親鸞は、鎌倉時代前半から中期(1173年-1262年)の僧で、当時終末的な末法思想が
広まる中、念仏、悪人正機、他力本願 を説き、広く民衆に教化し、浄土真宗を開いた
聖人です。 11月28日(旧暦)が、命日とあります。
平安時代に開かれた、空海による真言宗、最澄による天台宗、法然による浄土宗は、
貴族など特権階級の人たちの宗教ともいえ、いわゆる密教として広まっていましたが、
保元・平治の乱から源平合戦を経て、鎌倉時代へと移り変わる時代は民衆の苦悩、不安
は極致に達していたのでしょう。民衆を対象とした、いわゆる大乗仏教として、親鸞に
よる浄土真宗、日蓮による日蓮宗、道元による曹洞宗などが広まるのです。
親鸞聖人像
(ウイキペディアより)
親鸞は、9歳にして比叡山に入り20年近くも延暦寺で学ぶが、悟りを得ず、京中の庶
民が信仰していた六角堂(聖徳太子創建と伝えられる)に参籠し、聖徳太子の夢告に
よって、法然の下に入り『法然によって明らかにされた浄土往生を説く真実の教えを
継承し、さらに高めて行く事に力を注いで』浄土宗他派からの攻撃を受けながらも、
新しい教義として確立され浄土真宗を開いたとあります。
52歳ころに『教行信証』が著され、90才で入滅されるまで推敲を重ねた、今日良く
知られるところの、念仏、絶対他力、悪人正機が説かれているのですね。
教行信証の冒頭に『難思(なんし)の弘誓(ぐせい)は難度(なんど)の海を度する
大船』(思いはかることのできない阿弥陀仏の本願は、渡ることのできない迷いの海を
渡してくれる大船である)があるそうで、つまりは、難しい修行によらなくても、仏を
信じることによって救われる‥ということなんですね。 そこには、ただ念仏がある
のみで、すべては本願による他力であって、悪人こそ仏が救う対象なのだ・・と言って
いるのだそうです。
悪人正機は、難しいですが、当時のこの世界でいう悪人とは、“人の行為は、常に
欲望(煩悩)によるところであり、それは悪である”“良いことを行おうとするときも
自らの善悪基準であり、本質的な基準ではない”ことからきていて、すべての衆生は
“悪”であるとして、したがって、仏はこの“悪人こそ”救うべき対象なのだと・・。、
当時、悪人正機をはき違えて、「欲望のままに悪事を行っても良い」と誤解される
向きもあったそうです。
時代は進んで、室町時代、応仁の乱などの混沌の中から、親鸞から 第8世の蓮如が
この宗派を盛り上げ「中興の祖」とも呼ばれ広く親しまれています。
もう20年程前になり、内容はすっかりと忘れてしまっていますが、「親鸞と蓮如」
という通信教育(6か月)を受講したことがありました。何となくなじみやすい信念
であるように感じ、無理をせず、気が付けば他力を信じ、自力でゴリゴリあくせくし
ないというくだりが、人間的で好感を持ったのでした。
人は、欲望により向上し、成長があると思いますが、それがともすると度が過ぎる
ことを戒めているのだと思います。
年俸を10億も取りながら、なお、退任後に毎年10億を積み立て、さらには家族旅行、
海外住宅などまで社費支弁させる果てしない強欲は、どこから来るのでしょうか。
おそらく、心は休む暇もないのでしょうね。