蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

無罪  (bon)

2015-11-30 | 日々雑感、散策、旅行

 無罪と言うのは、“罪が無いのではなく、罪を立証できる証拠が揃わ無かった”ことだと、
どこかで聞いたことがありました。

 確かに、確実な証拠がないのに“有罪”にされては困るし、誤った、紛らわしい証拠で有罪となる・・
いわゆる冤罪はあってはならない。 
司法の扱う事柄に、素人が口をはさむべきではなく、しかも感情部分が多分に左右している場合が多い
となればなおさらであろう。
 今回の無罪判決は、まさしく“罪が無いのではなく・・”というところなのでしょう。

 しかし・・である。 中身は知らないが、何やら怪しげなものを、工場から都内アジトに運んで、
結果都庁で、小包が爆発して人が重大な負傷を負った。 この事実を知って、17年もの長い間、
逃亡生活をしたあげく、逮捕された。  1審の有罪判決を覆して、今回2審では、無罪判決が下った。
元オウム真理教信徒菊池被告の裁判です。

 無罪判決の理由は、被告の組織内の地位が低く、運搬を命じられた“もの”が何か知らなかった、
命じられるままに行動しただけ・・というのがその本筋というのでは、何か腑に落ちないのですね。
そのものが何であるかを知らなくても、一連の事件を構成する要員であったのは事実で、事件に対して
何らかの責任(知らないまま行動した責任)、組織上の地位には関係なく、成人として最低、
不注意として咎められてしかるべきではないかと思います。 被告が間違いなく運んだという証拠は
あるのですから、これは“無罪”ではないのではないかと思うのです。
 有罪として、その量刑はどの程度なのか分かりませんが、軽い量刑で、さらに執行猶予などを
付けたにせよ、無罪ではないのではないか? 専門家は、時に深みにはまって身動きが出来ない
ことがあるのではないか? 

 全くの門外漢が、しかも関係のない事件の判決に対して、とやかく言うものではありません! 
ハイ、どうも申し訳ありません。

 

 

 

 

 

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三溪園  (bon)

2015-11-28 | 日々雑感、散策、旅行

 昨日(27日)、横浜本牧にある三溪園に紅葉をお目当てに行ってまいりました。

 連日の冷たい雨は、この日、打って変わって 抜けるような晴天に恵まれました。
三溪園には、過去に同窓会の計画がありましたが、この時は都合で参加できませんでしたから、
初めて訪れました。 
今回は、園芸友の会 屋外秋の特別例会でした。

 三溪園とは、原三溪(富太郎)が造園し、明治39年(1906年)に一般に公開された庭園で、
そこには、京都、和歌山、
神奈川などから移築建造された、重要文化財など17棟に及ぶ建物が、
敷地の起伏に合わせ 立派な庭園として構成されています。 実業家、茶人としても知られている、
三溪は、文化芸術にも造詣が深く、美術品などの収集も多く、この事業は後世にまで一つの歴史を
継承している意義深いものと伝わってきました。

      三溪園 大池から三重塔を望む
         
 

 富三郎(三溪)は、もともと岐阜の生まれで、上京し専門学校(早稲田大学)を卒業後 教師
(跡見女学校)を務めますが、横浜の豪商 原善三郎の孫娘と結婚し、原家に入り、製糸業、
絹貿易により財を築いたとあります。 本牧のこの地は、養祖父が購入していたところに、三溪が
各地から建造物等を移築し見ごとな庭園を造ったのですね。
 過去に、財閥,富豪による文化財がたくさんありますが、ここに見られるような、さらに古い時代の
文化財などの建造物を購入し、この場に移築して構成しているというのは珍しいかもしれません。
単に、各地から集めた・・だけではなく、それらに目を付け、地形に合わせて配置するなど独自の
造形美を構築しています。 個人レベルで、このような偉業を成せるには、もちろん巨万の財が
裏付けられている必要がありますが、その人の価値観、美意識がなければできないことですから、
やはり大した人であるのですね。

 園内の紅葉は、生憎これといったスポットには恵まれませんでしたが、ウイークデーというのに、
多くの人出で賑わっていました。 新郎新婦が、打掛、羽織はかま姿でプロカメラマンを従えて、
園内撮影をしていました。1時間ほどの間に7組も初々しい幸せ真っ最中のカップルに出会いました。

 ボランティアガイドさんをお願いして、園内を詳しく説明していただきましたので、ひときわ感銘深く
観賞できたようでした。 鑑賞後、園内「待春軒」でお昼をして、ひととき談笑に花が咲きました。 
 食後は、任意に展望台「松風閣」などに足を延ばし、海岸を走る首都高速道路(湾岸線)、コンビナート等対照的な風景をそこに見、遥かには、煙突の間にくっきりと大きい富士山が
見渡せたのでした。
 いくつか、印象に残ったところを・・

 臨春閣(和歌山より1917年移築)     聴秋閣(京都二条城より1922年移築)
  


 聴秋閣周りの紅葉            春草蘆(茶室)
  


三重塔(京都 燈明寺より1914年移築)   展望台より富士山を望む
  

 

 

 

 

 

 

 

 

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COP21  (bon)

2015-11-26 | 日々雑感、散策、旅行

 地球温暖化対策の国際会議、COP21が、この月末から12月11日まで、フランスパリ郊外の
国際会議場で開催されます。 
 パリといえば、先ごろテロによる暴動が起き、大きな戦慄が今なお止まない中、世界から100を超える
国の首脳が集まる会議ですから戦々恐々です。 会議場は、市の郊外で防備は万全とされていますが、
無事に終了してほしいです。

 で、COP21というのは、正式には「気候変動枠組条約第21回締約国会議」というそうですが、
既に、1992年に地球温暖化対策について国際会議の場で検討がスタートし、先の第3回(1997年
COP3)では、「京都議定書」が採択され、温室効果ガスCO₂の規制を義務付ける画期的なもの
でしたが、これは先進国を対象とした規定で、この中には、新興国、途上国に対する規定がなく、
その後 中国などの新興国のCO₂排出量が急増し、排出量で今や世界一となり、インドも遠からず
中国を上回ると予測されているなどその効果は限定的となってしまっているのです。

 すでに、産業革命以降、地球全体の温度は0.85℃上昇しているといい、この上昇を2030年頃に
2℃未満に抑えようとして進められています。 今般、既に約1/3の国は、2025~30年までの
削減目標を会議に提出しているとのことですが、この目標が達成されてもなお、3.5℃となると
試算されているため、なお一層の削減努力が求められているのです。 しかし、CO₂排出は、
これまでの産業構造からすれば、産業の発展、経済活動の進展とともに増大する方向にあり、
これを維持しながら、CO₂排出量を削減するためには、新たな技術開発や設備投資などの費用が
必要となります。 また、すでに起きている温度上昇による水面上昇や干ばつなどに対する費用も
待ったなしで必要となります。

 先進国だけが排出削減しても、新興国、途上国の足並みがそろわなければ意味がなく、これら
新興国等の協力を取り付ける必要がありますが、新興国、途上国からみれば、現状既に問題が起こって
いるのは、先進国のなせる業であるから、先進国からの支援、援助が必須である・・と、これら両サイドの
国家間での激しい対立が起こっているのです。 2009年にコペンハーゲンで開催されたCOP15でも、
合意が得られませんでした。  地球全体のことを考えれば、各国すべてが一致協力すべきであり、
すべての国の責務であることは理解しつつも、自国の産業進展と財政負担を天秤にかけるとき、
この大義は影をひそめてしまうのですね。
 何としても、今回のCOP21で合意が成立するよう期待するばかりです。(各国のCO₂排出削減目標が
達成されてもなお不満足ではあるのですが・・)

          (JCCCA HPより)

 CO₂排出量世界1位の中国やいずれそれを上回るであろうインドなどの新興国などが、今回は
自国削減目標が提出されていますから、大きな進歩ではありますが、これらを達成するための具体的な
方策や資金についてどのような議論がなされ、合意されるか予断が許されないところです。

 3年前の「リオ+20」国際会議の場でも、地球温暖化防止のような、切迫している課題に対してすら、
エコではなくエゴ”の張り合いで、ずるずると流れてしまっているのです。

もはや、他山の石ではないのに~。

  以下には、このブログ“異常気象”(2014.8.11)に揚げました、気象上の問題点を再掲しました。

現状(観測事実)
 ・温暖化については「疑う余地がない」
 ・1880~2012年において、世界平均地上気温は0.85℃上昇
 ・最近30年の各10年間の世界平均地上気温は、1850年以降のどの10年間よりも高温。
 ・海洋は人為起源の二酸化炭素の約30%を吸収して、海洋酸性化を引き起こしている。
 ・1992~2005年において、3000m以深の海洋深層においても水温が上昇している可能性が高い。

将来予測
 ・今世紀末までの世界平均地上気温の変化予測は0.3~4.8℃である可能性が高い
 ・今世紀末までの世界平均海面水位の上昇予測は0.26~0.82mである可能性が高い
 ・CO2の総累積排出量と世界平均地上気温の変化は比例関係にある。
 ・最終的に気温が何度上昇するかは累積排出量の幅に関係する。
 ・これからの数十年でより多くの排出を行えば、その後はより多くの排出削減が必要となる。

 

 

 

 

 

 

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樋口一葉  (bon)

2015-11-24 | 日々雑感、散策、旅行

                         昨日(11月23日)、靖国神社の “新嘗祭”で爆発事故があったそうですが、
                          幸いケガなどがなく無事でしたが、七五三などで多くの参拝客で賑わっていた
                          とのことで、無事で何よりでした。

 23日は、樋口一葉の忌日にあたります。
 明治5年(1872年)に東京で生まれ、少女時代から文学に興味を示し、才能に優れて20歳で、
既に作品を発表し、一躍有名となるのですが 24歳の若さにして結核にむしばまれて彗星のごとく
惜しまれながら、明治29年(1896年)のこの日、帰らぬ人となりました。
 本名は夏子、戸籍名は奈津・・とありました。

           (ウイキペディアより)


 少女時代までは中流家庭に育つが、父らの死後、借金を抱えて貧しい生活を送る中、吉原遊郭近くの
下谷龍泉寺町で荒物と駄菓子を売る雑貨店を開くも(一葉22歳)一年余りで、店を引き払い、
本郷区丸山福山町(現在の西片一丁目)に転居するという状況でした。 しかし、この時の経験が後に
代表作となる小説「たけくらべ」の題材となっているのです。 ウイキペディアには、“1894年12月に
「大つごもり」を『文学界』に、翌1895年(明治28年)には1月から「たけくらべ」を7回にわたり発表し、
その合間に「ゆく雲」「にごりえ」「十三夜」などを発表し、「大つごもり」から「裏紫」にかけての
期間は「奇跡の14ヶ月」と呼ばれる。”とありましたが、驚異的な活動であったのですね。

 若くして苦労のどん底にある女流作家が、その才能を短期間に凝縮してその作品を世に残した
すごい人なのだと改めて思うのです。

 一葉記念館は、たけくらべの舞台にもなった台東区竜泉(地下鉄日比谷線三ノ輪駅近く)にあり、
たけくらべ が発表されてからちょうど120年を記念して、~12月24日まで特別展が開催されていて、
たけくらべ(未定稿)が展示中とありますから、訪れてみたいと思います。

         一葉記念館
           (一葉記念館HPより)
 

 以下に、ネット青空文庫より、「たけくらべ」の一部(十二)を抜粋してみます。
 

たけくらべ(抜粋) 十二

 信如が何時も田町へ通ふ時、通らでも事は濟めども言はゞ近道の土手々前に、假初の格子門、
のぞけば鞍馬の石燈籠に萩の袖垣しをらしう見えて、椽先に卷きたる簾のさまもなつかしう、
中がらすの障子のうちには今樣の按察《あぜち》の後室が珠數をつまぐつて、冠《かぶ》つ切りの
若紫も立出るやと思はるゝ、その一ツ構へが大黒屋の寮なり。

 昨日も今日も時雨の空に、田町の姉より頼みの長胴着が出來たれば、暫時《すこし》も早う重ね
させたき親心、御苦勞でも學校まへの一寸の間に持つて行つて呉れまいか、定めて花も待つて居ようほどに、
と母親よりの言ひつけを、何も嫌やとは言ひ切られぬ温順しさに、唯はい/\と小包みを抱へて、
鼠小倉の緒のすがりし朴木齒《ほゝのきば》の下駄ひたひたと、信如は雨傘さしかざして出ぬ。

 お齒ぐろ溝の角より曲りて、いつも行くなる細道をたどれば、運わるう大黒やの前まで來し時、
さつと吹く風大黒傘の上を抓《つか》みて、宙へ引あげるかと疑ふばかり烈しく吹けば、これは成らぬと
力足を踏こたゆる途端、さのみに思はざりし前鼻緒のずる/\と拔けて、傘よりもこれこそ一の大事に
成りぬ。

 信如こまりて舌打はすれども、今更何と法のなければ、大黒屋の門に傘を寄せかけ、降る雨を庇に
厭ふて鼻緒をつくろふに、常々仕馴れぬお坊さまの、これは如何な事、心ばかりは急《あせ》れども、
何としても甘《うま》くはすげる事の成らぬ口惜しさ、ぢれて、ぢれて、袂の中から記事文の下書きして
置いた大半紙を抓《つか》み出し、ずん/\と裂きて紙縷《こより》をよるに、意地わるの嵐またもや
落し來て、立かけし傘のころころと
轉がり出るを、いま/\しい奴めと腹立たしげにいひて、取止めんと
手を延ばすに、膝へ乘せて置きし小包み意久地もなく落ちて、風呂敷は泥に、我着る物の袂までを汚しぬ。

 見るに氣の毒なるは雨の中の傘なし、途中に鼻緒を踏み切りたるばかりは無し、美登利は障子の中
ながら硝子ごしに遠く眺めて、あれ誰れか鼻緒を切つた人がある、母さん切れを遣つても宜う御座んすか
と尋ねて、針箱の引出しから友仙ちりめんの切れ端をつかみ出し、庭下駄はくも鈍《もど》かしきやうに、
馳せ出でゝ椽先の洋傘《かうもり》さすより早く、庭石の上を傳ふて急ぎ足に來たりぬ。

 それと見るより美登利の顏は赤う成りて、何のやうの大事にでも逢ひしやうに、胸の動悸の早くうつを、
人の見るかと背後《うしろ》の見られて、恐る/\門の侍《そば》へ寄れば、信如もふつと振返りて、
此れも無言に脇を流るゝ冷汗、跣足になりて逃げ出したき思ひなり。

 平常《つね》の美登利ならば信如が難義の體を指さして、あれ/\彼の意久地なしと笑ふて笑ふて
笑ひ拔いて、言ひたいまゝの惡まれ口、よくもお祭りの夜は正太さんに仇をするとて私たちが遊びの
邪魔をさせ、罪も無い三ちやんを擲《たゝ》かせて、お前は高見で采配《さいはい》を振つてお出
なされたの、さあ謝罪《あやまり》なさんすか、何とで御座んす、私の事を女郎女郎と長吉づらに
言はせるのもお前の指圖、女郎でも宜いでは無いか、塵一本お前さんが世話には成らぬ、私には
父さんもあり母さんもあり、大黒屋の旦那も姉さんもある、お前のやうな腥《なまぐさ》のお世話には
能うならぬほどに餘計な女郎呼はり置いて貰ひましよ、言ふ事があらば陰のくす/\ならで此處で
お言ひなされ、お相手には何時でも成つて見せまする、さあ何とで御座んす、と袂を捉《と》らへて
捲《まく》しかくる勢ひ、さこそは當り難うもあるべきを、物いはず格子のかげに小隱れて、
さりとて立去るでも無しに唯うぢ/\と胸とゞろかすは平常の美登利のさまにては無かりき。


      2004年発行の5千円紙幣
            (ウイキペディアより)
 

 

 





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蓼科農園“畑じまい‘15”  (bon)

2015-11-22 | 蓼科浪漫倶楽部 畑

 今年も、蓼科農園の一年が過ぎました。 

  雨上がりの11月19~21日、 冬空ではありましたが、それほどの冷え込みが無く、日中は風も穏やかで、
作業は順調に進み今年の畑を無事閉めることが出来ました。 
 タマネギ、ニンニク、ラッキョウなどの冬越し野菜は、もみ殻にうずまり、稲わらで周囲を囲まれて
厳寒の備えも滞りなく終わりました。

      晩秋の蓼科農園(葉が落ちたシンボルツリーと八ヶ岳)
         
 

  この時期、畑にはハクサイ、ブロッコリー、ダイコン、パセリなどの葉物の緑が目立ち、ネットに
囲まれた黒豆の葉は霜にあたり、黒く枯れて倒れた形になっていました。
これらの、地上に出たものは、冬越しを除いてすべて収穫し、マルチ、防草シートをはがして、
翌年、雪解け後の耕運機による開墾を待つ状態に整えました。

 ハクサイ、黒豆のネット囲いなどと、冬越し野菜だけが残る“蓼科農園の姿”です。

  ブロッコリー、ハクサイなどと、奥に黒豆のネット
   

 

      マルチ、防草シートがはがされ、賑わいが消えた畑
           

 

       コスモス群生も、刈取り
            

 

         冬越し野菜たち
             


 あの暑い日差しの中の作業とは打って変わって、作業中は汗ばむ感じとなっても、お茶タイムには、
さすがに肌寒く、夕方4時半ともなれば、つるべ落としに暗くなり、早や早や片付けを急ぐのでした。 
縄文の湯で身体を温めて、さっぱりして湯上りの牛乳にのどを潤す頃、温泉のテレビではまだ大相撲が
中継されていました。 真夏より、2時間は早い上がりとなり、その分ゆったりとした夜の談笑タイムが
となのでした。

         豪華な鍋ディナー
            

 
 今年もご苦労様でした!

        K邸は、冬籠りに入ります。
            

 

 今年も一年、ブログの畑にお付き合いをいただきまして、ありがとうございました。

   今年一年を振り返って、ブログ蓼科農園の“総集編”を近日中にアップする予定です。
 ご期待ください。

 

 お待たせしました。オートスライドです。(約4分)
  




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農協記念日  (bon)

2015-11-19 | 日々雑感、散策、旅行

 こんな記念日があったのですね。

 1947年(昭和22年)11月19日、「農業協同組合法」が公布され、全国農業協同組合中央会
(JA全中)が制定されたことを記念して11月19日をその日としたのですね。
 この法律は、“農業者の協同組織の発達を促進することにより、農業生産力の増進及び農業者の経済的
社会的地位の向上を図り、もつて国民経済の発展に寄与することを目的”として制定されたとあります。 
 農業は元々零細事業で、自然依存が高く不安定要素を含んでいることから、古くから組織的な構造が
とられていたとも考えられますが、戦後の混乱から早期に立ちあがるためには是非とも必要だった
のでしょう。

               農業
                         (ウイキペディアより)
 

 しかし、この組織が独自組織として、上部管理組織を頂点とする完全なピラミッド構造を呈する
ようになり、今や末端組織である現業部分の自由がそがれる形となり、弊害が出ているうえ、
農業事業の赤字を、他の事業(金融、保険)で埋め合わせするなどの健全な運営とは言い難い問題を
含むようになっているのですね。 そして、金融自由化の影響などを受け、この事業も悪化し、
農協事業全体の経営が悪化してきました。 後継者不足の問題も当然存在しています。

 このような状況から、政府は、農業改革として、①農業協同組合(農協=JA)組織の見直し、
②企業の参入促進策、③農業委員会制度の見直しを最終案として方針を打ち出し、今般TPP包括合意を
受けて、農業の国際競争力を高める観点からも農業組織の抜本改革が欠かせないと判断しました。
2013年に決定した、減反政策廃止を含めて 今後歴史的ともいえる大転換がはかられるかもしれないのです。
 そのような意味から、 今や、農協記念日は歴史の彼方にその影を落としているのですね。
農協組織の頂点にあった全国農業協同組合中央会(JA全中)は今般、農協法に基づく組織から一般社団
法人に改組されました。


  蓼科農園では、今年最後の作業“畑じまい”を今日から3日間の予定で行います。
このブログアップして、蓼科に行ってきまぁ~す。

 

 

 

 

 

 

 

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さざんか’15  (bon)

2015-11-17 | 花鳥風月

 昨日今日は、小春日和とはこのこと・・と言わんばかりの穏やかな良いお天気でした。

  今日のブログ記事は、ありふれたさざんか一色で、まことに貧弱な内容で申し訳ありません。
このさざんかは、10数年前に、頒布会で届いたもので、その後植え替えして、ちいさな(8号くらいの)鉢で、
長年このように咲いてくれるのです。

 鉢植えなので、移動してきました。
   


 ピンクは、この1鉢で、他は、赤の花のが6鉢あり、赤の方も咲いてくれていますが、何となく
こちらのピンクの花が可愛く、これが咲き出すと、リビングのすぐ外に場所を移動して鑑賞しています。 

 アップしました。             どアップです。
  

 

 移動できるのは、鉢植えの便利なところではあります。 が、木にとっては、小さな劣悪環境に
年中放置され、水とたまに肥料が来るだけの清貧?生活を強いられている・・なのに、このような花を
つける律義者なんですね。 お礼に、お酒をご馳走するとか、温泉に連れて行く・・なんてことをすれば、
たちどころに枯れてしまうのですから・・。

 

さざんかの歌といえば、定番2曲があまりにもヒットしました。

  

 

 

 

 

 

 

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雨の 井の頭公園  (bon)

2015-11-15 | 日々雑感、散策、旅行

 昨日の土曜日は、予報では終日雨で日曜日まで続く・・といっていました。

が、土曜日(14日)は、歌手、公園の歌姫“あさみちゆき”の井の頭公園ライヴがあるので、
出かける約束をしている仲間うちで、雨だとどうする? どしゃ降りなら止める、そうでなければ
公園散策もあり? などとメールでやり取りしているうちに、取りあえず雨でも集合場所には行く・・
ということになりました。

 昨日朝は降っていませんでしたが、お昼前頃から小雨が来て、時折雨足も早くなったりのお天気でした。 
公園には、ライヴの1時間ほど前に傘をさしながらそれらしい場所に近寄ってみたら、ボランティアの
お世話役と言っていましたが、その人が言うには、“今日は雨で中止です。本人もここには来ないと
いっています。”ということで、残念ながら次回ということになりました。仕方なく、あらかじめ
予定していた公園内にある「自然文化園」に入りました。 

 井の頭公園
   
                      (このボート乗り場の右奥あたりがライヴの場所でした。)

 ここには、以前、この仲間で来たことがありましたので、動物たちを見て、彫刻館の北村西望作
「平和祈念像」をもう一度見ることにしたのでした。
 園内には、それでも傘をさした人たちがチラホラ来ていて、秋の小雨の公園もまんざらではないな・・
などと、慰めに似た気持ちもありましたが、まこと静かで半ば紅葉した木々の中を歩くのは、かえって
すがすがしい思いすらするのでした。

 園内の木々
  
 

 
 水生動物たちが、元気そうに動き回っていました。カモ、サギ、アヒルなど身近な鳥たちの中に、
ひときわ派手なおしどりがいました。

          おしどり
           
 

 動物たちは、リス、アライグマ、ハクビシンなど比較的小動物が多いのですが、アジアゾウの
“はなこ”は、室内で遊んでいました。 体重は3トン、年齢は68歳とありました。
来年の干支の“おさるさん”は、小雨の中でも高いところでジッとして座っていました。

 ゾウ(はなこ)              さる園
   

 

 童心に帰ったところで、彫刻館に向かいました。 
彫刻家北村西望は、長崎生まれの人で、県から依頼された祈念像制作のため、東京都の許可を得て、
この井の頭の地にアトリエを構えて「平和祈念像」を制作したとありました。 この他、たくさんの
作品が一堂に展示されていましたが、その迫力に圧倒されるほどでした。

         平和祈念像
           (9.7m) 

 
 やや雨足が早くなった夕方近く、公園を後にしましたが、吉祥寺駅界隈はまるで別天地のような
賑わいで、雨でもこの人出はさすが“今でも吉祥寺”なのでしょうね。お茶する場所をようやく見つけて、
歩き過ぎた足を休めながら、話題に花を咲かせてお別れとなりました。
 お目当ての「あさみちゆき公園ライヴ」は、1か月後12月19日だそうで、もう一度のチャレンジと
なりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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上卯祭  (bon)

2015-11-13 | 日々雑感、散策、旅行

                先の11日は、中国では「独身の日」と呼ばれているそうで、中国ネット通販大手が
                     この日に割引イベントをし、なんと1日で、1.7兆円の売り上げをあげたそうです。
                     これは、日本の有名百貨店の1年分の売り上げを超えているとか。すごいですね。

  11月になると新酒が出回る季節で、肌寒さを感じる日など、ちょっとやりたい気分になりますが、
丁度この頃、お酒の神様のお祭り「上卯祭」が行われるのですね。
 上卯祭(じょううさい)とは、毎年、11月の最初の卯の日(上の卯の日)から酉の日まで執り行われる
“醸造安全祈願”のお祭りです。
11月最初の卯の日は、 今年は、11日で、
中国「独身の日」と同じだったのですが、この日から、
17日(酉の日)まで、京都松尾大
社でこのお祭り(秋の祭り)が行われています。
 醸造安全祈願ですから、お酒の他、味噌、醤油、酢などの醸造業はもとより、卸小売り業も対象で
多くの人々が参集し盛大に執り行われているそうです。 全国の“松尾神社”でもお祭りが行われる
ようですが、松尾大社は、とくにお酒の神様として有名です。

          松尾大社
           (ネットより)

 かって(2002年)NHKテレビドラマで「蔵」(宮尾登美子作)の中で、新潟の造り酒屋の意志の強い
女性主人公 烈(松たか子)が、盲目ながら酒蔵を継ぐこととなり、その儀式のような形で、
松尾大社を参る下りがあり印象に残っています。

 なぜ、松尾大社がお酒とかかわりがあるかといえば、HPによれば、5、6世紀の頃、この松尾山の
地に、渡来系の秦氏の大集団が来住したが、松尾山の神「大山咋命」(おおやまひのみこと)を
総氏神として仰ぎ 新しい文化をこの地に拓いていた。ことに、治水事業に力を注ぎ荒れ地を農耕地として
開発したそうです。 また、この秦一族の特技として、酒造技術があり、早くからこの地に酒造が根付き、
室町時代以降には、松尾大社が「日本第一酒造神」として仰がれるようになったとありました。

            (京都観光HPより)

 中世から近世、とくに江戸時代あたりから全国各地の醸造家から盛んに神楽が奉納され、醸造の
安全祈願が行われて来たことが、今日の祭りの由来と言われていますが、1600年頃の物語を題材とした
狂言「福の神」の中に、「・・惣じて松尾の大明神が神々のさか(酒)奉行である・・」とあり、
この頃既に松尾大社が “酒奉行”であったことがわかりますが、現在も祭典中に奉納される狂言
「福の神」は、これに由来するものだそうです。

 昨年(2014.11.7)のブログに“日本酒”を記事アップしていまして、清酒の定義とか、日本酒の
製造の仕方による種類などに触れていました。 酒飲みでなくても、この時期、何となく日本酒が
恋しくなるのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

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世界平和記念日  (bon)

2015-11-11 | 日々雑感、散策、旅行

                       昨日(10日)は、入社同期の集まりがありました。久しぶりに銀座に出ました。
                         小雨交じりの火曜日にも拘らず、人通りは相変わらず 賑わっていました。見慣れた
                         松坂屋の大きなビル跡は、クレーン、大型トラックが出入りする工事中で、やはり時の
                         流れを映していました。  同期会、欠席者の近況に体調不良が目立つ中、40名近い
                         出席者は元気にグラスを 交わしながらの歓談にも、話題は健康維持、趣味などで盛り
                        上がり、今や仕事関連の話題は殆どなくなった若い老人の楽しい集まりでした。

  今日11月11日は、「世界平和記念日」なんですね。 1918年のこの日に、ドイツとアメリカが
停戦協定に調印し、第一次世界大戦が集結したことを記念し制定されたのです。
アメリカやヨーロッパは祝日であるそうです。


 ネットによれば、「1918年(大正7年)の今日(11月11日)、パリ郊外コンピエーニュの森に停車中の
食堂車の車内において、ドイツ軍代表団が連合軍との休戦協定に調印、開戦から4年余り、毒ガスなどの
大量破壊兵器も初めて使用された人類空前の総力戦を展開した第1次世界大戦が、ドイツ側の疲弊で
事実上終結した。
ドイツでは11月9日、共和国の成立が宣言され、ドイツ帝国は終わりを迎えた。
翌10日には、皇帝ヴィルヘルム2世がオランダへ亡命するなど、慌しい中での調印だった。

公式には戦争はヴェルサイユ条約の締結によって終わったことになる。主戦場となったヨーロッパの
各国では、第一次世界大戦を終えた調印の日(11月11日)に「戦うことは もうやめよう」と決め、
終戦の祝日としている。」 とありました。

         調印式
           (ネットより)
 

 私が生まれたのは1939年(第二次世界大戦勃発)ですから、第一次大戦は、25年も前のことでしたが、
子供の頃、家にあった本や雑誌にユニオンジャックをはためかせた戦艦が白波をあげて進む絵など、
この戦争を描いた(と思われる)絵がたくさんあったのを覚えています。 第一次世界大戦は、
ヨーロッパの列強の利害が錯綜し、複雑な同盟・対立関係がその下地にあり、それが、サラエボ事件
発生を導火線として、一気に欧州全土に拡大した戦争でしたが、日本は、世界における日本の地位を高め、
東亜における立場を強固にすべく考えから日英同盟を理由にいち早く参戦し、日本の国力を急速に
伸ばしたそうです。 このような狙いと成果に裏打ちされていたため、雑誌や本などに大々的に露出
されていたのでしょう。

           (ネット画像より)
 

 しかし、第一次世界大戦は、ヴェルサイユ条約により公式に終了し、世界平和記念日を制定する
ことにはなったけれども、このヴェルサイユ条約は、戦勝国の賠償規定であり、この大戦が過去に
類を見ないほど悲惨な損害を生み出した戦争であったため、戦勝国の敗戦国への報復的とも言える
過酷な賠償条件を含んだ内容となっていたことが、結果的に、ナチスの台頭の原因となり、これが
その後の第二次世界大戦の遠因ともなってしまったのだそうです。

 結局のところ、平和を願う心は万民共通であるにしても、平和記念日が制定されその意識を高めながら、
20数年後には再び世界大戦が起こり、実質的には何ら効果をもたらしていないばかりか、100年経った
今日もやはりアジアにおける中国の台頭などのうねりに加えて、集団的自衛権の行使につながる不穏な
動向が感じられなくもないのですね。

 

 

 

 

 

 

 

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東京支部総会‘15  (bon)

2015-11-09 | 同窓会

 先週の土曜日(11月7日)は、高校の同窓会東京支部の年次総会が大手町サンケイプラザでありました。
本部(大阪)の総会は、毎年6月に行われていて、東京のそれは10月~11月に実施されています。

 かっては、私と同期のもう一人は、この支部のお世話役を長年担当していましたので、我が同期の
皆さんは絶大なる支援、協力をしてくれていて、既にお役御免となった今でも大勢の同期の皆さんは
この支部総会に出席してくれています。

 60年以上の歴史を持つ東京支部は、今年も ご来賓として、母校の校長先生はじめ、同窓会会長、
同副会長、東海支部長が出席され、楽しい雰囲気の内に開催されましたが、それぞれのご挨拶から
遠く離れた母校関連の現状が伺われて、会場の皆さんは、各々昔の自分との繋がりに思いを馳せていた
ことでしょう。

                  支部総会風景 (母校校長先生のご挨拶)
                


 出席者の年齢差は40歳もあろうかという幅がありますが、わずか3年の間、同じ学び舎で過ごした仲間
というだけで、このように和気あいあいと集えるのは、不思議といえば不思議ですね。年齢が違っても、
この場が初めての出会いでも、お互いが親しく接し合えるのは、やはり同窓会の醍醐味とでもいえるので
しょう。

  NHK朝ドラ「あさが来た」で、もうすぐ学校を造る話が出てくるのですが、そのために用地を手配
しながら、その学校は、結果的には東京で設立されますが、手配した用地に、大阪府として初めて
高等学校を設立したのが、わが母校の始まりなんですね。 1900年頃の話です。

 その後、大正年間に入って、当時の大阪市長は、愛娘をこの学校に入学させたため、我々の遥か先輩に
あたる方であり、すでに亡くなられましたが、数年前まで、この支部総会にも齢90歳を超えて出席されて
いました。 その人は、秋篠宮妃殿下 紀子さまのおばあ様なんですね。 
また、20年前のNHK朝ドラ「走らんか」では、母校がモデルとなったり・・などの話題があります。

  議事、会食が終り懇親会イベントとして、卒業生が属する高瀬道場の若い女性剣士20名を動員した
剣舞のご披露がありました。
手狭な会場ながら、真剣なまなざしの凛々しい立居振る舞いの中にも艶やかな色彩を放つ見事な剣舞でした。

 剣舞
   

              


 同期のみなさん              全員で記念写真
  
         

 例年のイベントは、卒業生による講話が主ですが、今年は、趣向を変えて華々しい賑わいでした。
総会終了後は、同期だけで近場でお茶して、来年の新年会や淡路島同期会の話題など、再び懇親を深めて
お開きとなりました。

      お茶風景
        

 

 大手町会場前 ここには、昔、訪れたことがある逓信博物館は今は無く、遠くにはスカイツリーが
見えています。
           
             交差点正面のビルの手前が、逓信博物館でした。

 

 

 

 

 

 

 

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立冬  (bon)

2015-11-07 | 日々雑感、散策、旅行

 明日(11月8日)は立冬です。

 長期予報では、関東では平年より気温はやや高めと言っていますが、明日は早や、立冬です。
“立冬”は、二十四節気の季節を表す語で、“気温が下がり、日照も更に短くなる”頃を指しています。
 この二十四節気を、さらに細かく(3分割)した七十二候では、この立冬を、山茶始開(つばき
はじめてひらく)、地始凍(ちはじめてこおる)、金盞香(きんせんかさく)にそれぞれ5日ずつ
上中下に分けて季節を表しています。

 旧暦(太陰太陽暦)では、月を基準に暦が作られていますから、ひと月は29日余りで、1年が365日より
少なく、カレンダーと季節が次第に合わなくなってくるので、昔、農作業などに便利なように、
二十四節気や七十二候のように言葉で表現していたのですね。 もともと中国で用いられていたので、
日本とは少し違った感じもありますが、今日でも、立春、秋分、冬至など季節感を表すのによく
用いられています。

 二十四節気のうち、主要な節気だけを抜き出して図に示しましたが、春分を太陽視位置0°として、
秋分が180°、夏至90°、冬至270°で、主要な中気として二至二分と言われています。
そして各季節、春夏秋冬の初めの位置にある 立春、立夏、立秋、立冬の主要な節気を四立と言われて
二至二分ちょうど中間に位置しています。

        二十四節気の主要な節気
            

 

 あの猛暑が続いた暑い夏が終り、凌ぎやすくなってくると、そんな猛暑はすっかり忘れ、お月見だ、
紅葉だ・・なんて言っているうちに、早や立冬となり、冬の初めになっているのですね。
カレンダーは、残すところあと1枚となっていますし、既に年賀状は発売されていたり・・あぁ、
今年も終りに近づいたことが意識の中だけでなく、身の周りに具体的に見聞きし、改めてこの1年も
早かったことが思い知らされてきます。
 振り返れば、いろんな出会いがあり、楽しい出来事や悲しい事件もありました。 想い出がどんどん
後ろに遠ざかって堆積し、ともすれば想い出の塊にうずまってしまいそうな時もあります。

 お陰様で、まだ体が動きますから、人と会ったり、畑をしたり時間に添って前に向かって進んで
いますが、いつまで続けることが出来るのでしょうか。ふと、そんな感傷が浮かび上がってきます。

 今日は、高校の卒業生が集まる東京支部の総会が大手町であります。先輩や後輩が一堂に会する場で、
我が同期生たちとも1年振りに歓談できる喜びを味わいに行ってきます。

 

 

 

 

 

 

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桜もみじ  (bon)

2015-11-05 | 花鳥風月

 ベランダの桜も色づいています。 
春には、パッと明るく咲く桜とは違って、しっとりと静かに色づいてくるのですね。
緑の葉の縁取りから赤味がかってきて、やがて全体が赤くなる、そして落葉になっても変わらぬ赤さを
保っている・・ そんな秋の桜に独特の風情が感じられます。
 桜もみじが終ると、寒い日が多くなり、冬支度が始まりますが、今度はサザンカが、濃い緑の厚めの
こんもりとした葉の間から赤い花を覗かせてくるのですね。

 桜もみじ
    

 

 満天星(どうだん)つつじは、今年もすっかり秋色に染まっています。
まんてん星と書いて、どうだんと読むのは、この落葉樹の中国名が「満天星」で、どうだん という
呼び方は、もともと“この木の枝分かれの様子が、昔の室内照明灯「結び灯台(三本の棒を結び、
足を開いて上に油皿を乗せたもの)」に似ているから” 灯台→どうだん と変化したとありました。
燈台躑躅とも言うそうです。

       秋のどうだん
              

 

         春の満天星(2014.4.1)
                      

  宇宙一面に白い星がちりばめられている様に見えますね。
                             上と同じ木の春ヴァージョンです。

 

 ひっそりと つわぶき が咲いています。
               

 

 ローズマリー は、なぜか年中花が咲いているように感じています。
         (ちょっとアップしました。) 

 

 

 

 

 

 

 

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鎌倉文学館  (bon)

2015-11-03 | 日々雑感、散策、旅行

 久しぶりに鎌倉を散策してきました。

 朝から激しい雨の寒い昨日(11月2日)は、例のランチの会で、鎌倉文学館、そして館内庭園の
秋バラの観賞をメインに近場を散策しました。

 鎌倉駅集合のお昼前には、殆ど雨も止んでいました。 駅近くでランチを済ませて、“江ノ電”
2つ目の 由比ヶ浜駅 で下車、徒歩数分で、突き当りのこんもりとした森がその入り口でした。
門を入り、緩やかにカーブした坂道は、何ともしっとりとした心洗われるようなプロローグでした。

 アプローチ                
   
                                                      (歩きながらで、ぶれました。)
 

 鎌倉文学館は、昭和60年に開館したとありますから、それほど古いものではありませんが、
この地は元、加賀百万石の前田家の鎌倉別邸で、明治23年(1890年)に和風建築の館を建てたのが
始まりで、昭和に入り、洋風と切妻屋根の和風が混在する独特なデザインの館が誕生し今に伝わっている
のです。

       鎌倉文学館
         
 

 館内に入ると、あっと驚くような、壁一面の鎌倉中心図にぎっしりと文豪たちが居住した場所が
記されていました。 川端康成、三島由紀夫、高見順、小林秀雄、芥川龍之介などなど明治、大正、
昭和の名だたる人々が、この地で活動されたのだと・・あの深田久弥、小津安二郎の名もありました。
「文学界」の創刊や、「鎌倉ペンクラブ」の結成、鎌倉カーニバル、鎌倉アカデミアなど数々の
市民を含めた活動が展開されていたのですね。 館内には、談話室も設えてあり、文学から遠い距離に
あった私にもひと時そんな雰囲気の中に吸い込まれていくような感じでした。

 館から、海を見下ろすなだらかな傾斜の一角が、バラ園でこの時期見事に咲き誇っていました。
花びらにはまだ、しずくが残っているそんな、愛らしい顔を見せているのでした。

バラ園
   

 

 文学館を後に、静かな街並みを歩いてしばらくすると、長谷観音、大仏さまの交差点にきました。
雨はすっかり上がりましたが、ややひんやりとした月曜日、大仏様の周りには大勢の観光客がいました。
外国の人たちの姿も多く見かけました。
鎌倉大仏様は、正しくは鎌倉大仏殿高徳院の本尊で、国宝銅造阿弥陀如来座像で、1252年頃から10年の
歳月を経て建立されたといわれているのです。 元は、仏殿におられたそうですが、1300年代の大風で
損壊したままとなっているという。
大仏様は、何度目かに拝見しますが、いつも穏やかでどっしりとして衆生を見下ろしていますが、
一回りするとかなり猫背であるのですね。 また、頭の螺髪の数が気になって、誰かが200以上ある?
といっていたりして、帰宅後一人が調べた結果、656個もあることが分かりました。

 鎌倉大仏
  
 

境内の傍らには、与謝野晶子歌碑があり、女ごころが謳われていました。

     与謝野晶子歌碑
          

 

 長谷観音も、多くの人々をひきつけていました。 巨大な十一面観世音菩薩は、いつ見ても、
心が和む優しい雰囲気を漂わせていました。
境内には、フジバカマ、つわぶきなど時季の花が彩りを添えていました。

      長谷観音外観
        
         

    見晴らし台から、霞む相模湾を遠望しました。
              
                    中央半島先が 葉山 です。 

 

 江ノ電、長谷駅近くでお茶して、談笑しているうちに、秋の日の短い夕はとっぷりと夜の帳を下していました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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世界勤倹デー  (bon)

2015-11-01 | 日々雑感、散策、旅行

 昨日、10月31日は、ハロウインで全国各地で大変賑わったそうです。
昨夜の渋谷などは、さながら大仮装パーティーの様相を呈していましたね。

 首題は、あまり知られていないのではないでしょうか? 昨日は、世界勤倹デーなのだそうです。
1924年(大正13年)の今日10月31日、イタリアのミラノで開催されていた国際貯蓄会議の最終日に、
この日を「世界勤倹デー」とすることが決定されたのです。 
日本は1952年(昭和27年)に参加したとあります。

 “勤倹”などの言葉すら、最近では懐かしいというか、殆ど聞かれませんが、その昔、18世紀後半
には“貯蓄銀行”が誕生し、19世紀後半からはその一形態として、全国的に窓口を持つ“郵便貯金”
として発達してきたのだそうです。
 これら貯蓄金融機関の特徴は、勤労者などの庶民を対象として比較的小口の金融をも扱うようにし、
勤倹貯蓄を奨励し、資産の貯蓄手段を提供して、安全確実に資産運用を行うことにあります。 
そして、集まった貯蓄資金は、道路、公園、港湾、学校、病院などの公共財の充実、住宅、上下水道の
整備など、民間では十分な資金が供給されない分野に投入することによって、国民生活の向上に資する
という社会的使命を担っています。 後の財政投融資の基礎になっているのですね。

 貯蓄金融機関は、18世紀後半から19世紀にかけて、イギリス、ドイツ、フランスで、続いて
イタリア、アメリカなど次々と設立、整備されたそうです。 しかし、これらの金融機関は、どちらかと
いうと都市部に集中する傾向となり、また、資金運用面でも問題が生じるようになり、そのため、
より安全・便利で効率的な運営を目指して、郵便局を拠点とする貯蓄金融機関の創設が提唱され、
1861年に世界で始めて郵便貯金制度がイギリスで郵便貯蓄銀行として創設されました。
 日本の郵便貯金は、明治8年(1875年)、前島 密によって始められましたが、世界の中では、
イギリス、ベルギー、ニュージランドに次いで4番目なのだそうです。

                 ゆうちょ銀行
            (ネット画像より)
 

 2007年 郵政民営化とともに、ゆうちょ銀行となり、そして今般、日本郵政グループ3社(日本郵政、
ゆうちょ銀行、かんぽ生命保険)のIPOとなりました。
この11月4日の初値がどうなるか、久々の超大型新規上場で市場の期待も高まっているようです。
 

 余談ながら、10月31日は、この他、ガス記念日、日本茶の日、出雲ぜんざいの日なのだそうです。

 

 

 

 

 

 

 

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