蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

一年の終わりに  (bon)

2017-12-31 | 日々雑感、散策、旅行

  2017年もいよいよ暮れようとしています。

 当ブログは、2010年9月にスタートしましてから、7年余り過ごしてきたことになり、
駄文の羅列にも拘わりませず、日頃 ご覧くださいました皆様には、心より厚く御礼申し
上げます。 また、コメントや過不足をご指摘くださいました皆様にも改めて御礼申し
上げます。
 皆様方の温かいご支援により何とか継続して来られたことに深い感謝と喜びに満たさ
れています。 ありがとうございました。

             

 年の終わりに、私なりにこの一年を振り返って見ました。
 元より個人的な身近な事象ばかりですが、どうも地球はだんだんと小さくなって来て
いるのではと錯覚しています。 アメリカ、ヨーロッパ・・世界中で起こった事柄が
重大であれば即ニュースで、それ程ではなくても1~2時間後にはネット記事として入手
可能ですし、南半球の様子も分かり易い映像で知らされる時代となりました。

 突如としてエルサレム問題、ますますエスカレートする北、深刻な地球温暖化などなど
重大な事案がますます切迫してくる感じであります。 国内でも、一強政府の独走懸念
のほか、日本を代表する基幹企業である 神鋼、三菱マ、東レの検査データの改ざんは、
生命にもかかわる部品であり、これらの行為は真に許されない問題です。 しかも、
組織体質の問題となれば、もはやコンプライアンス・内部統制以前の人の良心・意識の
問題であるのでしょう。

 この一年の感謝を述べるつもりが、ボヤキになってしまいました。どこかの大学教授
のブログタイトルに“○○のつぼやき”というのがありましたが、“つぼやき”は、
つぶやき+ぼやき の合成だと解説されていましたが、まさに、つぼやき になって
しまいました。    

 国内の明るいニュースといえば、将棋界の快挙があり、上野の赤ちゃんパンダがすく
すくと成長して多くの観覧希望者に人気を博しています。

              

 元日のお天気は、北日本、日本海側は雪の予報ですが、その他の地方では初日の出も
期待できるとか。
 皆様には、良い新年を迎えられますよう念じております。

 来る年もよろしくお願い申し上げます。


  年末に目黒にある 東京都庭園美術館、自然教育園に行きましたので、その映像をバックに・・
オートスライドにしました。(2分弱です。) 

 

 

 

 

 

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お香  (bon)

2017-12-29 | 日々雑感、散策、旅行

  年末に、古いものをちょっと整理していましたら、お香のセットらしいものが出てきま
したので、懐かしい思いで炊いてみました。香炉は、30年くらい前に買い求めたもので、
お香たどんや白檀などは、その後に買ったものがそのまま残っていました。

 なので、さっそく炊いてみました。 銀葉を乗せた上に白檀を置く、「聞香(もんこう)」
タイプにしましたが、なんとなくほのかな香りがあたりに漂っている感じで、普段とは少し
違った雰囲気になりました。
 遊びでやってみただけのことですから、優雅とか風流とかとはあまり関係なく、ただ、
ほのかな良い香りは、これはいただき・・ですね。でも、これが毎日だと、匂いのことなの
で、“鼻につく”感じかもしれませんが、まぁ、たまに炊くくらいなら安らぎみたいな感じ
がします。

 30年ほど前に買い求めた香炉です。
   

 

                道具類など
                 

 時々、線香をたくくらいで、お香の流儀などは、からきし気にしなかったので、改めて
ネットでその何たるかを見てみました。

 創業300年ほどにもなる京都の老舗、松栄堂のHPに、歴史や炊き方などが丁寧にまとめられ
ていましたので抜粋して以下に記しておきたいと思いました。


 歴史的には、飛鳥時代にさかのぼるそうで、やはり仏教伝来(538年)を期して仏教儀礼と
ともに香が大陸から伝えられたとあります。 そのまま、奈良時代には、主に仏前を浄め、
邪気を払う「供香(くこう・そなえこう)」として用
いられ、宗教的な意味合いが強いもの
であったようです。

 平安時代に入ると、香料を練り合わせて、香気を楽しむ「薫物」が貴族の生活の中で流行し、
自ら調合した薫物を炭火でくゆらせたり、部屋や衣服への「移香」を楽しんだそうです。 
平安時代の王朝文学には、香の記述が多くあり『枕草子』や『源氏物語』にも散見されるよう
です。

 さらに、鎌倉・室町時代になると、武士が台頭し、禅宗が広まり、香木そのものと向き合
い、一木の香りをきわめようとする精神性が尊ばれるようになったといいます。この頃に、
香木の香りを繊細に鑑賞する「聞香」の方法が確立したとされます。 そして、室町時代
に東山文化が花開く中、茶の湯や立花と同じく香も、寄合の文化の一翼を担ってくるのです。

 江戸時代には、貴族、武士階級だけではなく、経済力をもった町人にも香文化が広まり、
「組香」の創作や、それを楽しむために多くの優れた香道具が作られ、また、香を鑑賞する
ための種々の作法も整えられ、いわゆる「香道」として確立されて来たとあります。
  一方、中国からお線香の製造技術が伝わり、庶民のあいだにもお線香の使用が浸透して
きますが、さらに時代の変遷に合わせた種々の新しい香が開発され現代では香りのみならず
色、形など様々なものが出回っています。

 私のところにも、上の写真のような香炉のほかに、かまどを うんと小さくしたような陶器
製で 上皿に、好きな練香などを置いて、下から固形燃料で炙る式のものとか、カラフルな
三角錐の先端に火をつける式のものなどがあります。  しかし、白檀の香りに勝るものは
なかったです。

 折角ですから、松栄堂 HPから、もう少し抜粋してみました。

<お香の種類>

〇直接火をつけるタイプのお香

 お線香・スティックタイプ  一番ポピュラーなお香で、室内線香、仏事線香など、目的に
よって様々な種類や長さがあります。 長いものは折るなどして時間の調整ができる。

 このほか、円錐型や渦巻型があります。渦巻き型は、“蚊取り線香”でお馴染み。

〇常温で香るタイプのお香

  火を使わず室温で香るように調合されたお香なので、最も手軽に楽しめ、お部屋飾りや
衣裳のアクセントとして“匂い袋”があります。

〇間接的に熱を加えるタイプのお香

 おこした炭をうずめた香炉で、ひと手間かけてお香をたく。 ゆったりとした時間の流れの
中に溶け込みながら楽しむ。 いわゆる香木を炊くのですが、香木のたき方には、繊細な
香りの味わいを鑑賞する「聞香(もんこう)」と、お部屋の空気を彩る「空薫(そらだき)」
があります。聞香は、“香を聞く”というやりかたで、香炉を水平に持ち上げて手のひらで
かざして香りを嗅ぐやり方で、香たどんを灰で包み、火の上に「銀葉(ぎんよう)」を載せて、その上に香木片を置くやり方です。私は、このやり方でやるのですが、手のひらをかざすの
ではなく、そのまま部屋に流れるほのかな香りを味わっている・・という感じなんです。
 空薫は、銀葉を使わず、火(たどん)の上に直に香木片などをくべるやり方のようです。

 香木以外に目的に合わせて、練香(ねりこう)、印香(いんこう)などがあるようです。

〇専門的なお香

  主にお寺などで使われるお香です。    お経のときに出てきます、長尺線香や塗香
(ずこ
う)、抹香(まっこう)それに焼香があります。焼香はお馴染みですね。

 
<お香の材料>

 香木

  沈水香木(ぢんすいこうぼく)
        (松栄堂HPより)

  様々な外的要因によって木質部分に樹脂が凝結し、樹木自体が枯れていく過程で熟成され
てできたもので、 「水に沈む、香りのする木」ということから「沈水香木」(略して沈香)
と呼ばれます。
 
その中でも伽羅と呼ばれるものは最高で、香気や油質の違いにより分類され、インドシナ
半島・インドネシアなどの熱帯雨林で産出され、薫香料のほか、薬用としても古くから知ら
れています。

  白檀(びゃくだん)
        (松栄堂HPより)

  インド・インドネシア・マレーシアなどで栽培されています。その中でも、インドマイ
ソール地方のものは最高品質で「老山白檀」と称されます。 
薬用・薫香用・彫刻工芸品・
扇などにも使用される最もポピュラーな香木です。

 
 しかし、この世界にも 地球規模での自然環境や社会情勢の変化にともない、品質の良い
沈香や白檀を安定供給することは次第に困難になりつつあるといいます。 ことに沈香は
絶滅危惧種として、世界的な視野での保全管理が必要とされているそうです。


最後に<お香の原料たち>
 
お香の原料として使用される天然香料には数十種類あり、天然のものだけに入手困難な
ものも少なくないそうです。 これらは、中国やインド、東南アジアを中心に産出されて
います。 中には、香辛料や漢方薬として親しまれているものも多くあるという。
 以下に列記します。

 桂皮(けいひ)、大茴香(だいういきょう)、丁子(ちょうじ)、安息香 (あんそく
こう)、乳香 (にゅうこう)、竜脳(りゅうのう)、山奈(さんな)、貝香(かいこう)、
藿香(かっこう)

 
 ネットなど、デジタルでは「香り」を伝えることは今のところ出来ないのですね。

 

 

 

 

 

 

 

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年の瀬と目黒  (bon)

2017-12-27 | 日々雑感、散策、旅行

  いぇね! 年の瀬(昨日)に目黒に行ったということなんです。

“目黒のさんま”みたいな意味内容があるわけではなく、来年同窓会(新年会)行事の
下見のために幹事さんに同行したというだけのことです。
 JR目黒駅から徒歩10分ほどのところに、東京都庭園美術館、連接して自然教育園(国立
科学博物館付属)があり、新年会は2月初めですから、見るモノもありませんが、散策に
丁度良く、例年、どこかでそのような組み合わせを企画されているのでした。
 東京都庭園美術館は、アール・デコ調の旧朝香宮邸の見学ができ(装飾展開催)るのと、
冬の庭園巡りがメインです。 目黒駅近くのランチどころを予約してきました。

 ところで、“年の瀬”というのは、いつ頃からいつ頃までをいうのでしょうか? そんな、
どうでもいいようなことがちょっと気にかかりネット調べをしてみましたら、ナント!この
ような疑問?を持つ人がいると見えて、いくつもの記事がありました。 その中から・・

NHK放送文化研究所が出している記事から引用させていただきますと、

『 Q:年の瀬はいつぐらいから使えるのでしょうか?
A:明確にいつぐらい、とは言えません。しかし、12月に入ったばかりの時期に使うと、
「年の瀬」というには早いと感じられる場合も多いようです。 12月の初め、上旬の場合は、
「年の瀬」を使わず、「早くも師走」「12月に入り」などほかの言い方を工夫したほうが
いいかもしれません。』

そして、解説が長々と説明されていましたので、その中からかいつまんで要約してみます。
すなわち・・

 あわただしい年の暮れを“川の瀬”に見立てて年を越すというのが、年の瀬というのに
最も言い得ていると思います。昔は、掛け売りなども多く、年末に無事に支払いが出来るか、
無事に年を越せるか・・などの清算期という意味合いもあり、やはり12月も末近くをいうの
では、との解釈が多いようです。 26~7日頃から年末?などの見方もありました。いずれに
しても、12月の終わりに近い時期に使った方が、違和感がない、と言うのが無難のようです。

 しかし、同じ年末、歳末でも、“年の瀬”という表現は、いかにも慌ただし、気忙しい
との情感がこもっていますね。

 また、この時季、「押し迫る」「押し詰まる」という言い方があります。どちらも「近く
なる」という意味ですが、「押し迫る」は「間近に迫ってくる」という意味が強く、「年の
瀬も押し迫る」では、「年の瀬の時期(年末の最後の数日間)が間近に迫ってくる」という
意味で使われ、一方、「押し詰まる」は、「今年も押し詰まる」の意で、この場合は「年の
暮れが近づいてゆとりがなくなってきた」というような意
味になるとありました。

 

東京都庭園美術館(旧朝香宮邸)入口    自然教育園のイイギリ
 

 

 

 

 

 

 

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将棋  (bon)

2017-12-25 | 日々雑感、散策、旅行

             昨日は、中山ほか全国でキタサンブラックに湧きました。
       金杯から有馬記念まで、今年も第4コーナーを回りました。


 今年とくに話題を集めた事柄に“将棋”があります。
 将棋といえば、小さな頃から主要なゲームとして親しんで来たモノです。縁側や床机で、
将棋盤を挟んで差向えのスタイルは、昔の定番といってもいいでしょう。

 私なども、子供の頃は、よくやりました。 講じて、将棋の駒40個を、大きさも区別して、
自作したことがありました。いわゆる“彫り駒”を作ったのですが、文字を浮き彫りする
ことが難しかったので、駒をラッカーで黒塗りにして、裏表を彫刻刀で文字を彫りました。 
 昔は夜店というのがあって、詰将棋なども出ていましたね。大人相手で、お金をかけて
やるのですが、大きな駒をパチンと打って、詰め筋になると胴元は、“ハイ、お客様の勝
です”といって、最後まではやらなかった・・そんな記憶があります。
 前置きが長くなってしまいました。


               (ネット画像より)


  事の始まりは、ちょうど1年前の今頃、中学生棋士藤井翔太四段が史上最年少14歳2ヶ月
でプロデビューを果たしたことでした。 この時の対戦が、それまで最年少記録を保持し
ていた加藤一二三九段で、最多年齢差でも話題となっていました。

 その藤井四段が、デビュー後今年6月に史上最多の29連勝を記録し、テレビでも大々的に
報道され、大旋風を巻き起こしたのです。その後も強さを発揮して、この1年の記録部門で、
対局数53、勝利数44、勝率0.830とすべてトップを占め快走中だそうです。

 そして、羽生善治棋聖が、この12月5日、竜王戦で渡辺竜王を下し、初の永世七冠(永世
竜王、十九世名人、永世王位、名誉王座、永世棋王、永世王将、永世棋聖)を達成したの
です。 これは凄いことなんです。
 名だたる棋士でも、この永世称号を持つ棋士は、羽生を入れてわずかに9名しかいない上、
7つの永世称号を持つのは、羽生善治棋士ただ一人なんです。 ちなみに、木村義雄(永世
名人)、大山康晴(永世名人、永世王位、永世王将、永世棋聖)、中原誠(永世名人、永世
王位、名誉王座、永世棋聖)、米長邦雄(永世棋聖)、谷川浩二(永世名人)、佐藤康光
(永世棋聖)、森内俊之(永世名人)、渡辺明(永世竜王)で、あの大山名人でも永世称号
は4冠なんですね。

        (ネット画像より)

 羽生竜王・棋聖は、これまで、133回タイトル戦に登場(歴代第1位)し、99勝
(99期で第1位)、勝率0.74で、99期でこの偉業を成し遂げているのです。 次の表に、
各タイトルの永世称号取得条件ならびに羽生竜王・棋聖の戦績を示してみます。

        

 彼(羽生善治棋士)も、1985年に中学生棋士としてデビュー(加藤一二三、谷川浩二に
ついで3人目)し、初タイトル竜王は、19才2ヶ月で取っているのです。

 ネットによると、小学生の頃から、ぐんぐん強くなり、家庭でも、両親などの連合軍と
羽生善治少年が対戦して、連合軍が苦戦になると盤を回して、攻守反対にして対戦するなど
独特の自家ルールでもやったりしたそうですが、それももはや通用しなくなったとか。

 

 加藤一二三九段は、今年6月に引退されましたが、史上初の中学生棋士誕生のニュースは、
私とほぼ同年代ですから記憶があります。「神武以来の天才」などとも言われていたようで
した。最近は、「ひふみん」の愛称で親しまれています。 入れ歯はしないそうですね。

 

 この機会に、将棋について少しネット調べをしてみましたので、参考までにメモ的に記し
ておきます。

 もともと、江戸時代あたりには、名人は家元制の終身名人としていたようですが、昭和10
年(1935年)に関根金次郎十三世名人が名人位を退位して、実力名人制に改められたとあり
ました。 第1期名人戦は『名人決定大棋戦』と称され、2年にわたって行われて昭和12年
(1937年)に木村義雄棋士が初代名人となったそうです。

 余談ですが、村田英雄大ヒット曲『王将』(詩西条八十、曲船村徹)は、大阪を拠点に
活躍した阪田三吉をモデルにした曲で、大正2年(1915年)いよいよ東京で関根金次郎との
対局場面を想定されているのです。『銀が泣いてる~』の対局だったのですね。

 戦後になって、新聞社等がスポンサーとなって、王将戦など次々とタイトル戦がはじまり、
昭和58年(1983年)に7タイトル戦になったそうです。 そして今年、叡王戦がタイトル戦に
昇格し現在8タイトルになりました。

 そして、いよいよ明日26日に、 『 将棋で初めて永世7冠を達成した羽生善治氏と、
囲碁で初の2度にわたる7冠独占を果たした井山裕太氏=本因坊文裕(もんゆう)=に対す
る国民栄誉賞の授与が正式決定される見通しとなった。』そうです。

 

 

 

 

 

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天皇誕生日  (bon)

2017-12-23 | 日々雑感、散策、旅行

 今日12月23日は、天皇のお誕生日で、満84歳を迎えられました。 昨年夏に退位のご意向
(お気持ち)が示されて後、政府並びに各方面で 退位に関する法的その他の検討や会議が
行われ、先頃(12月1日)開催された皇室会議にて、『平成31年4月30日に譲位して5月1日に
改元する』ことが決まりました。
  天皇の譲位は、江戸後期の119代光格天皇(1771~1840)以来、約200年ぶりとなるのだ
そうです。

 何かと報道されることも多く、元号、休日等身近な関心事もあり、多くの人々が注目する
ところとなっています。 今日の一般参賀への人出は例年よりも多いのではないかと想像
されます。

       一般参賀(平成28年)
        (ネット画像より)

 天皇は、昭和64年(1989年)1月7日に践祚(せんそ)され、第125代目の天皇になられ、
元号が『平成』となったことを公表された 小渕官房長官(当時)のテレビ映像は今も忘れ
難い想い出です。元号がかわる瞬間を2度体験できることになります。

 天皇に関して特に思うのは、「象徴天皇としての役割」をどのように捉え、それを実行
するか、常に模索され 真に考えられて、一つひとつの行為を積み重ねられ、それらの中に
それぞれの務めを果たしてこられたその姿が、すなわち「象徴」としての務めであった
のでしょう。
 憲法第4条の『国政に関する権能を全く有さない』の制約は、このお立場からして相当に
重いものであったと思料されます。「退位」についても、天皇の指示(意見)であっては
ならず、「お気持ち」を政府が独自に立案するなどの解釈がとられ、譲位に当たっても、
天皇が直接皇太子に引き継ぐことは、やはり、この規定に抵触する可能性があることから、
「剣璽等承継の儀」に際しても、天皇は4月末に独自の行動をとられ、翌日、皇太子がそれ
を受け取るなど、回りくどい方法が検討されているという。


 まことにつまらぬことですが、私がリタイヤして目黒にある会社に勤めていたお昼休み
に、上大崎交差点の側で何気なく見ていた時、突然白バイの先導で黒塗りの乗用車が近づ
き、周囲には誰もいない、そんな時、黒塗りの中を注視してみましたら、ナント天皇陛下
が窓側に見え、とっさに右手をまっすぐに伸ばしましたら、車の中
からこちらを向いて
手をかざされ 一瞬目が合ったのでした。 ただそれだけのことですが、予期せずのことで、
印象深く今も残っています。

 天皇誕生日に際しては以下の行事が行われるのだそうです。
『 宮中では、祝賀の儀、宴会の儀、茶会の儀、一般参賀が行われる。

  • 伊勢神宮を始め、各地の神社では天長祭が行なわれる。
  • 海上自衛隊では、基地・一般港湾等に停泊している自衛艦において満艦飾が行われる。
  • 海外の日本大使館等の在外公館ではナショナルデーとしてレセプションが行われる
    (当日ではない)。 』

 昭和23年(1948年)までは、天皇誕生日は、天長節(てんちょうせつ)と呼ばれていた
のでした。

       満艦飾 (平成27年)
        (ネット画像より)

 ところで、2017年(平成29年)6月16日に公布された『天皇の退位等に関する皇室典範
特例法』では、附則第10条に国民の祝日に関する法律の改正も盛り込まれていて、同法の
施行による皇太子徳仁親王の即位に伴い、2020年からは、天皇誕生日も2月23日に変更され
る予定とあります。
 “ 変更に伴い、政府は国民の祝日である天皇誕生日の「12月23日」について、天皇陛下
が2019年4月30日に退位された後、当面は新たな祝日とせずに平日とする検討に入った。
なお代替わりとなる2019年は、2月23日は皇太子徳仁親王の天皇即位前、12月23日は今上
天皇の退位後のため、天皇誕生日は設定されない見込み。” とあり、2019年は、天皇
誕生日は無いということになります。 また、現天皇誕生日の12月23日は、退位後平日と
し、祝日とするかどうかは、国民の意見などを聞きながら検討するといっています。

 なお、明治天皇の誕生日は、11月3日「文化の日」、昭和天皇は、4月29日の「みどりの
日」として休日となっています。 明治天皇は、崩御から15年後(1927年)に明治天皇を
偲ぶべく「明治節」として新たに祝日として制定されたのです。
 戦後(1948年)、11月3日は「国民の祝日に関する法律」によって「文化の日」と改め
られました。この日は日本国憲法の公布日で、これを記念する祝日として位置付けられて
いるといいます。

 また、昭和天皇の誕生日である4月29日は、崩御した1989年に植物学者だったことから
「みどりの日」として新たな祝日となり、2007年には「昭和の日」と改められ、「みどり
の日」は5月4日とされたのです。

 

今上天皇即位 正殿の儀(Celebration parade His Majesty the Emperor)がありました。 

 





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クリスマスコンサート‛17  (bon)

2017-12-21 | 日々雑感、散策、旅行

 昨夜は、クリスマスコンサートに行って来ました。第1ステージで、思わぬ感動のシーンが
ありました。
 会社入社同期のWさんが団長を務める、板橋区混声合唱団が例年この時期に開催されている
「クリスマスコンサート」は、今年も、板橋区立文化会館大ホールで超満員の盛況でした。
 
 で、その第1ステージは、混声合唱のための組曲『蔵王』で、みちのく蔵王連峰の四季を
9曲の組曲で広々と歌い上げられるのですが、その5番目の曲『おはなし』は、雪国の冬の夜、
いろりを囲み 孫たちがお爺さんにお話をせがむという内容で、ソプラノ、アルトの女声合唱
とお爺さんのバスの掛け合いで曲が進むのです。 ここで、なんと! お爺さん役のバス
(ソロ)が、団長の友人Wさんだったのです。 合唱団の列から、一人ステージの前に出て
来て、指揮者の横で、きれいなバスのお爺さん。 思わず感動して、舞台にくぎ付けになっ
ているうちに 写真に留めておくことをすっかり忘れてしまったのでした。 折角の記念を
逃したことをいまも悔やまれています。


板橋区立文化会館大ホール入口       パンフレット表紙
 


 19時開演でしたが、30分前には、ハンドベルによるたのしいクリスマスソングなどが、
清らかなベルの音色で奏でられ、今日のコンサートのプロローグを美しく演出されました。

         ハンドベル演奏
         

 

 第1ステージは、前出の『蔵王』で、感激シーンがありました。100人近い皆さんの合唱は、
それこそダイナミックな響きと 流れるハーモニーにしばし我を忘れてしまいました。
 インターバルを挟んで、第2ステージは、アベマリア(バッハ)から始まり、クリスマス
ソングの数々が、曲によっては、ソリストの歌声も交えた演出がとられたり、格調高い演奏
の中に、楽しさをちりばめ、よく知るジングルベル、きよしこの夜でプログラムはおしまい
となりました。 ジングルベルでは、初めて聞く編曲で、難しい軽快なリズムを取り入れた
構成で、新鮮味がありました。

第1ステージ『蔵王』            第2ステージ クリスマスソング
 

 アンコールは、独特な編曲と、指揮者、ピアニスト連弾の『ホワイトクリスマス』でした。
最後に、団長のご挨拶があり、出演の皆さんと客席全員で『聖夜』を合唱して終演となりま
した。 今年も楽しい夜をありがとうございました。

         団長さんのご挨拶 
         


2009年の板橋区混声合唱団クリスマスコンサートがyoutubeにありましたので・・。

 

 

 

 

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忍者・忍術学  (bon)

2017-12-19 | 日々雑感、散策、旅行

  少し前に、テレビで取り上げていた記憶がありますが、三重大が大学院の人文社会科学
研究科地域文化論専攻で、来年2月の入試に選択科目として「忍者・忍術学」を導入する
ことを決めたそうです。
  忍者関連の授業が複数設けられ、修士論文も忍者をテーマにすることができるのだそう
です。定員は8人で、必須科目として小論文があり、もう1科目を「日本史」「考古学」
などから選択するといい、忍者・忍術学は古文書などの資料を読解した上で、他の選択
科目と同様、一問一答や論述の問題に答える形式だといっています。

 同大学では、『学術的、科学的に忍者を研究する人材を育成するほか、「伊賀流忍者」
発祥の地、三重県伊賀市など地元で町おこしとして、観光関連の仕事に携わる人にも門戸を
開くのが狙い』とありました。

 報道によれば、『 三重大は伊賀流忍者の研究で知られ、これまでも忍者が持つ技や生活
の知恵などを分析、研究する「伊賀連携フィールド」や古文書や資料をデータベース化し、
情報発信する「国際忍者研究センター」を設立するなどしてきた。〔共同〕』とあります
ように、三重大では、2012年に研究を開始し、翌年からは授業も始めたそうです。

 忍術には体の使い方や忍者の携行食「兵糧丸」、薬草、火の使い方など、日本の近代化で
忘れられた昔の知恵がたくさんあり、その中に現代に生かせるものがあるのではないか
との目的だそうです。

 ま、こんなことから、忍術・忍者について改めて覗いてみた次第です。
 ネットには、この関連記事がたくさんありましたが、例によって、ウイキペディアを参考
に、興味ある要点を以下に抜粋してみました。

『 忍者とは、飛鳥時代から江戸時代にかけて、大名や領主に仕え、または独立して諜報
活動、破壊活動、浸透戦術、謀術、暗殺などを仕事としていたとされる、個人ないし集団の
名称。その名は日本国内にとどまらず、世界的にもよく知られている。  忍者・忍術は、
源平時代以後に日本で発祥したものである。忍者、忍術は日本国内各地に分かれ、いくつか
の集団を形成していた。』

  とあり、文献によれば、忍術流派は71流を数えるそうですが、その主な拠点として、以下
が挙げられていました。 これらの場所には多数の忍者屋敷があり、日々の訓練が行われて
いたと考えられるとありました。

    ・伊賀流 三重県北西部上野、三重県西部伊賀地方
    ・甲賀流 滋賀県南部
    ・風魔流 小田原市、足柄山
    ・戸隠流 長野県長野市

  しかし、明治に入ると、警察、日本陸軍、日本海軍が創設され、忍者もその役目を終える
ことになるのです。活躍できる場を失った彼らはその後、陸軍や警察関係の職業、さらには、
技能を活かすために新たに創設された職に就いたといわれています。

 真田十勇士に登場する人物をモデルとした、猿飛佐助や霧隠才蔵などは、小説に出てくる
架空の忍者ですが有名ですし、映画の特撮技術を使った忍者ものも大流行し、近年では漫画
の大流行からアニメ作品へと、国内のみならず海外においても人気を集めています。

 また、忍者が用いる武器・道具として、独特の忍具があります。
  ・手裏剣 手投げの刃物。形は棒状のものから十字型、円形のものがある。
  ・苦無(くない) 両刃の道具。
  ・鎖鎌 
  ・撒菱(まきびし)地面にばら撒いて、足を傷つける武器。 
  ・目潰し 辛子、灰、唐薬品等を入れて吹き口から顔面に向けて吹く。
 このほか、忍び熊手、忍び竹、仕込み杖・・などなどたくさんありました。
さらに、忍び文字として、現代の暗号などもあったのです。
棒手裏剣             苦無(くない)          鎖鎌
  



 また、忍者が使う忍術についてもウイキペディアに詳しく書かれていました。そのうち
いくつかを引用します。

・五車の術  相手と会話の中で心理を突く話術である。 

  • 喜車の術 - 相手をおだてて隙を狙う。
  • 怒車の術 - 相手を怒らせ冷静さを失わせる。
  • 哀車の術 - 相手の同情を誘う。
  • 楽車の術 - 相手を羨ましがらせて戦意を喪失させる。あわよくば相手を味方に引き込める。
  • 恐車の術 - 迷信などを利用し相手の恐怖心につけこみ戦意を喪失させる。

・遁術(とんじゅつ) 敵から逃走する際に、敵を足止めする術である。火遁、水遁、土遁、    

          木遁、金遁の五つを特に五遁という。 

 ・火遁の術 - 引火物などを利用し煙幕や炎上を発生させる。
 ・
水遁の術 - 水音を立てて相手の注意をそらす。水蜘蛛と呼ばれる道具の上に草をもり、
  筒
のような棒状の中がくり抜かれている物を利用し長時間水中に潜む。池や堀の両端に
  縄をつ
ないでその上を移動したり、水上に厚手の布を敷き、その上を走って移動する。
  向こう側に
着いた時には、後を残さない。
 ・
土遁の術 - 土や石を相手の顔に投げつけ、怯んだ隙に逃げる。暗闇を逃走中、急に
  地面に這いつくばり、あたかも消えたかのように追手をまく。
 ・
木遁の術 - 草木を利用し隠れたり、材木などの木材を崩してバラまく事で追手を眩ま
  す。  
 ・
金遁の術 - 銭を撒いて逃げる。敵同士で奪い合っているようなら成功と言える。

このほか、天唾の術、獅子身中の術などがありましたが割愛します。
 また、「くの一」というのも存在していたようですね。女中や小間使いとして潜入して
諜報活動を行っていた女性の忍者です。

 このように、忍者の姿や日常には、通常では見られない行動や食事、用具、言葉など
興味深い事柄が多くありますが、一方では、普通の体力では、到底こなせない動きなども
あり、それなりの訓練、精神修養などが求められ、万人がなれるものではなかったようです。

 で、なぜそのようにできるのか? やその仕組みがどのような理屈から出来上がっている
かなど、科学的、学問的に解明しその原理から新らしい発見を行おうとするのが、三重大学
の今回の決定なんですね。

 かって、北陸勤務時代に金沢の寺町の寮にいましたが、近くに忍者寺というのがあって、
訪れたことがありました。 大変ユニークな仕掛けで面白かったですが、ここ忍者寺こと
「妙立寺」は、忍者とまったく関係のないお寺だそうで、昔、加賀藩の前田家がお忍びで
お寺を出入りしたり、金沢城の防備として利用したことから、忍者屋敷のような仕掛けが
たくさん作られていたというのです。
 まあ、忍者寺というのは、全国にたくさんありますね。

      妙立寺(忍者寺)
         (ウイキペディアより)

 

 

 

 

 

 

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素晴らしい天の川  (bon)

2017-12-17 | 日々雑感、散策、旅行

 暮れの12月に「天の川」とはこれ如何に? そうですね、天の川といえば夏の夜空の
お話ですが、一昨夜、MACの会での講演で、数々の天の川映像の紹介があり4K超高感度
カメラで撮影された画像に少なからぬ感動を覚えました。
  実際に撮影された講演者は、高度 4,000mクラスの山上での夜の気温はかなり低く、
ちょうど今頃の部屋で暖房を止めた雰囲気にすれば もっと臨場感があるのでは?などと
冗談が出ました。

 折しも、この2~3日(12月14~15日)は ふたご座流星群の極大時を迎えていて、
夜空に気が向いているのでした。しかし、自宅のベランダからでは、寒さは我慢できても、
街の明かりで、毎回チャレンジしてもあまり成果が期待できないので今回は諦めました。

 ネットでは、『 2017年のふたご座流星群の流れ星が 最も多く流れる「極大時刻」は、
12月14日15時(午後3時)ごろと予想されています。この時刻は日中ですから、実際には
その前後の時間帯が一番見やすいことになります。つまり12月13日の宵から14日の明け方
にかけてと、14日の宵から15日の明け方にかけての2夜が、最も観察に適しているといえ
ます。』とありました。

 

 それで、感動した映像とは、南半球の天の川、オーロラ、ハワイ島マウナケア山から
の天の川、アメリカ大陸での皆既日食の一部始終、さらには、ニュージーランドワイトモ、
カルスト地形にできた巨大洞窟内の 土ボタルなどなど、いずれも天空に散らばる無数の
星たちに堪能したのでした。

 講演された方は、星・宇宙・天文・自然をフィールドにした 映像プロダクションの
社長さんで、テレビのドキュメンタリー番組の制作として活躍されていて、上映された
映像のほか、撮影に至る苦労話など生々しい体験談が,一層映像の迫力を倍加させてい
ました。

          天の川(ネット画像より)             
      


 天の川は、我々は、“川または河”といいますが、欧米では“Milky Way”とよばれ、
いずれも明るい星の帯を指していますが、この天の川に黒く中州のような模様を中心に
見て、オーストラリアなどではカエルやヘビなどの動物にたとえるそうです。 この、
中州のような暗い部分は、星がないのではなく、暗黒星雲があって、その向こうの星を
隠しているためなんだそうです。

 上映された超高感度撮影の動画、天の川は、それこそ初めて見るその星の数々の集まり、
ところどころの黒い影のような模様も鮮明に映し出されて、その向こうに吸い込まれて
行くようでした。

 オーストラリアの映像では、シルエットのバオバブの木も印象的でした。

    バオバブの木(ウイキペディアより)
        

 

 ニュージーランド マウントクック山頂付近でのオーロラも素晴らしいでした。緑や
赤などの色がカーテンのように動く映像ではなく、忠実に撮影された実際の映像は、
むしろ白っぽいカーテンが揺れているような感じでした。北斗七星が地平線あたりに
ありましたが、ヒシャクの先の延長線にある北極星は地球の影の中でした。 ここは、
南半球でした。


 また、南米ボリビアから チリ全土を 1か月かけた撮影は、数々の有名な天文台と
天の川のコラボ映像と世界最大ともいわれる塩湖を鏡のようにした、ダブルの満天と
天の川。  さざ波がくると鏡の役目が果たせず 上部映像のみで、風がやみさざ波が
止まると瞬時に再びダブル満天が映し出された素晴らしい自然の演出を捉えた映像。
見ごたえがありました。

  今年8月21日(現地時間)、99年ぶりの 全米横断皆既日食の一部始終を撮影した
映像の紹介がありました。 日食が始まりそれが終わるまでの約3時間の映像が、コマ
落としのような画像、点々と変化する日食の状況画像など、生々しく変化する様子が
映し出されていました。ダイヤモンドリングが始まりと終わりの2回あり、皆既状態
では、コロナ、プロミネンスなど 昔学習した内容がそこにあるのでした。 貴重な
映像でした。

 

 もう一つ、洞窟の中の、星空のような光景の映像が紹介されました。
 ニュージーランド、ワイトモの洞窟、奥深く数日間 洞窟内でのテント宿泊による
映像でした。 洞窟の天井一面に、青く光る土ボタルの様子が、まるで天空にちりばめ
られた星たちのように映し出されていました。

     土ボタル(VELTRA HPより)
      
 

 土ボタル(glow worm)というのは、ネットによれば、実は、『日本で見られる蛍の
仲間ではなく、ヒカリキノコバエの幼虫です。幼虫は、それぞれ蜘蛛の巣のような罠を
作り、ベトベトした粘液を 釣り糸のようにたらします。そして、洞窟に迷い込んだ
小さな虫が、青い光をめがけて罠に飛び込んでくるのを待っているのです。
 
卵から成虫になるまで、約10か月のライフサイクルのなかで、青く光る幼虫の期間は
比較的長く9か月ほど。その後さなぎになり、成虫になると3日ほどで死んでしまいます。
ヒカリキノコバエの成虫には 口や消化器官がなく、餌を食べることができません。次の
世代を残したら、その役目は終わりです。』

 この土ボタルは、繊細で、フラッシュの光や大きな音に弱ってしまうので、超高感度
カメラによって、静かにはかない命を思いやる気持ちで撮影されたのです。

 
 数々の貴重な そして感動的な映像を、ワインなど傾けながら和やかな雰囲気の中、
1時間弱ほど楽しませていただきましたが、これらの映像を手に入れるには、世界の
そして高い山、深い洞窟、寒さ、さらにはその瞬間を計算しながら待機する忍耐などなど
語りつくせない努力と技術の成果だったのです。 4000m級の山上では、むしろ肉眼の
解像度は低下するらしいので、超高感度カメラにより撮影された映像のみが実際の姿なの
だそうです。
 堪能しました。

 


 Youtubeを探していましたら、ハッブル望遠鏡を中心とした映像がありましたので、雰囲気の一部をご覧ください。天の川銀河宇宙です。

 

 

ハッブル望遠鏡に寄せて

 

 

 

 

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B2B2X  (bon)

2017-12-15 | 日々雑感、散策、旅行

 このほど届いた、某通信事業会社の情報誌の記事に『B2B2Xの価値創造』との見出しで、
中期経営戦略の一つとして、そのモデルが解説されていました。

 サービスモデルとしては、B2C(B―C)やB2B(B-B)などは、これまでも一般に広く
知られた概念ですが、ここでいう B2B2X なる文字表現は、あまりお馴染みではなかった
ように思います。 ですが、具体的なこの形によるサービスは、古来から一般化されていて、
たとえば、それぞれの生産者(メーカ等)が百貨店(流通店舗等)を通じて、エンドユー
ザーに提供される普通の形態ですね。

 しかし、ここで新しいのは、下図にありますように、生産者(B)が通信事業者とパート
ナー(企業を始めとしたいろんな事業者)とコラボレーションし、IOTやAI等の新技術に
よる新しいサービスを生み出しているところにあります。  
 

        

 

  B2B2X関連のネット記事を見ますと、そのモデルへの取り組みの狙いとして、次のような
一文がありましたので引用します。  すなわち
『 B2B2Xビジネスの加速は、デジタル化、IoT、AIといった社会的・技術的な潮流を活かし
つつ、個人や企業 に直接サービスを提供するモデルから、様々な分野のサービス 提供者
のサポートを通じてエンドユーザーに付加価値を届けるモデルへと事業構造を変革する
取り組みです。』とありました。

 記事には、いろんなパートナー企業とコラボレーションして、たとえば、スマートモビ
リティ社会に実現に向けて、クルマの状態は常にコンピュータにネットワークされ、安心
安全はもとより、運行に際する道路事情、駐車場情報など適宜把握できる快適性を実現し
たり、健康長寿社会に向けた情報把握やロボットの活用による対話、行動支援など、また
外国人向け情報案内サービスの充実、さらには、新しいコンピューティング技術開発に
よる、交通渋滞の解消や新薬の開発など社会的課題の解決に向けた取り組みや、スポーツ
脳科学分野では、「心・技・体」のうち、脳と密接な関係にある「心・技」部分について
脳の情報処理を解明し、アスリート育成に役立てようとする研究など、将来に向けた取り
組みが幅広く紹介されていました。

            

 情報通信事業者は、これまで電話サービスや情報ネットワークの提供サービスが中心で、
広く・あまねく安定したサービス提供を目的としていましたが、IOT、AI等、ここにきて
新しい技術を核として多くの様々な企業(機能)とコラボレーションすることで、従来
には考えられなかった新しい社会システム・サービスの実現へと向かい始めているので
すね。



 

 

 

 

 

 


 

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煤払い  (bon)

2017-12-13 | 日々雑感、散策、旅行

  12月に入ると、収束したり納めたりの行事が多い中で、すす払いは、新年に年神様
(としがみさま)を迎える行事として、この時期ちょっと早い気もしますが、チリ・
ホコリを取り払い清めるのですね。 単なる年末の大掃除とは違い、年神様を迎える
準備のための信仰的な行事で、
平安時代にすでに行われていたといわれているようです。
 12月13日に行うようになったのは江戸時代からだそうで、江戸城は12月13日が煤払い日
だったので、民間でも多くが13日を煤払いの日としていたとありました。 
正月を迎える
物忌みの始まるのが13日で、そのための清掃だったそうです。

   すす払い (ネット画像より)
  

 現在でも、今日12月13日に「すす払い」をするところが多く残っていますが、特に
神社やお寺などのすす払いはテレビなどでも紹介されていますね。 普通の家でも、家の
中の煤掃きは、少し後にして、形だけこの日に行い、この日を正月事始め、年取りの始ま
りと称して正月の準備を始める日と考えている地方も多いといいます。 とくに、和歌山
や大阪などではこの十三日に、神棚、仏の煤払いを行う習慣があるようです。ここでは、
家の掃除をこの日にすれば、牛にたたる・・などといわれているとか。

  年神様というのは、穀物や稲などの豊作を約束してくれる神様のことで、この年神様
をお迎えするために家の中、外の汚れをきれいにする日が12月13日とされているのだそう
です。そして、その年神様は家のどこに来るのか・・といえば、実は年神様は門松を目印
にしてくるのだそうです。門松は年神様を歓迎する印だったというのです。で、年神様が
家の中に入ってどこに留まるかといえば、なんと! とどまる場所は「鏡餅」なんだとか。
ま、どこまでがどうだかわかりませんが、昔の人は、このような話を作りながら、季節や
行事を進めていたのですね。

  昨日、日本漢字能力検定協会は、京都・清水寺「奥の院」で「今年の漢字」を発表しま
した。森清範貫主が揮毫した漢字一字は「」でした。

「今年の漢字」は、日本全国および中国、台湾から応募された漢字一字とその理由を
集計して、12月12日の「漢字の日」前後に最多応募数の漢字を発表するという日本漢字
能力検定協会によるキャンペーンなんだそうです。1995年から毎年行われていて、応募が
多かった一字は、京都・清水寺の森清範貫主の揮毫により発表されるのです。

 揮毫はその後、一年間のできごとを清めるとともに、「明るい新年となるよう願いを
込めて奉納」されるといいます。
 今年の漢字「北」の理由がネット記事に推定されていました。『北朝鮮の動向、北海道
産のじゃがいも供給不足、7月の九州北部豪雨、清宮幸太郎選手の北海道日本ハムファイ
ターズ入り、競馬界を賑わせたキタサンブラックの活躍など。7,000票近くを集めた最多の
一文字だった。』


 このところ、大型の寒波が南下してきているそうで、気温も低く、日本海側では大雪の
報道が出ています。いよいよ今年も、余すところわずかとなりました。皆さん、風邪など
ひかぬよう注意しましょう。

 

 

 

 

 

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沢庵忌  (bon)

2017-12-11 | 日々雑感、散策、旅行

 今日12月11日は、沢庵和尚こと、沢庵 宗彭( そうほう)の命日だそうです。
12月11日は、旧暦ですので、グレゴリオ暦でいえば、1646年11月27日となります。沢庵
和尚といえば、あの宮本武蔵にも出てきますが、史実上は無関係で、吉川英治の創作だ
そうです。

 で、生まれは、1573年といいますから、74歳と 当時としては長生きだったのです。
但馬の国出石(いずし=現、
豊岡市)に生まれ、地元の寺に出家し、20歳のころ京都
大徳寺に入り、36歳で住持となります。 安土桃山時代から江戸時代前期にかけての臨済
宗の僧です。

         沢庵和尚
          (ネット画像より)


 まったくの余談ですが、出石といえば、蕎麦がおいしい。真っ白なお皿にやや黒目の
蕎麦が盛られた素朴な見栄えながら大変味わいがあったことを覚えています。また、この
地は、山深く、林業なども続いていましたね。

        出石町(兵庫県豊岡市)
         (ウイキペディアより)


 江戸幕府に入ると、寺院法度などにより特に、大徳寺などの有力寺院への締め付けが
厳しくなり、1627年に後水尾天皇勅許により幕府の許可なく紫衣着用をしたため、法度
違反とされ 勅許状が無効とされましたが、沢庵らはこれに反対運動を行ったことで、
罪に問われ江戸に召喚されることになったのですね。  これが「紫衣事件」と呼ばれ、
沢庵は出羽の国上山に流罪となります。沢庵57歳のことでした。

 1632年、沢庵60歳の時、徳川秀忠死去による大赦令で、柳生宗徳らとともに連座した
者たちは許され、沢庵も江戸に出ました。その後、徳川家光が深く沢庵に帰依するよう
になり、67歳の時、家光によって創建された萬松山東海寺に初代住職として入ることと
なったのです。家光とは、かなり近侍していたようで、ある時、家光が東海寺を訪れた
際、「東海寺と言えど海近し」と問われた時、即座に「大君と言えど将軍と称するがご
とし」と返したというエピソードが残されています。(訳注:遠い海だが海近し→大な
る君でも、小ぐん・・)

        東海寺(品川区)
          (ウイキペディアより)


 また、柳生宗矩(柳生十兵衛の父)とも親交が厚かったようです。宗矩の求めに応じ、
剣禅一味(剣禅一如)の境地を説いた・・とあります。

 当時の代表的禅僧として知られる沢庵は、また、受け答えも当意即妙で、禅の教えを
身近なものに例えて教授するなど、その話が魅力的であったこともあり、多くの人々から
慕われ、徳川家光を始め、多くの大名や貴族からの帰依を受けていたそうです。
 しかし、沢庵自身は名利を求めない枯淡の禅風を崩すことなく、あくまで自らは一
禅僧に過ぎないと述べ、死に際しても、「墓碑は建ててはならぬ」「ただ土に埋める
だけでよい」などと遺言し、「夢」の一文字を書き、筆を投げて示寂したという。
 書画・詩文に通じ、茶の湯(茶道)にも親しみ、また多くの墨跡を残しているそうです。 
遺言に反して、現在、出石町の円覚山宗鏡寺 と東京品川区の東海寺に沢庵のお墓がある
そうです。

 ダイコンの漬物「沢庵」との関係は、いずれも伝承の域を出ないとありますが、一説
には「沢庵和尚が考えたから」があり、あるいは関西で広く親しまれているダイコン漬け
を沢庵が江戸に広めたとの説があるといいます。
 後者の説では、家光が東海寺に沢庵を訪れた際、ダイコンのたくわえ漬を供したところ、
家光が気に入り、「たくわえ漬にあらず沢庵漬なり」と命名したと伝えられているとか。

 

 

 

 

 

 

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夏目漱石記念館  (bon)

2017-12-09 | 日々雑感、散策、旅行

 今日12月9日は、文豪 夏目漱石の忌日です。1916年12月9日に、49歳の若さで亡くなっ
たのでした。

 漱石については、皆さんよくご存じですし、先のブログ、若さんの 神楽坂研究(4)
「夏目漱石と神楽坂ウーマン」(2016.10.8)および神楽坂研究(5)「まち飛びフェス
タ」(2016.11.11)にも詳しく書かれていますので、ここでは、生誕150年を記念して、
今年9月に完成しました新宿区立「漱石山房記念館」をご紹介したいと思いました。

 漱石山房記念館については、先の神楽坂研究にも、その建築が予告されていましたし、
友人Iさんがいち早く訪問されたとの知らせを受けていましたので、ここはひとつ私めも
是非とも訪れてみたいということで、12月3日午後、実行しました。 アクセス図を見て、
一番徒歩が少ないバス利用ということで、JR目白駅前から都バスで、牛込保健センター前
で下車、徒歩2分のところでした。
  目白駅前から、学習院大、日本女子大、椿山荘・・に至る目白通りは、両側のかなり
伸びたイチョウの木の黄色い色に導かれ、道中の楽しみも一際でした。

 漱石山房記念館は、新宿区早稲田南町の閑静な住宅街に沿うように建っていますが、
ここに漱石が亡くなるまでの9年間を過ごし、「三四郎」「こころ」「道草」など数々の
作品を世に送り出したところなのです。         

              漱石山房記念館
        


       入り口付近の胸像
        

 もともとの「漱石山房」は漱石の弟子や知人など多くの文人が集うサロンの様相を
呈していたとありますが、1945年の空襲で焼失していまったそうです。 戦後になって、
その敷地の半分を「漱石公園」として残しましたが、半分は区営住宅として使用されて
いたそうです。 2011年(平成23年)都営住宅建て替えの機に、区では「漱石公園」の
敷地と合わせて かつての「漱石山房」を再現し、本格的な漱石記念館を建設すること
になったのでした。

 記念館では、漱石がこれまでに残した文学作品や関連図書を約3000冊蔵書する図書室
のほか、漱石に関連する様々な展示資料を掲示した常設展を初め、随時 漱石そのもの、
または漱石とのかかわりのある人物や文学についての企画展示会、講座なども展開する
とありました。
 入り口には、“ブックカフェ”があり、漱石作品などが楽しめるようになっていました。

 展示資料としては、「道草」「明暗」の原稿の草稿、漱石の弟子らに送った葉書(自
筆の絵が添えられている)、漱石の「書」、絵画など、漱石のイメージがが漂う構成で
した。その他、画家・津田青楓作の「漱石先生像の画讃」を初め、漱石の書籍の初版本
の多くが展示されていました。

 裏庭が、「漱石公園」と名付けられ、こじんまりと植え込みなどが設えられていて、
丁度秋らしい雰囲気に包まれていました。 猫塚などもそのまま残されていました。

公園(庭)側から見た記念館        猫塚
 


  記念館を出た時は、既に午後4時を回っていたので、通りから見上げた低いところに、
満月に近い大きな月が出ていました。

 

 

 

 

 

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IOT時代の脅威  (bon)

2017-12-07 | 日々雑感、散策、旅行

        今日12月7日は、二十四節気の 大雪(たいせつ)です。旧歴では
         今年、閏5月がありましたから、10月20日です。暦では2か月も
         かけ離れて季節的な実感がありません。季節を表す方法として
         二十四節気があるのですね。雪が舞う季節の到来ですね。


 インターネットが上陸して早や四半世紀が過ぎますが、この間企業、行政などの機関
の利用はもちろん 個人、家庭での利用は急激に伸び、最近のスマホ、タブレットなどの
普及は目覚ましいものがあります。多くの家庭で、複数台のパソコンやスマホ、テレビ、
カメラなどをネット接続するためのルーターが設置されている現状から、さらに今後、
現在の情報機器にとどまらず、エアコン、炊飯器、ウエブカメラなど、いわゆる家電と
称する機器がネット接続による利便性の向上が見込まれているのです。

     情報機器の世帯保有率 (総務省HPより)
    
       (世帯普及率の推移、スマホ、タブレットの急激な伸び)


    世界のIOTデバイスの推移及び予想 (総務省HPより)
       
        (コンシューマ(家電)、産業用が急激な伸び)


 家庭内のネット化だけではなく、いち早く(あるいはすでに)企業活動でのあらゆる
分野でのネット接続が考えられます・・すなわち IOT がすでに始まっているといえる
でしょう。例えば、製造分野、流通販売分野などの監視制御系、チェーンコントロール系
はもちろん、金融情報・決済系、医療における監視・制御、交通、政府機関、研究機関
等々あらゆる分野で、AIとともにますますコンピュータ処理化が進み、インターネット
接続される時代がすでに始まって来ているのです。

 これまでよりもさらに快適なサービスが提供され、企業側もさらなる効率化が図られる
ようになるわけですが、反面これらを司るコンピュータが外部からの悪意によって攻撃され、
ダウンすることになれば、その影響は、広範囲の多くの利用者に及び、医療、交通などで
は直接人命にかかわるなどといった大問題に発展する可能性があります。

 

 たとえば、通信事業者の制御コンピュータが攻撃されれば、電話やインターネットが
不通となり大きな問題となります。 証券会社のコンピュータが攻撃されれば、取引が
不通となり大きな問題が生じることになります。 
 仮に、これらのコンピュータが、どこか数か所のアジトから狙い撃ちされるというのな
らば、その攻撃に対処し、さらに攻撃してくる数か所を防御すれば、これらの攻撃を防ぐ
ことは可能でしょう。しかし、攻撃箇所が何万にもわたり、しかも、攻撃場所を特定する
ことさえ不可能となれば、もはや防ぎようがなく大きな社会問題に発展しかねないのです。
もはや、IOT時代のテロ(サイバーテロ)行為と言われているのです。

 これがIOT時代の脅威なんです。 前置きがずいぶん長くなってしまいましたが、これら
のコンピュータへの攻撃は、知らず知らずのうちに乗っ取られた 不特定多数の家電から
一斉に仕掛ける、サイバー攻撃なんですね。つまり、悪意ある攻撃者が、任意の家電など
の機器に、あらかじめインターネットを通じてウイルスを送り込み(家電を乗っ取り)、
攻撃者が自由に操作(制御)できるようにしておき、ある時 一斉に標的コンピュータを
攻撃する・・というのです。
 これをDDos攻撃=distributed denial of service attack(分散型サービス拒否攻撃)
といいます。

                 (ネット画像より)
          (踏み台PC,家電)

 

 先日(11月26日)のNHKスぺシャル「あなたの家電が狙われている~インターネット時代
の脅威~」で、事例を交えて放送されていましたので、ご覧になられた方も多いと思います。 
 冒頭の前置きが長すぎましたが、以下に、放送のなかで取り上げられていました事例を
ご紹介しなガラ、どのようなことなのかをまとめてみました。

 普通の家庭で、最近購入したウエブカメラ(監視用)が、ある日突然、カメラのレンズが
動いて、こちらを向いていて何かしゃべっている・・そんな個人的な妨害から映像は始まり、
専門家との対話から、ある囮コンピュータを設置して、ウイルスを特定してみたら、なんと
東北地方の あるアパートの防犯カメラがウイルスに乗っ取られていることが突き止められた
り、ある実験で、ウイルスでカメラを乗っ取り、自由にカメラ操作が出来ることを示してい
ました。知らぬ間に気味の悪いことが起こっているのです。

              

 この原理に基づいて、世界中の不特定多数の家電(パソコンや、ウエブカメラ、エアコ
ン・・)が乗っ取られ、ある特定のサービスコンピュータを狙い撃ちにして攻撃した事例が
紹介されていました。
 アメリカの通信事業者のコンピュータが攻撃され、アメリカ全土にわたるインターネット、
スマホなどが使えなくなった、日本ではネット証券会社がサイバー攻撃を受けて、取引がで
きなくなり 多くの顧客が迷惑したなどの実例が示され、さらに医療現場における患者の状
態監視ネット機器が乗っ取られるなど人命に直結する問題なども紹介されていました。

 もちろんこれらのネット接続機器には、不正侵入防止用対策(セキュリティ)が施されて
いますが、安価なウエブカメラなどでは十分なセキュリティといえない場合や、ある程度の
セキュリティが施されていても、それらが破られる場合が多く、特に通常の家電レベルでは
それほど高度なセキュリティは価格面からも難しいのではと思われます。

 放送でも、このあたりのセキュリティの脆弱さに警鐘を発している反面、単に個々の機器
への対策だけではなく、これらネットに対する総合的な対策の必要性が指摘されていました。


 一昨日、自民党サイバーセキュリティ対策本部(高市早苗本部長)が、初会合を開いてい
ました。 2020年オリ・パラを控える中、重要なインフラへのサイバー攻撃に対応する、
特に交通・医療などにおけるリスク把握とその対策についての検討が指示されていました。

 

 どこから攻撃されているか、攻撃元が不特定多数でつかみどころがない・・そんなサイバー
攻撃を受ければ 防ぎようがないのです。  どこからでも、ネット接続ができ、大変便利な
時代になりますけれども、サイバー攻撃を受けると大変な社会問題となるシステムコンピュー
タは、十分その対策がとられていなければならないのです。
 IOTにより、知らず知らずのうちにウイルスに乗っ取られた機器を“踏み台”にして実行
されるサイバー攻撃をどのように防ぐか・・。









 

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紅まどんな  (bon)

2017-12-05 | 日々雑感、散策、旅行

        昨日、未明というか深夜のお月さんは、満月“スーパームーン”でした。
        今年6月の満月は最小だったんですね。 宇宙もいろいろ
演出を凝らして
        面白いですね。


 “ゼリーのような食感”とうたわれた「みかん」ですが、持つとズッシリと果汁の重み
が手に伝わってきます。

 この秋から初冬にかけて、いただきものも数えると、梨の幸水から始まり、ぶどう、
ラフランス、富有柿、紅まどんな、りんご・・と次々と恩恵に浴しています。ありがたく
感謝です。 そんな中で、2013.12.19にブログ記事アップしていました「紅まどんな」を
再び取り上げてみました。

       紅まどんな
         

 箱の中に入っていた“シオリ”には、『 JAえひめ中央のおいしいラインアップ』として、
写真のような 6種類の柑橘類の紹介と出荷時期が書かれていました。

     おいしいラインアップ
    


 柑橘類には、オレンジ類、ミカン類、グレープフルーツ類その他などの類があります
が、その中にタンゴール類というのがあります。 このタンゴール類は、 ミカンと
オレンジの交雑種で、その語源は、タンジェリン(tangerine)とオレンジの(orange)
の組み合わせ「tang」と「or」からタンゴール (tangor)とよばれているのです。
 日本では「清見」、「せとか」などが代表的なタンゴールなんだそうです。
㈱10“TEN”という柑橘類の新種などを開発している会社のページに “みかんの家系
図”というのがありましたので、下図に掲載しました。

  

 図から、確かに「清見」を中心にして、たくさんの品種が作られていることがわかり
ます。 一つの品種を発売するまでには、10年以上もかかると言われますから、大変な
努力がなされているのですね。なかでも、「紅まどんな(愛媛果試28号)」や、「甘平」
などは愛媛県で誕生したオリジナルの新品種で、県内でのみ生産されている稀少な柑橘
なのだそうです。(図で、清美の注釈は、清の間違いでした。)

 

 4年前の曲は「マドンナの宝石」でしたので、今回は、お馴染み、深い愛の曲で・・

 

 

 

 

 

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人権週間  (bon)

2017-12-03 | 日々雑感、散策、旅行

          早くも、今年も12月3日となりました。 過ぎ行くスピードが、
          年齢に反比例するとしたら、10歳頃の速さと、70歳で感じる速さは、
          7倍?くらい違う・・?? 
          昨日の夕方5時頃には、東の空に大きな満月(くらい丸い)が上って
          いました。 明日4日は、満月です。

 

 明日、12月4日から、「人権週間」だそうです。
 法務省のページでは、『我が国においては、法務省と全国人権擁護委員連合会が、
「世界人権宣言」が採択されたことを記念して、1949年(昭和24年)から毎年12月10日
を最終日とする1週間(12月4日から同月10日まで)を、「人権週間」と定めて』 人権
尊重思想の普及高揚を図るために、全国各地においてシンポジウム、講演、座談会、
映画会等を開催するほか、テレビ・ラジオなど各種のマスメディアを利用した集中的な
啓発活動を行っています。

        人権週間ポスター(平成29年)
         (法務省ページより)

 世界人権宣言というのは、1948年12月10日の国際連合第3回総会において『世界におけ
る自由,正義及び平和の基礎である基本的人権を確保するため、全ての人民と全ての国
とが達成すべき共通の基準として』これを採択したのです。

 1948年といいますから、やはり第2次世界大戦が如何に悲惨であったかとの反省から
導かれているのです。  1945年に国際連合が構成された時、国際連合憲章の全文に
『~将来の世代を救い、基本的人権と人間の尊厳及び価値と男女及び大小各国の同権とに
関する信念をあらためて確認し、正義と条約その他の国際法の源泉から生ずる義務の尊重
とを維持することができる条件を確立し、一層大きな自由の中で社会的進歩と生活水準の
向上とを促進すること~』 とありますように、すなわちこれが前提となっているのです
ね。 戦前までは、人権は、国内問題として取り扱われて、世界は国内問題不干渉義務の
中にあったのです。

「人権」といえば、今日当たり前のように使われており、当然のように思いますが、国連
での議論や、これを世界の中で承認されるまでの経緯など、必ずしもスッキリと進まな
かったようです。
 しかし、この当たり前のように思う「人権」は、大変難しいものだと思います。ヒトは
それぞれ、基本的に自由でその尊厳は守られるべきでありますが、これが、世界中の人種、
宗教、信条、習慣、言語などの環境の違う中で平等に守られる現実には、なかなか難しい
面があるのでしょう。  世界・・でなくとも、日本の国内でも、もっと地域や近隣に
おいてすら、似たような心情部分があるのではないかと思います。

 日本国憲法にも、第10条から、11,12条あたりに個人の権利にまで言及されているの
ですから、「人権」というのは、世界レベルから、個人レベルまで広く深く関与した
理念?であるのですね。

 明日からの人権週間、人権尊重思想の普及高揚を図るための週間にちなんで、改めて
思いめぐらしてみたいと思いました。 法務省のぺーじには、平成29年度啓発活動強調
事項として以下の17項目が揚げられていました。

 ( 1) 女性の人権を守ろう
 ( 2) 子どもの人権を守ろう
 ( 3) 高齢者の人権を守ろう
 ( 4) 障害を理由とする偏見や差別をなくそう
 ( 5) 同和問題に関する偏見や差別をなくそう
 ( 6) アイヌの人々に対する偏見や差別をなくそう
 ( 7) 外国人の人権を尊重しよう
 ( 8) HIV感染者やハンセン病患者等に対する偏見や差別をなくそう
 ( 9) 刑を終えて出所した人に対する偏見や差別をなくそう
 (10) 犯罪被害者とその家族の人権に配慮しよう
 (11) インターネットを悪用した人権侵害をなくそう
 (12) 北朝鮮当局による人権侵害問題に対する認識を深めよう
 (13) ホームレスに対する偏見や差別をなくそう
 (14) 性的指向を理由とする偏見や差別をなくそう
 (15) 性自認を理由とする偏見や差別をなくそう
 (16) 人身取引をなくそう
 (17) 東日本大震災に起因する偏見や差別をなくそう

 

 

 

 

 

 

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