蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

ブリジストン美術館      mak

2013-05-30 | 日々雑感、散策、旅行

      

ブリジストン美術館へ行ってきました。

 東京駅から徒歩5分八重洲通りと銀座中央通りとの交差点にあるブリジストンビルの一角の便利なところにあり、忙しいサラリーマンでもちょっと時間があれば気軽に世界一流の西洋美術作品に触れることができる。都会のオアシスとしての息抜きが出来る場所として活用するのもよし、自然に芸術的素養を身に着けることができる、都会美術館である。

 所蔵作品には、ルノワール、セザンヌ、モネ、ゴッホ、ピカソ、マチス、藤田嗣治、浅井忠、岡鹿之助、佐伯祐三、小出楢重ほか1800点以上を数えるコレクションは西洋古代、19世紀後半のフランス美術、近代西洋美術、日本近代洋画に及びます。

 現役サラリーマン時代に活用すべきであったと、悔やまれるが、今からこそ、感性維持のため大いに利用したいと思う。 メトロポリタン美術館、大英美術館、ルーブルなど世界の大型美術舘にはない気軽さという点が気に入りました。

 この美術館はブリジストンの創業者石橋正二郎が昭和の初めから収集した美術品を展示するため、1952年に、ブリヂストンビル内に開館し1961年石橋財団に移管された。

1999年にリニューアルを行い、印象派絵画の展示室は、床に絨毯を敷き、壁は色付きとして、優雅で落ち着いた雰囲気の中で、西洋美術を楽しめることができる。



  

テーマー展示:
テーマーを絞った展示会が期間限定で行われ、現在のテーマは「巴里ー日本人が描く1900-1945」 3月23日ー6月9日。

テーマー展示概説(HPより引用):
明治維新以降、西洋文化を学んでそれを乗り越えることが、日本のひとつの目標となりました。日本人洋画家にとって、芸術の都パリは、19世紀末から聖地となります。いつか訪れてその空気を吸い、泰西名画や最新の美術に直に触れてみたい、と強く憧れる対象となりました。1900年以降、パリを訪れる洋画家たちが増えていきました。聖地パリで、あるものは衝撃を受け、あるものは西洋美術を必死に学びとろうとし、またあるものは、西洋文化の真っ只中で日本人のアイデンティティーを確立しようと試みます。ブリヂストン美術館と石橋美術館のコレクションから、浅井忠、坂本繁二郎、藤田嗣治、佐伯祐三、岡鹿之助たちがパリで描いた作品約35点を選び出し、さらに他館から約5点の関連作品を加えて、日本人洋画家にとってのパリの意味を考えてみます。20世紀前半の、生き生きとした異文化交流のありさまをお楽しみください。

 

google art project

を以前紹介したことがりますが、今や、40カ国、151の美術館の所蔵作品3万点を楽しめるようになっております。 日本の美術館も、国立西洋美術館、東京国立博物館、サントリー美術館、ブリヂストン美術館、大原美術館、足立美術館が協力しております。 新たなアートプロジェクトは、機能面も強化されております。

 例えば、「Explorer and Discover」と呼ばれるツールでは、ユーザーが閲覧している作品と同じ「年代」「アーティスト」「特徴」の作品を世界中の美術館から探すことが可能です。
たとえば、Vincent van Goghをりすとから選び、クリックすると世界中の美術館にある作品を選びだし、スライドで見ることが可能です。Goghをクリックすると別窓でGoghの絵のスライドが表れます。画面上部の矢印でスライドの切り替え、上部右のほうに待機時間調整ボタンが配置されてます。
音楽を聴きながら絵を観賞したい場合はYoutubeをクリック。

<!-- Los Indios Tabajaras -->

 そこで、今日訪問したブリジストン美術館の全作品をgoogle artでもう一度鑑賞してみようと考えました。

 美術館で鑑賞し帰宅後、google art projectで、ブリジストン美術館を開き、一方Youtubeの再生リストのクラシック名曲集を別タブで開き音楽を再生して美術作品をスライドショーで見ると、今日美術館で観た作品を今度は音楽を聴きながら再度楽しむことが可能というわけです。昼間の感動が蘇ってきます。 

 

音楽と共に絵画のスライドを見るには、先ず下記のYoutubeをクリックし、
Google Art
 をクリック(Ctrl押しながら)するとブリジストン美術舘の作品のスライドショウを見ることが出来ます。
 スライドの上の矢印を押すと、スライドがとまります。スライドのスピードは上部右側にある+、-で停滞時間を調整することが可能です。

 

世界のインターネットラジオ7万局を聴けます。
Tunein.com

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浅間山公園   (bon)

2013-05-30 | 日々雑感、散策、旅行

 昨日、ランチの会で表記のところをめがけて行ってみました。

浅間山(せんげんやま)公園は、中央線武蔵小金井駅からバスで15分ほどのところにあり、
“ムサシノキスゲ”の群生が見られる・・うまくすれば、“きんらん”“ぎんらん”も見られるかもしれない・・
とのガイドブックに誘われて、それをメインに捉えましたが、 何の!  何もありませんでした・・。

 ネットでは、5月上旬にこのキスゲのイベントがあるという事でしたが、枯れたキスゲも見当たらず、まるでウソのようでした。
東京都が管理する、標高80mの小高い公園で、木々の梢が高く人っ子は誰もおらず、静かな良いところでした。
   浅間山公園(標高80m)  と   浅間神社 
  
   

くまなく歩いていたら、1輪だけムサシノキスゲが咲いているのを見つけました。
            

まあ、目的が達成されたので、来た道を反対の方へ進んで、多磨霊園の入り口付近で、立派なカメラを据えて、おにぎりを食しながら何かを狙っている御仁に出会いました。 
    
その内の一人に、そっと寄って、
小声で “鳥ですか?”  “えぇ、まあ~” “何がいるの?” “さぁ、何かわからない・・” そんな会話をして、
霊園を横切り西武線多摩川線(是政線)の多摩駅へ。 
      途中、凄い生命力を発見しました。(切り離された幹から新たな枝が伸びている・・)
       


 そこから初めての電車に乗ろうかとも思いましたが、武蔵境まで2駅・・とあったので、歩くことにしました。 
不案内の道でしたが、すぐに“野川公園”という一面緑を敷き詰めた広々とした大変素晴らしい公園に出ました。
人影が少なく、風は時おり強く吹きますが、大変良い散歩コースでした。・・・ 

この辺りまでは、快適だったのですが、歩くうち、次第に足が疲れて、道も迷った感じになり、
住宅街に入ったり出たり・・
武蔵境駅前でお茶するまで、散歩にしては少しハードな、ランチの会でした。

 小金井市をスタートし、府中市、三鷹市、武蔵野市を歩いて、武蔵野の深い緑の中を18,500歩こなした一日でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

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三本の矢   (bon)

2013-05-29 | 日々雑感、散策、旅行

 三本の矢といえば、昔、子供の頃の教科書に出ていた記憶があります。

中国地方の戦国大名・毛利元就が1557年に3人の子に書いた文書“三子教訓状”から「三矢の教え」として知られています。

「1本の矢では簡単に折れるが、3本纏めると容易に折れないので、3人共々結束すること」という三本の矢の逸話は、
この三子教訓状が基になって作られたともいわれている(ただし、三本の矢の逸話は三子教訓状に記載がない)。
また、三本の矢の逸話は、世界中に類似した話があるといわれ、モンゴル帝国を築いたチンギス・カンが幼い頃に
兄弟争いをした際に母からの教訓としてアジアでは早くから知られており、イソップ寓話にも「3本の棒」という類似の話がある。
(ウイキペディアより抜粋)

サッカーチームの、サンフレッチェ広島はこの三本の矢に因んで命名されたそうで、サンは3本から、
フレッチェはイタリヤ語の“矢”との意味であるそうな。

ところで、ここでのタイトルは、「アベノミクス」でいう、“3本の矢”であり、先日「H氏」から配信いただいた情報記事に取り上げられていたので、
ここに転載させていただきました。

 

産業競争力会議の有識者委員を務める竹中平蔵慶大教授になる記事で、言い足りないのかハッとする内容には感じませんでしたが、
産業競争力会議などで論じられている一面が報じられていると思われます。

注目事項であり、各氏のご意見もあろうかと思いますので、ここに取り上げてみました。

 

***********************************

Voice 2013年06月号 p60-69

        「『東京特区』が日本経済の景色を変える」        竹中 平蔵(慶應義塾大学教授)

 【要旨】日・米・欧を中心に世界金融・経済の最新の動きについて論じる総力特集「お金の流れがまた変わる」の中の一記事。
順調な滑り出しを見せている第2次安倍晋三内閣による経済政策“アベノミクス”は、「三本の矢」と呼ばれる三種の政策で
構成されていることが知られている。
第一の矢である金融政策は実行され一定の成果を上げることができた。第二の矢の財政政策は、道半ばといったところである。
そして第三の矢が成長戦略。本記事は、小泉政権にて経済財政担当相などを歴任し、現政権下で産業競争力会議の
有識者委員を務める竹中平蔵教授が、この第三の矢「成長戦略」の方針と推進体制、具体的な構想、そして阻害要因などについて語るものである。
とくにその目玉ともいえる「アベノミクス戦略特区」と「コンセッション(インフラ運営権の民間売却)」について詳細を述べている。

  ------------------------------------------------------------

 アベノミクス三本の矢のうち一本半(金融政策+財政政策の半分)は放たれたが、残る一本半(財政政策の残り半分+成長戦略)は
これからの課題である。とりわけ、中期的な経済の成長力をいかに高めるかが大きな課題として浮かび上がっている。

  成長戦略に関してつねに二つの考えが示されてきた。第一は、政府ができるだけ大きな自由を民間に与えること、
そして税などの負担を重くしないことだ。これは、「構造改革」派といってよい。もう一つの考え方は、政府ができるだけ多く補助を
民間に与える、という考えだ。いわば「産業政策」派だ。産業競争力会議でも、各議員によって成長理念は斑模様である。
また総じて関係官庁は、自らの権益を拡大できる後者(産業政策)に偏りがちだ。現実の政策にはリアリズムが必要であり、
双方の考えをうまく取り入れる必要がある。しかしその際も、明らかに重点は前者にあるべきだ、と筆者は考える。

  7年で7回も成長戦略がつくられ、それでも成長率が低下したことを考えると、今回の成長戦略はこれまでと次元の
違うものでなければならない。まさに、これで日本経済の「景色が変わる」、と実感できるようなものが求められる。
そうしたなか筆者は、以下の二つの政策提言が、当面の成長戦略の核になると考えている。規制改革の突破口としての
「アベノミクス戦略特区」(仮称)、そして官業の民間開放の象徴としての「コンセッション(インフラ運営権の民間売却)」だ。

  まずアベノミクス特区から考えよう。
特区制度は、一定の地域に限って先行的に規制を改革し、その後にそれを全国に広げようという手法だ。
一例としてこの特区で株式会社の農業への参入が進み、その結果として農業、食品加工、流通などを統合する第六次産業という
概念が定着するまでになった。初期の特区は、明らかにそれなりの成果を挙げたのだ。しかし近年の特区は、地域活性化という考えが
先行するあまり、規制改革が忘れられ、安易な補助金などに頼る傾向が見られるようになった。
さらに、政治のリーダーシップが後退し、特区に対するモメンタム(勢い)が大幅に低下している。

  こうした状況を受けて今回、従来とは次元の異なる特区を設ける方向で準備を進めている。第一は、特区の中身以前に、
特区のつくり方そのものを根本的に変えること。第二に、それを総理主導で行なうことだ。初期の特区の仕組みは、
地方自治体などが国に規制緩和を申し出て、国(政府)が省庁縦割りをそのままにいわば上から目線で「これはよい」「これはダメ」という決定を
する仕組みだった。しかし今回の特区は、総理が国家戦略としての特区を進める仕組みだ。総理の命を受けた特区担当大臣、
地方の首長、そして民間企業などで「三者統合本部」を設ける。この統合本部は、いわばミニ独立政府だ。
さらに、総理を議長とし民間有識者を含む「特区諮問会議」(仮称)を設けることを提唱している。

  このアベノミクス特区の例としてイメージされる一つは、最先端の国際拠点としての東京だ。アジアのヘッドクオーターを
東京に誘致するためには、地域内で外国人医師免許での診察を認める、英語で教える小学校を認めるなど、規制改革が不可欠だ。
また、羽田にもう1本滑走路を設け国際線機能を倍増させる。そして羽田・東京・成田を高速鉄道で結ぶ。
さらには東京の地下鉄を一元化し、都営交通を24時間営業にする。これを実現すれば、アジアの拠点としての東京の景色は
大きく変わるのではないか。

  また、農業拠点特区を設け、輸出に専念した農業にはさまざまな規制を緩和するという措置があってもよいだろう。
日本の農業は間違いなく大きな潜在力を有している。こうした特区を突破口に、日本を本格的な農業輸出国に脱皮させるチャンスだ。

  成長戦略のもう一つの柱、インフラの運営権の民間売却(コンセッション)についても、実現の方向に向かっている。
官が独占しているインフラ運営に民間が参入することで結果的に、サービスの中身が向上し、かつ本格実施すれば、
大きな規模で財政改善に貢献することが期待される。

  コンセッションは2年前に法律が整備されたが、現実に使い勝手が悪い面もあり、十分活用されてこなかった。
また現状の法律では、道路と空港という重要分野が対象外となっている。空港については法律改正が進んでいるが、
道路についてもしっかりと対象に含めることが、今後の重要な課題になる。さらに、ある規模の金額がまとまって初めて民間に
それに本格対応する準備が整う。必要なのは、そうとうに大きな規模でこれを行なうという、政府の明確な「コミットメント」である。
また、そのためのアクションプラン公表が求められる。現在の法律のもとで、総理を議長とする閣僚会議(民間資金等活用事業推進会議)が
存在している。まずは、この閣僚会議でアクションプランを決めることが求められる。

  産業競争力会議において、議論は大きく七つのテーマで行なわれている。この7テーマについてそれぞれ主査を決め、
ペーパーを取りまとめる仕組みだ。かなり縦割りの仕組みである。いくつかの重要な提言も出されているが、現状では
確実に実現できるという目途が立たないものが多い。

  それを阻む要因として、既得権益者の反対とそれを支える一部官僚組織の反対があるが、ほかに二点を指摘しておきたい。
第一は、メディアの歪んだ報道だ。労働の部門で「解雇ルール明確化」の提案が出されたことに対し、あるメディアが「解雇自由化」と報じ、
ほかのメディアが追随している。しかしペーパーにも議員の発言にも、解雇自由化などまったく存在していない。

  第二の阻害要因は、経済界のなかにある。一般に経済界は、改革が自らの問題に及ぶと、抵抗勢力に変身する。
産業新陳代謝の部門で議論された、独立取締役の拡充がそれだ。日本では、成果を挙げられない能力の低い経営者を
辞めさせるというコーポレート・ガバナンスの基本が働いていない。海外主要国のほとんどで独立した社外取締役を
半分程度義務付けるような、強い仕組みができている。しかし日本では、こうした義務付けはないに等しい。
じつは産業競争力会議でも、このような義務付けが議論されているが、いまも財界の一部が強く反対している。
これでは、経営者は雇用の流動化を求めるのに、自分たち経営者の流動化に反対していることになる。

  そもそも、経済成長の実現には、そうとうの長期にわたって地道な制度改革を重ねる必要がある。
そう考えると、6月に示される提言はいわば第一次提言、もしくは緊急提言と位置付けるべきであろう。第一次提言としては、
ここで述べた「アベノミクス特区」と「コンセッション」は間違いなく一つの核となるだろう。
そのうえで、成長への改革論議を継続し改革を続けるという宣言こそが、じつは最大の成長戦略かもしれない。

 コメント: 地域振興の必要のない巨大都市・東京を特区にするという発想は、確かにこれまでの特区政策とは一線を画すものであり、
成長戦略にかける意気込みを前面に表す効果は大きいと思う。
シンガポールや香港と並ぶ国際拠点、といったイメージも明確だ。ただ、東京一極集中に関する議論はあったのだろうか。
単純な意見ではあるが、国際都市としてたとえば近隣の横浜を考えることもできる。
そのあたりも含めて今後の政策提言とそれについての論議を注視していきたいところだ。

Copyright:株式会社情報工場

 

    “オリーブの花”  と  咲き始めた“るりふたもじ”

  

 

 

 

 

 

 

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岸恵子 「わりなき恋」    (mak)

2013-05-28 | 日々雑感、散策、旅行

   



 86歳の知人(元会社の上司)とあれこれと雑談している時に、岸恵子の「わりなき恋」を読んでみたらと、薦められた。2か月前に発刊され一時はなかなか手に入らないぐらいの人気だったらしいが、今なら本屋に並んでいるかもしれないよと言われ昨日本屋を覗いたが増刷中とのこと買えなかった。

 

どうして、この本がこんなにも人気を呼んでいるのであろう。
岸恵子がTVに出ることもほとんどないし、「わりなき恋」 が話題にはなっている気配もない。
TVの視聴者層が若いため、岸恵子が昔の大女優だからといっても無関心であり、視聴率が取れないからTVは取り上げないのであろう。

岸恵子は1932年生まれの81歳で、19歳で映画デビュウしかの大ヒットした映画「君の名は」で松竹の看板女優として絶大の人気を博すようになったのが1953年21歳の時で、その後鶴田浩二と浮名を流し、1957年 25歳でフランス人の監督イブシャンピと結婚、1975年 1児をもうけて離婚。その後も、日本とフランスを行き来して、女優、文筆家として活躍してきた。

この小説のあらすじは:
70歳を目前にした日本とパリを拠点にする女性ドキュメンタリー作家と、12歳下の大企業重役との5年を超える不倫愛が題材になっている。タイトルは、古今和歌集で詠まれた一節にもあるように「理屈や分別を超えて、どうしようもない恋」を意味する。

 早くに夫を亡くした女性は、海外を飛び回る男性と遠距離恋愛を続けていくうちに深い関係になっていく。ただし、十数年ぶりの性交は潤いが足りず、思うようにいかない。意を決して婦人科で治療を受ける場面なども描かれる。70代女性ならではのエピソードだが、男性にかかってくる電話やメールの内容、ささいな一言に、恋心は少女のように揺れ動いていく。

 そこで、どうしてこの本がにんきがあるのか?結論付けしてみよう。

日本は急速に世界一の長寿国となり、元気な高齢者が増えている。「君の名は」に夢中になり、岸恵子をよく知る年齢層は、この本を薦めてくれた私の知人と同じ年齢層である80歳前後以上の高齢者であり、そうした元気な高齢層が「老いらくの恋」を夢見て、渡辺純一の小説顔負けに官能豊かに描かれた小説を求めているのであろう。

長寿高齢社会に突入した我が国の社会現象の一端として、この話題小説に考えを寄せた次第である。

 

 

 

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笹本恒子ー98歳のカメラウーマンの好奇心と情熱      (mak)

2013-05-27 | 科学・生物
知人から笹本恒子の事を知った。 98歳にして、心身共に矍鑠として、30歳は若く見える才色兼備、好奇心旺盛、チャレンジング精神を未だ持つ、すごい女性であると。
71歳にして、報道カメラウーマンとして再出発し、昨年9月に98歳になり、今や引っ張りだこの人気者となっている。彼女からすれば70歳なんて若者です。
今からでも遅くないという気にさせてくれる、元気を与えてくれる好奇心ガールです。
 今年は、パリ郊外の芸術家向け老人ホームを撮影する海外取材に行く計画をしているという。また、社会の片隅でいい仕事をしている無名の方々を撮り紹介したいとか、その視線はどんどん広がっていく。
 肉とワインが大好きで、毎日英語の勉強を欠かさない日課としているというから、こんな女性が世の中にいるのかと驚きである。


大分前から話題の人でしたので、ご存知の方も多いでしょう。興味をひかれたので、ネット情報から抜きだし引用してみました。




 笹本恒子氏は日本ではじめての女性報道写真家です。カメラをとおして戦時下の日本を伝え、戦後はフリーの写真家として活躍、その活動は半世紀を超えます。

 氏が初めてカメラを手にしたのは1940年、日中戦争の真っ最中でした。戦時下の情報宣伝の重要性を感じていた東京日日新聞(現毎日新聞)社会部の林健一氏が「日本は宣伝戦で立ち後れている」と、写真による国外宣伝機関「写真協会」を立ち上げます。そこでは世界各国の写真やグラフ誌をまとめる一方、国内のニュースや文化を広く海外へ発表していました。面白そうだから行ってみないかと知人にすすめられ、笹本氏は思いきって写真協会の門を叩きます。そこで出会った林氏の熱弁に好奇心をくすぐられ、何も知らない写真界に飛びこむ決意をしたのでした。「女性の目をとおして物を見る、女性だけが撮れる写真が必ずあるはず」、その言葉を胸に、男性ばかりの職場に少々怖気づきながらもシャッターを押し、報道写真家としての道を今日まで歩きつづけました。
 順調だったかに見えた仕事も転機が訪れた。毎日、現場に通ってトラックに乗り、撮影したという「60年安保闘争」が終わった頃、長年写真を提供してきた雑誌が次々と廃刊になったのだ。この頃、皇太子夫婦の成婚パレードをきっかけに、テレビが一般家庭に普及しつつあった。また写真家の数が増え、競争は激しくなる一方だった。気がつけば積極的に売り込まないと、仕事が得られない時代に突入していた。
 収入を稼ぐために、職を転々と変え気づくと1970年以降、写真の世界からは完全に遠のいていた。笹本さんが写真家としての復活を遂げるきっかけは、夫が末期がんで亡くなった後の71歳の時、1985年のことだった。昭和時代に撮りためた写真を素材にした写真展開催の話が、にわかに持ち上がったのだ。貴重な写真の数々を紹介した写真展は新聞でも紹介されて大成功。それをきっかけにフリーの写真家として再始動した。






女性社会派写真報道家としての腕前を発揮した写真:

女性だけを招待したストリップショー

ストリップショーが各地で上演されるようになったころ、本場浅草のある劇場では、
これは決して、いかがわしいものではないということを女性に知ってもらおうと、地元の
主婦や女性文化人たちを招待した。
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気象情報ビジネス  (bon)

2013-05-25 | 日々雑感、散策、旅行
先日のテレビで、今や気象情報はいろんなところで活用されている・・との報道があり、
画面では、サッカーの試合会場を取り上げて、試合前から、試合中、終了まで裏方では細かな気象情報を調査して
その対策を講じている様子が報じられていました。
強い風が吹くと、競技場周辺の屋台やテントなどの安全確保、雷雨などの対策、豪雨時の交通確保などなど・・。

 最近では、オクラホマの超大竜巻の被害・・昨年には日本でも大きな竜巻があり多くの犠牲が発生しています。
竜巻などは、子供の頃、話しとして知っていましたがこれほど身近な災害となるとは思ってもみませんでした。


 で、気象情報について改めて調べてみたくなりました。
以下に、ネット勉強による即席解説を記してみます。


 これまで、海運や港湾関係者など特定事業者向けの局地的な天気予報しか民間には認められず、
財団法人「日本気象協会」(一般財団法人化された現在は内閣府が所管)がほぼ独占的に担ってきましたが、
近年、国民生活やビジネスのさまざまな場面で、より多様な気象情報が求められるようになり、
1993年に「気象業務法」が改正され、民間の事業者が気象庁の許可を得て、広く一般向けに天気予報を発表できる
ようになったのでした。
これに伴って、公益法人「気象業務支援センター」が設立され、あわせて新たな国家資格「気象予報士」が設けられ、
民間気象事業者の予報業務は気象予報士の資格者が担当することが義務づけられたのです。

 この結果、1986年にはわずか15社にすぎなかった気象事業者数は、2008年3月31日現在では100以上にまで増え、
同じく128億円だった市場規模も2倍以上の300億円前後にまで達したとあります。

 気象情報の流れ
      (ネットNikkeiから)


 予報業務の許可事業者
      (これも、ネットNikkeiから)


「天気予報の自由化」が実施されて以降、気象情報を加工して提供するさまざまな民間サービスが登場してきています

 気象情報サービス事業者のビジネスモデルは、初期には「B to B」型の企業を対象にしたものが主流で、
例えば運輸業では、船舶の安全運航のための海上気象情報が必須であり、建設業の現場では、雨による工事の延期や工程の変更、
これらに伴う作業要員の配置計画など、天気の変化に合わせた工程管理が重要となります。
また、小売りの現場でも、天候により売れる商品が大きく変わるため、中長期的な気候の変動やその日の天候に応じた、
最適な品揃えや商品の陳列などを調整する販売戦略(ウェザーマーチャンダイジング)が求められています。
 気象情報サービス事業者は、こうした顧客のさまざまなニーズに特化したサービスを開発しています。
“自由化されるもっと以前、今から20年以上も前の話に、『午後2時の気温が26度を超えると、
その日の夕方からビヤガーデンは大繁盛』というマーケティング指標があり、アルバイトやつまみの仕入れを増加したとか・・。” 

 その後、インターネットや携帯電話の普及した現在では、不特定多数の個人を対象に気象情報サービスを提供する、
いわゆる「B to C」型のお天気ビジネスも活発となり、積極的に新サービスの開発に取り組まれ、
業界の先導役となっているのは1986年に設立された“ウェザーニューズ”社だそうです。
 例えば、同社では、携帯電話向けに花粉症対策メールサービスを開始しています。
全国500カ所に設置した独自の花粉計測網を駆使して、「マスクの着用」「クスリの服用」など、飛散量と利用者の自覚症状により、
顧客のそれぞれに対策をメールで助言するというものです。


 元来、「天気」は私たちの暮らしに影響を与えるというだけでなく、企業のさまざまな事業活動の成果を左右する
「リスク要因」でもありました。 企業では、天候の変化や気温の寒暖がビジネスに与えるリスクを考慮して、
気象情報サービスを活用してきましたが、最近では、消費の低迷や国際競争の激化など経営環境が厳しさを増す中で、
「気象の影響による被害を最小限に抑える」「気象の効果を最大限に生かす」といった天候リスク対策の重要性が
高まっているという。
気象情報サービス事業者には、精度の高い予報が求められるとともに利用者のこうした潜在的なニーズを掘り起こし、
付加価値の高い気象サービスを開発・提供していく努力が一層求められているという。


 日本気象協会が提供しているサービスに、“天気予報”(花粉情報、桜、紅葉、スキー情報を含む)は勿論、
“防災情報”(地震、雷雨、台風など)の他、“レジャー情報”として 空港、野球場、サッカー場、ゴルフ場、
キャンプ場、競輪競馬、釣り場などのピンポイント情報が提供されており、さらに“指数情報”として、
洗濯、服装(長袖、Tシャツ・・)、お出かけ(近場とか、雨近し・・)、星空、傘、紫外線などさまざまな指数を
提供していて、面白いのは“洗車指数”などもあり、これは、雨が近いから洗車を見合わせた方が良いとか・・
そんな指数情報が提供されていました。
ちょっとやりすぎ・・みたいな感じでもありますね。

 洗車指数(日本気象協会HPから)
     
        
         指数100が最も洗車に適している




 それにしても、最近のテレビなどの“気象情報”番組では、解説が工夫されていて、かなり専門的な内容も分かり易く解説されたり、
タレント並みの予報士や美人予報士なども多く番組の存在感を深めていますね。




まだちょっと梅雨には早いですが・・
     


One fine day



Love is a many splendored thing

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旧古川庭園  (bon)

2013-05-24 | 日々雑感、散策、旅行

 今日、5月24日は真夏を思わせる暑い日差しの中、園芸友の会では北区にある“旧古川庭園”のバラ園と洋館の見学会でした。

 ここは、これまでに何度か訪れましたが、バラの季節は初めてで朝から多くの人出で賑わっていました。
約90種180株の大輪の素晴らしいバラが整然とした洋風庭園に咲き誇っていました。

          


 数名の専門職人が、これらのバラのお守りをしているのか、まだきれいに咲いている・・と思うような花を
“バサっと”切り落としていたのには、思わず“もったいない・・”といいそうな感じでした。
美しい花を維持するためには、まだもうちょっとというくらいで“バサッと”犠牲を出す必要があるのですね。

          


建物横には、めずらしい“ブラシの木”が咲いていました。
     


 事前に予約されていて、建物の内部見学ができました。
古川財閥「古川寅之助」が、英国人建築家ジョサイア・コンドルに命じて建てたこの洋館は、庭園と共に
大正ロマンを色濃く残した和洋を取り入れた貴重な建物として平成18年に国の名勝に指定されています。

内部を約1時間かけて、案内を受け見学するうち往時の超上流階級の生活や文化が偲ばれてくるのでした。

     施主、古川の寝室から眺めるバラ庭園・・
     


 建築家コンドルは、鹿鳴館や旧岩崎邸なども手掛けて有名ですが、教え子にあの東京駅舎を設計した
辰野金吾らがいたことも、ここでの解説で知りました。

     散策した日本庭園
     


 駒込駅に戻る途中、割烹“岩倉”で、全員少し遅めの“しらす”わっぱめしのお昼をして、蓼科浪漫倶楽部の話題も出たり、
解散するまで園芸談義に花が咲きました。

















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ゴボウの漬物  (bon)

2013-05-21 | グルメ,Romantic cook

 蓼科農園の畑開きで出た“手作りゴボウの漬物”は、さっぱり、歯触り良く箸休めにもビールのつまみとしても
立派な一品でした。

農園での合宿時の食卓は、野菜中心のヘルシーが基調ですが、アフィージョ、パエリアなど
スペイン系イタリア料理なども割と主流となっています。

そんな中で、この“ごぼう”は、ちょっとぴりりとして、その存在感を保っていました。

早速、作り方・レシピを教えていただき、我が家でもやってみました。

 やってみると、割と簡単でした。 タカノツメは、昨年の蓼科農園産を使用しています。

味までは、ブログでお伝えできませんが、大体蓼科での味と同じような感じにできました。

       

手軽ですので、一度やって見られることをお勧めです。

 

 以下にレシピを記しておきます。

ごぼうの漬物のレシピ (by akeno)

 

  ごぼう   500g(大 2本くらい)

  麺つゆ   150cc

  しょう油   50cc

     酢     75cc

   砂 糖   100g

   塩       5g

    たかのつめ  1,2本を細く輪切りにする

 

作り方

①   ごぼうは5㎝くらいの長さに切り、太さにより4~8本の細切りにする
    酢水につけてあくを出す

②   沸騰した湯にごぼうを入れ、ひと煮立ちさせザルに移しあら熱をさます(煮過ぎない)

③   麺つゆ以下の調味料をすべて鍋に入れ、ひと煮立ちさせあら熱をさます

④   ③の中に②を入れ、タレが浸み込むように時々ごぼうをかき混ぜる

 

以上です。簡単でしょう!

ごぼうの量により調味料を増減してください。
冷蔵庫に入れると結構保存ができます。

 

 

 

     

 

 

 

 

 

 

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さつき、やまぼうし など・・  (bon)

2013-05-19 | 花鳥風月

 今日の日曜日、少し汗ばむような季節となりました。 風が穏やかだと、さわやかなとても良い気候です。

今や数少なくなりましたベランダにも、少し彩りが添えられてきました。

サツキツツジ・・ありふれたものですが、大鉢に植えたこのサツキは、最初の頃はよかったのですが、
ここ7~8年というものまばらな花しか付けず、どうしたものかと思案をしておりましたら、今年はどういう訳かこのように
たくさんの花を付けました。
 1本の木ですが、赤、白、赤白まだらなどの色が楽しめます。

少し前の4月初めころは、この鉢にタンポポの花がたくさん咲いていました。

           


ヤマボウシ・・今年も大体同じような花付きです。
成長が早いので、放っておくとどんどん伸びて、ベランダには不向きであると同時に、花はすべて上向きなので、このように剪定をしています。
ハナミズキの仲間らしいのですが、ハナミズキの方は、赤も白も今年は貧弱でした。
大体同じようにしているつもりでも、やはり少しずつ違っていたり、自然条件との違いも影響しているのでしょうか?

           

 

 グミ・・これはいたって元気な種類のようですね。
毎年花がいっぱいつくのですが、それほどきれい・・というよりは、あまり花を見るものではないようです。
例年、奥の方においていて、実が出来ているのも殆ど気に掛けなかったですが、今年は、少し見えるところに・・
他の鉢物が少なくなったから・・注目されるようになりました。
もう少し赤くなりましたら、“グミ酒?”でも作って見ようかナ?

         

 

 かぼちゃとスイカ・・蓼科行き待ちですが、日ごとに大きく育っています。
スイカの方も本葉が出始めてきました。 あと2週間ほどで、蓼科農園の指定席に落ち着く予定なんですね。
            

 

 

 

高校3年の時、音楽の時間に各自自由課題曲を歌う試験のようなのがあった時に、楽譜(ピース)を買ってきて
先生のピアノ伴奏で歌った歌です。

 

 

 

 

 

 

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蓼科農園 春合宿  (bon)

2013-05-15 | 蓼科浪漫倶楽部 畑

今年初めての蓼科農園です。   “畑開き”

例年より2週間ほど遅い5.11~14の日程で、初日は小雨でしたが、翌日のさわやかな快晴に恵まれ、
昨年の霧深い寒さの畑開きに打って変わって、真夏のような良いお天気の中の作業となりました。

 K邸の庭は、春真っ盛り、さくらとこぶしのデュエット
      

 

 久しぶりの3アルプスにはしっかりと雪をいただいた峰々がくっきりと描かれていました。
北アルプスの穂高連峰、中央の御嶽山、南は甲斐駒の勇姿・・そして、今や身近な存在に思える八ヶ岳にも残雪の鋭い筋が
鮮やかに光っていました。

穂高連峰・・大キレットの右には、槍ヶ岳

     

 

 きれいに整地された、“更地”の畑に、畝つくりから始めマルチがけ・・
ジャガイモ、サトイモなどを植え、一部霜に強い野菜の種蒔きをしました。

手際よく作業が進む

     

休憩タイムは楽しい語らい~

     

 

3泊4日の畑開きは、既に筋肉痛が始まるなかにも充実した達成感とともに、今年一年のスケジュールなどの計画も立て、
“いよいよ今年も、始まった・・”のでした。

春合宿の成果

     

 

楽しい畑開きのオートスライドです。

 

 

 

 

 

 

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だんない   (bon)

2013-05-10 | 日々雑感、散策、旅行
方言のようなんですけど、わかりますか?

先日アップしましたが、“ゆつゆつ”という言葉を子供の頃に我が家では使っていたのですが、関西の人も、
あまり使ったことがない・・という人が多く、ひょっとして“我が家の方言かも?”なんて、長い間はっきりとしませんでした。

今日の、“だんない” ももう一つ“ずつない”もそれらの一つなんです。あれから思い出したものですから、追加で調べてみました。
どちらも、ネット検索しましたらすんなりと出てきましたのでホッとしています。


“だんない” ネットには、京都、大阪、高松、四日市あるいは近畿地方の方言とありました。
いずれも、「大事ない」などからの転移?で、“差支えない”“かまわない”“大丈夫”というような意味とありました。 
“そんな小さいことの一つや二つだんない、だんない”のように使っていましたね。

同じような意味で“かめへん”(かまわない、大丈夫)という方言もあります。“かまへん”とか“かまひん”などという人もいますね。

どちらを使ってもいいように思いますし、大差ないように感じますが、強いて言うなら“だんない”のほうが“かめへん”よりも古い言い方かもしれません。


“すつない” 近畿地方では、“お腹や胸がいっぱい”という意味につかわれていますね。

“お昼からいっぱい食べて、ずつないヮ”という感じで、食べ過ぎたりして動くのもシンドイようなときに使っていましたが、
あまり上品なことではありませんね。 
 ネットで見ていましたら四国高知あたりでは、“つらい”“困った”“なすすべがない”“苦しい”という意味で
つかわれているとありました。“あぁ、怪我したきに、ずつねぇ”がその例として出ていました。
これは、“術ない”から転移した?ともありました。


“めばちこ” ネットを見ていましたら、こんな言葉も出ていました。 
これも懐かしい言葉で、久しぶりに聞いた感じですが、意味は“ものもらい”ですね。医学的には“麦粒腫”です。

ウイキペディアには、“「ものもらい」や「めこじき(めかんじん)」の呼び名は、かつての日本に他人からものを恵んでもらうと
この病気が治癒するという迷信が存在したことに由来する。
「めばちこ」は、この病気の患者が目をぱちぱちさせる様に由来するのではないかと推測されている。”とありました。



 明日から、ことし最初の蓼科農園の作業が始まります。 メンバは久しぶりの自然農園での合宿に胸の高まりを覚えていることでしょう。
 標高が高いので、5月といっても、まだ霜の心配がありますが、比較的寒さに強い“レタス”の苗を3つばかり
お試しで持って行ってみます。

昨日の、苗の状態です。 かぼちゃは発芽100%でしたが、スイカは50%でした。カボチャ、スイカは、次回に持参しようと思っています。

すくすく育っているかぼちゃ
      

発芽率50%のスイカ
      

少し大きくなっているレタス・・このうち大きめの3つを持参する予定
      


















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おやつ  (bon)

2013-05-08 | 日々雑感、散策、旅行
先の端午から子午線、丑三つ時・・と来て、さらに、これの延長線で“お八つ”、“暮れ六つ”など、
時間を表す言い方に興味が発展してきました。
 どうでもいいことですが、ついでですのでちょっと調べてみました。


“不定時法”という時刻を決める方法があります。 
現在我々が使用しているのは、一日を24等分した“定時法”で決められています。 
不定時法というのは、室町時代ころから使われている“時刻”で、日の出から日没までを6等分して、
明け六つ、五つ、四つ、九つ(正午=太陽が南中する)、八つ(おやつ=午後2~3時頃)、七つ、暮れ六つ(日没)、
五つ、四つ、九つ、八つ(丑三つ時)、七つ・・そして、明け六つに戻る。


一度、聞いたくらいでは、どういうことか判然としないかもしれませんが、時計のなかった時代に、太陽が出て、
沈むまでを6等分して、刻をきざみ、同じようにして日没から次の夜明けまでを6等分するやり方ですね。
(ネットから)


 西洋でも、古代にはこれと同じ考え方で、ただ、6ではなく12等分していたそうですね。中国などでも似た考え方だったそうです。
つまり、人々が生活する上で、太陽が出ているかどうかが中心でしたから、それに便利なように“時”が定められていた。


 これらを分かり易く表した図がネットにありましたので、ここに引用します。

  それぞれ、夏至  と  冬至 の図です。 
        (いづれもネットから)

 
 図にも示されていますように、日の出~日没なので、夏と冬ではその長さが当然違っていますから、
それぞれ昼の時間と夜の時間には最大で4時間くらいの差があったのですね。
しかし、日常生活の上では、この方が理にかなっていたのかもしれません。 現代のように、深夜族とか、
とにかく昼も夜もない・・というか、太陽があるとかないとかそのような事象とは無関係に事が運ばれていることが、
むしろ“異常?”というか、“自然的”“エコ的”ではないのかもしれません。


 それで、“おやつ”というのは、今は、“お三時”とかいって、お菓子を食べたりしますが、もともとは、
江戸の頃は、一日2食が普通だったころ、どうしても午後2~3時頃には小腹がすいてくるので、“お八つ”(午後2~3時頃)に
間食する習慣があった・・これが、お八つとして今日に繋がっているのですね。

 “おさつ”・・往時、このお八つにオサツ、つまりサツマイモの蒸かしたのを食べたりしたそうですが、
サツマイモが栗に近いということから“八里半”つまり、九里(栗)に近いということから、こう呼ばれていたとか。
その後、品種改良したり、おいしい焼きもにしたりして、“栗よりうまい、十三里”などとしゃれて呼ぶようになったのだそうです。
十三里は、九里+四里うまい・・というのですね。


 日の出から日没までを6等分する・・ことはわかりましたが、なぜ九つから四つまでなのか?については、
いろいろ調べてみましたが、判然としません。 ただ、陰陽説によると奇数が”陽”、偶数が”陰”として、
最も大きな奇数”9”が一番パワーがある数字としてこれを正午(太陽の南中)と真夜中に当て、そこから6等分して、
9×1=9、9×2=18、9×3=27、9×4=36と来て日没を迎え、そこから夜に入り、9×5=45、9×6=54とまで来て、
その次は、“真夜中”となりますから、最大パワーの9を当てる。 
上の計算で、一の位だけをとって、九つから四つまできて、次は九つに戻っているのですね。


 ネットにも、落語“時ソバ”を引用した部分が出ていましたので、このくだりを、振り返ってみます。
 「屋台のそばを食べて、代金16文を払うとき、小銭しかないといって、一つ、二つ、三つ・・と数えて、
八つまで来たときに“おやじ~いま何時だい?”“ヘイ、九つでぃ” テンポよく十う、十一・・と十六までいって、
一文をごまかす。  それを見ていた、番頭が同じようにやって見たくてしょうがないので、わざわざそばを食べに行き、
うまくもないそばにあたったが、果たして支払う段に来て、一つ、二つ、三つ・・と来て、八つまで来たとき、
“おやじ、いま何時だぃ?”次に九つと来ると思いきや、丁度その時刻は“四つ”だったので、“へい、四つです”
というのを聞いて、五つ、六つ・・と数えてしまったために大損をするという話ですね。」
九つの次は四つなんですね。

お後がよろしいようで~

















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午(ご)にまつわるお話   (bon)

2013-05-06 | 日々雑感、散策、旅行
昨日、5月5日の記事で、端午の節句をあげた時、“午”についてもう少し調べてみたくなりました。

干支でいう“午”は、動物では“馬”を当てていますが、その昔、中国秦の時代には、
“午”は“鹿”で、“未”が“馬”を当てていたとありました。

 で、“午”について気になったのは、“正午”、“子午線”、“午前・午後”、“午餐”、“午睡”など、
時刻や方角などに関する言葉がたくさんあり、それがどのようなことでそのようになっているか・・?でした。


 やはりこれは、何と言っても干支のことですから、図のように干支を時計回りに描いてそれに
時刻をあてはめてみますと、

(ネットから)

十二支のそれぞれが2時間刻みであることから、“子”は、23~01時、“丑”は、2~4時・・という風に進んで、
“午”は、11~13時となりその中心が12時(昼の12時)で“正午”その前が、午前で後は午後・・当然ですね。
午餐、午睡は、午後のことなんですね。

 話は飛んで、am、pmは、ご存じのとおり、ギリシャ語で午前はante meridiemで、午後は post meridiemの
それぞれ略字です。


ついでに、“丑三つ時”というのがありました。 〽・・東山三十六峰、草木も眠る丑三つ時・・〽 
徳川夢声でも出て来そうな語りですが、この“丑三つ”は、図から“丑”が1~3時で、その間(2時間=120分)を
4等分しますから、“三つ”は、30×3で、午前2時半頃を指しているのです。
だから、草木も眠る~。


 また、方位では、“鬼門”というのがありますが、これは、丑のような角を生やし寅のような皮の褌をしている
“鬼”と見立てて、“丑寅”の方向、つまり北東を指していますし、
粋なところで“辰巳芸者”という言葉が聞かれますが、これは、江戸城から見て深川あたりが“辰巳”の方角、つまり南東にあたるから。
ウイキペディアには、「辰巳芸者(巽芸者、たつみげいしゃ)とは、深川仲町(辰巳の里)の芸者を指す。
この地が江戸城の南東に位置したことから。日本橋葭町の人気芸者、菊弥が移り住んで店を構えたことに始まる。
幕府公認の遊里ではないために、巽芸者は男名前を名乗り、男が着る羽織を身につけていた・・」 
「舞妓・芸妓が京の“華”なら、辰巳芸者は江戸の“いき”の象徴」とも・・。



“子午線”というのは、図から“子”と“午”を結ぶ線で、地球の北極と南極を結ぶ線を言っているのです。
赤道方向のことは“卯酉(ぼうゆう)線”となるが、あまり言いませんね。

イギリスのグリニッジ天文台(1675年設立で現在は史跡)を通過する子午線を経度0度として、
それを基準に、日本では明石を通過する“東経135度”が日本の標準時と定められていますね。

(グリニッジ天文台 ネットより)

おおむね180度の太平洋上が日付変更線とされています。
昔、この線を飛行機で通過した時、機内で“日付変更線通過記念”の色紙をいただいたことがありました。
のどかな時代でしたね。



干支の話に戻れば・・
 新しく復元された東京駅丸の内駅舎の北口、南口にあるドームの天井内側、円周に添って、
十二支のレリーフが飾られていますが、東西南北を示す四つの干支(卯、酉、午、子)は、外されています。
つまり、東京駅舎の8角形ドームには、この4つの干支以外のレリーフが飾られているのです。
残る4つはどうしたのか?
東京駅丸の内北口ドーム天井
      

実は、設計者である辰野金吾の出身地、佐賀県にある、国の重要文化財、武雄温泉楼門(佐賀県武雄市)に
施されている四つの干支のレリーフが、残る四つの干支(卯、酉、午、子)で飾られているのだそうです。
同じ建築家の作品で建築時期も近い(1914~5年)、双方を合わせると十二支が完成する・・
設計者の“遊び心”かも知れないといわれているのです。
 


 最後に、ウイキペディアに面白い話が出ていましたので、そのまま引用させていただきました・・・

「いつ頃生まれた話かは不明であるが、十二支の動物に関しての逸話がある。そのいきさつとしては次の2通りの逸話がある。
 •お釈迦様のもとに新年の挨拶に来た順番に動物を割り当てた。
 •十二支の動物を指定日に挨拶に来た順番に決定する、というお釈迦様の招集により集まった。

そして次のような結果がもたらされたという話になっている。
 •牛は足が遅いので早めに行ったものの、一番乗りしたのは牛の背中に乗っていた鼠だった。
 •鶏が猿と犬の間になったのは仲の悪い両者を仲裁していたため。
 •鼠は猫に挨拶に行く日を尋ねられた際に嘘をつき、実際よりも一日遅い日を教えたため、
猫は十二支に入ることができなかった。それを根に持った猫は鼠を追いかけるようになった。
 •猫は鼠の嘘を信じて一日遅れて挨拶に行ったため、お釈迦様から「今まで寝ていたのか。
顔を洗って出直して来い」と言われ、それからよく顔を洗うようになった。
 •13番目であったために十二支に入れなかったイタチをかわいそうに思ったお釈迦様は、毎月の最初の日を
「ついたち」と呼ぶことにした。ただし実際の「ついたち」の語源はこの逸話からではない。
また、13番目の動物はカエルやシカであったという逸話もある。」
















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5月5日   (bon)

2013-05-05 | 日々雑感、散策、旅行
大型連休・・今年は、中間がお休みではなくて、前半後半に分かれた格好で、
この日は後半のちょうど真ん中にあたります。
やや気温は低めですがお天気も良く、子供や孫たちと一緒にどこかにお楽しみかも知れませんね。
この日に因んだいくつかの事柄を拾ってみました。


こどもの日  真っ先に思いつくのは“こどもの日”ですね。 
これは、「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」ことを趣旨とした
国民の祝日とあり、1948年(昭和23)に、“国民の祝日に関する法律(祝日法)”で、15の祝日のうちの一つとして
制定されました。 祝日は、その後追加・改定が行われてきています。
そして、この日から11日まで児童福祉週間が行われるのですね。  また、この前年には、“児童福祉法”が制定されています。
戦後、国の再生の重要な案件の一つとして、“こどもと母”に視点が置かれていたのですね。 

      (ネットから)


端午の節句  端午とは、端(初め)の午(ご)の日という意味で、毎月この端午(初めの うま )はあるのですが、
“午(ご)”を“五”に重ね合わせて、五が二つ重なる5月5日を端午の節句としたとあります。
日本の端午の節句は、古く聖武天皇(724~749)の時代からあるそうで、続日本書紀によれば、
この1日、菖蒲を飾り物にしたとあります。当時、菖蒲やよもぎは、薬草で一切の悪を除くといわれていたのだそうです。

 そして、菖蒲(しょうぶ)が尚武となると、端午の節句は、男子の祝日となりいわゆる五月人形などを飾って
お祝いしたのですね。

      (ネットから)

 ところで、今年の5月5日は、ひつじ の日で“かのと ひつじ”で、“うま(午)”は、前日の4日なんですね。
 また、“初午”というのもあり、子供の頃おふくろが“今日は初午”といって、神棚にお供えをしていた
ことを思い出しましたが、この初午は2月の最初の“午”の日なんですね。

 話は飛びますが、“酉(とり)の日”なども、商売筋ではこんにちも“お酉さま”といって、
11月に、二の酉とか三の酉とか言ってお参りしますね。


立夏  二十四節気の一つで、太陽の黄経45度の時を言います。
5月5~6日で、今年は5日が立夏です。
この頃になると、春色が褪せた感じになり、爽快な夏の気色が立ちはじめる季節ですが、
今年ばかりはまだまだ肌寒さが残る立夏ですね。
 それでも、日照時間は驚くほど長くなり、草木、作物は驚くほどの速さで伸びてくるのですね。
良い季節の到来です。

その他のお祭り・祭事  京都賀茂競馬、浅間神社流鏑馬祭、久留米水天宮祭、香取御田植祭、
相模の大凧揚げ、東京府中暗闇祭、石川県の白山比神社梅が香祭などなど各地で祭事が催されています。


 東京ドームでは、長嶋、松井両氏の国民栄誉賞授賞式が予定されています。















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ロスのオーガニックマーケット

2013-05-04 | 日々雑感、散策、旅行
オーガニックを掲げるマーケットが多く見かけますが、
その内の一軒に行ってきました。
オーガニックの基準がわからないのですが、
たぶん野菜の多くは農薬(減農薬?)は使われていないのでしょうかね?

野菜の種類も豊富で山積みされています。
サニーレタスなどは1ドル29セントと安いです。
セロリーは量り売りです。


果物もリンゴなどは日本に比べて小さいですが、手ごろな値段で売られています。


マンゴウやブドウも並んでいました。



野菜の苗がジャパニーズトマト、ピーマン、シシトウなど売られていますが、
2,99~3.99ドルと日本に比べて高いです。

これらの食品には消費税がかからないので、
野菜たっぷりの生活するにしても
安くて済ませるのではと思いました。
もちろん肉もリトル東京のジャパンスーパーでも
100g100円ぐらいのお肉が沢山並んでいて
すき焼き用を買って食べましたが美味しかったです。

食生活の物価は日本のほうがやはり少し高いとおもいました。




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