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蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

畑開き2015  (bon)

2015-04-28 | 蓼科浪漫倶楽部 畑

 サクラが終ってしばらく、寒の戻りなど寒い雨天が続いた不順な天候でしたが、4月24日~27日の
畑開きは、全日好天に恵まれ八ヶ岳連峰には、残雪の縞模様がくっきりとアクセントを添え、初夏を
思わせる明るい陽射しの下の作業となりました。、計画通り順調に畝つくり、マルチがけ、ジャガイモ、
さといもの植え付け、エダマメ、野菜類の種蒔きなどすべての作業を完了することが出来
ました。 

畑開き常連の5人に加えて、大阪からも含めて、今回、豪華7人衆の畑開きで、日中はやや暑い中でしたが、
作業の進捗に達成感と共に心地よい疲労感の中みんな満足した4日間でした。

  トラクターで開墾された畑は、きれいに整地され土はフカフカで、歩き難いほど長靴が埋まってしまう
のでした。 そんな中、例年通り、畝間の長さを計り、作物の数量、連作不可位置などを考慮した、畑全面の設計、測量(簡単な長さ)から始まりました。 

 

   畑全面の設計
                

 

 設計が決まると、これに従って、手押し耕運機による畝の決定、施肥、土寄せ・・と、畝つくりを行い、
それにマルチを掛けて完成。 そこに、目指すタネ芋などを植えて行くのです。ジャガイモ400個、
さといも90個などなど単調な作業も、仲間内の楽しい会話に紛れ、リズミカルに進むのでした。
 これに先立って、冬越しをした、タマネギ、ニンニク、ラッキョウ、イチゴなどの草引きと整理を
しました。

 にんにくの草引き               イチゴ
   

 

 約5か月ぶりの春合宿は、何となく懐かしさも加味され、お天気に恵まれ、山々に囲まれたすがすが
しい空気とともに、楽しい作業となり、お茶タイムはもとより、K邸での食事つくりまで、会話と
笑い声が終ることはありませんでした。 既に後期高齢者の仲間入りした面々は、どこか身体的不調は
あるものの いたって元気で、普段は使わない筋肉などを駆使して疲労を覚えながら、お互い、何か
そこに魅力を感じているのでしょう。

 

 このあたりは、標高1000mの高原地帯なので、今がちょうど桜の満開時期でしたが、農家の庭先などの
黄色いスイセンが、彩り豊かに春を演出し、界隈の雰囲気を和らげ、人々の行動にも浸透してくる
ようでした。

      遅い梅の花を通してお茶タイムを望む
            

         完成した黒マルチが、夕日に映える
               

 

 

 オートスライド、お待たせしました。(6分少々です。お楽しみください。)

 





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古事記から(2)  (bon)

2015-04-23 | 日々雑感、散策、旅行

           先日、4月16日に、多摩森林科学園に同窓生のハイキングがありましたが、園では、特別企画の
               “京都ゆかりの桜”が、ちょうど見ごろでした。学芸員の説明の中に、“衣通姫桜”(そとおりひめ桜)
               というのがありました。
                これは、古事記、日本書紀に出てくる允恭天皇(いんぎょう天皇=仁徳天皇の子)の皇女、衣通姫に
               因んでその美しさから命名されたそうです。絶世の美女は、衣を通してその美しさが輝いていたとか。
               古事記では、第3巻(仁徳天皇以降)に収められていますので、そこまでたどり着けるかどうか心配では
               あります。
 

黄泉返りと禊ぎ(よみがえりとみそぎ)

  こうしてイザナギノミコトは、穢れた黄泉の国からやっと地上へ戻ってきたのでした。(このことから、
「黄泉の国から返る」が、「よみがえる=蘇る・蘇る」という意味になったとか)

 イザナギは、「わたしは、とても汚く穢れた醜い国へ行ってしまったので、みそぎ(禊ぎ)をしなければ
ならない。」といって、九州の日向で、“みそぎ” をしました。その時、身につけていたもの
(杖・帯・袋・衣服・袴・冠・腕輪)を投げ捨てる時に十二柱の神々が出現しました。 
そして、
イザナギは、「上流の方は水の流れが速く、下流はおそい。」といって、海の真ん中で身体を洗った時に、
さらに十柱の神々が生まれ、さらに、六柱の海の神が生まれました。

 最後に、左の目を洗った時に出現した天照大御神(アマテラスオオミカミ、右の目を洗った時に
出現した月読命(ツクヨミノミコト)、鼻を洗った時に出現した須佐之男命(スサノオノミコト
三柱の神々がうまれたのです。 この三人の神を “三貴子” と呼ばれています。つまり、天父神の左右の
目から、日神と月神が生まれ、鼻からスサノオが生まれ、アマテラスとスサノオは、姉弟の関係にあるのです。

             天照大御神
          (ウイキペディアより)
 

 イザナギは、「わたしは、これまで多くの子を生んだが、一番最後に貴い三人の子どもたちを得た。」
と喜び、自分の首にかけていた玉の首かざりをゆらゆらと鳴らしながらアマテラスオオミカミに授け、
「あなたは、天(高天原)を支配しなさい。」といいました。次にツクヨミノミコトに「あなたは、
夜の国を治めなさい。」といい、スサノオノミコトには、「あなたは、海原を治めなさい。」とそれぞれに
任務を与えました。

 それぞれの神は、イザナギから委任された国を治めることになるのですが、スナオノだけは、
委任された海原の国を治めずに、アゴヒゲが胸元までのびるまで長い間泣きわめいてました。
激しく泣く有様は、ものすごくて、緑の山々が枯山になるまで泣き枯らし、海や川の水が泣き乾してしまう
ほどでした。そのため、禍を起こす悪神の騒ぐ声は、夏のハエのように世界に充満しあらゆる悪霊の禍が
次々と起ってしまいました。

 そこでイザナギは、「どうして、お前は、命じた国を治めないで、泣きさわいでいるのか。」と尋ねると、
スサノオは、「わたしは、亡き母のいる黄泉の国(根の国)へ行きたくて、泣いております。」
と答えたので、イザナギは、ひどく怒って、「それならば、お前はこの国に住んではならない。」
といって、スサノオを海原の国から追放してしまいました。

 海原の国を追放されたスサノオは、「それなら姉のアマテラスに事情を申し上げてから、黄泉の国に
行こう。」と言って、天に上って行く時、山や川が大荒れの嵐になり、国中が揺れ動き、アマテラスは、
その音に大変驚いて、「わたしの弟が、天に上ってくるのは、きっと善良な心からではあるまい。
わたしの国を奪おうと思っているに違いない。」といって、髪をふりほどき、左右の耳のところに輪を巻き、
その髪の輪にも、鬘(かずら)にも、左右の手にもたくさんの勾玉(まがたま)がついた玉の緒(お)を
巻きつけて、男の髪型にし、背中には矢が千本も入る筒を負い、腰にも五百本入る筒を、腕には威勢のよい
音が出る鞆(とも)をつけ、弓を振り立てて、力強く地面を踏みつけ、沫雪のように土を蹴散らし、
雄々しく勇ましい態度でスサノオを待ち受け、「おまえは、どういうわけで昇って来たのか!」といった。
スサノオは、「わたしは、やましい心を持ってはいません。ただ、父、イザナギが、わたしが泣きわめく
わけをきかれたので、わたしは、亡き母のいる黄泉の国へ行きたいと思って泣いているのですと答え
ましたが、お前はこの国に住んではいけないといって、私を追放されたのです。それで、母の国、
(黄泉の国)へ行く事情をお姉さんに報告しようと思ってここに参上したのです。謀反の心などはありません。」

「それなら、あなたの心の清いことをどうやって証明するのか?」 「神々に誓約(ちかい)を立てて、
女の子を生んでみせましょう。」とスサノオが、天の安河を中にはさんで誓約(ちかい)をしている時に、
アマテラスは、スサノオがつけていた長い剣を取り、三つに折って、音もさやかな神聖な井戸水で清めて、
その剣をかんで砕き吐き出す息の霧から三柱の女の子が生まれたのです。
そして、スサノオが、今度はアマテラスの髪にまかれた玉の緒を噛んではき出す息の霧から、また左右の
手にまかれていた玉の緒を同じように噛んで吐き出す霧から合わせて五柱の男神が生まれた。

 アマテラスは、「この後から生まれた五柱の男の子は、わたしが身につけていた玉の緒から生まれた神
ですから、当然にわたしの子です。先に生まれた三柱の女の子は、すべてあなたが身につけていたものから
生まれたのですから、すべてあなたの子です。」といった。

 そこで、スサノオノミコトは、得意げに、「わたしの心が潔白で明るい証拠として、女の子が生まれた
のです。これで、この誓約に私が勝ったのです。」といって、勝に乗じて、次々と乱暴をはたらくのです。
アマテラスが耕作する田の畔(あぜ)を壊し、田に水を引く溝を埋め、大嘗祭を行う神殿に、糞を
ひり散らして穢したのです。しかし、アマテラスは、「糞のような汚いものは、きっと酒に酔って戻して
しまったのでしょう。田の畔を壊し、溝を埋めたりしたのは、土地を再生させようとしたのでしょう。
すべて、わたしのかわいい弟がやったことです。」と、善い方にとられたのですが、スサノオの乱暴は、
止まることなくますます激しくなるのでした。

 ある日、アマテラスが、神聖な機織場(機屋)で、神様の着物を機織女に織らせていると、その時、
スサノオは、まだら模様の馬の皮をはいで、その死体を機織場の天上に穴をあけて投げ込んだのです。
機織り女は、これを見て驚き、梭(ひ=機織りで横糸を通すための道具板)で、女陰をついて死んで
しまったのです。 
これには、さすがのアマテラスも恐ろしくなって、天の岩屋戸の中に隠れてしまいました。
そのために、高天原は、真っ暗になり、葦原の中国(あしはらのなかつくに=高天原と黄泉の国の中間、
すなわち地上の世界)も闇につつまれてしまいました。 永遠の暗闇が続き、多くの邪神の騒ぐ声は
まるで夏のハエのように世界に満ち、あらゆる禍が一斉に発生したというのです。 (つづく)

 明日24日から、今年初めての蓼科農園“畑開き”に行ってきます。予報では、全日お天気が良いようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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替え歌  (bon)

2015-04-21 | 日々雑感、散策、旅行

 
 昨夜の台風のような嵐は収まったものの、どんよりと肌寒さを感じるようなお天気です。
今日のブログ記事は、番外? かも知れませんが、u-tubeを見ていた時に、ふと、プロ歌手(流行歌)
が歌う替え歌に遭遇しました。 替え歌というのは、時に面白いものがあります。

それで、番外として記事アップすることとしました。

 このu-tube動画は、過去に、テレビでやっていたらしく、その場面がアップされたものらしいのです。
そこからいくつかをコピペしました。

皆さんが知っているだろうあの曲を歌詞を変えて、そのプロ歌手が歌っています。

 そして、最後に、今年1月24日に仲間が集まって“愛宕山”界隈にランチ会をした時
(ブログ1.24にアップ)の 鉄道唱歌の替え歌(歌詞のみ)も再掲します。
こちらは、皆さんで口ずさんでいただければ幸いです。

 

坂本冬実

 

小柳ルミ子

 

小林幸子(この動画の、1:22:40あたりです)

 

狩人 (この動画の、42:02あたりです)

 

 

鉄道唱歌(替え歌)  替作詞:川西俊治   (注、ミニプロは、この会の呼び方です)

     出発一声 新橋を 早や ミニプロは離れたり
    そぼ降る雨も ものかはに 行くは東京シャンゼリゼ

   早目に着きたる レストラン ステーキ・魚に舌鼓 
       サラダ デザート 取りどりに 鑑定団で盛り上がり

    愛宕の山の博物は 大正・昭和の放送史 
     学芸員の解説に 感心しきり 見学者

    愛宕の社を参拝し 目指すは ヒルズ虎の門
      東京タワーが 霞みたる 51階 いや高し

    珈琲舎(カフェ)で交わす 言の葉に 心はいつか20代 
      時を忘るる 茶話の会 あたりは 早やも夕間暮れ

 

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植物工場  (bon)

2015-04-19 | 日々雑感、散策、旅行

 植物工場については、もう10年ほど前に、東京大手町のビルの地下に、人材派遣会社パソナが運営する
“パソナO2” が話題になりました。
現在も見学などが出来るそうですが、「アーバンファーム」として、新しいオフィスビルを目指した
活動が展開されているようです。 ビルの地下で、野菜などを栽培(水耕)するのです。
 平成23年には、これを発展させて「株式会社パソナ農園隊」が設立されています。

        パソナ農園隊HPより
   

 

 いつもの、H氏から配信される記事に、この話題がありましたので、ここに取り上げさせていただき
ました。

 冒頭の、パソナのアーバンファームの記事を見ていましたら、「農業検定試験」というのが、目に
入りました。 
こちらは、一般社団法人全国農業観光協会が実施主体として、平成23年に第1回日本農業検定3級の
試験が
実施され、以降毎年実施されているようです。
現在では、第2級の検定も実施されているようです。
とくに資格などというモノではないようですが、興味のある方は、この際ご検討されてみてはいかがで
しょうか? 
  
詳細は:  http://nou-ken.jp/
このほか、日本農業技術検定というのもありました。   http://www.nca.or.jp/kentei/mondai.html

  何時も前振りが長くて、なかなか記事に入れない恨みがありますが、植物工場について、10年前に
遡って思い出しますと、このような天候に左右されない手法を生み出した、人工的栽培の素晴らしさを
感じるとともに、本当の野菜が失われてしまうのでは、そこには季節感も、その野菜が有する栄養素
などがどのようになっているのか・・など、保守的な考えかも知れませんが、個人的には賛成しかねる
思いを抱いたのでした。太陽の下、自然の風、雨などの空気の中で耐えながら育つ貴重な生命力が失われる
のではないかと・・そんな心配でしたね。 しかし、先のブログ記事でも述べましたが、すでに、
殆どの植物のタネが“第1種交配”などのように、人工の手が加えられていることなどを考え合わせると、
もはや行く先は変えられない・・トータルコストの低減だけがそのモチベーションになっているのかも
しれません。

 大変お待たせしました。以下に、配信記事をコピペさせていただきます。

****************************** 

「植物工場:コンビニ、電機など相次ぎ参入システムの輸出を目指す動きも」
     秋本 裕子(週刊エコノミスト編集部)
       週刊エコノミストhttp://www.weekly-economist.com/) 2015年4月7日号 p104-106

 【要旨】第一次産業である農業にも、確実に技術革新が進んでいる。とくに最新のコンピュータや
IT技術を駆使して屋内で野菜や果物を作る「植物工場」
の設置が急速に全国に広がっており、海外輸出も
視野に入る成長産業として
期待が寄せられている。本記事では、秋田県羽後町にある農業生産法人
「ロー
ソンファーム秋田」の植物工場における現地取材を含む関係者への取材を通して、植物工場を
めぐる国内外の現状と展望をリポートしている。多業種が
参入し、政府の規制改革も後押しする植物工場。
日本は世界トップクラスの
技術力を有しているものの、まだまだ解決しなくてはならない課題は多いようだ。

  ------------------------------------------------------------

  秋田県南部の羽後町に、コンビニ大手のローソンが地元農家とともに運営する農業生産法人
「ローソンファーム秋田」の植物工場がある。
 工場内の閉鎖された部屋には、ベビーリーフが育っている。種をまいてからちょうど21日で出荷できる
大きさに育つという。十分に成長した葉は、隣
の部屋で一枚ずつ丁寧にはさみで刈り切って手作業で選別する。
常時8種類
ほど栽培しているベビーリーフの中から、6種類程度を袋詰めし、東北地方から関東の一部に
至る「ローソン」や「ローソンストア100」の計3,500店舗
で販売している。1日3,000袋の生産は、
屋内の植物工場としては国内最大規
模だという。

  ベビーリーフとは、水菜、ターサイ、ルッコラなどの葉物野菜を幼葉のうちに収穫したもの。
食感のやわらかさや多品種、栄養価の高さなどから、ミッ
クスサラダ用や付け合わせ野菜として近年、
人気が高まっており、スーパー
やコンビニでも手軽に手に入るようになった。ローソンは、この商品を
ロー
ソンの関東エリアでは一袋税抜き138円(東北は119円)で販売し、好調だという。

 建物は、2008年まで小学校のグラウンドだった。真冬でも成り立つ産業の育成や雇用の創出を模索して
いた秋田県や羽後町と、季節を問わずに野菜を
安定確保したいローソンの思惑が一致。廃校後の小学校
跡地の有効活用策に
もつながるとして、秋田県や羽後町のバックアップを受けた。地元農家とローソンが
同法人を設立し、14年11月から出荷している。

  羽後町は豪雪地帯のため冬には農業ができない。その点、「植物工場は冬でも安定生産できるため、
一つの産業として成り立つうえ、地域の雇用創出
や地域活性化にもつながる」(ローソンの戸田孝一・
農業推進部関係会社担
当部長)と期待を寄せる。

  ローソンは生鮮食品強化や安定確保の観点から、北海道から九州まで全国23ヵ所(3月末)で
「ローソンファーム」を運営している。大根、ジャガイ
モ、トマトなどさまざまな野菜を生産し、
店頭販売用やおでんや弁当用の具
材などに使用しているが、植物工場は秋田が初めて。ローソンは、
「ローソ
ンファーム秋田の収益性などを検証し、今後の拡大も検討したい」(戸田氏)考えだ。

  植物工場とは、ICT(情報通信)技術を使って、水、光、気温などを適切に管理・調節し、年間を通じて
計画的に植物を収穫できる園芸施設全般を指す。
ビニールハウスで自然光を利用する「太陽光利用型
(太陽光型)」と、ロー
ソンファーム秋田のように屋内や小型ディスプレー内で栽培する「完全人工光型
(人工光型)」に大別される。太陽光型では、農家が余剰農地を使って
トマトやパプリカ、花卉などを
栽培する事例が多いが、人工光型では農業と
は無縁の異業種企業がレタスやベビーリーフなどの葉物野菜を
生産するケー
スが多い。

 植物工場のメリットは、(1)季節や天候に左右されず、年間を通じて安定して同じ品質の野菜を
同じ量生産できる、(2)建屋の中で栽培するため
害虫や病原菌の侵入がなく、農薬を使わないため安心・
安全である、(3)
露地栽培に比べて栽培期間が短い、(4)狭い面積でも空間を有効活用して収量を
確保できる、などが挙げられる。消費者にとっても、植物工場の野菜
は露地栽培に比べて野菜のえぐみが
少なく、野菜嫌いの子どもにも食べやす
い、という利点がある。

  ローソンに植物工場用システムを販売したのは、三菱ケミカルホールデイングス傘下の三菱化学。
同グループでは、水処理技術や太陽電池、LED照明、肥料製造なども手がけており、グループ内の関連
事業を
生かす形で、12年に人工光型の植物工場に参入した。

 三菱化学は09年、ドバイで植物工場によるベビーリーフ栽培の実証実験に成功、続いて12年にロシアの
プラスチック成形加工会社に、13年に香港の食
品流通会社に、それぞれベビーリーフの植物工場システムを
販売した。国内
でも、14年に兵庫県尼崎市の鉄道高架下で植物工場を手がける阪神電鉄に販売するなど
国内外での販売実績がある。
 三菱化学植物工場事業推進室の真鍋彰宏グループマネジャーは、「中東のように水が少ない場所でも
安定的に生産でき、ロシアなど雪深い土地や、香
港のように国土が狭く土地が少なくても、完全人工光型の
植物工場は有用で
ニーズはある」としたうえで、「食料問題のほか、土地活用や雇用などの地域問題の
解決にもつながる。今後、国内外でさらなる事業拡大を目指したい」
と話す。

  日本施設園芸協会のまとめでは、人工光型で一般に野菜を販売している植物工場は、09年3月末の
34ヵ所から15年3月末には185ヵ所と、6年間で6倍
近くに増えた。背景には、安倍晋三政権が農業分野の
競争力強化を掲げて規
制改革を進めていることのほか、消費者に食の安心・安全へのニーズが高まっ

ことも
後押ししている。矢野経済研究所は、人工光型で13年に33億9,600万円、太陽光型(併用含む)で
199億1,900万円だった市場規模が、25年にはそれぞれ443億3,800万円、1,056億9,000万円まで拡大すると
予測している。

  三菱総合研究所の伊藤保主席研究員は、「大企業が大規模な植物工場を建て始めたのが最近1年の傾向」
と話す。特に目立つのは、電機メーカーが本
業で培った水や空気の制御技術やLED照明などの技術を応用し、
植物工場に参
入する例だ。富士通が福島県の半導体工場を植物工場に改変し、14年5月からレタスの
生産・販売を始めたほか、東芝が14年9月、横須賀工場の一角の
使用していなかったクリーンルームを改良し、
植物工場を稼働し始めた。
ナソニックは14年8月から、シンガポールの外食企業向けに植物工場で栽培した野菜の生産・販売を始めた。
シャープもアラブ首長国連邦(UAE)でイチ
ゴの生産に乗り出した。

 だが、「まだ課題が多い」と三菱総研の伊藤主席研究員は言う。その課題の一つがエネルギーコストだ。
特に人工光型は光や空調、養液ポンプなどの
エネルギーの大半を電気で賄うため、エネルギーコストが重く
のしかかる。

  植物工場の先進国であるオランダは、広大な農地に太陽光型植物工場を整備して、高い生産効率を
維持している。オランダの強みは植物工場プラント、
ソフトウエアなどのシステム、周辺機材、種子、
植物の販売方法までをパッ
ケージ化して輸出していることだ。
 日本は、特に人工光型では世界トップクラスの高い技術力を持つ。そのため政府は、野菜だけでなく
植物工場システムも輸出産業に育てたい考えだ。
だが、日本はメーカー各社が独自規格の製品を販売している。
伊藤主席研究
員は「海外輸出しようにも、一部設備を売るだけという“点”での展開になり競争力が弱い。
今後は、単に個別企業の取り組みを支援するだけではなく、
国による総合的な戦略の構築が求められる」と
話している。

 コメント: 植物工場に大きな可能性が感じられるのは、さまざまな「応用」のプラットフォームに
なっているからだと思う。電機メーカーが他の製品開
発などで培った技術を「応用」する。既存の工場の
施設を「応用」する。廃
校になった小学校の跡地の利用も、「応用」の一つといえる。課題の一つに
挙げられているエネルギーコストに関しても、再生可能エネルギーなどの「応用」が検討されていくこと
だろう。多業種がそれぞれの強みを持ち寄り、植
物工場のために応用していくことで、思いも寄らぬ新しい
展開が生まれる可
能性がある。そのためには、行政をはじめ、我々の中に根強く残っている縦割り意識を
払拭し、柔軟性の高いシステムをつくっていく必要があるだろう。                     
Copyright:株式会社情報工場

 

 

 

 

 

 

 

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春のハイキング~さくら~  (bon)

2015-04-17 | 同窓会

 昨日、4月16日は、このところの寒い雨続きのお天気から一転、奇跡のような穏やかな、汗ばむくらいの
好天に恵まれました。

 東期会の春のハイキング(最近は、秋のハイキングはあまりやっていないですが)は、JR高尾から
徒歩10分のところにある 「独立行政法人多摩森林科学園」 内の山道風の遊歩道で楽しみました。
すでに、さくらは関東では終わってしまいましたが、こちらの園内には、総数1300本もの桜が植栽されている
そうで、折しも特別企画として 「みやこの桜を愉しみましょう」 が開催中で、名だたる18種がノミネートされて
いました。
既に、花が終ったのもありましたが、まだまだたくさんの花を楽しむことができました。
京都ゆかりの桜ということで、いくつかその品種を挙げますと、“祇園枝垂れ”、“高台寺”、“御所左近の桜”、
“御所御車返し”など、それらしいさくらのオンパレードでした。

佐野ざくら                     高台寺
   

 

 園内は、ウイークデイにもかかわらず、大勢の人々で賑わっていました。
私たちのグループは、今年新年会でも会っているメンバーですが、アップダウンの道々での語りや、
お昼のおべんとう時の会話も楽しく、若返る思いのひと時でした。 

        お弁当を食べた近くの 白山大手毬
             


 一回り散策して,ほど良い疲れを感じる頃、出口(入口)付近の 「森の科学館」 では、学芸員から 
“さくらについて” を20分ほど説明を受けました。

 サクラは、古く平安時代からその美しさが認められていたとのことですが、江戸時代に入って、いろんな
品種栽培が盛んに行われ、新品種、突然変異の品種などの誕生を経て今日、これらの伝統的サクラを
絶やさないために、接ぎ木手法で、増殖がなされているとのことでした。
良く知られる、“ソメイヨシノ” は、東京染井村の植木職人によるオオシマザクラとエドヒカンサクラの交配種と
されています。 オオシマサクラといえば、桜餅、道明寺の桜の葉っぱでお馴染みですが、桜の中でも
花が大きいなどの特徴があり、これを父(又は母)とする品種はかなり多いように感じました。

 ところで、桜は、“バラ科” の植物ですが、このバラ科には90属、500種に及ぶたくさんの種類の植物が
あるのです。
バラ科には、3つの亜科があり、その内の2つの亜科にたくさん種類があります。 “バラ亜科”には、もちろん
数々のバラがありますが、その中リンゴがあったり、イチゴ属にはイチゴや、ワレモコウ属などがあり、
もうひとつの “サクラ亜科(モモ亜科)” には、サクラ属の他、サクランボ、ウメ、モモ、アンズ、アーモンドなども
あるのです。 また、ヤマブキ属、シモツケ属などもあるといいますから、改めて驚きました。

 花の山を歩いて、お勉強なども出来、満足の内に、駅前にてお茶してお開きとなりました。


  オートスライドをどうぞ~ (約2分) 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ハナミズキ ’15  (bon)

2015-04-14 | 花鳥風月

 このところ、寒さが戻り、お天気も雨が多く 野良仕事?も出来ないでいます。
市民農園のブロッコリーには、黄色い花が咲いて食用にはなりませんが、いろどりがきれいです。
先ごろ石灰を施したところに、肥料などをまくタイミングになりましたが、このお天気でこちらもお休み状態です。

 ベランダでは、桜や、レンギョウ、ハナモモなどが終り、今度は、ハナミズキに移ってきました。 
今朝は、雨が止んでいましたが、まだどんよりとした雰囲気が残るベランダに出てみました。
 ハナミズキは、今年は白が元気よく咲いてきましたが、赤いのはまだ蕾が硬いようです。鉢植えなので、
2m位しか背丈が無く、脚立に上ってパチリとしました。普段見ることがない、上から目線で花びらを撮ってみました。

 今頃のハナミズキ                 アップにしてみました
   

 

 こちらも白ですが、満天星です。
               

 

 10年近く前に蓼科から来た十二単(アジュガ)です。
               

 

 イチゴには、白い花がたくさん付いているのですが、どういう訳か、肝心の赤い実が一つもありません。 
鳥が食べた形跡もないので、全く不思議なんです。

 花置きに並んでいる、盆栽仕立ての鉢では・・
出猩々が、今年も真っ赤な葉をつけています。並んでいる淡い緑はトウカエデです。

              

 

 ほとんどの蕾を小鳥に食べられてしまった木瓜(ボケ)に、葉っぱの裏側に鳥被害をまぬかれた蕾があったと見えて、
赤い花をのぞかせていました。

              


 

 

 

 

 

 

 

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古事記から(1)  (bon)

2015-04-12 | 日々雑感、散策、旅行

  古事記は、どなたも良くご存じの日本最古の歴史書、文学書ですが、 これまで、遠く 学校時代に無理無理
触れた程度で、全く没交渉?でした。  ところが、最近ある歴史を書いた本を見ていましたら、この古事記が
出ていまして、やや面倒なところもありますが、因幡の白ウサギや、ヤマタノオロチなど子供の頃に聞いたり
読んだりした物語の元?みたいなことが出てきますし、最初の方は、国生みや神々をお産みになるなどから、
下ネタ?的な話など幼児的なところも多く、また、国造りで最初にお産みになった島が “淡路島” である・・など、
興味のある部分もありましたので、ブログテーマとして何編かに かいつまんで、記事アップしてみようと思った
次第です。
“国の始まりが、淡路島、泥棒の始まりが石川の五右衛門・・” と調子のいい口上は、映画“寅さん” でよく聴かれる
ところでもあります。

 で、その最初の記事として、古事記の概要から天照大神の関連前までをアップしてみたいと思います。
 参考にしましたのは、「古事記」(次田真幸、講談社学術文庫)、「日本の年中行事」(塩田勝、金園社)、
ネット記事などです。 解読が十分でなく、内容に誤りなどがありましたらご指摘を賜れば幸いです。

 古事記というのは、そもそも日本の国や人々の暮らしがどのように始まったかなどを神話、伝説として書かれた
もので、全3巻から構成され、その「序文」には、全巻の概要と重要な内容のあらましなどのアブストラクトのほか、
古事記が書かれた経緯や、どのように表現されたかなど詳しく書かれています。

 その序によれば、天武天皇の命によって稗田阿礼(ひえだのあれ) が「誦習」していた『帝紀』『旧辞』を,
元明天皇の命によって太安麻呂(おおのやすまろ) が「撰録」し和銅5 (712) 年に献上したものである 
とあります。

                               

 つまり、天武天皇が 旧辞に誤りや間違いがあるのを惜しまれ、帝紀の誤り乱れを正そうとの企画から発して、
天武天皇亡き後、その意志は皇后である持統天皇に引き継がれ、異母姉妹にあたる元明天皇の時に完成した
のだそうです。

 

 いよいよ、本題に入りますが、最初は、「天地の初め」 で、高天原に3柱の神様が出現しましたが、
地上には姿を現さなかった。 次に、どろどろした油のような海から、葦が燃え上がるように2柱の神が出現し、
これら5柱の神々は皆独身(独り身)の神で、天の中でも特別の神様なのだそうです。

その後、さらに二柱の神様が独身で現れましたが、その次からは、ご夫婦の神として五組の神々が現れました。
そのうちの最後に現れたのが、イザナギの神と(伊耶那岐命=イザナギノミコト)とイザナミの女神(イザナミノミコト
=伊耶那美命)のご夫婦の神様です。ご夫婦の神は、二柱で一代と数えますから、ここに、神代七代の出現と
なるのです。

伊耶那岐命と伊耶那美命の二柱の神は、「この漂っている国土を良く整えて、作りかためよ」と命を受けて、
立派な矛(ほこ)を授かり、いよいよここから国つくり、神つくりが始まるのです。

 そこで、イザナギノミコトとイザナミノミコトは、天からつながっている 浮橋 までやって来て、矛を降ろして、
下界の海水をゴロゴロと掻き回してから、引き上げたところ、矛の先からしたたる海水が重なり積もって、
淤能碁呂島(オノゴロ島)が出来あがり、二人の神は、その島に天から降り立って、天の神聖な大きな柱を立て、
大きな御殿を作られました。
そして、イザナギノミコトは、妻のイザナミノミコトに尋ねた。 「汝が身は如何にか成れる?」 すると、

「吾が身は、成り成りて、成り合はざる処一処あり」と イザナミノミコトがお答えになられると、「ほう、私の身体も
よく出来上がっているが、一カ所だけ出来き過ぎたところがある。それで、私のからだの出来すぎたところを
あなたの身体の出来きれないところに刺して、塞いで、この国を生みたいと思うのだが、どうだろうか?」
「それは結構なことでしょう。」と答えたので、「では、私とあなたはこの天の御柱(あめのみはしら)を回って出会い、
男女の交わりをいたしましょう。 私は、右から回るので、あなたは、左から回ってみてください。」と約束されてから、
お回りになったときに、妻の方が先に「まあ、なんとすてきな男性でしょう。」とおしゃって、その次に夫が、
「やあ、なんと素晴らしい女性でしょう。」と言い終わった後に、男神は、女神に 「どうも女が先に言うのはよくない。」と
いわれましたが、ともかく暗い場所で子をお生みになりました。しかし、この子はとても醜くい子であったので、
葦の船に乗せて流してしまいました。次に淡島をお生みになりましたが、これも子どもとはみなされませんでした。

  いよいよ、日本列島の誕生です。

 この二柱の神は 「今、私たちが生んだ子どもたちは、どうもよくない。もう一度、天つ神様たちの所へ行って、
尋ねてみよう。」と相談され、一緒に天つ神のところに参上し、お伺いを立てました。

 天つ神の命令で、鹿の骨を焼いて占ったところ、「女が先に声をかける事はよくない。また戻って改めて
言いなおせ。」 とのお告げがありました。

 そこで二柱の神は、島に降り戻って、もう一度、天の御柱を前のように回りました。今度は、イザナギノミコトが
先に 「やあ、本当に美しい女性ですね。」
といい、その後で女神のイザナミノミコトが、「まあ、本当にすてきな
男性ですね。」と言い終わった後に、 男女の交わりをしてお生みなった子が、淡路島なんですね。
      [来年、私たち高校の喜寿の会(同窓会)をこの淡路島で計画されています] 
こうして、この二神は、次々と島々を生むのです。                 

  • 伊予之二名島(四国)「この島は、身体が一つで顔が四つある。伊予の国をエヒメ(愛比売)とい
    い、讃岐の国をイイヨリヒコといい、阿波の国をオオゲツヒメといい、土佐の国をタケヨリワケという。」
  • 次に、隠岐島を、そして
  • 筑紫島(九州)を生みます。「この島も身体が一つで四つの顔を持つ。筑紫の国をシラヒワケといい、豊国をトヨヒワケといい、肥の国をタケヒムカヒトヨクジヒネワケといい、熊曾の国をタケヒワケという。」
  • 壱岐(いき。長崎県壱岐郡。)
  • 対馬(つしま。長崎県対馬。)
  • 佐渡(さど。新潟県の日本海最大の島)
  • 本州(大倭豊秋津島=オオヤマトトヨアキツシマ)

このように、八つの島を産んだことから、この国を「大八島国=おおやしまのくに」というのです。

この後も二柱の神は、次の六つの島も生むのです。

  • 吉備の児島(岡山県児島半島)
  • 小豆島(あずきしま。=しょうどしま)
  • 大島(山口県の屋代島)
  • 女島(ひめじま。大分県姫島?)
  • 知訶島(ちかのしま。長崎県五島)
  • 両児島(ふたごのしま。特定不可) 

  ここで、国生み神話の原型は、イザナギ、イザナミ二神が、淡路島やその周辺の島々を生むという物語で
 あったが、これが宮廷神話として語られるとき、大規模な大八洲(島)国生みの物語に発展したとみられています。
 そして、良く見ると、淡路島から始まって、四国、九州、壹岐、対馬と瀬戸内海を経て大陸に通う航路に従って
 西に進み、畿内以東は全く考慮されていないことに気が付きますが、この神話は古代の政治地図の姿を示している
 ともいえる としています。

 次に、神々を生むことになります。

 イザナギ・イザナミ 二神は、国生みを終えると、今度は 十柱の神々を生むのです。最初は住居に関する
神が生まれ、そして、このうちの夫婦の神はさらに、河と海や灌漑に関係のある八柱の神々を生み、また風の神、
木の神、山の神、野の神の四柱の神を生みます。 さらにこの内の二柱神が山野の土、霧、谷の神、次いで
船の神、穀物の神、など八柱の神々を生みます。

 そして、イザナミノミコトは、さらに火の神、水の神など八柱の神々を生むのですが、この時、火の神
ホノカグツチの神を生んだ時、陰部を火傷(やけど)して病気になり、しばらくして死んでしまうのです。

 イザナギノミコトは、「あの火の子を産んでしまったがために、最愛の妻を亡くしたのはとても残念だ。」と
悲しまれて、イザナミノミコトを出雲と伯耆の国境にある比婆山(ひば=広島県比婆郡)に葬りました。
そして、イザナギノミコトは、ホノカグツチ(火の子)を恨んで、その首を長い剣で斬り落としてしまいました。
この時、イザナギノミコトの涙から香具山の麓の池の神の泣沢女(ナキサワメ)の神が生れ、また、その剣についた
血がしたたり落ちたところから八柱の神々が生まれ、殺された火の神の頭、胸、腹、陰部、両手、両足から
八柱の神々が生まれたのです。

 イザナギは、亡くなったイザナミを追って、黄泉の国に行き、「わが愛しの女神よ。わたしとあなたで作った国は、
まだ作り終えてはいない。もう一度戻ってきておくれ。」といいましたが、イザナミは、「わたしは、とても悔しいのです。
あなたは、すぐにわたしを助けに来てくれなかったので、黄泉の国の食べ物を食べてしまいました。(黄泉の国の
住人になってしまった。)  しかし、愛しいあなたが、せっかく来てくださったので、わたしも帰りたいと思います。
これから黄泉の国の神に相談しますので、その間は、決してわたしの姿を見ないでください。」といって御殿の中へ
戻ってしまいました。

 女神(イザナミ)はなかなか出てこないので、イザナギは、しびれを切らして、髪の左側に付けていた櫛(くし)の
太い歯をひとつ折って、それに火をともして御殿へ入って中をのぞきました。そこには、世にも恐ろしい光景が
ありました。 女神のからだから、たくさんの蛆虫(うじむし)が湧き出ていて、ゴロゴロという音がしている。
頭からは、大きな雷(かみなり)が、胸には火の雷が、腹には黒い雷、陰部には裂けるような雷、左手には若い雷、
右手には土の雷、左足には鳴る雷、右足にははねる雷の八種類の雷が発生してゴロゴロと鳴りひびきました。
イザナギは、たいへん驚いて一目散に逃げ出しました。

イザナミは、「あなたは、わたしに恥をかかせましたね。」といい、黄泉の国の醜い化け女を使わせて、後を追わせ
ました。 イザナギは、頭に付けていた黒い木のつるで作った輪を、化け女に投げつけると、山ぶどうの木が生え、
化け女がその山ぶどうを食べているすきに逃げましたが、再びこの気味の悪い女は追いかけてきました。
そこで、今度は髪の右がわに付けていた櫛の歯を折り、投げつけると、今度はタケノコが生えました。
化け女がタケノコを食べているすきに逃げました。 するとイザナミは、先ほどの八種類の雷神に加えて、
黄泉の国の千五百もの化け物たちの軍隊を動員して後を追わせたのです。 イザナギは、長い剣を後ろの方へ
振り回しながら逃げましたが、化け物たちはなおも追ってきて、とうとう地上から黄泉の国の入り口へと降りる
坂下まで着いたときに、そこにあった桃の木から桃の実を三つ取って投げつけると、化け物たちはみな逃げて
しまいました。

 しかし、ついにイザナミが自ら追ってきました。驚いたイザナギは、大きな岩で坂を通れないようにふさいで、
その岩をはさんで、イザナミに 「離婚しよう。」 といったら、イザナミは、「愛しいあなたが、このようなことをされるの
ならば、わたしは一日にあなたの国の人間たちを千人殺してしまいましょう。」
といい、これに対し、イザナギは、
「愛しい女神よ。あなたがそうするなら、わたしは、一日に千五百の産屋(出産のために建てる家)を建てましょう。」
といいました。 このことから、人間は一日に千人が死に、千五百人が生まれてくるのということとなるのです。
     (つづく)


 ドラマティック古事記(各地で公演されている演劇。このポスター(部分)は宮崎公演のものです。)
             (ドラマティック古事記試写会HPより)

     

 

 

 

 

 

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旧交の場  (bon)

2015-04-11 | 日々雑感、散策、旅行

 昨日は、もうかなり長く続いている 昔の職場の同僚との飲み会がありました。

 このような旧交を温める飲み会は、これまでの職場(担当部門)の違いから、いくつか今まだ続いている会があります。
昨日の飲み会は、その一つで、既に四半世紀前に 一緒に悩み、楽しみを共にした仲間の旧交の場でした。
上場会社の社長や 今まだ現役で活躍している人、そして遠く故郷に帰って仕事を続けている人、趣味と健康維持に
努めている人など様々ですが、年に一度の集まりは実に楽しいものです。
久しぶりに見る顔もすぐに打ち解けて、活躍する近況の話に思いがけない発見をしたり、今また昔のように
議論が始まるなど、楽しいひと時が過ぎるのでした。

       冷たい雨が降る夕暮れの有楽町
                          
 

 この職場は、当時、長い会社の歴史の中で初めて取り組む “お客様への提案営業” という、新しい分野で、
会社や社員は、誰一人 これまでの業務からは経験を持ち合わせていない業務内容でした。社会や企業から見れば、
奇妙な感じがしますが、これまでは、安価で、便利、安心、安全な電気通信サービスを提供することが会社の使命
でしたから、お客様に対して会社側から “営業” をするという経験に乏しく、意識をガラッと変えなければなり
ませんでした。 通信サービス、ネットワークおよびその技術・機能を駆使したお客様課題の解決、いわゆる
“ソリューション” を提供する業務だったのです。  いまでは当たり前の業務も、当時は 試行錯誤の新設組織で、
日夜、ああだ、こうだとのた打ち回った仲間の集まりという訳です。
それだけに、想い出も一段深いものがあるのかもしれません。 遅くまで呑んで語ったご利益で、遅起きしても、
何となくだるさを覚える土曜日となりました。

 

 

 

 

 

 

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花祭り  (bon)

2015-04-09 | 日々雑感、散策、旅行

                昨日、関東では寒の戻りで雪が降りました。4月の雪は5年振りとか。


 そんな寒い1日でしたが、毎年4月8日は、釈迦の誕生を祝う仏教行事 灌仏会(かんぶつえ)が行われました。 
 今日のテーマは、まさに 釈迦に説法 ですがお付き合いのほどを・・。

 お釈迦様が中国暦の4月8日に生まれたという伝承に基づく行事なのだそうです。
呼び方としては、降誕会(ごうたんえ)、仏生会(ぶっしょうえ)、浴仏会(よくぶつえ)、龍華会(りゅうげえ)など
様々にあるようですが、この時期花ざかりでもあり、花会式(はなえしき)、花祭(はなまつり)などともよばれている
のですね。

 日本では、様々な草花で飾った花御堂(はなみどう)を作って、その中に灌仏桶を置き、 甘茶を満たして、
誕生仏の像をその中央に安置し、柄杓で像に甘茶をかけて祝う風習があります。
子供の頃に、一度経験がありますが、あまり親しみが無かったような記憶です。 甘茶をかけるのは、釈迦の誕生時、
産湯を使わせるために 9つの竜が天から清浄の水を注いだとの伝説に由来するのだそうです。
特段、宗派に関係せずどの寺院でも行うとあります。

                             (ネット画像より)
 

 “花まつり” の名称は、明治時代にグレゴリオ暦が導入(明治5年)され、灌仏会の日付の読み替えが行われた後の
4月8日が、関東地方以西で桜が満開になる頃と合致する事から、浄土真宗の僧が提唱したと伝えられています。
それ以来、宗派を問わず灌仏会の代名詞として用いられているとか。 お寺が経営している幼稚園や保育園では、
花祭りとして、子どもたちにとっては甘茶をいただいたり、寺では稚児行列が出たりするのです。

               浅草浅草寺にて
                    (浅草寺HPより)
 

 お釈迦様について、物の本によれば、 「釈迦の誕生した年は、紀元前565年頃といわれています。
父は迦毘羅城主 浄飯王、母は、麻耶夫人、インドの習慣に従って出産のため生家に帰る途中、藍毘尼園
(るびに園:今のネパールのタライ地方)の無憂樹の下に佇んだ時、俄かに産気づいて釈尊を産み落とした。
伝説によれば、生まれてすぐ七歩あゆみ、両手を以て天と地を指し、『天上天下唯我独尊』と叫んだといい、
このとき八大竜王は歓喜のあまり甘露の雨を降らして沐浴させたという。」 
そして、「姓はゴーダマ、名はシッダッタといい、ヒマラヤ山の麓シャカ族に属する迦毘羅城の王子として生まれますが、
少年時代から人生問題に悩み、宮廷生活に飽きたらず、29歳の時妻子を捨てて出家し苦行すること6年、
ブッダガヤの菩提樹の下で瞑想を続け悟りを開いて35歳に至って仏陀となりました。 そののち、クシナーラーで
没するまで、45年間インド各地方で説法し、国王よりまで多数を教化しました。  『人生の苦悩は自我に執着する
迷妄から生ずるのであり、無我の境地に立って安心立命せよ。  そのために欲望を抑え、心の平静を保つ、
一切の生けるものに対して慈悲を及ぼせ』 と説きました。」

  ところで、天上天下唯我独尊の意味ですが、なかなか難しく、ストレートに読めば、“この世で自分ひとりが最も尊い”と
なりますが、 まさかその意味ではなく、いろいろと解釈をすれば、ネット記事に、

 “『自分という存在は誰にも変わることのできない人間として、生まれており、この命のまま尊い。』ということが
本来の意味です。現実の世界に置き換えると、人間の命の尊さは、能力、学歴、地位、名誉、財産などの有無を超えて、
そのままで尊い『自分』を見だすことの大切さを教えている言葉なのです。世の中は、とかく何事にも優劣をつけ
他人と比較して優越感に浸ったり、劣等感に陥ってしまいがちてす。しかし、この言葉の真意を知れば、この世に
唯一無二のかけがえのない自分という存在が オンリ-ワンだということに目覚めれば、他人と比較して傷つく必要など
全くないものであると同時に、他人より優れたものがあったからといって、おごり高ぶるものではない、ということに
気づくはずです。”        
とあります。 なるほど~。 大変ありがたい教えです。

こんなのもありました~
“失敗して物をダメにする事を 「おしゃかになる」と表現するが、 一説によるとこれは灌仏会に因むとされる。
すなわち、江戸の鍛冶職人の隠語として、あぶり過ぎて鈍ってダメにしてしまった金物に対して、江戸っ子訛りで
「しがつよかった(火が強かった)」→「四月八日だ」→釈迦の誕生日、というつながりで成立したとされる。”   えッ!

 

 

 

 

 

 

 

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おもしろ統計  (bon)

2015-04-07 | 日々雑感、散策、旅行

 ネットサーフしていましたら、大変ユニークな統計処理をして、大体グラフ化して解説しているサイトに出会いました。
 ガベージニュースというサイトで、2005年からスタートしているといいますから、もう10年前からですね。
           ガベージニュース:http://www.garbagenews.net/archives/241282.html

  で、膨大な統計グラフから、今回は、寿命に関する統計、シニアの生活満喫行動など選択させていただいて
ご紹介しました。 小中学、高校生のお小遣いや携帯に関することなど、日を改めてご紹介したいと思います。 
ガベージニュースの記事から抜粋の形で構成して若干のコメントを付加しました。

 ―――――――――――――――――――――――――――――

 厚生労働省が2014年7月に、2013年分の簡易生命表の概況を発表した。
それによれば2013年における日本の平均寿命は、男性が80.21歳、女性が86.61歳となり、男性の平均寿命
80歳超えは今回が初めてとなる。
今回、発表されたデータを元に、経年の平均寿命推移など各種グラフに最新値を反映させた。

 ここで、「生命表」とは、ある期間において死亡状況・環境が今後変化しないと仮定した時に、「各年齢の者が
1年以内に死亡する確率」や「平均して今後何年生きられるか」という期待値などを、死亡率や平均余命などの指標
(生命関数)によって表したものである。 国勢調査に基づく「完全生命表」に対して 今回発表されたものは、
「簡易生命表」である。
  また、世間一般に言われている「平均寿命」とは、その歳に生まれた人が(社会情勢などの変化が無い限り)
何歳まで生きられるかを示したもの
であり、後述する平均余命とは異なる。 

平均寿命の推移                           平均寿命の推移2
              

 
 一番古いデータ、1891年-1898年では男性42.80歳・女性44.30歳で、織田信長による有名な、敦盛の一節「人間五十年」よりも短い。

 「平均寿命」の誤解と「平均余命」
   「平均寿命」とは「各年における0歳児の平均余命」を指す。 例えば2013年の女性の平均寿命は86.61歳なので、
「2013年に生まれた女性は、社会情勢などの大きな変化が無い限り、平均的に86.61歳まで生きられる」ことを
意味する。「2013年時点で亡くなった女性の平均年齢が86.61歳」では無い。また「2013年時点で86歳の人は、
普通ならばこの一年間に亡くなってしまうだろう」という意味でもない。
  サンプルとして2013年時点の、高齢者における平均余命(2013年時点でその歳において、平均的にあと何年
生きられるか)をグラフ化しておく。

 平均余命
     

  2013年の時点で80歳の女t性は、今後さらに平均で11年あまり生き続ける試算ができる。くれぐれもお間違え無きように。

 あなたは何歳まで生きたいか
に対する調査が2014年6月の2日間に、40歳以上の既婚男女を対象にインターネット経由で行われた。
有効回答数は1200件。男女比は1対1、世代構成比は40代・50代・60代以上で均等割り当て。

 何歳まで生きたいか?                何歳まで生きたいか?男女別
    

 
 最多回答層の80代前半を中心に、70代後半から80代後半で2/3近くを占めている。現時点での日本の
平均寿命は男性が約80歳、女性が約86歳。大よそ平均寿命をカバーしていることになる。
心境的には「平均寿命までは生きたいな」というところなのだろう。90歳以上まで生き長らえたい人も2割近くいる
一方で、70歳を前に人生を全うしても良いと考えている人も7%近くいる。


 ちなみに、厚生労働省が毎年実施し結果を発表している国民生活基礎調査の結果をもとに「生活意識の状況」の
変化について状況の精査を行った。

         生活意識別世帯数の構成割合年次推移1999~2013 高齢者世帯

            

グラフが小さくて見難いですが、最左の茶色が“大変苦しい” 次のピンクが“苦しい” 最も多い緑色が“普通”
 さらに、その右に ややゆとりがある” と “大変ゆとりがある” がありますが、ごくわずかのようです。
高齢者の収入、支出などに関するグラフもありましたが、殆どの高齢者は、これまでの貯蓄を取り崩して生活している・・となっています。 悲しい限りです。 

  また、シニアライフで満喫していること 
 大和ネクスト銀行が2014年12月に発表した「”2014年ランキングで見る”シニアライフに関する調査」結果から。 
調査は2014年10月に2日かけて50代から70代の男女に対してインターネット経由で行われたもの。
有効回答数は1000件。男女比・10歳区切りの年齢構成比はほぼ均等割り当て。調査協力会社はネットエイジア。

  シニアライフで満喫していること
       

 大よそ旅行、読者、散歩など、世間一般にイメージされている「シニア世代が楽しみそうな行動」が上位を占めている。
まあ、じょうしきてきなところでしょうか。 

 

 

 

 

 

 

 

 

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江の島初巳祭  (bon)

2015-04-05 | 日々雑感、散策、旅行

                   昨夜の、散り始め桜と月食の粋な風情は、野暮なお天気に遮られました。
                       北海道あたりでは、晴れていて観測できたようですが、残念ながら桜はあと1週間。


  藤沢市の湘南江の島のことです。
江の島は年中いろんなお祭りやイベントで賑わっていますが、四月の初巳の日(今年は、4月11日)に行われる
“江の島神社” のお祭りが最も大がかりでしょう。 正しくは、「初巳例大祭」といい、十月の初亥の日に行われる
「初亥大祭」とともに、 この祭礼は 欽明天皇十三年(552年)江島神社創建の勅命以来、連綿として斎行されて
今日に至っています。

    湘南江の島
           (ウイキペディアより)
 

 ご祭神は、天照大神(あまてらすおおみかみ)が須佐之男命(すさのおのみこと)と誓約された時に生まれた神で、
三姉妹の女神様です。
        (このくだりは、古事記に詳しくありますが、古事記については、別途改めてこのブログに
           記事アップしたいと思います。)

   ・奥津宮の多紀理比賣命 (たぎりひめのみこと)
   ・中津宮の市寸島比賣命 (いちきしまひめのみこと)
   ・辺津宮の田寸津比賣命 (たぎつひめのみこと)

この三姉妹の女神は、宗像三女神(むなかたさんじょじん)と呼ばれ、福岡県宗像市にある宗像大社を総本社として、
全国にたくさんの神社やお寺があります。

 で、この三女神を 江島大神 と称していて、古くは江の島明神と呼ばれていたそうですが、1649年に仏教との
習合により、弁財天女とされ、江島弁財天 として信仰されるに至り、その後、明治初年の神仏分離によって、
仏式を全廃して純神道に復し、改めて「江島神社」と号したとあります。
これまでの本宮と御旅所は奥津宮、上之宮は中津宮、下之宮は辺津宮と改称し、海の神、水の神、幸福・財宝を招き、
芸道上達の功徳を持つ神として仰がれています。

 もともと、弁才天(べんざいてん)は、仏教の守護神の一つではありますが、仏教あるいは神道どちらにも取り込まれた
呼び名なのだそうです。

 江の島神社HPによりますと、これらの神様は、それぞれにお祀りされているようです。
奥津宮:旧本宮。多紀理比賣命を祀る。拝殿天井には酒井抱一の『八方睨みの亀』が描かれ、源頼朝
          が奉納した石鳥居がある。
中津宮:旧上之宮。市寸島比賣命を祀る。
辺津宮:旧下之宮。田寸津比賣命を祀る。
奉安殿:八臂弁財天と妙音弁財天が安置される。

 昔、50年ほど前に この江の島神社に行ったことがあり、島の一番向こう側の江の島岩屋まで行きました。

          江の島岩屋
                (ネット画像)


岩屋の洞窟の突き当りに、妙音弁財天 がお祀りされており、近くで拝観することが出来ましたが、当時、
“ポルノ弁天” などと、罰当たりなことを言ったことがありました。 いつごろ移設されたかは知りませんが、
現在は、江の島の頂上あたりにある 奉安殿 に安置されているようです。

       奉安殿                                   妙音弁天様  (写真は共に、江の島HPより)
         


 

 ついでですが、歌舞伎で有名な、白浪五人男の二番目に名乗る名調子を一節・・

              〽さて其の次は 江の島の
                 岩本院の 児(ちご)上がり
                 平生(ふだん)着慣れし 振袖から
                 髷(まげ)も島田に 由比ヶ浜
                 打ち込む浪に しっぽりと
                 女に化けた 美人局(つつもたせ)
                 油断のならぬ 小娘も
                 小袋坂(こぶくろざか)に 身の破れ
                 悪い浮名も 竜の口
                 土の牢へも 二度三度
                 だんだん越える 鳥居数
                 八幡様の 氏子(うじこ)にて
                 鎌倉無宿と 肩書も
                 島に育って 其の名さえ
                 弁天小僧 菊之助

 この江の島神社は、そのHPによると、日本三大弁天とうたわれていますが、ネットで調べてみますと、何と
竹生島・宝厳寺、 竹生島神社、  宮島・大願寺、 江ノ島・江島神社、 天川村・天河大弁財天社(奈良)などがそうで、
既に5社ありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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今年も皆既月食  (bon)

2015-04-03 | 日々雑感、散策、旅行

 明日4月4日は、皆既月食が見られます。
今回は、時間帯も良く19:04あたりから食が始めり、20:54から皆既食となり21:06には皆既が終わる~
皆既時間は短いですが、もしお天気であれば絶好の観察となります。
あいにく、天気予報によれば曇り、雨みたいなので期待薄ですが、 皆さん、皆既食のお月様を眺めてみましょう。

         明日4日の皆既月食
              (国立天文台HPより)
 

 前回日本で見ることができた皆既月食は2014年10月8日に起こりました。 2014.10.9のブログに
“赤い月2” としてアップしました。 その前は、2011.12.10でしたから、割と頻繁に起こっているのですね。
次回日本で見ることができる皆既月食は2018年1月31日といいますから3年後で、真冬になりますから、
今回も是非見ておきたいと思います。(お天気、よろしくです。)

 ところで、一口に 月食 といっても、その仕組みからいろんな種類があるのですね。
地球の影には “本影(太陽光がほぼさえぎられた濃い影)” と “半影(本影を取り囲む薄い影)” の2種類があり、
月がどちらの影に入り込むかによって、月食の呼び方が変わるのです。

       本影と半影
             (国立天文台HPより)

 

 月の一部または全部が本影に入った状態です。一般的に “月食” というと、“本影食”のことをいいます。
本影は濃い影なので、月がはっきりと欠けたように見え、月の一部だけが本影に入り込む現象が “部分食”、
月の全てが本影に入り込む現象が “皆既食” なんですね。

 また、月の一部または全部が半影だけに入った状態を “半影食” といいます。 しかし、半影は薄い影なので、
目で見ただけでは月が欠けているのかどうか、はっきりとはわからないので、普通は月食として周知されないのです。 
で、今回の月食では、月が本影の端ぎりぎりのところを通りますので、皆既食となっている時間がわずか12分間と、たいへん短くなるのですね。



 

 

 

 

 

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四月のベランダ  (bon)

2015-04-01 | 花鳥風月

 

今年も、はや今日から4月に入りました。
 新入社員の皆さんは、初々しい姿に 希望とやる気をみなぎらせて、それぞれの道にその第1歩を踏み出されました。
苦難は当然あるものの、それらを乗り越えながら成長して行くのですね。
 新入生のみなさんも、新しい制服や、学用品に後押しされて 張りきった気持ちで入学式を待ちわびていることでしょう。

 近くの、黒目川の桜(有名な目黒川ではありません)は 今が満開見頃でした。 
今週、土日には、例年の桜まつりが、予定されていますが、今年の桜は少し早目だったので、いざ本番では、
その盛りは既に過ぎているかも知れません。

            黒目川の桜 (2015.3.31)
              
 

 ベランダの春は、次々と花が出て、楽しみと共に、春を追いかけているような感じです。
ベランダの桜は、散り始めています。先日アップしました、ムスカリは今を盛りと、こんもりと可愛いはなが密集しています。

 昨日、パチリトしたいくつかを、アップしたいと思います。

  姫こぶし   今年久し振りに咲きました。
    


 姫こぶしです。毎年咲くとは限らず、何年か前には、折角咲きそうな大きくなった蕾を、ヒヨドリか、ムクドリの
鋭いくちばしで、中ほどから切られてしまいました 。今年、大きな花が1輪咲きました。もう一つ蕾がありますから、
まだ楽しみです。すぐ近くの公園のコブシには、たくさんの花が咲いているのに、我が家のは極めて貴重といえそうです。
そういえば、今年、赤くなっていた、木瓜の蕾は、みんなきれいに鳥たちに食べられてしまいました。
レンギョウ、ハナモモが少し咲きだしています。

 レンギョウ                  ハナモモ
   

  
 スイセンが賑やかです。少し前には、日本スイセンがたくさん咲いて、球根も増えて困るほどでしたのに、全く見られず、どうしたのでしょうか? このスイセンは、ドバッとした感じで、清楚さが感じられず好感度は低いようです。そして、もう一つ、ポット植えのイチゴに、白い花が付いています。これで、赤い実がなるのか?と思うほど、頼りない感じがしています。もし、赤くなれば、再度ブログにてお目にかけたいと思います。

 スイセン                          イチゴの花
   


 新入社員や新入生の張り切った緊張感もなく、静かに、草花などと追いかけっこしているこの頃です。

 

 

   

 

 

 

 

 

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