蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

ウエブサロン(10) (bon)

2022-11-30 | 日々雑感、散策、旅行

 今月(11月)5~6日に大阪で、母校(高校)創立120周年祝賀会とそれに続いて
同期だけの懇談会、さらに翌日の散策と楽しいひと時を過ごし、まだ余韻が残って
いる中で、一昨日(11/28)、高校時代の同期の仲間のオンライン会合「ウエブサ
ロン(10)」がありました。

 関東5人、関西4人の9人でのオンラインサロンでしたが、このメンバーは、かって
還暦を過ぎたあたりから自然発生的に集まった10人が、八ヶ岳の麓の蓼科農園で、
16年も農作業を共に汗し、楽しみ、喜び、感動した人たちを中心に構成されていて、
昨年から始まった「母校をもっと魅力的にする」プロジェクトも推進してきた仲間
なんです。

         一昨日のメンバーです。
         

 120周年祝賀会は、コロナで開催が1年遅れましたが、結果的にそのことが私たちの
「魅力アッププロジェクト」(略してSMUPと呼んでいます)のまとめが出来、同窓
会長を通じてこの春就任された新任の校長先生にも提出することが出来、そして、
この度の祝賀会で校長、同窓会長に同時にご挨拶かたがた、これらについて短時間
ながらお話しできたことは誠に喜ばしいことであったと評価し合いました。

 祝賀会には、いくつかの回生が、団体を構成して参加しましたが、30名の団体では
最高齢組でした。私達よりさらに高齢の、本科(女学校時代)の卒業生もおられま
したが、久しぶりの集まりで大変賑わっていました。 ウエブサロンメンバーには、
これら同期会の企画から実施に至る幹事数名がおられ、すべて成功裏に終えられた
ことへのねぎらいと感謝の集いでもあったのでした。

         祝賀会にて・・会長、校長と
         

 祝賀会に引き続き実施された同期会には50名の参加があり、これまでの同期会の
中でも特別盛り上がったようでした。 高校卒業後、時々行われていた同期会は、
個人的な有志で企画・実施されてきていましたが、卒業50年を機に、同期会を組織的
に構成し、運営することとしてその第1回を2008年に大阪で開催し120名を超える参加
でスタートしました。 その後だいたい2年おきくらいに、実施場所を京都、奈良、
東京、淡路島と選定しながら実施し、2018年の大阪実施の同期会の後は、コロナで
実施がストップしていたのです。

 なので、今回は、4年ぶりということになりそれこそ皆さん心躍る懐かしい集まり
でしたが、傘寿を超えた身には身体的な不調から参加を辞退された方も多く、この
数年の変化を改めて認識した次第です。幹事の悩みもそこらにもあったようでした。
 中ほど、同期会の席上で、上述のSMUPの検討結果を皆さんに報告する時には、私語
をやめ、皆さんの頭中には恐らく遠い昔の青春時代を思い浮かべながら、今またその
魅力を高める施策に真剣に聞き耳を立て、一同、心が一つになったようだったなど
の報告もありました。

 また、SMUP検討の一部にあります「全国高等学校理化学会創立総会」(初代会長:
嘉納治五郎氏)が、大正15年(1920年)にわが母校で開始されており、ここで当時
の文部省からの諮問事項への答申が基となり、後(1953年)に「理科教育振興法」が
制定され、今日に至る理科教育が推進されてきたことの歴史的事実をも、もう一つ
の視点から顕彰して行くことも大事ではないか‥との意見などがあり、改めてこの
辺りの経緯について取りまとめ、報告して行こうとなりました。

        設立総会議事録(全国中等学校理化学教員協議会報告号)
         


 そして、このことの認識を今一度、現、日本理化学協会設立100周年に向けて、
その出発点であったことの意義を何らかの方法で示して行ければよいのではないか‥
なのど見解がありました。
 これらについては、母校同窓会、学校はもちろん、日本理化学協会へもアプローチ
して行くことが重要であろうということになりました。

 14時に始めたウエブサロン(10)は、瞬く間に2時間弱が過ぎ、いつまでも名残が
尽きない思いではありましたが、それらの余韻を残しながら15時50分にお開きとな
りました。

                

 私たちが高校を卒業したのは、64年前の1958年です。その後、それぞれの道に進
み、世の中の一員としての活動(
現役)を終え、今このように集いあえる仲間がい
ることの喜びを改めて噛み締めるのでした。
 高校時代には、特に親しく行動していたということでもなく、名前とその存在を
知っていたくらいであった者同士が、わずか3年を同じ学窓で過ごした仲間である
というだけで、なぜにこのような無心な感覚で交流できるのか不思議でなりません。

 リアルに合うことに越したことはありませんが、このようにオンラインで、手軽
に一堂に会して言葉を交わすことが出来るウエブサロンも、時代を取り入れた良い
方法だと思っています。

 

 

Buenas Noches Mi Amor

 

 

 

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不思議な日本語(31) (bon)

2022-11-28 | 日々雑感、散策、旅行

 サッカーW杯は、初戦、強豪ドイツを逆転勝利した勢いで昨夜のコスタリカに臨
みましたが惜しくも敗退しました。 ドイツ-
スペインが1-1のドローでしたので、
決勝トーナメントに進出できる可能性はあります。奮起して、スペインに勝利した
いです。

 大相撲九州場所では、本割で高安―阿炎が対戦し、阿炎が勝ち3敗同士となり、
26年ぶりの優勝決定巴戦となりました。阿炎が2連勝し初優勝に輝きました。高安
はまたしても優勝には届きませんでした。

 不思議な日本語、少し長くなりましたがお許しを・・。

 

 ・水引 御祝い事に使う袋や包装紙の上に紅白や彩のある和紙の糸で編んだ飾り
紐のアレです。  この水引には3つの意味があるそうです。 1つ目は開封されて
いないという未開封を保証する意味、2つ目は魔よけの意味、3つ目はひもを引いて
結ぶということから人と人を結びつけるという意味なのだそうです。  現在では
特に、3つ目の意味合いで使われることが多いようです。

       水引例
        (ネット画像より)

 起源は古く飛鳥時代に溯り、遣隋使として派遣された小野妹子が持ち帰った隋から
の答礼品に、紅白に染められた麻紐が結ばれていたことがはじまりだとありました。
以来、平安時代の宮中で贈答品の装飾として水引が使われるようになり、さらに武家
社会においては、丈夫で水にも強いことから元結(武士の髪を結ぶ紐)としても使
われるようになったそうです。現在でも大相撲の髷(まげ)に使用されていますね。

 水引の語源は諸説あるそうですが、漲り水で打って引き締めることから「水引」と
呼ばれるようになったや、和紙をこより状にしたものを水糊で固める製法から「水引」
と呼ばれるようになったなどがありました。
 形から、水が引いた(流れている)ようにも見えるからそのように言うのかと思っ
ていましたら、意外に、その製法にあったのですね。(もっと風流かと思っていま
した。)

 全国の水引製品のおよそ7割を長野県飯田市が生産しているそうです。 これを
飯田水引と呼んでいるそうです。もともと飯田は和紙の製造が盛んで、江戸時代に
普及した元結を当時の藩主が和紙を活用して作らせたのが始まりだったようです。

 元禄年間に、美濃から招かれた紙すき職人・桜井文七という人が、当時の弱く扱
いにくい元結を改良して、光沢のある丈夫な元結造りに成功し「文七元結」の名が
全国で知られるようになったそうです。

 飯田のほか全国の水引紐・細工の産地は、愛媛県四国中央市(伊予水引)、石川県
金沢市(加賀水引)、京都(京水引)などがあるようです。

 水引の形(結び方)とその意味はよくご存じですが、おさらいをしますと、

       (ネット画像より)

 上図で、基本的には、上に開いた形の結び切(一度だけの時)と下に開いた
結び
(何度でも)があり、結び目のところを工夫した鮑結び(あわじ結び)や梅結び
などが一般的です。そしてこの紐の本数も5本、7、10本などがあります。 色も
慶事には紅白、金、銀など色物が使用され、弔事は白黒が一般的ですね。 慶事で、
結び目をいろいろとデザインして豪華にした水引なども多くの種類があるようです。

       デザイン結び
        (ネット画像より)

 

 ・お膳立て 「お膳立て」の「お膳」とは、調えられた食事や料理、もしくは
料理を乗せる台のことですが、これに「お」が付いて食事を出す相手を敬って丁寧
に表わした表現となりますね。「立て」は名詞の後に付くことで、取り立ててその
ことを行う様子を表します。「かばい立て」などもあります。
 子供の頃、夕飯などの時に、「~ちゃん、お膳立てしてくれる?」みたいに使わ
れていたことを想い出しました。

 しかし、最近ではこのような使われ方はあまり見られないというか、むしろビジ
ネスシーンで「お膳立て」の言葉が使われているようです。 これは、たくさんの
人に料理を準備する時に、お膳に乗せて運ぶと効率がいいことから、「お膳立て」が
「準備しておくこと」を意味するようになり、それが単に準備に対して使われる言
葉よりは、どちらかといえば人が見えないところで先回りして準備を行う場合に、
その行動に対して使われるようです。

 例えば、プレゼンテーションが成功するように、周囲の人が裏で準備を整えてお
くような状況での行動を指しているようです。「プレゼンテーションが成功できた
のはAさんのお膳立てのおかげだ」、「あのおばさんはお見合いをお膳立てするのが
趣味だ」などがあります。

 また皮肉っぽく「明日のプレゼンテーションに役立てばと思いお膳立てしておい
たよ」などと使われることもあるようです。

「お膳立て」は目上の人に対して自分の行動を報告する場合や、葬式の準備などの
不幸ごとには使わないのが普通ですね。

 

 ・尾根  山の峰と峰を結ぶ稜線のことですが、「尾」も「根」もどちらかとい
えば下の方みたいなイメージがありますが、どうして山の高いところを指す言葉に
なっているのでしょうか?
 屋根もありますね。こちらも、家屋の上の方の瓦などが葺かれている部分ですね。

         (ネット画像より)

 「尾」も「根」も細く長く伸びた・・イメージというのがあり、確かにそのよう
な意味ではあるようですが、山のてっぺんという意味が含まれないですね。

 デジタル大辞泉に、「根」をしらべてみましたら、「物事の基礎、土台」「地に
根差している、立っている」の意味があり、例として、「垣根」「屋根」「岩根」
さらには「性根」などがありました。 また、日本国語大辞典の「尾」の項に、
「山の裾野の延びた所。ふもと。山裾。」があり、こちらは、尻尾のイメージ通り
ですが、これらから。山の裾野に続く元がその頂きであり、「尾根」が生まれたの
かもしれないと想像してみました。「屋根」については、家屋のもとにあるところ
の意で、「元」とは、土台ではなくその頂き(トップ)を指していることになります。

 あまりしっくりとしなかったのですが、不思議な言葉ですね。

 

 ・猫も杓子も 意味は、誰も彼も。なにもかも。ということですが、語源由来
辞典に、その出典がありました。すなわち、寛文8年(1668年)の『一休咄』に
『生まれては死ぬるなりけりおしなべて 釈迦も達磨も猫も杓子も』とあり、それ
以前から使われていたことが分かります。この「猫も杓子も」の語源は正確には分
からず、諸説あるとあります。
 1、猫は「神主」を表す「禰子(ねこ)」で杓子は「僧侶」を表す「釈氏・釈子
(しゃくし)
」で、「禰子も釈氏(神主も僧侶も)」から変化したとする説、2、
猫は「女子(めこ)」、杓子は「弱子(じゃくし)」で「女も子供も」が変化した、
3、「寝子も赤子(せきし)」で「寝る子も赤ん坊も」などやこの他にもありまし
たが、1の説が有力かもしれません。

         (ネット画像より)

 しかし、面白いですね。釈迦も達磨も、神主も僧侶も‥なんて、まあ、一休さん
ですから!?
 この意味の言葉を現代語でいえば、誰も彼も/どいつもこいつも/エブリワン/
皆が皆/誰もが皆/あの人もこの人も/誰でも/どんな人も/あらゆる人々/老い
も若きも/揃いも揃って/一人残らず・・なんでしょうか。

 

 ・しょうもない 意味は、つまらない。くだらない。とるに足りない。ですね。 
 言語由来辞典に、『本来「しうもない(仕様もない)」で、発音のしやすさか
ら変化したもの。「仕」は当て字で、動詞「為る(する)」の連用形「し」。「仕
様」は「するさま」のことで、方法や手段を意味した。しうもない(しようもな
い)は、手段や方法がないことを行おうとしたり、考えたりするのは無駄なことな
ので、「つまらない」を意味する』とありました。

         (ネット画像より)

 関西方面では、「しょうない」と発音する場合が多いようです。普通言葉では、
「しょうむな!」などと言い捨てる感じに使われることがあります。また、金沢あ
たりでは、「しょむない」という言葉があります。音だけ聞くとどうしても「しょ
うもない」に聞こえるので、
「くだらない」とか「ばかばかしい」のようなニュア
ンスで伝わるかもしれませんが全く違う意味なんですね。これが・・! 意味は、
「味が薄い」「水っぽい」という意味なんです。

「この味噌汁しょむないわ!」

 

 

As Time Goes by (From "Casablanca")

 

 

 

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今ごろのベランダ  (bon)

2022-11-26 | 日々雑感、散策、旅行

 なんか! 久しぶりにベランダを観察しました。 手直なところにあるベランダで
すが、腰からくるしびれが脚に来て、このところ動きにくい感じとなっているのです。
 お天気に誘われて、出てみると、ちょっと遅いかもしれませんが、ピンクのさざ
んかが咲いてきました。

ベランダのさざんか(2022.11.25)
    

 このさざんかは、もう20年ほど鉢植えで来ていますが、何とも言えないフワッと
した、やさしい感じの花を付けるのです。とりわけ咲き始めの数輪には心惹かれる
思いです。ちょっと大げさかもしれませんが・・。
 このさざんかについては、これまで拙ブログに何度も登場していますので、今さら‥
という感じは否めませんが、やはり少しふれておきたいと思いました。
 さらに今年は、赤いさざんかも1輪咲いていました。例年だと、12月も半ばくらい
にならないと咲いてこないのに、今年はどうしたのでしょうか?

        赤いさざんか
        

 ススキ、ジニアは終りを迎え、枯れ枝などをカットして整理しました。ヤマボウ
シ、サクラ、ハナミズキなど紅葉の時期を過ごしてすっかり葉を落としてしまいま
した。メグスリノキの紅葉は、とてもきれいですが、それも今は枯れかかった葉を
含んでみすぼらしい姿にあります。

 目を少し、キンモクセイの枝近くに寄せてみました。 ひょっとして「3回目の
つぼみ」はあるか?  2回目までのような、繋がったつぼみではありませんが、
一つのつぼみが枝の先の方についているのを見つけました。 ほかの枝には? で
探してみると・・3か所にこのようなポツンとついたつぼみがありました。気候の
条件次第では、今年も3度目の開花があったかもしれないのですね。普段は、この
ようなことに気が行きませんが、「キンモクセイの不思議」を意識しているせいか、
このようなことが分かりました。

      小さいポツンと1つつぼみが・・
        

 プランターに植えていた、しょうがの葉が、少し黄ばんでいるように感じたので、
掘り上げてみました。 立派ということではありませんが、一人前の「しょうが」
が出来ていました。根を取り、葉を切り落としてパチリとしました。

        収穫したショウガ
        
        

 早速、湯豆腐に使かってみましたら、香りがよくピリッとした辛みは格別でした。

 クンシランが咲いてきています。寒くなってきましたので、クンシランと一緒に、
トックリヤシ、キンチョウを室内に取り込みました。

    クンシラン
    

 今回、接近した写真は、百均で買った「スマホ用マクロレンズ」でやってみたの
ですが、どれもピントが決まらず期待外れでした。 百均ですから・・! それでも、
交換レンズとして、魚眼、広角もついている「いっちょ前」で、収納袋迄ついてい
ますが、映りはいまいちでした。

       スマホ用マクロレンズ
  

 

 

Mas Que Nada

 

 

 

 

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ウクライナとロシア  (bon)

2022-11-24 | 日々雑感、散策、旅行

     勝ちました! サッカーW杯の初戦、強豪のドイツに逆転で勝ちました。前半、PKで
    1点先取され、どこか重い雰囲気でしたが、後半、見事なシュートを決めて歓喜の渦に・・!
    それにしても、昨日のNHK総合は、大相撲が終わると、節目にちょこっとニュースを挟む
    だけで、延々6時間もサッカー漬け。NHKでこれほどの解説はウンザリ! しかし、ドイツに
    勝利で、水に流すか・・!

 

 ロシアがウクライナに侵略を始めてから、すでに9か月になろうとしています。
この長い期間に街は破壊され多くの人々が犠牲になっています。ウクライナの人々
にとっては、職を奪われ、住居を後にした人々も、知らない国に避難している人も
多く、自国に残る人たちも安心した生活の中にはないのでしょう。最近では、電力
などのエネルギー施設が破壊され、来る厳寒を前に不安な日々が送られていると想像
できます。

 当初、なぜロシアが・・?というときに、ロシアは、不凍湖を持ちたい、西側の
影響に対する緩衝地として・・などの理由から自国に取り込みたい、そんな思いから
超大国を維持して行く上でウクライナを取り込みたい・・それがプーチンの狙い?
で、絶大な権力を保持し、維持して行くための暴挙‥のように思っていました。

 元駐ウクライナ大使であった黒川祐次氏の解説「歴史から見たロシアとウクラ
イナの関係」を見ると、今般の侵略の背景がその歴史の中にあることがよく理解で
きましたので、その要旨をご紹介しました。

                  

 今回のロシアの軍事侵攻は、国際法や人道に真っ向から反した許しがたい行為で
あり、この常識では考えられない事態がなぜ起こったかを理解するには両国の歴史的
な関係を知ることが必要である。との出だしで、いくつかの視点から述べられてい
ます。

 先ず、ウクライナという国は、ロシアを除けばその面積は、ヨーロッパ最大であり、
人口も独、英、伊、仏に次ぐ大国であるのに、1991年のソ連崩壊と連動してようやく
独立したのです。 それまでなぜこの大国が独立できなかったのか? その理由は、 
①ウクライナはユーラシアに開かれ、広大な平坦な土地は遮るものがない草原地帯
であり、古くから遊牧民族の侵攻が絶えず、独立した国家を作る余裕がなかった。
②その地は黒土という広大な豊かな土壌に恵まれ「ヨーロッパのパン籠」と呼ばれ
る肥沃な地域で、さらに石炭、鉄鉱なども豊かで、過去からリトアニア、ポーラン
ド、ロシア、オスマン帝国、ナチス・ドイツなどの侵攻を受け支配されてきた。
③ウクライナは西欧とロシアの間にあり、しばしば東西列強の係争地となり自分と
は無関係の戦争に巻き込まれ、第一次、二次の世界大戦でもドイツとロシア、ソ連
の戦場となった。④ウクライナは専制を好まない民族性を持っていること。キーウ・
ルーシ大公国の専制的・中央集権的でない性格を受け継いでいるのではないか。こ
の地で生まれたコサック集団は17世紀半ばに国家をつくるが、その首長は選挙で選
ばれ世襲の君主ではなかった、つまり当時、国王を持たない国は国として認められ
なかった。結局は、世襲の専制中央集権国家のロシアに征服されてしまった。

       キーウ・ルーシ大公国(882-1240年)
          (ウイキペディアより)

 このような背景から、ウクライナはロシアの支配を長く受け、ロシア人はウクラ
イナを元からロシアの一部だとみなされ、ソ連の崩壊の時も、多くのロシア人はウ
クライナの分離・独立に釈然としなかったとあり、今でもロシアではウクライナが
戻って欲しいとの気持ちがある。 プーチン大統領は、とりわけその思いが強く、
ロシア帝国あるいはソ連時代の超大国を取り戻すことが、プーチンにとって歴史的
使命だと思っているのではないか。そのためには、大きな潜在力を持つウクライナ
を取り込むことが不可欠だと思っている。

 超大国に戻るためには、狭義のロシア人だけではなく、広義のロシア人としてウ
クライナ人、ベラルーシ人を含む必要がある。また、キーウ・ルーシ大公国の正統
な継承者で歴史を誇る大国ロシアとして、大公国の首都であったキーウがロシアの
外のウクライナにあることも、「奈良や京都のない日本」になってしまう。さらに
西側の影響を受けウクライナが自由・民主主義で成功しより豊かになりロシアに対
して不満を募らせる危険を阻止するためにはウクライナを取り込んでおかねばなら
ない。

       (NHK国際ニュースナビより)
          (大国に囲まれている)

 しかし、ウクライナにとっては、もともと個人レベルではロシアと親戚関係にあ
る者も多く、2014年のクリミア併合までは、むしろ親近感さえ強かったようではあ
るが、併合後は親近感はほとんど消滅したようである。 もともと、ウクライナと
ロシアは、民族、言語、宗教、文化など近い関係にはあるが別の民族であり、無理
やりロシア帝国、ソ連に併合され、独立運動も続けてきた経緯がある。
 ソ連の崩壊の時も、ウクライナが先ず独立したことがソ連の消滅に繋がった。 
そして、国際法上も、ウクライナの主権国家としての独立を認めており、今次軍事
侵攻は、国連憲章の大原則である武力行使に真っ向から反しているのです。

 ウクライナは、ロシアに敵対行為や挑発行為をしたことがなく、国力、軍事力の
差からウクライナがロシアの脅威になることはあり得ない。 ウクライナがネオ・
ナチ国家であるとか、ドンバス地域でジェノサイドを行ったとの非難は全く当たら
ない。むしろ、ウクライナの領土であるドンバスに軍事介入したのはロシアであり、
このほかにも数々の言いがかりをつけて軍事侵略を正当化しようとしている。ウク
ライナは全くロシアの一部にはなりたくないのです。

 

 民族や国民感情など、なかなか理解しずらい面がありますが、要すれば、黒川氏
のまとめにもありますように、「ロシアには旧帝国の植民地思想が残っていて、ウ
クライナは何世紀にもわたるロシアからの独立戦争を今も戦っているということで
はないか」・・と。

 

 

youtubeにありましたが、どのような位置づけなのか分からずに掲載しました。
前半の国歌はかなり厳しい歌詞が歌われています。

ウクライナ国歌・コサックの子守歌

 

 

 

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COP27  (bon)

2022-11-22 | 日々雑感、散策、旅行

 11/6からエジプトで開催されていた国連気候変動枠組み条約第27回締約国会議
(COP27)は、会期を2日間延長して20日閉会しました。今会期では、特にぜい弱な
途上国などを対象にいわゆる「損失と損害」について基金を創設することが決まり
ました。
 これまで気候変動の影響を受け、洪水や干ばつなどの被害を受けた国(最も脆弱
な国)に対してその被害や経済損失を、富裕国が補償するという歴史的な合意が締
結されたのです。これらの基金に長年抵抗してきた先進国にとって象徴的にも政治
的にも大きな節目となったと評価されています。被害に直面している国々にとっては、
約30年来の悲願の達成となったとあります。先の大水害で1700人の死者を出すなど
大きな被害を受けたパキスタンの災害も後を押した形だったとか。

 一方で、化石燃料の削減をめぐる進展については、成果文書には、化石燃料の
「段階的削減」が含まれず、去年のCOP26の合意の内容が改めて盛り込まれ、世界
の平均気温の上昇を1.5度までに抑える努力を追求するとしたその重要性を強調した
にとどまっているようです。

                (東日本放送ネットより)

 そもそも、温室効果ガス(CO₂など)による地球温暖化に対する懸念は、30年前に
すでに「地球サミット」(1992年ブラジル)で各国で認識され、この問題の解決に
向けた取り組みに対して197の国と地域がこの条約に調印し、締約国会議(COP、
Conference of the Parties)が毎年行われて来ているのです。
 COP3で温室効果ガス削減量を義務付けた「京都議定書」(1997年)があり、それを
具体的に実行すべき「パリ協定」がCOP21(2015年)、その後も、各国の削減量を
決め、どのように削減評価をするかや、削減量の国際取引ルールなどを取り決め、
常に「削減」の必要性が強く謳われてきていますが、その実行に当たって、それぞれ
の国内事情からなかなか具体的な取り組みに踏み出せず、特に温室効果ガスの大量
排出国(2019年世界割合)の 中国(26.4%)、アメリカ(12.5%)、インド(7.1%)
ロシア(5.1%)、日本(2.4%)、ブラジル(2.2%)などが率先して取り組むべき
ではあるものの具体的に評価できる成果に結びついていないのです。 特に中国は、
今回でも難色を示しているとあります。

 つまり、温室効果ガスを地球規模で削減しなければ大変なことになると懸念し、
すでに被害が続出している現状にありながら、各国内の問題としてなかなか実効を
上げるに及ばないのが現状なんですね。

        (ABEMA TIMES より)

 今会議では、削減は掛け声が強くなるだけで、すでに被害が出てきている「損失
と損害」の救済の方が急務だということになっているのです。しかも、この救済の
具体化、つまりどの国がどれほどの基金を拠出するか等については、来年のCOP28に
委ねられているわけですから、まだ道は先にあるのですね。

 このような状態が続いているさ中に、ロシアのウクライナ侵略による影響が、直
接的なエネルギー問題、経済制裁による世界的危機に発展し、この際、再生可能エ
ネルギーへの促進効果もあるかもしれませんが、一方では化石燃料への回帰につな
がる危機も否めないところです。ロシアの戦争は、COPサイドから見ても悪影響で
あるのです。

              

 先ごろ、東京都庁前で、「東京ゼロエミッション」イベントが開かれたニュース
がありましたが、いろんな自動車が電気や水素などで走ることを一般に具体的に見
せて促進を図る・・そんな取り組みもやはり必要だろうと思います。
 ペロブスカイト(太陽光発電)やその他新素材などへの開発促進も重要でしょう。
そして、各国の個人個人が如何にして無駄なエネルギー消費を抑えるか、に真剣に
取り組めるようにするか、我慢するのではなく、自然な形で削減できる方策をとり
うるか、多方面の検討と努力が求められているのだと思うのです。

 

 

In My Heart...

 

 

 

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横浜イングリッシュガーデン  (bon)

2022-11-20 | 日々雑感、散策、旅行

 ずっと秋晴れが続いている11月18日(金)は、園芸友の会例会で横浜イングリッ
シュガーデンに行ってまいりました。
  広い横浜駅の地下街を通って不安のまま、シャトルバスの発着所に到着したとき
には、お仲間さんはすでに集合されていました。10時半のバスに30分も前でしたか
ら最前列でした。

 ここでは、オータムガーデンフェスティバルの期間で、盛りは過ぎていたようで
したが、見事なバラ園の中を散策しました。

 春のシーズンだったら、一面のバラで囲まれたであろうトンネルの前で、一行
6人の記念撮影をして、いざ園内を巡るスタートを切りました。

 メインロード        
 

 

 園内は工夫が凝らされていて、それぞれに特徴のあるバラを主役に、宿根草など
とのコラボしたコーナー、灌木などを組み合わせたコーナーやハーブなどとのコラ
ボなどなど、花に囲まれた細いS字の通路を、手入れのことや肥料、消毒などなど
それらの管理などについて談笑しながら楽しいひと時でした。

 


 そして、至る所がシャッターチャンスで、きれいな花に囲まれているうち とも
するとどこにいるのか迷ってしまったような感覚になったり、まさに花園にのめり
こんでしまったようなひと時でした。

 

 

 

 朝は、やや寒い感じではありましたが、美しい花の中ではもはや汗ばむほどにな
っていました。

        

 

 

 園内のカフェで、みんな揃ってランチをしながら、バラにまつわる話から、ごく
最近他界された仲間の想い出話など、寂しくはあるものの、氏のご霊前に供えるべ
くこれまで10年ほどの間の主な屋外例会の写真額を前に、これまでの楽しい想い出
話へといつまでも続くのでした。

 

 花とおしゃべり、そしてランチにも満足して、次回の例会はオンラインで・・と
いうことにしてお開きとなりました。よこはままでは、シャトルバスですからこの
まま一緒にバラ園を後にしました。楽しい一日をありがとうございました。

              

 メンバーのHさん自作の、珍しい「ごぼう」のタネを持参されたので、何人かで分
けてチャレンジしてみようということに・・。今が蒔き時だそうです。

        珍しいごぼうのタネ
          

 

 

 

The Rose - Bette Midler(日本語歌詞字幕) English & Japanese Lyrics

 

 

 

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鉄道写真展‘22  (bon)

2022-11-18 | 日々雑感、散策、旅行

 一昨日(11/16)は、鉄道写真展に行ってきました。
 例年、もみじの時期に開催される『鉄道のある情景~くらしの中の鉄道を再発見
する写真旅行~』は、京都大学鉄道研究会の写真展です。今年も職場時代の友人の
ご招待を受け楽しませていただきました。

 会場は、昨年の新宿から有楽町「東京交通会館」に移行しましたが私にとっては
地下鉄一本でしたから好都合でした。 開催期間の日程の都合と会場選定にご苦労
の程が伺えます。

      東京交通会館内 シルバーサロン
 

 会場には、すでに数名の来場者があり賑わっていました。30数点の大きく引き伸
ばされたそれらの写真は、半世紀にわたる撮影時期の広がりがあり、季節も、場所
も当然それぞれ区々ですが、いずれも写し出された表情はまさしく主題に掲げられ
た「鉄道のある情景」がそこに描き出され、その奥行きに生活の姿や人々の時代を
思い起こさせ、浸みわたる懐かしみが味わえるのでした。

 お目当ての、友人の今回の作品は「北の果ての旧植民軌道」と題した荒涼とした
雪原に客車、貨物それぞれ1輛ずつを従えたやや武骨な簡易軌道の姿が、動くもの
としてはそれだけの静寂世界が映し出されていました。  昨年出展された作品の
力量溢れる機関車の迫力とは真逆と言えそうなメルヘンチックなトーンの、雪の最
北端の生活を守る簡易軌道の情景が捉えられていました。(1971.3.26撮影)
 ぐっと引いた手前の長い雪原が冬の厳しい北端の広がりを演出しているようでした。

 その他の作品も、それぞれに意味を備えたショットであり、長時間待機したと思
われる作品もあり、そのショットが狙った企画を見事表現した作品などどれも見応
えのある作品でした。

「21世紀と昭和」では、阪堺線が松虫(停留所)あたりでバックにそびえるアベ
ノハルカスの高層ビルを背し堂々と路面を走っている。阪堺線は私にも懐かしい電
車で親しみを感じました。

 阪急特急のトップナンバー5100をフィーチャーした正面写真は、撮影場所も
工夫されたのでしょう。尾小屋鉄道廃線を受け、2点の作品がありました。 卒業
年次、学部の異なるお二人の思いが重なったのでしょう。

 小田急ロマンスカーの最後の雄姿でしょうか。富士山と一緒に走る素晴らしいア
ングルの写真も素敵でした。

 珍しい新幹線のドクターカーが有楽町を通過する「いざ、往診」も面白かったです。
このほか、「奥羽本線の難所、矢立峠に挑む」や「伊那谷」などの力強い作品など
見応えがありました。 今年もありがとうございました。

 この東京交通会館は久しぶりに中に入りましたが、その昔パスポートの申請に来
たことがあり懐かしい思いがしました。

         東京交通会館
          

 

 

One Way Wind

 

 

 

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コロナワクチン5回目  (bon)

2022-11-16 | 日々雑感、散策、旅行

 一昨日(11/14)18時少し前に指定のクリニックに行き5回目の新型コロナワクチン
の接種を済ませてきました。

 「5回目ですか!」 「はい。何回も打つのですね。」 「まぁ、年に1~2度の
感じになれば・・」 「35.6度ですね。」 そんな簡単な会話の後、すぐに接種が
終わりました。

          (ネット画像より)

 しばらく医院に居て帰宅し、夕飯を済ませて、シャワーの後今夜は早や目に寝床
に入りました。

 今回のワクチンは、オミクロン株対応ワクチン(2価ワクチン)ファイザー社製
で、私はこれまでずっとファイザー社製でした。

 いつもより早く10時台に寝ましたが、翌朝はいつも通り6時半の目覚ましでおき
ました。何となくボーっとした感じで、念のために熱を測ってみましたら36.9度で
微熱のせいだと分かりました。 これまでと同じように、腕は動かすと痛く、何と
なく全体がだるい感じは否めませんでしたので、朝ご飯、いつものパンと違ってお
かゆを済ませて、火曜日は整形の日ですが、今日はお休みにしてそのまま、熱さま
しを飲んで再び布団に潜り込みました。 昨夜は、長い時間眠ったのに拘わらず、
再び寝る状態にあります。

 身体を横にしていると、それだけで楽な感じで、そのまま眠ってしまったようで
した。眠ってしまったといっても、どこか何かを考えているような感じで、それが
何かははっきりとしないのですが、どうやら熟睡ではなかったのでした。布団から
離れたのは、11時半頃でした。お昼を軽く食べて、風邪薬を飲んでまた布団へ・・。

 このような状態で、寝たり起きたり、起きた時はメールなどの処理を済ませて、
また横に・・。 とうとう、一日中、このようだらだらした過ごし方でしたが、夕方
6時過ぎには、体温が36.3度くらいでしたので、そのまま起きることにしたのです。
しかし、明日のブログ記事を書こうと思いながらもその気にならず、やはりブログ
などでも、元気でなければ書く気にならないのだ・・と納得しながら、21時ころに
なってこの記事を書いています。

 今日の全国コロナ感染者数は、10万人を超えました。8波に突入なんでしょうか? 

      
                       (ヤフーニュースより)

 これまでは、コロナでほとんど外出を控えていたにもかかわらず、先週の私は、
東京や大阪の同窓会に出席したり、ランチの会でもカラオケに行ったり・・何とな
く、コロナのことを忘れてしまっているような開放された中にいたかもしれません。
電車に乗っても、人が多く、どこに行っても大変な人出でしたから・・。ほとんど
の人が、このような感覚にすでに入っているのでしょうか? 韓国の繁華街での混
雑による死亡事故、渋谷なども厳重警戒だったとか・・。

 G20 やCOP27のことも気にはなりながらも、とてもフォローする気にはならず、
コロナワクチンに終始してしまいました。 ですが、大した副反応が出なくて幸い
でした。

 

 

Vaya con Dios mi vida... (Nana Mouskouri)

 

 

 

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万葉集全英訳プロジェクト  (bon)

2022-11-14 | 日々雑感、散策、旅行

 万葉集全二十巻、約四千五百首の歌の英訳に取り組んでいる外国人のお話です。 
  この方は、1959年生まれのアイルランド出身で、名前を、ピーター・J・マクミ
ランさんといい、同国大学卒業後、アメリカで英文学の博士号を取得され 28歳で
来日後 30年以上日本に在住され、日本の古典文学の英訳に取り組んでいるという
方なんです。 これまでに、百人一首の英訳の出版で賞を取り、伊勢物語や芭蕉など
の英訳も出版されているそうです。

 少し前に届いた会報記事に『万葉集から見た日本の歌の素晴らしさとその全訳』
と題する講演録(令和4年4月8日講演)がありましたので、一部分ですがご紹介した
いと思いました。

           (アマゾンHPより)

 来日まで日本のことをあまり知らなかったそうですが、アイルランドとの共通点
に気が付くうちに、日本文化に親近感を抱くようになったそうです。日本で、大学
で英語や文学を教える傍ら詩人としての活動を続け、和歌や俳句を翻訳するうちに
日本文化の素晴らしさを発見したとあります。

 日本文化の普遍性として、比喩がその普遍的な技法として使われているとあり、
例として、

  由良の門をわたる舟人かぢをたえゆくへも知らぬ恋の道かな(曽禰好忠)

で、恋をしたときの「全てが相手次第」という無力感を、舵を失った舟に喩えてい
てとても普遍的だと・・。比喩は、シェイクスピアなどもよく使われているという。
 この歌の英訳は、

     Crossing the Bay of Yura
     the boatman loses the rudder.
     The boat is adrift,
    not knowing where it goes.
     Is the course of love like this?

比喩のもう一つの例として、

  瀬をはやみ岩にせかるる滝川のわれても末に逢わむとぞ思ふ(崇徳院) 
     (英文省略)

          (ネット画像より)

 また、日本文化の独自性としていくつか挙げられていて、まずその「美意識」に
ついて次の歌が選ばれていました。

  世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし(在原業平)

   If only there were
      no cherry blossoms
      in this world,
      what calm would reign
      in the heart of spring.

  さらに独自性として、「人と自然が一体化した世界観」を指摘しています。

  奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の声きくときぞ秋は悲しき(猿丸太夫)

 この歌を英訳する時に、紅葉を踏み分けているのは鹿か、歌人かという問題に差
し掛かり、英語は主語が必要だと思い、最初は歌人を主語として、踏み分けて入る
のは歌人としましたが、しかし、後に、「紅葉を踏み分けているのが鹿なのか歌人
なのか分からない、その曖昧さが日本語の世界観だ」として、そこを表現したとあ
ります。

   In the deep mountains 
      making a path
      through the fallen leaves,
      the plaintive belling of the stag
   how forlorn the autumn feels.

 また、独自性には独特のリズムがあるといっています。

  あしびき山鳥の尾のしだり尾のながながし夜をひとりかも寝む
                            (柿本人麻呂)

 さらには、連想の美を挙げています。日本人は連想が好きなことに気が付いたそ
うですが、その源流は和歌にあることに思い至ったとあります。和歌には、掛詞、
枕詞、序詞、縁語、本歌取りなど、いずれも連想を機能させるものだとしています。
この連想の美は、能、俳諧、美術など日本文化全般に広がっているという。

               

 現在、氏は万葉集の全編英訳プロジェクトをライフワークとして始められており、
これは日本のためというのではなく世界のためだとの目標で取り組まれています。
完成すれば、日本文化を世界に発信するための英語力向上の教材としても活用でき
るのではと述べられています。

 「私の目標は、『万葉集』が世界文学として評価されることです。『万葉集』は、
ホメロスに勝るとも劣らない第一級の文学作品で、世界からもっと注目されてよい
はずなのに、優れた英訳がないばかりに多くの外国人は存在すら知りません。」と
その意気込みが述べられています。

 

 

John Coltrane and Johnny Hartman - Autumn Serenade

 

 

 

 

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黑竹に花が咲いた。  (bon)

2022-11-12 | 日々雑感、散策、旅行

 昨日(11/11)蓼科農園で指導役であったPookyさんから「黒竹に花が咲いた」
「60年に一度咲くというから、冥途の土産か!」なるメールが届きました。
同じ株を分け合った同士なので、「そちらはどうか?」というメールでした。

 そんなこと思いもよらずにいましたから「あッ、後で確認してみる・・」と返事
したものの、内心半信半疑でそっと黑竹を観察しましたら、何と、花が咲いている
のです。花といっても、花らしくありませんので、ネットで確認しましたら、まさ
しくこれが花なんです。我がベランダに来て22年経ちます。

 何でも、竹はイネ科の植物なので、花も稲穂のようだと・・。花はとげ状の穂が
束になった形で、穂先からおしべを垂らしているのです。

    ベランダの黒竹の花
 

     Pookyさんから送られてきた黒竹の花
          

      ネットにあった黒竹の花(11/8静岡)
        

 

 例によってネットのお世話になりました。

 あちらこちらネットサーフしていると、今年、2月あたりから4,5・・10月あたり
まで日本の各地で黒竹に花が咲いた・・との記事が散見されました。

 過去の例から、真竹は120年前に花が咲き、枯れたそうで、孟宗竹は67年前にそ
のような現象が起きたそうで、一般に60~120年の周期で花が咲くなどと言われて
いるそうですが、あまりよくわかっていないそうです。しかし、珍しい現象なんで
すね。

 竹に花が咲くと枯れる・・不吉のしるし、などといわれることがあるそうですが、
本来竹は緑濃く成長は早く真直ぐに伸びるおめでたい象徴のようなイメージがあり、
門松などにも使われていますが、これが、枯れる・・それもめったに枯れないのに
枯れる、そしてその時期に何か大きな災害が発生したことと連携したイメージから
伝えられているのではないか?
 そのようなことで、特段因果関係はないようだとも・・。しかし、竹が枯れると
いう環境条件があるとすれば、その環境条件が何らかの自然現象を起こし災害につ
ながる‥とも考えられているようですが明確な理由などは見当たりませんでした。

               

 ベランダへカメラを持ちだしたついでに、いくつかの鉢をパチリとしました。

    アブチロン
 

 アブチロンは、夏からずっとだらだらと花が咲き、じっと見つめるとかわいい形
と色が絶妙のコントラストを作っています。 赤い丸いちょうちんのような花が出
来、それに黄色いスカートが伸びて、やがて黄色いスカートから茶色の脚が伸びて
くる・・そんな面白い花なんですね。

 

 もう一つ、小菊が乱れるように咲いています。この鉢の小菊は、色味が鋭い感じで、
もう少し薄色の小菊も併せて植えた方が見栄えがする・・などとぜいたくを言っています。

 

 

 ジニア、夏前からずっと咲き続けています。百日草とはよく言ったものと思います。
しかし、百日以上咲き続けるのですから驚きです。種から育ったもので切り花にも重宝です。
         いつまでも咲いているジニア
          

 ついでに・・

メグスリノキの紅葉         もう終わりのタカノハススキ 
    

 

 

L'italiano (Saxophone to dream)

 

 

 

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天体ショー  (bon)

2022-11-10 | 日々雑感、散策、旅行

 一昨日(11/8)の夜は、皆既月食でした。
  月食中に惑星(天王星)の食も同時に起こるという442年振りに起こる珍しい現象
で、前ぶりが行き届いていたこともあり、観測時刻も18時~21時と絶好のタイミング
で、全国的に晴れて日本中で多くの人々がカメラを向けたり、肉眼で観測されたよ
うでした。

       私の写真(デジカメ、手持ち、べランダで19時少し前)
         
        (食の輪郭は地球の大気でぼやけています。)

 特別企画で、成田発着のANAの「皆既月食アートフライト」(約200席)が、約3
時間の観測フライトで楽しまれた人もいたようです。  機内では、何とジャズの
生演奏もあり、機内食を楽しみながら上空からのゴージャスな観測だったことでし
ょう。

       皆既月食中に惑星食が始まるところ(左下部に小さな天王星)
         (東奥日報社より)

 442年ぶりということは、1580年7月26日のことだったようで、この時は、皆既月食
中の惑星食は土星であったそうですが、安土桃山時代の織田信長も見たでしょうか。
この当時、日本にはまだ望遠鏡というものはなく、晴れていれば皆既月食で、満月
が次第に欠けて行く「不吉な現象」みたいな感覚があったかもしれません。 現在
よりは、空は暗かったでしょうから、もしか気が付いていれば、土星食も同時に見
たかもしれません。

 しかし、日本での天文学は、江戸時代の渋川春海(安井算哲)らが懸命に月食や
日蝕の日を割り出していた記録がありますから可能だったかもしれませんが、ダブル
食があったのは、纂哲よりずっと昔(安土桃山時代)ですから、時代が違います。
 韓国では、朝鮮時代第4代世宗王(1400年代)に独自の天文観測法を実践してい
ましたから、この現象を観測していたかもしれません。中国なども。


 西洋ではどうだったのでしょうか? あのコペルニクスが地球中心から太陽中心
への転換を唱えたのが1547年で、それからずいぶん時間がかかって、ガリレオにより
ようやく地動説が台頭したのが1610年ですから、皆既月食中に土星食が同時に起こっ
ていたことは恐らく知られていなかったかもしれないですね。

        観測のおさらい
         (毎日新聞ネットより)

 このように見てきますと、一昨日のダブル食を観測できたということは、ある意味
凄いチャンスであったといえますし、科学の進歩ゆえの夢の観測であったのですね。
そして、コロナが再び感染拡大基調にあり、円安、物価高 さらには、北、大陸の
脅威を身近にしながらのひょっとしたらつかの間の平和の中のページェントなのか
もしれないですね。
 戦争真っただ中のウクライナ、ロシアはじめ、ヨーロッパ諸国は今回は月食は終
わっていて見ることはできなかったのでした。

 べランダでいくら頑張っても、所詮はデジカメで明るい空の中ですから、youtube
のお世話になって、ダブルの食の詳細を確認させていただきました。

 

 

 

【ダイジェスト】皆既月食2022〜442年ぶりの皆既月食+天王星食(惑星食)〜/total lunar eclipse japan


見たい時刻にタイムバーをスライドしてみてください。
次は322年後、皆既月食と天王星食ライブ、東京・六本木ヒルズ・スカイデッキから Lunar Eclipse 2022 11月8日

 

 

 

 

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母校120周年記念祝賀会など  (bon)

2022-11-08 | 同窓会

 11月5日(土)のお昼前、関東よりずいぶん気温が高く感じた新大阪駅は、多く
の人で賑わっていました。 コロナ以来あまり外出していなかったので、えッ、
こんなに人混みなの? と驚きました。
 コロナで一年遅れた母校(高校)120周年記念祝賀会会場に直行しました。 

 シェラトン都ホテル大阪 4階の大宴会場「浪速の間」には、数々のテーブルが
並び華やかな雰囲気が流れて、すでに人々の姿がありました。 受付を済ませて、
ロビーで同期生らとの久しぶりの懐かしい会話が弾むのでした。

       祝賀会 会場風景 
                             

 指定されたテーブルには、ずっしりと手に伝わる120周年記念誌がおかれていま
したが、それは後にして同期生や他回生の知人などとの会話が忙しく、すでに い
つもの同窓会のるつぼの中の一員になっていました。

 開会の時刻になり、厳かな雰囲気の中にも親しく温かい空気に包まれて、会は
始まりました。同窓会長の挨拶に続いて今年4月に着任された校長先生のご挨拶、
PTA会長のご挨拶などがあり、ご来賓の方々の紹介そして最後に今年新会員(卒業
生)の紹介などがありようやく乾杯となりました。 今年の新会員の皆さんは、
高74回生で・・ということは、私らが卒業して64年も経っているということを改
めて認識させたのでした。

 途中、この120年を振り返る映像の上映があったりしましたが、私達の回生の有志
で検討を重ねてきた「母校をもっと魅力ある学校にするプロジェクト」の要旨を、
新校長にお送りしていたこともあり、校長先生、同窓会長ともにご挨拶を兼ねて
ひと言その旨確認をとったりすることも忘れず役目を果たしました。 この件に
ついては、今回の記念祝賀会の終了後に精力的に取り組んで進めることなどの言葉
を交わすことが出来ホッとしたのでした。
               

  校長先生との会話             同窓会長も一緒に記念撮影

 

 最後に本科時代の校歌、そして高校の校歌を合唱してお開きとなりました。

                

 私達の回生は、この祝賀会に30名が出席し、引きつづき近くのホテルで開催する
同期の歓談会には50名の出席で、同期仲間だけの自由で楽しい会に引き継がれて
行きました。 コロナで開催が延期されているうちに、体調が悪化したりで参加
できなくなった人もおられましたが、少々無理を押して参加された方もおられ、
時間の許す限り楽しい語らいが繰り広げられたのでした。

 同期だけの歓談会          風景
 

 先の「高校をもっと魅力アップ・・」の下りの説明なども織り交ぜて情報の共
有化を図り、それらの話題が元になり昔の想い出がより鮮明になったり、皆さん
一気に当時にタイムスリップしたような若い雰囲気の中、疲れを知らない若者の
ようになっていたのでした。

          母校の魅力アッププロジェクト説明
               

 

 宴たけなわも時間の限りが近ずき、誰言うこともなく校歌を歌おうということ
になり、ここでも皆で合唱したのでした。 もう日もとっぷりと落ちて、散会に
なりましたが、このホテルで宿泊する人たち13名は、同ホテル内で2次会へと流れ
て行くのでした。

 今日のそれぞれの思いを交換したり、当時の思い出話にも花が咲き、学校時代
にはほとんど名前くらいしか知らず言葉を交わしたこともない人同士も、そんな
壁は全く感じさせない時の流れがあり、わずか3年を過ごしただけの同窓がこれほ
どの絆を産んでいることにむしろ不思議を感じるほどでした。

 若いころとは違い、アルコールもそれほど量が進まず、幹事が用意した食べ物
もあまり手が付けられないまま楽しい会話を思う存分身体に吸収したのでした。

               ホテル内での2次会
            

 翌日は、ゆっくりと朝を済ませて、大阪城近くの大阪歴史博物館(2001年開館)
とすぐ前にある「舎密局(せいみきょく)跡」の碑を確認しました。
 この舎密局が明治2年に日本初の理化学専門学校として開校したことが、後に
(大正15年に)わが母校で「全国高等学校理科教育」を推進するべく学会(初代
会長、嘉納治五郎氏)がその総会を開催し、当時の文部省に答申を果たし今日の
学校における理科教育の基礎が構築されたという因縁にあるのです。

         舎密(せいみ)局 跡見学
 

 

 歴史博物館からすぐに大阪城を見下ろし、遠く山々も良く見張らせて、親しい
生駒山を始め二上山、金剛山まで一望でき晴れ渡っていました。

        歴史博物館見学
        

 

 一行は、天満橋のレストランで昼食のひとときも談笑が途切れるところを知らず、
この度だけは、コロナの世界から解き放たれた状況を呈していました

       レストラン文蔵にて
        

 思えばこの後、このような機会が開催できるかどうか、とても約束はできない
までも、またその季が来れば有志だけでも集まろう・・と名残り尽きない時をお
開きへと導き、期待を膨らませて今回の一連の楽しい催しに無事幕が下りました。
 皆さんありがとうございました。幹事の方々には準備から実施まで大変ご苦労
をお掛けし心から感謝申し上げます。
        (写真は、O氏の協力を得ました。)

 

 

久しぶりのオートスライドです。
       (2分弱です。画面右下をクリックして大画面でご覧ください。)

母校120周年記念祝賀会と10期生歓談会

 

 

 

 

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ランチの会 Nov. ‘22   (bon)

2022-11-06 | 日々雑感、散策、旅行

 コロナで中断していたランチの会は、3年ぶりに再開しました。それというのも、
久々に、福岡から上京した元メンバーに合わせての開催でした。日程が決め打ち
でしたから、4人だけの会となりましたが、11時半JR新橋駅の集合は久々のリアル
会合でした。

  汐留方面へビルの間を通り抜けながら、相互にはメールなどで情報交流はあり
ますが、やはりリアルでの話題は違うのか、おしゃべりしながら高層階のランチ
のお店に到着しました。予約されていましたので、そのままスムーズに食事しな
がら、思いもよらぬ話題が飛び出すやら久しぶりの楽しいひと時を過ごしました。

       46階から見下ろす浜離宮(正面霞んでいるのがお台場)
        

 ここは汐留、ランチを済ませた後、ビルを潜り抜けたところが、旧新橋停車場跡
に出ました。2003年に再建された当時のプラットホームがそこに立ち、当時の駅舎
礎石がそのままの姿をとどめた形で残されていたり、鉄道開業150年記念企画展で
は、写真やビデオによる説明がありひと時、往時にタイムスリップしたのです。

       プラットホーム(当時を再現)
        

       鉄道歴史展示室(鉄道開業150年企画展)
        

 このランチの会はずいぶん古くから続いていて、四季折々の散策や目新しい場所
など話題性のあるところの見学などを含めて企画され、ランチも十分に時間をとっ
た豊かななごやかな会合となっています。 しかし、当時からの変化は、メンバー
のうち2人が病気のため早世されたことでした。ともに健康を自慢にするほどでし
たし「かち歩き」にも何度も参加され完歩された強者だっただけに一同驚きに包
まれたのでした。
 今回集まったメンバーも、コロナによる3年間のギャップはやはり大きく、生活
のリズムがずれたり、気持ち的にもどこか吹っ切れないストレスなどもあるでし
ょうが、やはり旧交を温めるというのは代えがたい味わいがあります。

 仲間の一人Kさんが、笛(たて笛)を自作したというので、そのご披露をするた
め近くのカラオケボックスに入りました。そこでの、演奏の他、手作りの工夫や
ポイントの披露もあり、ひととき関連の話題に花が咲いた後、それこそ久しぶり
のカラオケが始まりました。およそ40年ほど前には、昼夜関係なしの仕事の合間
に鍛えたのども今やその面影は遠く、しかし、気持ちだけは昔に戻っているよう
でした。

       カラオケ店にて
        

 コロナが来る3年前の直近?のランチの会は、横浜桜木町のスタートで、パシフ
ィコ国際会議場から浮桟橋、そして『シーバス』で横浜港を海上移動し横浜駅まで
のルートでした。この時も期せず、福岡からの友人Hさんが参加されたのでした。

 長年、この会の企画を一手に引き受けて、長時間ランチ+折々のトピックスを
含めたお楽しみの場を提供してくださるOさんに感謝をしてお開きとなりました。
 今日も楽しい会をありがとうございました。

       (この記事は、出先から i-pad で投稿しました。)

 

 

ベニー・グッドマン 素敵なあなた

 

 

 

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文化の日  (bon)

2022-11-04 | 健康、医療

 昨日、11月3日は、晴れの特異日そのままの良いお天気でした。
昔は「天長節」、昭和に入って「明治節」といっていました。つまり、明治天皇
の誕生日に当たる祝日とされていたのですね。現在は、この日は「文化の日」と
なっていますが、これはたまたま同じ日でありますが、明治節が文化の日に置き
換わったのではないというくだりを確認するためにおさらいをしてみました。
ウイキペディアなどからそのあたりを調べますと・・、

 そもそもこの日は、日本国憲法が公布された日(1946年=昭和21年)で、その
2年後に交付・施行された祝日法により「自由と平和を愛し、文化をすすめる」こと
を趣旨として、「文化の日」と定められたのです。
  日本国憲法は、公布から半年後に施行され、この日は「憲法記念日」として国民
の祝日と定められています。

                 (ネット画像より)

 もともと、憲法発布は、11月3日を予定されていたと推測できますが、この日は
明治節にあたり、GHQは反対でした。それならば、11月1日はどうか?とすれば、
憲法施行日が、5月1日のメーデーとなり相応しくないとされ、5日は、端午の節句
とかさなり、これまた男子の祭りであるため男女平等を謳う憲法に相応しくない
との理由から、3日しか残されていない。 しかし、この日はGHQからは不適当と
されていました。そこで、名前を工夫すればOKというような感じだったのでしょ
うか、種々工夫が凝らされた結果、「自由と平和を愛し、文化をすすめる」→
「文化の日」とされたようです。
 時の任にあられていた方々には、頭の痛いことであったと推測されますが、知
恵者による苦しいピッティングながらも無事完投することが出来たというところ
でしょうか?

         (ネット画像より)

 当時の記録には次のように述べられています。(一部、文言を縮めました。)

『十一月の三日を文化の日といたしましたのは、これは明治天皇がお生まれにな
った日であり、明治節の祝われた日でございますが、この日は新憲法が公布され
た日でございます。この新憲法において、世界の如何なる國も未だ曾て言われな
かつた戰争放棄という重大な宣言をしております。これは日本國民にとつて忘れ
難い日でありますと共に、國際的にも文化的意義を持つ重要な日でございます。
そこで平和を図り、文化を進める意味で、この日を文化の日と名ずけたのでござ
います。」と説明しており、明治節だからではなく、新憲法、特に戦争放棄を謳っ
た第9条が公布された日であるから祝日としたという説明がなされている。』 
つまり、明治節に合わせて公布日を決めたのではないという説明なんですね。

 しかし近年、明治天皇の誕生日へと由来を戻し「明治の日」への改称を目指す
動きがあるとあります。

 今年(2022年)4月7日、自民党有志による「明治の日を実現するための議員連
盟」は、以前の組織を超党派議連に切り替え、新たな議員連盟の設立総会を開き、
自民、立民、維新の会、国民の4党から議員計92人が入会し活動を展開していると
ありました。

 重要なことなのか私にはわかりませんが、この国難ともいえる時代にこのような
ことに取り組む大勢の議員がいるのですね。

         (ネット画像より)

 文化の日には、皇居で文化勲章の親授式が行われました。今年、文化勲章を受
章するのは、歌舞伎俳優の松本白鸚さん(80)、日本画家の上村淳之さん(89)ら
6人おられます。

 また、文化功労者には、シンガーソングライターの松任谷由実さん(68)(ユ
ーミン)、将棋棋士の加藤一二三さん(82)(ひふみん)ら20名の方が選ばれて
います。

 上村淳之さんは、祖母が美人画の第一人者の上村松園、父親が日本画家の上村
松篁という、京都画壇の名門を継ぐ方で、お三方とも文化勲章に輝いているのです。

              


 慌ただしいニュースや世の憂さをひと時忘れ、今日の日の身近な平和に改めて
感謝したのでした。

 

 

 

落葉松/森 麻季

 

 

 

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霜月  (bon)

2022-11-02 | 日々雑感、散策、旅行

  11月は、そろそろ霜が降り始める頃というところから「霜月」と呼ばれている
とありました。奥義抄(平安末期)に、『冬十有一月丙戌朔甲午と(日本書紀神
武天皇紀に)あるを始とす、夫より以下は、以天平五年冬十一月、供祭大伴氏神
と(萬葉集に)みえたり、歌に舊(ふる)く此月の名をよめるは、見るまヽに雪げ
の空と成にけりさらぬにさゆるしもつきの空(秘蔵抄=平安前期に)とみえたるを
初とす、霜しきりにふるゆへ、霜降月といふを誤れりといひ、風寒み霜降月の空
よりや雪げとみえてくもり初らん、とみえたり、又霜月といふ事、漢にもふるく
いひし事なれど、それは九月をこそいひけれ、我國にては十一月をいひし也、その
月は異なれど、其義をとる事は相同じといへり、又しもつき、この月には霜のい
たくふればいふ、舊説さもあるべしと・・』とありました。
  つまり、この月を「霜月」というのは、日本書紀に見えるのが最初で、その後、
万葉集にもあり歌では平安時代から使われているというのですね。

         (ネット画像より

 ま、前置きが長々と続きましたが、農作物に対しては「霜」は大敵でして、かっ
て蓼科農園でサツマイモやサトイモを植えていまして、収穫期に畑に行ったとき、
元気だった葉が霜に会い一日にしてそれらの葉が黒く萎れてしまうのを目の当た
りにしたのでした。

              

 あの暑かった夏から急に秋を通り越して冬が来たと思うくらいの気温の下がり
ようで、この頃は雨続きで秋晴れを知りませんでしたが、ようやくここに来て各地
から紅葉の便りも届き、空も高くなり冬の中の秋らしい光景みたいな・・まるで
舞台が前後に乱れたのではないかと・・。

 この11月は、文化の日、勤労感謝の日の祝日が二つあるほか、二十四節気では
「立冬」(11/7)「小雪」(11/22)があり、いよいよ冬支度に入るのです。

 記念日は、太陽暦採用記念日(11/9)や今となっては空しい響きのする世界平和
記念日(11/11)があります。 農協記念日(11/29)というのもありました。

          (ネット画像より)

 また、11/8(火)は満月(ビーバームーン)で、皆既月食があるのだそうです。
晴れていれば天体ショーが楽しめます。食の開始は18:08、食の最大は19:59、食の
終りは21;49で絶好のタイミングですね。そして、この日、この皆既月食が惑星で
ある「天王星」を隠す「天王星食」が同時に起こるというのです。
 国立天文台によれば、『日本で前回皆既食中に惑星食が起こったのは、1580 年
7 月 26 日の土星食です。 日本で次回皆既食中に惑星食が起こるのは、2344 年
7 月 26 日の土星食です。』と極めてまれな現象で、442年振りで、次回起こるのは
322年後だというのです。
 天王星は6等星くらいですから、肉眼では見えないかもしれませんが、皆既月食
中に「青い惑星」が食される…珍しい現象なんですね。

       皆既月食
        (国立天文台HPより)

 そして、今年は「三の酉」があるのですね。昔から武運長久、開運、商売繁盛
を祈願するお祭りで、特に近年でも水商売の分野では、酉の市に関心が寄せられ、
縁起物の熊手を担いでいる人も見かけるかもしれません。

        縁起物の熊手
         (ネット画像より)

 11月はスポーツでも賑わいます。各地でマラソンが始まりますし、ニューヨーク
シティマラソンもこの月ですね。 大学駅伝や実業団女子駅伝もあります。サッ
カーW杯も始まりますし、大相撲九州場所も楽しみです。 スキージャンプの女子
W杯も始まります。

 コロナは、少し感染者が上積み傾向にあり気になりますが、インフルのワクチン
接種も始まりこれらに用心しながら行く秋を楽しみたいものです。

 

 

 

Beegie Adair Trio - Autumn Leaves

 

 

 

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