今月(11月)5~6日に大阪で、母校(高校)創立120周年祝賀会とそれに続いて
同期だけの懇談会、さらに翌日の散策と楽しいひと時を過ごし、まだ余韻が残って
いる中で、一昨日(11/28)、高校時代の同期の仲間のオンライン会合「ウエブサ
ロン(10)」がありました。
関東5人、関西4人の9人でのオンラインサロンでしたが、このメンバーは、かって
還暦を過ぎたあたりから自然発生的に集まった10人が、八ヶ岳の麓の蓼科農園で、
16年も農作業を共に汗し、楽しみ、喜び、感動した人たちを中心に構成されていて、
昨年から始まった「母校をもっと魅力的にする」プロジェクトも推進してきた仲間
なんです。
一昨日のメンバーです。
120周年祝賀会は、コロナで開催が1年遅れましたが、結果的にそのことが私たちの
「魅力アッププロジェクト」(略してSMUPと呼んでいます)のまとめが出来、同窓
会長を通じてこの春就任された新任の校長先生にも提出することが出来、そして、
この度の祝賀会で校長、同窓会長に同時にご挨拶かたがた、これらについて短時間
ながらお話しできたことは誠に喜ばしいことであったと評価し合いました。
祝賀会には、いくつかの回生が、団体を構成して参加しましたが、30名の団体では
最高齢組でした。私達よりさらに高齢の、本科(女学校時代)の卒業生もおられま
したが、久しぶりの集まりで大変賑わっていました。 ウエブサロンメンバーには、
これら同期会の企画から実施に至る幹事数名がおられ、すべて成功裏に終えられた
ことへのねぎらいと感謝の集いでもあったのでした。
祝賀会にて・・会長、校長と
祝賀会に引き続き実施された同期会には50名の参加があり、これまでの同期会の
中でも特別盛り上がったようでした。 高校卒業後、時々行われていた同期会は、
個人的な有志で企画・実施されてきていましたが、卒業50年を機に、同期会を組織的
に構成し、運営することとしてその第1回を2008年に大阪で開催し120名を超える参加
でスタートしました。 その後だいたい2年おきくらいに、実施場所を京都、奈良、
東京、淡路島と選定しながら実施し、2018年の大阪実施の同期会の後は、コロナで
実施がストップしていたのです。
なので、今回は、4年ぶりということになりそれこそ皆さん心躍る懐かしい集まり
でしたが、傘寿を超えた身には身体的な不調から参加を辞退された方も多く、この
数年の変化を改めて認識した次第です。幹事の悩みもそこらにもあったようでした。
中ほど、同期会の席上で、上述のSMUPの検討結果を皆さんに報告する時には、私語
をやめ、皆さんの頭中には恐らく遠い昔の青春時代を思い浮かべながら、今またその
魅力を高める施策に真剣に聞き耳を立て、一同、心が一つになったようだったなど
の報告もありました。
また、SMUP検討の一部にあります「全国高等学校理化学会創立総会」(初代会長:
嘉納治五郎氏)が、大正15年(1920年)にわが母校で開始されており、ここで当時
の文部省からの諮問事項への答申が基となり、後(1953年)に「理科教育振興法」が
制定され、今日に至る理科教育が推進されてきたことの歴史的事実をも、もう一つ
の視点から顕彰して行くことも大事ではないか‥との意見などがあり、改めてこの
辺りの経緯について取りまとめ、報告して行こうとなりました。
設立総会議事録(全国中等学校理化学教員協議会報告号)
そして、このことの認識を今一度、現、日本理化学協会設立100周年に向けて、
その出発点であったことの意義を何らかの方法で示して行ければよいのではないか‥
なのど見解がありました。
これらについては、母校同窓会、学校はもちろん、日本理化学協会へもアプローチ
して行くことが重要であろうということになりました。
14時に始めたウエブサロン(10)は、瞬く間に2時間弱が過ぎ、いつまでも名残が
尽きない思いではありましたが、それらの余韻を残しながら15時50分にお開きとな
りました。
私たちが高校を卒業したのは、64年前の1958年です。その後、それぞれの道に進
み、世の中の一員としての活動(現役)を終え、今このように集いあえる仲間がい
ることの喜びを改めて噛み締めるのでした。
高校時代には、特に親しく行動していたということでもなく、名前とその存在を
知っていたくらいであった者同士が、わずか3年を同じ学窓で過ごした仲間である
というだけで、なぜにこのような無心な感覚で交流できるのか不思議でなりません。
リアルに合うことに越したことはありませんが、このようにオンラインで、手軽
に一堂に会して言葉を交わすことが出来るウエブサロンも、時代を取り入れた良い
方法だと思っています。
Buenas Noches Mi Amor