蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

永青文庫  (bon)

2018-09-29 | 日々雑感、散策、旅行

 まだ9月(9/27)というのに肌寒いくらい、最高気温は20℃に届かない、しとしと
と降る小雨のお昼前、JR目白駅が待ち合わせでした。
 駅前から、学習院を右に見て、まだ緑みどりしたイチョウ並木の目白通りをバスで目白
台3丁目まで来ました。

 今日のお目当ては、友人の企画による、永青文庫(美術館)の観賞から、肥後細川庭園、
松聲閣、関口芭蕉庵、江戸川公園までの美術鑑賞と庭園散策でした。
 バス停を渡ると、そこは、野間記念館で、よく手入れの行き届いた庭園の奥にしっとり
としたたたずまいの記念館の前まで行きました。 横山大観展を開催中でしたが、今回は
ここはパスして、ちょっと早めのランチとしました。

 富士山のふもとの自社運営するオトワファームから取り寄せているという、「野菜倶楽
部 oto no ha Café」で、大きなお皿にたっぷりの野菜サラダランチでした。多種の野菜と
ハムの角切りにスープ付き、それにコーヒーとまるでベジタリアン?の感じ。
 店内は、ほぼ満席でしたが、ほとんどが女性だったようです。

 永青文庫正面              入口
  


  細川コレクション「永青文庫」では、この期間『大名美術入門~殿と姫の美のくらし~』
とのテーマで、肥後熊本藩主、細川家の甲冑や調度品などのお宝が展示されていて、解説
を読むうち、ガラスの向こうに展示されている具足や陣羽織が、実際に身につけられていた、
またお道具類なども実際に使われていたとの感覚が急に迫ってきて、一瞬その世界にグッと
引き込まれました。
 これまで、同じような展示を何度も観てきましたが、それらは美術品として鑑賞し、ガラ
スを通すことで現実との距離が明確にありました。 このような身近な思いに一瞬引き込ま
れたまま、細川家の長い系図をまじまじと見入ってしまいました。

 そんな思いを抱きながら、柔らかな糸のような雨の中を、目白台から神田川に至る急に
下る地形を巧みに利用した、池泉回遊式の広々とした「肥後細川庭園」に入りました。
 人影もなく、傘を差して、眼下の池を眺めながら回遊し、元細川家の学門所であった
「松聲閣」(しょうせいかく)を見学しました。大正ロマンを感じさせるお屋敷の2階から、
庭園が一望できここでもひと時、遠い世界にいるような感じでした。
 1階のお茶室で、お抹茶をいただきながら静かな語らいに時を過ごしました。

肥後細川庭園(松聲閣2階から)      出口付近 


          お茶をいただきながら・・窓の外は庭園
            


 外はまだ小雨。 神田川沿いに江戸川橋方向に少し行ったところに、左側に急な上り坂
「胸突坂」があり、それをちょっと上がったところの「関口芭蕉庵」に入りました。
 ここは、江戸の水を確保するため神田上水の改修工事が行われていた頃(1680年ころ)
に、工事に携わっていた松尾芭蕉が住まいにしていたところだそうで、この地に復元した
とありました。 あの芭蕉がまさか!という気がしましたが、当時、ここは「竜隠庵」と
呼ばれた水番屋で、そこに住んでいたのだそうです。
 神田川沿いに正門がありますが、めったに開門されず、胸突き坂の裏木戸のようなところ
が現在の出入り口となっているのでした。

         関口芭蕉庵(現在の出入り口)
            


 池を囲む鬱蒼とした木々の庭を回るほど、これが当時の面影なのかとも思ったりして、
管理人さんに問い合わせていると、とにかく一人でお守していて、手入れも行き届かなく
て申し訳ないという感じで、いちいち正門を開けるのも大変なのだとか・・。
 ちょうど、書道展が開かれていて、勧められるままに座敷に上がり、ご自身の作品も出展
されている 若い女性書家から直々の解説をいただき、芳名録に記帳するなど得難い体験を
しました。

 桜のころは、大変な賑わいとなるソメイヨシノの大木の並ぶ神田川沿いの道も、今日は
ひっそりとして、左側上方に椿山荘を見ながら最終点の江戸川橋まで来て、お別れとなり
ました。

 小雨もほぼ上がったようでしたが、細い小雨は、今日の行程の印象をより一層深める演出
であったように思われました。
 しっとりとした、楽しい充実した一日でした。

 最後に、ランチどころの写真です。 

ランチをした 野菜倶楽部 oto no ha Café  野菜サラダランチ
   

 


 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブロッコリー他  (bon)

2018-09-27 | 日々雑感、散策、旅行

 例年は、ブロッコリーの苗を買ってきて植え(秋植え)ていますが、今年は、種から
やってみようということで、8月中旬(8/12)にポット播きしました。

 種まきした時の水やりが多すぎたのか、やや徒長気味に芽が出てきました。 なかなか
しっかりとした苗に育ってこないうちに、そろそろ植え時を迎え、市民農園のキュウリを
栽培した後地(マルチ穴)に植えることとして、石灰や肥料を整えて準備していましたら、
お天気がぐずついて、雨模様で植え付けタイミングがずるずると伸びてしまい、いまだに
ポットのままを過ごしています。
 茎がしっかりとしていないので、植え付けをためらっていることも理由です。

     ポット播きしたブロッコリー(種まき後45日)
               

 

 ブロッコリーには、握りこぶしのような花芽の集まった品種と、それらが、ばらばらに
分かれたスティック状のものがあります。
 前者は、花頂蕾(かちょうらい)と言って、軸の頂上部分を食する昔からある通常の
もので、後者は割と最近出回ってきた品種のようで、軸の頂上の蕾だけでなく、10~15㎝
くらい茎も一緒に食べるタイプです。
 後者をスティックタイプのブロッコリー『ブロッコリーセニョール』と呼ばれる品種で、
サカタノタネが中国野菜の芥藍(かいらん)とを掛け合わせて作ったと言われています。

 ブロッコリー(通常)             ブロッコリーセニョール
  
                   (共に、ネット画像より)

 

 で、私がこの度ポット播きしたのは、後者の『ブロッコリーセニョール』なんですね。 
ここ数年は、購入苗もスティックタイプですから、どうもこちらの方が気に入っている
のですね。

 ブロッコリーは、ケール(キャベツの仲間)が祖先にあたるアブラナ科アブラナ属の
植物で花芽を食べます。地中海沿岸が原産とされ、イタリアで育ち、19世紀にはアメ
リカに伝わったのだそうです。 日本へも明治時代になってカリフラワーと共に入って
きたといいますから、だいたい同じころなんですね。

 栄養価は、ビタミンCが豊富で、レモンより多く 食べる量からすると非常に有効で、
疲労回復、かぜの予防、ガン予防、老化防止に効果があるといいます。 また、葉酸も
多いそうで、ビタミンKやEも含まれているそうです。食べやすいし、重宝な野菜の一つ
ですね。糖尿病予防にも効果的とか・・。

      
 
 ベランダに咲いている今頃の花たちをパチリとしましたので・・。
かわり映えしませんが、あの焼けつくような暑い夏を過ごしてきた花たちです。雨続き
ですので、ここ2~3日、晴れの合間にパチリとしたものですが、小雨の中 今も咲いて
います。

ヒガンバナ(9/22)            ムクゲ(9/24)
   

 

綿の花(9/24)             綿の木(9/24)
  


 タマスダレ(9/22)          ジニア(9/24)
  


        コルチカム(花置きで9/24)         
        


  秋風に乗って そろそろ、キンモクセイの香りが漂いそうです。小さな蕾がいっぱい
つき始めてきました。ススキの穂も伸びてきています。

 市民農園に蒔いた(9/15)ダイコン(青首)は、間引きして 今、2本立ちにしてい
ます。 まだ、ナス、ピーマンが収穫出来ています。

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

しんかい6500  (bon)

2018-09-25 | 日々雑感、散策、旅行

      中秋の名月、昨夜8時ころ、短い時間でしたが雲間に輝いていました。
      今夜の満月は、雨模様でだめですね。来月の十三夜は蓼科で・・。 

 海底の無人探査技術を競う世界初の国際コンペティション「Shell Ocean Discovery
XPRIZE」の決勝ラウンドに アジアから日本のチームが出場するとのニュースが、先頃
(9/18)に発表されました。(これについては、後述します。)

 たまたま、手元にあった会報(最新号)の、『しんかい6500の世界』と題した講演録
(今年3月講演、大西琢磨氏、チーム潜航長、日本海洋事業㈱)を興味深く読んでいた
ところでしたので、実物などはまったく見たこともありませんが、講演録とネット調べ
から、その概要をまとめてみました。

 一昨日のニュースに、「はやぶさ2号」が小惑星「りゅうぐう」に接近して、観測ロボッ
ト2機を小惑星に落下させることに成功した、種子島から、国際宇宙ステーションに向け
て「こうのとり」の打ち上げの成功・・と、宇宙の話題が矢継ぎ早に報道されるなど、
今や宇宙に対しては、かなりの事象の把握と制御が進んでいます。
 しかし、一方、深海に関しては、これまであまり解明されてきていませんでした。 
深海底地形・環境の様子を始め、海底資源の探索、地震発生メカニズムの解析など開発す
べき課題は多く、これまでも世界中で深海技術の開発に取り組まれてきています。

 そんな中、深海技術を先導しているのは、日本だそうで、既に1929年に「深海作業船」
を造り、35年には現代とほぼ同じコンセプトの深海作業船が造られ、
350mの深度を達成
していたというのです。

     しんかい6500
       (JAMSTEC HPより)


 深海というのは、厳密な定義はないとありますが、一般的に200mより深い海を指すよう
です。 海の平均水深は約3800mだそうなので、海の80%は深海と言えるそうです。
 水深6500mでの水圧は、約680気圧だそうで、これは「指先に自動車1台分の重さ」が
かかるのだそうです。この大水圧が深海探査をはばんで、深海のほとんどは未踏の領域で
あると言われます。
 ウイキペディアによれば、
『 深海は光合成に必要な太陽光が届かないため、表層とは環境や生態系が大きく異なる
うえ、高水圧・低水温・暗黒・低酸素状態などの過酷な環境条件に適応するために、生物
は独自の進化を遂げていると考えられており、表層の生物からは想像できないような特異
な形態・生態を持つものが存在し、その性質の相異から表層と深海の海水は混合せず、
ほぼ独立した海水循環システムが存在する』 とみなされているのです。

           

 さて、「しんかい6500」の概要をご説明します。 長さ9.7m、高さ4.1m、幅2.8mで、
中型バスくらいの大きさの潜水船で、重さは約27tあり、乗組員は、パイロット2名、研究
者1名の計3名が定員です。
 構造的には、外殻はFRP(繊維強化プラスチック)で出来ていて、潜航中は、外皮の内側
と外側の水圧が等しくなるよう開口部から船体内部に海水が入るようにして高水圧から守る
設計になっているそうです。 コックピットは、「耐圧殻」と呼ばれ、チタン合金製の厚さ
73.5㎜、内径2mのほぼ真球の空間です。椅子は無く、床に3名が座る形で観測するのです。 
 また、安全性から、外皮の内側に無数の浮力材が埋められていて、必ず浮くように設計
されているそうです。

 しんかい6500               コックピット
  
              (いずれも JAMSTEC HPより) 

 潜航するには、支援母船「よこすか」(4500t、乗員、研究者併せて約60名)の格納庫に
搭載されている「深海6500」が、調査点で支援母船から離れて、潜るのです。
 6500mまで潜るには約2.5時間かかるそうです。 水面まで浮揚するのにも約2.5時間かか
るので、海底での調査時間は約3時間ほどとなるのだそうです。 一度の潜航時間は約 9
時間程度だそうです。

     支援母船 よこすか
      (JAMSTEC HPより)

 潜航服は、F1レーサーが着るのと同じ不燃性のノーメックス素材で出来ているそうです。
耐圧殻内では100%酸素ボンベ(空気ボンベではなく)なので、不燃性で、防寒を兼ね備え
ているのだそうです。 しかし、狭い、寒い空間での長時間にわたる作業は大変なことだ
と思います。

 調査作業は、強力なライトと、前下方にある2本のマニュピレータで行うそうですが、
熟練を要するのでしょうね。

 これまで、1500回以上の潜航を行っているそうですが、先の東日本大震災後には、宮城
県沖の震源海域に潜り、大きな亀裂を発見し 周辺調査が行われましたし、近年話題のメタ
ンハイドレード調査や、マンガンノジュール調査も行われているといいます。 コバルト
などのレアメタルの含有量が非常に多い 有力な資源畑の発見だそうですが、残念ながら
これらの鉱物を海底で採取した後、海上まで引き上げる技術がまだ確立していないのだ
そうです。

           

 世界の有人潜水調査船はどうかというと、アメリカの「アルビン」(1964年)は4500mで
改造後は6500mを目標、フランスは「ノチール」(1984年)6000m、ロシアは「ミール1
&2」(1987年)で6000m、中国の「蛟竜」(2012年)7000mなどが挙げられていました。 
  このうち、ロシアのミールでは、キャメロン監督がこれに乗り水深約3800mの海底に沈む
タイタニック号を撮影したとありました。

 これら、有人潜水調査船の他に、無人潜水船も活躍しているそうです。
 無人探査機には、ケーブルに繋がれている遠隔操作型と自立型があり、遠隔操作型は
電力が供給されるので探査時間に制限がない利点があります。

     遠隔操作型無人探査機例 
      (JAMSTEC HPより)


 冒頭にご紹介しました、国際コンペティション「Shell Ocean Discovery XPRIZE」の
決勝ラウンドに出場する『Team KUROSHIO』が使用するのは、自立型の無人探査機です。

      (Team KUROSHIO HPより)


 Team KUROSHIO は、国立研究開発法人海洋研究開発機構(JAMSTEC)、東京大学、九州
工業大学、国立研究開発法人海上・港湾・航空技術研究所ほか、日本海洋事業株式会社
など4社の計8機関で構成されています。

 この国際コンペティションは、2015年に世界各国から32チームのエントリーでスタート
し、その後、これまでに技術提案書審査、Round1技術評価試験という2つの関門を通過し、
決勝となる「Round2実海域競技」に進出した19チームのうちの1つが、Team KUROSHIOなの
だそうです。
 いよいよ今年10~11月に最終決勝に挑みます。 4000mの海底を24時間以内に250㎢~
500㎢(東京ドーム1万個の広さ)の海底地形図を作成すること、さらに海底の特徴的な
画像を10枚以上撮影することがそのミッションだとか・・。
 賞金総額700万ドル(約8億円)で、12月頃結果発表になるようです。
 未知を求める壮大な話ですね。


 <参考>
 ・海洋開発研究機構(JAMSTEC):文科省所管の国立研究開発法人
     調査船を所有し、海底資源や極限生物の調査、地球環境変動の観測、地震の
     原因究明、深海掘削などを行う。
 ・日本海洋事業株式会社:JAMSTECが保有する調査船、無人探査機の運行を受託する他
     次世代海底地震計、水中機器などの開発等を行っている。

 


 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

園芸友の会 Sep.’18  (bon)

2018-09-23 | 日々雑感、散策、旅行

        明日は、中秋の名月で、明後日(25日)は満月です。 このところ、惑星のオンパレード
    ですから、早い時刻なら金星も見られ、火.木、土などが・・。お天気具合が心配ですが・・。

 

 あの暑かった夏も急に涼しくなり、この日(9/21)も朝から小雨が降っていました。
そんな中、園芸友の会例会に出かけてきました。

 いつも会場として使っている日比谷ビルの会議室は、ビルの建て替えが計画されて
いるとかで、使用できるのは今回の例会が最後だとのことでした。
 このビルは、入社以来長年にわたり勤務したところで、私にとっては、いわば会社
人生の拠点みたいな感じになっていましたから、一抹の寂しさを覚えました。

 例会は、講師先生の「季節の話題」で始まり、秋植え球根にまつわるお話のとき、
持参された球根(スイセン、ヒヤシンス)を皆さんにいただいたり、先生ご自慢の
“おもしろ栽培”のご披露では、常識にこだわらない、むしろいたずらっぽく植えつけ
て見たりした実験結果などがご披露され、場はひとときざわめくほどでした。

 例会の風景 2葉
  

 

 会員による「持ち寄り報告」は、3件ありました。 1件目は、自家の庭に咲く花木や
花壇の花たちの報告で、四季折々に咲く花の中でも、特にアメリカ芙蓉と牡丹がご自慢の
ようでした。

 2件目は、「栗花落」を「つゆり」と読む、難読名に出会ったことから、「京」が、
「かなどめ」と読む・・にいたり、「京」でお終いとなる「いろはかるた」にたどる、
ご自身の思いが楽しく語られました。 併せて、この「栗花落」の名のお菓子があること
がわかり、岐阜県中津川のお店にわざわざネットで取り寄せた、上品な器に入った高級
和菓子「栗花落」のお相伴に預かったのでした。

 3件目は、私から「私のブログから」と題して、今年2月頃からのブログ記事から「赤塚
田遊び」「第2の地球」「五分咲き」「カクテルキュウリ」「自然農法」の5つの話題を
ご披露しました。

 

 いつもの日比谷公園は、小雨の中、イベントのための準備が行われていました。噴水
広場、小音楽堂は、何やらパイプの骨組みで込み入った舞台風な感じの空間が構成され、
第2花壇の広場には、テント群が完成していました。
 帰宅後、イベントを調べましたら、22~23日に開催される「日韓交流お祭り2018」と
あり、今年10周年になるのだそうです。 昨日、今日と賑わっていることでしょう。

 噴水広場・小音楽堂            第2花壇のテント群
    

              

        懐かしい日比谷ビル(例会はこの中の会議室で)
         
                   (内幸町交差点から)  

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神楽坂研究(12) (bon)

2018-09-21 | 日々雑感、散策、旅行

 ようやく涼しくなりました。 それにしても、暑かったですね、今年の夏!
皆様には、無事、この夏を乗り切られたことと思います。 

 神楽坂の“若さん”もますますお元気のようで、早朝散歩で健康維持・増進を心がけて
積極的な活動にいそしんでおられると拝察しています。 
 このほど、神楽坂からもほど近い、北の丸公園周辺の話題が送られてきました。いつも
ながらの小気味よいタッチで、普段見過ごしている事柄を、その鋭い観察眼に基づく、
気付きをユーモアたっぷりに表現された幅広く面白い
内容でした。
 “ぼうっと生きていないので、チコちゃんには叱られないないでしょう!” 


******(若さんの 神楽坂研究(12)街並み散策 2 北の丸公園周辺)******

 

1.「北の丸公園」癒しの森林浴空間!

 
 
田安門(北の丸公園) 公園内の緑地(池、芝生広場)   樹齢50年越えの古木  靖国神社(6時開門)

 
 神楽坂は早稲田通りの一部です。毘沙門天から南の起点、九段田安門(北の丸公園北口)
までは徒歩約15分のところです。
 神楽坂(住)人は早朝、神楽坂-飯田橋経由か新見附-靖国神社経由で北の丸周辺に集ま
ります。 目的は ①ウオーク/ラン  ②ラジオ体操  ③犬の散歩  ④桜・紅葉見物(春秋)
⓹野外ヨガ(春秋週末)他です。 もともと江戸城北の丸は、千姫、春日局に代表される
大奥の隠居所、関東代官、旗本屋敷だったので、今も代官町通り(竹橋-千鳥ヶ淵)の名が
残っています。
  明治からは近衛師団司令部(東京国立近代美術館工芸館)兵営地でした。 戦後、森林
公園として再開発され、武道館、科学技術館、近代美術館、昭和館などが新築され、桜の
名所千鳥ヶ淵緑道を含む広いエリアです。
 開園以来、早朝には千代田(住)人、神楽坂(住)人、文京水道・後楽(住)人が集ま
り、四季の変化を感じ、森林浴で癒される超都心の素敵な異空間となるのです。


2.ラジオ体操にフェラーリ、ロールスで来ます!

 
 
田安門隣接「彌生慰霊堂」 改修、増築工事中の武道館  車族(フェラーリ、ベンツ、ロールスロイス)

 

  一番人気は昔からラジオ体操です。 北の丸は雨天予報で中止となりますが、靖国神社
の方は、戦闘帽に上下白の制服組女性軍団が仕切っていて、台風でも決行です。
 2020年オリパラに向けて増改築工事中の武道館前には、朝 6時を過ぎるとラジオ体操族、
犬散歩族の車が5~10台並びます。 フェラーリやベンツ、ロールスのコンバーチブル(
ドーン)のナンバーは品川なので千代田(住)人所有車です。 近くのコインパークには、
朝までドーン・ブラックバッチ(4,500万円)駐車しているのを時々見かけます。
  昔住んでいたワシントンDCでは、路駐のコンバーチブルや高級車は車上荒らしにあう、
盗難あるいは放火されてGONE!  日本は超安全です!

  ランナー(大手町/丸の内勤務者、外人宿泊者)とスポーツバイク(自転車)は皇居を
反時計回りで代官町通りを上り周回します(自民党谷垣幹事長事故コース)。 そして、
犬散歩族は年々、ラジオ体操族を超える勢いを感じます。 
 犬たちを観察していて“不思議発見!” 犬が急に座り、動かなくなる場所があるの
です。何か気配感じたので周リを調べると警視庁・消防庁殉職者「彌生慰霊堂」があり、
城創建時から唯一残る 田安門(高麗門(こうらいもん)、櫓門(やぐらもん)=重文)と
武道館の間にひっそり隠れています。お堂の狛犬達が犬を呼んでいるみたいです。


3.“Incredible!India”Incredible things…!!

 
インド大使館塀の政府国際キャンペーンロゴと写真(Incredible!India すばらしいインド) 通話しながら犬と散歩の外人
 

  千鳥ヶ淵北西のインド大使館のヨガ教室は大人気です。 しかし、朝ウオーキング中の
大使館婦人は全員「完全メタボ体形」! 信じられないインド=Incredible India!と
いいたい!ところです。
 かって、シリコンバレイでインド人と仕事をしたことがありました。 ソフトウエア
開発はほぼインド系。 Apple 社の2人のステイーブが XEROX PARCで開発した技術・
コンセプトを発展させ、今やほぼ人類全員が持ち歩くスマホを開発し、世界一の市場価値
の会社になりました。 IT業界を支えるインド人でメタボを見たことありません。(笑)

 スマホ進化は驚きの連続。 犬と散歩中の外人は、1時間以上スマホ通話。 Facebook、
LINEでの通話(ビデオ通話も)は国際間でも契約によっては実質無料です。 以前、園内
公衆トイレのコンセントからホームレスの人がスマホ充電しているのを見て、ガラケー
辞めました。(笑)

 7日の北海道地震でブラックアウトが発生(道全域停電)し、交通機関(JR、地下鉄、
空港、信号システム、ガススタンド)ダウンで経済活動大打撃。通信各社は非常用電源で
ワイアレス通信(メール・通話・ネット)はほぼサービス確保したので、トラック・フェ
リー輸送、救急活動等はできました。 昔の黒電話と違い、ルーターや固定電話機
(Tel/Fax)は、100v電源なので不通でした。  スマホ、ガラケーは災害時の命綱です。

  先日、信じられない初体験をしました。
 園内で対向する 2人組男性から会釈され「アンニョンハセヨ」の挨拶口撃! 反応は
笑うだけでした。 海外では、フィリピン人だと思われたことがあります。タガログ語、
英語で話しかけられます。 神楽坂に多い仏人とはçava?çava (サバ?サバ=元気?)
しています。 韓国人同胞に思われたのかな?
 函館朝市では、店員に英語で声かけされ、「ニーハオ」で返答したら、「やっと日本の
お客さんに会えた」と言われました。本人としては、ルーツは何系か混乱します。(笑)

4.(新)気象観測点は、涼しい森の中!
 

 
   気象庁大手町露場(旧観測点)    北の丸公園露場(新)  昭和館、九段会館、旧太陽神戸銀行本店


  気象庁虎ノ門移転に向け、同時比較観測を経て北の丸へ露場を2014年に移転。 ビル群
から森にです! 結果、最高気温はほぼ同じ、最低気温が平均1.4度低く湿度は高めでした。
  皇居北桔梗門近くで観測開始以来5度目の移転(136年目)でしたが元の場所近くに復帰。
今年の7月、熊谷で41.1度と日本記録を更新。 東京の歴代最高気温は2004年の39.5度。
素人判断ですが、当分40度超えは観測されないと思います。 観測環境が違いすぎます!

 東日本大震災時、天井崩落で死者を出した九段会館(旧軍人会館 国有地)は解体中で
す。 2022年、北の丸隣接地についに高層ビル(22階)が出現します。  つづく 
                            2018.9.19  若



 CHET BAKER Autumn in New York





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旅情  (bon)

2018-09-19 | スポーツ、芸能、映画

   映画を観ました。
 1955年制作のイギリス映画「旅情」がBSでやっていましたので、ためらずスイッチオン
してしまいました。 その昔、
観ているはずですが、シーンなどは皆目覚えていないこと
に驚いた次第です。

 アメリカの地方都市で秘書をしていたオールドミスのジェイン(キャサリン・ヘップ
バーン)は、長期休暇を取って念願のヨーロッパ旅行を実現し、ヴェネツィアの駅に着い
たところから始まります。
 駅の雑踏を、大きな荷物をポーターに持たせて、足早に人波をかき分け『ペンシオーネ 
フィオリーナ』と言いながら、水上バスに乗り込む・・。

          

 そこは、カナル・グランデ、前方にリアルト橋らしき橋が見える。一気に映像に引き
込まれてしまいました。
 ヴェネツィアには、残念ながら行ったことがありませんが、ネットのライブ映像で 24
時間写っていて、早朝は茶色い建物と運河、空には鳥が舞う静かな風景、日中は、水上
バス、ゴンドラがひっきりなしに行き交い、多くの人の流れに賑わい、夜は川面に明かり
が映りロマンチックな空間が流れる‥そんな映像から、近くのサンマルコ広場など、何と
なく以前に疑似体験しているような感じであったからです。

         
          カナルグランデとリアルト橋          サンマルコ広場

 話はそれましたが、そんなヴェネツィアが舞台なんです。 ジェインは、16㎜カメラを
回しながら、街中を見物したり、はしゃいでいますが、そのうち一人旅の寂しさを感じた
りするのです。

 サン・マルコ広場に来て、喫茶店のテーブルに腰を下した。 しかし、背後からじっと
彼女をみつめる中年のイタリア男、レナート(ロッサノ・ブラッツィ)に気づくと、あた
ふたとそこを去ってしまう。
 翌日、彼女は通りすがりの骨董店に入ると、そこの主人は偶然、昨日サン・マルコ広場
で会った男だったのです。 うろたえた彼女は十八世紀の品だというゴブレットを買い、
早々に店を出ましたが、これがロマンスの始まりだったのです。

           
         広場の喫茶店で

 アラフォーの独身女性の一人旅の心の起伏に、ハンサムで、口説き上手なイタリア男に
惑わされ、次第に惹かれて行き、しばらく楽しい日々を過ごしますが、どこかしらモラル
に反しているとの心の葛藤から、急遽帰国を決意しヴェネツィアを去るのです。

 心を残したまま列車に乗り、ホームの人影に必死に目をやりながらレナートを求めます
が、やがて汽車は滑り出し、ホームに彼が走ってくる姿を見つけ、いつまでも窓から身を
乗り出して手を振っているあの有名なラストシーンとなるのでした。

            
       

 主人公ジェインの心の高揚や不安、分別の中にも燃える思いなどをキャサリンヘップ
バーンの演技が見事にそれを表現し、運河の都、茶色の景色など背景の美しさを惜しみな
く映し出された映像(監督 デヴィッド・リーン)にしばし引き込まれてしまいました。

  (このブログページ内の写真は、映画「旅情」のネット画像より拝借しました。)

 

 

  

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

だんじり  (bon)

2018-09-17 | 日々雑感、散策、旅行

        今日(9/17)は、敬老の日です。 高齢者(65才以上)は、前年より44万人増の3557万人
    (人口比28.1%)と過去最高。70才以上、総人口比は、初めて20%を超える20.7%。100才以上が
     6.9万人を超えたそうです。 確実に“テルミニ”に近づいている私は、その内前方に“それ”
     が見えてくるのでしょうが、今はまだ、窓外の景色などに気をとられて楽しんでいます。


 岸和田のだんじりは、今や全国的に有名になりましたが、昨日、一昨日(9月15,
16日に)行われました。 テレビでもお馴染みの、速度に乗っただんじりを方向転換
させるあの勇壮な「やりまわし」が醍醐味で、曳行コースの曲がり角は大勢の観客で
あふれています。

 ウイキペディアによれば、『 だんじりとは、日本の祭礼に奉納される山車に用いら
れる西日本特有の呼称。「楽車」・「壇尻」・「台尻」・「段尻」・「地車」とも表記
される。主に近畿地方・中国地方・四国地方などの祭礼で登場し、「曳きだんじり」と
「担ぎだんじり」の2種類に大別される。』とあります。

   だんじり
     
                           (ネット画像より)

 

 上の写真で分かりますが、大小2つに分かれた独特の破風屋根があり、多くの彫刻、
刺繍幕や金の綱のほか、提灯やぼんぼり、旗などの装飾が施されています。 高さ4m、
重さは4トンあるそうです。 34台が街中を疾走するのですね。

 

 だんじり祭りの起源は、1700年代といいますから、300年ほどの歴史がありますが、
五穀豊穣の祈願や疫病退散を祈願する祭りとしたのが始まりとありました。

 今年は、直前の台風21号で、岸和田の町もかなりの被害が出たそうですが、町を挙げ
て開催し、むしろ元気を取り戻すとの意気込みで、街は一気に活気づいたそうです。 
 しかし、台風の影響で、開氏のハトの放鳥が中止になったり、有料観覧席の桟敷席は
資材が入手できないため、立ち見となった、岸和田城の大木が倒れたので入場禁止と
なるなどの影響はあったそうです。 15,16日の期間中約40万人もの人出がある
そうです。

 何といっても、荒々しい「やりまわし」が見どころですが、中でも比較的道幅が狭い
紀州街道には、いくつかの「やりまわし」の見せ場があるそうで、だんじりが家屋を
破壊したりするのは大体これらの箇所で発生するようで、沿道の建物には「だんじり
保険」という保険が掛けられたりしているという。
 今年も、男性が負傷したり、S字カーブで、軒に衝突した画像が出ていました。 

 また、これとは対照的に、宵宮、本宮とも夕方から夜半近くまで「灯入れ曳行」と
呼ばれる約200個の赤い駒提灯に照らされただんじりが老若男女問わず楽しめるよう
歩行曳行されるのだそうです。
 昼間の「動」に対し、雅やかな「静」を演出しています。

 

 

9月15日宵宮の様子。

 

9月16日本宮での事故 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブラックアウト  (bon)

2018-09-15 | 日々雑感、散策、旅行

       震度7の大地震に見舞われた北海道は、あれから9日が過ぎました。地震で亡くなられた方は勿論、
         遺族の方々の悲しみと、避難を余儀なくされた方々、さらには断水、停電と共に大変ご苦労な目に
         遭われた皆様には改めてお見舞いする次第です。 震源地近くの山肌に無数の土砂崩れの爪痕の映像、
     液状化現象で崩壊した建物には、胸が詰まる思いです。

 

 今回の地震で、北海道全域が停電する「ブラックアウト」に陥りました。 幸い、昨日
(9/14)の政府発表では、なお引き続き節電に努めてほしいとのことですが、これまで
の、電力の「2割節電」なる数値目標は解除されました。
 ホッと一段落というところですが、このブラックアウトについて少し見てみたいと思い
ました。

 

 ブラックアウトには、いろんな意味があるようですが、ここでは、今回(9/6)の北海
道地震によって起こった全道停電(発電・送電・変電・配電の全系崩壊)について、おさ
らいしてみました。 1977年のニューヨーク大停電が有名ですね。

    北海道で起きたブラックアウト
       (ネット画像より)

 停電になると、照明、エアコン、冷蔵庫、テレビなどが使えなくなるほか、パソコン、
スマホなどの情報機器の電源(充電)が出来ないうえ、最近の固定電話も電話機が100vで
動作しているため使えなくなるのです。
 私の親戚が旭川にいますので、何度も電話をかけましたが、電話機の電源が入っていない
ために繋がらなかったです。 集合住宅などでは、水道もとまり、トイレも使えないなど、
殆ど日常生活がお手上げになるのですね。

 

 さて、地震は、午前3時7分に発生しましたから、電力需要は少ない時間帯で、310万kwと
あり、震度7を観測した厚真町にある苫東厚真火力発電所が、このうちの5割以上を賄って
いたのです。
 で、この発電所の発電機3基のうちの2基が地震の影響で停止して、計130万kwがストップ。
残る1基(35万kw)は、稼働していたので、道内の約半数の地域を強制的に停電させ、
あわせて本州からも約60万kwを受け、電力の需給バランスを保ち、ブラックアウトを回避
しましたが、その10数分後に需給のバランスは崩れ、道内の発電所が次々と強制切断に
入り、結果全道停電に至るブラックアウトとなってしまったということだそうです。

          

 電力は、需要と供給(発電量)のバランスが取れている状態で正常に運転されているの
です。水道のように、供給側の圧力で、配水しているのではなく、どちらかといえば、需要
側が吸い上げるような形で配電されていて、需要が急激に増加すると、供給側に大きな負担
がかかり、発電機の回転が重くなり(遅くなり)タービンの羽根が損傷するなどの故障が
起きてしまう。 これを防ぐため、自己防衛的に送電スイッチが強制的に切断される仕組み
になっているのです。
 家庭で、電気器具を一度にたくさんつけると、過電流となり配電盤のブレーカーが遮断
するのに似ていますね。

 

 需要が急に増加すると、発電機に負荷がかかりタービンの回転が遅くなり、電気の周波数
が下がり、タービンの羽根などが破損する可能性があるそうです。なので、これを防ぐため
に、強制的に送電回路を遮断して発電所を護る仕組みになっているのです。

 NHKニュース(記事)では、『 発電所を守るためには周波数を一定に保つことが重要だ。
周波数を一定に保つためには電力の需要と供給を同じ量にすることが欠かせない。周波数は、
東日本では50ヘルツが基準で、トラブルが起きても、48.5ヘルツから50.5ヘルツの間から
外れないよう、電力会社が精密にコントロールしている。
 しかし、電力供給が急激に失われると、周波数が大幅に低下し、送電線でつながっている
ほかの発電所は損傷を防ぐため自動的に停止するシステムになっているのだ。』とあります。


 停電は、地震発生後2日後には、道内のほぼ全域で解消したそうですが、これにより、
コメやとうもろこしなどの農作物や、今年豊漁のサンマなどの魚介類の輸送ができなかった
り、生乳が処分されるなどの被害のほか、多くの病院が一時、外来の受付を中止したり、
透析患者への対応に奔走するなど広い範囲に影響や被害が広がりました。

      

 電力の重要性はいうべくもありませんが、この運営は需給のバランスが保たれていること
がその前提にあり、これを維持するための工夫が取られているのです。
 供給設備(発電量)に余裕を持たせることはまず第一ですが、これには費用も掛かります
から、各発電所間の電力の相互融通によってもバランスを維持するように構成されているの
です。 電力エリア内の各発電所の相互融通は勿論、各エリア間の相互融通は、下図のよう
に行われているのです。

   電力の地域間連携線の現状
   
                           (首相官邸HPより)

 上図で、地域間連携線とは、各電力管内をつなぐ送電線です。この図には、年度が示され
てい
ませんので、数字は現状ではないかもしれません。また、この数値は、相互応援融通
可能量ではなく、一応の目安であるようです。

 

 このような電力の相互融通をみると、北海道は、ある意味孤立状態とも言えるのかもしれ
ないことが判明します。

 すなわち、小沢守氏(関西大学社会安全学部教授、現代ビジネス)によれば、
『 北海道電力は、電力10社の中でも規模がかなり小さく、発電最大出力で見れば781万kWと、
四国電力の578万kWより少し大きく、北陸電力の808万kWより少し小さい。本州・四国・九州
に位置する他の電力会社の管轄区域間は交流線で連携が取られ、特に50Hz領域ではけた外れ
に大きい東京電力、60Hz領域でも中部電力、関西電力の巨大な電力網が整備されており、
一部の発電所が送電を停止しても、容易にブラックアウトにはならない。

 北電と東北電力の間では海底ケーブル「北本連系線」によって電力の融通が可能になって
いる。しかし、今回のようなブラックアウトが起きればいかんともしがたい。長距離の交流
送電はロスが大きいため、北本連系が直流送電で行われていたこと、主として予備電力不足
対応であったことなども指摘できる。つまり北海道の電力供給は、危機事象に対して「事実
上孤立している」と考えてよいだろう。』

 更に北海道電力は、出力が小さい発電所が大部分で、最も新しい苫東厚真の4号機でも
運転開始は2002年と、すでに16年が経過しており、古いものは完成から50年に及ぶものも
あり、30年以上経過したものが大部分であるという。

 経年劣化は免れず、これまで、停止・出力抑制発生件数は2010年で52件、2011年度68件、
2012年度86件、2013年度67件、2014年度85件、2015年度109件、2016年度82件、2017年度
84件と増加傾向にあったそうです。

    

 対策として、『現在建設中の青函トンネルを通る新たな連系線(30万kW)を、交流で少な
くとも100万kW程度の連係ができるようにしたい。そして、これは北電の負担とするより、
むしろ国費を投入すべきである。日本全体の安全性を向上させる重要な施策であると同時に、
現在進められている電力自由化と発送電分離の政策からしても、今後はたとえば北海道の
太陽光や風力による電力を東京で使うことも、また逆の場合もありうる。』

 さらに、自衛手段としても『災害時に避難場所となる学校などに非常用電源設備を備えて
おき、普段から活用しておくことも重要であろう。平常時に、一見すると「無駄ではないか」
とも見えることこそが、実際に災害が発生した時には重要な安全対策となるのだ。』

などの提言がなされていました。


 長くなりましたが、全体の論調の流れの中で、運営コストの安価な“原発”が稼働してい
れば・・のような原発を評価するような響きが感じられましたが、福島で経験しているよう
に、一旦事故に繋がれば、その被害や莫大な費用がいつまでも続くことを考えれば、安易に
原発に頼るなどとの見方は避けたいものです。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

だらだら祭り  (bon)

2018-09-13 | 日々雑感、散策、旅行

 東京港区芝大門にある「芝大神宮」で、毎年、9月17日の例祭を中心に、9月11日から
21日まで、神輿渡御などの各種神事が行われるお祭りです。それが長期間「だ
らだら」
と続くために、古来より「だらだら祭り」と言われているのだそうです。

  そしてこの期間中に「生姜(しょうが)」を授与しているところから「しょうが祭
とも言われているとあります。

 なんでも、江戸時代、この周辺に生姜畑があって、盛んに生姜の栽培が行われており、
生姜には毒消しの効果があるとして、農民たちが境内や参道にて生姜を参拝者に販売
たり、神社にお供えするようになったことから「しょうが祭り」と呼ばれるようになっ
たそうです。その風習が現在も残り、縁起ものとして葉生姜が販売されています。

 芝大門といえば、浜松町から増上寺に向かう大通りの芝大門交差点を北に、パークホ
テル方向にちょっと入ったところですから、こんなビルの真ん中で今も行われているん
ですね。

 昨日(9/12)、行ってみました。このあたりは、何度も来たことがあるのに、まっ
たく知りませんでしたが、なるほど、ビルに囲まれるようにして、境内というほどのもの
はなく窮屈な感じの『芝大神宮』でした。

 17日の大祭には、豪華絢爛なお神輿が曳き出され町内を練り歩き、人出も多く賑わう
そうですが、訪問した日は水曜日で、人影まばらでひっそりとしていました。
それでも、
数人の宮司さんは水色、巫女さんは緋色の装束でそれらしい雰囲気はありました。

 御成門交差点から、増上寺と東京タワー   大門交差点脇の銅板のレリーフ
  

 (レリーフは、風景浮世絵師の初代安藤広重が、1858年に描いたという、江戸百景の
「芝神明と増上寺」で、当時の賑わいが顕わされています。)


  ところで、芝大神宮というのは、歴史が古く、都内で最も古い神社で1005年の創建だ
といいます。 そして、このお祭りが人気となったのは、慶長年間(1596~1615
年)に
流行した「お伊勢参り」だというのです。 当時、三重県の伊勢神宮まで行くまでに
は、
時間と費用がかかるため、江戸の人たちにとっては
大変でしたので伊勢参りの代わ
に、伊勢の内外両宮の祭神が祀られている芝大神宮へ参拝するようになったとあります。
  当時の芝大神宮は「関東のお伊勢様」と親しまれ、大勢の人たちに人気があったそう
です。

 芝大神宮正面              お社
  

 

  昨年の様子(ネット画像より)      御膳生姜
  

 

 別に、「しょうが祭り」といえば、あきる野市のが、ネットで真っ先にでてきました。
この他、八王子、熊本八代などがあるようで、意外と“しょうが”が取り上げられている
のですね。

 あきる野市は、9月9日に二宮神社で、矢張り付近で取れた生姜を例大祭の神前に供え、
境内にも生姜売りの店が並ぶなどして賑わうそうです。熊本八代では、10月28日に行われ
るとありましたが、こちらは産業・商工祭りのようです。

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

街の本屋さん  (bon)

2018-09-11 | 日々雑感、散策、旅行

 以前から、街の本屋さんが減少しているという話は聞いていました。 私の住むすぐ近く
にあった「文教堂書店」は、数年前から「アコレ」(イオン系食品ディスカウントスー
パー)になっています。 この書店では、園芸図書や星空に関する本など結構利用して
いました。

 今月初めの新聞に、「消えゆく街の本屋」の見出しで、全面記事がありましたので、気
になって少しネット調べをしてみました。

 新聞(読売新聞、9月3日朝刊、暮らしページ)には、2000年と2018年を比較した、書店
(店舗数)と総売り場面積が出ていました。 それによれば・・、
店舗数では、2万1654店から1万2026店と4割強減少していて、総売り場面積は403.4万㎡
から431.7万㎡と少し増加している・・とありました。 1店舗当たりの売り場面積は広く
なった、つまり、大型店舗になっているとみることが出来そうです。で、小規模の“街の
本屋さん”は、姿を消しているわけで、この1年でも約500店舗が減少しているという。

    書店例
      (ネット画像より)


  下記グラフは、いずれも日本著者販促センターHPより転写しました。

    

   実店舗数について・・

    
   

 書店数の中には、学校などに納入しているいわゆる店舗を持たない外商のみの書店が
あるので、上図のようにリアル店舗数は、若干少なくなります。

 

 このような状況で、自治体の中に、本屋さんが一つもない自治体が4割を超える県が、
福島、長野、奈良、高知県で、3割を超えているのは、北海道、青森、秋田、群馬、山梨、
和歌山、熊本、宮崎の各県とあり、なんと、長野県は半数以上の自治体に書店がない
とのことです。 書店というのは、何となく文化の集積点みたいな響きもありますから、
寂しい気持ちもありますね。

 

 書店が、かなり以前から減少傾向にあるわけですが、なぜこのようなことになるのか、
ネットを検索してみて、その原因と思われるところを以下に拾ってみました。
もっと本質的な原因があるのかもしれませんが、とりあえずの感じをまとめてみました。

 

 もともと、日本の書店数は世界で見ても多く、アメリカや欧州でも数千店舗以下の
ようです。ここでいう、書店は、いわゆる本屋さんで、主として書籍、雑誌を販売して
いるところで、欧米では、雑誌は新聞スタンドやキヨスクで売られていたり、また定期
購読していることも多いそうです。

 日本の本屋さん、特に中小書店は、雑誌の販売で利益を得てきましたから、日本には
小規模な雑誌・書籍小売店が多かったわけですが、その雑誌市場がコンビニに流れ、
日本の雑誌の実に4割近くをコンビニで販売しているといわれますから、小規模な、いわ
ゆる街の本屋さんは激減しているのですね。

 ネット記事に、その理由として挙げられていた内容を引用しますと、

 ・人口減  ・活字離れ  ・書店の売上の6割~7割を占める雑誌の市場規模が縮小
(10年前と比べ約4割減) ・紙の本の市場の1割を握るアマゾンなど、ネット書店の隆盛
がありました。 我が家でも、アマゾン経由で本を購入することもちょくちょくあります。

 

 一方、都市部では、品揃えを充実するためどうしても大型店舗になりがちですが、高い
テナント料に加えて、どこで買っても同じ価格の書籍は、顧客向けの営業のしようもない
面があり、経営は厳しいものがありそうです。カフェを併設したり、蔦屋のような新しい
感覚の空間「蔦屋家電」のような、エンターテイメント性を持たせた店舗が出現してきて
いるのでしょう。

 かって、数年前に新開発された二子玉川商業ゾーンに開設された「蔦屋家電」に行き
ましたが、コンセプトに「毎日一緒に暮らすおすすめ家電とおすすめ本を居心地の良い
空間で」とあり、まさしく新感覚のエンターテイメントたっぷりの店舗でした。
(当ブログの2015.8.1「二子玉川」に少し記述しています。)

   二子玉川蔦屋家電
     (蔦屋家電HPより)

 

 一方、アマゾンのkindleのような電子書籍も徐々に増加しているようです。パソコン、
スマホ用の無料アプリもあるようですが、専用端末では、1000~数1000冊保存できるも
のまであるそうです。

 また、雑誌などでは、インターネットの普及によって、記事内容の鮮度が落ちてしまう
などの魅力が薄れてしまう面もあるかもしれません。

     

  本(書籍)といえば、私が仕事で、流通関係に首を突っ込んでいた頃を思い出しまし
た。 
 書籍の日本での流通は、出版社からほぼ寡占状態の日版とトーハンという取次を経て
書店に送られています。これを配本と呼ばれていますが、配本の種類や部数などは取次側
が決めていて(パターン配本)、配本された書籍が書店で販売されるのです。一定期間を
過ぎても売れ残った本は取次を経由して出版社に返却される、委託販売制がとられています。
 当時の印象では、出版社は、どんどん本を制作して書店に配本する。書店では、期間内
の売れ残りを必死にカウントして返本する。 そんな消耗戦みたいな、ある意味無駄な
行為と取れるような流通だと思ったのでした。

 この流通方式の利点は、書店での売れ残りリスクがない上、仕入れに頭を悩ませる必要
がない、出版社側にとっては、返本が可能なので書店に販売を引き受けてもらいやすい
ことと、さらに、物流や代金回収を取り次ぎが代行してくれるなどのメリットがあるの
です。   
 しかし、反面、書店側にとっては、パターン配本なので、欲しい本が来ない、いらない
本が送られてくる上、小規模書店には初版本が来ないこともあるなどの欠点があり、出版
社側にとっても、返本が売り上げの4割にも上り、返品多数で利益を圧迫する欠点がある
など、この流通方式の本質的な問題がありそうです。

     
 
 知的文化の集積、読書の楽しみをもたらす書籍の輝かしい側面の裏に、その流通上の
課題や書籍形態の変化などの基本的な問題などから、街中から本屋さんの姿が消える傾向
にストップがかからない現実があるのですね。

 

 

掲題と全く関係がありませんが、こんなyoutube動画を見つけましたので・・

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

障害者雇用  (bon)

2018-09-09 | 日々雑感、散策、旅行

 先ごろ(8月下)障害者雇用について、昨年度(2017年度)の中央省庁における障害者
雇用数は計6900人で、法定雇用率 2.3%をクリアしているとしているが、実態はその半数
(3460人)が水増しされており、雇用率は 1.19%(<2.3%)と達成していないことが
判明しました。
 障害者の雇用を推進する旗振り役である国の実体がこのありさまであることにはあきれ
るばかりです。しかも、42年もそのような状態であるというのです。 総務大臣の発言に、
『悪意でなく、慣行では・・』とあるなど、もうどうしょうもない感じです。

 そもそも、日本における障害者雇用については、昭和35年(1960年)に、身体障害者
雇用促進法が制定され、その趣旨は『 〇障害者等が希望や能力、適性を十分に活かし、
障害の特性等に応じて活躍できることが普通の社会、〇障害者と共に働くことが当たり前
の社会を目指していく必要がある。』とし、雇用就業は、障害者の自立・社会参加のため
の重要な柱であり、障害者が、適性に応じて、能力を十分に発揮して働くことができる
ようにしていく必要であるとうたっているのです。

 そしてこの時の法定雇用率は、公的機関は義務、民間企業は努力目標と定められていま
す。 
昭和51年(1976年)には、すべての企業に法定雇用率(1.5%)を義務化し、納付金
制度も施行されました。

 昭和62年(1987年)には「障害者の雇用の促進等に関する法律」に改正され、法の対象
となる範囲を、これまでの身体障害者から、知的障害者や精神障害者を含む全ての障害者
に拡大されました。

 平成10年(1998年)には、知的障害者の雇用の義務化、平成30年(今年)に精神障害者
の雇用の義務化がなされています。
 また、今年(2018年)4月1日からは、法定雇用率が
引き上げられ、民間企業は、2.0→2.2%に、国の機関は2.3→2.5%になりました。

  (厚労省HPより)

 このように、障害者雇用については、その範囲の拡大、量的充実に向けて一定の進展を
計っていることが伺えるし、ネット調べで『障害者雇用の現状』(H.29.9.20 厚労省)の
資料などにも、その推移や雇用の実態分析など詳細にわたり綿密なデータが掲載されて、
信頼度十分に見えています。

 しかし、今回の「水増し」の実態が、慣行として長い間継続していたとなれば、もはや
“羊頭狗肉”どころか、あきれてものも言えないですね。

 ちなみに、障害者数総数は、859万人、在宅者810万人うち18~65才は355万人。民間企業
の納付金は、平成29年で4.5万社、計295億円であったそうです。

     

 先ごろ(8月22日)のNHKのスペシャルドラマ『太陽を愛したひと~1964あの日のパラリ
ンピック~』を観て深く感動しました。
 1960年のこと、大分県の整形外科医のもとに、障害者医療の海外視察・研修募集が届き、
イギリスにおける身体障害者の実態を学ぶのです。
“失った機能を嘆くのではなく、残った機能を発揮して前に進む”のような内容に触れ、
外科医は帰国するや、そのことを実践しようと努力しますが、当時の日本の現状はほど遠
く、障害者を持つ両親までもが、わが子を社会の中に晒すことを拒むのです。
 ・・ま、そんな状況から、バスケットボールや水泳などを通じて、徐々に障害者の意識
を変え、就業(仕事)を通じて社会参加の意義を見出すのです。『お情けで仕事を与えて
もらうのではなく、我々が税金を納めるようになりたい。』みたいな意識に芽生え、立石
電気の協力などもあって、『太陽の家』が形成され、スポーツを通じて明るい前向きな
生活が確保されて行くのでした。

 社会福祉法人 太陽の家本館(別府)   シンボルマーク (共に、太陽の家HPより)
            

           

 もうすぐ、アジアパラ競技大会が、10月6日から先と同じジャカルタで開催されますが、
中国、韓国につづいて、今回第3回目に当たります。 
もともと、この大会は、ドラマの
副題にもありますように、1964年にスポーツ大会を行い、それを拡大して、1975年に大分
県別府で、開催された第1回『極東・南太平洋身体障害者スポーツ大会』(フェスピック)
が、もとになり、第9回フェスピック(2006年)の次の開催、2010年から第1回のアジア
パラ競技大会に繋がるのです。

 選手たちの努力は言わずもがなですが、技量だけではなく、その精神力、爆発するよう
な前進力に感動しては、自らを反省する状態です。

      

 障害者雇用の関連で、もう一つ想い出すことがありました。
 少し前になりますが、現役の頃、1991年ですからもう27年も前のことです。これより
少し前から、日本アビリティーズ協会の会長と仕事を通じて親しくなり、検討グループ
メンバーで、岩手県二戸町一戸の『カナンの園』を訪問したことがありました。
 ここは、主に知的障害者を対象として、20~40人くらいの小グループ単位で、それぞれ
にあった仕事に従事し、半数近くの職員と一緒に行動していて、大変明るい作業環境の中
での生活を目の当たりにして、まさしく障害者、健常者の境が無いように思えたのでした。
前向きな行動にむしろ救われる思いでした。
 何が障害で何が健常なのか分からなくなってしまいました。 仕事を通じて、本当に楽し
く、人間らしい触れ合いの場がそこにありました。

      

 “仏作って、魂入れず”“どこか他人事で目先を流す”は、真髄から改めて欲しいです。
このことだけではないですが・・。

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チャデモ  (bon)

2018-09-07 | 日々雑感、散策、旅行

       大型台風の次は、巨大地震に見舞われました。直接被害に遭われた多くの方々のほか、
         停電、断水、交通マヒなど2次的被害を蒙っている多数の人達がおられます。
       
 危険な猛暑、豪雨・洪水、地震、台風・・など、近年の異常気象は多くの災害をきたし、
         その結果の大きな悲しみと、復旧に本来必要でない多くの時間と費用が余儀なくされて
         います。 少しずつでも、地球規模での対策と改善が求められているのでしょう。

 

 CHAdeMO(チャデモ)は、チャージとムーブを合わせた造語で、日本の高速充電器の
規格名なんです。 つまり、電気自動車EVのバッテリーを充電する方式の規格で、高速
つまり10分以下で充電できる次世代規格を 日本・中国で共同開発することがこのほど
合意されたのです。

       チャデモプラグ
        (ウイキペディアより)

 

 8月22日の読売新聞のトップ記事に取り上げられていました。
 このニュースがスゴイと思いましたのは、日本が中国と共同開発するという点にあり
ます。 17年(昨年)の世界のEV新車販売台数は約75万台で、この内、中国が約47万台
と6割を占め、急速充電器の世界設置状況では、中国が87%、日本が7%、欧州3%とあり、
日本、中国が共同開発すれば、世界の9割超の占有率を握ることとなり、世界標準規格
(世界統一規格)になる可能性が高いということです。

         (ネット画像より)

 急速充電器規格の現状は、09年に日本の規格「CHAdeMO」を開発したほか、欧州の13年
開発の「コンボ」、中国の14年開発の「GB/T」などが、世界標準を目指して主導権争いを
繰り広げているという。 中国のGB/Tは、日本の技術を基にしているとのことで、今回、
日本の技術と中国の巨大需要が結びつけられたのです。

            (ネット画像より)

 意識的には、異論のある向きもあるかと思いますが、産業育成・発展の視点から、
“基本技術と巨大需要の結びつき”のモデルは、今後の他の分野へのインパクトとなるの
ではないかと思います。

 大気汚染対策等の観点から、EVが大きく期待され、充電スタンドも徐々に整備されつつ
ありますが、現状では1回の充電に要する時間は3~40分かかり、これを短縮する課題を
克服する必要があるのですね。 CHAdeMO(チャデモ)は、“お茶でも飲んでいる間に
充電できる”~なんて、ダジャレています。

 中国は、大気汚染対策の強化を迫られているため、国家主導でEVの普及に取り組み、30
年には 年1900万台の販売計画もあるという。 中国の充電器の基礎となる技術は日本から
もたらされたもので、基本的な共通点は多いと言われています。

       (ネット画像より)

 

 また、EV普及前の選択肢として、PHV(プラグインハイブリッド車)に、自動車各社は
熾烈な競争に入っているようです。 PHVは、家庭でも充電できる電池で、モーターによる
走行が基本で、電池切れになった場合は、ガソリンエンジンで走る。
 電気だけで走るEVに比べて走行距離が長い上、電池切れの心配もないなどの利点からEV
の前段階として急速に普及しそうな状況であるそうです。

 新聞(読売新聞8.24朝刊)によれば、昨年のPHVの国内販売台数は、3.6万台で、EV1.8万
台の2倍の売れ行きだそうです。 電気だけで走れる距離、価格の各社比較は、トヨタ「プ
リウスPHV」6 8km、326~422万円、ホンダ「クラリティPHEV」114km、588万円、三菱自「ア
ウトランダーPHEV」65km、393~509万円とありました。

 

 大気汚染対策に向けた取り組みを、自動車のみならず他の広い分野に拡大するなど今こそ
英知を発揮して、頻発する大規模災害から地球を守る努力を継続したいものです。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ナス・ピーマン祭り'18  (bon)

2018-09-05 | 蓼科浪漫倶楽部 畑

     大型で勢力の強い台風21号は、関西地方を直撃して各地に大きな被害を残しました。
        関空は滑走路が冠水、連絡橋が破損するなどの被害をはじめ、大阪市内でも、大木が
        なぎ倒されたり車が横転したり、停電、断水も発生するなど大変なようでした。
     皆様の地域ではいかがでしたでしょうか? 大丈夫でしたでしょうか?

 

 そんな台風がまだ南の海上にある時でしたが、すでに秋雨前線が列島に滞在する形で、
お天気は不安定でした。 9月1日~4日の蓼科農園での畑作業は、2日目、3日目の午前中
は、雨で待機でしたが、それ以外は一時晴れ間も見える、したがって涼しい中での作業
となりました。
 雨のための待機で、大リーグの大谷選手のライブが観戦できたりの"おまけ"があり、
これもまた良かったですが、その分作業密度が上がり、それなりに疲かれました。

    雑草に囲まれた蓼科農園(左サツマイモ、ネットの中は黒豆)
         

 

 8月はお休みでしたので、畑は、夏の盛りで伸びた雑草に一面覆われていました。
そんな中に、サトイモ、サツマイモ、黒豆などが生き生きと元気よく成長していました。
ナス、ピーマンは大きな実が、"すずなり"に付いていて、たくさん収穫できました。
 反面、カボチャ、スイカは、7月時点であれだけ元気に成長し、実もたくさんついて
いたのに、夏の異常な暑さに焼けたのと、動物に食べられたために ほとんど収穫が
できませんでした。

 例年ですと  "スイカ・カボチャ祭り" となるところですが、今年は表題のように
"ナス・ピーマン祭り"と相成りました。

 米ナス                 ピーマン
   

 

           万願寺とうがらし
              


 雑草を刈り、整地した新しい畝には、白菜、水菜などの苗を植えて、さらに、次回
植え付け予定のタマネギ、ニンニク用の4畝をマルチ掛けして整備しました。
雑草が抜き取られ、新しく整備された美しい畝の並びに蘇った姿は感動するほどでした。

       今夜はスキヤキ
       
 

 3日目の午後には、今回唯一の晴れ間となり、青空が戻って、コスモス、ススキの
群れに、アキアカネが飛びう気持ちの良い秋らしい高原の雰囲気が味わえたのでした。

 周囲の田んぼは、黄金色に輝く実った稲と一面に白い花をつけた蕎麦畑がきれいな
コントラストを呈していました。 

晴れ間の中の八ヶ岳遠望          畑にはススキ  
        

 

一面黄金色の実り              青年たち (後ろは蕎麦畑)  

  

         すっきり完成した農園  
               

 


 お待たせしました。オートスライドをご覧ください。(約6分20秒です。)





 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする