蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

松帆の浦  (bon)

2016-07-14 | つぶやき

        今日は朝から蒸し暑く、予報では午後雷雨があるといっていましたが、
        今しがた(午後2時半ころ)、すごい雷とたたきつけるような雨がガラス

        当たっています。
室内の簡易気圧計では、なんと988hPを指していました。              

 

来ぬ人を 松帆の浦の夕凪に 焼くや藻塩の身も焦がれつつ」 (藤原定家)

 新勅撰和歌集にあり、小倉百人一首にも登場している恋歌ですね。 この松帆の浦は、兵庫県
淡路島の先端、明石海峡に面した岩屋に属した松帆崎のことで、古来から交通の要所でもあった
景勝地で、潮待ち、風待ちの 地として有名であたそうですが、今は、明石海峡大橋がかかったこと
でもあり様変わりしているそうです。 今年5月に、この地で、高校同期の喜寿の会を開催しました
折には、明石海峡大橋を通過し、洲本で宿泊し、福良港から渦潮を見たり、花さじきに立ち寄り、
この松帆の浦には寄らずに帰路についたのでした。 ウイキペディアなどによると、松林が付近一帯を
覆う景勝地で、勝海舟が設置した砲台跡(国の史跡)や岬の西側には、明治4年以来の歴史を持つ
江崎灯台があるそうです。

         松帆の浦
           (ネット画像より)


 淡路島といえば、古事記ではイザナギ、イザナミノミコトが日本列島を作った最初の島であると
されていたり、ちょっと特異な感じもしないではないですが、昨年、2015年に、銅鐸7個が完全な姿で
発見されました。 実際には、南あわじ市の建設資材加工工場の砂置き場で見つかったそうですが、
この砂が松帆地区の耕地で採取したことから「松帆銅鐸」と命名されています。

  銅鐸は、弥生時代中期から後期末(前世紀~後2世紀頃)に近畿を中心とする地域で、その集団に
とって最も重要な祭りに用いられたと考えられる青銅製の鋳物の祭器で、東限は、静岡、長野、石川で、
西限は、九州を除けば 高知、愛媛、広島、島根あたりだそうです。今回の発見は、島根39点、
滋賀24点、神戸市14点に次ぐ数で、数十年に一度の大発見だというのですね。
 今回見つかった松帆銅鐸は弥生時代中期に製作された古い段階の銅鐸で、この内、大きい銅鐸が
最も古い 全国でもまだ11点しか出土していない菱環鈕(りょうかんちゅう)式という段階の銅鐸だ
そうです。

         松帆銅鐸
           (南あわじ市HPより)

 難波洋三氏(奈良文化財研究所埋蔵文化センター長)によれば、「銅鐸は、個人墓から出土せず、
多くは集落から離れた山の斜面から出土し、水耕栽培が本格的に始まった弥生時代に最も重要な祭りが、
農耕の祭りであったと考えられることや、銅鐸を飾る絵画の分析などから、銅鐸は個人の持ち物ではなく
集団が保有した祭器で 農耕祭祀に使ったと推定されている。」 また、「銅鐸は、釣鐘に似た形を
しているが、梵鐘のように外を打って鳴らしたのではなく、ヨーロッパの鐘のように中に棒(舌=ぜつ)を
吊り下げ、揺り動かして鳴らしました。」とあり、今回発掘された銅鐸には、7個すべてにこの舌
(ぜつ)を伴って発見されていたのだそうです。

 また、難波氏の記事から、なぜ松帆なのか? については、「古代には、瀬戸内海は中国や朝鮮半島の先進の文物や情報などが西(九州あたり)から東へもたらされ、その見返りの物品が
東から西へ運ばれていく、重要な東西交通路でした。淡路島は、そのような瀬戸内海の東端、
畿内の入り口に位置していました。さらに淡路島は、摂津・播磨と四国を結ぶ南北の海上交通路にも
臨んでいます。つまり、淡路島は東西と南北の交通路が交わる要衝の地に位置していたのです。」と
されています。 難波氏の専門的見地から、この松帆銅鐸の発見は、これまでの銅鐸に関する多くの
研究課題のうち、銅鐸の使用法、埋納時期、一括して埋納した意味など重要な論点について解明が進む
と期待されているのだという。これらについてさらに専門意見が述べられており、最後に、
「松帆銅鐸は、古代史の謎を解決する糸口を与えてくれる重要な資料です。」と締めくくられています。

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「たわけもの」(Nob)

2015-01-15 | つぶやき

「たわけもの」という言葉は日常生活でよく耳にしますし自身使ったりもします。時代劇などでも、主人が「この、たわけもの」と一喝するシーンをよく見かけます。

 小生はこの「たわけ」の語源に関し全く知りませんでしたし検証することもなく今まで使っていました。殆んどの人はご存知なのでしょうが・・・。

昨日拙宅がある地区の自治会役員会(小生は昨年役員の一角に就任を余儀なくされた)の新年会があり、その席で役員の1人が解説してくれました。

拙宅の周りは、周辺にまだ田んぼ・畑が散在する地区ですが、自宅周辺には5-6姓の同名の苗字の家が沢山あります。その方々のご先祖はお百姓さんで先代が亡くなりその子孫が相続で土地を受け継いだ一族がそこに屋敷を建て同じ苗字の家が並んでいるのです。小生は東京に事務所がある会社に勤務していましたのでここに居を構えて以降も近隣の人たちとの交流が少なく役員会で初めてお会いした人が多かったのですが、役員会では近隣の話をする時は皆さんが苗字だけではなくフル・ネームで呼んでいるのです。小生にはどの人とどの人がどういう姻戚関係にあるのか分からず、「覚えるのが大変ですわ」という話をしたら、役員の一人が同姓の人が多いのは「田分け」の結果で、「たわけもの」の語源は相続で田んぼを分けることからからきているのだと次のような話をしてくれたのです。 

農民が自分の跡をつがせるために、子供に田畑を分け与えるが、子供が二、三人もいると、一人当たりの面積が少なくなり、また田畑をもらった子供たちが自分の子供たちに、その子供が自分の子供に…というように、田畑をどんどん受け継いでいくと、しまいには一人当たりの面積が少なくなり、全員が食べていけなくなる。それで「田分(たわけ)」は、愚か者のする事だというので、阿呆、馬鹿という意味で「たわけもの」と言うようになったのだと解説してくれました。

 その解説を聞きなるほどと感心し、帰宅後インターネットで検索してみました。

「語源由来辞典」によると下記のように纏められていました。

QOT

たわけ者の「たわけ」は「田分け」と書き、子供の人数で田畑を分けると、孫の代ひ孫の代に受けつがれていくうちに、それぞれの面積は狭くなり、少量の収穫しか入らず家系が衰退する。

そのような愚かなことを馬鹿にして「たわけ者」として呼ぶようになったとする説が多い。しかし、「たわけ」という言葉は「ばかげたことをする」「ふざける」などを意味する動詞「戯く(たわく)」の連用形が名詞となった言葉であるため、「田分け」の説は「

戯け」と「田分け」を洒落た俗説で、「戯け者」が語源である。

UNQOT

 

この歳になるまで小生は「たわけ者」の語源を考えることなく、単に「馬鹿者」という意味で使っていました。「知らぬは自分ばかりなり」。恥ずかしい限りです。

昨年暮れにテニス仲間の1人が他界しました。彼の位牌に向かって奥様に代わり捧げました。

 ちあきなおみ 冬隣

 

 <iframe src="//www.youtube.com/embed/L2bAqCV9pEM" frameborder="0" width="420" height="315"></iframe><iframe width="420" height="315" src="//www.youtube.com/embed/L2bAqCV9pEM" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おみくじの「よし」と「よろし」の違い(nob)

2012-01-10 | つぶやき

賞味期限切れに近いお話しですが・・・。

毎年正月には大宮にある氷川神社に初詣に出掛けます。

今年も元旦に出掛けました。参道の鳥居から本殿まで約300メートルの距離。

本殿に辿り着くまで小1時間掛かりました。

氷川神社  氷川神社参道

無病息災、家内安全を祈願し、参拝後おみくじを引いたら、29番「半凶末吉」でした。

おみくじの番号の数は50番から100番まで寺社によって異なり、「凶」がない寺社も何箇所かあるとのことです(昨年末テレビで放映していました)

ワタクシが引いたおみくじの縁談の項(もう私には関係ありませんが)には「よし」と書いてありました。で、独身の息子のはどうなっているかと覗いて見ると「よろし」と書いてありました。

「よし」と「よろし」では同じようなものではないか、どう違うのかと思い、帰宅後調べると「よし」「よろし」「わろし」「あし」は古文の中で判断を表す形容詞として使われていたとのことで、基本的に「よし」=良し>「よろし」=悪くない>「わろし」=良くない>「あし」=悪し、ということを知りました。

おみくじ   おみくじ

 

この歳になると、古代から続く日本の風習、文化に興味を持つようになり、心が穏やかに・・・・

行列で並ぶ参拝客、氷川神社参詣客 

有名な氷川団子の団子屋さんで一服。

氷川神社の団子 だんご

 

 氷川神社の詳しい情報はここをクリックしてください。

 

 

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ちょっとした話題 大好き日本    (mak)

2012-01-02 | つぶやき
アメリカ人がラーメン屋を開店して、結構流行っており、2号店を開いたとの話がニューズウィーク日本版に掲載されていた。
彼のホームページを開いてみたら、そこにはTwitterへのリンクも貼られていた。瞬く間に世界に紹介され、ニューズウィークにも取り上げられ、宣伝効果は抜群である。今や、新聞、テレビなどの広告媒体なくても人に知ってもらえる。
味がよければ、日本中に店を開くようなことになり、うっかりすると世界中で店を開くことも可能ということだ。マクドナルドは世界に35000店も持っており、トヨタより儲けている。

「東京郊外、京王線芦花公園駅に程近い昭和の雰囲気が漂うアーケード商店街の入り口に、「アイバンラーメン」(ここをクリック)はある。座席数10席ほどのカウンター式の店だ。

 店は08年6月に開店1周年を迎えたばかりだが、混雑時には60~70人の行列ができる。「ラーメン愛好家が作るラーメン」と店主のアイバン・オーキン(44)が言うこの店が、短期間にラーメン通の支持を勝ち取った理由の一つは、彼がニューヨークの有名フレンチレストランでシェフとして働いた経験からくるのかもしれない。

 長時間煮込んで濃厚なうま味を引き出したチキン味と、さっぱりした魚介味を混ぜたスープは、澄んだ上品な味。整った白髪ねぎの盛りつけも、洗練された印象を与える。素材は天然物にこだわる。「ニューヨークで学んだファインダイニングのやり方で調理すると、上品なスタイルになる」とオーキンは言う。」

続きは下記をクリック。
ニューズウィークへ

私の好きな15曲メドレー


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする