蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

一年の終わりに'18  (bon)

2018-12-31 | 日々雑感、散策、旅行

 
  2018年は、いよいよ暮れようとしています。 今年一年、拙いブログ記事ではありまし
たが、皆様には再三ご訪問を賜り 熱いお付き合いをいただきまして、さらには、連動して
いますFBを含めて数々のご指摘、ご感想等のコメントを頂戴しまして ありがたく感謝申し
上げます。

 蓼科浪漫倶楽部は、高校同期の仲良しメンバーが長野県蓼科の畑を中心に、ほぼ月一回
のペースで集まり、農作業と談笑を楽しみ、時に近郊の名所めぐりなどをしながら、既に
13年が過ぎました。
 最近では、体力的にも衰えを感じるとともに、思わぬアクシデントも起こったりして、
この先、いつまで続けられるか、一抹の不安は否めないところです。 
 しかし、案外、しぶとく続いてやっているかもしれません。

 夏合宿                  収穫祭で・・
  


 一年の終りに当たりまして、当ブログに記事アップしました 蓼科浪漫倶楽部の活動と
それを含む高校同期会活動をまとめた“拡大浪漫倶楽部”を 実施月順に足早に振り返って
見ました。

 高尾山初詣、東期会新年会、同期の傘寿の会、東京支部総会そしてほぼ月一の蓼科農園
での活動クリップをオートスライドにまとめてみました。


 今年一年の皆様の温かいお付き合いに、心から感謝しますとともに、引き続き出来る
範囲で頑張るつもりですので、何卒よろしくお願い申し上げます。

 来る年も、皆様にとりまして良い年でありますよう願ってやみません。


 一年の終りに“拡大浪漫倶楽部”(4‛40”)

 

 

 

 

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ナマハゲ  (bon)

2018-12-29 | 日々雑感、散策、旅行

 山のグループで白神山地方面に行ったとき、男鹿のナマハゲ館に立ち寄り、たくさんの
“ナマハゲたち”に出会ったのは 4年前(2014年)の7月でした。
  藁の衣装を着け、荒々しい形相の面をつけた神の使い(来訪神)たちが、館内の広い一室
にぎっしりと建ち並んで訪問客を歓迎していました。

      なまはげ館
       

 なまはげ君たち
      
                         (こちらはウイキペディアより)

  ウイキペディアに、次のようにありました。『ナマハゲは、男鹿半島周辺で行われてきた
年に一度、
大晦日に行われる行事は、今や秋田県を代表する行事の一つとして知名度を誇る
伝統行事も、地元自治体が補助金を出して下支えしなくてはならないほどの衰退傾向を見せ
ている。』

 家々を回る年中行事も、少子高齢化の影響で現在は半減しているという。本来は、地区の
未婚の男性がナマハゲを務める習わしが、高齢化と地区の人口減で担い手の若者が減った
ため、既婚男性や高齢者らが務めるようになり、また、子どもがいる世帯も減少している
ため、ナマハゲの訪問先も減り、減退してきているらしいのですね。

 2012年度から男鹿市は、ナマハゲを実施する町内会に補助金を出すようになりましたが、
同市内の148の町内会のうち半数近い71町内会が実施しなかったし、2015年度も69町が実施
しなかったとありました。

 そのような状況の中、今年11月、ユネスコ無形文化遺産にナマハゲをはじめ「来訪神:
仮面・仮装の神々」が登録されました。登録されたのは、8県、10行事で以下の通りですが、
ナマハゲ以外ほとんど知らない行事ばかりでした、

 ・甑島(こしきじま)のトシドン(鹿児島県薩摩川内市) 大晦日
 ・男鹿(おが)のナマハゲ(秋田県男鹿市) 大晦日
 ・能登(のと)のアマメハギ(石川県輪島市・能登町) 正月、小正月
 ・宮古島(みやこじま)のパーントゥ(沖縄県宮古島市) 10月
 ・遊佐(ゆざ)の小正月行事(山形県遊佐町) 小正月
 ・米川(よねかわ)の水かぶり(宮城県登米市) 2月初午
 ・見島(みしま)のカセドリ(佐賀県佐賀市) 2月第2土曜日
 ・吉浜(よしはま)のスネカ(岩手県大船渡市) 1月15日
 ・薩摩硫黄島(さつまいおうじま)のメンドン(鹿児島県三島村) 旧暦8月1日
 ・悪石島(あくせきじま)のボゼ(鹿児島県十島村) 旧暦7月16日の盆踊りの終盤

 いずれも珍しいというか変わった伝統行事ですが、子どもたちに躾する意味を持たせたり、
地域コミュニティの絆をより深めるなどの効果があるようで、ユネスコ登録の趣旨にも、
これらの行事は異なる社会的,歴史的背景をもつ地域において発展してきたため,多様な
形態を持ち,様々な地域
的特色を反映している。行事を執り行うことによって、地域の人々、
とりわ
け子どもたちは、アイデンティティを造成し、コミュニティへの帰属意識を発展させ、
相互の絆を強めている。
』とありました。

 各地の行事関係者の喜びは大変だったようですが、ユネスコに登録されたからと言って、
特段の恩恵はなく、金銭的な補助などは何もないそうです。 ただ、登録されることで、
それが保護されることのほか、世界的な文化遺産の一つとして認められる名誉と、より一層
の知名度向上による観光誘致による経済効果が高まることにつながる期待があります。

 今年の大みそかには、ナマハゲ君たちは、一段と元気づいて雪深い道の中、家々を訪問
することでしょう。 (年末豪雪と報じられています。)

 

男鹿のナマハゲ 泣き叫ぶ子供たち

 

 

 

 

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読売サロンコンサート  (bon)

2018-12-27 | 日々雑感、散策、旅行

          株式市場は荒い展開になっています。NYダウは1000ドル超乱高下し、
      日経平均も大きく変動し、慌ただしい年の瀬を感じます。


 一昨日(12/25)のクリスマスは、風もなく暖かく感じる一日でした。そんなお昼に、
市民会館の「チャリティー読売サロンコンサート」に行ってきました。

 コンサートは、読売日本交響楽団エルダーメンバーによるアンサンブル演奏で、ホル
ン、バイオリン2名、ヴィオラ、チェロ、コントラバスの同楽団OB 6名とピアニスト、
ソプラノソリストのバリバリの現役女性2名の計8名による、和やかで楽しい演奏でした。   

     楽しい演奏(ピンボケになってしまいました。)
       

 

 ホルン奏者が進行役を兼ねて、メンバーの紹介や、演奏曲目のユーモアを交えた解説
で、お馴染みの曲が演奏されました。 少ない楽器構成ですが、それなりに迫力もあり、
ソリストの魅力も加わって、9曲があっという間に終わりました。

      プログラム
       

 

 プログラムは、ヘンデルの「ハレルヤ」から始まり、シューベルト「即興曲第3番」、
ショパン「ノクターン」は勿論ピアノをフィーテャし、アダン「オーホーリーナイト」
とヴェルディ「椿姫:乾杯の歌」は、ソプラノソリストがリードしました。 続いて、
白鳥の湖、チャルダッシュ、タンホイザー行進曲など曲目が進むにつれて、聴衆の拍手
が大きくなって来ました。
 アンコールは、ナント3曲もサービスがあり、3曲目は、ニューイヤーコンサートでも
お馴染みの「ラデツキー行進曲」で、曲に合わせて客席のリズムをとる拍手がホールに
響きわたっていました。

 気の張らない、街の楽しいコンサートでした。

      市民会館入口
       

 

 

 アンコールの1番目に演奏された、ブラームスの「ハンガリア舞曲第1番」です。

 

 

 

 

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綿のタネ  (bon)

2018-12-25 | 日々雑感、散策、旅行

  今年初めて(5月頃に)綿のタネ(友人からもらった)を植木鉢に植えたことから、
その花がオクラに似たラッパ状でやや黄味を帯びているとか、そしてその花が萎んで
1か月くらいすると、その実が弾けて白い綿の実(コットンボール)が出てきたりと、
ブログアップ(2018.11.26「綿の実」)したりして注目してきました。
 そして、今回最後として「綿のタネ」をご紹介します。

 収穫したコットンボール         その一つの中のタネ
   

 

 一つの実(コットンボール)に、8つのタネがありました。 実は、白いあの「わた」
で、それをほぐしてタネを取り出そうとしましたが、綿に包まれてタネが外れず取れませ
んでした。 ふわっとした綿の中にあるタネは、アサガオのタネより少し大き目でとても
硬い感じでした。

 来年、暖かくなった4月頃に、このタネを蒔いて、もっとたくさんのコットンボールを
収穫したいと考えています。 せめて、お人形の顔が作れるくらい・・。
 

     綿の木(実が弾けて綿が見える 12月初めころ)
       

 

 ついでに・・
 この時季のベランダは、木の葉も落ちて、寒々としています。  その中から彩り
のあるものを2~3、ピックアップしてその姿をアップしました。

 出猩々(春は新芽の赤、今は紅葉で)   さざんか(ピンクの方は終わり)
 

 

 あのブロッコリーです。(プランター)  収穫できました。
 
  (市民農園が11月末で返還となり、その後、ベランダのプランターに植え替えました。)

  

 

 

 

 

 

 

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冬至 ’18  (bon)

2018-12-23 | 日々雑感、散策、旅行

    今日(12/23)は、平成最後の天皇誕生日で、85歳を迎えられました。
    都大路では、全国高校駅伝で、路面がぬれている中、元気に走っています。
    午後には、有馬記念と今年もいよいよ、ラストワンウイークとなりました。

 昨日(12/22)は、二十四節気の「冬至」でした。 当ブログにも、冬至を記事アップ
していますが、暦の上で基点ともいえる位置づけですので、再度おさらいをしてみました。

 冬至は、一年の中で昼が最も短く、夜が最も長い日で、天文的には黄経270度にあたり
ます。つまり、この日が最も夜が長く、北半球では、太陽の南中高度は最も低く、太陽
は一番弱い日で、この日を境に次第に昼が長くなり始め、太陽が強くなってくるので、
昔から、この日(冬至)が一年の始まりとされているのです。

      二十四節気
     (ウイキペディアより)


 上に二十四節気の図を示しますが、冬至は真上(時計の12時)に位置付けられています。
黄経0度の春分は、時計の9時にあり、黄経90度の夏至は時計の6時という具合です。

 冬至は一年の始まりの日で、メソポタミア、中国、古代ローマ時代では、この日を祝
う習慣があったそうです。この日から新しい年が始まるという意味があって、冬至前後
の12日間は新年の祭が開催されていたそうです。 中国では、「冬至節」、古代ローマ
でも、冬至祭があったそうです。
 農耕の神を祀り、闇を追い払うための祭として、人々
は仮装したり、晩餐会を開いたり、友人とプレゼント交換をしたそうです。
 後にキリスト教のクリスマス(12月25日)に当てられ、キリストの生誕と結びつけら
れたとの記事がありました。

 冬至は、一年の始まりとの位置づけではありますが、11月(旧暦)なんですね。二十
四節気では、11月を含む月を冬至と定められているのです。
 これは、旧暦で、1~3月が春、4~6月が夏、7~9月が秋、10~12月が冬と区分され
ていて、一番太陽の弱いところが11月にあたるからではないかと考えられますが、本当
の理由は何か確認できませんでした。

 昨日は、小豆・カボチャは割愛しましたが、ゆっくりと“ゆず風呂”に浸かりました。

      


  当ブログで、冬至に関する過去の記事配下の通りです。
  「冬至」(2016.12.21)、「朔旦冬至」(2014.12.21)、「ゆず風呂」(2010.12.19)







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消費増税  (bon)

2018-12-21 | 日々雑感、散策、旅行

 
  政府・与党は一昨日の政策懇談会で、来年度予算を、一般会計総額を101兆4567億円と
する予算案をとりまとめ、閣議決定の上、年明けの通常国会に提出する運びとなりました。
 
予算案は当初予算としては過去最大で、初めて100兆円の大台を超えますが、これは、
来年10月の消費税増税に伴う景気対策費約2兆円のほか、幼児教育・保育無償化や高齢化
に伴う社会保障費の増、さらに防衛費も700億円増の約5.2兆円となり、いずれも過去最大
となります。

 2014.4.1に消費税は5→8%になりましたが、この時点で、消費税10%は、2015.10の
予定でした。それが、景気低迷等の理由で、2017.4実施からさらに延期されて、いよいよ
来年2019年10月実施となりました。

    (ネット画像より)

 5から8%に増税した時、GDPの6割を占めるといわれる個人消費が、実施直前3か月は、
駆け込み需要などで、プラス1.9%だったのが、増税後の3か月はマイナス4.6%に落ち込む
などの影響がありました。今回は、これを何とか是正するための景気対策が必要だとして
新たに予算化されているのです。 そしてそれは、来年7月の参院選をにらんで、消費増
税のイメージを少しでも和らげようとの“苦肉の策?”ともとれるような、チマチマと
した対策が並べられているのです。
 

 消費税が10%に引き上げられますが、飲食料品など日常生活品などには、これまでの
8%とする軽減税率を適用することとするほか、キャッシュレスでポイント還元やプレミ
アム商品券など、いずれも混乱を招きかねないような策が検討されていて、とても一般
国民向けの対策としてふさわしくないように感じましたので、間違っているかもしれま
せんがブログ記事としてアップしてみました。

 
 財務省HPに、軽減税率適用対象となる飲食料品の範囲が示されていました。

     
                               (財務省HPより) 

 図からわかりますように、普段購入している飲食料品やテイクアウトする飲食料品は
軽減税率対象(水色に塗られた部分)となりますが、外食、つまりレストランでの食事
やケータリングなど(白抜き部分)は、役務の提供なので標準税率(10%)となります。
 また、セルフサービスや屋台でも椅子等がある場合や、コンビニのイートイン、カラ
オケボックス内での飲食、学生食堂も役務提供なので10%。 酒類は10%。
 宅配、学校給食は外食に当たらないとあり、また、公園のベンチでの飲食、テイク
アウトも外食ではないとしています(8%)。

 医薬品、医薬部外品等は標準税率(10%)です。栄養ドリンクは医薬品、医薬部外品の
ものは標準税率、単なる飲料水ならば軽減税率です。 また、贈答用の包装、保冷剤、
送料などは標準税率。
 スーパーなど肉、魚の切り身などがトレイに入った状態では、軽減税率ですが、トレイ
だけを仕入れる場合は標準税率となります。 給食は、1日1920円までなら軽減税率ですが、
それ以上は標準税率となります。

 新聞は、週2回以上発行されていて定期購読の場合は、軽減税率が適用されますが、コン
ビニ等での一部売りは、定期購読でないので標準税率。また、インターネット新聞はなぜ
か役務とみなされて標準税率です。

 また、取引時の用途によって下図のように適用税率が異なっています。

   
                          (財務省HPより)
     

  図では、食品表示法上の食品は、軽減税率適用ですが、同じ水でもミネラルウオー
ターは軽減、水道水は標準、アジ(魚)は軽減、熱帯魚は標準、食品用重曹は軽減、掃除
用重曹は標準であるということを示しています。 

 

  大変分かりにくいですが、実際、どのように運用されるのでしょうか? 店員さんも
勉強しないといけませんが、果たして十分やってゆけるでしょうか?

 

  この他の対策がさらにチマチマしている印象があります。

 キャッシュレス購入時のポイント還元です。クレジットカードや電子マネー、スマート
フォンなど現金を使わない「キャッシュレス決済」の場合、中小の店舗での買い物は5%分
のポイント、コンビニでは2%、百貨店や大規模店では0%(還元なし)で、これらが
適用される期間も限定され、来年10月1日から9か月間に限られます。

 さらに、プレミアム付き商品券の発行が検討されているようです。プレミアム付き商品
券とは、自治体などが発行する商品券で、その購入額に一定のプレミアムを上乗せした
もので、例えば上乗せ率が3割の場合、1万円で購入した商品券で1万3千円分の買い物
ができるというものです。で、この商品券は、購入できる世帯年収を400万~500万円程度
を上限として(財政支出を抑えたい考え)、住民税非課税世帯などの低所得世帯ほど上乗
せ率が高くなるよう配慮するのだそうです。
  上乗せ分の費用は国が31年度予算に盛り込むようです。 

  8%から10%への増税分(5兆円)の使途について、「財政健全化」に2兆円、「教育の
無償化」に2兆円、「社会保障(医療・年金・介護・子育て支援)の充実」に1兆円を割り
当てることが決まり、消費増税の使途変更(教育の無償化に2兆円)により、2020年度を
目標としていたPB黒字化については「困難」であると明言したとありました。

  長々と、お付き合いくださいましたがもうちょっとです。 

 ネットを見ていますと、ウイキペディアに「日本の消費税の歴史」という項目があり、
詳細に記述されていて、その流れが興味深く読み取れますが長くなりますので割愛し、
要点だけをピックアップしました。

 1969年に東京都知事に当選した美濃部亮吉が、高齢者の医療負担の全額無償化を行った
ことから、高齢者の医療費無償を求める運動が起こったのが始まりで、1973年、田中角栄
が70才以上の老人医療費の無料化を実施するなどして、以降、財政赤字から赤字国債発行
へとつながり、歴代総理大臣らは、消費税の導入を打ち出していたが実現せず、とうとう
1988年(昭和63年) に、導入論議から約20年後の竹下内閣時に消費税法が成立するの
です(
3%)。 

 翌年(1989年)村山内閣で消費税率を3%から5%へ増税提案があり、これを受けて、
ずっと後年の1997年の橋本内閣で5%が実施されるのです。 そして、2012年野田内閣で、
2014年4月1日に8%へ増税する法律が成立し、翌年、第2次安倍内閣で、閣議決定し、
2014年4月1日に消費税は8%となりました。

  最後です。

 20年以上も、何度か消費税導入について提案されるも、選挙で敗北する経験から、思い
切った政策がとれず、財政赤字が膨らむ一方で、いよいよ行き詰まり状態に入り、強い与
党の内に何とかするべき・・との決意は、分からぬでもないですが、何故ここまで、御身
大事で引き伸ばしてきたのか、底辺に流れるエゴによる結果なのでしょう。
 世界的に見ても、日本の消費税率は、それ程でもないし、何も横並びが良いとはいいま
せんが、もっと、20年以上も時間があったわけで、正面からその必要性を訴え続ける勇気
と英断がそこにはなかったということなのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

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身体の水分量  (bon)

2018-12-19 | 日々雑感、散策、旅行

        かなり冬らしくなってきて、関東も朝は冷えています。
        北日本は、吹雪になっているところもあると報じられています。


 少し前に、雑誌か何かでチラッと、身体の水分についての記事を見たことを想い出し、
こまめに水分をとることが大事で、特に、熱中症予防には欠かせないし、水分が不足する
と“血液がサラサラにならない”など、よく知られているところですが、改めて、ネット
調べで確認してみました。

 人の身体には、どのくらいの水分があるか? これは、いろんなところに書かれていま
すが、大塚製薬のHPに、分かり易い図がありましたので拝借しました。

       
                                (大塚製薬HPより)

  図から、成人男性で、大体60%が水分だそうで、新生児は80%、高齢者は50~55%と
年齢に応じて、その割合は減少しているのですね。 食事をとらなくても、しばらくは
生きて行けますが、水をとらないと3日と持たない・・などと言われるように、水分は、
生物にとって大事な物質なんですね。

 水分は、身体の中で次のような3つの働きをしているのだそうです。(健康長寿ネット
より)

物質の溶解 食事の中に含まれる栄養素は吸収しやすい水に溶けた状態に分解され代謝
       される。

・物質の運搬 水分を含む血液やリンパ液は体内の物質を細胞まで運び、また不要になった
       老廃物も尿から排泄される。

・体温調節  水は比熱(1g当たりの物質の温度を1度上げるのに必要な熱量)の高い物質で、
       温まりにくく冷めにくい性質がある。水は温度の変化が少ないので、体温を
       一定に保つことに役立っている。例えば夏の暑いときや運動時に汗をかくの
       は、体熱の放散によって体内温度の上昇を防ぐため。

 さらに、水の健康効果として、以下のような優れた作用があるのですね。

・痩せ体質をつくる 常温の水を飲むと、体の中から温まり、代謝がアップすると同時に、
       筋肉にしっかりと血液が送り込まれ、効率よく筋肉量が増えるので、基礎
       代謝量も増え、痩せ体質になる。

・血液をサラサラにする 水を飲めば血液の濃度が適度に下がり、サラサラな血になるが、
       ガブガブとたくさん飲んだからといって血液が薄まるわけではない。一般
       的には、喉が渇いていなくても1~2時間に一度、少量の水を補給するのが
       理想です。また、就寝時や起床後も水分をとるのも良い。血液がドロドロ
       しているというのは脂肪などが血液中に大量に存在している状態で、血液の
       流れが悪く細胞に酸素が行かないため、免疫力の低下や脳梗塞、心筋梗塞
       をも引き起こしやすくなる。

・食べ過ぎない(食事量をコントロールできる) 食事をしながら水分を取り入れるので、
       食べるペースがゆっくりになり、満腹感も得られるので、食べ過ぎを防げる。

・肌に潤いを保つ 肌は表面から水分を補給しても中まで届かないので、肌の中まで水分を
       補うためには水を飲むことが大事。シミやしわ、くすみなども水を補うこと
       で細胞の中の老廃物や毒素が排出され、細胞に必要な栄養素が補えるので、
       肌の新陳代謝が改善される。

 では、どのくらいの水を飲めばいいのか、下図にありますように、体内に入ってくる水の
量と出て行く水の量がバランスする必要があり
ますから、大体 1.2L/日ということになります。

     人体の水分の出入り(厚労省HPより)
         

 つまり、尿や排せつで1.6L、呼吸や汗で0.9Lの水分、計2.5Lを体外に排出し、食事などで
1.0L、代謝によって0.3Lそして飲料として1.2Lを取り入れているのです。

 ところで、人は生きていくうえでたくさんの水を体内で使用しますが、その水の使用量は
1日で約180Lと言われています。使用される水が180ℓに対して毎日補給する水はせいぜい2~
3ℓで、その他は体内でろ過された水が再度吸収されて何度も繰り返し利用されているのだ
そうです。

 体に入ってきた水は、体内のあらゆる場所をめぐり多種多様な役割を果たし、役目を終え
た水は、ろ過され一部は体外へ排出されますが、大半の水は再度吸収されて再び体内を巡る
のだそうです。したがって、体内に入った水が体外に排出されるまで大体1ヶ月くらいかか
ると考えられているそうです。

 

 ちょっと道草します。 土壌にある植物は、地中の水分を根から吸収しますが、植木鉢な
どの草花は、ちょっと水を切らすとすぐに萎れて、そのままにしておくと枯れてしまいます。  

 水が不足すると、萎れるのは、植物の体の中には、根から吸収した水を高い梢にまで運ぶ
「道管」があり、根から吸収された水は、この道管を通って、周囲の組織を潤しながら梢ま
で運ばれて充満していますが、この水が少なくなると、ハリがなくなり萎れてしまうのです。
 この水を上昇させている原動力は、①根の細胞が吸収した水で圧力が高まっている根圧、
②水の表面張力による毛細管現象、③道管内での水の凝集力、④葉の気孔で行われている水
の蒸発(蒸散)によるのだそうです。

 そして、葉で光合成が行われ(ここでも水が使われる)二酸化炭素と水の2種類の無機物
から有機物の糖(炭水化物と酸素)を合成し、根から吸収した無機養分と結合して作られた
栄養分は、今度は逆に、師管を通って、植物の体に行きわたり、最後は根まで届くのです。
このように、植物の体の中も、常に水分が無機物や有機物を溶かして巡っているのだそうです。


 最後に、人の体内に水分が不足すると、血液がドロドロになり、流れがわるくなり、酸素
や栄養分の供給がままならず種々の弊害を起こしますが、以下に大きく4つにまとめられて
いました。(高橋弘氏、麻布医院院長)

 ・心筋梗塞などのリスクが高まる 血液中の水分が少なくなりドロドロ状態になって血管
が詰まることにより、心筋梗塞や脳梗塞の危険が高くなる。とくに、水分補給が出来ない
就寝中はケアが必要なので、寝る前にコップ1杯の水を。

 ・骨や間接が弱くなる 骨は水分を含むことで強度が出るのです。水分不足の骨は、干物
のようになり、しなやかさを失い、折れやすい状態になるのです。間接もまた、潤った状態
だからこそクッション性がでるのです。

 ・内臓の分泌量が少なくなる 胃から消化を促進する胃液、膵臓からは消化酵素を含む
膵液など、内臓からの分泌液は、体内の水分量が少なくなると分泌液も減ることとなり機能
低下を招く。

 ・便秘になり易い 大腸の働きは、消化物から栄養分や水分を吸収しているので、体内の
水分が少ないと水分を吸収しすぎて便が硬くなる。

 長くなってしまいましたが、元より専門知識があるわけではなく、ネットなどを参考に
まとめたにすぎませんのでお含みおき下さい。
 しかし、夏場の水分補給だけでなく、冬も気を付けていつも快調でいたいものです。








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COP24終わる  (bon)

2018-12-17 | 日々雑感、散策、旅行

 2週間近くに亘ってポーランドで開催されていた「国際気候変動枠組条約第24回締約国
会議」(COP24)は、終了日を1日延長して一昨日(12/15)、“温室効果ガスの削減目標
に関する共通ルール”が合意され終了しました。

            (ヤフーニュースより)

 2015年に採択された「パリ協定」が、翌年11月に各国で「発効」し、今回はそれを受け
て、「実施指針」(ルールブック)を作成することが目的でありました。 一部の項目を
先送りされたようですが、先進国、途上国が大きく対立していた“温室効果ガス削減目標”
や“削減の進捗を検証する報告内容”などについて、一定の合意が得られたとあります。
前者は、先進国、途上国とも共通のルールに、後者は、各国が独自に決められるとの余地
が残された(妥協)形のようです。
 

 昨年、トランプ政権になって、アメリカは パリ協定から離脱を表明し、今会議のさ中、
パリの暴動に関連したツイッターに『多額の費用が掛かるバカげたパリ協定を終わらせる
べきだ』と書き込んだという。(読売新聞2/16朝刊)
 会議全体が、アメリカ、中国の責任を欠いた中で、リーダ不在の会議との印象が否めな
い状況に、さらに“水をさす”言動にあきれるばかりです。

 パリ協定が完全に実施されて、産業革命以来の温度上昇を2℃の範囲に抑えても、なお
地球温暖化は避けられず、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の、1.5℃を目標とす
べきとの報告書(10月)を、COPでも歓迎するとの記述に、アメリカが反対し盛り込まれ
なかったとあります。

 このようなアメリカの態度は、いささか度が過ぎるように感じますが、来年6月に日本
(大阪)で開催されるG20での日本の態度としても、この気候変動問題を議題として取り
上げることに否定的な発言で、日本の存在感も薄かったようです。

 イギリスは、メイ首相がEU離脱問題で混乱し、ドイツは移民問題でメルケル首相の影響
力低下、フランス、マコロン大統領は昨年のCOPで『アメリカの代わりになる』との強い
言動も、足元の抗議デモで萎縮し、欧州からの首脳の出席はなく、COP24の迫力は薄れ、
先行き期待が持てないのではないかと危ぶむ思いです。

       (ネット画像より)  

 

 しかし、会場では、元カリフォルニア知事のシュワルツネッガーの飛び入り演説で
『州や市、地方政府レベルでは温室効果ガス排出削減に向けた動きが続いている』と力強
い発言があり、最後に、映画ターミネーターのキメ台詞『I’ll be back !』で締めくくり
会場は大きく沸いたそうです。
 また、会場内の中国パビリオンでのイベントで、ゴア元副大統領が『パリ協定の履行に
向けての中国の取り組みは、各国の手本となる事を期待する』と元気づけたそうです。

 

 12/13の読売新聞朝刊社会面に、国立研究開発法人「農業・食品産業技術総合研究機構」
などが、11日に次のような発表を行ったとありました。 すなわち、地球温暖化などに
より、過去30年間でトウモロコシ、小麦、大豆の被害額が年平均424億ドル(4兆8000億円)
に上ると推定したというのです。

 これらの他、動物の生態に影響を与えることも考えられますし、何より、異常気象に
よる被害の増加も当然深刻な問題でしょう。

 アメリカなどでも、温暖化による海面上昇などで、海岸線が前進し、灯台からの海岸線
までの距離がかなり短くなっているところがかなりあるとのことです。

 

 ネット動画を検索していますと、NASAが発表したという『地球温暖化のウソ』の動画が
あり、南極の氷は、むしろ増えているとのデータを示し、気温上昇は、地球温暖化では
なく、都市温暖化である・・などと、もっともらしい内容です。 真偽のほどは、確か
ではありませんが、南極一点のデータでは信じがたい面もあり、個人的にも、子どもの
頃の天気と最近の天気の異常さははっきりと身に感じられます。 報道を見ても、都市
ばかりではなく、砂漠や平地でも世界の至る所で大きな被害が発生しているのですね。

 地球も天体ですから、巨大な時間軸で捉えれば、次第に冷えて行く方向にあると考え
られますが、温室効果ガスの増加による温暖化は50~100年オーダーで観測できるので
しょう。

 大国の指導者が、自分ファーストで 世界を取り返しのつかない方向に舵をとるならば、
シュワルツネッガーの演説にあるという『いかれた指導者』と名指されても仕方がないで
しょう。


 

 

 

 

 

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外国人材  (bon)

2018-12-15 | 日々雑感、散策、旅行

    昨夜(12/14)ふたご座流星群を見ました。 23時過ぎ頃にベランダに出てみると、
      まだ大半が雲に覆われていましたが、しばらく椅子に座っていると、次第に晴れて、
      オリオン、シリウス・・そのうち冬の大三角がくっきりと現れ、30分くらいの間に
      大きな明るい流れ星を4つ観測しました。

 

  にわか勉強では、その真意のほどが今一つよくわかっていないのですが、今般の臨時
国会で、『改正出入国管理法』を、そそくさと与党、維新の会などの賛成多数で可決成立
させました。来年4月から、新制度が導入されることとなり、急ぎ具体的な制度設計など
の準備が進められることとなりました。

 野党はこぞって、もっと審議すべきだ、などとざわめきたてていましたが、押し切ら
れた形で、結局は問題が内在したまま方向付けされて、具体的な設計に残された時間は、
3か月くらいしかない・・と乱暴極まりないやり方に思えます。

     (ネット画像より)


 すでに、130万人近い外国人労働者が国内に在留しているとありますが、これまでの
制度では、 下表にありますように、外国人労働者が日本で働くためには、一定の条件
を満たす必要があり、現在、日本には 28種類の在留資格があるうち、就労目的で取得さ
れる資格(いわゆる就労ビザ)は18種類で、その就労範囲は在留資格ごとに定められて
います。
  このほか、永住者や日本人の配偶者などの身分に基づく在留資格があり、こちらには
就業制限はありません。また、法務大臣が個々の外国人について特に指定する活動にだけ
許可を与える特定活動という在留資格、 そして、留学や家族滞在など5種類の在留資格
には、原則就労は認められていませんが、許可を受けることによって、アルバイトやパー
トで就労することはできる・・これが、就労できるすべてです。

    在留資格一覧(ITmedia ビジネスオンラインより)
     


 今回の改正案は、『新たな在留資格「特定技能」の1号と2号を創設。1号は在留期
間が最長5年で、家族を帯同できない。2号は更新を続ければ長期滞在が可能で、家族も
帯同できる。 また、法務省入国管理局を格上げし、出入国在留管理庁を新設。外国人
の在留管理や受け入れ企業の指導・監督を行う。』 とするもので、単純労働を含む分野
でも外国人の受け入れを解禁する、日本の出入国管理政策の大きな転換であるという。

 政府は、少子高齢化による深刻な人手不足を救済するとの名分で英断しているようで
すが、一方では、数千人の外国人労働者の失踪があったり、労働環境を苦にした自殺など
も報じられたりして、実態に問題がありそうです。

     (厚労省HPより)

 もともと93年に国際貢献の一環として、途上国から技術や技能を学びたい人を受け入れ
た技能実習生も、『低賃金や劣悪な境遇から逃れて「失踪」せざるを得なかった技能実習
生は昨年だけでも約7000人もいる。』(ダイヤモンド)と報じられているように、単に
労働者として使用していたようで、今後果たして、これらの労働環境が改善され、日本の
労働者とのうまい共存が保持できるかどうか?

 また、これら外国人材の受け入れには、日本語習得のほか、地域住民となるための多
言語の手続きや生活指導・支援、さらには問題発生時の解決など各自治体ごとの対応が
必要となり、自治体の負担が大きいとの苦情なども寄せられている現状とあります。
 文化・習慣の違いから、誤解やトラブルが生じやすいことに対していかに軽減策を講
じてゆくかなども細かなことですが現実的な問題でもあります。

 一方、外国人材の立場で考えれば、上記の賃金格差や労働条件などが適切に改善され
るか、日本での生活が円滑にできるか、地域との関係はどのようになるか、人権侵害に
ならないか など、すぐに回答できないことばかりで、具体的にどのような制度、ルー
ルが必要なのかなど実際的には重要なことだと思います。

 今回の法改正で、これまでのように細かな規制、条件が取り払われ、単純労働を含む
外国人材が一挙にオープンになったように感じられ、それはそれで、いいのかもしれま
せんが、上述したような、日本、外国人材双方にとっての懸念が置き去りにされている
ように思えるのです。

 また、指摘されていますように、人手不足が解消した段階で、これらの外国人材をどの
ように処遇するかなども懸念事項です。失業率が増加すれば、社会的な問題も懸念され
ます。

 くどくどと、まとまりない事柄を羅列してしまいましたが、今となっては残された期
間に、何とか具体策を講じるしかないわけで、今朝の新聞に、『運用方針明記』とあり
ましたが、関係機関に善処を期待するしかありません。

 ある人によれば、今回の事案は、『どういう移民政策を取るのか』という重大な案件
であると・・。



 

 

 

 

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東京ミッドタウン日比谷  (bon)

2018-12-13 | 日々雑感、散策、旅行

 今年3月末にオープンした東京ミッドタウン日比谷は、内部はかなりの混雑だという話も
ありましたので、これまでは日比谷公園あたりから見上げるだけでしたが、一昨日(12/11)
に、ランチの会で初めて内部に入りました。

 1階の中央はイベント広場のようになっていて、新型スマホの販売キャンペーンという
ことで、正面舞台のようなところに、可動型4連チェアが2セット用意されていて、希望者
は頭からVR用のゴーグルを着け、GAŁAXYとありますから、何やら衝撃そうなことをやって
いるようでした。 案内嬢が勧めに来ましたが、丁重にお断りしました。

          東京ミッドタウン日比谷
         

 そんなビルの6階に上がると、そこは、テラスになっていて、眼下に日比谷公園を見、
周辺のビル群が目線に並ぶ・・、気候の良い時期だと素晴らしい展望が開けていました。
今日は、今冬一番の寒さとかでしたから、かなり寒さを感じながらの展望でした。
 しかし、この辺りは、昔の職場があったところでしたから、周辺の景色は変化があります
が、どこか懐かしく、一行は寒さの中、しばし見とれてしまいました。

 桜田門方面               眼下に日比谷公園(外務省方面)
   


       テラス(6階)(正面の茶色いビルは、帝国ホテル)
         


 7月に、京橋界隈の散策を兼ねたランチの会は、今日は、このビルがお目当てで、6階
テラス周りにあるレストランでランチしました。

 “ミッドタウン”のコンセプトが、そうなのかもしれませんが、やたら横文字ばかりが
目立つ 店名、案内板に少々戸惑いながら、やはり、時代の流れがそうなのか・・などと
独り言ちながら、入ったレストランも『Drawing House of Hibiya』という名ですし、
入口のサインにも『・・Japanese terroir(テロワール)・・』などと書かれた、おスス
メがありましたが、第一“テロワール”なんてことを言われても、何のことかさっぱりで、
気どり過ぎ?のイメージに何となく気乗りのしない感じの店内に入りました。

 テラスが見える店内の席は、天井が高く気持ちの良い空間で、ランチを前に、みんなの
写真を撮ろうとしていたら、どこからともなくお嬢さん(店員)がきて、楽しい雰囲気で
何枚かとってくれたりしたために、店内が急に明るくなったように感じたのでした。

      今日のメンバー
         


 普段はグループメールなどで大体の行動はお互い理解しているメンバーも、このように
テーブルを囲んで一堂に会すると、それらについてさらに深い話題が沸騰し、楽しいランチ
タイムでした。

 待ち時間の間に、メンバーの一人が取り出した自らの作品『野鳥撮影アルバム』2点が
回覧され、作品のすばらしさに一同称賛の声が上がりました。 メジロやカワセミなどの
野鳥を、公園などで撮影するのですが、どこに鳥がいるか、それをカメラに収めるまでの
注意力と忍耐力、さらには動きの瞬間をどのように捉えるか などのカメラ技術と努力の末
に、数多くの中からの一枚を選ぶ苦労の賜ものがそこに写されていたのでした。

 これに、同調するかのように、もう一人からは、これまで、会食などで自ら食した、豪
華な食事メニューの写真アルバムも回覧されたのです。 和食あり、イタリア、フランス
などなど艶やかで華やかな盛り付けの数々が写されていたのでした。

 それらも肴にした、楽しい会話とともにランチは終わり、フロアの別のカフェで、なが
なが談話に入りました。

 今回は、メンバーの複数人が、この秋、紅葉の京都方面旅行をし、また、その前には金沢
旅行をした人がいたりして、もっぱら旅行中心の話に盛り上がったのでした。メンバーには、
京都通がかなりいて、平板的な観光スポットだけでなく、話題は細かな部分までお互いが
フォローしあえるまでになっているのには驚きでした。
 中でも、延暦寺の宿坊に宿泊して、眼下の琵琶湖に沈む夕日、そして湖面を登る朝日を
堪能したとの話は、その絶妙のタイミングに恵まれた幸運の持ち主なのでした。

 そんなこんなの楽しい話に夢中になっていると、いつしか時間も過ぎてしまい、幹事の
企画・場所選定に感謝し、またの機会を約束してお別れとなりました。

       今日の集合場所は、有楽町ビックカメラ前でした。
        



 





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神楽坂で・・  (bon)

2018-12-11 | 日々雑感、散策、旅行

 昨夕は、神楽坂で、あの若さん(神楽坂研究の)も一緒に、こじんまりとした飲み会で
した。 神楽坂の楽しい話題ではなく、個人的に楽しかった過去の想い出話の記事アップ
となりました。

 このメンバーは、かって、会社の定款が“企業研修”“業務支援”“映像事業”に関する
一切の事業ということでしたので、これらのエンベロプ内で、公序良俗に反しない限り会社
の利益および事業実績となる事業は、何でもやろう~みたいな、ちょっと異質なメンバー
4人組?で、担当組織も異なっていたにもかかわらず、新規な事業案件を率先してやり遂げ
ていたのでした。

飲み会のお店              4人組
   

 

 呑みながら、自然と当時の話題に盛り上がるのですが、今にして思えば、不思議なくら
い自由に、活動していたのでした。もちろん、ルーティン的な定職をこなしながら、大きな
当時としては先端的なプロジェクトを動かし、しかも大きな利益をもたらしていたのです
から、今日的な会社業務とはかけ離れていたようでした。 社内の人材は、必要に応じて
活用しますが、もっぱらメンバーの多彩な人脈を動員し、司令部的な役割だったようでした。 
いやぁ、面白かったのなんのって、実にやりがいのある数年でした。
(2000年前後)

 このうちの2つの例を挙げてみますと、一つは当時、大企業がこぞって社内業務改善の
インフラにLAN(企業内ネットワーク)の導入指向があり、ネットワーク構築の営業マン
にとっては、LAN構築の企画・提案から受注に結び付ける使命があり、これら営業マンを
対象としたLANに特化した企業研修を企画し、テキスト作成から研修コース実施まで、この
メンバーでやって大成功をおさめたのでした。
 LANについて、メンバーの誰も熟知しているはずもなく、ましてやテキスト作成など
もってのほかともいえる状況でしたが、技術専門のベンダー数社と組んで実施できたの
でした。

 成功した秘訣は何か?といえば、研修対象とする営業マンにLANの基礎知識をくどくど
教えるのではなく、今、企業が社内ネットワーク構築の基本となるLANをどのように導入
すれば良いか? 何を解決すれば社内決裁に持ち込めるか? そんな、スイートスポット
について、事例を取り入れながら、LAN研修コース「わかるLAN」「できるLAN」など7~10
日を開校したのです。 原理原則は後で(独力で)理解するとして、さし向きは、客先で
の営業会話ができ、お客のかゆいところに手を差し伸べる そんな研修だったように記憶
しています。
 これがあたったのですね。テキスト開発費用は、瞬く間に償却でき、利益構造はまるで
優等生だったのです。

      

 もう一つの例は、これとは全く違った分野で、ある大企業の展示ショウルーム構築の
コンペを勝ち取り、大きな受注に結び付け、具体設計からオープニングまでこのメンバー
が担当したことでした。
 名だたる会社と肩を並べてコンペを勝ち抜いたのは、企画提案のコンセプトに他ならな
いのでした。映像を含む最先端技術を駆使したプレゼンテーション設備、ならびにコンテ
ンツを、純和風スタイルを展示ホール内に構築するというものでした。
 商品を展示したり、販売に向けた展示ではなく、この企業が何を目指し、何を提案して
いるかを基本にした企画が、競合他社と違った点だったようです。 具体的には、ビル12
階にある展示フロアー内に、茶室を作り、入口には玉砂利を敷くなど純和風造りながら、
当時出始めのHDTVには、観世流能楽映像までオリジナル制作によるプレゼンフロアーを
構築し、客先には大変な評判を呼んだのでした。
 もちろん、このメンバーは、ズブシロですが、人脈の見事なコーディネイトで仕上げた
のでした。

 お酒を呑みながら、当時の未知への取り組みを、しかも誰からも命令されたものでもなく、
純粋に自発的に推進したプロジェクトだけに楽しいばかりの想い出に、一気に酔いが回っ
て来たようでした。 振り返って思えば、まるで“独立愚連隊”ではなく“独立遊撃隊”
の感があり、この日も大笑いでした。

 このメンバーも最近では、年に一度、みたいな感じになりましたが、会えば、なつかしい、
当時の武勇伝?らしき想い出が、今また、新しいエネルギーの源になるのです。

 まったく、ローカルな話になってしまいました。神楽坂は、今夜も賑わっていました。


 本多横丁               毘沙門天
    


               神楽坂
          



 





 

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太平洋戦争  (bon)

2018-12-09 | 日々雑感、散策、旅行

 いまさら何を・・という感じも否めませんが、太平洋戦争がどのようにして開戦に至っ
たか、改めて振り返って見ると、今一度整理して見たくてネットを頼りに経緯を追って
みました。もとより、これらのことをよくご存知の方々には、もどかしさを招き、ご迷惑
のことと存じますがお許しください。

 

 日清・日露戦争後、遼東半島を拠点として満州地域の権益を確保し、経済的に疲弊して
いた日本の社会は、満州地域に進出することに活路を見出すとともに、“満州”に対して
好感情の地域であったようです。
 その頃中国では、西太后も崩御(1908年)し、ラストエンペラー「溥儀」が2歳にして
第12代清朝皇帝に就きますが、6歳の時、1911年に辛亥革命(民主化運動)が起こり中華民
国の誕生となるのです。2000年にわたる君主制が崩壊するのです。

 その頃、ヨーロッパでは中央同盟国(ドイツ、オーストリアら)と連合国(仏、英、露、
米、伊、中ら)による第1次世界大戦(1914~18年)が起こり、日本は連合国軍側で参戦し、
世界の列強の一員となるなど順風満帆の勢いであったのでしょう。満州での関東軍はます
ます勢力を拡大し、1919年には独立するのです。

  満州国(ネット画像より)
  

 中国との敵対関係は続き、とうとう1928年、柳条湖事件(南満州鉄道の線路爆破により、
中国要人張作霖を殺害)が勃発し、事態は一気に拡大し満州事変(1931~2年)へと発展し、
中国との武力紛争は一段と激しさを増して行くのです。 関東軍は独断で、先の皇帝、愛
新覚羅溥儀を担ぎ出し、傀儡政権の満州国を建国(1932年)するのですね。 中国側との
交渉を始めるべく政権の座に就いた犬養毅総理大臣は、数ヶ月で海軍将校の手で暗殺され
てしまうのです(5.15事件)。

 満州国を建国してますます力を付けた日本に対して世界の目は厳しく非難し、とりわけ
アメリカからは強い反発を受けるようになり、この頃、中国側との小競り合いから、1937年、
いわゆる盧溝橋事件をきっかけとして、宣戦布告なしで4年間も日中間の戦争となるのです
(日支事変)。
 中国政策に行き詰まった広田政権は総辞職に追い込まれ、西園寺公望元老の勧めで近衛
文麿総理大臣が誕生します。公家出身の総理は、政界における貴公子などと好評判で、
一般民衆にも受けが良かったそうです。 戦果も好調で世の中イケイケどんどんのような
感じではなかったと思われます。
 国民はこぞって戦争をむしろ喜びのように捉えていたのではないでしょうか。 蒋介石
率いる中国との全面戦争の様相を呈し、近衛―蒋介石和平交渉も決裂し、国内的には経済
の戦時体制が導入され、大量の赤字国債が発行されるなど緊迫し、近衛政権は失脚する
羽目になるのです(1939年総辞職)。

 しかし、新政権となった平沼内閣には、近衛政権の7大臣が留任するなど、近衛色が強く、
さらには、平沼の念願であった、「日独伊防共協定(1937年締結)」をさらに発展させる
思惑が、突如ドイツが「独ソ不可侵条約」を締結したため、先行きの目途が立たず、結果、
総辞職してしまいます。 直後、ドイツはポーランドに侵攻し、これを受けてイギリスや
フランスがドイツに宣戦布告し、第二次世界大戦が始まるのです(1939年)。
 ヨーロッパ全体を巻き込んだ戦争により、物資輸入の激減、物価の急騰などによって
日中戦争下で、日本は大きな打撃を受けることとなりました。

 新党発足を画策していた近衛は、1940年に第二次近衛内閣を発足させ、これらの打開策
として、北部仏印(現在のベトナム北部)へ進駐するのです。 この年、軍事同盟である
日独伊三国同盟」を締結しますが、いわゆる全体主義、軍国主義を掲げるこの同盟は、
イギリス、アメリカを中心とする陣営に対する明確な挑戦と受け止められ、鉄鋼などの
輸出が禁止され日本の工業や軍備が抑制されてしまうのです。

 欧米からの物資輸入がほぼ絶たれた近衛内閣は、1941年7月、アメリカやイギリスなど
との開戦覚悟で南部仏印(現在のベトナム南部)へ進駐を決定します。 しかしこれが、
かえってアメリカ、イギリス、オランダを刺激し、日本の対外資産の差し押さえ、ガソ
リン・石油の日本への輸出禁止
となるのです。日本はいよいよ資源供給を絶たれ、早期
開戦を訴える声が軍の内外から上がることになります。

 満州時代の勢いと活気は、ここに来て追い詰められた情勢となるのですね。

 軍部を中心に開戦すべしとの声が高まるものの、政府および軍首脳には、資源大国で
あり、工業生産力が日本よりはるかに上回る(GDP14倍、石油産出量700倍)アメリカと
戦って勝てる見込みはないという意見は根強くありました。 政府はアメリカと交渉に
よって和解することを進め、「日米諒解案」を巡り懸命に対応したとあり、近衛―ルーズ
ベルト会談にまで持ち込むのですが、結局は和解策は挫折し、近衛内閣は総辞職(1941年
10月)し、代わって東条英機内閣となります。

         東条英機新内閣(初閣議後)
       (ウイキペディアより)


 アメリカとの交渉に対する不満や、資源供給が絶たれた焦りから、戦争開始へと大き
く舵が切られます。 11月には、決定的ともいえる、アメリカ国務長官コーデル・ハル
によるいわゆる「ハル・ノート」と呼ばれる覚書が手渡されるのです。

 覚書の内容は、1930年代からの日本の大陸における政策・軍事行動の破棄を求めるもの
で、つまりは10年前の満州事変の前に戻せという主張に近く、到底受け入れられない内容
であり、即時開催された「大本営政府連絡会議」で、ハル・ノート受け入れ拒否が決定され、
開戦の方針が決定(11月27日)されたのです。
 121日の御前会議においてアメリカ、イギリスに対し開戦することが最終決定された
のです。

 

 このように見てきますと、日露戦争後の日本の経済活動を満州に求める形で大いに発展
する一方で、関東軍による軍部が独走し、ひいては、ヨーロッパ大陸における世界大戦、
日独伊同盟などを経て、一種のポピュリズムとも見なせる国民の熱狂的?なまでの盛り
上がりを抑えきれない、というか、これに後押しされる形で、後戻りできない状態に追い
込まれて行くという感じですね。

 政権も頻繁に変わり、あげく、政治と軍部が遊離しむしろ軍部を支持するポピュリズム
により苦悩の道を登り詰め、この間何度も御前会議が開かれ、次第に開戦に向かって突き
進んだ(進まざるを得なかった)事が読み取れます。

 個々の具体的な事象を踏まえると、その足取りなどが迫力を持って理解できそうですが、
このように端折ってしまうと、その間の熱い流れのような状況が飛んで、無機質になって
しまいましたが、やはり映画などに創り上げないと真柏力にかけてしまいます。

 

 いよいよ、開戦の方針が定まる前日の11月26日午前6時、千島列島択捉島の単冠湾から、
空母6隻、航空機350機以上、戦艦2隻、重巡洋艦2隻を中心とする日本海軍空母機動部隊が
ハワイ真珠湾に向け密かに出発したのです。
 この時は、日米交渉が妥結すれば途中で引き返すことになっていたようですが、東京か
ら届いた連絡は「交渉決裂=ニイタカヤマノボレイチニハチマル」だったのです。
 そのまま真珠湾へと向かい、1941(昭和16)年128日午前8、日本海軍第一次攻撃隊
183機はハワイ・オアフ島の真珠湾に浮かぶアメリカ太平洋艦隊奇襲に成功し、3年9カ月
に及ぶ太平洋戦争が始まったのでした。

      真珠湾における戦艦アリゾナ
       (ウイキペディアより)


  そしてこの12月8日は、もう一つの大事件が起きていたのでした。ヨーロッパ戦線で
ドイツ軍は、ソ連軍の猛反撃と寒さの中で、モスクワを目前にしていながら一歩も進む
ことができなくなり、ヒトラーは全作戦の停止を命じたのです。日本が作戦の前提として
いたドイツ軍の勝利は消え去ろうとしていたのです。






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神楽坂研究(14) (bon)

2018-12-07 | 日々雑感、散策、旅行

         今日12月7日は、二十四節気では「大雪」(たいせつ)で、ようやく冬らしくなって
      きましたが、確実に温暖化現象が現れて、
来年の夏の猛暑が思いやられます。
       COP24での議論が
さらに加速されることを期待し、自らも先ずは節電から・・!? 

 

 今やお馴染み、赤坂にお住いの“若さん”から、『神楽坂研究(14)』が届きました。
 今回は、街並み散策・建物探訪2として、旧東京日仏学院をご紹介くださいました。
ご自身も若いころに通われた熱い想い出を今また蘇らせながら『プチ・パリ』の体験を
是非皆様に・・と、語られています。
 Institut français du Japon 館内には、教室に加えて、映画館や図書館(メディア
テーク)、カフェ、そしてフレンチ・レストラン(ラ・ブラスリー)などがあり、どなた
でも、自由にお入り頂けます・・そうです。 
 飯田橋からすぐで、12/8ー9もイベントがあるようです。
 

****** 若さんの 神楽坂研究(14)(街並散策・建物探訪2 旧東京日仏学院)******

67年前、神楽坂に仏国文化施設(プチパリ)誕生!


飯田橋から神楽坂の焼け跡(勉誠出版) 旧東京日仏学院(アンスチチュ・フランセ東京)  都電(飯田橋―四ツ谷

 
 大空襲で神楽坂は焼滅しました!(昭22空爆地図「全滅」判定) 戦前からの建物は、
東北大震災で被災し、馬場邸(現最高裁判所長官邸)が現存するのみです。

 終戦から6年目の1951年(昭26)、外堀通りの北側斜面(市谷船河原町)の相馬男爵邸
跡地に東京日仏学院(アンスチチュ・フランセ東京)が、物資不足のため設計変更で乗り
切り竣工しました。 
 その年1月3日には紅白歌合戦が放送開始、さらに朝鮮戦争特需や、銀座に街灯が復活
するなど、戦後復興の息吹が吹き始めた時期でした。 当時の都電や総武・中央線の車窓
から見上げる高台の白亜の校舎は順光に輝く未来を感じさせる先端的建築でした。
 設計は、モダニズム建築の巨匠ル・コルビュジェにパリで師事、パリ万博日本館設計で
グランプリ受賞した気鋭の建築家「坂倉順三」です。 近代の名建築と四季を彩る庭園が
マリアージュし進化・成熟した空間(プチパリ)は必見です!

ジャルダン(庭)、建物にエスプリを感じます!
 

 
 
 レストラン入り口     二重らせん階段    書店“Rive Gausche”  庭園風景(パリ祭)

 教室、図書館、廊下から古木の緑と芝生庭園が望めます。 屋外テラスで、カフェや
食事も楽しめます。建築家 坂倉は新館も設計しています。 1994-2001、2004年にかけて
それらの改修・改築は 著名な仏人設計家達(M.タルデイッツ、C.コルッチ)により行われ
文化交流施設としてさらに進化させました! また、仏人芸術家によるオブジェ、アート
も屋内外に加えられました。
 仏語教室に通っていた頃、高天井、明るい採光、さらには 仏語発音が隅々まできれいに
響く音響に感動したのでした。しかもダントツの上質感でした!

 毎年仏語文化圏交流祭 3月、パリ祭7月、美食の祭典10月の時は、ライブ演奏会と屋台が
出店します。 校内では各種イベントやセミナー、映画会が開催され、学校関係者のほか、
在日仏人に、神楽坂人も集まり大いに賑わいます。 たこ焼きはありませんが、ガレット
(そば粉クレープ)に英国王室御用達、GH/MUMMのシャンパンもお手頃値段でSanté乾杯!
イベント情報チェックして散策、建物探訪に来てください。 有名シェフの料理ショウ、
文化人セミナー、映画、ワインセミナーなども楽しめる異空間です。

藤本壮介事務所、増改築プロジェクト監修。2020年竣工!

 藤本荘介(東大准教授、日本建築大賞)は改修・増築監修を受注しました。来年3月着工
2020年5月竣工予定。 
 今のうちに日仏著名な建築家作品(20世紀のエスプリ)を感じて下さい。
パリに行くよりお手軽です!     つづく
                                2018.12.3 若






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今年も渋谷で ‛18  (bon)

2018-12-05 | 科学・生物

 一昨日(12/3)は、昔の職場の皆さんとの忘年会でした。
 夕方6時の渋谷は、もう暗く、ニョキニョキ林立した高層ビルは、覆いかぶさるように
迫っていました。 宮益坂は、イルミネーションできれいに飾られていました。

 この会のメンバーは、もう40年も前に、画像・映像を主体にしたサービス開発に取り組ん
でいたメンバーです。 今日のファクシミリは、このメンバーの功績で、IEEEの名誉ある賞
にも輝きましたが、今ではその存在感は薄れて、空気のように使われています。
  今日のインターネットの走りみたいなサービスを世界に先駆けて開発したり、テレビ会議
サービスのようなのも手掛けたりしていました。

 “あれから40年・・” 今では、映像も 4K・8Kの時代になり、当時、新進気鋭の青年
たちも今や、第 2の職場で重責を担う落ち着いた貫録十分な紳士となり、もちろん私も含め
て既にリタイヤした御仁もおられますが、この席ではみんな昔に戻って熱い話題に盛り上が
るのでした。

         飲み会の様子
       


 幹事の機転で、当時の担当名簿やレク写真が回覧され、初々しい当時の事柄が鮮明に蘇る
場面もありました。

 ここまでくる人生には皆さんそれぞれに山谷もあったでしょうが、今夜ばかりは、そんな
ことはどこかに吹き飛んで、楽しい語らいに時の過ぎるのも忘れてしまいました。

  お別れ前にパチリ・・
  

 

 この会も20年ほどになりますが、懐かしいだけでなく、それぞれ皆さんの来し方から滲み
出る話題に触れるたび、改めてこの場に身を置く幸せをつくづくと噛みしめたのでした。

 皆さん今年もありがとうございました。

 

   宮益坂のイルミネーション(夕方6時頃)
       







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板混クリスマスコンサート‛18  (bon)

2018-12-03 | 日々雑感、散策、旅行

 12月に入りましたが、関東地方は暖かい日が続いています。
 一昨日の土曜日は特に暖かく、クリスマスというようなイメージが無いまま、板混クリ
スマスコンサートに出かけました。 ご招待下さった友人の W氏は、板混の団長でバスの
パートを担当されています。

 プログラム               会場入り口
  

 

 今回のプログラムは、テーマソング「愛するふるさと」(薩摩忠詩、山本直純曲)、
「混声合奏とピアノのための 信じる」(谷川俊太郎詩、松下耕曲)、 休憩をはさんで、
降誕のキャロル「このうるわしき大地に」(ジョン・ラター曲、ヘルビック貴子日本語詩)
そしてクリスマスソング11曲のメドレーでした。

 ことさらに演出を凝らすことなく、いずれも曲そのものの曲調やリズム変化を楽しむ
構成になっていたように思います。会場に溢れる優しい、時に鋭いメロディーは、満席の
会場を魅了していました。

        流れるうたごえ
                

 

 これまで、もう何年も聞かせていただいている板橋区混声合唱団の皆さんの歌声は、
その都度新しい発見があります。 メロディーの流れの変化や難しいと思われるリズムを
各パートが見事に調子を合わせる高度なテクニックなどで、 特に今回は、「信じる」の
中で、“5度の響き”が主体の「くり返す」は、和の基調を特徴とし、続く「泣けばいい」
では難しい 8分の12拍子ブルースを男声、女声 それぞれのユニゾンでこなすところも
見事に感じました。

 後半の、クリスマスソング11曲がメドレーで展開されましたが、静かな讃美歌の美しい
メロディーが流れるように続き、突然よく知る「もみの木」のバスパートのパンチがあり、
続くア・カペラのジャズ風メロディーへ・・、このあたりは、ピアノの軽快な演奏と共に、
次第に盛り上がりを見せ、最後の3曲は、お馴染み「もろびとこぞりて」「ジングルベル」
「きよしこの夜」で終わるのですが、どの曲も、アレンジが斬新でとても楽しい雰囲気に
盛り上げてくれるのでした。

        楽しく、リズムに乗って~
         

 

 アンコールは、ステージの明かりが消え、歌う皆さんがめいめいに赤いライトをかざし、
静かに、そして豊かに盛り上がる「ホワイトクリスマス」で、楽しいうちにコンサート
はエンディングとなりました。

       アンコール曲 「ホワイトクリスマス」
         

 

       団長ごあいさつ(ふくよかなバスの声で)
         

 

 今年も一足早いクリスマスをありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

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