蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

サンフランシスコ講和条約  (bon)

2013-04-28 | 日々雑感、散策、旅行
ロスではなく、シスコです。

 今から61年前、1952年の4月28日、前年9月に調印されたこの講和条約が発効した日で、
先の敗戦で約7年にわたってGHQの占領下にあった日本がこの日をもって独立国となった。
また、同時に日米安全保障条約が発効した。
そして、条約発効後も北緯29度以南の奄美群島、小笠原諸島、沖縄については、そのまま米国の施政下に置かれたのでした。

 この日を記念して、今年3月12日に政府主催の記念式典を開くことを閣議決定した。
その名を“主権回復記念式典”として初めて今日4月28日午前都内の憲政記念館で開催されたのでした。

 しかし、沖縄ではこの日を“屈辱の日”とし、奄美では“痛恨の日”としており、この式典に抗議し、デモなどが行われている。

会場になった憲政記念館
     (ネットより借用しました。)


 ネット日経での論調は、“考えるべきは何か”という見出しで

“・・1997年に「主権回復の日」の政府式典開催を求める学者らが集会を開いた。趣意書には
「占領軍即席の憲法」との表現がある。  参加したのは、先の戦争は聖戦で、東京裁判は不当な断罪と考える人たちが多かった。

 政府式典がこの延長線にある行事だとすれば、多くの国民が首をかしげるだろう。
自民党もその時点では式典開催に動かなかった。 きょうの政府式典を開く原動力になった主権回復記念日議員連盟の考え方はこれと同じではない。

 そもそも日本はなぜ主権を失ったのか。正義は日本にあったが、力及ばず負けたからなのか。
そうではなく、日本が誤った道を選んだことこそ原因ではないのか。
議連の野田毅会長は戦後日本の出発点の日を明確にすれば、それまでの日本がどんな失敗をしてきたかが
浮き彫りになると説く。
 日本は戦争責任がどこにあるかを曖昧にしてきた。それが歴史認識の食い違いを生み、
戦後68年を経てもときに周辺国とあつれきを生む一因になっている。

 戦争に突き進んだ道筋を振り返れば、中韓との関係改善の道もみえてこよう。
政府式典の正式名称に「国際社会復帰」という単語が足された狙いもそこにある。・・” と。

 つまり、この記事にもある通り、“主権回復記念日”は、祝賀の日であるのではなく、一つのメモリアルとして
過去の反省と新しい出発の方向性を改めて考える日なのですね。



 61年前は、私は中学一年生でした。
当時“かべ新聞”というのがあって、模造紙に新聞のようにいろいろな話題を記事にして発表する・・
そんな活動にこのサンフランシスコ講和条約発効をトップ記事として取り上げたのを覚えています。 
しかし、日米安全保障条約が同時に発効して、“進駐軍”が“駐留軍”となって居残る不自然はありましたが、
当時はそれほど大きな問題とは考えてもいなかったようです。

 それから、8年後、大学生になって“60安保”で御堂筋をデモしたのでした。


 中国、韓国と何かにつけてギスギスしているのは、やっぱり、日本は敗戦国で、61年前の条約発効によって
“やっと”主権(独立)を回復させてもらったのに、経済成長著しく経済大国として“君臨している”
ことが許せない・・そんなことが根底にあるのでしょうね。


参考資料:主権回復祈念式典はテレビ報道もされず、新聞、テレビも大々的に取り上げておらず、国民の目を避けて静かに行われた。同日行われた主権回復祈念式典国民集会では、自民党の一部代議士からかなり激しいスピーチがなされ、その模様がYoutubeで投稿されていたので、掲載したが、主権回復式典の意義をどのように考えればよいのかの、参考にされたい。(mak)


政府インターネットテレビ「主権回復、国際社旗復帰を祈念する式典」

主権回復式典国民集会








NHKスペシヤル「御前会議」
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

八リウッドを眺めて!

2013-04-27 | 日々雑感、散策、旅行
山の上にあるハリウッドの標識を町から眺めると

この光景を見るとハリウッドに来たと実感できますね。
ちょっと変わった処からハリウッドの山を眺めることに!


ロスは雨が少なく水不足に対処するため
大きな貯水池(ダム)が作られているので、
散歩がてら(1時間ぐらいかなぁ)に池の周囲を歩くことに・・・


貯水池の案内図



ジョギングする人、散歩する人、

撮影する人たちなど・・・
貯水池はフェンスで囲まれているので近づけませんが、
車も入れないので安心して歩けます
巨大な松の木

木の名前がわかりません、
赤いブラシのような花を咲かせていました。
右の人と比較してみてください。

 
水たまりにはカモのつがいが

斜面の上には


大きな邸宅が・・・

歩いている途中で見えた「HOLLYWOOD」



貯水池(ダム)から眺めた町の様子・・・山の斜面に沢山な家が・・・



予定より大幅オーバー2時間近くかかりましたが
自然の中を楽しく散歩してきました。
サマータイムが適用されているので
夜7時(日本です夜8時)くらいまで明るいです。

色々な公園が近くに有って散歩し、up downがきつく
息切れがします。蓼科の畑作業を考えればよい鍛練と考えて頑張っています。
あと10日となりました。
今日は食材を買いにリトル東京に行って夜はすき焼きです。
ではまた
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

かぼちゃとスイカ  (bon)

2013-04-25 | 蓼科浪漫倶楽部 畑
今年も、蓼科農園の季節が近づいてきました。

 蓼科農園用の苗を作るため、今日25日にpookyの指示通りポットに蒔きました。
Pookyがロスに出発前に、郵送されてきた“かぼちゃとスイカのタネ”です。 
忘れないようにカレンダーに書き込みをして、昨夜水に浸けておきました。

 土は、新しい培養土とパーミキュライトを大体2対1くらいにしたものを使いました。
箱に入れて、水をやって夕方から室内に取り込みました。発芽すれば室外の太陽に当てようと思っています。
かぼちゃが10個、スイカが8個ありました。
     (左がかぼちゃ、右スイカ)

 うまく発芽することを祈っています。

 この苗は、5月下旬か6月初めの“大合宿”に持参することになります。
なので、時間的には1か月余りありますから丁度良い大きさになっているでしょう。


 約1か月前に蒔いたレタス(ベジタマ)は、まだこんなに小さくて、ひょっとしたらこれは失敗作かもしれませんね。
     

 しかし、これから暖かくなるのでもう少しこのまま見守っておこうと思っています。
うまく行けば、これも蓼科農園行きとなっています。

皆様、かぼちゃ、スイカ、レタスをご期待ください。




私が小学2年生の頃、阪大病院に入院するおふくろを見舞って、窓から堂島川を眺めていた時によく聞こえていた、
当時流行していた歌(歌謡曲)です。

  














コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ユニクロを着てマスターズに勝った A Scott (mak)

2013-04-24 | スポーツ、芸能、映画

この写真は、先日のオーガスタゴルフトーナメントでロングパットを沈めて、初優勝を果たし世界のゴルフファンを驚愕させたScott Adams豪選手が、最高のガッツポーズをしている瞬間の写真である。右胸にはかのベンツのマーク、左胸にはええつ UNIQLO !

この瞬間、テレビには写されていないが、その斬新な経営手腕で、世界市場で驀進を続けるユニクロの柳井社長が「してやったり」とほくそ笑んでいたであろうと.........オーストラリアに1年以内に初出店する計画のユニクロが、初めてゴルファーと契約したのがオーストラリア人のScottで、彼もユニクロをゴルフシャツとして着たのも初めてである。

Scottにとっても、ユニクロにとっても、幸運な結果となった。柳井さんがまさか優勝するとは思っていなかったであろうが、ラッキーな買い物となったですね。柳井さん!

オーガスタゴルフトーナメントが始まる、直前の4月9日にユニクロ社と契約したScottAdams は、初日に、左胸に“UNIQLO”のロゴが入った白地に赤ボーダーのポロシャツで登場し,公式会見に出席。海外の報道陣から「そのポロシャツは誰が作っているの?素晴らしいポロシャツだね」とさっそくほめられると、「これはユニクロが作っているゴルフシャツだよ」とさわやかに笑顔を見せた。4日間の毎日、色やデザインの違ったユニクロシャツを着用して、ベルトや下着もユニクロを着て、優勝を果たしてしまったのである。

これから、世界の一流ゴルフ場のあちこちで、ユニクロなど知らなかった、着たこともない年配のおじさんたちが1950円のポロシャツと2950円のパンツをはいて、プレイする姿を想像すると、なんとなく微笑ましい気分になる。 

海外戦略:

これを契機に、ユニクロのグローバルブランドとして、更なる飛躍が期待される。

今や売上1兆円企業となったユニクロの海外進出は、2001年のイギリス ロンドン出店にはじまり、中国、米国、香港、韓国、フランスと世界市場への進出を果たした。
2006年11月にグローバル旗艦店として、開店したソーホー ニューヨーク店は、1000坪という広大な売場面積に加え、日本発のブランドとして、日本のトップクリエイターを結集した店作りで、ニューヨークの人々を驚かせました。

 会社の成否は、経営者の手腕次第であると痛感する次第である。

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ロスの小さな家庭菜園(pooky)

2013-04-23 | 日々雑感、散策、旅行
ロスの高台にある家の裏庭に夏野菜の苗
日本のナス、シシトウ、キューり、ピーマン、ミニトマトの苗を
その他レタスなどの種を蒔きました。

昨年植えた後で現状は草ぼうぼうでした。

スコップで掘り返し堆肥と肥料を施肥しました。堆肥は牛糞の発酵品で28L/1ドルでした。

レタスなどの種は2日で発芽し順調です。
 
ロスは雨が少なく年間で20日ほどしか降らないそうで乾燥しているのでマルチしたうえで
水やりを毎日してやり元気よく根付いたようです。
菜園の今の状態ですが2日~3日置きに水やりが必要なようですね!


私が帰る頃までには4~50センチの高さには育つでしょう。
日当たりがあまり良くないのでどれほど収穫できるか?
私がやったので、日本式の家庭菜園ですね。

近くの家を見ても野菜畑を見かけることは少ないですね。
なぜなんでしょうか?

こちらでは有機栽培の野菜、ジャガイモなどの根菜類、それと牛肉なども飼育でナチュラルなものとして少し高く売られています。それ専門のスーパーがあるのには驚かされました。
何でもかんでもエコとオーガニック指向の世界なんですね。

余談になりますが
ごみは
●生ごみ
●リサイクルできるもの、ビン、カン、段ボールや紙類、プラスチックは一緒
●木や草などはグリーンボックス
このように3つに分けているだけです。
リサイクルできる品はどのように仕分けしているのか?興味ありますね。

では次は・・・
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

黒船祭   (bon)

2013-04-20 | 日々雑感、散策、旅行
米国のペリー提督がポーハタン号で1854年(嘉永7年)に下田へ来航した・・あの黒船のことです。

狂歌・・「泰平の眠りを覚ます上喜撰たつた四杯で夜も眠れず」は、当時の模様を呼んだものですね。
“上喜撰”は緑茶の銘柄だそうですが、もちろん“蒸気船”にかけていて、
緑茶をたった4はい飲んだだけで眠れなかった・・わずか4隻の蒸気船が来ただけで国内が騒乱して大騒ぎとなった・・んですね。
4隻のうちの一つ、“サスケハナ号”(ウイキぺディアより)
     (蒸気外輪フリゲート 3,800t)


 このように見ると、あまりおめでたい話ではないのに、“なぜ黒船祭”なのか?

この祭り、ちょっといい加減?なところがあるようで、当時、開港80周年を記念して、
第1回の祭典を昭和9年4月20日に開幕、2週間の日程で繰り広げられたとのことですが、その頃、
東京音頭が流行し、神戸港祭りも華やかだし、ここはひとつ「何か一つ、ぱぁっとやらければ駄目だな」と
町役場と保勝会(観光協会)で発案されたとか。
その後は、例年5月の第3土曜日あたりに開催されているそうです。
     


理屈的には、幕府側全権と日米和親条約付録下田条約を了仙寺で締結し、薪水供給基地として下田が開港され、
さらにハリス総領事が柿崎・玉泉寺へ日本最初の米国総領事館を設置して幕府と日米通商条約を締結しました。 
そして、安政5年(1858) 下田条約は日米貿易に先鞭を付け、日本開国と近代化を推し進める契機になった・・
とされています。
 玉泉寺 と ペリーロード
         

玉泉寺や了仙寺は、よく知られた観光名所で今日も多くの人が訪れていますね。
季節も良く近くでもあり、ちょっと出かけられては如何でしょうか。


以前、何度かこのあたりに行ったとき、お昼時に近くのお店で食した金目鯛の煮つけが大変美味だったことを思い出しました。

電車で行ったとき、偶然このような展望車“黒船号”に乗り合わせたのでした。
     















コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三軒茶屋   (bon)

2013-04-18 | 日々雑感、散策、旅行
久々のランチの会は、三軒茶屋でした。  お店の名前ではなく、世田谷区の地名です。

何時ごろ、なぜこのような名前が付いたか? が最初の話題の一つになりましたが、大体予想は当たっていたようで、
ウイキペディアによれば、

「江戸中期以降、社寺参詣ブームで賑わった大山道と登戸道の分岐(追分)付近に石橋楼、角屋、田中屋の
三軒の茶屋が並んでいたことに由来する。この呼び名は文化文政の時代には既に一般的なものとなっていたようである。
大山道(大山街道)は、現在のほぼ国道246号にあたり、瀬田、二子橋を渡り大山へ向かう。
登戸道は、井伊家知行地の世田谷代官屋敷や世田谷の上町(武家町)を通って登戸に向かう街道筋であり、
現在の世田谷通りにあたる。」とありました。


 ひとくされそんなことを言いながら、駅前のキュロットタワーの36階へ・・・
そこでランチタイムとおしゃべりタイムだったのですが、ここの展望は180度開けていて、
写真には写らなかったようですが、はるか東京スカイツリーも(東京タワーも)望めるすばらしいものでした。
    

          
お昼少し前に入ったのですが、瞬く間に満席になるくらい人気のスポットのようでした。
なので、後ろ髪惹かれながら、早めに引き揚げ、初めての世田谷線に乗って豪徳寺へ。

入社した時の寮が小田急線の千歳船橋にあり、新宿までのところに“豪徳寺”という駅があったので、
名前だけはよく聞いていましたが境内に入るのは初めてでした。 
    

街中とは思えない静かな、ゆったりと感じられた境内に、今を盛りと(例年よりは早いそうですが)
大きなこぼれそうな牡丹の花が色とりどりに咲き競っていました。
藤も始まっていましたし、つつじもちらほら・・大変きれいな季節に偶然お参りしたことになりました。 
ボランティアのオジサンが近寄ってきて、いろいろな話を聞かせてくれました。 今は牡丹だが、
秋のモミジもそれはきれいだからと、何度も誘ってくれたのでした。

井伊家ゆかりの寺であり、井伊直弼のお墓が奥まったところにありました。彦根、近江と3か所にお墓があるそうです。 
話は一転、安政の大獄、八重の桜に移っていきました。
     


振出しに戻り、いつものようにお茶しながらのダべリングに時間の過ぎるのも忘れて、幅広い話題や昔話に花を咲かせて、再会を約束しました。
世田谷線 三軒茶屋ターミナル
     


makは、先日桜の頃にこの界隈にきて、おいしいお酒にありついたそうでしたが、我々のはランチの会・・ということでノンアルコールの一日でした。







三軒茶屋 エリアマップ







コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

めずらしい野菜   (bon)

2013-04-17 | グルメ,Romantic cook
先日、朝のテレビで聴きなれない野菜を取り上げて、“あ~だ、こ~だ”といっていたので、
ちょっと気になりまして、調べてみました。
その道に長けた方や、ご存知の方も多いかもしれませんが、私には初めて聞くような名前でしたので・・・。 
以下には、ネットサーフ結果をまとめてみました。

カーボロ・ネロ 
結球しない葉キャベツのこと。葉の表面はちりめん状で、別名黒キャベツと呼ばれていますが濃緑色で
トスカーナ地方の特産品種とありました。 
トスカーナ地方というのは、ご存じこの州都はフィレンツェ。 “あぁ~”。
                     トマト煮込みカーボネロの豚バラ炒め
         
 
植え付けから約6~70日で4 0cm程度に伸びた若葉や脇芽を随時収穫するというが、
手間がかかるようでもありますね。 
ビタミン・ミネラル等豊富で、オリーブオイルとの相性も抜群、炒めもの、スープ等トスカーナ料理には
欠かせない高級食材だという。
 
イタメシは“Kシェフ”にお願いしなければなりません。 しかし、これを買い求めるのが難しいかもしれません。
いっそ、タネから育ててみる・・? これはpookyさんの出番かも・・。


コールラビはアブラナ科の越年草。球状に肥大した茎部を食用とするのだそうです。
語源はドイツ語で、キャベツの意味のkohlとカブの意味のrabiより付けられている。
和名はカブカンラン(蕪甘藍)、カブタマナ(蕪玉菜)などという・・とありました。(ウイキペディア)
 ヤセイカンランは、コールラビやキャベツなどの野生種であり、そこから茎の肥大性に着目した
人為的な選抜により作られた・・とか。
                      コールラビのペペロンチーノ風
         

風味や食感はブロッコリーの茎やキャベツの芯にやや似ているそうですが、それより果肉部の率が高いため、
柔らかく甘みがあるらしい。特に若い茎ではリンゴのようなさくさく感とみずみずしさがある・・・。


スイスチャード これは、フダンソウ(不断草)とも呼ばれるそうですが、
「アカザ科フダンソウ属の耐寒性一年草-二年草。 葉菜として改良されたビートの一系統(リーフビート)で、
甜菜やテーブルビートとは同種。
サラダや炒め物で美味しい。ホウレンソウに似ているが比較的季節に関係なく利用できるので「不断草」とよばれる。」
                      スイスチャードのソテー
        

「欧米ではレッドチャードの若葉がラムズレタスなどといっしょにサラダとしてよく使われる。
 また、沖縄県では「ンスナバー」と呼ばれ、「スーネー」または「ウサチ」という和え物や
「ンブシー」という味噌煮に仕立てる。沖縄では冬野菜として利用される。
他にも様々な地域名があり、岡山県ではアマナ、長野県ではトキシラズやキシャナ、兵庫県ではシロナ、
京都府ではタウヂサ、大阪府ではウマイナ、島根県ではオホバコヂサと呼ばれる。
セイヨウフダンソウは葉軸の色が赤・黄・白・ピンク・オレンジなど。スイスチャードの名前で種苗店で販売される。」

あぁ、そうなんだ。ひょっとしたら身近な野菜であったのかもしれませんね。
今後気を付けてみたいと思います。


最後に、パースニップ(Parsnip)は、セリ科の二年草(まれに一年草)。
ニンジンに似た根菜で、別名にアメリカボウフウ、シロニンジン、サトウニンジンともよばれている。ヨーロッパが原産。
                      カレーシナモン風味のパースニップ炒め
         

ニンジンのような肉質の白い主根を食用とする。ニンジンに似た香気があり、味は淡白で甘みとわずかな苦味がある。
煮崩れしないため、ポトフやシチュー、ボルシチなどの煮込み料理に適している。


 これなんかはひょっとして食したことがあるかもしれませんが、知らないうちに・・で
終わっているかもしれません。
皆さんはどうでした・・?















コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新緑3題  (bon)

2013-04-16 | 花鳥風月
 ベランダにも、さわやかな新緑が戻って来ました。 
といってもどこにでもある、珍しくもありませんが、レンズを向けてみました。


 元々購入時は、樹形も良くそれなりに手入れも行き届いていてきれいでしたが、もう10年も過ぎてしまうと、
放置状態が続いたり、剪定がうまくなかったりで被写体的には“はずれ”ですが、
それでも新しく出てきた初々しい緑は何ともやわらかで美しく感じたのでした。

 目にアオバ 山ホトトギス 初ガツオ・・・
大変良い季節になりました。 関東の春は、、風が強く落ち着きませんが、風がゆるやかだと
なんとも気分の良い春、桜も終わった新緑の暑い日射しが来るまでのさわやかな季節です。

モミジの新緑です。
     

 モミジは一般にはカエデと呼ばれています。
カエデは、“かえる手”つまりカエルの手の形状からきているというのですが、この写真のは、
カエルの手より、もっと切り込みが深いので、形状的には呼べないかもしれませんが、
イロハカエデの仲間だそうです。

ところで、カエデ属を総称して“Acer”(アセル)といいますが、これを“エイサー”と読めば、
かってIT製品で調達候補として頻繁に出てきた台湾のメーカを思い出します。


白カピタン。
シロハナヤマフジといい、房が短いもので、色はムラサキっぽい藤色もありますが、ベランダのは白です。
当て字でしょうけど“白花美短”と書くそうです。
一般に藤の学名は“Wisteria”といいますから、店の名前などにも良く見かけますね。

     

確かこのブログに以前にもアップしたようですが、今回は、薄緑色したやわらかい新緑がメインです。


どうだん。
いつもおまけが付いていますが、今回は、満天星(ドウダン)です。
     

 これも、ブログアップしましたから、お馴染みですが春の新緑時期には、このようなスズランに似た
小さな花が一面に咲いています。 

 いつも思案するのですが、このどうだんの剪定を何時にすればよいのか?です。 
冬にすれば、春のこの花が、つまり花芽が切られてしまうのではないかと思いますし、夏の終わりか秋の手前は、
あの燃えるような紅葉の妨げになるのではないか・・と。

ということは、この白い花が終って、葉がまだまだ成長期にある5~6月頃なんでしょうか?

そんなことを思いながら、今日はのどかな一日でした。














コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水漏れ  (bon)

2013-04-15 | 原発
 何とおざなりな、知恵の無い対処だったのか。 あきれるばかりである。
当事者のトップは、“大変ご迷惑をかけて申し訳ない”と頭を下げるだけ。
申し訳ないと思うのであれば、なぜもっと慎重な安全策を講じなかったのか? 

国も国で、このような体たらくが分かってから腰を上げるのではなく、これまでの経緯もわかっているし、
その対応組織もあったのに、なぜこのような不始末になったのか? 政権が変わった歪からか?
こう言うことが、政府にも当事者にも不審感を増強しているのである。


 何に怒っているかといえば、福島第一原発に地下水が400トン/日も流入していて、この汚染水を排水するための
タンクがもうすでに900個満タンになっており、新たに地下貯蔵所を7か所作っていたが、
その内から放射能汚染水が漏れていた。
実に深刻な問題であるにもかかわらず綱渡り的な処置しかとり得ていないのだ。

     (ネットから引用しました)


 汚染水の量が2万7000トンあるという。 水漏れの原因はわからないという。
地下貯蔵所はまだ未使用のものもあるが、この方法を中止して、新たに別のタンクを建設してそこに汚染水を移すという。 
400トン/日の汚染水が出てくるというのだから、新設のところだって、そう長くはもたないのではないか・・? 
地下貯蔵所からタンクに移し替えるポンプにも不具合があるとかいって作業が予定通り進んでいないそうだ。

 こんな綱渡り・モグラたたき方式で、いったいこの国の対処姿勢はどうなったのか? 
もっと根本的な地下水の流入を止める方策とか、汚染水の浄化方法とか簡単でないにしても、やるべきことがあるだろう。

そもそも、国が前面に立って指導していたのではないのか・・? 
当事者も当事者で、早々と値上げだけは決めておいて、肝心のことは人任せ・・? 
社長は、“謝るだけの要員”ではなく、社内にあって適切な処置、対策を判断し指示するトップではないか。
















コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

戦友との飲み会  (bon)

2013-04-14 | 日々雑感、散策、旅行
といっても、20数年昔の職場仲間の年に一度の飲み会が金曜日にありました。

 この職場は、いわゆる法人向けの営業部門の中に新設された部署でした。
この新設部署には、色んな職場から、それぞれの知識と経験を有したツワモノの集まりといっても過言ではない
異色の職場でした。 当時のIT技術を駆使した“お客様の課題・問題解決”を主眼とした営業スタンスで、
いまでは当たり前ですが、当時としては(特にこの会社としては)初めての試みで、
何をどのように進めて行けばよいのかも分からず、すべて自分たちでその方法論を決め体制を決めて取組んで、
それなりの成果を収めていた自他ともに認める力のこもった職場でした。
 

 そんな仲間の集まりでしたから、あれから20数年経っていますが、みんな元気で既にリタイアした人もいますが、
大企業の社長や監査役で頑張っている人もいて技術も環境も一変していますが、
それぞれの近況スピーチの中には当時の思い描いていた熱い思いが今も変わらずその片鱗が受け止められるのでした。

 自己の想い出話になりますが、会社のこれまでの事業スタンスはシステムや機能を説明して売り込む、
いわば“押し売り式”のやり方‘(販売)でしたが、新設の職場は“すべてを受け入れて”
お客様の問題を解決する・・当時の言葉でいえば、“ソリューション”提供型(提案営業)の部署でした。
お客様の課題や問題を抽出して、それを解決する手段の提案から運用までのトータルなインテグレーションを
目指した職場でした。
お客様とは、超一流の全国規模の大会社700社あまりで、検討依頼も勿論ありますが、自主的にこちらから
課題・問題を抽出しては、お客様のどこに提案を持ち込むかも含めて当方で思案しながらの戦略?を
めぐらした戦法のようでした。
ひょっとして、お客様を困らせていたのかもしれませんが、結果的にはかなりの割合で受注していましたから
むしろ喜ばれていた・・?

 この職場は、お客様の課題・問題を抽出して提案する“上流工程”を担当する部門50名ほどと、
それを実現するための設計・構築する部門にわかれ総勢200人くらいの規模でした。
更に実際には、メーカーや専門事業者への発注をしますから全体としてはかなりの事業規模ではありました。


 恒例の飲み会に集まるのは、この上流工程を担当していた仲間たちです。
やはり、それぞれに当時の苦心や活躍が心に残り、それなりに充実した自信が後の職場へと繋がってきた
そんな思いがあるのかもしれません。 現在のそれぞれの職場は違っていても、そこに流れる精神は
今も共に分かり合える、楽しさを実感した飲み会でした。


 少し早目に出かけたので、始まる前に日比谷公会堂が80周年記念とかで、懐かしいポスターなどを
展示していましたので、ちょっと覗いてみました。
 東京市長であった後藤新平の主張により、1929年に竣工した、「東京市政調査会(市政会館)」
およびそれに併設する公会堂である。コンサートホールとして、内外の著名な演奏などが繰り広げられてきた、
そんな歴史が伺えました。 
 公会堂に隣接する、日比谷公園では錦鯉の展示会場としてその準備が行われていました。

            (ウイキペディアより)




当時の職場を思うとき、なぜかナバロンの要塞、荒野の七人の映画を思い出します。

  










コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ロサンゼルスより(pooky)

2013-04-13 | 日々雑感、散策、旅行
今ロサンゼルスの娘の家に来ています。
孫ができ家内の手伝いに一緒に付いてきました。
町を走っていると相変わらず車社会であることをまざまざと見せつけられます。
FreeWayは片側4~6車線あるんですから・・・
郊外の高台に住んでいるんで眺めはいいですが買い物などは大変なようです。
散歩で見た花が咲き乱れる街並みを紹介しましょう。


サボテンが目印に
<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/24/f41ffac157b23d19380b80952fa4657e.jpg" border="0">
道路標識

名前がわかりませんが歩道に咲き乱れています。

ラベンダー

ブーゲンビリアの花




アロエの花

ハイビスカスの花

高台から見える道路は6時半ごろからダウンタウンに向けて渋滞状態です。

ロスのダウンタウン

林の向こうにドジャースタジアムがあるそうです。


気温は夜は15℃くらい、昼間は20~25℃で乾燥しています。
街並みの草花などを見ても暖かい住みやすい街のようです。
今は12日朝の10:10です
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

TPPと農業  (bon)

2013-04-11 | 日々雑感、散策、旅行
TPPに参加すると、日本の農業は潰滅すると農協は大反対をしている。
世論調査では、日本は参加すべきだと思う人が61%であるのに、農協はこれに反旗を振りかざし、
1120万人の署名を集め反対の姿勢を強めている。
 
自民党の票田と言われてきた農村部を敵に回したくない思いもあり、政府として「聖域なき完全撤廃が条件でない・・」
という鎧を付けて前に進めている。 
交渉参加は、前政府民主党野田総理(当時)が内部反対をしり目に決断したところでもある。


交渉参加が認められるためには、各国の了解が必要であり、先日にはメキシコ首脳が賛成を表明し、
アメリカ議会も検討に入るという段取りにまでなってきた。


一方、農業に携わる人々は高齢化が進み、若い後継者不足とも言われており、すでに生産をしていない耕地が
増えているというではないか! この事は、TPPとは関係なく、それこそ日本の農業にとって問題なのではないか。 

そんなことを思って、農水省他のネット情報を検索してみました。
   農業就業人口の推移                        耕作放棄地面積の推移
       
    


農業就業人口は、平成2年の482万人に対して平成22年の260万人と半分近くに減少しており、
平均年齢はますます高くなりH22年では65.8歳となっている。
また、耕作放棄地面積も年々増加の一途にある。


一方、農業就業人口の年齢別構成を世界で見ると、図のように65歳以上人口が日本が際立っていることが分かる。

    
    


そして、休耕地の地域類型別グラフから都市部でも山間部でもどこでも同じような傾向にあることを示している。

    



ついでに、米の作付面積の推移を見てみると、水稲ではピーク時の約半分に減少しており、
陸稲では何と、ピーク時の40分の1にまで減少している。

           




 このような、状況をみると、やはり感覚的に日本の農業が危ない、
何とかしなければいけないのではないか・・特にコメについて。 
これはTPPの問題とは関係のないことである。


さらに、
生産農業所得統計(農林水産省統計部)によると、平成20年度の農業総産出額は8兆4662億円で、
その内訳は、コメが22.5%、畜産が30.5%、野菜24.9%そして果実が8.8%、その他耕種が13.3%である。 
ここで、野菜はコメより産出額が多く総産出額の約1/3あるが、野菜の関税は0~3%くらいだから、
殆ど壁がない(自由化されている)が国内産は80%に及んでいる。


ところで、主な産物の関税はどれくらいになっているか、
“FTA/EPA情報局 日本の主な高関税農産物”によれば、

コンニャク   1706%  97億円
コメ       778%
落花生     737%   95億円
でんぷん    583%
小豆(あずき)  403%
バター      360%
砂糖       305%
大麦       256%
小麦       252%
脱脂粉乳     218%

コメは農業総産出額が22.5%と高いので778%という高関税率で守られている。

しかし、
“池田信夫Blog TPPについてのウソとホント”の記事によれば、先ほどの野菜について、
農業生産額の3割を占めているが、ほとんどの品目のゼロから3%だが、国産比率は80%ある。
さらに、「花の関税は一貫してゼロだが、90%が国産。
果物の関税率は5~15%だが、たとえばリンゴでは輸入品の比率は0.01%。むしろ輸出が増えている。
バター(360%)や砂糖(328%)などの原材料の関税が高いため、乳製品やお菓子の価格が2~3倍になり、
国際競争力を失っている。

関税の撤廃で明らかに影響が出る重要な作物は関税率778%の米だ。


 つまり、コメ農家と野菜農家を比較すると、農業総産出額では24.9%と22.5%とほぼ似ているので、
仮に農業総産出額を同じとすれば、農家数が野菜農家はコメ農家の17%しかないということです。
農業総産出額でいえば、野菜農家はコメ農家の6倍程度の売上があるということなのです。

米は778%という高関税率で守られている一方、野菜は関税率が3%程度のなのです。
関税率が3%程度といえば、関税に守られていないに等しい野菜農家です。

その野菜農家が、関税の保護が無ければ農業が壊滅すると言われているのに、返ってコメ農家の6倍程度の売上があり、
かつ82%の国産率を維持しているわけです。

TPPで壊滅すると報道される農業の実態と随分とイメージが違いますね。」


したがって、農業従事者の平均年齢はすでに65歳を超えていて、農業と言う産業はもともと危機的状況にあるわけで、
TPPに参加してもしなくてもいずれ消滅するような産業だといわれている。
ただTPPの参加によってその消滅への速度が加速度的速さに変化するだけなのだ。
特に米農家は壊滅的なダメージを受ける。

米の関税は現在778%と大変高率だが、それが撤廃されると、米の販売価格は現在の価格の約三分の一以下となる。
これが、ブランド米以外の米相場は急落し、農家の生産コストを大きく割り込み、廃業し失業者が
農業関係者で350万人になるという。

コメ農家の問題なんだ。 
しかし、外国のコメがすべて日本のコメを駆逐するわけではないと思います。 外国のコメは潮粒種が殆どで、
日本人が好む短粒種は少なく、どの程度の影響を与えるかは一概に言えないと思うし、世界のすべてのコメが、
日本に入るとも限らないのではないだろうか?


 農業の本質的な問題を掘り起こさないで、TPPがすべて悪であるような反対をしているのではないだろうか? 
戸別所得補償のような保護政策をとっているような、意気の上がらない政策すらただちに見直すべきではないだろうか?


慶応大の渡辺頼純教授が提言しています。

見直すべき3つの制度
1)減反と高関税政策の見直し
*コメの市場価格が引き下がり、低コスト体制に耐えられない小規模兼業農家が淘汰され、
必然的に土地が集約されると予想される。
*土地の集約化によるコスト削減で競争力を強化することで強い農家を実現。

2)補償制度の見直し
*小規模兼業農家には、農地集約にかかるコスト補償が不可欠。ただし、淘汰された場合は
セーフティーネットの構築が必要。
*現在の戸別所得補償制度ではなく、ディカップリング(非連動)された戸別所得補償を採用すべき。

3)法制度の見直し
*農地法・・・戦後、地主をなくし耕作者自身が土地を持てるようにした耕作者主義の法律。
大地主による農業参入や株式会社による新規参入を妨げるものとして、集約型農業を推進する株式会社による
新規参入を妨げることで小規模兼業農家の温存につながっている。
*現在の法制度では、専業農家だけではなく、兼業農家にも適用される。本当に農業保護を考えるならば、
日本の農業の担い手である、専業農家を優先して保護すべき。」



 余りこなれてはいませんが、やはり、何となく思っていたことが大分霧が晴れてきましたが、
この事をやはり、ズバリ当事者に投げるのは大人でないのかもしれませんね。

いつもの通り、“なし崩し”戦法なのでしょうか?
















コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ムラサキ2題  (bon)

2013-04-08 | 花鳥風月
もう何度もご覧になったかもしれませんが、今年のムスカリです。

ベランダが使えなかったために、球根のまますっかり忘れていて、今年に入ってから念のために鉢に植えておいたものです。 
ダメ元で・・・。

それが、なんと几帳面にこんな風に咲いてくれました。 
以前から、ムスカリは強いのでかなり増えていて、蓼科のK邸にも50球くらい植えてみたのでしたが、
冬の霜が球根を持ち上げて枯らしてしまったのか、影も形もありませんでした。 
これが、グランドカバーとして一面に咲くところを見たいものですね。

    今年のムスカリです。
       

 ムスカリとは、ユリ科、ムスカリ属 (Muscari)の植物で、園芸植物としてよく栽培され、
一般的には球根植物で開花期は3月初旬から4月末頃。
花は一見するとブドウの実のように見えるところからブドウヒアシンスの別名を持つとか。 

名前の由来はギリシャ語のムスク(moschos)であり、麝香(じゃこう)のことであるそうな。
花色は鮮やかな青紫色だが、近年白、コバルト色なども見られる。花弁はあまり開かない。
球根は数年くらい植えたままでも差し障りないが、できれば秋に掘り上げるとよい。
花言葉は、寛大なる愛、明るい未来、通じ合う心、失望、失意とまるで正反対の意味がある。
・・・ウイキペディアから引用しました。


十二単も・・
こちらも、一度ブログアップしたと思いますが、紫蘇(しそ)科で、学名を Ajuga 
reptans(アジュガ)およびAjuga nipponensis(十二単)と呼ばれています。

    じゅうにひとえ
       

「アジュガ」は、「十二単」の園芸品種で、小さい青紫色の花が階層になって咲く。
「十二単(じゅうにひとえ)」の方は、花が白っぽく毛がいっぱい生えているとのことですが、
普通、こちらの紫のも十二単と一般に呼ばれているようです。

名前の由来は、 花が幾重にも重なって咲く様子から、平安時代の宮中の女官の正装の”十二単”に見立てたもの・・
とありました。

こちらも大変強い植物で、かなり前に蓼科から、3株お嫁にもらったものが、鉢植えでどんどん増えて、
知人にも分けるほどになっていました。
花言葉:心休まる家庭 というそうです。 


おまけ・・
 ちょうど近くに、ブルーベリーの花が面白そうに咲いていました。スズランのような花の形ですね。
       
    














コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゆつゆつ  (bon)

2013-04-07 | 日々雑感、散策、旅行
これは方言らしいのですが、大阪弁ではないようなんです。

 私は、浪速生まれ、浪速育ちで、就職するまでずっと大阪にいた“まるきり大阪人”です。
子どもの頃、このような言葉は平気で使っていたから、何も疑問のカケラも感じなかった。

次第に大人になるにつれて、“ゆつゆつ”という言葉は、どうも友達には通じないようだし、
ちょっと変だなぁとは思っていました。
ひょっとしたら、これは大阪弁ではないのかもしれない。我が家独特の“ことば”なのかもしれない。 

“ゆつゆつ”とは、お椀や湯飲みなどに一杯(溢れんばかりに)入っている状態をいいます。
“ゆつゆつに入っているから、きぃつけや”、“うわぁ、ゆつゆつや” みたいに使っていましたね。

 そのように感じている“ことば”には、すぐには思い出せないですが、“だらだら”、“おてしょ”、
“じじむさい”などが想い出されてきました。 
どうも、このような言葉は、おふくろの影響なのかもしれない・・。そんなふうに思えるのです。
おふくろの生まれは和歌山、田邉のようですが、小さい頃に京都に移り住んでいる。なので、
そのあたりの方言なのかもしれない。
                  


 つまらないことですが、そんなことが頭の片隅に潜んでいたりして、今も“フッと”そんなことが頭をよぎりました。

で、どういうことなのか?  早速、ネットで調べてみました。 こんな言葉、あるんやろか?

ありました!

驚きです。
“ゆつゆつ”・・ 「白浜で最初に覚えた方言が『ゆつゆつ』でした。その時はたしか、お酒をコップに並々と
そそいだ状態で『これをゆつゆつって言うんや!!!!』って教えてもらいました。」
また、別の記事には、「和歌山(特に田舎)では、コップ一杯に何かを注ぐときには、ゆつゆつに入れるとかって
変わった言葉を使うみたいですよ!  私は始めて聞いたとき、なんやそれ?和歌山に住んで30・・年
そんな言葉聞いたことないし~と思っていたけど、おっちゃん、おばちゃんからよく聞くんで・・・ 」

やはり、和歌山あたりの方言だったみたいですね。

“だらだら” これは、坂道などの表現で、わたしが通っていた小学校の前に坂がありそれを下ったところに
そろばん学校がありましたが、“学校の前のだらだらのところに~”というようないい方でした。
これは大阪弁?  

ネットではなんと・・。
デジタル大辞泉では、「1 液体がたくさん流れつづけるさま。“血が―(と)出る”
2 道がゆるやかな傾斜になっているさま。“坂道が―(と)続く”
3 変化の乏しい状態が長く続くさま。“会議が―(と)長引く”
4 気分などがゆるんでしまりのないさま。“―(と)した生活”」 とあり、どうも、標準語のようです。


“おてしょ”などは、ごはん時に“ハイ、おてしょに取り分けて・・”みたいな感じで使っていましたが、
ネットを見ていますと・・

京都の方言で 小皿、手塩皿 のこと。
とありましたが、また別の記事では、手塩皿(てしおざら)の女性語ともあり、さらに別のところには、
これは方言ではない・・というのもありました。
                   


“じじむさい”は、
「京ことば。 (1)容姿や服装など が年寄りじみていて、むさくるしい。 (2)若さや活気がなく、
年寄りくさい」とありました。 じじくさいから来ているかもしれませんね。
爺くさい・・で、年寄りじみている。

どうも、おめめよごしでおました。
                   















コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする