪の気温などを調べてみました。

 “おおきにお世話でんな、 よけい暑うなりますがな~”  “そんなこと言わんと、まあ、ちょっと見てみなはれ・・”
      (ネット http://www.canacana.net/kion.htm 他から引用しました。) 

   

                  次第に猛暑日日数が増えている。
 

 

 やはり、これらの数字を見れば、なるほど・・とうなづけますが、なぜ、このようになって来ているか?
これは大阪だけの問題ではなく、世界的、地球的な問題です。
 じわじわと迫る気温上昇の脅威・被害、気温だけではなく、ゲリラ豪雨、雷雨、竜巻・・これら気象変化は
次第に人類社会を脅かしているのではないか? 
戦争での短期間の惨禍は際立って、しかも人為的になせる業で許せないが、 気象変動も、人為的要素が
高いと思われる原因で、次第に押し寄せてくるとてつもなく大きな力による災害となりつつなる。

そんな心配をしていると、背筋が寒くなってきますが、果たして日本で、世界でこの問題に真剣に取り組んで
いるのでしょうか?

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

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GMARCH  (bon)

2013-08-14 | 日々雑感、散策、旅行

今朝の朝刊の書籍広告欄に小さく、英語教材の記事で  “GMARCH、関関同立以上の・・”  などの
解説がありました。 
 関関同立は分かりますが、GMARCHは初めて見る字句なので例によって、ネット検索してみました。

    ラジオでは、甲子園の熱戦が朝からずっと流れています。
秋田商が負けて(富山第一が勝者)これで東北勢すべてが“初戦勝利”の記録は流れた・・と
言っていました。  相変わらず猛暑続きです。


 で、先ず・・、“マーチ(MARCH)とは、日本の大学群のひとつを示す通称である。”  とあり、
“これらには以下の大学が含まれ、名称は各校英字表記の頭文字に由来する。
明治大学(M)、青山学院大学 (A)、立教大学 (R)、中央大学(C)、法政大学 (H)”・・・

おおよそ想像はついていた通りでしたね。 さらに、

“大学受験や就職活動等に際して使われることがあるスラングであり、首都圏において高いブランドを誇る
大学群としても知られている。
この括りには何ら実態はなく、この大学群を単位とした特別な交流や集会なども存在しない。” 
と注釈がついていました。

 

 そもそも、“『MARCH』という大学グループ名は、受験専門誌『螢雪時代』の編集長である代田恭之が
考案したもので、「大学進学率が1割を超えた昭和30年代、大学がエリート期からマス期に移行するのに従って、
早慶に続く難関私大グループの呼び名を、合格発表のある『3月』のMarchにかけて名付けたのが始まり」だという”
 のだそうです。


それで、タイトルの「G」は、どうしたか?については、

 “学習院大学の偏差値は少なくとも三十年以上前からこのMARCHクラスであることが確認できるが、
2005年頃から学習院大学を含めた6校とし、『GMARCH』と呼ぶ例がみられはじめた。”
・・あぁ、了解です。

 

 例によって、さらに、ちょこちょこサーフしてみると、
“GMARCHと日東駒專の間に成成明学独国武がある” などの表記もありました。

これらの分野から離れて久しいですが、まるで浦島太郎みたいな感じになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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いちじく   (bon)

2013-08-13 | 花鳥風月

 昨日は、四国で気温41℃を記録したとか・・。
観測史上初だそうですが、やはり異常気象なんでしょうね。

 我が家のベランダも、連日の猛暑で日中などは、まるでサウナの中にいるみたいで、
夜になっても浴室にいる感じ・・じりじり、むしむし・・・。

そんな中、鉢植えの “いちじく” の実が次々と色づいて
来ています。

2年前に、15cm位の苗木を鉢植えしたものですが、昨年は1個、今年は既に何個か収穫していますから、
全部で結構実を付けていることになります。

こんなに成長が早いのか?と思うくらいですが、樹高はそれほど高くなく1m弱程度ですね。

  今日のスガタ・・
        

 

 ところで、イチジクは“無花果”と書き、花を咲かせずに実をつけるように見えることに由来するようですが、
花が無いわけではなく、果実の中に花があるのですね。

ウイキペディアには、 “イチジク(無花果、映日果)は、クワ科イチジク属の落葉高木。また、その果実のこと。
原産地はアラビア南部。不老長寿の果物とも呼ばれる。”

“食用とする部分は果肉ではなく小果(しょうか:花が密集した頭状花)と花托(かたく:花軸の先端)である。”  
とあります。

 

 また、ネット“果実ナビ”には、次のような記事と主要地区別生産量がありましたので、引用しておきます。

“「いちじく」という名前の由来は、毎日1つずつ熟すことから「一熟」→「いちじく」になったという説や、
ひと月で実が熟すため「一熟」→「いちじく」という説もあります。また呼び名としては南蛮柿(なんばんがき)、
唐柿(とうがき)ということもあります。”

 

  主要生産地の生産量(2011年)
       


 

 昨夜は、ペルセウス座流星群が活発だというので待機していましたが、夕方一雨あり、
そのままお空は曇ったままで、観察は諦めて眠ってしまいました。 
今朝のラジオでは、全国のあちらこちらで、1時間に5~6個観測した・・などの話題がありました。

  ついでですが・・ “るりふたもじ” です。

       


 

  

 

 

 

 

 

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アジアの日本   (bon)

2013-08-12 | 日々雑感、散策、旅行

 昨日の最低気温が都心部で、なんと30.6℃と報じられていたが、これって、最低気温? 
といいたくなる数字ですよね。 暑い暑いといってみたところで仕方のないことですが、道を歩いていて感じる
“この凄いエネルギー” が無駄に、というか害的に強制される自然の理不尽さをつくづく恨めしく思われるこの頃ですね。  

 いつものように、友人のH氏からの配送記事から情報として、ここに転載させていただきました。

 まさしくその通りで、当たり前?かも知れませんが、そのことが基本として大事なことなんですね。
以下をご覧ください。

************************

文藝春秋 2013年08月号 p206-218

「日本再生の鍵はアジアにあり  (1)マレーシア編

          マハティールから日本への忠告」    江上 剛(作家)

 【要旨】急成長するアジアの新興国市場を、日本はどのように自らの再生に結びつけていくかを探る
連載「江上剛のアジアビジネス最前線」の第1回。

 「マレーシア編」の本記事では、マハティール元首相や、日本の現地法人などへの直接取材を敢行し、
マレーシアの国家戦略や日本企業の現地ビジネス、市場の動向などについて、日本ではあまり知られていない
現状も含め明らかにしている。
かつて「ルック・イースト」政策のもと日本を手本にしてきた同国だが、いまや中東も視野に入れたアジア全体の動向を見すえている。
本や日本企業は、新たなビジネスモデルを模索する必要に迫られているのだ。

 筆者は、元銀行員のキャリアを生かし、金融小説、経済小説の分野で多数の著作を発表している。
代表作に『非情銀行』(新潮文庫)、『腐蝕の王国』(小学館文庫)など。

  ------------------------------------------------------------

 

 日本経済は依然として伸び悩み、いまだ明るい展望が見いだせない。
そのためか「成長するアジア市場を取り込め」という声が以前よりも大きくなってきているように感じられる。
しかし私は、こうした国を挙げての前のめりの姿勢に、すこし危うさを感じている。自らの利益だけを求め
アジアに押し寄せるのでは、かつて資源を求めて侵攻した日本軍と同じだ。それでは相手に歓迎されないだろう。
日本はどうすればいいのか。それを知るために、マレーシアを訪れた。

 

 マレーシアの首都クアラルンプールにそびえる、ペトロナス・ツイン・タワーの86階にあがると、穏やかな
微笑みをたたえた男が迎えてくれた。彼こそが1981年から2003年の22年間にわたってマレーシアの
経済発展を主導した人物。マハティール・ビン・モハマド。マレーシア第4代首相である。

マハティール元首相が日本で知られているのは、彼が提唱した「ルック・イースト政策」のためだ。
「日本を見習え」という政策は私たち日本人に誇りと勇気を与えた。

 

 私が「日本人は、あなたの言う“イースト”とは日本のことだと思っています。しかし最近は韓国や中国も
入っているようですね」と質問すると、マハティール氏は表情を変えることなく答えた。
「1982年にこの政策を打ち出したとき、日本は最高のモデルだったし、この政策への対応もよかった。
そこでまず日本へ焦点をあてたが、韓国、台湾ともよい関係を築きたいという意向は、当初からあった」。
低迷している国は、もはや注目に値しないということなのだろうか。いや、アジア各国は発展するために必死で
パートナーを探している。「日本」というブランドがいつまでも通用する世界ではないのだ。

 

 思えば「ルック・イースト」政策が掲げられた時代は、日本もマレーシアも幸せだった。新興国の労働力を
日本よりも低い賃金で活用し、安価で品質の良い製品をつくって世界へ輸出する。こうしたビジネスモデルが
通用していた時代、日本は繁栄を謳歌できた。

 じつはマレーシアも厳しい状況にある。「中進国の罠」という言葉をご存じだろうか。低賃金の労働力を活かして
経済成長を遂げた国が、賃金が上昇したことによって、それまでの成長路線が通用しなくなり、経済成長が
停滞してしまう現象を指している。マレーシアの人件費をみると、社会保障などを合わせた賃金の実質負担額が、
製造業の作業員でみると年間 6,340ドル。管理部門の社員では31,000ドル。これは中国やタイ、ベトナムなどより高い。
これでは、従来のビジネスモデルでは、マレーシアへ新たに進出するメリットは見つけにくい。

 

 この従来型のビジネスモデルでは将来、確実に行き詰まることになる。いずれ、どの新興国でも人件費は上昇する。
いまこそ日本は、マレーシアのような賃金の上がった国とともに発展するビジネスモデルを考えなければならないのだ。

 

 ペトロナス・ツイン・タワーの下層階は、「スリアKLCC」という巨大なショッピングセンターだ。各フロアには、
東京のように欧米各国の高級ブランドがずらり。ザラ、ギャップ、ユニクロなどの、カジュアルな店もある。
マレーシアで最も先端をいくエリアといっていいだろう。

 いま、アジアの上位中間層の購買力は日本人と変わらない。マレーシアの若い人たちは、日本の同世代よりも、
もっと欲望に忠実だ。日本は、インフラや産業面では、アジアに対して一日の長はあるが、物欲や消費欲などに関しては、
完全に後塵を拝しているように感じた。

 

 マレーシアで4店舗を運営しているイセタン・オブ・ジャパンの湯谷信治社長に、ツイン・タワーの下にある
KLCC店で話をきいた。いま伊勢丹の中心顧客層は40代以上の裕福な中華系だが、湯谷氏は今後、
メインとなってくる30代以下を見すえている。「海外の大学へ留学経験がある人も多く、欧米の文化が生活に
入り込んでいるし、感度も高い。食品はこの世代向けが好調なのですが、ファッションはこれからです。
ただ単に日本のブランドをそのまま持ってきても難しい。欧米のトレンドを日本経由で持ちこみ、彼らの買える価格で
提供できればチャンスはあると思っています」

 

 日本文化を売ろうとしているデパートが、欧米文化と地元文化にはさまれて苦しむなか、がっちりと地元の顧客を
つかんでいるのがイオンだ。イオン成功の理由は、徹底的にマレーシアの消費者に寄り添ったこと。
その姿勢は店舗づくりにあらわれている。この国では民族ごとに住む地域が異なるが、マレー系住民の多い地域なら、
イスラムの教えに配慮して、アルコール売り
場を小さくし、衣料品も体の線が出ないデザインを増やす。
新規に開店するときは、予定地周辺の家庭をマレーシア人社員が訪問して、細かくリサーチするという。

 

 イオンは商品構成や人材など、様ざまなものをローカル化して成功を収めている。しかしそれだけではない。
「お客様第一」という日本の文化が成功につながっているように思える。日本風の丁寧な接客は、同社の重要な
武器になっているようだ。ローカル化に徹しつつ、日本文化で売る。これがイオンの成功から学ぶ教訓であろう。

 

 マレーシアで取材していくと、これまで日本にはあまり伝わってこなかったマハティール氏の壮大な戦略が見えてきた。
彼は「ルック・イースト」策を掲げる一方で、“ウエスト”、西に位置する中東などのイスラム圏も見すえていたのだ。
明治大学の鳥居高教授は、こう指摘する。
「マハティール政権は、マレー系マレーシア人社会のアイデンティティ強化のひとつの柱として、イスラームの価値を
重視しました。しかも、それを国の経済開発の目標と結びつけようとしたのです」

 

 彼のイスラム重視戦略の一つが「イスラム金融ハブ(中枢)」戦略だ。
この「イスラム金融」とは何なのか。専門家の国際協力銀行・吉田悦章氏に聞いた。
「端的にいえば『イスラムの教義にかなった金融』です。コーランでは利息が禁じられているため、取引で
金利の概念は用いません。同じくコーランの教えにしたがい、豚肉やアルコール、賭博、ポルノといった事業との関係も禁止されます」

 

 このイスラム金融に最も積極的な日本の金融機関が、三菱東京 UFJ銀行だ。
「一度、イスラム金融の世界に触れると、その大きさに気がつきます。まだコンベンション(一般的な金融)市場の
1%の規模ですが、成長率は年16%です。マレーシア政府はフレームワークを作るのが早くてうまいので、
いま中東各国がマレーシアを見習っている状況です」と、マレーシア三菱東京
 UFJ銀行頭取の中村正人氏は評する。

 昨年、同行はブルネイの LNG輸送船の建造プロジェクトのファイナンス(融資)をイスラム金融方式で
まとめたところ、マレーシアの金融専門誌に表彰された。

 

 マレーシアで私は、いくつもの「ゲートウェイ」を見た。いずれもゲートの先には広大な可能性が開けているが、
日本にいては見えないものばかりだった。私たちは国の中に引きこもらないで、もっとアジアの中に入らないと、
成長への道を見つけることはできないのではないだろうか。
私たちは、ともすると「アジアと日本」と言い、無意識のうちに、日本をアジアと切り離してしまう。
これから求められるのは「アジアの日本」として、異なる民族、宗教、文化、習慣の人たちと、ともに走ることだ。

 

コメント: 海外に進出する日本企業が、イオンのように、日本特有の美徳を生かしながら効果的なローカライズを
進めるためには、現地のいまの状況を深く理解するとともに、自社のコアバリューを明確にして従業員に浸透させること
が必要なのだろう。
それは、イオンでいえば「お客様第一」のような、全世界どこにいっても通用する普遍的なものであるべき。
根と幹をどっしりとさせたうえで、環境に応じて枝葉を変えていけば、存在感を示す大木になることができるはず。
一方的な「進出」ではなく、変わらぬ“コア”と現地特有の条件との「融合」をキーワードとして考えるべきなのかもしれない。

Copyright:株式会社情報工場

 

 

 

   

 

 

 

 

 

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2013-08-10 | 日々雑感、散策、旅行

連日の猛暑に、うんざりしています。
皆さんはいかがですか?

 

山口、島根が豪雨に見舞われたかと思うと、今度は秋田、岩手で豪雨による大きな被害が出た。
ともに “これまで経験したことのない” 豪雨と、最大級の警告が出た。

 豪雨といえば、我々が知るところでいえば、30mm/1時間を超える雨もそうは降らなかったのに、
最近、どうしたことか30mm超などは平気で降り、今回でも108㎜というとてつもない大雨が降ったのです。

 気温も、少し前あたりでは、32℃あたりが最高気温のようでしたが、このところ34℃超も当たり前、
連日35℃を記録している。

今日、2013.8.10の14時現在までの最高、最低気温を気象庁のデータで見ると、

        (気象庁データから抜粋しました。)

  

図のように、地方を抜粋して表してみましたが、今日午後2時頃の気温は、東京で37.4℃、熊谷で38.9℃、
甲府では40.1℃で、40℃を超えてしまった。
最低気温も真夜中でも25℃超の熱帯夜が続いています。

 ことし昨日までの猛暑日(35℃超)、真夏日(30℃超)、熱帯夜の日数をデータから抜き読みしてみますと、
  (数字は日数)

        猛暑日     真夏日       熱帯夜(25℃超)

 東京      8       29        18
 横浜      1       27        12 
 前橋      8       37         5
 熊谷     10       37         3
 長野      1       29         -
 甲府     16       48         3
 彦根      2       37        12
 大阪      9       49        27

 

で、地域によって少し差がありますが、30℃を超える真夏日は、各地ともひと月あるいはそれ以上あるという、
まさしく暑い日が続いているということなんですね。

 

ところで、タイトルの意味は何・・?

昔、子供の頃に言ったことを覚えていますか?

         You might think but today’s hot fish.

 そうです、 “言うまいと 思えど 今日の 暑さかな”・・・・

                        なんちゃって・・!

 

  先にアップしました、ベランダのスイカは、今、こんな風になりました。 少し甘みが控えめ?の感じですが、
 おいしく育っていました。 ベランダでも“一丁前”のスイカでした。

                      

 

 

  

 

 

 

 

 

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