蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

かぼちゃ  (bon)

2016-08-31 | 日々雑感、散策、旅行

 よくご存じのあのカボチャのお話です。

  蓼科農園でも毎年植えています。 2年ほど前には、“つるくびかぼちゃ”というへちまの
ような珍しいかぼちゃを作ったこともありました。 そういえば、昔懐かしい 煮物などにした
ごつごつした黒っぽいかぼちゃを見かけなくなりました。 料亭や割烹あたりに限られて
しまったのかもしれませんね。
 ネットを見ていましたら、かぼちゃと一口に言っても、その種類の多さには驚きです。

 「旬の食材百科」(http://foodslink.jp/syokuzaihyakka/)から、参考部分をコピペする
などして、かぼちゃの全貌を見てみることにしました。 その記事から・・

『かぼちゃ(南瓜)はウリ科カボチャ属の蔓性植物で、その果菜の総称です。日本に今の
「日本かぼちゃ」が入ってきたのは、戦国時代、徳川家康が生まれたとされる1542年
(天文11年)にポルトガル人が種子島に漂着した際、鉄砲と共にカンボジアから持ち込まれた
物が伝わったとされています。「カボチャ」の名前は、その「カンボジア」が訛ったものとする
説が有力と言われてもいます。世界中で栽培されており、品種は非常に沢山あります。このうち、
現在日本で栽培されているものは大きく分けて日本かぼちゃ、西洋かぼちゃ、ペポかぼちゃの
3種類があります。』 とあります。 昔懐かしく思ったのは、日本かぼちゃだったんですね。 
以下に、これらの種類を列記してみました。

日本かぼちゃ『水分が多く、粘質でどちらかと言えば甘味が少なく滋味に満ちていますが、
今ではあまり作られなくなってきています。見た目では上から見ると菊のように見える溝が
入っているものや ごつごつとこぶがあるものが多く、代表的なものには「小菊南瓜」
「黒皮南瓜」「鹿ケ谷(ししがたに)南瓜」「鶴首かぼちゃ」などがあります。 また、
一見西洋カボチャのようなイメージがある「バターナッツ」も実は日本カボチャの仲間に
なります。』
 また、豊前市特産の三毛門(みけかど)かぼちゃは、今から400年前 ポルトガルから
豊後の国(大分)を経て伝わった、 日本古来の かぼちゃと知られているという。
三毛門南瓜保存会があるようです。

   

  

 

西洋かぼちゃ『甘味が強く粉質で、加熱するとホクホクした食感をしています。この甘味と
食感が多くの女性のハートを掴み、昭和40年代頃から一気に広まりました。主なものには
「えびす南瓜」「みやこ」などの黒皮栗南瓜や赤皮栗などがあります。北海道の「雪化粧」や
「白爵」など白皮栗カボチャもこの部類に入ります。変わった形の物では、「宿儺(すくな)
かぼちゃ」などの長南瓜があります。』

  

 

 

ぺぽかぼちゃ『比較的淡白な味で、「金糸瓜」(そうめんかぼちゃ)など変わったものも
あります。また、ズッキーニも実はこの部類に入ります。若取りをするタイプです。』 

 

 ところで、“いもたこなんきん”(芋・蛸・南瓜)は、関西地方ではよく知られている言葉
ですが、江戸時代の浮世草子作家、 井原西鶴の一節に【とかく女の好むもの 芝居 浄瑠璃
芋蛸南瓜】とあり、 女性の好きな 食べ物という、ことわざのようなものらしいです。

 

 また、栄養面については、手元にある健康食品会社から来た「元気通信」に、かぼちゃの
特集記事がありました。管理栄養士の 二本木ゆうこ さんの解説によれば、かぼちゃは栄養
豊富な野菜で、なかでも注目はβ―カロテンで、必要量に応じて体内でビタミンAに変換になり、
粘膜の健康維持や免疫力の維持に効果的であり、ビタミンAに変換されないβ―カロテンには、
抗酸化作用があり老化防止や悪玉コレステロールの減少に有効とあります。 さらに、かぼちゃ
にはビタミンEやビタミンCも豊富で、これらも抗酸化力が強くがんや動脈硬化の予防に期待
できるとしています。肌荒れやシミの予防などにも働くというので女性にとってはうれしい
食材だとも。 脂溶性のβ―カロテンやビタミンEを効率よく体内に吸収させるには、油を
つかって調理したり、豚肉、牛肉やベーコン、油揚げなど脂質を含む食材と一緒に食べると
効果的だそうです。

 

 英語で、パンプキン(pumpkin)と習った記憶がありますが、ウイキペディアによれば、
実際には、少なくとも北米では、果皮がオレンジ色の種類のみが pumpkin であり、その他の
カボチャ類は全て squash (スクウォッシュ)と総称される、とありました。
また、ハロウィンで使われるオレンジ色のカボチャはペポ種なんだそうです。


 先の、HPには、かぼちゃの生産量が出ていましたので、引用します。

        かぼちゃ生産量
           (旬の食材百科より) 

 

 9月2週に、蓼科農園に行く予定ですが、今年のかぼちゃの出来はどうでしょうか? 
7月末時点では、小さな玉が20個くらい目につきましたが、その後どれだけ大きくなったか
楽しみです。 このかぼちゃ、収穫してもすぐに食べるのではなく、1か月くらいおいて、
水分がある程度とんだところで食べると甘味が増しておいしくなるのですね。

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

板につく  (bon)

2016-08-29 | 日々雑感、散策、旅行

             トリプル台風の一つ、南大東島のはるか南まで逆走した迷走台風10号が、
            勢力を強めて、関東、北日本の上陸を伺っていると予報されています。
            これまで、激しい豪雨に見舞われている地域に、一層の被害が出ないことを
            祈るばかりです。

 

 先日、テレビの中のセリフに“・・板についてきたねぇ~”というのがありました。その言葉が
妙に頭に残って、なぜ“板”なのか? 
それで、ネット確認してみました。以前には“大根役者”はなぜ大根なのか?もありましたね。

 ネットには、「Weblio辞書」というのがあって、いろいろと解説されていました。
『“板に付く”とは、①経験を積んだ結果,俳優の芸が舞台にうまく調和する。②態度や物腰などが、
その職業や地位などにふさわしくなる。それらしくなる。 「客との応対もようやく-・いてきた」
③服装などが,ぴったりしてよく似合う。 「和服姿がー・いている」』・・これも、大根役者の
ように舞台とか役者とかに関係した言葉なんですね。

 しかし、このような言葉は、役者に限ったことではなく“馬が合う”、“どこの馬の骨”など、
なぜ馬なのか? これも疑問です。 
馬が合う”は、「日本俗語辞書」には、『馬が合うとは、気が合うことやしっくりいくこと。 
もともと乗馬で使われた言葉である。騎手と馬が合わない場合、振り落とされることがあり、
逆に騎手と馬の息が合うと騎手の実力以上の力を馬が発揮するとも言われている。ここから馬と
息があうことを馬が合うといった。後にこれが人と人との関係にも使われるようになり、人と気が
合い、しっくりいくことや意気投合することを意味するようになる。また、人以外にも車や楽器など
クセのある物に対しても使われる。』 こちらは乗馬からきた言葉、  では、“どこの馬の骨
は? Yahoo知恵袋には、『馬の骨とは、素性(すじよう)の解らない者をあざけっていう言葉。 
馬の骨の語源は、中国で役に立たないものの代表として言われていた言葉「一に鶏助(けいろく)、
二に馬骨」である。「鶏助」とはニワトリの肋骨のことで、小さ過ぎて役に立たない。
 逆に
「馬骨」は、役に立たないうえに大き過ぎ処分にも困る。 このことより、誰にも必要とされず
役に立たない者を意味するようになった。 さらに、その意味が「大人ではあるが成長過程や職業が
わからない」といった意味でも使われ、「骨」という漢字には「人柄(ひとがら)」という意味も
あるため、「馬の骨」は現在のような意味に変化したものと思われる。 古くは、「馬」の他に
身近にいた動物として「」もいたため、「牛の骨」という言葉もあった。』なるほどいろいろ
ありますね。

                     (ネット画像より)


 さらに、ネットを繰ってゆくと、“あべこべ”、“ちぐはぐ”、“むちゃくちゃ”などの言葉も
ありました。それぞれの意味は、今更見る必要もありませんが、どういうところから、このような
言葉が生まれてきたのか・・また、興味がわいてきました。

 語源由来辞典には、『あべこべは、江戸時代頃から用いられるようになった語。彼辺此辺
(あべこべ)とか彼方此方(あべこべ)で、これらは「あちらべこちらべ」の略とされ、いづれも、
彼(あ)と此(こ)に通じている。あちこち、あれこれなどと対で用いられることが多い。』
もちろん、その意味は、「物事の順序や位置、関係がひっくり返っていること。反対。逆。」ですね。 
ちぐはぐ”についても同辞典に次のように出ていました。『ちぐはぐとは、物事が食い違い、
調和がとれないこと。対になるべき物が揃っていないこと。“ちぐ”は、“鎮具”で金づち、
“はぐ”は、“破具”で釘抜を意味していた。金づちと くぎ抜きを交互に使っていたのでは、
一向に仕事が進まず、何をしているのかわからないとの説や、棟梁の下につく者が、金づちが
必要な時に釘抜を渡し、釘抜が必要な時に金づちを渡す様から生まれたとする説もある。 さらに、
“ちぐ”は、一揃えを意味する“一具”(いちぐ)で、“はぐ”は“はぐれる”の意味ではないか。』
と記されています。

 また、“むちゃくちゃ”はどうか? 語源由来辞典では、『無茶は、仏教語で“無為”を表す
“無作”(むさ)から、無造作の意味で用いられた“むさと”の“無さ”が転じたものと考えられて
いる。無茶苦茶の、“苦茶”は、語調を整えつつ“無茶”を強めるための語である。 同様に
“むさ”から生じ語調を合わせた言葉に“むさくさ”や“むしゃくしゃ”がある。』と解説さて
いました。普段何気なく使っている言葉には、それぞれ深い意味があるのに驚きます。

 “しどろもどろ”という言葉も、語調を合わせ意味を強めた例のようで、同辞典に『しどろもどろ
とは、口調や話の内容がひどく乱れたさま。 “しどろ”は、秩序がなく乱れている意味の
“しどけない”の“しど”に接尾語“ろ”が付いた語。で、“もどろ”は“まぎれる”、“まどう”
の動詞“もどろく”の“もど”で、しどろに語呂を合わせて意味を強めたものである。』

 こんな風に、見て行くと、まだまだ出てきます。
“うろちょろ”、“おっちょこちょい”や“あうん(阿吽)”、“辻褄(つじつま)”、“ぎこち
ない”など切りなく続きそうですのでこのあたりで“お茶を濁し”て終わりにします。

 

 

 静かなメロディーを・・どうぞ。(西村由紀江オリジナルから)

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フィンテック  (bon)

2016-08-27 | 日々雑感、散策、旅行

 最近よく耳にしますので、ご存知のことでダブルかもしれませんが、そのサワリを整理して
みましたので、記事としてアップします。  最新のIT(情報技術)の世界の急速な進歩に
ついて行けず、概念的な理解に留まっているところが多いため、記事は分かりにくいかもしれ
ませんが、理解を進めるきっかけになればと、恥ずかしながら敢えてまとめてみました。

 

 フィンテックとは、ファイナンスFinanceとテクノロジーTechnologyを掛け合わせた造語で、
FinTech と表され、言葉自体は、2003年にアメリカ業界紙に発表されているようですが、
2014年あたりから急激に台頭してきた、新しい「金融サービス」です。 この、新しい金融
サービス実現に向けて、伝統的な金融機関(メガバンク、カード会社等)だけでなく、その
情報子会社、金融系システムインテグレーター、さらには「スタートアップ」と称される、
金融系ITベンチャー企業による急速な投資が行われているようです。昨年暮れあたりには、
これら関連企業の株価が急騰したそうです。

        ビリングシステム㈱HPより)

     

 この8月23日のテレビ朝日ネットで、『日銀・黒田総裁:「フィンテックという新しい金融
サービスが発展を遂げていくうえでは、IT産業や流通業、スタートアップ企業など、従来の
金融業の枠を超えた幅広い主体間での前向き かつインタラクティブなコミュニケーションが
極めて重要と考えられます。」 として、日銀が主催したフォーラムには、日本の大手の通信、
IT企業に加え、ベンチャー企業など約60社が参加しました。今回はサイバー攻撃や不正利用を
念頭に、顔や指紋を使った生体認証や仮想通貨など、新たな金融関連技術のセキュリティー
問題が主な議題となりました。・・・2015年の世界での投資額は2兆円を超えるなど市場規模が
急速に拡大しています。』 と発表されています。

 8月24日の読売新聞経済欄にも、この事が報じられて、併せてフィンテックについて解説が
されていました。 元々、金融業界へのコンピュータ導入は早く、これを接続したオンライン
ネットワークが構築されたのは、およそ50年も前のことになり、すでにこの分野のITは、
成熟している?と思われるのに、なぜ今、「フィンテック」なのか?について、新聞では
「これまでの金融業界では、安全性、機能性を第一とする大規模なシステムを作ってきた。
莫大な投資が必要で、既存の金融機関が手掛けるのが常識だった。ITの高度化が状況を
大きく変え、スマホの高機能化や気密性の高いクラウドサービスが低価格で利用できるように
なった。IT大手などの異業種や、高度な技術を持つベンチャ―企業が参入しやすい環境が
整い、技術の進化を主導する。」とありました。

 

 で、新しい「金融サービス」とはどのようなものか? これについては今後さらに新しい
アイデアから次々と生まれてくるようですが、富士通総研の記事には、「利用者の目線から
“安く、早く、便利”に変えていこうとする動きが活発化している。代表的なフィンテック・
サービスとしては、PFM(Personal Financial Management: 個人のお金に関わる情報を統合的に
管理するサービス)、ロボ・アドバイザー(人工知能(AI)活用による投資助言サービス)、
マーケットプレイス・レンディング(資金の貸し手と借り手を仲介するサービス)、モバイル
POS(スマートデバイスを利用してクレジットカードでの支払いを受け入れることができる
サービス)などが挙げられる。」とありますが、やや難しい感じですが、たとえば、スマホ
などに小さな器具を取り付けるだけでクレジットカード決済が出来たり、指紋だけで支払いが
出来る「手ぶら決済」や自動で家計簿をつくることが出来るクラウド家計簿、AI技術を組み
合わせた資産運用などが挙げられています。
 先日、テレビでは、箱根あたりの観光地で実証実験が行われている様子が紹介されていました。
旅館などで事前に、指紋などを登録しておけば、お土産店や利用のお店で指紋だけで決済されて
いました。また、どこかの海水浴場でも、指紋による決済が紹介され、財布を持たなくても
買い物、飲食が出来る・・といった場面が流れていました。

 このような、エッジ的な技術による新しいサービスが次々と出現してくると思われますが、
このフィンテックを支える基盤技術として、あのビットコインで有名になった「ブロック
チェーン」技術があります。ブロックチェーンとは、これまで1つのコンピューターで集中的に
管理していた取引記録(トランザクション=ブロック)を複数のコンピューターで共有する
仕組みで、これらの取引記録(ブロック)が次々とチェーンのように繋がって、ネットワークに
属するコンピューターすべてに記録される仕組みのことなんですね。P2Pの接続ですね。

       P2P接続概念
         (ウイキペディアより) 

   複数で共有しているから、どれか1つが故障してもシステムは大丈夫であるほか、集中
管理に比して分散されているからシステム費用が大幅に削減されるというのです。 そして、
複数で、記録がチェーン状になって情報共有されていますから、改ざんや不正取引が防げるとされています。

 このフィンテック、今後の課題は、やはり何と言っても顧客保護と利便性の両立を考慮した
法整備があげられています。そして技術的にはセキュリティでしょうね。

 このような時代が来て欲しいのか、欲しくないのかさっぱり理解できないでいます。

 

  注)フィンテックへの投資額推移のグラフを掲載していた、ビリングシステム㈱を調べてみましたら、
  設立は平成12年6月、資本金12億強、会社は内幸町の帝国ホテルタワー13Fとありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サギソウ'16  (bon)

2016-08-25 | 花鳥風月

 今年のサギソウは、失敗で枯れてしまいました。トホホ(;´д`)

 園芸友の会の先輩に刺激されて、サギソウを始めたのは、7年前の2009年8月、昭和記念公園の
“サギソウ祭”に行ったのがきっかけで、翌年3月に同園で実施された“サギソウ教室”に参加し、
実習を受けてからでした。 
ですから、すでに6年間楽しませてくれていました。球根(いも)も最初のものの世代が続いてきて
いました。特に、今年3月初めに掘り上げた球根は、これまでのどれよりも形もよく大きい立派な
球根でした。

 今年4月には、植え付けてから2か月弱でようやく芽が出始めてきましたし、7月には立派な
状態に成長し、このブログにも“花置き”(2016.7.7)に記事アップしていました。

 新芽(4月下旬頃)           元気な姿(7月上旬)
  

 

 それが、どうしたことか今月に入って、心なしか弱った感じがしていましたら、とうとう写真の
ように枯れてしまいました。

            枯れてしまったサギソウ(8月中旬)
             

 

 どうして枯れてしまったのか? 皆目見当が付きません。窓のすぐ外の花置きにおいています
から、水やりを欠かしたことはありません。昨年、うまくいった夏の太陽を遮る“すだれ”は、
そのまま踏襲していて、特に昨年と変わったところはありませんでした。しいて言えば、サギソウの
横に“キンギョソウ”そのまた横に“ペチュニア”などの鉢を置いていることでした。 これらの
鉢のために風通しがさえぎられて、温度上昇があったためかも・・と思ったりしています。
しかし、そんなに微妙で繊細なものなのかどうか、しかと原因は判明していないのです。

 3月始めに球根を植えて、2か月弱して芽が出、その後元気に成長し、青々とたくましい姿を
見せていて、もうすぐ白いサギが飛び立つさまを期待していた矢先に、突然こんな姿になろうとは、
まったく予想もしていないことでした。

 気を取り直して、来年の“サギソウ教室”に再入門し 新しく出直すことにしました。

 

 "サギソウ'15"(2015.8.16)の姿       そのアップです。

   

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

島崎藤村  (bon)

2016-08-23 | 日々雑感、散策、旅行

                 甲子園も リオ も、無事終わりました。
                              リオの閉会式では、新しい技術を駆使した光の芸術、次開催地・東京も
                              演出され華々しい終幕でした。
                     折しも、台風9号が上陸し、関東にも強い雨を降らし各地で被害がでました。
                
夏休み最後の計画を楽しみにしていた子供たちにも、被害を与えました。
                               自宅ベランダでは、大鉢の花木たちが転がっていました。

 

 “破戒”や“夜明け前”で超有名な「藤村」ですから、今更・・という感じもありますが、
昨日8月22日が命日ということもあって、ここに取り上げてみました。 ネットで、いろいろと
検索してみますと、あまり知られていない(私が知らないだけかも)ことがらもあったりして、
それなりに新鮮な感じを受けています。 
重複するかもしれませんが、以下にかいつまんでご紹介してみます。

         島崎藤村
           (ウイキペディアより)

 

 島崎 藤村は、1872年(明治5年)、信州木曽の中山道馬篭(現在中津川市)に生まれた、明治、
大正、昭和 3代にわたり活躍した詩人、小説家で、本名は島崎春樹。 幼いころから、父(正樹)
より、「孝経」や「論語」を学び、上京後は、銀座の泰明小学校に通い、さらに三田英学校、
共立学校などの進学予備校を経て 明治学院に入り、西洋文学を読みふけり、また、芭蕉や西行
などの古典書物も読み漁るなど、この頃にすでに文学的な素養が形成されたのでしょうか。
明治学院第1期卒業生で、校歌も作詞しています。 相前後して、父親(正樹)が郷里にて牢死
することになるのですが、藤村、晩年の長編歴史小説の大作「夜明け前」の幕末から維新に至る
激動の時代を信念で生きる主人公青山半蔵は、父正樹がモデルとなっているそうです。

 藤村、20歳で明治女学校英語教師となり、翌年「文学界」に参加し、北村透谷らと明治期の
浪漫主義の月刊文芸雑誌『文学界』を創刊します。 その後、4~5年経って、詩作を始め、
『若菜集』を発表(明治30年)し、続いて『一葉舟』『夏草』『落梅集』の詩集を発表して、
明治浪漫主義の開花の先端となるのです。今、なお親しい『椰子の実』、『千曲川旅情の歌』は、
『落梅集』に収められています。

 いつだったか、伊良湖海岸の浜辺に立ったときに、この歌を歌った記憶があります。 また、
千曲川・・は、昔、習いましたね。

          伊良湖海岸
            (ウイキペディアより)



「小諸なる古城のほとり」 -落梅集より-                                

  小諸なる古城のほとり       雲白く遊子(いうし)悲しむ
  緑なすはこべは萌えず       若草も藉(し)くによしなし
  しろがねの衾(ふすま)の岡辺(おかべ) 日に溶けて淡雪流る
  あたゝかき光はあれど       野に満つる香(かをり)も知らず  
  浅くのみ春は霞みて        麦の色わづかに青し
  旅人の群はいくつか        畠中の道を急ぎぬ
  暮行けば浅間も見えず       歌哀し佐久の草笛
  千曲川いざよふ波の        岸近き宿にのぼりつ
  濁(にご)り酒濁れる飲みて    草枕しばし慰む

「千曲川旅情の歌」     -落梅集より-                                 

  昨日またかくてありけり      今日もまたかくてありなむ
  この命なにを齷齪(あくせく)    明日をのみ思ひわづらふ
  いくたびか栄枯の夢の       消え残る谷に下りて
  河波のいざよふ見れば       砂まじり水巻き帰る
  嗚呼古城なにをか語り       岸の波なにをか答ふ
  過ぎし世を静かに思へ       百年もきのふのごとし
  千曲川柳霞みて          春浅く水流れたり
  たゞひとり岩をめぐりて      この岸に愁を繋ぐ  

 

 27歳(明治32年)で、明治女学校卒業生と結婚しますが、この頃より詩から散文へと創作法を
転回し、写生文「千曲川のスケッチ」を経て、7年後の明治39年には『破戒』を自費出版し、
文壇から自然主義文学として絶賛を博しますが、この頃3人の娘が栄養失調により相次いで没する
不幸に直面しています。しかし、創作活動は継続され、次々と発表してゆきますが、妻が4女を
出産して間もなく他界してしまいます。 手伝いに来ていた、姪と愛人関係になり、後に、
『新生』で、自らの近親姦を告白しているのです。

 1929年(昭和4年)4月から1935年昭和10年)10月まで 『夜明け前』が「中央公論」に連載され、
この終了を期に著作を整理、編集し、『藤村文庫』にまとめられたとのことです。
また日本ペンクラブの設立にも応じ、初代会長を務めたとあります。

 1943年(昭和18年)8月22日、脳溢血により、大磯の自宅で満71歳の人生を閉じたのでした。
最期の言葉は「涼しい風だね」であったとありました。 

 

 

 

 

     

        

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

板混定期演奏会’16  (bon)

2016-08-21 | 音楽、Romantics Stream

 日本近海に、3つも台風が接近して、折しも停滞している前線を刺激して、北日本を始め関東でも
不安定なお天気で、突然雨が降ってきたり・・
そんな昨日(2016.8.20土)でしたが、板橋区立文化会館大ホールに出かけました。 私の友人が
団長を務める板橋区混声合唱団の第39回目の定期演奏会です。友人の彼は、もちろんメンバーで、
パートはバスを担当しておられます。

        板混第39回定期演奏会
          
 

 外のお天気にも拘らず、1200名を超える大ホールは満席の盛況で、会場はひととき美しい
ハーモニーの数々に魅了された 別世界に引き込まれたのでした。

 プログラムは2部構成で、第1部は「うたの街のうた」と題して、花の街、港の街、甲子園という
副題で、懐かしい“春の唄”や“港が見える丘”、“そして神戸”などの流行歌を 団員の
テノールソロを挿入したりの変化をつけ、甲子園では、ちょうど高校野球準決勝の日にタイミング
絶妙で、“栄冠は君に輝く”などの勇気の出る元気いっぱいの演奏がさわやかでした。 
第2部はモーツアルトの「レクイエム」が、オーケストラと共に、プロソリスト(ソプラノ、
アルト、テノール、バス)4名の美しいハーモニー、そして100名に及ぶ大合唱の響きは、重厚で、
荘厳な広がりにいつしか引き込まれ、ひと時我を忘れる思いでした。

        オーケストラ、4人のソリストと共に・・

           


 解説にもありましたが、この「レクイエム」(死者のためのミサ曲)は、モーツアルトが
亡くなる年、1791年にある伯爵から内密に作曲を依頼され、とりつかれた様に作曲を進めますが、
完成しないまま亡くなってしまうのです。そこで、何人かの弟子が、モーツアルトが残した指示に
従って完成させるのです。この補作を行ったのが、ジュスマイヤーという人なのだそうです。

 昨年から、板混の監督に就任された指揮者の高井優希氏のご挨拶に、「今年はジュスマイヤーの
生誕250年に当たる年ですが、ちょうどこの時に、この曲を演奏することが出来た」との意義が
述べられ、続いて「これからも、板混はどんどん変わって行きますのでよろしく・・」との
言葉がありました。 そういえば、昨年、今年の演奏会はどことなく違った印象があります。
合唱の迫力、広がり・伸びやかさなどが一層強く感じられるとともに、プログラム構成でも
どこかスパイスの効いたキリットしたさわやかさを感じるのでした。

 昨日は真夏の不安定な天候に反して、さわやかなそして荘厳で美しいメロディーにひと時
清涼な世界に誘われたのでした。音楽はいいですね。

 

 

 レクイエムのサワリがありましたので・・

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

写真判定  (bon)

2016-08-19 | 日々雑感、散策、旅行

 リオ五輪は、連日熱戦が繰り広げられています。 これまでの五輪より、熱心にテレビ観戦
しているように感じています。 東京オリンピックが決まったから? 次々と日本の選手がメダル
獲得して盛り上がっているから?  などからかもしれません。

 今日の読売新聞に、オメガの計時技術に関する記事が紹介されていました。 花形陸上男子
100m、200m決勝は、ウサイン・ボルトが史上初の3連続金メダル獲得の偉業を達成しました。
その、100m決勝タイムは、1位ボルトの9.81秒、2位9.89秒でその差100分の8秒、続いて3位は
100分の2秒、以下各着順は100分の2、1、2、8、2秒差で、結局 決勝8人は、100分の25秒差
の中に入っているというのですね。 陸上競走、競泳などタイムを競う競技は勿論ですが、
五輪に関わらず広くスポーツ界では正確な計時(着順)は最も重要な事柄の一つです。
 このようなスポーツばかりでなく、競馬、競輪、競艇などの公営競技もしかりです。肉眼で
判定しにくい際どい順位と計時は、最近では、デジタル技術を用いた写真判定(photo finish)
システムが導入されているのです。 デジタル技術の写真判定は、計時だけでなく、テニスや
バドミントンなどに見られる「チャレンジシステム」による“ラインのイン/アウト”判定にも
デジタル画像処理技術(CG)を用いたシステムが導入されています。大相撲の勝敗「ものいい」
や野球のホームラン、ファウル判定などにもビデオ判定が導入されているのはお馴染みですね。

 で、新聞に出ていた記事というのは、オメガは、リオ五輪のTOPスポンサーで、競泳から
アーチェリーまで計時、計測を担当しており、陸上では、スタートのフライングの判定から
ゴール着順位、タイムをすべてオメガ技術で担当しているという。 フライング判定は、スタート
台にかかる圧力が、号砲から0.1秒未満の早さである時、フライングであると検知するのだそう
です。ゴール着順判定には、「スキャン・オー・ビジョン・ミリア」という写真判定カメラを
用いており、なんと1秒間に1万枚写真撮影できる装置が初導入されたのだそうです。従来は、
2000枚撮影できるカメラであったそうです。

 これに刺激を受けて、ネット調べをしていましたら、SEIKOにありました。 セイコーも、
オリンピックを始め、国際競技大会の公式計時を担当しており、スポーツのタイマー専門の会社、
その名も「セイコータイムシステム㈱」(1970年、資本金6,000万、東京江東区)という会社が
ありました。オメガは、1932年ロス五輪より計時担当として歴史的な公式スポンサーでありますが、
セイコーも過去5大会(五輪)の公式計時担当を務めているのですね。セイコータイムシステム㈱
のHPより、技術的内容(概要)をここに引用します。

 「スリットビデオシステム」(デジタル写真判定装置)というシステムでは、その仕様から
見ると、最大スキャン速度は、1/2000秒、1/5000秒、1/10000秒とありますから、1秒間に
1万枚の写真(デジタル画像)が撮影できるのは、オメガと同じですね。それで、どのような
画像になるかといえば、HPから次の画像を引用しました。

      スリット写真のイメージ (セイコータイムシステム㈱HPより)
   
 

         PC上での画像
          

 

  これらの画像から、選手のトルソー(頭部・腕・足・脚を除いた胴体部分)に合わせて
確定キーを押すことにより、正確なタイムが決定される。 なるほど・・!  よく、ゴールで、
頭をグッと前に出している選手を見ますが、これってあまり意味がないように思えますね。

  また、これらのタイム競技のシステムではなく、テニスやバドミントンで「チャレンジ
システム」を使うとき、しばらくするとCG画像によって、ラインインかアウトかその落下地点の
画像から一目瞭然と判定できる方式がとられています。これは、「ホークアイシステム」
(Hawk Eye System 審判補助システム)、つまり鷹の目システムによって判定されますが、
1999年にイギリスのホーキンズ博が開発した技術で、テニスには2006年頃から導入されたそうです。
テニスコートの周りに、8~10台のカメラを配置して、ボールの軌跡からその着地点を画像処理
して表示するシステムです。(ホークアイイノベーションズ㈱は2011年にソニーに買収されて
いるそうです。) バドミントンの場合は、シャトルコックの重量は約5gで羽が付いているため、
シャトルの軌跡の計算には、テニスボールの場合とは違った計算方法をもちいているとか。

       ホークアイ
           (ネット画像より)
 

 いずれにしても、スポーツの世界にもデジタル技術が深く、しかも極めつけの部分に導入されて
より正確性を保持するようになってきたのですね。

 

 大相撲にビデオ判定が導入されたのは、1969年といいますから、割と以前から人の目以外の
判定基準が導入されているのですね。ネットによれば、この年の3月場所で、大鵬 - 戸田戦で、
大鵬の46連勝がかかった重要な一番の時、物言いにより行司差し違えという誤審があり、さらに、
物言いが長時間に及んだため、次の5月場所から導入されたという。

 また、競馬ではお馴染みですが、鼻、頭、首差などの僅差の判定には欠かせないと思いますが、
ネットによれば、その昔(1972年12月3日に東京競馬場]で開催された第22回クモハタ記念)で、
タケデンバードとハクホオショウの着順判定を1着タケデン、2着ハクホオと判定したが、これに
疑問が出され、「タケデンハード事件」として記録されているというのです。この時、写真判定も
活用されればよかったのですが、生憎システムが稼働していなかったとのことで、結局審判員の
肉眼の判定しかできなかったらしいのですが、カメラが稼働していなかったというのは、判定を
うやむやにする魂胆ではないかなどとの憶測を生んだそうです。

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

五山送り火  (bon)

2016-08-17 | 日々雑感、散策、旅行

            リオ五輪、甲子園では熱戦が繰り広げられています。
          テレビ視聴時間がどうしても長くなり、エアコンにも積極的に
          お世話になっていますので、この夏の電力は大変かもしれませんね。

 そんな中、昨日、8月16日は京都の送り盆の行事として世界的に有名な「五山送り火」があり
ました。 折しも、前夜から断続的に降り続いた雨により、鴨川の増水をはじめ道路の浸水など
被害が続出したといいます。 当日も、昼頃には1時間に84.5ミリという猛烈な雨を観測し、市内
各地では五条通の高架下が冠水で通行止めとなり、他にも堀川通をはじめ市内各地の道路で水道管が
破裂して噴水のように水が吹き出たりアスファルトに亀裂が走るなど被害が出たそうです。

 それでも、昨夜の五山送り火は中止することなく挙行されたそうです。本来、京の夏の夜空を
焦がす京都の名物行事・伝統行事で、葵祭、祇園祭、時代祭りとともに京都四大行事の一つとされる
一大イベントですが、さすがに昨夜は、人出が3万人とぐっと少なかったようです。 午後8時を
合図に、東山如意ケ嶽の「大文字」が点火され、その後5分おきに松ヶ崎西山・東山の「妙・法」、
西賀茂船山の「舟形」、大北山・左大文字山の「左大文字」、嵯峨鳥居本・曼荼羅山の「鳥居形」に
それぞれ点火され、雨に見舞われるも、伝統の火は絶やさなかったのです。

  大文字               妙法            舟形            左大文字           鳥居形  
     
        (いづれも、京都市観光協会HPより転写しました。)

 

 記録によると、昭和38年ごろの豪雨では、1日順延されたそうで、戦時中の3年間の灯火管制下で
中止があった以外はずっと継続しているようです。

 ネットによれば、―般的に、送り火そのものは盆の翌日に行なわれる仏教的行事であり
(「報恩経」)ふたたび冥府にかえる精霊を送るという意昧をもつとされ、仏教が庶民の間に深く
浸透した中世、それも室町以後になれば、通説によれば、この夜、松明の火を空に投げ上げて虚空を
行く霊を見送るという風習があり、京都五山の送り火は、これが山に点火されてそこに留ったもの
であるといわれる・・とあります。

 しかし、 この行事が、誰が何時 はじめたものか?などの起源については、残念ながら明らかで
なく、京都市観光協会HPによれば、『① 時期は 平安初期、創始者は空海、 ② 室町中期、
足利義政、③ 江戸初期、近衛信尹 など それぞれに俗説があるとしていて、①は「都名所図絵」
などに記されるところで、往古山麓にあった浄土寺が火災にあった際、本尊阿弥陀仏が山上に飛来
して光明を放ったことから、その光明をかたどって点火したものを、弘法大師(空海)が大の字に
改めたという。その後近世に至るまで如何なる記録にも大文字のことが記されていないから全くの
俗説にすぎない。②足利義政を創始者とする「山城名跡志」説は、義政の発意により相国寺の
横川景三が指導して義政の家臣芳賀掃部が設計したとしている。③近衛信尹の説は寛文2年
(1662)に刊行された「案内者」によると次の如く記されている。「山々の送り火、但し雨降れば
のぶるなり…松ケ崎には妙法の2字を火にともす。山に妙法といふ筆画に杭をうち、松明を結び
つけて火をともしたるものなり。北山には帆かけ船、浄土寺には大文字皆かくの如し。大文字は
三藐院殿(近衛信尹)の筆画にてきり石をたてたりといふ。」』とまぁ、種々あり、これが決め手
というものはないようです。

 起源は定かではありませんが、お盆にお迎えしたご先祖様の霊を再び送り出す、京都の伝統行事は、
雨の中 如意が嶽の「大」の字が夜空に浮かぶと京都市内は幻想的な雰囲気に包まれたという。

 また、ウイキペディアに、五山送り火にまつわる、エピソードがありましたので、ここに引用します。

  • 明治以降、夏以外に戦勝などのイベント絡みで数回点火されたことがある。直近では2000年12月31日に五山全部で点火された。
  • 2003年9月13日の夜には、当時、18年ぶりのリーグ優勝目前の阪神タイガースファンのおよそ25人が大文字山に登り、各々の懐中電灯で阪神のHTマークを照らし出した騒ぎがあった。
  • 京都市眺望景観創生条例に基づいて、各五山への「しるしへの眺め」が損なわれないように建築物に規制が課せられている。
  • 2011年8月16日開催分において、東日本大震災被災地である岩手県陸前高田市の被災松を一旦受け入れたものの、一部の放射能汚染を不安視する声を受けて8月6日受け入れ中止となった。その後主催者側の決定に対し抗議・非難の電話が殺到したため、同月11日に一度は中止の決定を覆したものの、新たに取り寄せた松から放射性セシウムが検出されたため、翌12日には被災松の使用中止という結末となった。
  • かつては、一般人が送り火の当日に大文字山に登って、火のすぐ隣で送り火を見ることが可能であった。しかし、危険でもあり、送り火の最中にフラッシュを焚いたり、懐中電灯を点灯する登山者が多く、市街から見て見栄えが良くないため、現在では一般人は点火当日は13時までに下山をし、それ以降は禁止している。

 その昔、何度か見に行ったことがありましたが、暑かったですね。

 

 

雨の中の五山送り火(妙)

 

 

 

 

 

 

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三究会 '16   (bon)

2016-08-14 | 日々雑感、散策、旅行

 山行きのお話です。

 今年で32回目の夏山登山に行ってきました。施行最初の「山の日」の8月11日から2泊3日で、
西穂高岳方面を目指した行程が計画されましたが、若い頃とは違って山小屋宿泊はなく、新平湯
温泉泊を起点として、新穂高ロープウエイ経由、西穂高山荘トレッキングという健脚な登山者から
見れば甚だ、ぜいたくな山行きでした。

 それでも、久しぶりの山行きは、ロープウエイ西穂高口駅を降りてからの山道を登るとき、
暑い日差しに汗を流し、ゴツゴツした登山道を踏みしめながら、何かしら懐かしい思いが沸いて
きたのでした。 昔はもっと元気だったけれど、こうやって山の仲間と一緒に何度も経験した
あの感覚でした。

 “三究会”というのは、この山の会がスタートして2度目か3度目の頃、何か会の名前がほしく
なったので、それでは・・ということで、命名された会の名前なんです。 山を含めた自然と
味とお湯、この3っつを究めて、互いの人生を語る・・そんな意味合いから、三を究める会と
なりました。 第1回は、白山を皮切りにスタートし、これまで32年がたち、アルプスの山々、
槍、剣、立山、常念、薬師、黒部五郎、白馬・・などなど、それに、ヨーロッパアルプスのモン
ブラン、ユングフラウにも足を延ばしたり、また、日本では、御岳、那須茶臼岳、伯耆大山、
大雪なども楽しい山行きでした。


 ロープウエイの西穂高口駅を降りて、1時間半ほど登ると、西穂高山荘に出ました。大きな
山小屋の前庭周辺には大勢の登山客が休んでいました。 そういえば、ここ数年、谷川岳、妙高、
青森、伯耆大山と、いずれも山小屋に来ることはなかったのした。 ロープウエイの中からは、
背後の笠が岳のきれいな姿を見、左前方には槍ヶ岳の頂上が見え、今また、焼岳の荒々しい岩肌を
近くに拝し、眼下には上高地を見下ろすそんな展望をほしいままにしていました。 久しぶりに
感じる山の空気を胸に、我々も、ベンチに腰を下ろし、お昼を済ませたのでした。

背後に見える笠が岳            左前方には穂高岳
 


西穂山荘                 山荘前にて
 


            山荘前の表示 

             
 

 少し休んでから、西穂方向に盛り上がった急な坂道に向かって歩き始めました。 登山者の列の
後ろから、目の前の急な登りを一気に登り切ると、息が切れ、激しい呼吸にしばし立ち止まる
有様でした。 汗でシャツは濡れ、足元もややグラグラと頼りなく感じながら、20分ほどで丸山
(標高2462m)に到着しました。道は、さらに独標から西穂へと続きますが、わが身の状態から
帰路を考えると、“もはや、ここまで”と決めて、下山することとしたのです。右奥には、奥穂、
さらに右手に前穂の雄姿を眺めて別れを告げたのでした。

穂高丸山(2462m)            独標・西穂は雲の中
  

 私よりももっと重そうなザックを背負った、力強い足取りの若者に道を譲るとき、うらやましさ
とともに、往時の我々の姿を思い出すのでした。 以前より体重が増えたこと、運動不足、
筋力の衰えなどから致し方のない状況と納得しています。 ロープウエイを降りてから、往復
4時間弱の行程は、私にはちょうど良かったというか、これで十分でした。

            奥穂と前穂
             
 

 新平湯温泉の宿は、ちょっと古い“美山荘”でしたが、やや熱めの露天風呂に身を沈めるとき、
今日一日を振り返り、自然の豊かさ、大きさとともにそこに取り込まれる自分に改めて感謝の
気持ちが沸いてくるのでした。元気でいること、親しい仲間と今回も楽しい山行きができたこと
などありがたいことでした。

 帰り際に立ち寄りました、ますのすし「源ミュージアム」での見学コースも涼しくて良かったです。

露天風呂                 源(ますのすし)ミュージアムにて
  

 

 

 

 

 

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お気持ち  (bon)

2016-08-10 | 日々雑感、散策、旅行

             異常な猛暑日が続く中、リオ五輪の熱戦、そして、甲子園での暑い・熱い戦いに、
                      熱中症に気を付けながら熱中している今日この頃です。

 

 このほど、天皇陛下はビデオ放送による ご自身の“お気持ち”が放送されました。
事前に周辺情報として、流れていた「生前退位」について、その直接的な言葉は一切避けられて、
大変穏やかな美しい言葉で、自身の気持ち、考えを述べられました。

 事前に、これについて初めて知った時、高齢の中、公務も大変なのかな・・、それならば、その
気持ちを尊重して、生前退位すればよいではないか・・などと軽く考えてしまっていました。
しかし、憲法第2条に、「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところ
により、これを継承する。」とあり、生前退位は出来ない となっている。 それでは、改正などの
手立てを取ればよいのでは? ここでも憲法第4条「 天皇は、この憲法の定める国事に関する
行為のみを行い、国政に関する権能を有しない。」とあり、天皇といえども、おいそれと憲法改正に
対する指示めいた発言(行為)は出来ない。(してはならない。) そもそも、憲法第1条の
「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本
国民の総意に基く。」により、天皇は、国民及びこの国の象徴なんですね。 かって、ずっと
若かった頃に、“象徴”というのは、どのようなことなのか?具体的にはどのような形、行為、
地位なのだろうかと議論したこともあったように記憶しています。

               

 しかし、天皇のビデオメッセージによる“お気持ち”をじっくり聞いていますと、この象徴の
意味・行為がどのようなものであるか、天皇自身も十分に考えられて行動され、国を思い、国民に
寄り沿いながら、全身全霊で“尽くす”ことだと理解されます。そして、天皇は、このように
“尽くす”ためには、すでに高齢故の体力的限界を感じられ、さらに、これらの行為を代行したり、
摂政によって自らが行わないことは、もはや“象徴としての天皇”であるとの意味は無くなり、
単なる形式でしかないのではないかと考えておられるようにも取れます。 ここで、「摂政」とは、
天皇に変わって政務を代行すること・・とありますが、私の勝手な思いでは、権限を有した天皇
(主君)が、幼少又は何らかの理由で直接政務を行うことが出来ない(相応しくない)場合など
であって、日本国憲法が規定する、象徴であり、国政に関する機能を有しない天皇に対してあて
はまるのかどうか?とも思うのです。 そして、この“お気持ち”の中でも、「幸いに健康である
とは申せ、・・」と、「次第に進む身体の衰え」の前に、現在健康であることをあえて付言され、
身体的な理由で、摂政または代行などは当てはまらない・・とくぎを刺されています。

 国政に対する機能を有しない・・ことから、(退位できるようにとの)指示または憲法改正提案
であってはならないことに配慮され、その言葉は避けておられますが、柔らかい美しい表現の中に、
実に強い気持ちと、象徴天皇の地位・行為、ありかたを具体的に定義されているのだと理解しま
した。 かくなる上は、政府が自発的あるいは国民総意で、生前退位が可能となるよう対策を
とればよいのではないでしょうか? 国民総意?とんでもない!という人々もいるかもしれません。

 憲法・皇室典範を改正すればよいではないか? 暫定解として、今回限りの「特例」はどうか?
など、取り沙汰されているようですが、「特例」が可能なのであれば、何だってできる・・わけで、
これだとそもそもの憲法の意味が薄れてしまうことになる・・。したがって、憲法・皇室典範を
改正する方法論が最も適していると思いますが、この場合、何のために改正するのか、その明快な
理由が必要でしょうし、改正するとして何を基準に改正するのか、それはなぜか? など、象徴
天皇の根本的な定義、内容が検討される必要があるだろうと思います。しかし、もし、今回の
“お気持ち”に表されている“全身全霊”による行為が行われなかった場合、つまり、象徴天皇の
定義に反するような(不十分な)天皇があらわれた場合は、困ることになるため、あまり、象徴
天皇の定義を具体化しないほうが良いかもしれないなどと思う面もあり、もどかしい部分なのです。 
また、生前退位が可能となった場合、指摘されているように天皇自らの意志によらない“強制退位”
が起こりうる可能性は排除されるべきであるのは言うまでもありません。 いずれにしても、
有識者会議を設定して、議論が重ねられることになるのでしょう。

 生前退位が可能となった場合の、地位、行為(役割)、皇太子などの設定や居住、年号などの
具体的事項を並行して決定しなければならないわけで、突如大きな案件が生じたことになるので
しょう。

 産経・FNN世論調査では、『「生前退位が可能となるように制度改正を急ぐべきだ」と答えた人が
70・7%に達し、「慎重に対応すべきだ」の27・0%を大きく上回った。 また、「生前退位」
が可能となるように「憲法を改正してもよい」と思う人は84・7%に達した。「思わない」と
答えた人は11・0%にとどまった。』と報じています。


 明日、11日は施行初めての「山の日」です。 恒例、夏の行事“三究会”で穂高岳に行ってき
ます。 新平湯から西穂高のお手軽トレッキングになりそうです。

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

数独(7)  (bon)

2016-08-08 | 日々雑感、散策、旅行

 久しぶりに数独問題をアップしました。

 

 が、その前に、ここ一両日のスポーツ テレビ観戦の感動を一言述べさせていただきます。
 競泳では、萩野公介選手が400m個人メドレー種目で、念願の金メダルを早々と獲得しま
した
が、これまでの数々の記録、戦績の保持者にとっても、最後の自由形で2位の選手に
あわや追い
つかれるかと思うような場面での金メダルで、世界の強豪が出場するこの大舞
台でのぶっつけ
本番で成果を出すことの厳しさを感じるのでした。 また、女子重量挙げ48
㎏級では、三宅宏美
選手が今回 銅メダルに輝きました。 コーチを務める父親の三宅義
行は、メキシコ五輪で
銅メダルを取り、この時、実兄の三宅義信は金メダルに輝く、まさ
しく重量挙げ一家ですね。
しかし、テレビで観戦していても、その重さが伝わってくるよ
うで、特に“クリーン&ジャーク”
で、バーベルを床から引き揚げ腕に抱える時、三宅宏
美の姿勢が、完全にしゃがんだ状態から
107㎏のバーベルを持ちながら、じわっと持ち上
げる時の膝・腰の力の強さ、踏ん張りが強烈に
伝わってきました。 最近では、何も持たずとも 
しゃがんだ状態から立ち上がるのが難しい
自分を思うとき、遥か向こうの超人のように感
じるのでした。

        リオ五輪
          (ウイキペディアより)

 

 また、卓球なども、目にもとまらぬ速さの球を打ちあい、その長い 難しいラリーの末の1
イント獲得という力と技の戦いを経た死闘とも言うべき勝負に勝つ大変さ、重さが伝わってくる
のです。 これらの競技の他、柔道、フェンシング、射撃、アーチェリー、などに日本選手が
力強く出場している姿にも引き込まれるのでした。

 通常ならこの時期、我が家では、高校野球のテレビ放送が流れっぱなしになっていハズですが、
今年は、午前中流れっぱなしになっているのは、リオ五輪放送となっています。野球の
方は、
ニュースの時に、結果を見るにとどまっているのです。

 スポーツは今や、通常の練習などでは勝などには届かず、体力作り、筋肉作りは勿論、物理的
な分析から編み出す技、精神面、栄養面など総合したトレーニングをこなしている
のです。
並々ならぬ努力と工夫の集大成をぶつけ合う大会は、やはり迫力に満ち満ちた人
間ドラマです。
 まだ始まったばかりです。 毎日が楽しみです。

 

  数独、お待たせしました。 
今回は、その7 ということで、2題アップしましたが、ど
ちらの問題も、スッキリと解けていな
いのです。 最終のところで、どちらかのマス目に、
数字を仮に設定してうまく行くかどうかを
確かめるやり方でしか完成していないのです。
特に、問題Bの方は、問題本体にすでに数字が
たくさん入っているので、一見易しいよう
に思いましたが、こちらの場合もやはり、“数字の
仮置き”手法?でないと解けなかったの
です。 このような、“仮置き”ではなく、スッキリと
回答できた方から、その方法を教え
ていただきたく、敢えてこの問題をアップしました。 
ご教授の程、よろしくお願いします。

    

   (出題は、ネットsuudokugameより選びました。)


 なお、数独とは何か、その解き方などについては、最初に取り上げました“数独”
(2012.2.
6)に記述していますのでご覧ください。

 

 

 

 

 

好きなパティ―・ページから・・

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

彩夏祭  (bon)

2016-08-06 | 日々雑感、散策、旅行

        今日8月6日は、広島原爆記念式典が放送された後、続いて、オリンピック開会式が流れ、
                     色とりどりの205の国と地域の入場が報じられていました。半袖のカラフルなシャツ姿、スーツ
        にネクタイ姿の選手団、にこやかな各国の選手たちの姿は、やはり平和の祭典ではあります。

 
 今年33回を迎える、埼玉県朝霞市の夏祭り、朝霞市民祭り 「彩夏祭」(さいかさい)が始まり
ました。 
私がこの街に住み始めて20数年になりますから、そのもう少し前から始まった新しい
祭りですね。 今年は、8月5~7日に開催され、人気の「関八州よさこいフェスタ」には、学生、
企業、地域チームなど100ほどの“連”が出て、何か所かの市内を練り歩くのとグラウンドの
ステージでも次々と踊りが披露されます。大きい連では150人規模で、踊り子総勢は、ざっと
4,000人を超える賑わいで、コンテストが行われていて、元気なチームはいろんな趣向を凝らした
“ド派手”だけれども迫力満点のよさこいを披露しています。その他、商工まつり、音楽、
和太鼓演舞、スポーツ…など盛りだくさんな行事となっています。

        よさこいフェスタ
          (彩夏祭HPより)

 

 このよさこいフェスタがメインですが、今日、6日(土曜日)の夜は、これまた大迫力の
9,000発の花火が打ち上げられるイベントがあります。 この時期、ベランダに出て夜空を見渡し
ますと何か所かで、花火が上がっているのが見えるのです。音がほとんど聞こえない遠いところ
でも、打ちあがっているのが見えます。 でも、今夜は、打ち上げ場所の公園のすぐ隣の陸上
競技場が有料観覧所となったので、孫たちと共にそこに行ってきました。 真近くで打ち上げる
ので、ズボッツという打ち上げる時の音、上空で開く時のドドーンという音が体中に響くような
感じで、4次元?の迫力を堪能してきました。
 その昔、この花火の音に泣いた孫も今は、大学生として真近に花火を楽しむ時の流れを改めて感じた夏の宵でした。

 

 昨日の駅前の様子が、もはやu-tubeにアップされていました。

 

携帯で撮った花火もご覧ください。

 

もう一つどうですか・・。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ねぶた祭り  (bon)

2016-08-04 | 日々雑感、散策、旅行

 東北三大祭りの一つ“ねぶた祭り”はあまりにも有名ですね。陰暦の七夕行事で、弘前市、
青森市で行われます。 弘前は「弘前ねぷた」といい8/1~7、青森は「青森ねぶた」と言って
8/2~7にそれぞれ盛大に開催されます。  文末に、u-tubeから、それぞれの映像を引用して
おきましたので雰囲気を感じてみてください。

  ねぶた祭りの起源は、 奈良時代(710年~794年)に中国から渡来した「七夕祭」と、古来から
津軽にあった習俗と精霊送り、人形、虫送り等の行事が一体化して、紙と竹、ローソクが普及
されると灯籠となり、それが変化して人形、扇ねぶたになったと考えられているとありますが、
別の説には、平安時代の初期の征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷征伐のとき、敵をおびき寄せる
作戦に使ったというのと、文禄二年(1593年)津軽藩祖が、京都に在留中盆行事に大灯篭を
作って市街を歩かせたというのもあります。しかし、民族学的には「ねむけ」を払う行事として
考えられているという。  「ねぶた(ねぷた・ねふた)」は、東北地方を始め、信越地方の
「ネンブリ流し」、関東地方の「ネブチ流し・ネボケ流し・ネムッタ流し」等の民族語彙分布と
方言学から「ねむりながし」の眠りが「ねぶた」に転訛したものと考えられているのだそうです。

 「ねぶた」というのは、切子灯篭の大きなもののことで、木と竹で枠を作り、紙を張ったものを
いうそうです。 青森では「ねぶた」、弘前では「ねぷた」と書くようですが、発音はどちらも
“ねぷた”と言っているそうです。 そして、このねぶたには、金魚ねぶた、扇灯篭、組ねぶた
などの種類があるのだそうです。

青森ねぶた               弘前ねぷた
 
         (青森ねぶた、弘前ねぷた 各公式HPより)

 

 2年前の2014年に秋田~青森を旅行した折には、弘前がちょうど7月28日でしたので、ねぶたは
まだ開催されていませんでしたが、弘前市の「津軽藩ねぷた村」に立ち寄ったとき、そこの
「弘前ねぷたの館」での実演や、太鼓をたたいたりの体験ができました。また、その館では、
津軽三味線の実演コーナーがあり、何とか師匠と共演された津軽三味線の迫力には圧倒され、
今もなおその時の音色が思い出されてきます。

          津軽藩ねぷた村
           (津軽藩ねぷた村HPより)

 

今年の弘前ねぷた

 

青森ねぶた(2015年)

 

津軽三味線

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

蓼科農園夏合宿‘16  (bon)

2016-08-02 | 蓼科浪漫倶楽部 畑

 関東甲信地方はようやく遅い梅雨明けを迎え、いよいよ真夏日となる7月29日から、3泊4日の
夏合宿がありました。 幸い、曇り空も混じって直射日光は遮られるときもありましたが、
連日32~33℃の真夏日で さすがにたっぷりと汗を流しました。 大阪からの強力メンバを含めて
総勢8名の大合宿でした。 みんなの年齢を合計すると有に600歳を超す後期者が、暑いさ中に
日がな一日畑作業をする行為は、もはや尋常ではないかもしれませんが、全員ワイ・ガヤの
笑顔づくしの楽しい合宿でした。

 今回のメインは、ジャガイモの収穫でした。 4月末の“畑開き”で植えつけたジャガイモは、
男爵2畝、タワラムラサキ2畝、マゼラン(タワラ系)3畝の計7畝を掘り上げました。形も良く、
計400㎏を超える大豊作でした。

 ジャガイモの掘り上げ(男爵)       マゼラン
  

楽しい掘り上げ             お茶タイム
  


大豊作
     

  ジャガイモの他、ピーマン、ナスも大豊作でしたし、これらはまだこれからも実を付ける
優れものなんですね。 

ピーマン               ナス
  

 さらに、ダイコン、サラダ菜、ラディッシュ、バジル、パセリなどなど食卓を飾りました。
 これら、とれとれ野菜の恵みに一同感謝しながら、地道な作業の成果を喜び合い、
達成感と共に新鮮そのものの食感を味わうのでした。
 

 収穫にはまだ早い作物も順調に成長していました。サトイモは、小さい頃何となく頼りない
株でしたが、今は太く立派に隆々と成長しましたし、サツマイモも大きな葉を靡かせています。
 黒豆もネットの中で順調です。今回、幹下に紐を張り倒れないように補強しました。

サトイモ                 サツマイモ
   

           黒豆
             


カボチャ、スイカは小さな玉を付けながら好き放題にツルを伸ばしていました。

           かぼちゃとスイカ
             

 

  8人が揃う食卓は、自家野菜を含めた、腕よりの手作り料理と年代ものワイン、そして皆の
笑顔と懐かしみで大いに盛り上がるのでした。

         食卓を囲んで・・
             

 今回も、皆さん元気ハツラツのうちに、楽しい想い出をまた一つ重ねてさよならとなりました。

         頑張りました~
             



 お待たせしました! お楽しみオートスライドです。(約6分半)
     





コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする