蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

デマンドレスポンス (bon)

2016-07-28 | 日々雑感、散策、旅行

 電力などのエネルギーは、必要なだけ与えられるもの、つまり、供給から需要への一方向の流れ
を前提として考えられてきました。災害で停電が起こった時でさえ、供給側に問題があるのでは
ないか などとも思いがちです。 電力不足などを含むすべての問題の解決は供給側に委ねられて
きたと思います。 普段、それが当たり前だという感じがしていました。

 しかし、これから先 いつまでも、現在のような高いサービス水準、すなわち、停電が無く、
周波数も維持された高品質の電力が供給される保証はありません。 今後も、より高度な技術を
駆使して、所々の問題を克服して行くことになるのでしょうけれども、ここで、いったん立ち
止まって、供給側に全てを任せるのではなくて、需要側においても、供給の不安定さをある程度
受け入れ、敢えて共存することで、経済面、環境面で優れたエネルギーシステムが実現できるかも
しれない と提言している人がいました。 

 先ごろ手元に届いた会報に、需要と供給のバランスを見直した、新しい視点の提言がありました。 
「需要から考えるエネルギー問題」(岩船由美子氏、東大生産技研特任教授)と題した論文記事
からその内容について、以下に抜き読みで紹介します。

 

 タイトルの“デマンドレスポンス”は、需要調整(DR)の意味で、需要側でも調整することで、
よりバランスの取れたエネルギーシステムが構築できるのではないかとの視点から、いくつかの
提言がなされています。 エネルギー問題を論じるとき、重要となるのは 3E+S すなわち、経済性、
環境性、供給安定性そして安全性を満足するシステムを構築することであり、そのためには、
太陽光や風力などの再生可能エネルギーを大規模に導入する必要があり、かつ、それを上手に
調整する必要があるが、その一つの可能性が需要家側のデマンドレスポンスだと言っています。
再生可能エネルギーの出力変動に合わせて需要が変わることができれば、経済的で環境にやさしい
エネルギーシステムが構築できる・・としています。

 この目的に沿って需要側でできることは、大きく3つあるとしています。すなわち、省エネルギー、
再生可能エネルギー対応のための調整(デマンドレスポンス)そして、CO₂排出量の少ない燃料への
転換あるいは再エネ(燃料転換)の導入です。

 省エネといえば、“我慢”イメージが強いですが、具体的には ①エネルギー利用効率の改善、
②無駄の減少、そして最後に ③我慢の省エネ があり、①は例えば家電・給湯器などのさらなる
高効率化がありますが、もはや限界に近いところまで改善されていると思われ、今後は建物の
断熱性向上が有力である。無断熱住宅が4割も存在しているとのデータがあり、新築住宅でも住宅
断熱基準が義務化されていないなどの問題がある。(新築住宅への義務化は、2020年をめどに
実施される予定。) ②の無駄を減少させるのは意外と厄介だとしています。使っていない部屋の
照明を消す、過度な空調を避ける などがあげられるが、消費者が効用に見合うエネルギーを
消費しているかどうかを判断するためには、情報が必要であり 家庭用エネルギーマネジメント
システムによる“見える化”だと提言されています。③については、基本的には実施対象としなく
てもよいけれども、たとえば、東日本大震災後に取り組んだ節電対策によって、消費者意識も
変化した面もあり、これらを習慣化することも重要ではある。 論文では、家庭用エネルギーの
国際比較の図が引用されています。

        図1 家庭用エネルギー国際比較
        
               ((株)住環境計画研究所 会長 中上英俊氏講演資料より)

  図から、日本の家庭は比較的省エネであり、暖房用エネルギー消費量は圧倒的に少ないが、
給湯は浴槽入浴が主体の日本がヨーロッパに比べて多目である。

  次に、本提言のメインであるデマンドレスポンス機能について、図2にそのイメージが示されて
います。すなわち、今後太陽光発電等の再生可能エネルギーが増加するにつれ、電力系統の需給
バランスを維持するために、さまざまな柔軟性資源が必要になり、その一つが需要端における
DR機能であり、需要と供給が協調するエネルギーマネジメントの概念図です。

        図2 協調分散エネルギーマネジメントの概念
        (岩船氏論文より)

  たとえば、料金がお天気によって毎日変動するような仕組みがとられ、翌日が晴れと予想された
場合、太陽光発電が たくさん電気を供給すると見込まれるので、翌日の昼は安い電気料金が提示
され、そのような料金シグナルに対して、その時刻に給湯機が動作するといった具合に家庭内の
機器を最適化する。これによって、系統全体の需要が供給側の変動に連動して調整され需給バラン
スの緩和に貢献する というものなんですね。 家庭内の機器にどれほどの調整余地があるかは、
居住者の選択・許容に依存するが、さしあたりの対象は、居住者の効用を阻害しないヒートポンプ
給湯機、電気自動車用電池、定置式蓄電池などと見込まれています。さらに、空調機器なども
DRの対象となり得るとされています。

 最後の燃料転換については、やはり、一般家庭の屋根置き太陽光発電が、大きくCO₂を減らす
重要なアイテムだとしています。この際、自家消費を増やすために2割もロスする電池を導入する
のではなく、系統と連携した全体最適な視点を取ることが重要であると述べられています。

 

 「原子力は減らしたい、CO₂も減らしたい、エネルギーコスト増加も嫌や ということであれば、
蓄電コストが無視できるほど安価にならない限り、需要側が変わるしかない。省エネはもちろん
のこと、たとえば、太陽光発電の発電量が増える時間に電気給湯機のお湯を作ったり、早寝早起き
をしたり、洗濯を晴れた日にするなどと、供給に需要を合わせていくことが、ゆくゆく必要になる
かもしれない。需要家にとって本当に必要なサービスと、それを実現するための対価のバランスに
ついて継続的に考えて行く必要がある。」と結ばれています。

          

  明日から、蓼科農園に行ってきます。関東はこのところ大変涼しい毎日でしたが、明日からは
本格的な夏となるようです。 日中は猛暑でも、日が落ちると高原の涼しさが楽しみです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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相馬野馬追  (bon)

2016-07-26 | 日々雑感、散策、旅行

  7月最終の土日月の3日間の相馬野馬追祭りは、今年は昨日 月曜日(25日)で終わりました。 
福島民報によれば、『国指定重要無形民俗文化財「相馬野馬追」は2日目の24日、福島県
南相馬市原町区の雲雀ケ原祭場地で本祭りを催し、甲冑競馬や神旗争奪戦を行った。 祭場地
には約4万3千人、沿道には約5万5千人が訪れ、騎馬武者が繰り広げる戦国絵巻に酔いしれた。
 東日本大震災、東京電力福島第一原発事故によって避難を余儀なくされている武者らも勇壮な
姿を見せ、復興への気概を示した。』 また、最終日の25日には、裸馬を境内に追い込み素手で
捕らえる野馬懸(のまかけ)の神事も壮大に行われたそうです。

     相馬野馬追 甲冑競馬
                  (ネット画像より)

 

 相馬野馬追は、福島県浜通り北部(旧相馬氏領)で行われる中村神社、太田神社、小高神社
三つの妙見社の祭礼で、その起源は、千年以上前、平安中期に、平将門が領内に野生馬を放ち、
敵兵に見立てて軍事訓練をしたことに始まるのだそうです。 もともとは、下総の国相馬郡で、
ここは現在の千葉県ですが、その後相馬氏が軍功によって、福島県相馬郡に地頭職を得て土着した
ことからこの祭りもこの地で実施されることになったようです。

 鎌倉幕府下では、一切の軍事訓練は禁止されたそうですが、相馬野馬追はあくまで“神事”
という名目で続けられたとあります。 しかし、1868年の戊辰戦争で藩が消滅するとその後藩内の
野馬はすべて刈り取られて、野馬追も消滅したのです。 その後、太田神社が中心となり野馬追
祭りの再興を図り、1878年に復活したとあります。お祭りのハイライトとなっている甲冑競馬と
神旗争奪戦は戊辰戦争後の催事なのだそうです。

 なお、“野馬懸”については、相馬氏が将門の伝統を継承し、捕えた馬を神への捧げ物として
奉納したのが現在の「野馬懸」に継承されているそうで、この祭の時に流れる民謡『相馬流れ山』
は、相馬重胤が住んでいた下総国葛飾郡流山郷(現在の千葉県流山市)に因んでいるという。

 相馬野馬追で思い出すのは、入社して何年かした時に、この記念切手が発売され、郵便局で
買い求めた記憶があります。おそらくまだ、残っているだろうと思いますが、これって1965.7.16
発売とありますから、もう50年以上も前のことなんですね。

         記念切手
          (ネット画像より)
 


 ようやくこの原稿を書き終わった・・と思ったら、“電話が故障みたい・・”と声がかかり
ました。

 インターネットは正常だし、室内のルーターなどのランプも正常なのに電話だけ、発着信不能
なのはどうしことか? あれこれ、やってみたり、古い電話機に取り換えてみたりしても状態は
かわらず、とうとう電話局故障係に電話する羽目になりました。電話局側から調べた限りでは、
問題はないとのこと。 さては! 集合住宅の室内引き込み線まではOKだけれど、そこから
ルーターなどの機器を経由して電話だけ、住宅内部配線で、居間まで通じている線のどこかが不良、
しかも、電話の発信音が出ないということは、直流が断絶している可能性がある。 以前も、
室内引き込み口でトラブルが起きたため、その部分のローゼットは取り外したままのむき出し
状態にしてありましたので、その部分を恐る恐る触ってみたりしていましたら、細い線がどうも
断線していることが分かりました。その部分を接続して、半田をあげて完了。しかし、まだ状態は
回復しなかったのです。迷路に入った感じでしたが、もう一度丁寧にその細い線を注意深く見て
いましたら、どうも、根本付近でビニール被服の内側で折れているような感じで、触ってみると、
その部分が断線状態になっていることが判明しました。 2か所も一度に断線するなんて・・と
思いましたが、1本目をつないでいるときに、もう1本の線に影響して結果2本とも接続することに
なったようです。  無事に完了しましたが、思いがけず、何年振りかに“半田ごて”を持ち、
1時間くらい迷路に入っていました。 おそまつの一席でした!

                

 

 

 

 

 

 

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乳酸キャベツ  (bon)

2016-07-24 | グルメ,Romantic cook

 このほど届いた醸造会社の“お便り”に発酵食品についての対談記事があり、その後に「乳酸
キャベツ」の作り方が紹介されていました。

 指導は、井澤由美子(東京都出身の料理家・料理研究家・国際 中医薬膳師・調理師)で、NHK
「きょうの料理」にも出演している方です。 ネットを繰っていましたら、この「乳酸キャベツ」は、
NHKあさイチ(2016.3.22)で放送されたとありました。

 なので、作り方は、あさイチ番組での紹介ネット記事から、コピペさせていただきました。

 

 ・・・あさイチ(NHK) 2016年3月22日(火)放送・・・から、

『春のキャベツスタイル 井澤由美子「乳酸キャベツ」の作り方

 大ヒットしたレモン塩を考案した料理研究家の井澤由美子さんが、塩と砂糖だけでキャベツが
爆発的においしくなる「乳酸キャベツ」の作り方を紹介してくれました。
 
キャベツ100g当たりのグルタミン酸の量は、そのままのキャベツで7.3mgですが、乳酸キャベツに
すると48.1mgになり、6.5倍にうまみがアップします。

  <材料>

     ・キャベツ 1玉

     ・塩 小さじ2+小さじ2

     ・砂糖 小さじ1/2

  <作り方>

1 キャベツをせん切りにする。細く切れば切るほど、キャベツに含まれる乳酸菌が発酵しやすくなる。

2 ジッパー付きの保存袋に切ったキャベツの半分を入れ、塩小さじ2を加える。

3 残りのキャベツをすべてを入れ、塩小さじ2、砂糖小さじ1/2を加える。

4 ジッパーを締め、袋の外から手でもんで、全体がしんなりするまでよくなじませる。

5 手で押して袋を平らにならし、水が入ったペットボトル(500ml×3本)の重しをのせて、
常温で3~
6日間おく。※3~6日ほどしてキャベツから泡が出てきたら、キャベツの中にある乳酸菌が
発酵した目
安です。

6 キャベツから泡が出たら、熱湯で消毒した密閉性のある容器に移し替える。冷蔵庫で1ヶ月くらい
保存
可能です。

 

・・で、作ってみました。

 キャベツ1個まるまる・・というのも多い気がしましたので、半分だけにしました。したがって、
レシピの各分量は半分ということで、さっそく始めて見ました。まあ、簡単ですね。

      チャック付きビニール袋に入れて重しを置いて

         

 

      3日目くらいの状況
         

 

      漬物として・・
         

 

 漬物がわりに食べてみました。 まぁ、6.5倍うまくなっているかどうかはわかりませんが、
十分おいしく頂けました。キャベツの糠漬け に似た感じですが、ぬか漬けの場合、ぬかを落とす
手間がこちらでは不要ですから、より簡便かもしれません。歯ざわりもシャキシャキ。

 これって、身体には大変良いのだそうです。とにかく、いま流行の乳酸菌ですから、そうなんで
しょうが、記事によれば、乳酸菌だけを採るより、食物繊維とともにとることが大切なんだそうです。
乳酸キャベツは、まさしく乳酸菌+食物繊維ですから、言うことなし。 具体的には、

      ・腸を整える
      ・デトックス効果がある
      ・無理なくダイエットができる
      ・いろいろな料理に利用できる
      ・美肌へのアプローチ

と掲げられています。 費用も手間もかからず、お手軽で、そのうえ“いいこと”づくめとくれば、
これは、一度はやってみる価値があるかも・・!

 ビニール袋の中で、泡が出はじめたら発酵してきているので、消毒した瓶などに移し替えて
冷蔵庫保存にすれば、1か月くらい日持ちするとありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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十六ささげ  (bon)

2016-07-22 | 花鳥風月

              今日は、二十四節気の「大暑」ですが、東京の最高気温は24℃と
                         予報される大変涼しい大暑となりました。連日雨模様です。

 

 正しくは、ジュウロクササゲ です。
 ウイキペディアには、「十六大角豆、学名:Vigna unguiculata ver. sesquipedalis)は
ササゲの一亜種(品種とする説もある)。アフリカ原産のササゲには蔓(つる)が長い蔓性と、
蔓なしの矮性の2種類があるが、
十六ささげは蔓性である。地域によっては“長ささげ”、
“十八ささげ”、“十八豆”、“三尺ささげ”、“ふろう豆”、“ほろ豆”などとも呼ばれ、
主に若い莢を食用にする。」 とあります。

 で、このササゲが、我が家では 初めて収穫しました。5月に、園芸友の会の先輩から種をいた
だき、すぐにプランターに蒔きました。約2ヶ月ほどで収穫できました。花も咲いていますので、
これからまだしばらくは収穫できそうです。
とにかく一気に伸びた感じなので、その長さに驚きました。

長さくらべ2枚              その先端部分
  

 

    プランターの様子       花
        

 

 また、次のような特徴が上げられていました。

  • さやの中に豆が16個あることから「十六ささげ」と名づけられた。豆は熟すとアズキに似た赤褐色。
  • 亜種名は「sesquipedalis(半尺)」と付けられているが、さやの長さは30~40cmで、1尺以上にもなる。形はインゲンマメに似ているが、柔らかく、火も通りやすいのが特徴。
  • 草の丈は2~4m。熱帯性で、高温や乾燥に強く、真夏に結実する。その一方、低温に弱い。
  • 葉にはやや光沢がある。
  • 花は紫色または白色の蝶型花。

 今回収穫した中に、60cmに及ぶものがありましたが、これなどは伸び過ぎのキライがあります
から、もう少し早めに採った方が柔らかいのでしょう。鞘の中に16個の豆があるから“十六ささげ”
の名がついたようですが、数えてみると、この60cmので、38個もありました。

 FoodslinkのHPに、以下のような記述がありました。
●豆は小豆の代用にも
 ササゲの熟した豆は、江戸時代には武士には好まれたこともあるそうです。というのも、小豆が
茹でると皮が真ん中で割れやすいのに対し、茹でても割れないので、赤飯を炊く時には小豆では
なくこのササゲ豆を使うというのです。やはり真ん中で割れる様子が、「腹を切る」ように感じて
縁起が悪いとされたようです。

十六ささげの主な産地は
 愛知県と岐阜県を中心とした地域で作られ、この愛知県では「あいちの伝統野菜」、岐阜県では
「飛騨・美濃伝統野菜」として認定されています。

 

 適当な長さに切って、炒めもの、おしたしなどで美味しくいただきました。長い割には,スジは
殆どありませんでした。







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札幌の想い出  (bon)

2016-07-20 | 日々雑感、散策、旅行

  1966年(昭和41年)から2年間、札幌に勤務していました。 それまで、北海道に行ったことが無く、
始めて訪れる地、札幌は私には当時遠い彼方の地でありましたから、赴任時期(2月初)の雪の中の
生活は、寒さも半端ではありませんでしたが、モノ珍しく 何をするにもワクワクしていた記憶が
あります。

 そんな札幌を思い出させてくれたのは、神楽坂にお住いの“若さん”のメールでした。 この七夕時期に、若さんの高校卒業50周年記念同窓会が、定山渓であり、その大宴会の余韻を含みながら
周辺の話題を綴った“感動”メールをいただいたのでした。 藻岩山、二条市場などなど懐かしい地名に
それぞれ想い出があります。 藻岩山にすぐ近く、大倉シャンツエの下の荒井山で初めてスキーを履いて、
少し慣れたところで、転んだ拍子に 右ひざ靭帯の損傷ということで、北1条西4の北辰病院(今はありま
せん)に1か月お世話になったことなども今は懐かしく思い出されるのでした。

 前置きが長くなりましたが、神楽坂研究を継続しながら、先月(6月9日)の「米 銃乱射事件」に続き、
今回は涼しい、若さんの“札幌の感動”を記事アップします。

 

~~~~~~~若さんの 久しぶりの札幌~~~~~~~~

 

藻岩山¹ (札幌)の“雲海”に感動!

                                          
 藻岩山頂から望む雲海²(1) 雲海(2016年7月8日AM06:20)  雲海とご来光(2)  

 

 札幌南高校卒業50周年記念同窓会が7月6日札幌の奥座敷定山渓温泉で開催されました。直前骨折事故でドタキャン発生もありましたが、約150名参加の大宴会でした。当日と翌日(七夕の日)は、仕事がありイベントには不参加。この時期、梅雨の東京を脱出し仲間とゴルフとかジンギスカンも良いなという思いがあったので航空券だけはキープ。7日の昼過ぎ東京は猛暑日寸前、札幌は晴、24℃なので脱出決意。それに加えて、札幌在住のU先生からコレポン(Correspondence)アシストの依頼も背中を押してくれました。研究テーマのルイスベーマー³の新資料がイギリス王立植物園(Royal Botanical Gardens Kew)にあることが判明したとのこと。(何がでるか楽しみ)ということで、宿泊は、会計事務所兼自宅にお世話になることにしました。4丁目から南西方向、市電で母校を通り過ぎ“石山通り”近くの閑静な住宅街。この時期、前庭では紫色のラベンダーに囲まれます。つまんだ指に香るアロマに癒され、朝日の順光に映える新緑の原生林(藻岩山)を頂まで見上げるとフレッシュな気持ちになれる、上質なエントランスです。高校生のころ、先生も生徒もお世話になった、まだ元気にやっているパチンコ屋さんに徒歩1分と至近距離、コンビニまでは3分ですが...(笑)。小学校6年(ロープウエイ開通翌年の昭和34年、少年マガジン、サンデー発売の年)冬の週末は藻岩山スキーでした。土曜日の午後は同級生のI 君と市電に乗り、4人乗小型ゴンドラで山頂へ、ネギ大盛り熱々かけそばを食べ、今は住宅街になっている北斜面を滑るルートで遊びました。(総コスト100円→現在は約1,000円))羽田に向かうモノレールの中で、年に一度は夢で見る、藻岩山スキーのことを思い出し登りたくなりました。 最近は、大体午前3時30分ごろに目覚めます。当日朝4時、あまりの明るさにびっくり、東京の4時半くらいの感覚でした。札幌は日の出が早い! 4時半緊張感ある涼風を感じながら出発、慈啓会病院前登山道に向かいました。クマ出没注意の看板を横目で見ながら5時に、まずは馬の背から山頂に向け(1.8km+1.1km)登山開始、1時間20分かかり山頂へ。熊よけ鈴を“チリん、チリン“鳴らしながら駆け上がってくるお姉さんや、本格登山姿の若者5~6人に追い抜かれました。最後、山頂にご褒美として待っていてくれたのは市内ほぼ全域を覆い隠す朝日にたなびく“雲海”でした。山頂テラスからは、雲海の先に恵庭岳も見える幻想的世界、想定外の感動でした! 昔、石炭ストーブから排出される冬のスモッグに浮かぶダーテイなTV塔の冬景色とは違う、クリーンな空気に感謝の“合掌”。



  7/12雲海(3)    熊の足跡・糞  スキー場から望む   ラベンダー 
 北海道新聞掲載    発見(6/21)     真駒内

 

 日本新三大夜景、は藻岩山から。

  
           
藻岩山からの夜景


 北海道で有名な夜景といえば、ミシュラン三ツ星しかも“世界”がつく三大夜景の函館です。藻岩山からの札幌の夜景は、世界なし、日本三大と北海道三大がつく夜景なので現時点では ”穴場“ 的存在かもしれません。夕方すすきのから市電外回りに乗ったとき、爆買い人と思しきカップルとファミリーが ”ロープウエイに行きますか?”と乗ってきました。以前、函館山頂に行ったとき、95%はインバウンド・ツアー客であふれかえっていたのと比較すると、まだ知名度は低いようです。札幌すすきの生まれ、育ちの私としては、ミシュランがそのうち必ず ☆☆☆ つけると思います。 7月7日七夕の日に、定山渓温泉で一泊した同窓会一行はバスで藻岩山観光道路経由山頂へ。 昼間の眺望をエンジョイし、学校を表敬訪問後ジンギスカンとビールで盛り上がったようです。
 

二条市場の朝も、你(ニー)好(ハオ)、여보세요(ヨボセヨ)!

 毎年春夏、高校同期のゴルフコンペに参加しています。数年前の夏、二条市場に早朝散歩の途中立ちよりました。なんと、海鮮丼や朝定食のお店が数軒営業中なのを発見。しかも店内はそれなりの数のお客がいます。入店すると店のおやじが俺にハローだって、ニーハオって返事すると久しぶりの日本人客だって笑っていました。 私以外すべて大陸、台湾、半島系のツアー客でした。観察してみた結果、生ものに弱いメインランド系の人は焼き魚(時不知、ほっけ)定食でした。朝からビールに黒北寄貝刺身は言うまでもなく💮(ハナマル)です。100年以上続く歴史ある市場だけに進化した形で、発展していってほしいものです。

 
     海鮮丼       二条市場     焼き魚定食(ほっけ)

 

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

<脚注>

1 藻岩山は、札幌市南区に位置する。標高531m山全体の原生林は北海道初の天然記念物。ロープウエイ+モーリスカーで山頂往復できる。南側には観光道路と市民スキー場がある。登山道は5コースあり藻岩山ロープウエイのサイトで各コースの写真閲覧可能。2015年10月、日本新三大夜景(長崎、札幌、神戸)の一つに選定された。

2 雲海(1)(2)の写真はネットに投稿された写真。(3)は、7/12発生の雲海を翌日北海道新聞が掲載。

3 ルイスベーマーは開拓使が雇った外国人園芸技術者。札幌近郊で原生ホップを発見。その後日本の果樹栽培特にリンゴ栽培に尽力。開拓使の後、横浜で園芸会社を創業し日本の園芸ビジネス発展にも貢献した。

 

 

 

 

 

 

 

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土用  (bon)

2016-07-18 | 日々雑感、散策、旅行

 梅雨明けがまだか・・というこの頃です。 明日、19日は土用ですね。 
 4年前の2012..7.20に当ブログに「土用」の記事アップをしていました。ちょうど4年前も、
7/19が土用でした。 その時の記事を再掲してみます。

『昨日、7月19日は「土用の入り」なんです。
 土用とは、二十四節気・五節句などの暦日のほかに、季節の移り変りをより適確に掴むために
設けられた雑節の一つです。雑節は、以前にも述べましたが、節分、彼岸、社日、八十八夜、入梅、
半夏生、土用、二百十日、二百二十日の九つあります。

で、土用というのは、二十四節気の四立(立夏、立秋、立冬、立春)の直前約18(又は19)日間
ずつの期間を言います。 しかし、普通は夏の土用だけを指して言っています。

 昔、中国で五行説といって天地のすべては、木、火、土、金(ごん)、水の5気が支配するものと
いう考えから、春は木、夏は火、秋は金、冬は水の分担とし、残りの土は、四季それぞれの終わりに
四分の一(18日または19日間)ずつをとって「土」の分担としたのがその起こりと言われているとか。
(中略) 
「土用の丑の日」にうなぎを食べる・・なんてよく言いますよね。 これって何のいわれも
ないんだそうですね。 江戸中期の頃、太田蜀山人(南畝)が、夏枯れ時で困っている知人の
「うなぎ屋」の愚痴を聞き、独特の機知を働かせて店頭に「土用の丑の日」と大書きした看板を
出させた。 何のことかわからないところが逆に宣伝効果があったと見えて 知ったかぶりの
江戸っ子たちは、わんさとうなぎを求めた・・・という。』とありました。


 3年前、2013.7.22には、「大暑」の記事アップをしており、この年の土用の丑の日は7/22で、
前日の日曜日は、参院選投開票で、この時、自民党が圧勝したのでした。 半数の121議席を争う
選挙でしたが、3年前の数字と今回(2016.7.10)を並べてみますと、まさに強力無比?とでも
いえそうな結果です。

        参院選獲得議席数
           

 2年前には、東北旅行中で、ちょうど、青森の酸ヶ湯温泉に泊まりました日が、土用の丑の日で、
ここでは「丑湯祭り」と称したお祭りが行われていて、なんでも、土用の丑の日には、うなぎを食べる
のではなく、“お湯に入る”習わしがあり、“土用の丑の日にお湯に入り、一年の息災を願う神事”が
行われるのです。 この時は、丑三つ時(午前2時)に合わせてお湯につかるため、前夜にお湯を
抜いて入れ替える行事が行われ、テレビ局が撮影に入ったり大騒ぎでした。

      夜の10時頃の様子です。(2年前のお話)
          
      (酸ヶ湯HPに出ていた写真です。どこかに私も写っている・・)
 

  丑湯祭りは、この時初めて知りましたが、ネットで見ると全国あちらこちらの温泉地で、
土用に合わせた“丑湯祭り”が行われているようです。

 今年の大暑は、7/22(金)とありますから、もう2~3日もすれば梅雨も明け、本格的な夏が来る
のですね。 今朝は、早く起きて、ベランダの周囲の草取り・掃除をしてたっぷりと汗をだし、
シャワーをひと浴びしました。

 


 

 

 

 

 

 

 

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クロコスミア ’16  (bon)

2016-07-16 | 花鳥風月

 “クロコスミア”でネット調べをしていましたら、2年前の時にはなかった、競走馬が出てきました。
3歳牝馬(2013.5.17浦河 生れ)「クロコスミア」で、現在10戦2勝、賞金3500万・・とありました。
写真がたくさんありましたが、赤松賞(500万下)2015.11.21東京 1600m芝 騎手:勝浦正樹で
優勝した時の写真です。

      赤松賞(500万下)のクロコスミアの勇姿
          (ネット競馬HPより)

 

 本題は、競走馬の話ではなく、園芸のクロコスミアのその後について、このほど花が咲いてきました
ので、記事アップした次第です。
 2年前の春に、クロコスミアの小さな球根を植えました。 その年の夏に、楽しみにしていた花が
一筋咲いて、暑い日差しの中、何とも さわやかなキリットしたオレンジ色の花に魅せられて、早速、
ブログ記事に取り上げていました。

 2014.8.4のブログ記事“クロコスミア”をそのまま再掲してみます。
「春、4/2に植えた球根、コロコスミア にようやく一筋の花が咲いてきました。クロコスミアなる
名前は、あまり知らなかったのですが、別名モントブレチアという・・とあり、こちらの名前は
知っていて、何だ同じ花なんだ。さらに、ヒメヒオウギズイセンともいうのだそうです。 
ついでに調べてみましたら、“ヒメトウショウブ属(姫唐菖蒲属、学名: Crocosmia)は、アヤメ科の
一属である。” とありました。 
(中略)
 原産は、南アフリカといい、園芸で広く普及し栽培されているのは、オーレア種〔C. aurea〕と
ポッツィー種〔C. pottsii〕が掛け合わさった雑種、クロコスミーフローラ〔C. × crocosmii
flora〕と、それを元とした園芸品種群です。 一般にこの園芸品種群を指してモントブレチアと呼ぶ
ことが多いのだそうです。 この、クロコスミアは、繁殖力が強く、植えっぱなしでもいいらしいので
来年はもっと元気よく増えているかもしれません。」とありました。
 この時に咲いた一筋の花です。

        クロコスミア14 (2014年)
          

 

昨年の様子です。
        クロコスミア15 (2015年)
          

 

今年の花です。
クロコスミア16 (2016年  2枚)
  

 

確かに、手間いらずで、放っておいても元気に咲いてきています。
 ベランダでは、グラジオラス、百日草そして時々レインリリーなどが咲いています。むくげも
咲き始めました。 もうすぐ、梅雨明けとなるのでしょう。

 

     

 

 

 

 

 

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松帆の浦  (bon)

2016-07-14 | つぶやき

        今日は朝から蒸し暑く、予報では午後雷雨があるといっていましたが、
        今しがた(午後2時半ころ)、すごい雷とたたきつけるような雨がガラス

        当たっています。
室内の簡易気圧計では、なんと988hPを指していました。              

 

来ぬ人を 松帆の浦の夕凪に 焼くや藻塩の身も焦がれつつ」 (藤原定家)

 新勅撰和歌集にあり、小倉百人一首にも登場している恋歌ですね。 この松帆の浦は、兵庫県
淡路島の先端、明石海峡に面した岩屋に属した松帆崎のことで、古来から交通の要所でもあった
景勝地で、潮待ち、風待ちの 地として有名であたそうですが、今は、明石海峡大橋がかかったこと
でもあり様変わりしているそうです。 今年5月に、この地で、高校同期の喜寿の会を開催しました
折には、明石海峡大橋を通過し、洲本で宿泊し、福良港から渦潮を見たり、花さじきに立ち寄り、
この松帆の浦には寄らずに帰路についたのでした。 ウイキペディアなどによると、松林が付近一帯を
覆う景勝地で、勝海舟が設置した砲台跡(国の史跡)や岬の西側には、明治4年以来の歴史を持つ
江崎灯台があるそうです。

         松帆の浦
           (ネット画像より)


 淡路島といえば、古事記ではイザナギ、イザナミノミコトが日本列島を作った最初の島であると
されていたり、ちょっと特異な感じもしないではないですが、昨年、2015年に、銅鐸7個が完全な姿で
発見されました。 実際には、南あわじ市の建設資材加工工場の砂置き場で見つかったそうですが、
この砂が松帆地区の耕地で採取したことから「松帆銅鐸」と命名されています。

  銅鐸は、弥生時代中期から後期末(前世紀~後2世紀頃)に近畿を中心とする地域で、その集団に
とって最も重要な祭りに用いられたと考えられる青銅製の鋳物の祭器で、東限は、静岡、長野、石川で、
西限は、九州を除けば 高知、愛媛、広島、島根あたりだそうです。今回の発見は、島根39点、
滋賀24点、神戸市14点に次ぐ数で、数十年に一度の大発見だというのですね。
 今回見つかった松帆銅鐸は弥生時代中期に製作された古い段階の銅鐸で、この内、大きい銅鐸が
最も古い 全国でもまだ11点しか出土していない菱環鈕(りょうかんちゅう)式という段階の銅鐸だ
そうです。

         松帆銅鐸
           (南あわじ市HPより)

 難波洋三氏(奈良文化財研究所埋蔵文化センター長)によれば、「銅鐸は、個人墓から出土せず、
多くは集落から離れた山の斜面から出土し、水耕栽培が本格的に始まった弥生時代に最も重要な祭りが、
農耕の祭りであったと考えられることや、銅鐸を飾る絵画の分析などから、銅鐸は個人の持ち物ではなく
集団が保有した祭器で 農耕祭祀に使ったと推定されている。」 また、「銅鐸は、釣鐘に似た形を
しているが、梵鐘のように外を打って鳴らしたのではなく、ヨーロッパの鐘のように中に棒(舌=ぜつ)を
吊り下げ、揺り動かして鳴らしました。」とあり、今回発掘された銅鐸には、7個すべてにこの舌
(ぜつ)を伴って発見されていたのだそうです。

 また、難波氏の記事から、なぜ松帆なのか? については、「古代には、瀬戸内海は中国や朝鮮半島の先進の文物や情報などが西(九州あたり)から東へもたらされ、その見返りの物品が
東から西へ運ばれていく、重要な東西交通路でした。淡路島は、そのような瀬戸内海の東端、
畿内の入り口に位置していました。さらに淡路島は、摂津・播磨と四国を結ぶ南北の海上交通路にも
臨んでいます。つまり、淡路島は東西と南北の交通路が交わる要衝の地に位置していたのです。」と
されています。 難波氏の専門的見地から、この松帆銅鐸の発見は、これまでの銅鐸に関する多くの
研究課題のうち、銅鐸の使用法、埋納時期、一括して埋納した意味など重要な論点について解明が進む
と期待されているのだという。これらについてさらに専門意見が述べられており、最後に、
「松帆銅鐸は、古代史の謎を解決する糸口を与えてくれる重要な資料です。」と締めくくられています。

 

 

 

 

 

 

 

 

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高校野球  (bon)

2016-07-12 | 日々雑感、散策、旅行

 夏の高校野球の地方大会が始まりました。
全国各地で、晴れの甲子園を目指して猛暑の中 熱い戦いが進められています。埼玉では、7月9日
から地方大会が始まりましたが、2日目の7/10は、おりしも参議院選挙で、今年は18歳の
高校生も選挙権を持つ初めての選挙でした。

 参院選の結果は、与党の圧勝という感じで終わりました。1人区でも野党連合の勝率は3割強
どまりで ここでも与党の強さを見せつけました。18~19歳の初めての選挙は、投票率が18歳が
51.17%、19歳が39.66%で、全体の投票率53.5%を共に下回っていますが、特に19歳の投票率が
低いですが、地方から大学や就職などで地元を離れているが住民票を移動させていない人が多かった
のではないか、また、高校生では主権者教育が行われたためではないかなどと分析されています。

 夏の高校野球地方大会・・かなり昔になりますが、私にも強い思い出があります。高校時代、
私は野球部ではありませんでしたので、地方大会の応援に、連日暑い中を“かちわり”持参で参加
しましたね。 決勝戦まで勝ち進み、悲願の甲子園を目の前にして、惜しくも準優勝に終わった
のでした。わがチームは、相手よりヒット数も多く、優勢に進めていたのですが、回が進むにつれて
野球名門相手校の重さに耐えきれなかったのかもしれません。それ以来何十年も、地方大会決勝戦を
戦うことはありませんでしたから、私たちの時代のこの快挙はすごかったのですね。
さて、今年はどうでしょうか?

         昨年の埼玉大会
          (ネット画像より)

          

 今住んでいる地方大会結果を新聞、埼玉版で見ると、たくさんの高校が各地で予選を戦っています。
参院選投開票の10日の結果に、36対0、5回コールドゲームが2試合 目につきました。 なんと、
1インニング20点とか16点とかがあり、この暑いさなかのこの点数を積み上げる両チームの、とくに
守りチームの死闘は推量に難くありません。 さらに、新潟地方大会結果に、5回コールドゲームで、
45対0、がありましたが、どんな試合だったか・・終わってよかったと思いますね。予選大会では、
実力がまだ完成していないチームの出場があるため このような結果が出るのでしょうが大変ですね。

 今年 第98回目の、全国高校野球選手権大会は、出場校49校で行われるとありましたが、
その地方予選出場校は、3,876校とありました。 昨年の出場校数より31校も急減したそうで、
ここ10年以上減少が続いているといいます。 大会は、8月7日から21日間にわたって繰り広げ
られますが、ちょうどリオ・オリンピックと重なり、この夏の電力需要はピークとなるでしょう。
そして、寝不足が心配です。

           (ネット画像より)

   

 

 

 






 

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今年も金沢へ  (bon)

2016-07-10 | 日々雑感、散策、旅行

              今日、7月10日は、参議院選挙の投開票日です。
          与党の目標に届くでしょうか、1人区の野党連合の結果はどうなった
          でしょうか?  18歳の投票率はどうだったでしょうか?

 

 毎年この時期に金沢で開催される旧職場の懇親パーティーに出席して来ました。 
今年30周年を迎えましたが、相変わらず大勢の出席者が 8つの大テーブルを囲む会場は壮観でした。
当時職場を
同じくした人達や後輩、現役の人達との “七夕” よろしく再会の機会で、懐かしい
ひと時を過ごしてまいりました。

 この会は、1985年の民営化の際、会社組織が大幅に変更になった時に、同じ技術部門(背番号と
呼ばれていた)に属する同輩だけで構成する集まりを作り、民営化翌年に発足したのでした。
この組織変更は、もともと、石川、富山、福井の北陸3県を統括する技術部門であったのが、異なる
技術・設備部門をも統合した組織として再編されたのでした。
  あれから30年、もう会うことが出来ない人たちもいますが、当時、苦労を共にした懐かしい面々と
美酒を交わす時、湧き上がる 新鮮な喜びをかみしめ、また、元気な後輩や現役のみなさんからは、
改めて時代の進化を教えられるとともに、新しいエネルギーを注入されたように思えました。
 会の案内状の返信ハガキ綴りを見ると、やはり、体調不良の方が目立つ、そんな年頃の人が多い
ことを知らされ、今ここに出席できている我が身がひそかにありがたく思えるのでした。

 

 翌日は、まだ小雨が残っていましたが、今回は、金沢港方面に行ってみました。かって、車で
港を見に来た程度で、この地には初めて向かいました。金石(かないわ)
、大野・・そんな地名が
有名で、大野の醤油どころ、そして江戸時代の“海の百万石”といわれた豪商「銭屋五兵衛」記念館
などがお目あてで訪ねてみました。

        簡単な位置関係(地図)
     

 生憎、午前中は小雨で視界が優れず写真写りも今一つですが、歩いた順に並べてみました。
小雨降る金沢港は、ひっそりとしていました。潮の香りに誘われながら、港沿いに歩いて醤油どころを
目指しました。

 金沢港
   


 入り江にかかる橋を渡ると、もうそこは、“ヤマト醤油味噌”でした。

      


       

 港に添ってしばらくすると、日本海に突き出た先に“からくり記念館”がありました。幕末の
科学技術者「大野弁吉」(1801~1870)という人の、当時としては最先端の科学知識を駆使した
発明品などが展示されていました。子供連れが何組かいましたが、館内は静かでひとときタイムスリップ
したようでした。

     からくり記念館
        

 

 大野大橋の手前には、きれいに手入れされた公園が濃い緑に映えて大変美しい景観を呈していました。
小雨もほど良く止み、いっそう緑も深みが増しているようでした。北前船に見立てたオブジェが
ひときわ池のアクセントになっていました。 大野大橋を渡るとそこは、明治11年に私設で建てたという
“大野灯台”が白く輝いていました。もう雨はすっかり上がっていて気温はさほどではない
ものの、
蒸し暑く、歩くと汗がにじんでくるのでした。

       

       (上段:大野大橋から左右を見たところ。 下段:公園と燈台)

 

 銭屋五兵衛の立派な銅像は、記念館とは別の場所の小さな公園の一角に聳えていました。そこから
しばらく離れたところに“銭屋五兵衛記念館”が、きれいに手入れされた庭園に囲まれたようにあり
ました。 この時期、訪れる人も少ないのか、私だけの入館でした。 一人だけでしたが、親切に
解説ビデをを上映してくれました。 銭屋五兵衛は、1773年に生まれ、39歳の時に海運業を始め大きな
財をなす豪商となり 河北潟の埋め立て工事なども手掛けたのでしたが、大事業の半ばで事件の疑いを
かけられて儚く、80歳で牢死を遂げたそうです。 加賀の歴史で有名筋は、前田のお殿様と錢五と
いっても過言ではないかもしれません。

             

        (上段:銭屋五兵衛銅像    下段:記念館と庭園)

 

 金沢駅からは、昨年に続き、新幹線「かがやき」のお世話になりました。

       



 





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花置き  (bon)

2016-07-07 | 花鳥風月

 今日は、七夕。 天の川は久しく見ていないですね。 山の上などの周囲に明かりがなければ、
降るような星空を眺めることが出きるでしょう。 この時期を過ぎても、今年の山行きの時に
アルコールばかりに気を取られずに、空を眺めてみることとしましょう。
 今日は、二十四節気の「小暑」でもあるのですね。 1987年に7月8日がこの日に当たってから、
それ以降ずっと7日なんですね。太陽黄経が105度のときと定められているのです。 小暑は、
梅雨明けが近く、暑さが本格的になる頃とあり、暦便覧には、「大暑来る前なればなり」・・
なるほど!  しかし、今日の東京は昨日より9℃高い36℃の真夏日の暑さとなっています。

  食卓テーブルからすぐの、南側の花置きの様子です。 数日前に撮ったのもありますが、
今の姿も同じ感じです。 
窓の半分を すだれ で日よけを作りました。これは昨年、サギソウのために
試しにやってみましたら、うまくいったので、
今年も踏襲しました。

 サギソウ。 3月初めに球根(いも)を植えた今の姿で、もう1か月もすれば、純白のサギ(鷺)が
飛び立つことでしょう。

           サギソウの今
             

 サギソウは、ラン科、サギソウ属の多年草で、湿地に自生しているそうですが、園芸では山野草と
して珍重されています。別名サギランとも呼ばれるそうです。 私が、このサギソウを始めたのは、
2009年8月の昭和記念公園の「サギソウ祭り」に参加して以来ですから、もう7年になります。 
ブログにも、春の植え替え、秋の開花とほぼ毎年記事アップしてきました。 すだれの下のサギソウも
2015.8.16に記事アップしていました。

 どこにもある、あのありふれたペチュニアも、こうやってみると、何となく品があり、おまけに
涼しげな雰囲気まで醸し出していて、ペチュニアとは思えない感じです。

            涼しげなペチュニア
             


 ペチュニアは、ナス科、ペチュニア属の草木で、南米原産だそうです。和名「ツクバネアサガオ」と
あるように、アップでよく見ると朝顔に似ています。


 キンギョソウも近くでよく見ると、金魚に似ていなくもない? そんな風に見ることもできますね。
写真のは、草丈を切り詰めてあるため、何やら金魚鉢の中の藻の間を泳いでいるようにも見えて面白い
です。

            キンギョソウ
             

 キンギョソウは、オオバコ科キンギョソウ属で、英語ではsnapdragon(スナップドラゴン)と
呼ばれているそうです。金魚のおちょぼ口に似ているとか、尾びれを立てて泳いでいる姿からとか、
この名がつけられたとありました。


 最後は、ギボウシです。

            ギボウシ
             

 

 ギボウシは、擬宝珠(ぎぼうしゅ)から転訛したとあり、橋の欄干にみられるあの形に、この草花の
花序(花の若いとき)が似ているところから名づけられたそうです。 簡単には、ネギ坊主みたいだ
というのですね。 英語名は plantain lily とよばれ、これはオオバコユリの意となりますが、
ギボウシの葉っぱがオオバコに似ているところから名付けられたといいます。こちらも、
2015.7.2および2012.7.5に2度記事あっぷしていました。

  

 花置きの向こうには、春に桜が満開になる公園があり、その公園から手前に市民農園が続いてあり、
それらを見下ろしたりすることもあります。

 

 






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蓼科農園タマネギ祭り  (bon)

2016-07-05 | 蓼科浪漫倶楽部 畑

 今年4回目の蓼科農園作業に行ってきました。
7月1~4日の3泊4日でしたが、運よく曇りがちのお天気でしたので、作業は順調にはかどりました。
それでも、
太陽が照り付けると、じりじりと焼けるような暑さで、久しぶりにたっぷりと汗を流しました。

 表題をタマネギ祭りとしましたが、今回は、冬越しした、タマネギニンニクの収穫をしました。
タマネギは、普通の白いのと、紫タマネギができましたが、大豊作でした。中には400gを超えるような大玉も
ありました。 ニンニクは、これまでやや小さめの玉しか出来ませんでしたが、今回は、これも市販のものと
遜色ない大きいのが採れました。 これらはさっそく食卓に並びました。

タマネギ                           これ、ぜ~んぶタマネギ
 


            ニンニク
             


 ジャガイモ、男爵系は、すでに花が終わっていて、タワラ系が紫のきれいな花が満開でした。
次回、ジャガイモの収穫が予定されます。このほか、サトイモも順調で、平地より1か月遅れくらいのペースで
元気良く育って来ています。サツマイモも順調で、これらには丁寧な除草と追肥をして上げました。

ジャガイモ(マゼラン)         サトイモ(丁寧な除草と追肥)
  
  

ネットに囲まれた黒豆、ナス、ピーマン、トマトも、すくすくと成長し、ナスは早くも収穫できました。
ハツカダイコン、サラダ菜、パセリなどは、さっそくサラダとして食卓を飾りました。

           黒豆ネット(ナス、ピーマンなども)
            
  

 かぼちゃ、スイカ、ゴボウなどの畝を50mネットで囲いを作りました。ネット囲いは、2面出来上がり、
畑一面が、緑ネットの幾何学模様のアクセントがつけられ、本物農家?と遜色ない出来栄えと、自負したり
しています。

           かぼちゃネット
            (ネットは鹿対策)

 たっぷりと汗した疲れた身体を、縄文の湯 に沈めるときの、あの快感は瞬間、この世の幸せを一身に受けた
かのような満足感に浸るのでした。湯上りの、涼しい高原のそよ風がまたさわやかに元気を運んでくれるのです。
近所のお百姓さんと違って、朝から夕方薄暗くなるまで、日がな一日畑に滞在して作業をしている高齢者グループの
姿は、周りから見ると一種、異様に映っているかも知れません。

 

 今回、もう一つのエポックは、ワインです。 Kさんの自宅に、忘れ去られていた30年物のお値打ちワインが、
たくさん発見され、とりあえず8本がK邸に送られてきたのです。
少し冷やした赤ワインには、また格別の
味わいがあり 入手した頃のエピソードも添えられて食卓は一層盛り上がるのでした。

           ワイン
             
    

 いつものように、仕上がった畑と八ヶ岳をバックにでみんなで写真を撮り、次回までお別れとなりますが、
今回、八ヶ岳は雲の中に隠れたままさよならとなりました。

完成                 頑張りました
 


エアコンが効いた車の中で、畑でのことなど談笑するうち、いつものSA談合坂で休憩するとき、平地の真夏の
暑さに改めて現実に引き戻されました。 日中は暑くても風があれば涼しく、日が落ちるとさすがに高原の
さわやかさに、数日のうちに慣れていたのでした。

中央道帰路(韮崎付近にて)         談合坂SA
 


次回も暑いけれども、この涼しさも魅力の一つです。


 お待たせしました。オートスライドです。(4分余り)

 



            蓼科農園シンボルツリー
             



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ユネスコ加盟記念日  (bon)

2016-07-01 | 科学・生物

        今日から7月に入りました。 九州地方などでは豪雨が続き、
        各地で被害が続出しています。停滞する梅雨前線が早く北上
        して欲しいところです。

 

 「心の中に平和のとりでを築く」と憲章でうたい、1946年に国連の専門機関として発足したユネスコ
(国連教育科学文化機関)は、今年、70周年を迎えます。 日本は1951年に加盟し、その日、7月2日を
加盟記念日としています。 
 ユネスコは、世界遺産などでよく知られるところですし、最近物議を醸しだしたりしていますから今更・・
ではありますが、この機会に整理してみました。

         ユネスコの旗
           (ウイキペディアより)


 ユネスコは、世界の教育、科学、文化を通して 世界の平和と安全を実現することを目的としており、
United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization, UNESCOと命名されています。
 ユネスコ憲章の前文には「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かなければ
ならない」との文言があり、設立の目的とその精神を顕著に表しています。 そして、具体的なユネスコの活動は、
大きく①教育、②文化、情報・コミュニケーション、③ 自然科学、人文・社会科学の分野で行われています。

 教育では、万人のための基礎教育、識字率の向上などを目指して活動を続けられていますが、発展途上国の
人口増加、資金不足、戦争や内戦・民族間紛争、宗教等の慣習に基づく性差別等により その進展には難問が
山積しているとのことです。 ③の自然科学、人文・社会科学では、基礎科学、工学科学をはじめ、環境、水、
海洋など広い範囲に亘る改善企画や、人文面では、人権、貧困、などの基本的問題点の改善・向上および近年の
都市開発等の課題に向けて取り組みがなされています。 ②の文化、情報関連が最も関心がもたれている分野かと
思いますが、いわゆる“世界遺産”登録がなされている活動ですね。

 ユネスコ3大遺産事業には、世界遺産、無形文化遺産、世界記憶遺産があり、このうち、日本で登録されている
ものには、世界遺産に19件、記憶遺産に5件あります。 世界遺産19
件の内訳は、文化遺産15件、自然遺産
4件です。 複合遺産や負の遺産などの登録はありません。 


       日本の世界遺産 ⇒ http://nihon-sekaiisan.com/  


      ユネスコ記憶遺産 ⇒ http://www.mext.go.jp/unesco/006/1354664.htm

 

  ところで、昨年、中国が提案した「南京大虐殺文書」が一方的に登録されるという問題が起きてしまった
のです。 “今回の中国の提出した南京大虐殺なるものは、戦時プロパガンダとして捏造された事件であり、
史実ではない。戦時プロパガンダをユネスコ記憶遺産に登録しようとすることは、国民の間の旧敵国に対する
憎悪と憎しみを助長し、「人の心の中に戦争を起こそう」とする行為であるといっても過言ではない。中国の
している行為は、国連憲章の理念に反することが明白な、非常識なものである。”と反論はされているようですが、 
この他にも、“日本は明治日本の産業革命遺産をユネスコの世界遺産に登録申請したが、これに韓国政府が
イチャモンを付け、6月に日韓外相会談で、「forced to work」という、日本として認めるべきではない、
「強制労働」を意味する言葉を使って日本政府が声明を発することで合意した。さらに韓国政府は、ドイツのボンに
おける最終決定の段階で、この合意すら裏切る行為を、行った。”といいます。
 今や、ユネスコに多額の資金を拠出している日本として甚だ遺憾だとの声があります。これらの状況を受けて、
先月開催された記憶遺産アジア太平洋地域委員会の総会には、初めて日本人専門家ら3名を含むメンバーが
派遣されたという。

 文化外交に詳しい田中英道・東北大名誉教授の話「日本は文化外交が弱く、世界遺産でも記憶遺産でも
日本は後手後手に回っており、そうした事情を中国は知ったうえで臨んでいる。単に参加するのではなく、
国益と文化をつなげる意識を持ち、日本の立場を主張すべきだ」がありました。

                      


 今日、この後すぐに、今年4回目の蓼科に行って来ま~す。 タマネギなどの収穫、スイカ、カボチャなどの
ネット囲い、その他に追肥、除草などが待っています。


 

 

 

 

 

 

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