蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

アルファベットの“a”  (bon)

2014-03-31 | 日々雑感、散策、旅行

突然、何これ・・!

 実は、もう大分以前から、この “a” が接頭語(辞)として付くことによって意味が変わる・・
時には asymmetry のように正反対(symmetry)の意味となる単語があることに気が付いていて、
一度調べてみたいナと思っていたのです。

 英和辞典など殆ど引きませんし、時に英語の意味を引いたり、綴りを確認したりする場合でも “ポケット英和” の
お世話になるくらいで、 “岩波英和大辞典(1970.1.30)”  をとりだすことは先ずありませんでした。

 それが今回、実に2時間以上もそれと取り組んでいました。 
テレビでは、“センバツ”  の大阪履正社の試合が流れています。

 

 前置きが超長くなりましたが、まだ完ぺきではありませんが、一応調べてみました。

                                               (ネット画像)

 

★もともと単語の “a” の意味は、もちろん、アルファベットの第1字、不定冠詞として、1つの、ある、どれも・・
などの意味ですね。

 例:This is a pen.  A pound of butter   a dog is a faithful animal

 

★接頭語(辞) “a-” での意味は次のように説明されています。

 ① in , on , to , into , toward などの意味が与えられて、位置、運動、状態、時間、様態などを示す
  とあります。

  例: aboard=on board   ashore=on the shore   alive=in life    abroad(海外へ)    
        apart(ばらばらに) aloud(大声で) nowadays(現今、当節) amain(力いっぱい)

  ② away , out , up などの意味が与えられてもいるが、強調の意として用いられる。

   例:   arise   awake

   ③ off , from , of の意味が与えられている。

  例: adown(=down) athirst(渇望して) akin(同族の) afresh(もう一度、改めて)

  ④ 接頭語 “ad- , as-, ac- , af- , ag- ”に変化して、運動、方向、変化、固着、付加、接近、増加、開始
   などの意味が与えられたり、単に強意を表すとあります。

   例: address   addition   ascribe    aspire    account

  ⑤ 接頭語ab-に変化して、from  , away , off などの意味が与えられる。

   例: abnormal   abdicate(放棄する)

  ⑥ not  withoutなどの意味が与えられる。

   例: asynchronous(非同期)  asymmetry(非対称)

 

ちなみに・・
 mature(熟した)の反対は、immature(未熟な)で、amatureではありません。
amateur(素人)は単語が違います。(念のため)

 

 これらの例は、もっともっとたくさんありますが、追い切れません。 今後、何かの機会に英単語に出会った時、
このような接頭語、接尾語等の存在にも注意してみたいと思いま
す。


 NHKで、元陸上の為末選手が案内役として構成された番組 “アクロス・ザ・ボーダー” がこの26日に
放映されていましたね。   

 

 

 

 

 

 

 

 

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再審開始決定  (bon)

2014-03-29 | 日々雑感、散策、旅行

袴田事件の事です。

 これまでも、いくつかあった重い事件に関して、再審―無罪などのれいもありましたが、
あまり深い思いを巡らせたことはありませんでした。

 一昨日の報道では、証拠不十分と判定され 再審が決定と告げていました。
有罪の最重要証拠とされた5点の衣類が取り上げられていましたが、証拠不十分とされた理由が、
“衣類のサイズが合わない”、 味噌樽に漬けられた “下着” のシミが不自然である、 “血痕のDNA鑑定” が
一致しないなどという。
事の真相は知る由もありませんが、結果的に見ると、なぜこれらのことに、死刑判決から46年も要さなければ
ならなかったのか?  そこに、大きな疑問と憤りににた感情を禁じ得ないのです。

 死刑囚として46年間も、執行されずに拘置され続けてきたのは、やはり何か決定づけるものに欠けていた
ためであり、この事が守られてきたことは、密室での筋書きのみで進められていないとの公平な安心感は
感じられるものの、やはり、なぜ46年も・・ という疑問を払しょくするに至らないのです。

 事件が起きたのが、昭和41年というと、私は入社3年目で、札幌に赴任した年でした。
あれから、48年という歳月はあまりに長きにわたっていますが、被告として自由を制限され、しかも死刑囚という
想像できない不安を抱えた46年はどんなものだっただろうか?

 一家4人を殺害するという凶悪な事件を裁くわけですから、それは並大抵のことではないと思いますが、
そうだとしても46年というのはいかにも長い。 
懸命な努力、総合的な専門的知識、正しい判断が行われる司法にあって、おそらくそこに “メンツ” のような
潜在意識は全くなかったかどうか?

何ともやりきれない思いが残ります。

                          
                                          (ネット画像)
 

 

報道記事、YAHOOニュースから引用しました。

 “袴田さんは黄色い半袖シャツにベージュのズボン。かつての面影はあるものの、髪は白髪交じりで、
約半世紀の年月を感じさせた。

 弁護団によると、秀子さんと2人の弁護士は午後4時ごろ、袴田さんと2010年8月以来の面会を果たした。
アクリル板越しに再審開始の決定文を見せると、袴田さんは最初に 「うそだ」 と話し、「袴田事件は終わった。
もう帰ってくれ」といら立ちを見せた。

 約1時間後、秀子さんは目を潤ませながら 「巌」 と肩をたたき、「やっと出てきたね」と声を掛けると、
袴田さんは「うんうん」とうなずいたという。

 半袖シャツで寒くないかと問われると、「寒くない寒くない」と答えた。ただ、長期間の拘置による影響か、
十分な意思疎通は難しいといい、表情に変化もなく、独り言が多かった。

 拘置所を出た後はほとんど話さず、車の中から外を眺めていた。途中で車に酔い、都内の駐車場で休憩を取った。
外に出た袴田さんに、弁護人が「釈放されたことが分かるでしょう」と問い掛けると、「ありがとう」と話したという。”

 

元プロボクサーの頑強な身体も長期間の拘置で、車酔いを起こして一時休憩をとったという。

 事件の被害者の無念は言うまでもありませんが、犯人としてこのように長期間にわたる拘置もまた、
裁判という犯人のいない公然犯罪?の被害者かもしれないのですね。

 

 

 

 

 

 

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ヒスイカズラ  (bon)

2014-03-27 | 花鳥風月

 漢字では翡翠葛 と書き、フィリピン原産のマメ科のツル性の熱帯植物で、日本では植物園(温室)などで
見ることができるのです。
小田原フラワーパークではトロピカルドームで今、見頃を迎えているようで、小田原に住む親せきが、
このほどその落下した花を送って来てくれました。

 花の色は文字通り、宝石のヒスイ色をしていて、花の大きさは5㎝ほどで、オウムの嘴に似て、
その花が房のように40cm余りに、時には1mも垂れ下がって豪華で見事な姿になるのです。

英名は、Jade vine ( ジェイド・バイン)といい、絶滅種に指定されているそうです。

   ヒスイカズラ(ネット画像)
           

 

 
 で、送られてきた3つの落花を早速、小さなガラス容器に水を張って浮かべてみました。

                  水に浮かんだヒスイカズラの花
                      

 


3日ほどで、花は茶色く変色しました。

花言葉は、“私を忘れないで” というのだそうですが・・
花の豪華さからは、ちょっと合わない感じもしますね。

 

 

 

 

 

 

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電気記念日  (bon)

2014-03-25 | 日々雑感、散策、旅行

今日、3月25日は電気記念日です。

明治11年(1878年)3月25日、日本で初めて電灯がともされました。

 この日、工部省電信局が、万国電信連合に加盟する準備として東京・木挽町に電信中央局を開局し、
その開局祝賀会を東京・虎ノ門の工部大学校(東大工学部の前身)の講堂で開催されましたが、
その時のサプライズとして電燈が明々と灯されたのでした。
その下りは、次のように語られています。

“祝賀会は、大臣や各国公使など150名を越える人々が招かれ、盛大に行われました。夕方、大学校の
車寄せには、多くの来賓を乗せた馬車が次々と到着し、玄関から2階の講堂へ案内されていきました。
会場には、電気灯を使用するよう、工部卿 伊藤博文から特に命ぜられていた英国人エアトン教授は、
グローブ電池50個を使い、講堂の天井に設置されたアーク灯(「デュボスク式アーク灯」)を点灯するため、
自ら難しい調整にあたっていました。

 やがて6時、エアトン教授の合図とともに、目もくらむような青白い光がほとばしり、講堂をくまなく照らし出しました。
その場にいた来賓たちは、「不夜城に遊ぶ思い」 と驚嘆の声をあげたといいます。
これが、日本で電灯が公の場ではじめて点灯された瞬間でした” と・・。

              アーク灯
                       (ウイキペディアより)
 


 わが国で市民が公の場で初めて電気による光を目にしたのは、この日から4年後の明治15(1882年)
のことです。
東京電灯会社が銀座二丁目の大倉組の中に創立仮事務所を置き、事務所の前に設置した宣伝用の街灯を、
点灯しました。 この時は電池ではなく、米国製のブラッシュ発電機を用い、2,000燭光のアーク灯が使われました。
当時の新聞は「見物の群集は市街に満ち」と報じ、その時の様子を描いた錦絵も登場したのでした。

                街角アーク灯
                     (ネット画像)


 昭和2年に開催された日本電気協会の総会において、3月25日を「電気記念日」と定められました。
以来、毎年3月25日頃に全国各地でさまざまな記念行事が開催されることになりました。
 

 初めて日本にアーク灯がともった翌年、1879年10月21日には、米国でエジソン が白熱電球を発明しています。
そして、日本にも輸入され、明治19年(1886年)には東京に電灯会社が生まれ、電灯に動力にと、
電気の時代が幕を開けたのでした。

 電力需要は、急激に伸び、それを賄う発電方式も、水力、火力、それも石炭、石油、天然ガスと拡大され、
その後原子力が増強され対応してきましたが、近年、太陽光、風力などの自然エネルギー開発への取り組みが
進み、とりわけ 3年前の東日本大震災を契機として、原子力発電が安全性の点から大いに見直されるとともに、
自然エネルギーへの期待が一段と高まって来ています。

 経済産業省エネルギー白書によれば、1次エネルギーの国内供給推移と発電設備容量推移は、
図のようになっています。 (いずれも、経産省HP白書より)
色別、順序などが両図で異なっていますから、見にくいですがじっくりとご覧ください。

 1次エネルギー供給推移                 発電設備容量推移  
   

 

 話は固い方に行きましたが、京都の石清水八幡宮にある“エジソンの碑”は、この地の竹(孟宗竹)が
世界最高のものとして、最初の白熱電灯のフィラメントとして10年以上も用いられたことにちなんだもの
だそうです。

                エジソン碑(石清水八幡宮HPより)
                    

 

 この頃の時代・・明治5年は、“♫汽笛一斉新橋を~” 、明治2年に電信開通、明治10年西郷隆盛の
西南戦争起こる  同じく明治10年東京大学開校  明治11年に東京株式取引所開業・・
新しい日本が生まれつつありました・・。

    “タンゴ夜明け”

Juan D'arienzo - El amanecer.

 

 

 

 

 

 

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ふくらはぎ  (bon)

2014-03-23 | 日々雑感、散策、旅行

19日の夜、ふとんに入って、何気なく NHKラジオ深夜便 を聴いていたら、
ふくらはぎについて話されていたのでした。

 ふくらはぎ は2足歩行をする人間にだけあるのだそうで、牛や馬、その他の動物の足には ふくらはぎ 
はないという。 それは足が4本あるから・・。そういわれれば、そうなんだ~

 この ふくらはぎ は、血流に対して “ポンプ” のような役割をも果たしているというようなことが話されて
いたように聞こえて、何でも健康に敏感だとか、第二の心臓だとか・・重要そうな話題でしたので、
早速、例によって調べに入りました。

 子どもの頃、母親は、“ふくらはぎは血が集まっているとこだから、あまり揉むようなことはせんほうがええよ”
といっていたような気がしますが、これは違っていたのですね。

また、当時、ふくらはぎのことを “こむら” とか “こぶら” なんて言っていたようにおもいます。

 

 ラジオ深夜便では、“ないとエッセー” のコーナーで、お話は、鍼灸師の槇孝子さんという方でした。

で、ネット検索をしてみると、何と 槇孝子鍼灸師 の関連記事がたくさん出てきました。
「ふくらはぎをもみなさい」という著書もありました。その他の本とかも、たくさんありました。

             


“直立二足歩行を始めた人類が重力に抵抗し、血液循環を成立させるための武器として手に入れたのが、
ふくらはぎです。すなわち、足先に流れた血液を、ふくらはぎ の強靭な筋肉群が力強く押し上げる。
その勢いを受けて静脈全体の流れが活性化し、血液は滞りなく心臓に戻される仕組みになっているのです。
ふくらはぎは心の状態をデリケートに映し出し、ホルモンバランスや自律神経の乱れを教えてくれるのだ
そうです。例えば、悩みやストレスなどで心が疲れると、ふくらはぎが引きつったり硬くなったりします。
ふくらはぎは足の血液を押し上げる第2の心臓として働きながら、心臓の働きをコントロールしている
高度な器官。
人間は健康なふくらはぎなくして、血液循環を正常に保つことはできないのです”

これがもととなっているのですね。

そして、次のようにまとめられていました。

 健康なふくらはぎは以下のような状態のふくらはぎです。

①ふくらはぎに触れた時に適度な体温を感じられる 。
②ふくらはぎの力を抜いた状態で押して見た時に全体が柔らかくて弾力性のある状態。
③皮膚自体に張りとツヤがあり、押した時に気持ち良く感じられる。
④ふくらはぎの部分部分にコリッ!とした塊が無く深く押し込んだ時に奥の方まで柔らかい 。
⑤押し込んだ指を離すと瞬時に元の状態に戻り適度な弾力を持っている。

健康でない時のふくらはぎは・・

①ふくらはぎに触れた時に熱を持った感じがする。
②ふくらはぎを指で押した時に硬い状態。
③ふくらはぎに触れた時に体温よりも冷たく感じる。
④ふくらはぎに全く弾力性がない。

 

 本には、マッサージの仕方など分かり易く解説されているようですが、
簡単そうですから、完璧でなくても自分でもできそうな気がして、思い出したらやってみようかな~。



イパネマの娘  The Girl From Ipanema - Astrud Gilberto

 

 

 

 

 

 

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仮面の女神  (bon)

2014-03-21 | 日々雑感、散策、旅行

 蓼科浪漫倶楽部が活躍する場のメインの一つは、長野県茅野市にある “蓼科農園” です。
そのすぐ近くで、何となく馴染み深く感じる “尖り石縄文考古館” の重要文化財(平成18年指定)、
土偶 「仮面の女神」 が、このほど(3月18日)、文化審議会が国宝として文部科学相に答申しました。

これで、同館のもう一つの有名な土偶 「縄文のビーナス」 に続いて国宝に指定されることになります。 
土偶として国宝に指定されるのは、全国で5例目だそうです。 土偶の写真は全て、同館のHPから引用しました。

       仮面の女神   正面            横
                  


               縄文のビーナス(1995年国宝指定)
                           

 

 早速、尖り石縄文考古館のHPの解説から該当部分を引用しますと、

 “「仮面の女神」の愛称をもつこの土偶は、茅野市湖東の中ッ原遺跡から出土した、全身がほぼ完存する
大形土偶です。 全長は34センチ、重量は2.7キロあります。 顔に仮面をつけた姿を思わせる形であることから、
一般に仮面土偶と呼ばれるタイプの土偶です。 今から約4000年前の縄文時代後期前半に作られました。

 遺跡のほぼ中央にある、お墓と考えられる穴が密集する場所で、穴の中に横たわるように埋められた状態で
出土しました。 右足が壊れて胴体から外れていましたが、これは人為的に取り外したことが明らかになりました。
お墓に一緒に埋納されたものか、あるいはこの土偶だけが単独で埋められたものかは、今後の研究を
待たねばなりません。

 「仮面の女神」の顔面は逆三角形の仮面がつけられた表現になっています。細い粘土紐でV字形に
描かれているのは、眉毛を表現しているのでしょうか。その下には鼻の穴や口が小さな穴で表現されています。
体には渦巻きや同心円、たすきを掛けたような文様が描かれています。足には文様はなく、よく磨かれています。”  
とありました。

 また、同考古館は、国宝への指定を記念して、3月19日~23日まで入館無料とされました。 


 この考古館は、畑から近くにありますから、畑作業を中断した日に見学したりしたこともあり、2010年5月には、 
“園芸友の会” の皆さんとの畑交流会を実施した時にも みんなで訪問し、これらの土偶の他、 “縄文人になろう” 
体験コーナーなどもあり楽しく、満足しました。

 また、今回、国宝に答申された土偶と、すでに国宝に指定(1995年)されている土偶 “縄文のビーナス” は、
共に、2009年にイギリス大英博物館に展示されたのでした。



  いつもお世話になっている“縄文の湯”
     (ネットから)

 

            いつだったか~玄関前にて・・
                   

 

 

シバの女王 レーモン・ルフェーブル La Reine de Saba

 

 

 

 

 

 

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筆順について  (bon)

2014-03-19 | 日々雑感、散策、旅行

 今、小学校などで教えられている筆順は、昭和33年に刊行された “筆順指導の手引き” が基準となっている
という。 これが基になって “文部省初等中等教育局初等教育編” が刊行され、多くの辞書や参考書などに
転載されているのですね。

 しかし、この本の冒頭にある “本書のねらい” には、「学習指導に混乱をきたさない配慮から定められた
ものであって、ここに取り上げていない筆順について、これを誤りとするものでもなく、また否定しようとする
ものでもない。」 とうたわれているそうです。

 阿辻哲次氏(京都大学大学院教授)によれば 、“もともと、この手引きに載せられている筆順は、
書道で漢字を書く立場から決められたそうで、それは書道での文字の美しさを求めるところにあったというから、
これをそのまま小学生が学ぶ漢字の筆順として決めつけるには無理がある”  と述べられている。

 漢字の筆順が試験問題にも出され、国語の成績として評価されるというのは、以上の事から言えば
少々的はずれのような気がしないでもありません。 教えられた通り “記憶しているか?” を評価するのであれば
もっともですが・・。

 阿辻氏が言うには、たとえば “上” という漢字の筆順は、先の手引きでは、“縦・横・横” と示されていますが、
一般に “横・縦・横” と書く人もかなりいるのではないか。 実は私は後者であり、試験されたら狭い見方では “×” であります。 また、“右” と “左 ”の筆順について、これは私は手引き通りの筆順
(はらい→よこが右で、よこ→はらいが左)
ですから大丈夫ですが、氏は、“上” も “左右”も別に“正しい” 
とか “間違い” とかと決めつける問題ではないのではないかという。
実は、手引きにもこれら “上” “左右” の他にも、いくつかの漢字については “
どちらでもOK” とされているのです。

 もうひとつ面白い例題を述べられています。 それは、“必” という漢字の筆順です。
手引きでは、図のように “上の点” から書き始めるのです。(ネット漢字筆順字典より)

 

 

 私などは、心 を書いて、それにタスキをかける・・という風に書いていました。
しかし、これもどちらでもいいということです。 
また、“”(リッシンベン)は、先に “点” を両側に書いて、縦棒を書くのが正しいのだそうですね。
“万” はどうですか? 横は、そのとおりですね。次は、カギを書いて、最後に丿 なんですね。

 ネットを検索しながら、筆順をいろいろと調べてみると、なかなか面白く、普段何気なく使っている漢字が
改めて新鮮に感じてきました。 普段は、パソコンが多いから漢字はなかなか書かなくなっていて、
筆順どころか、漢字そのものを正しく書けなくなっているかもしれないのですね。

 

 

バッハ「G線上のアリア」 Bach "Air on G String"

 

 

 

 

 

 

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クンシラン2014  (bon)

2014-03-17 | 花鳥風月

 今年も、この時期が来ました。

3年前に、一足先にあちらに行ったRINちゃん宅からお嫁にもらったクンシランです。

昨年は、まだおしとやかで、どこか遠慮がちな花付でしたが、今年バージョンは、もう我が物顔に
たくさん花が付き一段と豪華になっています。

 クンシランは、ヒガンバナ科クンシラン属ですから、ラン科ではありません。
今年は、
1月頃から咲き始めて、次から次に花軸が伸びて来て、4つくらい株がありますが、
そのすべての株から花が出ているのですね。 まあ、元気のいい花です。

 

   3年目で、豪華に咲いています。
              

 

             昨年のおしとやかな姿です。
                                 
 

 

 ところで、ツタンカーメンのえんどうをビニールポットから、全部プランターに植え替えました。
昨年は、新芽が出た頃に、ムクドリが大勢寄ってきて、キャツキャはしゃぎまわって、その新芽を全部
平らげて行ってしまったのでした。 
それで、今回は、すっぽりと網をかぶせて、保護してみました。
ちょっと過保護気味かもしれませんが、4月に入れば網も取れスッキリすると思います。

プランター2鉢には、10月中旬種まきものと、11月中旬種まきものの2種作りました。


    網に囲まれた、ツタンカーメンのえんどう。
                   



 

オレ・グァッパ~アルフレッド・ハウゼ 
 



ダンスもお楽しみ・・ 
         

 

 

 

 

 

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諸葛菜  (bon)

2014-03-15 | 日々雑感、散策、旅行

 ショカッサイと読みます。 
漢字の “諸葛” は、もちろんあの三国志の諸葛孔明(亮)にちなんだものです。 
諸葛菜は、アブラナ科オオアラセイトウ属の多年草です。

オオアラセイトウ、ムラサキハナナ(紫花菜)とも良ばれています。
中国が原産で日本には江戸時代に渡来したそうです。 今では鉄道沿いや川の土手などに野生化して
群生している様子がよく見られます。

 ショカッサイ(ネットより)           群生(ネットより)
    

 

 この葉が、大根の葉に似ているところから、よく ハナダイコン(花大根)と呼ばれることがありますが、
これは別種です。 ハナダイコンは同科ハナダイコン属の植物です。
 

 ところで、なぜいきなりこの花が出て来たかといいますと、昨日の “ランチの会” では、新宿でランチを
済ませて、西武新宿線、東伏見駅近くの “武蔵関公園” (練馬区北町)のこの ショカッサイを見ることと
していたのですが、時期が少し早かったせいか影も形もなかったのでした。
そのことをわざわざ言いたくて、ここにご披露した次第です。 すみません・・。

 武蔵関公園(HPより)                カワセミ(が住んでいるという。)(HPより)
   


  本来ならば、このメタセコイアの前あたりに諸葛菜が群生しているそうです。
                     (これもHPより)
 

人影まばらな寒々とした公園を後にして、ちょうど1駅新宿寄りに戻った武蔵関駅の近くの本立寺
ボケ” なら、もう咲いているだろうと足を延ばしました。 
コンパクトながら、手入れの行き届いた日蓮宗のこのお寺には、さすが紅白梅が咲いていましたが、
肝心のボケは、まだ蕾が硬く、まだまだ開花には時間がかかりそうな感じでした。

 本日の失敗は、かって購入して参考にしていた、東京花の四季めぐり というガイドブックに従って行動した
結果でした。共に、おすすめ期間は3上~4下あたりでした。 
 このガイドブック、以前には、武蔵境近辺の公園の “ムサシノキスゲ” のときも、群生どころかわずか
1輪でしたし、8月の暑い夏の築地本願寺の “芙蓉” も、1輪のさびしい姿でしたから花の時期とかが
ずれてしまっているのかもしれないと思ったりしています。

 花には見放された感じではありましたが、武蔵関駅で長時間お茶して、話題に花が咲き満足して
お開きとなりました。


 ところで、冒頭に、三国志の諸葛孔明ゆかりの名前・・とありましたが、その伝説の一つが、ネット
(サンゴクシブログ)に面白く出ていましたので、ここに引用させていただきました。

“『諸葛菜の由来』 諸葛亮が10万の大軍を率いて南征したときには、日に何万斤という野菜が必要だったが前線では野菜が少なく後方から補給するにもあまりにも遠いので、将兵は野菜不足に悩まされそのうち顔は青白く戦意も挫けがちになってきた。諸葛亮も「困ったことになったぞ」と気が気ではなかったが、ある日のこと武都山で土地の者が茎が太く葉が大きく根が大根のような野生の菜っ葉を食っているのを見かけた。「それはなんですか」と丁寧に尋ねると「これは蔓セイ(←草冠に青)(カブラの漢名)という物で、生で食べることができるし、煮て食べてもよい。残ったら干して塩漬けにして後で食べることもできる。簡単に育てることができるし、1株で何斤(1斤は約223.73グラム)にもなる」とのこと。「これだ」と思った諸葛亮は、兵士たちに命じて陣営のまわりに蔓青を植えさせた。すると、案の定、苗はぐんぐん育ち、山のように収穫することができた。調理してみれば、味はよし調理も簡単ときた。彼は武都から漢中に引き上げるときに株を持ち帰って植えたうえ、成都にも使者を送って栽培させた。これ以来、蔓セイは野生から人工で栽培される野菜となり「諸葛菜」と呼ばれるようになった。”

ちょっと長めでしたが、面白い伝説ですね。

 

 

ボビー・ソロの歌から

 

 

 

 

 

 

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消費税と社会保障  (bon)

2014-03-13 | 日々雑感、散策、旅行

いよいよ4月から消費税が現行の5%から8%に引き上げられます。税率UPは17年ぶりなんだそうですね。
1円玉も久しぶりに2億枚製造されたそうです。

 消費税は、“社会保障目的税” と位置付けられています。
すなわち、社会保障は、年金、医療、介護など今や給付総額が100兆円を超える規模にまで膨らんできていて、
今後さらに少子高齢化に向って大きな悩みになっています。 つまり、これの対策ということなんですね。

 年金は下がる一方ですから、私のような年金生活者にとっては、より一層節約に努めなくてはなりません。

                (ネット画像から)


 戦後、日本の社会保障制度は、皆保険、皆年金を中心として、世界の中でも先進的な実績をあげて来ていますが、
今やこれら年金、医療、介護などすべての社会保障給付の総額が100兆円を超えたということなんです。 
 で、この100兆円の6割が 会社、個人 の保険料で賄われていますが、残り40兆円は、国が30兆円、
地方が10兆円の 公費 が投入されているのだそうです。そして、この公費を “赤字国債” でファイナンスしている
現状で、これが大きな財政赤字を生み出しているのです。 
もともと、深刻な財政赤字を生み出す原因は、歴史的に見ると、どの先進国でも “戦争” であったわけですが、
今の日本の現状は、平時での財政赤字で、1990年代には公共事業が財政赤字を増大させましたが、
2000年代に入ってからは公共事業費はカットされ、まさにこの社会保障関連費が原因となっているのです。 

 この社会保障関連費は、長期的に見ると、いずれの国でも少子高齢化の下では早晩、財政赤字の核となり、
日本はそのちょっと先を走っているに過ぎないのでしょう。

 一方、国債残高の対GDP比率が、先のギリシャ財政破綻の際にもクローズアップされましたが、この比率は、
例えばEUにおける健全性基準として60%以下をEU加盟各国に求められていますが、日本のそれが、今や
200%を超えているというのはやはり異常な水準であるといえるでしょう。

 だから、このまま放っておくことは出来ず、今回の社会保障目的税として、消費税アップが実施されることと
なりましたが、来年これがさらにアップして10%になったとしてもなお、政府試算によれば20年度の基礎的
財政収支は黒字化目標を達成できないという。
消費税を10%としてもなお解決できないとすれば、今後に向けてどうすればよいのか、
早急に検討し実施する方向を見出さなくてはならない。

 ある学者によると、社会保障の給付を見直してスリム化することと、少子化にストップをかける若年層世代への
対策をとる必要があるとしています。
スリム化とは、例えば年金支給開始年齢の引き上げや医療保険における高額医療費を除く少額の外来医療費の
見直しをするべきだという。 
外来医療費の見直しとは、何も3割負担にこだわることはないのではないかということです。 

 これらは基本部分であり当然、見直しする必要があると理解できますが、さらにこれに加えて社会保障制度の
実施に伴う各々の組織のスリム化やその運営の効率化に向けた見直し等、関節部分についても
メスを入れる必要があるのではないかと思います。

 先のブログで、“婚学” を取り上げましたが、その中でも如何に少子化対策が重要であるか、その対策の
ポイントは婚姻数を増加させることと、その平均年齢を下げ、早めに子供を産むことである。

 これまで進んできた。社会現象(トレンド)を 果たしてこのような対策が効果を生み出すことができるのだろうか? 
少子化担当大臣は時々国会答弁に出て来ていますが、どこかにこのような視点で解決に向けて取り組んでいる
検討チームはあるのでしょうか?

 

 

 

 

 

 

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キヌア  (bon)

2014-03-11 | 日々雑感、散策、旅行

 3年前のちょうどこの日、私は外出先で震災に遭遇しました。
帰宅できず最寄りの小学校で寒い一夜を過ごしました。
東北では、多くの人が亡くなり、今なお26万人を超える人々が避難されたままだという。
物理的な復興だけでも、もっと早くならないか・・。

 

  さて、首題に戻り、先日(7日)のNHK“あさイチ”で、スーパーフード・キヌアとして紹介されていましたので、
もう少し調べてみたくなりここにアップしてみました。
 

 キヌア(Quínua)はヒユ科アカザ亜科アカザ属の植物で、南米アンデス山脈の高地において数千年前より
食用に栽培されている擬似穀物とありました。モロコシ、キビ、アワ、ヒエなどと同様の雑穀に分類されるそうです。

           キヌア植物の姿   (ネット画像より)                            
                             
 

  インカ文明の頃、キヌアはトウモロコシと同様に貴重な作物であり、“穀物の母” と称され神聖な作物と

見なされてましたが、スペインのインカ帝国征服後、インカ文明を払拭し現地人を同化させる為に、
キヌアの栽培を禁止したといわれています。 このため中南米原産のトウモロコシ、ジャガイモ、インゲン豆などは、
世界に広まり、全世界の主要作物となりましたが、キヌアは広まらなかった・・とありました。

  しかし、キヌアは、表1、表2に示すように、 白米や小麦などの穀物とくらべ、たんぱく質(2倍)、
ミネラル(5~6倍)、脂質(4倍)、食物繊維(6倍)と豊富で、特にたんぱく質はすべての必須アミノ酸を含み、
またビタミンB2も小麦の4倍含まれている。

 表1、成分表               表2ミネラル  (共にNPOアルコイリスHPより)  
  
 


 栄養価の高さなどからキヌアは離乳食や老人食に適しており、医療現場でも病院・介護食として使われています。
また米や小麦はイネ科ですが、キヌアはアカザ科なので、イネ科植物によるアレルギーの回転食にも
なり得るのです。さらに、食物繊維が豊富なので便秘にも効果があり、腸からのコレステロール吸収が抑制され、
高脂血症や高血圧の予防にもなるといいます。鉄分、カルシウムも多く、骨粗鬆症の予防も期待されてます。

 栄養価の高さとバランスのよさから、NASAが21世紀の理想的な宇宙食の素材の一つとして評価し、
宇宙食に指定したそうです。近年ヨーロッパや日本などで健康食品として注目されてきているのだそうです。

 このように良いことづくめのキヌアですが、食感とか食べやすさとかはどうなのか?
テレビで見た感じは、トウモロコシのように粒々で(図1)その食感はプチプチしているそうです。

      図1
        (ネット画像より)
 

 日本では、白米に混ぜて炊いて食べるのがブームになったことがあったそうですが、キヌアを混ぜて炊いた
ごはんは 若干粘り気が強く、 “薬臭い” 香りがする事があるので、炊き込み御飯にするのが一般的だそうです。

 野菜サラダにコーンのように混ぜてもよく、小麦粉とあわせてクッキーやパウンドケーキやパンの生地にして
焼いて食べる事もできる。 
醗酵させて、ビールに似た飲料やチチャのようなアルコール飲料を作ることもあるという。
また、キヌアを用いて味噌や醤油を製造しているメーカーもあるそうだ。

昨2013年は、国際連合が “国際キヌア年” と定めたそうです。

 キヌアと近縁のアマランサスは、かって二戸(岩手県)に調査に伺った時、栄養豊富な雑穀として紹介された
ことがありましたが、キヌアは始めて知りました。

機会があったら一度食してみたいですね。

 

 

 

 

 

 

 

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山の日  (bon)

2014-03-09 | 日々雑感、散策、旅行

国民の祝日として、“山の日” が制定される見込みとなったそうです。

 山の日制定議員連盟が制定を目指す新しい国民の祝日が、今年の通常国会で法案を提出する予定で
あるというのです。 
施行は、16年からだそうですが、これが制定されれば、日本の祝日は全部で16日となります。 
個人としてはいまや、全日、空きの状態ですから、祝日が増えてどうのってことはありませんが、何でこんなことを
議員たちがこぞって決めたがっているの? みたいな、感覚がよぎってきたりしますが、まあ、誰かが決めないと
実現しないから、あまりとやかく思う事は止めにしまよう。

 8月11日を “山の日” とする案が有力とか。 制定の狙いは、“山の恵みに感謝し、美しく豊かな自然を守り、
次世代に引き継ぐことを銘記する日” としています。 海の日(7月第3月曜日)があるんだから、山の日があっても
いいじゃん・・という意見があるとか。 でも、これを機会に、大いに山に出向き自然に親しむ機会とするのもいいかも・・。

 なぜ、8月11日か? というと、もともとの案では、8月12日をその日とする案が決められていたが、
12日は、かっての日本航空123便墜落事故(御巣鷹山事故)のあった日なので、まさかこの日を祝日とする
わけにゆかないことから11日となったとか。 
なぜ8月? あまりはっきりしませんが、お盆の頃、夏休みの頃の経済への影響が少ない頃となったとか・・。
 

 楽しかった夏山 (1985.8立山。山の情報誌“岳人”:東京新聞出版局1991.3 掲載)

                  

 知りませんでしたが、既に “山の日” というのは、府県などで独自に条例などで制定されていたのですね。 
ウイキペディアによれば、

   群馬県  10月第1月曜   ぐんま山の日
   千葉県  5月17日     里山の日
   山梨県  8月8日      やまなし山の日
   岐阜県  8月8日      ぎふ山の日
   静岡県  2月23日     富士山の日
   大阪府  11月第2土曜  おおさか山の日
   奈良県  7月第3月曜   奈良県山の日川の日
   和歌山県 11月7日     紀州・山の日
   広島県  6月第1日曜   ひろしま山の日
   香川県  11月11日     かがわ山の日
   愛媛県  11月11日     愛媛山の日
   高知県  11月11日     こうち山の日
 

これだけありました。 山の日そのものは、月がばらばらですね。

 

 ちなみに、海の日は、1995年(平成7年)に制定され、翌年から施行されました。
制定当初は7月20日だったですが、2003年(平成15年)の祝日法改正(ハッピーマンデー制度)により、
7月の第3月曜日となったそうです。

その狙いは、“海の恩恵に感謝するとともに、海洋国日本の繁栄を願う” ことを趣旨としています。
また、世界の国々の中で “海の日” を国民の祝日としている国は唯一日本だけだそうです。

 

 

 

 

 

 

 

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婚学  (bon)

2014-03-07 | 日々雑感、散策、旅行

 見慣れない言葉ですが、最近手元に届いた会報の講演記事のタイトルです。 
九州大学の若い先生(佐藤剛史氏:九州大学大学院農学研究院助教)が、同大学で2年前から1年生に、
この “婚学” という授業をされているそうです。
で、先生は昨今の非婚化、晩婚化による少子化を何とか食い止め、豊かな国作りに貢献できないか・・
そんな思いが感じられます。
“結婚や恋愛をテーマにして、総合的な人間力を身に付けてゆく授業” といっておられます。

 講演の冒頭で、“今ここに私たちがいることの奇跡” について、その意味を話されています。
つまり、1年間に生まれる赤ちゃんの数は105万人、生まれることが出来なかった赤ちゃん・・流産20万件、
死産4000件、人工妊娠中絶が23万件あり、さらに深刻なのは、不妊症に悩むカップルが200万組いるということ。 
今ここにいる、それは奇跡的なことなんだと。

 次に、図1を見て下さい。この図は、講演録ではすべて文章(言葉)で述べられている内容を勝手に作図したものです。

        図1
         (本文から作図しました。)

 

 婚姻件数そのものが この40年ほどの間に大きく減少しています。 
平均初婚年齢では、夫が4歳、妻が5歳高くなっているのです。 非婚化、晩婚化が進んでいるのです。
さらに、第1子出産時の母親の年齢も30.1歳と高く、その昔には “生み終え” の年齢とも言われた30歳を超えたところが、産み初めになっている。

 また、合計特殊出生率(女性が一生かけて産む赤ちゃんの数) をみると、第1次ベビーブームの1947年では
4.5人であったものが、2012年では1.41人 と激減している。
しかし、完結出生児数(結婚している夫婦が一生かけて産む赤ちゃんの数)は、なんと1967年頃からずっと
2.2を維持してきている。(昨年2を割ったそうですが。)
この二つの数字は何を意味するかといえば、合計特殊出生率がここまで激減したのは、つまり、非婚化と晩婚化が
進んでいるからに他ならないということです。 
したがって、少子化対策には、まずもって婚姻数を増やすこと、そして婚期を早めることが有効だと述べられています。

 非婚化や晩婚化はなぜ進んだのか?についても分析されています。

 その原因はおおむね3つに絞られる。 ①社会圧力が減った。 昔、女性は25歳くらいまでに結婚しなさい・・
とか、男でも女でも、結婚して一人前というような風潮があった。 それが、最近では、結婚しないという選択や
子供を持たない自由というような考えが社会に受け入れらのではないか?  ②経済事情。雇用形態の多様化等
によりいわゆる “年収300万円の壁” といわれるように、内閣府調査によれば、300万円(男性)を境に
婚姻率が大きく変わるというのです。 そして、コンビニ、ファミレス、コインランドリーなど一人でも生活が出来、
社会が便利になりすぎたこともあります。 ③子供に自立を促さない親が増えている。 親と同居している場合は
親が面倒を見ている。結婚しなくてもいいし、自由に生きて行きなさい・・そんな風になっている。

 

 さらに、学生たちのヒヤリングから、結婚観というか、結婚に向かう姿勢にも大きな変化が感じられると
3つ述べられています。
その① “コンコルドの誤謬” 運行開始からわずか27年で廃止された航空機コンドルのことです。
イギリスとフランスが共同開発した超音速旅客機で、設計段階から既に採算がとれないことが分かっていた
にもかかわらず、世界初の超音速だとか 夢があるとか、お金をかけすぎて止められなかった間違いです。
人間も初期投資額が大きすぎると合理的な判断が出来なくなるというのです。 ここまで自分に投資してきた
のだから、もっといいものが出てくる、もっと自分に相応しい相手が出てくるという幻想を抱き時期を逃してしまう。
その② “選択のパラドックス” これは意思決定理論の一つで、あまり選択肢が多くなりすぎると選択出来なくなる
という現象です。 婚活などで、目の前に50人もいたら目移りして選べなくなるというのです。
その③ “プロスペクト理論” これは不確実性下における意思決定モデルの一つで、人間はモノを得た時の
喜びよりも、モノを失った時の悲しみの方が心理的なダメージが3倍になるという考え方です。
結婚して得られる幸せな家庭や子供などより、時間がなくなる、お金が自由に使えないなどマイナスの心理が
大きく働いてしまう。 
という主旨なんですね。

 先生はまた、学生への調査をされていて、“今どきの若者の特徴”という切り口で面白い分析が述べられています。
あなたは、草食系だと思いますか?”に対して、ハイ18%、やや44%で合わせて60%以上が自分を
草食系だと思っている。 また、“草食系男子をどう思うか?” に対して、良い13.5%、まあ良い55.8%で
合わせて7割近くの学生が草食系男子に対してネガティブではない。 女子学生も65%は草食系でもよいのでは
ないかと回答している。 草食系男子というのは、恋愛にガツガツせず、傷ついたり傷つけたりすることが苦手な
男子を指し、優しい感じで捉えられているようだが、実はそうではないのではないかと先生はいう。 
自分に自信はありますか?” という質問に、“ある” は男子わずか5%、女子で8.3%だったそうです。
自分に自信が無くては、 “あなたのことが好きです。結婚してください” なんてとても言えないのではないか。
草食系男子は、優しいというより、告白する勇気がない、傷つくことを恐れている・・そんな側面があるのかもしれない。 
また、厚労省の調査で、16歳から19歳までの3分の1が “セックスに関心がない” という結果が出たとのことですが、
先生の大学での調査では、“関心がある” と回答した男子学生は29.8%しかいなかったそうです。
しかし、“アダルトサイトは見るか?” については、よく見ると見るを合わせると6割を超える。つまり、
性的な感心がないのではなく、リアルな女性と人間関係を結ぶのが怖い、傷つくのが怖い・・これが実態なのかもしれない。

 “僕は、海外にも行きたいし、思いきり仕事もしてみたい。やりたいことを成し遂げてから。結婚は40歳くらいになってからでいいと思う” 女子学生は、“結婚すると人生の可能性が減る” と答えている。
産休や育休に入ると昇進が遅れる、会社の中で取り残される、人生の可能性が減るのではないかと不安に思う
のかも知れない。

先生は、学生たちに、結婚によるプラス面、そして結婚しないとできない経験や総合人間力が得られるなど
気が付かない重要な事柄を話されているようです。

 そして、「“婚学”で身につける力は、自分の人生を幸せに生きる考え方と実現するための力です。自ら考え、
意識的に選択し、自分の選択に責任を負う力なのです。」
と結ばれています。

       図2 厚労省のページから(H24)

      

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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サギソウの芋  (bon)

2014-03-05 | 花鳥風月

今朝は一転、昨夜来の冷たい雨模様となりましたが、昨日は、風は冷たく感じるものの、暖かい陽射しを受けて
すでに春気分でしたので、やや遅くなりましたが、期待と不安の中で、芋ほりをしました。 
結果は最悪でした。

不安の中身は、昨年、花が1輪しか咲かなかったので、芋(球根)の出来を案じていましたが、2鉢で10個ほどしか
ありませんでした。

 やはり、花も咲き、栄養循環が正しく回れば芋も出来る。・・そうなんですね。
花も咲かないのは、生理障害を起こしたりして十分成長できなかったからなのでしょう。
 

 1年前も花付が悪く、やや残念気味ではあったのですが、芋の方は少しは採れていましたのでそれを
植え付けながら “たくさんのサギ乱舞” を夢見ていました。  ところが、昨年は殊のほか暑かったせいか、
日除けは作っていたのですが、夜も気温が下がらずにいたためか、わずか1輪の花だけで終わったのでした。 
待ち焦がれた花は、つぼみの先が黒ずんでその内枯れてしまったのでした。 
花はダメでも、その分根に栄養が回っているから、芋(球根)は、ひょっとしてたくさんできているかもしれない。
そんな、都合の良い解釈、期待は間違っていたのでした。

 

 昨日の “準備万端怠りなし” で、作業に取り掛かかった一連を写真を添えてご報告します。
まったく予想が外れていたことが証明されました。

 

 準備は整いました。                   ミズゴケもたっぷり浸して・・
    

 
 採れた芋・・オーソサイド液で30分消毒したもの
      

 

 ミズゴケを2センチ長に切る             途中まで押し込んで、マグアンプ(肥料)をパラパラ
   

 

     丁寧に芋を並べる・・
          
 

 
その上に、ミズゴケをたっぷり抑え込んで出来上がり。 鉢は、1つだけとなりました。
          

 

 

  サギソウとの出会いは、2009.8の昭和記念公園 “サギソウ祭り” に訪れた時でした。
何ともその可憐で優美な姿に一目ぼれ・・、なんとか自分でもやってみたい。

       サギソウ祭りでパチリとしました。
              (昭和記念公園にて)


 翌年2010.3の同公園で開催された “
サギソウ講習会” に参加して実習で球根を植えた1鉢を持ちかえり、
自分でも植えた2鉢の計3鉢で始まりました。

この年、我が家で初めて咲いたサギソウの姿です。写真をたくさん撮りました。

  我が家最初のサギソウ(2010.9)
           

 

 初めてブログアップしましたのは、翌年2011.3.2の“芋ほり”でした。
記事の中でも全部で40個余りも芋がとれた・・と大喜びしていました。 

 続いて、4日後の2011.3.6に植え付け手順を紹介しながらの楽しい記事をアップしています。 
しかし、この5日後にあの忌まわしい“3.11”が起こったのでした。 
よもやそんな大災害が起こるなんて思ってもみなかった。このあたりのブログでは、災害やベクレル・・
小出先生など関連記事が多く出ています。

 こんな大災害の年もサギソウは咲いて、2011.9.5に記事アップしていました。・

        2011.9のすがた・・です。
           
 

 翌、2012.2.17には、この年の “芋ほり” の報告記事をアップしていますが、その内容からは、
まあまあ満足しているような感じが出ています。 しかし、この年のサギソウ花の記事は、2012.9.12
pookyからアップされています。
私のところから、pookyに嫁いだ芋の華が見事に映し出されています。親元では、この年ダメだったのでした。

 そして、翌年の2013.2.27には、渋々、芋の事だけの記事アップで、花の写真は、それより前に咲いた写真を
リバイバルアップして言い訳けしているのでした。
この時は芋の数もまあまあでしたから、淡い期待を持ちながらこの記事のトップに続くのです。
 

 くどくどと、申し訳ありませんでした。 
昨日植えた、なけなしの鉢を大事に育てるのは勿論ですが、ミズゴケがずいぶん余ったので、
市販の芋(球根)を買い足してもう一鉢作ってみようかな。


 

 

 

 

 

 

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西条八十  (bon)

2014-03-03 | 日々雑感、散策、旅行

昨日、日曜日夜のNHK-BSの “昭和の歌人たち” で、作詞家 西条八十の世界をやっていました。
 この “昭和の歌人たち” は、ときどきあり、今回は第28回目だそうですが、だいたい放送を見ています。
前回(1/19:第27回)の 川内康範 も大変良かったです。

 で、西条八十といえば、大体お分かりの通り “ナツメロ” ですね。

 

誰か故郷を思わざる(西条八十作詞、古賀政男作曲)は、若い頃、お酒の席などで大体歌っていましたし、
夜道を大声で肩組みながらがなったり・・。   旅の夜風(西条八十作詞、万城目正作曲)、この歌も
同じようによく歌いました。 気持ちよく飲んだ時など、時におどけて歌詞をパントマイム風にかたどりながら
歌ったりしたものでした。    この世の花(西条八十作詞、万城目正作曲)は、昭和30年、ラジオドラマの
夜8時15分~だったように記憶していますが、何でも銭湯が大変空いたとのことですね。
島倉千代子がまだ澄み切った高いか細い、しかし力の入った歌声でした。懐かしく思い出されました。
  越後獅子、この歌も西条、万城目コンビで、美空ひばりが歌ったのですが、ひばりの方から頼んで
作ってもらったのだそうで、 当時のひばりがあまりに歌がうまいので、周りからやっかみを受けたりする立場を 
越後獅子の歌詞に取り上げたとのことでした。  後に、ひばりが歌手生活35周年の時に、芸道一代
(西条八十作詞、山本丈晴作曲)を贈ったそうです。 なるほど、この歌詞はひばりそのもので、母親との
二人三脚であることも歌われている。 こういう思い(計らい)というのは胸を打ちますね。
  
 王将(西条八十作詞、船村徹作曲)についてのエピソードがゲストの船村さんがいっていました。
スタジオ録音の時、西条もいて、歌手の村田英雄が “♫~生まれ浪速の八百八橋” のところを“やおや橋”と
歌って、船村が大騒ぎしたとか。

 西条八十、古賀政男の両巨頭のコンビが生んだ、歌の数々の中から  赤い靴のタンゴを若い
新妻聖子が歌いましたが、オリジナルの 奈良光枝 が思い出されてきました。
上品な感じで、京都にある私の親戚の叔父が好きな歌手でした。  
このコンビの曲は、他に トンコ節、 芸者ワルツ などお座敷風のもありました。  
 舟木一夫の歌もありました。 夕笛(西条八十作詞、船村徹作曲)、 絶唱(西条八十作詞、市川昭介作曲)を
本人が歌いました。 舟木はこれまで現役(いまでも?)時代には殆ど興味を持ちませんでしたが、
こうやってみるとやはりヒットして人気者であったのが良くわかりました。 
夕笛は、曲を船村からもらった時、 “たったの8小節しか曲がない、先生ずるい~”、 “そこをうまくこなすのが
歌手だろう” そんなやり取りがあったのだそうです。 番組で、当人同士のこの会話に会場は沸いていました。 
確かに聞いてみると、同じ節回しでうたっているんですね。 しかし、それをほとんど感じさせずにいい感じが
出ていました。 さすがですね。

       西条八十
            (ウイキペディアより) 

 

 東京音頭(西条八十作詞、中山晋平作曲)で、賑やかにこの番組が始まりましたが、上に取り上げた歌
以外にも懐かしい、 蘇州夜曲(西条八十作詞、服部良一作曲)、 サーカスの唄(西条八十作詞、古賀政男作曲)、
三百六十五夜(西条八十作詞、古賀政男作曲)、 りんどう峠(西条八十作詞、古賀政男作曲)など、
あとまだあったかもしれませんが、 最後にみんなで 青い山脈(西条八十作詞、服部良一作曲)を合唱して
番組が終わりました。

 懐かしい歌ばかりで、楽しめましたが、番組構成もなかなか良いと思いました。 
前回の川内康範の森進一の熱唱もよかったです。

 

 西条八十:1892年(明治25年)~1970年(昭和45年)東京牛込生まれ。

 

 

 なつかしい、曲をもう一度・・・

 
 

 

 

 

 

 

 

 

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