これまで、あまり死について、ましてや安楽死なんて考えたこともなかったし、
このような重い事柄を、にわか考えで果たして当を得ているかどうかも分からな
いまま記事アップとなってしまいました。
この引き金になったのは、とりもなおさずあの事件でした。7月に京都で起こっ
た、ALS嘱託殺人事件でした。 ALS(筋萎縮性側索硬化症)は、私の義兄
もこれで亡くなっていますし、北陸での知人もそうでしたから、割と身近に感じ
ている難病で、程度に差があるでしょうがどんどん進行し、しゃべることも、そ
のうち筆談もできなくなり食べ物も口からは無理となってくる、本当に追い詰め
られて行く感じのつらい病なんですね。
(ネット画像より)
京都の女性(51歳)の場合も、治る見込みがないどころか、どんどん進行して
先が見えず精神的にも追い詰められて「安楽死」を考えるようになったのでは?・・
と思います。
しかし、最近テレビなどでの患者の取材で、確かに死にたい気持ちになること
もあるようですが、また反面 何としても生きていたいとの強い気持ちもあるよう
で、辛さと生きる希望が錯綜しているようですね。
京都の女性の場合は、SNSでかなりの期間、情報交換をしていたとのことで
安楽死をにおわせていたことも事実かもしれませんが、実行した医師2人は、主治
医でもなく、この女性とは、実行する時が初対面だったといいますから明らかに
犯罪ですね。150万円ほどの金品を事前に受け取っているといいます。
安楽死を調べてみました。ウイキペディアには、要約しますと以下のようにあ
りました。
『安楽死は、苦痛を与えずに死に至らせることである。一般的に、終末期患者に
対する医療上の処遇を意味して表現される。また、安楽死の別表現として、尊厳
死との言葉がある。』とあります。
また安楽死には、積極的安楽死と消極的安楽死の2つがあり、
『積極的安楽死とは、致死性の薬物の服用または投与により、死に至らせる行為
である。患者本人の自発的意思に基づいて、自ら致死性の薬物を服用して死に至
る行為、または、要求に応じて、患者本人の自発的意思に基づいて、他人(一般
的に医師)が患者の延命治療を止めることである。』
つまり、自分で積極的安楽死を行った(未遂も含む)場合は、自殺なので犯罪
にはならないが、日本では他人による積極的安楽死は法律で容認されていないの
で、本人の意思による積極的安楽死に加担した(未遂も含む)場合として刑法上
嘱託殺人罪等の対象となる とあります。
このように、日本では法律で認められていませんが、これまでの判例から、次
の4条件を全て満たす場合に容認される(刑事責任の対象にならない)とあります。
- 患者本人の明確な意思表示がある。
- 死に至る回復不可能な病気・障害の終末期で死が目前に迫っている。
- 心身に耐えがたい重大な苦痛がある。
- 死を回避する手段も、苦痛を緩和する方法も存在しない。
一方、消極的安楽死とは、『予防・救命・回復・維持のための治療を開始しな
い、または開始しても後に中止することによって、死に至らせる行為である。生
命を維持する方法、心身の機能を維持する方法等が確立されていて、その治療を
することが可能であっても、患者本人の明確な意思に基づく要求に応じ、または
患者の親・子・配偶者などの明確な意思に基づく要求に応じ、治療をしないか治
療開始後に中止することにより、結果として死に至らせることである。』とあり
ます。ただし、終末期でない患者の場合は別問題であるとありました。
ですので、日本の法律では、患者本人の明確な意思表示に基づく消極的安楽死
(=消極的自殺)は、刑法199条の殺人罪、刑法202条の殺人幇助罪・承諾殺人罪
にはならず、完全に本人の自由意思で決定・実施できるのだそうです。(ただし、
法律により強制隔離と強制治療が義務付けられている感染症を除く。)
積極的安楽死が法律で認められている国があります。スイス、アメリカ(オレ
ゴン、カリフォルニア、モンタナ他)、カナダ、オランダ、オーストラリア、韓
国他は法律で容認されているそうです。
(ネット画像より)
ネットの事例では、『重い神経性疾患を持つ20代後半の日本人女性が、スイス
の自殺ほう助機関で自死する許可を得た。生死に関わる病気ではないが、生活の
質が著しく低い患者が豊かに生きるための「お守り」として、日本でも安楽死を
認めて欲しいと感じている。ただ新型コロナウイルスの影響で、スイスへの渡航
の見通しは立っていない。』 昨年12月のことで、スイスから引き受けるとのメ
ールを受け取り、『ようやくこれで(自分の人生を)終えられる。ほっとしたと
いうよりもむしろ達成感でした。』と語っているそうです。
また別の例では、20年2月に、6歳ごろから神経性難病を患い、20代までほとん
どを入院治療に費やし、主治医から完治の見込みがないことをはっきりと告げら
れ、自分の病気は介護認定の対象外で、月8万円の障害年金だけでは、両親に余計
な経済的負担を押し付けてしまうかもしれない。趣味を探したが、体に不自由を
抱えて没頭できそうなものは見つけられず、生きがいが全く見出せない生活に、
罪悪感や申し訳なさが募り、5年ほど前から死を考えはじめた。「穏やかに合法的
に死にたい」――情報を探す中で見つけたのがスイスの団体だった。』
“死ぬ権利”を主張する人もいるようです。上の事例でも、『でも、考えてみて
欲しいんです。死ぬ権利が、一体誰のものであるのかということを。』『豊かに
生きるための安楽死』とも・・。
またネットには、『安楽死は、認めても良いと思いますか。それとも反対です
か。賛成、反対、様々な立場の方々の声を聴かせていただければと思います。ぜ
ひご意見をお寄せください。』などのページもありました。
難しいですね。 本人に生きる希望がまったくなくなった時は、どのように考
えればよいのでしょうか? そして、周りの人や社会が、この本人の生きる希望
を育むすべをことごとく尽くしているかどうかがその過程で大きな視点であると
思うのです。
シバの女王 レーモン・ルフェーブル La Reine de Saba Raymond Lefevre