2024年は、元日に起きた大きな地震災害で始まりましたが、既に1月も終りに近
づきました。 家屋倒壊や地割れなどがあり、未だ、断水の地域が多く、避難され
不自由を強いられている方々が多く、一日も早い回復が待たれています。
国会でも取り上げられていましたが、合わせてテレビ中継では「派閥」と「裏金」に
関する、応酬が繰り広げられていて、これはこれで大事なことではあるのでしょうが、
何だかコップの中の議論を繰り返しているようで、一方では、ウクライナやパレス
チナ、さらにはミヤンマー、そして台湾などなどの情勢を控えた現状からみて、何だ
か空しい感じの淵に追いやられてしまいました。日本は果たしてこんなことをして
いて良いのだろうか?と。
そんな思いの中、不思議な日本語(45)を並べてみました。 こちらの言葉も、
イマイチの感じで、スッキリとしない1月を終えることになりました。
では・・
・ぎこちない いきなりこの言葉からだとちょっとぎこちないかもしれませんが、
goo辞書によれば、「ぎこちない」は、1.動作や話し方などが滑らかでない。
「—・い運転」「—・くあいさつをする」 2.からだに合わなくて、具合が悪い。
の意味とありますが、何が無いのでしょうか?
ぎこちがーない のではなく、この「ない」は、否定の「ない」ではなく、接尾語
の「ない」なんですね。 当然ですね。
接尾語の「ない」または「なし」の例はたくさんあります。たとえば、
はしたない、おぼつかない、いたけない、しょうもない、せわしない、あどけない、
せつない・・など、性質・状態を表す語に付いてその意味を強調し、形容詞をつくる
接尾語であるとあります。
否定の意味を示す「ない」は、もっぱら名詞について否定の意を含む形容詞をつく
る語なんですね。 たとえば、
こころない、なさけない、ゆえない・・などがあります。
(ac-illustより)
単純ですが、否定の「ない」と接尾語の「ない」の区別の仕方は、その言葉を
「あり」で置き換えてみるとわかりますね。
心ない ⇒ 心あり、情けない ⇒ 情けあり・・ですね。それに対して、接尾語
の場合は、はしたなし ⇒ はしたあり、おぼつかなし ⇒ おぼつかあり‥などと
何を言っているか分からなくなります。
ぎこちない・・は、否定の「無い」ではなく、接尾語なんですね。
・じんましん 皮膚の一部が突然、蚊に刺されたように盛り上がり、短時間で跡を
残さず消えてしまう皮膚の病気です。 赤みや強いかゆみを伴いますが、たいていは
数十分~1日以内に治まる・・とあります。 特定の刺激(食物などのアレルギー反応
として起こる場合や、圧迫などの物理的刺激、発汗など)によって起こるなど、原因
が特定できるじんましんは全体の1~3割ほどで、多くの場合、直接的な原因ははっ
きりわからないそうです。
大人では仕事やプライベートでのストレス、寝不足、子供では保育園・幼稚園・
学校でのストレス、風邪などが原因、誘因になることがあるそうです。
この じんましん、漢字では「蕁麻疹」とあり、ちょっと難しい「蕁」(じん)は、
イラクサ科イラクサ属の多年草「蕁麻」(学名urtica)のことで、このイラクサに
人が触れると痒みを伴う発疹が現れることからこの名前が付いたそうです。
イラクサ
(ウイキペディアより)
イラクサは、30~50cmくらいの高さの植物で、茎は四角く、葉と茎に刺毛(トゲ)
がある。6月から9月にかけて葉腋から円錐形に緑色の花をつける・・とあります。
英語で蕁麻疹を Hivesというそうですが 、その語源もイラクサを意味するラテン語
だそうです。
・終日 goo辞書には、一日中。朝から晩まで。まる一日。ひねもす。 とあり
ますが、何時から何時までというような定義はなく、その意味するところは、ビジネス
シーンや日常会話のなかでそれぞれに設定されているようです。 しかし、「終日」
が、どうして「一日中」や「朝から晩まで」という意味になるのでしょうか?
「日」には、「太陽が出ている間」という意味があり、「終」には「終わりまで」
という意味が含まれていることから、つまりは、太陽が出ている間が終わる、や
その日が終わるときまで・・のような意味になっているのだと考えられます。
「一日が終わるまで」だから朝から晩まで・・の意味ですね。しかし、「今日は
終日外回りだった・・」などと営業マンが言った時、大体勤務時間のほとんどを外回り
に費やした‥という意味でしょう。
(ネット画像より)
また、「終夜」などもあります。たとえば「終夜運転」。これなどは、大みそか
などで初参りなどのための特別運転で、真夜中もほぼ一晩中運転されていますね。
終夜は、夜通し、一晩中で、夜が終わるまで、つまり夜の間ずっとという意味ですね。
「全日」というのがありますが、こちらは、「すべての日」ということですから、
ある期間内の日がすべて‥との意味合いになります。 例えば、開催期間10日間の
イベントにおける「全日」は開催期間中全てにあたる10日間を指しています。
・おけんたい どうも方言のようですが、その意味は「当然」「あたりまえ」
「堂々と」、さらに「ずうずうしい」というような意味へと発展しているようです。
近年ではあまり使われていないのかもしれませんが、YAHOO知恵袋などによれば、宇和
島など四国地方の方言であるともあり、古語辞典では畿内の言葉であるともあり、
それが畿内だけでなく広く、岐阜、三重、福井から島根、広島、山口、九州へと広
がっていったと考えられています。
江戸時代の古語「けんたい」(当たり前のこと。 当然の権利。)がその由来となっ
ているようです。
「何をしようとおけんたいや!」(当然、勝手、気まま)
・うんちく ウイキペディアには、『うんちくは、ある分野について蓄えた知識
のこと。薀蓄、蘊蓄、うん蓄、ウンチクと表記される。また、その知識について
滔々(とうとう)と語ることを「うんちくを傾ける」という。本来は学者などが長年
の研究で蓄えた知識のことを指すが、近年では雑学、豆知識、トリビアと同様の意味
で使われることも多くなった。様々な分野がうんちくの対象になるが、一般的な場面
では食物や酒のうんちくが語られることが多い。』 とあります。
で、この漢字の意味を調べてみますと、「蘊」は、草の蒸れるような熱気→つむ・
たくわえる で、「薀」は、積んだ草が蒸れてあたたかくなるさま→つむ の意味で、
「蓄」は、たくわえた野菜の意から→たくわえる とあります。 つまり、「蘊蓄」
「薀蓄」とは、 1、物を十分にたくわえること。 2、知識を深く積みたくわえて
あることの意となるとあります。
また、 「蘊蓄(薀蓄)を傾ける」の「傾ける」は、力や精神をあることに集中させる
意で、「耳を傾ける」「愛情を傾ける」などと同じように 自分の学識・技能に集中
してすべてを出しつくすことをさしているのでしょう。
(イラストレインより)
The Godfather – Orchestral Suite // The Danish National Symphony Orchestra (Live)