蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

東京支部総会’24 (bon)

2024-10-28 | 同窓会

   台風が列島を縦断したような「与党過半数割れ」の荒れた結果の衆院選挙だったのではないでしょうか。
   安定した政治が望まれるのに、与党の驕りともいえる運営体質が咎められた結果なんでしょうね。極東の
   国際情勢から見て、一段と緊張をもって臨んでもらいたいと思うばかりです。
      大谷、山本両選手が所属するドジャースのMLBワールドシリーズは多くの人々の関心を集めています。
           第1戦、2戦ともド軍が勝利し球場をニューヨークに。山本投手も好投しました。大谷選手は左肩を
亜脱臼
   しましたが大丈夫でしょうか。

 

 まだ暑さの残る土曜日(10/26)の午後、恒例の清友会東京支部総会に出席してきま
した。

 これは、高校同窓会の関東在住者を対象とした年に一度の総会で100年以上続いて
いる会なんですね。 私の卒業した高校は元女学校(大阪府立第一高等女学校)で、
創立1901年ですから既に123年になります。 1947年(昭和22年)に新制高校として
男女共学となり、私はその10期生で、今回の支部総会では 出席者60余名の中では最
長老となっていました。

   10期生は、今回6名の出席でしたが 私たちが役員を務めていた頃(10~20年前)は、
同期生の支援・協力により毎回10数名の出席を誇っていたのでした。世代は交代して
しまいました。

           記念撮影 (2024.10.26 於:サンケイプラザ)
         

 総会では食事の後、同窓生による『講演』が企画され、各界で活躍されている先輩、
後輩のお話を楽しみにしているのですが、今回のそれは 37期生(60歳前)の音楽関係
の著述などをされていて業界では広く活躍されている人のお話でしたが、私にはほと
んど理解できず、会場から時折笑いが出たりしても、何がおかしいのか分からず、
唯々状況をフォローするばかりでした。 『ロックンロールな高校時代』というタイ
トルでしたから、およそ年寄りには難しい内容なのかもしれません。

         

 そのような無為ともとれる時間をやり過ごし、来賓の先生方(すでに他校へ転任され
ている)から想い出話しの一端が即興的に語られ、当時の教え子がそれに反応したりして、
思わぬ出来事が飛び交ったり、今回初参加の私達より40歳近くも若い人たちからの在校
当時の想い出が初めて明かされたりして、会場からどっと笑いが出たり、ひと時懐か
しい当時にタイムスリップした会場は、まさしく世代を超えた同窓の思いに包まれたの
でした。

 

 私たち同期6名は、いつもするように会場近くでお茶しながら、ひと時近況や同期の
去就など話題はあちこちに飛びながらも、久しぶりの和やかな語らいの時を過ごしまし
た。

来年春5月頃に、集まる企画を託してお開きとなりました。

 会場のあるビル(大手町)       モニュメント
   

 

 

いつも この曲を、校歌の後に全員で唄います。

今日の日はさようなら

 

 

 

 

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10期会懇親会‘24  (bon)

2024-05-23 | 同窓会

 5月20日は、同期会の懇親会で大阪に行ってきました。この日程だけは、1年も
前から決まっていまして、具体的な場所や形式など詳細が決められて案内通知状が
届いたのが3月初めでした。
 直前まで、幹事方は出席確認などの作業に悩まされていたとも思いますが、無事に
予定通り開催されました。何人かは、オンラインのウエブミーティングで顔は
合わせていましたが、やはりリアルに握手できる状況はまるで違った親密感が
伝わってくるのでした。


       雨の東京でしたが、この通りの景色に・・
          (車窓から)

 高校を卒業して50年の記念の年(2008年)に、同期会の幹事組織がリニュー
アルされ、それまではやや個人的なお世話人さんに抱っこされた感じで実施され
ていたのを、幹事をキチっと決め、クラスの担当なども決めて運営できるように
整えられて、今回が8回目に当たるのです。 新組織で再スタートした50周年記念
同期会は大阪で実施し、続く懇親会は順に 京都、奈良、東京、淡路島、大阪、
再び大阪、そして今回の大阪という流れになり、この間16年の歳月が流れている
のでした。

 120名を超えていた懇親会も、この年齢ゾーンでは8回目の今回は40名の集まり
となりました。
 色々と、身体的な不具合を抱えながらも、集まった人たちは元気にふるまい、
若い頃と同じには行かないまでも、昔の面影が滲み出てくるのでした。懇親会
では特に講話や余興などの出し物の設定はなく、ひたすら仲間同士の会話に専念
するのですが終了後の疲れを気にすることもなく楽しい時間を過ごすのでした。

        懇親会のはじまりのご挨拶・・
        

 

 若い多感な頃のわずか3年間 同窓であったというだけで、しかも在校時代には
ほとんど声も交わさなかった面々とも、今は親しく楽しく語り合える不思議を
いつも感じるのです。この魔法はどこから来るのでしょうか。 そしてこの語
らいは、何がどうのということはなく、ただ明日へのエネルギーの源として注入
されるのですね。
 今回は、60年振りに当時の仲良しとも再開でき、大変嬉しく感激しました。

       懐かしいあこがれのセーラー服のご披露
        

 

 懇親会の終了後は、以前の様な2次会の設定は省略してそのまま解散となり、
希望者11名は一同有馬温泉に向かいました。

 有馬温泉行直行バス発着場所の阪急三番街までの徒歩空間は、まるで外国に
来たような変わり映えで、ビルの谷間を抜けるように変化していました。
 JR大阪駅の北側は、全くその面影を残さず 様変わりしていました。そうです
よね。もうウン十年も前ですものね。
 バスは途中、大阪空港(伊丹空港)を通り 有馬温泉まで1時間ほどでした。
狭く込み合った温泉街は、月曜日というのに大勢の観光客でにぎわっており、
そんな混雑のターミナルに大型観光バスが発着したり、自家用車、ホテルの車
他がうまくお互いを思いやりながら円滑に移動されていました。 古い老舗の
温泉街は、近代化した今の混雑を阿吽の呼吸でうまく折り合って発展してきた
のですね。

 何人かは、すぐ近く・・車で2~30分くらいのところに自宅がある人がいて、
この有馬温泉もお馴染みだそうですが、やはり同行者が違えばその新鮮さ、楽し
さはまた格別なのでしょう。独特の赤茶色のお湯につかり、再び懇談に花が咲く
夕食のテーブルが始まりました。
        
        楽しい夕食と またしても歓談・・
        

 この後は大部屋に移り、遅くまで談笑が続くのでした。お話は泉の如く・・。

        ホテルの玄関にて(翌朝)
        
         (一人はすでに、別行動で出発しました。)

 

 ホテルを出て温泉街の散策をしました。多くの観光客とすれ違いながら細い
路地のような商店街の坂道をおしゃべりとお店を見たりしながらのんびりと豊か
な時間を満喫しながら・・。

       商店街の通りで・・
 

 

 頃合いのお店を探してみんなでお昼を済ませて、想い出もいっぱい詰め込んで
満足の内に帰路のバスに乗り込み大阪駅にてお別れとなりました。

               

 懇親会場では、次回開催は米寿記念とするが、それまでは毎年の開催を希望する
・・毎年が無理であれば、少なくとも一年おきに・・の提案が出されていました。
元気でおれるかどうか? 元気であったとしても一人で出かけられるか? などの
不安と同居しながら、次に向かって気を込めた瞬間でした。
 今回も楽しい会でした。皆さんお疲れさまでした。幹事さんご苦労さまでした。
そしてありがとうございました。

 

 

 

Unforgettable

 

 

 

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元気なうちに会いましょう!  (bon)

2024-03-02 | 同窓会

       政倫審なる場で、弁明に立つそれぞれトップの立場の方々が揃って、
      「全く、関与していない」と断言して逃げていますが、裏金の使い道を
       指示していたのは誰で、その金はどこから出てきているか知らないという
       のはあまりにも無責任ではないか?

 

 3月に入りました。あの忌まわしい能登半島地震から丸2か月が過ぎました。
亡くなられた方々の無念は勿論ですが、被災された方々のこの長い期間の苦悩は、
失意と生き延びるための生活に向き合った厳しいものの継続であると思います。
そして今まだその復興に向けた道筋すらつかめないもどかしい日々を送られて
いる現状をお察し致します。輪島の高校の卒業式が金沢で行われていました。

 そのような状況下にある人々に心を寄せつつ、一方では、かねてからの計画
である、高校同期会の最終打ち合わせが、昨日(3/1)母校の会議室で同期会
幹事の方々により執り行われました。

       母校正門(入学式の頃)
        (母校HPより)

 来る5月の同期会開催に向けた具体的内容の最終確認を経て、同期生の皆さん
へのご案内を郵送またはインターネットメールで発送の運びとなりました。
いよいよスタートが切られました、

 会場となるホテルは交通至便のところが予約済みで、そこでの懇談会の実施
と終了後をどの様に過ごすか、更に宿泊する人たちの宿をどこに決めるか・・
など、こまごまとした段取りを纏める作業は、面倒でもありますが、しかし
楽しい事案でもあるのですね。

 同期会メンバーは、もうしばらくで米寿を迎えようという面々で、前回は
一昨年に実施しましたので、この1年余りの期間をまたいでいるというのは、
私達の年齢では大きな変化が出てくるようです。  
 この期間中にも、惜しくも先にあちらに行ってしまった人や、少し判断がおぼ
つかなくなった人、また、元気でその気はあっても、移動が自由にできないなど
様々な障害が起こり易い年ごろなんですね。

        母校シンボルツリー(くすのき)
        (同窓会HPより)

 今回の案内文にも「元気なうちに会いましょう!」が織り込まれています。 
幹事会は、高校時代のクラス別の代表者と、幹事で構成されていて、クラスは
A組からG組迄ありましたから計10名がお世話役を務めておられます。

 昨日のご案内発送で、返信締め切りが4月とされていますが、どれくらいの
参加があるか、予測
はかなり難しいところですが、多くの参加があることを期待
しています。

 楽しい計画が先にあることは、何よりも気持ちを元気にしてくれるのですね。
どんな妙薬よりも効き目のある贈り物なんでしょう。これに参加するために、
少しは背筋を伸ばしましょう、歩行を滞りなくこなせるように・・などと、意識
の上で若返るのですね。

        懐かしい体育祭の一ページ
         (学校長ブログより)


 3月に入ってもなお風は冷たく、冬の延長ではありますが心はすでに春を通り
越して5月の空を見ているのかもしれません。元気でいなくちゃ・・!

 

 

 

学生時代 東京混声合唱団 ~関西大学キャンパス~

 

 

 

 

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東期会「春の集い」 (bon)

2023-05-20 | 同窓会

    広島サミットが開幕しました。原爆記念館訪問、慰霊塔への献花などG7首脳が揃って行動された
        のはもちろん初めてのことですが、やはり大きなことですね。このことで核がすぐになくなるとは
        思いませんが、少なくとも核の恐ろしさは伝わったでしょうね。また、ウクライナからゼレンスキー
        大統領が対面で参加すると発表され一つのエポックとなるでしょう。
実りある会議が出来、無事に
        閉会することを願うばかりです。

 

 前橋や熊谷では今年初めての猛暑日を記録した一昨日(5/18)には、コロナ
明け 3年ぶりの東期会が池袋でありました。東期会は、高校同期の関東在住の
集まりで、毎年「ちょっと遅めの新年会」を恒例として開催され、直前は2020.
2.3に銀座でありました。 この時は18名の参加でしたが、あれから3年の間に
この会にも大きな変化の波が押し寄せていました。この時に出席していた女性
二人は、一足先にあちらに行かれ、他の人も体調を崩されて今回は参加に能わず、
今回は10名での「春の集い」でした。

 池袋から徒歩10分ほどのところにある、重要文化財「自由学園明日館」を訪れ
ました。知識の詰込みではなく、自ら考え学ぶ力を育む女学校として約100年前
に創立された学舎は、あの帝国ホテルの設計者であるF.L.ライトにより設計され
た建物で、プレイリースタイルをしたモダンな形状、内装も幾何学模様をイメ
ージした素晴らしいものでした。 1997年に国の重要文化財に指定され、「動態
保存」のモデルとして運営されています。

 東期会の10人は、重文学内のあれこれを見学し、昔のままの教室に入ったり、
食堂のその昔を思わせる雰囲気の中にモダンなテーブル、椅子や天井照明など
などの中に誘われるのでした。

  ホール(開校時は、講堂として使われていた。)
  

        食堂
         

 設計者のライト、自由学園、社会状況を中心とした年表ボードもその歴史を
生々しく伝えていました。

         

 

 見学を終えて、シンメトリックに設計されたプレイリースタイルの校舎を背景
に、真夏の太陽を正面に受け、メンバーの記念撮影も無事終わりました。

          今も元気な若者たち
         

 

 見学の後は、教室の一室を貸し切りして、東期会の和やかなお昼を共にしな
がら、めいめいの近況報告や、想い出など各自自由なスピーチがあり、時に話題
も発散気味となりましたが、時間の制約もなくのびのびとしたランチタイムを
過ごしたのでした。

      貸し切りの教室でのランチタイム
   


 めいめいの話を聞くうち、65年ほど前のピチピチしたあの頃のイメージがぼ
んやりと浮かんでくるのでした。そういえば、今日のメンバーは、昨年11月に
大阪で全体の同期会があった時に参加したメンバーと全く同じであることに気
づき、今やこのメンバーが東期会の中心であると改めて思うと共にいつまで続
いて行くのかとの寂しさもよぎるのでした。

        

 

 長めの昼食が終わり、教室で記念撮影の後、最後の見学に道路を隔てた講堂
に入るや、講習会参加の人達への説明が行われていて、我々も勉強のお相伴に
預かりました。講堂の椅子に腰を下ろし、流暢な解説を聞きながらふと眠気も
よぎる中、思わぬ解説に巡り合えるラッキーがありました。

   講堂でのお話を聞き、終了後は皆で・・
  

 当時のままの姿の食堂で、お茶をしながら、再びそれぞれの話題に盛り上がっ
ていました。

  

 いくつになっても、仲間には昔のままの面影が残り、あれからそれぞれの
道を突き進み、それなりの成果の重みを抱き、今穏やかなこの時を迎える
みんなの姿は微笑ましくさえありました。

 楽しい今日もお別れの時が来ました。 充実した、有意義で楽しい想い出を
また一つ重ねて東期会はお開きとなりました。 早々と来年の全体の同期会の
日程だけが既に本部(大阪の幹事会)で決められていました。
2024年5月20日(月)・・と。

 楽しみの目標があると、何となく安心感があるのですね。そして、それまで
に、東期会は今年秋の支部総会で逢うチャンスが残されているのです。

       自由学園明日館前にて
        

 

 

 

 以下のオートスライドは、音楽の終りまで繰り返します。

東期会春の集い

 

 

 

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母校120周年記念祝賀会など  (bon)

2022-11-08 | 同窓会

 11月5日(土)のお昼前、関東よりずいぶん気温が高く感じた新大阪駅は、多く
の人で賑わっていました。 コロナ以来あまり外出していなかったので、えッ、
こんなに人混みなの? と驚きました。
 コロナで一年遅れた母校(高校)120周年記念祝賀会会場に直行しました。 

 シェラトン都ホテル大阪 4階の大宴会場「浪速の間」には、数々のテーブルが
並び華やかな雰囲気が流れて、すでに人々の姿がありました。 受付を済ませて、
ロビーで同期生らとの久しぶりの懐かしい会話が弾むのでした。

       祝賀会 会場風景 
                             

 指定されたテーブルには、ずっしりと手に伝わる120周年記念誌がおかれていま
したが、それは後にして同期生や他回生の知人などとの会話が忙しく、すでに い
つもの同窓会のるつぼの中の一員になっていました。

 開会の時刻になり、厳かな雰囲気の中にも親しく温かい空気に包まれて、会は
始まりました。同窓会長の挨拶に続いて今年4月に着任された校長先生のご挨拶、
PTA会長のご挨拶などがあり、ご来賓の方々の紹介そして最後に今年新会員(卒業
生)の紹介などがありようやく乾杯となりました。 今年の新会員の皆さんは、
高74回生で・・ということは、私らが卒業して64年も経っているということを改
めて認識させたのでした。

 途中、この120年を振り返る映像の上映があったりしましたが、私達の回生の有志
で検討を重ねてきた「母校をもっと魅力ある学校にするプロジェクト」の要旨を、
新校長にお送りしていたこともあり、校長先生、同窓会長ともにご挨拶を兼ねて
ひと言その旨確認をとったりすることも忘れず役目を果たしました。 この件に
ついては、今回の記念祝賀会の終了後に精力的に取り組んで進めることなどの言葉
を交わすことが出来ホッとしたのでした。
               

  校長先生との会話             同窓会長も一緒に記念撮影

 

 最後に本科時代の校歌、そして高校の校歌を合唱してお開きとなりました。

                

 私達の回生は、この祝賀会に30名が出席し、引きつづき近くのホテルで開催する
同期の歓談会には50名の出席で、同期仲間だけの自由で楽しい会に引き継がれて
行きました。 コロナで開催が延期されているうちに、体調が悪化したりで参加
できなくなった人もおられましたが、少々無理を押して参加された方もおられ、
時間の許す限り楽しい語らいが繰り広げられたのでした。

 同期だけの歓談会          風景
 

 先の「高校をもっと魅力アップ・・」の下りの説明なども織り交ぜて情報の共
有化を図り、それらの話題が元になり昔の想い出がより鮮明になったり、皆さん
一気に当時にタイムスリップしたような若い雰囲気の中、疲れを知らない若者の
ようになっていたのでした。

          母校の魅力アッププロジェクト説明
               

 

 宴たけなわも時間の限りが近ずき、誰言うこともなく校歌を歌おうということ
になり、ここでも皆で合唱したのでした。 もう日もとっぷりと落ちて、散会に
なりましたが、このホテルで宿泊する人たち13名は、同ホテル内で2次会へと流れ
て行くのでした。

 今日のそれぞれの思いを交換したり、当時の思い出話にも花が咲き、学校時代
にはほとんど名前くらいしか知らず言葉を交わしたこともない人同士も、そんな
壁は全く感じさせない時の流れがあり、わずか3年を過ごしただけの同窓がこれほ
どの絆を産んでいることにむしろ不思議を感じるほどでした。

 若いころとは違い、アルコールもそれほど量が進まず、幹事が用意した食べ物
もあまり手が付けられないまま楽しい会話を思う存分身体に吸収したのでした。

               ホテル内での2次会
            

 翌日は、ゆっくりと朝を済ませて、大阪城近くの大阪歴史博物館(2001年開館)
とすぐ前にある「舎密局(せいみきょく)跡」の碑を確認しました。
 この舎密局が明治2年に日本初の理化学専門学校として開校したことが、後に
(大正15年に)わが母校で「全国高等学校理科教育」を推進するべく学会(初代
会長、嘉納治五郎氏)がその総会を開催し、当時の文部省に答申を果たし今日の
学校における理科教育の基礎が構築されたという因縁にあるのです。

         舎密(せいみ)局 跡見学
 

 

 歴史博物館からすぐに大阪城を見下ろし、遠く山々も良く見張らせて、親しい
生駒山を始め二上山、金剛山まで一望でき晴れ渡っていました。

        歴史博物館見学
        

 

 一行は、天満橋のレストランで昼食のひとときも談笑が途切れるところを知らず、
この度だけは、コロナの世界から解き放たれた状況を呈していました

       レストラン文蔵にて
        

 思えばこの後、このような機会が開催できるかどうか、とても約束はできない
までも、またその季が来れば有志だけでも集まろう・・と名残り尽きない時をお
開きへと導き、期待を膨らませて今回の一連の楽しい催しに無事幕が下りました。
 皆さんありがとうございました。幹事の方々には準備から実施まで大変ご苦労
をお掛けし心から感謝申し上げます。
        (写真は、O氏の協力を得ました。)

 

 

久しぶりのオートスライドです。
       (2分弱です。画面右下をクリックして大画面でご覧ください。)

母校120周年記念祝賀会と10期生歓談会

 

 

 

 

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東京支部総会 ‘22  (bon)

2022-10-31 | 同窓会

 澄み渡る青い空の一昨日(10/29)の土曜日、12時半より大手町のサンケイプラザ
で、高校全校同窓会の東京支部の総会が、3年ぶりに開催されました。

 私が卒業した高校は大阪にあり、1901年に創立された、大阪府第一高女の流れ
をくむ伝統のある高校です。1949年に男女共学の新制高校となり、私は高10回生
です。

 東京支部というのは、卒業生の関東在住の同窓会で、私達10回生は、1980年から、
この会のお役目の一員となり数えてみれば何と42年が過ぎていました。そのうちの
30年は現役役員として務めを果たしていたのでした。名簿の発行をしたり、講演会
を開催したり、日帰りバス旅行などをしたことも懐かしく想い出されました。
 当時は、世の中にまだ余裕というようなものがあったのでしょうね。現役時代
ですから、仕事も結構忙しかったはずですが、良くこなしていたものと思います。

 今総会で、新役員の改正がありましたが、現支部長22回生から、32回生の方に
バトンが引き継がれ、私らよりも22年も若返ったのです。

 毎年最多出席を誇っていた、わが回生も今年はさすがに高齢となり、コロナを
挟んでいたせいもあるのでしょうか4人だけの参加でしたし、おまけに最年長とな
っていました。

        総会風景
               

 若かったころの支部総会は、本科の女性の方も多く、秋篠宮妃殿下紀子様の
おばあさまも御尊命の時は毎年参加されていて、記念写真なども撮ったりしてい
ました。

 総会議事が終わって、乾杯に続いた会食のあと、恒例の催し物がありますが、
今年のそれは、「人様のお役に立てる」活動の紹介がありましたが、
きちんと
したコンセプトがなく、何となくローカルな活動のようで、とても伝統のあるこ
の場の「お話し」として相応しくないと思われますので記述を差し控えました。

              

 少し早めに着き、良いお天気でしたので久しぶりの大手町界隈を散策し、近くの
将門塚を見たりしました。お参りしている人がいました。

 

大手町界隈 (サンケイビル)    将門塚(ビルに囲まれて・・)
 

 

 総会終了後に参加した同期の4人は、オンラインでも何度か会話をしている間柄
ですが、近くの店で何と2時間も長々とお茶してしまいました。 また来週大阪で
逢うことを約束してお別れしました。

       総会終了時の記念撮影
        

 

 来週には、高校120周年記念祝賀会(コロナで1年遅れ)で、この4人を含めて同期
が大阪で逢うことになっているのです。祝賀会の後には、同期だけの歓談会が予定
されていて楽しみが続くことになります。

 

 

校歌に続いていつも最後に歌います・・

今日の日はさようなら

 

 

 

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東期会新年会’19  (bon)

2019-02-05 | 同窓会

 一昨日(2/3)は、穏やかで暖かい日曜日でした。 集合時刻のお昼11:30は、JR上野
公園口は、大変な人出でしたが、私たちメンバーは、時刻前に全員18名が揃いました。
 東期会は、高校同期の関東在住者の集いで、今年、大半は傘寿を迎えます。 皆さん、
大方の人は、恐らく体調万全とは言えないにしても、このように、日時・場所を間違えず
に集合できたというのは、まず喜ばしいことでした。

 賑わう公園を横切って、10数分のところが、今日の懇親会場「水月ホテル鷗外荘」でした。
かって森鴎外の住居跡のようで、ホテル内中庭に当時の住居「鷗外荘」が残されていました。
 
      鷗外荘の庭にて元気な姿
        
      


 懇親会は、ホテル内の「京懐石 沙羅の木」でした。道すがらのおしゃべりに続いて、
落ち着いて、料理を前に、今また楽しい会話に盛り上がるのでした。 新年会は、毎年続い
ていますが、久し振りに参加された方もおられ、お互いの健康やら、日常の出来事など、
若い頃の会話とは、やはり違って、齢相応に変化していることに、気がつきながら、でも
お互いがその昔、青春を共に過ごした経験とその後の深い絆に浸りいつしか気持ちは若返っ
て、会場は、華やかな笑いに包まれていました。

京懐石「沙羅の木」(HPより)       懇親会風景

  


 中ほど、女将のご挨拶があり、2年前に還暦を迎えたとの自己紹介に、途端に年齢の差を
感じたり、話題も後戻りしたりしたのでした。

 食事も終り、鷗外荘の中庭の池の周りで記念写真(最初の写真)の時、シャッターをお願
いしたお店の人の合図“森鴎外、オウガイ~”でみんなにこやかな笑顔になりました。

 一行は、楽しい雰囲気を道ずれにして、不忍通りを上野方向に戻ると、動物園の池之端門
なる入り口があり、それを過ぎると、スワンボートで賑わう不忍池を左に見て、横山大観
記念館まで10分ほど歩きました。

 途中には、使用されていない都電が・・    賑わう不忍池
  


 横山大観記念館は、大観が42歳頃に移り住んだ住居で、ここに来て彼の絵が売れ始めたと
いう縁起の良い場所であったのですが、関東大震災で失われてしまったそうです。 しかし
残った土台を生かして、建物、庭園のすべてを大観創案により作られ、今も随所に
彼の思い
入れが残されていました。 90歳で他界するまでここに住んだとのことです。 客間、居間、
画室などに展示された彼の作品は、美術館の展示とは異なり、住居の床の間に飾られた作品
が醸し出す雰囲気は、一層親しみを感じさせるのでした。

       横山大観記念館入口
       


 予定したコースは、無事終わりましたが、最後にお茶するところを物色しておいたのに、
暖かい日曜日とあり、どこも満席で、残念ながらまたの機会を約束してお開きとなりました。

 数名の有志は、近くの湯島天神にお参りしました。 受験シーズン真っ只中の湯島境内は、
沢山の合格
祈願者で大賑わいでした。

 JR御徒町駅近くで長めのお茶して、店を出た時には、すっかり日が暮れていました。
 多くの皆さんが参加された新年会は、それぞれに今年の元気のスタートになりました。
お疲れさまでした。

      合格祈願で賑わう湯島天神境内
        

 

オートスライドをどうぞご覧ください。(2分30秒)

 

 

 

 

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東京支部総会’18  (bon)

2018-10-29 | 同窓会

 今年もこの時季が来ました。

 大阪の高校を卒業した 関東在住の卒業生で構成された「清友会東京支部」は、名簿
登録で1300名ほどになり、年に一度 支部の総会が、一昨日(10/27)にありました。
 かっては、この総会に 秋篠宮妃 紀子さまのおばあちゃま をはじめ、旧制女学校
本科卒業のそうそうたる人達が集う総会でした。
 思えば、もう50年ほど前に、野球部で活躍したK君と2人で、この総会に出席したこと
がありましたが、会場は100人を越えるご婦人(先輩)ばかりで、私たちはまるで
“坊や”扱いの歓迎を受けたのでした。

 このような体験がありましたので、それ以降スッカリ足遠くなり支部の総会は失念
しておりました。 そんな時、41~2歳頃に、同期メンバ数名とこの支部の運営幹事の
一員ということで無理ムリ関与することになり、それ以降70歳になるまでずっと同期
友人と共に、支部のお世話役を務めて、数年前に後進に委ねお役御免となりました。

 そんな昔の懐かしみや苦労を胸に、今年もこの支部総会に出席しました。お世話役を
していたことで同期の皆さんのありがたい支援があり、今でも、大勢の同期メンバーの
出席があり、つねにダントツの出席数を誇っています。今年は本科の方の出席は無く、
ナント私たちの回生(高10期)が最長老になってしまいました。

 支部総会風景
  

 支部長挨拶に続き、母校校長、清友会会長のあいさつで始まった総会は、一気に当時
の学校のイメージに覆われ、昨今の状況を伺うにつれ会場はタイムスリップしてしまい
ました。
 清友会会長のあいさつに聞き入って、メモなどを取っているうちに、肝心の写真撮影
をうっかりしてしまいました。

 お若いけど、どこか気骨を感じる会長は、今年6月に開催された本部の総会ご挨拶の
中で、私たち10回生の活動の一部である「蓼科浪漫倶楽部」(ブログ)に触れられ、
同級生の深い絆に支えられた活動の一端を紹介されましたが、今回も、ごあいさつの中
でそのことに言及されました。 
 ブログ「蓼科浪漫倶楽部」の存在を発見されたいきさつが話されましたが、本校初代
校長(1901年)大村忠二郎先生に関してネット検索をされていた時にヒットしたとのお
話を伺い、重ねてありがたくうれしく思ったのでした。

 一連の総会議事の後、余興として卒業生とプロシンガーによるジャズライブが、会場
雰囲気を一転させ、コンサート会場に早変わりし、ひととき音楽を楽しませていただき
ました。

 余興 ジャズライブ
  


 最後に、新・旧の校歌と「今日の日はさようなら」を合唱し、一同記念写真を撮り、
散会となりました。

          記念撮影
        

 私たち10回生は、会長をお誘いし、近くに予約しておいたお店で、総会とは違った雰
囲気で、楽しい会話と世代を超えて懐かしい母校の想い出話に時を過ぎるのを忘れ、
いつまでも去りがたい思いのままお別れとなりました。

    2次会の雰囲気
 

  


             清友会会長を囲んで~
        

 

 

 

 

 

 

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傘寿の会  (bon)

2018-05-23 | 同窓会

 高校の同期会、清水谷10期会『傘寿の会』が、風薫る5月21~22日にかけて大阪で
開催されました。 傘寿にはちょっと早いのかもしれませんが、懇親会は、大阪駅の
「グランビア大阪・鳳凰」に、大勢の懐かしい面々が集い 楽しい語らいとともに、
大盛会に執り行われました。

 2年前に淡路島で開催された『喜寿の会』で、“これで最終回とする”との宣言にも
関わらず、“同期会はもう終わってしまうの?”“もっと続けてほしい~”の強い声に
押されて開催された、今回の「傘寿の会」は、多くの人たちが“待ちに待った”会でも
あったのでした。

 受付                   懇親会の様子
  

 

 わずか 3年という短い期間に、同じ学舎で学んだというだけで、当時、特に親しく
なかった人も、ほとんど話したこともなかった人たちとも、60年という年月が、その
間隙をうまく熟成してくれたのか、こんなにも打ち解けて親しく話し合える不思議な
場となり、会場は大いに盛り上がるのでした。

 懇親会の中ほどには、これまでの会合のスライド映像が映し出されました。
「卒業50周年記念会(大阪)」、「古希の会(京都)」、「奈良同窓会」、「東京
同窓会」、「喜寿の会(淡路島)」の過去10年のイベントに懐かしい想い出が再び
よみがえってくるのでした。

           過去の同窓会スライド映像上映
  

 3時間にわたる懇親会は、あっという間に過ぎ、お開きとなりましたが、希望者参加
の2次会が用意されていて、30名強が近くの“カラオケ”boxの大ルームに集い、懇親
会とは 一味違った 同期会ではじめての新鮮な経験に、ふたたびみんなの懐かしい
思いを呼び起こし、「高校3年生」、「青春時代」、「青い山脈」などの懐メロも出て
暖かい、楽しいひと時を過ごすこととなりました。

                        カラオケboxでの2次会
   

 

 翌日も、希望者20名強は、通天閣→天王寺動物園→あべのハルカス展望台→遅めの
お昼 と行動を共にして、やや暑い日差しの中、さわやかな風に導かれて、懐かしい、
されど新しく様変わりした地を巡りました。

    通天閣を見上げる          展望台にて
  

 

  展望台(87m)からハルカスを望む         天王寺動物園(新世界ゲート)
            

 

 あべのハルカス展望台(300m)      ハルカスから見る通天閣と動物園
  


         ハルカス展望台から大阪城、母校方面をのぞむ
          

 

 まだ思いが残り、心地よい疲労感を覚えながら、このブログ記事を書いています。
スナップ写真はたくさん撮りましたが、心は写真に向かっていなかったようで、全体
の雰囲気を伝えるスナップや良い写真がなく、記録としてはいま一つ物足りないもの
となってしまいました。

 

 幹事の方々の、これまでの準備と、開催・運営などのご心労とご努力に心から感謝
して「楽しかった喜びの会」でありましたことをここにしたためます。

 ありがとうございました。

 

 お待たせしました。
 オートスライドは、写真枚数が多すぎて1本にまとめることが出来ませんでした。

 ・傘寿の会 懇親会の部(5分弱です。)
 


 ・傘寿の会 2次会と翌日観光の部 (約3分です。)

 

 




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東期会新年会‘18  (bon)

2018-02-04 | 同窓会

 例年暖かい2月3日(節分)は、今年は、薄曇りの肌寒い日でしたが、幸い風は無く
穏やかな土曜日でした。 JR目黒駅集合時刻の11時までに、すでに多くが集まり、久方
ぶり・・といっても多くはせいぜい1年振りかそれより短いのに、もう賑やかに立ち
話が始まっていました。

 食事処は目黒駅前ビルの2階、イタリアンでした。 コース料理では無く、めいめい
のアラカルトでしたから、飲み物、サラダ、パスタ等注文に大騒ぎとなるや、加えて
近況などの話しも飛び交い、傘寿を目前にした集まりと思えない賑わいとなりました。

    ランチ風景
  

 料理が運ばれるにつれて 静かないつもの雰囲気になりましたが、それでもみんな昔に
帰って、楽しい語らいに盛り上がっていました。
 会食が終るころ、本部(大阪)からはるばる出席した幹事T氏から、今年5月の全体の
同窓会「傘寿の会」開催について、内容など アナウンスがあり、最後に『是非皆さんの
来阪をお待ちしています。』 と締めくくられました。

 

 食後は、全員そろって、徒歩7~8分の「東京都庭園美術館」を訪れました。アール・
デコ調の 旧朝香の宮邸内では『装飾は流転する』とのテーマで、各室内ごとに手の込ん
だ細工の置物、造形などなど、日本、ベルギー、オランダ、タイ、イギリスなど30~50
歳の若手作家による斬新な作品が展示されていました。

       旧朝香宮邸 玄関にて 勢揃い
         


 ステンレス鋼の模型           洗面室に置かれたモデル
  


 『装飾は人類と共に常に存在し、時代とともに新しい意味を伴い変化を繰り返し
ながら、生々しく流転してきた。』との解説にあるように、確かにそれぞれの時代に
人との密着した関わりの中に存在して来ているのですね。

 これらの作品が、アール・デコの空間にあり、絶妙な調和を醸していました。
抽象的な作品もいくつかありましたが、こちらは今一つ理解しがたい感もありました。

 土曜日ということもあって、結構人出があり、新館のラウンジは、座席が埋まって
いましたので、庭続きのテラス(外)に出て、再び長々とお茶と歓談で過ごしたのでし
た。

  テラスでのお茶            庭園の白梅
  

 楽しい話ばかりではなく、やはりこの1年という期間には、年齢に相応した身体的な
トラブルや他界した人の話題もあり、お互いが、今日このときを共に過ごせていること
の幸せを噛みしめているようでした。 また、来年も・・! 

 


 好評、オートスライドをお楽しみください。(3分弱です)

 

 





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東期会新年会 ‛17  (bon)

2017-02-05 | 同窓会

 2月3日は、JR上野公園口に集合でした。 やや、風はありましたが、良いお天気で寒さ
もそれほど感じられませんでした。  金曜日でしたが、かなりの人出があり、いくつかの
団体も見受けられました。

 東期会(高校同期関東在住者の会)の新年会も恒例となり、2/3の節分が定番となって
います。 もう少し暖かい時季にやっては・・などの声もありました。
 上野公園は、あらかじめ下見をしてありましたので、上野東照宮などを巡って、不忍池の
ほとりをまわり、会場「伊豆栄 不忍亭」に向かいました。 一昨年は新宿御苑―らくだば、
昨年は日比谷・銀座―近大マグロ、そして今年は、上野・不忍池―うなぎ・・と都内スポット
を巡った企画となっています。 かっては、柴又帝釈天、矢切りの渡し、明治神宮なども
ありました。

         上野東照宮 唐門前にて
          

 

 今年は大阪からの遠来参加も含めて、総勢17名の善男善女が親しく集い、楽しいひと時を
過ごしました。 昨年喜寿を迎えた、はた目には高齢者の集まりながら、当人たちは、気持
だけは いたって元気で、“今まだ、青春真っ只中”のノリで、懐かしい想い出話から、昨今
の国際問題まで、話題沸騰し、いつまでも尽きないのでした。 皆さんそれぞれに、加齢に
よる身体的な衰えは あるものの、このように一同に会することが出来る喜びは、すなわち
明日への気力の源泉として息づくとともに、この繋がりの楽しさを再確認し感謝し合うので
した。

         食後の記念撮影
          (伊豆栄不忍亭にて)

 

 食後、記念撮影した後、近くの旧岩崎邸庭園に足を延ばし、しばし、豪華なお屋敷を見学
してお開きとなりました。 有志だけ、まだ去りがたく、さらに長めのお茶を 何時までも
楽しんでいるのでした。     

                  旧岩崎邸庭園にひっそりと
          


         旧岩崎邸で・・
          

  

 

 お楽しみオートスライドです。(約2分30秒です。)



 

 

 

 

 

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喜寿の会  (bon)

2016-05-18 | 同窓会

 清水谷10期会同窓会(喜寿の会)は、5月16~17日、淡路島(海月館)にて盛大に開催されました。
前日夕から降り出した雨は、同窓会総会、そして懇親会へと続く“喜寿の会”を、一層ギュッと
包み込むように、和気あいあいと 時の過ぎるのも忘れて盛り上がるのでした。

 翌日は嘘のように晴れ渡り、福良港から咸臨丸での観潮は、船上での楽しい語らいの渦を、
ひととき 間近に見る渦潮と大鳴門橋のダイナミックな景観に引き込み、写真を撮り合ったり
みんな童心に帰った姿がそこにありました。

 途切れることの無い楽しい語りのバスガイドさんの案内で、鳴門みさき荘では、おいしい昼食と
向かい側の徳島県、広く続く瀬戸内海を一望して、一路NHKドラマ“アサが来た”のラストシーンで
知られる“花さじき”へ・・そして淡路ハイウエーオアシスに立ち寄った後、約4kmの明石海峡大橋を
最後に、幹事の皆さんに感謝しながら、いつまでも消えない余韻を残して、神戸でお別れとなりました。

 昭和33年(1958年)に卒業した、私たち新制高校10期生は、卒業50周年記念同窓会(大阪)開催を
節目に同窓会体制をリニューアルし、その後、古希の会(京都エクシブ)、奈良会合(奈良ホテル)、
東京会合(日航ホテル東京)を経て、今回、一応の区切りとして喜寿の会を淡路島(海月館)の
開催となりました。 わずか3年という短い時ではありましたが青春を共に過ごした仲間の絆は、
今なお 暖かく固く結ばれ、このまま糸が切れてしまわないように、これまでのようなスタイルで
なくても、何がしかのつながりが絶えることのないようにとの強い希望の声が上がっていました。

 改めて、幹事の皆さんのご苦労に感謝しつつ、楽しい想い出のページをいくつかの写真にまとめてみました。

受付風景(海月館ロビーにて)       幹事の皆さん
 


懇親会                  校歌斉唱
 


         中締め(この後2次会へ)
             


咸臨丸にて
 


渦潮(大鳴門橋)             渦潮アップ
 


お昼(鳴門みさき荘)           花さじき(ポピー上中央奥に明石海峡大橋)
 

 

 

 お待たせしました。オートスライドをお楽しみください。(約6分)






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近大マグロ  (bon)

2016-02-05 | 同窓会

 すっかり定着しました2月3日、節分の日の“ちょっと遅めの東期会(高校同期の在京メンバーの会)
新年会”がありました。 
今回は、銀座の“近大マグロ”をお目当てに、お昼前、数寄屋橋交番前集合でした。

 近大マグロのお店は正しくは、「近大卒のマグロと紀州の恵み 近畿大学水産研究所」と呼ばれ、
ここのマグロは、近畿大学で養殖されて、そこを卒業したマグロがお客様に満足してもらうというコンセプト
なんですね。
 2013年に、大阪駅北側の再開発地区に開店した第1号店に続いて、12月に2号店として、東京銀座
(6丁目、コリドー街)に開店したのでした。

           近畿大学水産研究所
      
 今年、喜寿を迎えるメンバーは、この時期、それでもすこぶる元気な姿で、それぞれは、久し振りと
いっても毎年、いろんな機会に集まっては 楽しい時間を過ごしている仲間なので、相互の緊張感もなく、
すぐに親しげな話が始まる・・そんな雰囲気の会となっているのですね。
今回は、近畿大学関係ということもあり、何となく近親感も手伝って一層なごやかなランチタイムとなりました。

  メンバー                近大マグロと紀州の恵み
 
 

 

 予約されたコース料理は、次々と出され、それぞれに趣向も凝らされていて、素材の味が引き出され、
どれも満足できるものでした。 一番のメイン、“近大卒のマグロのお刺身”には、「卒業証書」が
添えられていました。 名刺サイズの卒業証書には、「あなたは 近畿大学の水産養殖過程を 優秀な成績で
卒業され お客様にご満足いただけるよう 立派に成長したことを ここに証します H.28年2月3日」と
ありました。

 美味しいランチに満足した後は、散策を兼ねて、コリドー街を西へ、新幸橋から東京電力本社、
みずほ銀行本店を通り、鹿鳴館跡地を見て、明治初期の外交を主体とした社交場に思いを巡らしながら、
帝国ホテル前を通過し、日比谷公園噴水脇を通り、昨年創立100周年を迎えた松本楼でお茶を楽しみました。

       鹿鳴館跡地
        
              

日比谷公園噴水脇を通って          松本楼へ
  


 数々の歴史を刻んだ重厚な造りは、厳寒の森に暖かい日差しを受け、ティータイムを楽しむ我々一行は
一層和やかに演出されていました。

松本楼玄関前で、記念撮影をして希望者は、さらにソニービル8階の、「サウンドプラネタリウム」の
“ハイレゾサウンド”を楽しみ、今年5月の喜寿の会(淡路島)を約束してお別れとなりました。

           松本楼前にて
             

 

 近大マグロは、近畿大学水産研究所が1970年から研究を開始し、2002年6月に完全養殖に成功したマグロ
なのだそうです。 稚魚を天然から捕獲して養殖した蓄養マグロではなく、養殖施設の中で人工孵化した
完全養殖マグロであり、これによりマグロ資源の減少を防ぐことが可能とされる。マグロの稚魚は皮膚が弱く
刺激に過敏など様々な困難な問題がありましたが、研究を積み重ねた結果、2002年6月に完全養殖に成功するに
至った とありました。


 あ楽しみオートスライドです。(2分40秒) 

 

 

 

 

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東京支部総会‘15  (bon)

2015-11-09 | 同窓会

 先週の土曜日(11月7日)は、高校の同窓会東京支部の年次総会が大手町サンケイプラザでありました。
本部(大阪)の総会は、毎年6月に行われていて、東京のそれは10月~11月に実施されています。

 かっては、私と同期のもう一人は、この支部のお世話役を長年担当していましたので、我が同期の
皆さんは絶大なる支援、協力をしてくれていて、既にお役御免となった今でも大勢の同期の皆さんは
この支部総会に出席してくれています。

 60年以上の歴史を持つ東京支部は、今年も ご来賓として、母校の校長先生はじめ、同窓会会長、
同副会長、東海支部長が出席され、楽しい雰囲気の内に開催されましたが、それぞれのご挨拶から
遠く離れた母校関連の現状が伺われて、会場の皆さんは、各々昔の自分との繋がりに思いを馳せていた
ことでしょう。

                  支部総会風景 (母校校長先生のご挨拶)
                


 出席者の年齢差は40歳もあろうかという幅がありますが、わずか3年の間、同じ学び舎で過ごした仲間
というだけで、このように和気あいあいと集えるのは、不思議といえば不思議ですね。年齢が違っても、
この場が初めての出会いでも、お互いが親しく接し合えるのは、やはり同窓会の醍醐味とでもいえるので
しょう。

  NHK朝ドラ「あさが来た」で、もうすぐ学校を造る話が出てくるのですが、そのために用地を手配
しながら、その学校は、結果的には東京で設立されますが、手配した用地に、大阪府として初めて
高等学校を設立したのが、わが母校の始まりなんですね。 1900年頃の話です。

 その後、大正年間に入って、当時の大阪市長は、愛娘をこの学校に入学させたため、我々の遥か先輩に
あたる方であり、すでに亡くなられましたが、数年前まで、この支部総会にも齢90歳を超えて出席されて
いました。 その人は、秋篠宮妃殿下 紀子さまのおばあ様なんですね。 
また、20年前のNHK朝ドラ「走らんか」では、母校がモデルとなったり・・などの話題があります。

  議事、会食が終り懇親会イベントとして、卒業生が属する高瀬道場の若い女性剣士20名を動員した
剣舞のご披露がありました。
手狭な会場ながら、真剣なまなざしの凛々しい立居振る舞いの中にも艶やかな色彩を放つ見事な剣舞でした。

 剣舞
   

              


 同期のみなさん              全員で記念写真
  
         

 例年のイベントは、卒業生による講話が主ですが、今年は、趣向を変えて華々しい賑わいでした。
総会終了後は、同期だけで近場でお茶して、来年の新年会や淡路島同期会の話題など、再び懇親を深めて
お開きとなりました。

      お茶風景
        

 

 大手町会場前 ここには、昔、訪れたことがある逓信博物館は今は無く、遠くにはスカイツリーが
見えています。
           
             交差点正面のビルの手前が、逓信博物館でした。

 

 

 

 

 

 

 

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春のハイキング~さくら~  (bon)

2015-04-17 | 同窓会

 昨日、4月16日は、このところの寒い雨続きのお天気から一転、奇跡のような穏やかな、汗ばむくらいの
好天に恵まれました。

 東期会の春のハイキング(最近は、秋のハイキングはあまりやっていないですが)は、JR高尾から
徒歩10分のところにある 「独立行政法人多摩森林科学園」 内の山道風の遊歩道で楽しみました。
すでに、さくらは関東では終わってしまいましたが、こちらの園内には、総数1300本もの桜が植栽されている
そうで、折しも特別企画として 「みやこの桜を愉しみましょう」 が開催中で、名だたる18種がノミネートされて
いました。
既に、花が終ったのもありましたが、まだまだたくさんの花を楽しむことができました。
京都ゆかりの桜ということで、いくつかその品種を挙げますと、“祇園枝垂れ”、“高台寺”、“御所左近の桜”、
“御所御車返し”など、それらしいさくらのオンパレードでした。

佐野ざくら                     高台寺
   

 

 園内は、ウイークデイにもかかわらず、大勢の人々で賑わっていました。
私たちのグループは、今年新年会でも会っているメンバーですが、アップダウンの道々での語りや、
お昼のおべんとう時の会話も楽しく、若返る思いのひと時でした。 

        お弁当を食べた近くの 白山大手毬
             


 一回り散策して,ほど良い疲れを感じる頃、出口(入口)付近の 「森の科学館」 では、学芸員から 
“さくらについて” を20分ほど説明を受けました。

 サクラは、古く平安時代からその美しさが認められていたとのことですが、江戸時代に入って、いろんな
品種栽培が盛んに行われ、新品種、突然変異の品種などの誕生を経て今日、これらの伝統的サクラを
絶やさないために、接ぎ木手法で、増殖がなされているとのことでした。
良く知られる、“ソメイヨシノ” は、東京染井村の植木職人によるオオシマザクラとエドヒカンサクラの交配種と
されています。 オオシマサクラといえば、桜餅、道明寺の桜の葉っぱでお馴染みですが、桜の中でも
花が大きいなどの特徴があり、これを父(又は母)とする品種はかなり多いように感じました。

 ところで、桜は、“バラ科” の植物ですが、このバラ科には90属、500種に及ぶたくさんの種類の植物が
あるのです。
バラ科には、3つの亜科があり、その内の2つの亜科にたくさん種類があります。 “バラ亜科”には、もちろん
数々のバラがありますが、その中リンゴがあったり、イチゴ属にはイチゴや、ワレモコウ属などがあり、
もうひとつの “サクラ亜科(モモ亜科)” には、サクラ属の他、サクランボ、ウメ、モモ、アンズ、アーモンドなども
あるのです。 また、ヤマブキ属、シモツケ属などもあるといいますから、改めて驚きました。

 花の山を歩いて、お勉強なども出来、満足の内に、駅前にてお茶してお開きとなりました。


  オートスライドをどうぞ~ (約2分) 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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