急に秋らしく、涼しくなって来ました。 今年は、つい先ごろまで夏日が続きましたね。 北海道では、既に大雪山には冠雪があり、冬が到来しました。
神楽坂研究(3)に続いて、間髪を入れず、(4)が届きました。神楽坂が好きだった 夏目漱石を引き合いに、神楽坂ウーマンのあれこれに及び軽妙なタッチの大変面白いエッ セイです。 早速アップします。
前置きは、そこそこにして早く本題に入りたいと思います。
******若さんの 神楽坂研究(4) 夏目漱石と神楽坂ウーマン*********
夏目漱石は神楽坂大好きでした!
生家周辺風景と早稲田大学 明治27年毘沙門天鳥瞰図 毘沙門天前の賑わい 夏目漱石(1867-1916)
神楽坂の大ファンだった夏目漱石と現在神楽坂に在住の神楽坂ウーマンについて書いてみました。
今年は、夏目漱石没後100年、来年は生誕150年と記念の年が続きます。早稲田(牛込馬場下横町=新宿区喜久井町)で生まれ、40歳から亡くなるまで早稲田南町に“漱石山房” と呼ばれた自宅に居住してからは、作家に専念 数々の作品を生み出しました。自宅から神楽坂までは徒歩10-12分、途中の宋柏寺の隣の鰹節屋の女将さんを好きになって日記にもたびたび登場させたりしています。若いころから晩年まで漱石にとって縁(エンターテイメント、飲食、色気)の深い、大事な街でした。
夏目金之助(俳号:漱石)は生後すぐ養子に出され、8歳(明治8年)の時、養父母離婚に伴い夏目家に戻り市谷柳町の市谷小学校(現愛日小学校)に転校、その後、明治21年第一高等中学校本科第一部(文科:後の東京大学教養学部)に入学、正岡子規と同級になりました。 二人の交友は漢詩文を通じて始まりました。子規は「七艸集(ななくさしゅう)」漱石は房州旅行の紀行詩文「木屑録(ぼくせつろく)」です。子規は漱石の稀に見る天賦の才能を称賛し、漱石を第一等の友「畏友」と呼んでいます*¹。
一方で漱石は、東京中の寄席めぐり、特に神楽坂の寄席に夢中になっていました。近くに増え始めた肴町の芸者屋通いも熱心でした。花街発展途上の明治の神楽坂では、学生さんもウエルカム! 後々、学生の身分では遊ぶ金にも限界があり、芸者との駆け落ちや、心中などの問題が重なるにつれ全盛期には花街では学生お断りになりました。 漱石が松山中学の先生になったのは、好きになった芸者さんとの手切れ金の借金返済のために高給に惹かれて行ったという説もあります。かなりの遊び人(プレイボーイ)だったのかもしれません。
大久保通りと早稲田通りの“坂上”交差点の手前にある先生御用達の日本最初の原稿用紙発売で有名な“相馬屋”の前の地蔵坂に“吾輩は猫である”の文中や、自らの談話に良く通った寄席として“和良店亭(わらだなてい)”がありました。 近年、地蔵坂はミシュラン・ビブグルマンの店が2軒、居酒屋3軒、和食・小料理屋、焼き物専門店、中華・餃子2軒などの他に新人飲食店進出がめだつ楽しい坂道横丁に進化しつつあります。 2002年惜しまれて閉店した、フルーツパーラーと洋食の田原屋(毘沙門天右隣)は漱石先生のお気に入りでした。息子たちを連れてきてテーブルマナーなどを教えていたそうです。 近くにいた泉鏡花、尾崎紅葉など文人も多数来ていました。戦後も地元の人や学生に人気、水谷八重子(文京区春日)や歌舞伎役者もひいきにしていました。
漱石が寄席通いしていた頃、神楽坂に演芸場は5軒ありその後も繁盛していましたが、空襲で焼失。そんな伝統を復活させようと2011年改築した(隅研吾デザイン研修)牛込の鎮守、赤城神社であかぎ寄席 が始まり60回を超える定期開催。明治時代、境内の貸席「清風亭」で坪内逍遥が寄席を開いた縁もあり、落語評論家、山本益博(グルメ評論でも著名)がナビゲーターとして若手と一緒に落語の楽しさを発信しています。彼の奥様で衣装作家の姉妹が私の元部下の奥様。そして故郷札幌の幼馴染で著名な建築家M君が時々赤城寄席に来ているので聞いてみると、山本氏は札幌東高校卒業でした。間接的ですが山本ご夫妻とはご縁があるようです。
漱石生誕150周年を記念して、新宿区は「漱石山房」と呼ばれる自宅のあった早稲田南町に来年9月開館を目指し記念館を建設中です。ちょうど9月からは、NHK土曜ドラマで「夏目漱石の妻」がスタートしました。これから来年にかけ色々特集されるのが楽しみ。それにしても100年たっても人気ある作家ってすごい!
文具“相馬屋” 漱石お気に入りオムライス 赤城神社の寄席 仮称「漱石山房記念館」
神楽坂ウーマンのワーク・ウエイ 神楽坂在住約10年の独身OL、Sさんのオフィスは大手町。毎朝夕、真夏、雨以外はウオーキング通勤(40分)です。70代横綱で大学院生”日馬富士“が通う外堀通り市谷田町の法政大学ビジネススクールの前の新見付橋から坂道を上ると一口坂交差点。 ソフトバンクの孫社長は、突如7月Googleから後任として数百億円でヘッドハントした副社長を”社長続投に欲が出た“と解任。孫さんが10億円損してから、ベンチャー魂で一気に駆け上がったソフトバンク創業地は九段南(一口坂の南側、パワースポットかも)です。 靖国神社方面に左折、九段上の漱石が漢学を学んだ二松学舎を通り過ぎ、北の丸公園を抜け、竹橋から内堀沿いを大手門に到着。 Sさんは乗馬とジムでシェープアップしたホットパンツが似合うスマート・ビューテイ。 通勤最後のルートは、皇居の緑とお濠の水に囲まれ、大手町、丸の内のビジネスマンや外人出張者に超人気のジョギング・エリアと重なります。
80年代後半、ニューヨークの早朝見かけた通勤OLはジョッギングシューズを履いていました。(今もそうだと思います)オフィスでハイヒールに履き替えるとのこと。理由は歩道や、メトロの階段などが凸凹しかも、雨や降雪時ヒールのある靴では滑りやすく問題が多いようでした。それに比べると都心の道や、地下鉄はNYよりは圧倒的に上質です。 昔電車の中で何度かヒールで踏まれました、スニーカーだったら我慢できたのにと思います。
スニーカー通勤が流行る!
2014年6月New York Timesが“スニーカーの時代が来る”と特集。すでにパリコレ・ランウエイではスニーカーでモデルが闊歩、デザイナーブランドのジーンズはおしゃれの定番です。同様に、男女ともにスニーカーもスポーツジムを飛び出し町中(まちなか)ファッションの定番になってきました。スマートカジュアルを超えたドレスコードとして認知されつつあるようです。 一昔前、アッパーイーストサイドの高級レストランは、スニ-カー客は目立たない席ににしかつけなかったのに… 今はと書いています。少なくともウエブベースでの業界では認知されオフィスでもOK。ちなみに、“NYC, Office Woman ,Foot wear”でGoogle images検索すると革靴とスニーカーはほぼ互角の登場です。3.11直後、自転車通勤が一時期急増しましたが元に戻りました。 千代田区はコミュニテイサイクルシステムをつくりエコ&クリーンな街を目指しているようです。健康のため、目的の駅の1駅手前から歩く人も多くいますので、男女ともにもっとスニーカー通勤が多くなってもよい気がします。(予言)
B.Frankの着こなし 神楽坂Sさん スポーテイに! NYCのオフィスでも! 大手門タワー(新)
大手町にあのAMANが登場!星野リゾート東京も!
AMAN RESORTS BALI アマンダリメインプール AMAN TOKYO(大手町) 星の屋東京(大手町)
サラリーマン時代、広岡監督の西武が優勝した1982年(S57)までの5年間、私は大手金融機関担当営業でした。大手町は、都市銀行、生保、長期信用銀行などの金融センターなので良く訪れました。当時は、ビルの高さは9階建が限度。今や、丸の内、大手町エリアは上を向いて歩くとニューヨークマンハッタンです。2015年大手町のど真ん中に(富士銀行本店跡、みずほ丸の内中央支店)、AMAN TOKYO*²ホテルがオープンしました。 長野オリンピックの年1998年だったと思います。バリ島でインターネットのカンファレンスの時、某大手国際キャリア米国法人社長と意気投合、夕方から一泊だけ高原のウブドウ地区にあるアマンダリに移動。プールサイドのガゼボにバトラーサービスで、若手も呼んでのデイナーは贅沢な一時になりました。 段々畑と熱帯雨林に囲まれた高原の景色に溶け込むコテージのデザイン、レイアウトは完璧でした。 メインプールはInfinity edge(シンガポールのマリーナ・ベイ・サンズの天空と一体に見える屋上プールも同じ)対岸の熱帯雨林が水面に映り込む絶景を堪能しながら、露店風呂の雰囲気を漂わせる粋な演出を楽しみました。 神楽坂のチーズバーの人気店長だったEさんが突如AMAN TOKYOに転職、1年後アシスタント・マネージャーにビッグ・プロモーション! 人気高級ホテルカフェ勤務だけに新人育成もふくめかなり多忙。 東西線神楽坂に近いマンションなのでドアツードア30分切る通勤が可能なのはアドバンテージです! 本人曰く面接のときに“君は目力(めじから)あるね”といわれたとのこと…先日行きつけの地蔵坂のお店で神楽坂に縁の深い、元宰相の秘書Iさんに彼女を紹介したら“君目力あるね”と同じ第一印象! 仕事柄ワインとチーズについてはソムリエ目指しただけに、かなり味力(みりょく)のゴルフ大好き、目力美人です。
大手町に日本のリゾートホテルの雄、星野リゾートがオープンしました! 世界のAMANと日本の星野の一騎打ちの大手町戦争なのか、大手町の付加価値を更に高める化学反応が起きるのか? オリンピックに向けての都心高級CITY-Hotelブーム幕開けなのか見ものです。 AMANリゾートは2013年イタリア、ベニスの250年の歴史を誇る超高級ホテルを買収、翌年CNNニュースが“世界のセレブ垂涎の七つ星、アマン・カナル・グランデでジョージクルーニーが数億円かけて1週間結婚式と披露パーテイ…”と報道。“究極の隠れ家”と世界中のセレブに支持される素敵なホテルグループですから今後も目が離せません。
CANAL GRANDE(外観)ジョージクルーニーCANALGRANDE(内部)ゴルフ大好きYさん 目力は隠しています
神楽坂のお店とバーは、自宅の延長線!
狭くても都心に住むメリットは、何と言っても職住近接(30-40分以内の通勤)。3.11以降、職場から徒歩帰宅できるのも家族の絆として重要だと、湘南の自宅売却し、狭くても神楽坂に移転してくる人が増えています。
牛込神楽坂地区は武蔵野台地(標高30m前後の安定した地盤)にありお店のボトル落下被害もほとんどありませんでした。徒歩圏内においしい、楽しい、くつろげるお店があることは狭くて、小さい住居の問題点をカバーしてくれます。 独身、共稼ぎ(DINKS=Double income no kids)を問わず重要なポイントです。 神楽坂周辺は銀座、新橋、六本木のような顧客密度が高く、大声でしか話が通じないお店は稀です。60-70年代の高度成長のとき不動産関係の人は“タンス捨てても都心に住めば値上がりのメリット享受”できるということで小さいマンションをローンで購入。高金利でも、利息の倍以上の値上がりが続き、超借り得時代でした。史上最低金利でデフレから抜けようかという今、どうもミニバブルが、周辺のマンションで発生しているようです。
話はとびます、「間違いだらけの車選び」の著者故徳大寺有恒は、晩年ワンボックスカーの普及を見て日本のモータリゼーションの世界に夢はなくなったと嘆き廃刊宣言。しかしワンボックスカーはますます普及発展、今や、企業の社長・役員専用車そして舛添前知事、小池新東京都知事公用車として大昇格です。人気の要因は、リビング・ダイニング・ルーム・エクステンション(狭い家から飛び出し、ファミリーで温泉、キャンプ場そしてBBQに自由に、広範囲に移動し異空間と時間をエンジョイ)と天井高な居住性が魅力です。 神楽坂周辺に住み、徒歩圏にあるお店(バー、レストラン、居酒屋...)は、マイ(アワ)・バーチャル・ダイニング+バーです。飲酒歩行は泥酔しない限り、トラ箱のお世話にならず、免許取り消しにもならないのでほろ酔い歩きも安心です。(笑)
今年うれしいニュースは、勝沼の老舗ワイン醸造所ルバイヤートのプテイ・ヴェルド2012が伊勢志摩サミットで食事に供されたワインの一つに選ばれました。東京のお店は毘沙門天裏の袋町、山梨日川高校で小説家、文壇の大御所林真理子の同級生の大村さん(三男)がオーナーです。ルバイヤートの向かいは、ワインと肉で人気の“29*³”。二階のフロア、カウンターにサッカーで二松学舎推薦入学の赤坂育ちの長身ワイルドT君が迎えてくれます。 軽子坂上り切ったところの女性に人気のシャンパン・バル・ヌメロ・サンクのオーナーは、流氷で有名な北見紋別出身のダンデイSさん、今や神楽坂に5軒経営、それぞれ個性がありいろいろな場面に合わせた飲み方ができます。毘沙門店の横道、三ツ星石かわのはす向かい、パラドール・ド・カグラのオーナー・シェフは熊本に縁の深いTちゃん。(熊本地震救援募金中)一人でも家族でも、会社の打ち上げでも予算とメニューを柔軟に対応してくれる人気のフレンチ(イタリアンでも和でもOK)です。 今回登場のSさん、Eさんは彼氏募集中、T君も彼女募集中です。良い人がいたら一報ください、よろしくお願いします(笑) つづく
29(Twenty Nine) プテイ・ヴェルド2012(完売) ヌメロ・サンク パラドール・ド・カグラ
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*1 参照Express3、2016年3月号、「子規と響く」文(俳人・評論家)斎藤愼爾
*2 アマン東京はグループ最初のシテイホテル。伊勢志摩合歓の里(アマネム)も開業。京都も開業準備中。
*3 東京でカリフォルニア料理の店で3年以上延命は"29“が初めて(5年+)。肉料理にこだわりがあります。でも予算はお手頃。バイト男子は代々早大生、東京理科大生です。
若林成明著
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