蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

気象医学  (bon)

2018-03-30 | 日々雑感、散策、旅行


     明日は満月です。今月2日も満月でしたから、明日のはブルームーンです。
      今年、1月にも満月が2回ありました。なので、今年は、1年に2回もブルー
      ムーンを見ることが出来る珍しい年なんです。次回、2回あるのは、11年後
            といいます。 明日は、サクラの後はブルームーンで!
       ロシア外交官、貿易戦争、北の電撃訪中などなど不気味な世情ですが・・。


 聞きなれない言葉ですが、気象医学というのがあるんですね。

 定期購入しているサプリに入っていた冊子にこのことが載っていましたので、少し調べて
みました。

 気象医学という言い方より、「生気象学」のほうが一般的なのかもしれません。
 ウイキペディアに『 生気象学(biometeorology)とは、気象現象が人間をはじめとした
生物に与える影響を研究する学問で、気象学および生態学の一分野で、医学、衛生などに
も強い関連性がある。』とあり、その解説に『気象現象が持つ物理的・化学的な特性が作り
出す環境は、人間、動物、植物に大きな影響を与える。 大きなものとして健康への影響が
挙げられ、高温多湿による熱中症、低温による凍傷や低体温症などの極端なものから、湿度
や気温のバランスによる快適度、農業気象、洗濯物の乾きやすさまでをも扱い、生活にかか
わる身近な事象も取り上げる。』など、かなり広範囲にわたった学問のようです。


 ま、難しいところはさてとして、日頃感じているところでは、どうも季節の変わり目は
体調が思わしくないとか、寒いと古傷が疼く・・とか、雨が続くと、憂鬱になるとか・・
誰しも経験されるところではないでしょうか。

 ネット調べをしていますと、これはれっきとした学問で、かなり古くからその取り組みが
始まっていて、1955年にパリで、第1回国際生気象学会が開催されているのです。
 もともとは、1950年頃ドイツで、医者、気象学者、地理学者が共同で、気象と病気の関係
を検討したのがその始まりだとありました。

 日本においては、日本気象学会の生気候分科会、環境生理集談会などが統一して、1962年
12月に、日本生気象学会が創設されています。この年、日本で第1回生気象学会が開催され、
毎年各地で開催されて、昨年第56回大会を迎えています。 初代学会長の吉村寿人氏(医博)
の学会誌前書きに述べられている内容から抜粋して一部をご紹介します。

 ・生気象学の概念は、遠く古代ギリシャのヒポクラテス(BC460)の提唱に遡る
 ・生気象学の研究分野を次の5つに分類した
  1)植物生気象学 Phytological biometeorology 
  2)動物生気象学 Zoological biometeorology
  3)人体生気象学 Human biometeorology
  4)宇宙生気象学 Cosmic biometeorology
  5)古生気象学 Paleo biometeorology
 ・Biometeorologyとは生態学(Ecology)の一分野であって、植物の根の生えている土壌
  環境より胞子の飛んでいる大気に至るまでの自然環境の他に、ビルディング、地下道、
  潜水艇、人工衛星等の人工環境をも含めての環境の物理的、化学的条件の生体に及ぼ
  す影響を研究する学問である

     ヒポクラテス(古代ギリシャの医者)
         (ウイキペディアより)

 また、人体に影響をおよぼす気象変化を中医学(漢方)では『外邪(がいじゃ)』といい、
これら外邪には、風、暑、燥、湿、寒、火の六つあり、合わせて『六淫の邪気(りくいんの
じゃき)』と呼ばれていますが、これも『気象病』にも通じる考えです。


 具体的に何がどうの・・というのは、既に60数年にわたり研究が進められてきていますが、
気象と疾患の関係は、両者ともに複雑な要因を多数含んでいるため、ピチッとした内容とし
て結論付けられていないかもしれません。

 しかし、ドイツでは、テレビや新聞の天気予報では、気圧予報も一般的で、気圧変化に
基づいた 「ぜんそく予報」 「うつ予報」 「関節炎予報」が報じられているそうです。
また、日本でも、天気予報と連動した「心筋梗塞・脳卒中予報」を実験的に広島で提供され
ているそうです。

 気温の変化が激しいと、短時間の気温変化で血液がドロドロになり易いため、春と秋に、
脳血栓が多いとされているとか。 気圧の変化も、精神と深い関係があるそうで、気圧の
急激な変化によるフェーン現象が起こり易い地域は、自殺や犯罪、事故が多いとの分析も
あるとか。
 腰痛・頭痛なども気圧が関係しているそうですが、気圧の変化に身体が順応しようとして
自律神経を刺激するからだとあります。

 最近、気象予報士が開発したスマホアプリ「頭痛―る」が人気を呼んでいるとか。取り
あえず無料サービスで、気圧予報と頭痛が起こる可能性を予測してくれるシステムです。
このほか、関節痛や肌乾燥の注意報を知らせるサイトもあるようです。

     頭痛―る(スマホアプリ)  
       (頭痛―る公式サイトより)

 

 また、ネットを見ていますと、“経営者のための健康情報”などのページがあり、気候
と病気は密接な関係があるとして、気象医学の情報を掲載していますし、「せんねん灸」
のページにも、気温・気圧変化と自律神経との関連などを記しています。
 気象医学と歯科疾患の関係も報告されていました。  最近、世田谷のクリニックで、
「気象外来」を始めた医院もありました。

  さらに、地球温暖化や異常気象などの影響で、ヨーロッパで熱射病死亡者が多く出た
こともあり、気象と病気の関係が大きく注目されるようになり、WHO(世界保健機関)
では暑熱関連疾患、精神性疾患、節足動物媒介感染症・寄生虫症などが増加すると予測し、
その一対策として医学気象予報システムを推奨して、すでにフィラデルフィア、ローマ、
リスボンの各市で熱波予報システムを樹立している・・とありました。

 

  花粉予報や紫外線指数、PM2.5、光化学スモッグなどはこれまでも行われていますが、
これと同様に、健康気象予報のようなものも身近になってくるのでしょう。

       ベランダのムスカリ
        

      ハナモモも 今が盛りです。
        

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

五分咲き  (bon)

2018-03-28 | 日々雑感、散策、旅行

 
 今年の桜はずいぶん早く咲いて、列島の大部分が桜に覆われてきました。東京では先週
(土曜日)満開となり、上野公園は大変な賑わいとなっていました。

 本題は、桜の話しではなく、数値的というか、割合に関して、普段何気なく使用している
言葉についてちょっと触れてみました。
 どうでも良いことですが、桜などの花の咲いている度合いを「三分咲き」「五分咲き」など
と言いますし、この他、「腹八分目」や「五分狩り」などというのもあります。
 これらについて、ちょっとおさらいをしてみました。

 

 数量的な割合を表す語として、割、分、厘、毛があります。 しかし、このうち「分」に
ついては、全体 1に対して、どの程度の状態にあるかを表す言葉として定着しているのです。
つまり、「状態表現」として使われているとありました。

 したがって、桜の場合、五分咲きは、桜の木の開花状態が 全部咲いたときに比して半分
くらい咲いている状態をいうのですね。 3割程度なら三分咲き・・当り前ですね。

 ところで、桜についてこのように呼ばれるようになったのは、明治時代に入って、ソメイ
ヨシノが普及したことと関係が深いようだとありました。 どういうことかといえば、江戸
時代までは、オオシマザクラや、ヤマザクラなどいろんな種が咲いて、桜の期間としては
割合長い間続いていて、お花見ものんびりと行われていたのだと・・。
 それが、明治に入って、ソメイヨシノが列島に広く普及し、桜といえばソメイヨシノといわ
れるくらいに普及し、この開花期間は10日間くらいと短く、見逃してはならないと 忙しく
花見をしないと終わってしまう。 その開花時期が、一般に重要になって、テレビなどでも
“どこそこ地方では、三分咲き”などと、細かく知らせるようになったとか・・。

      こちらは満開の陽光ザクラ
        (ベランダにて 3/24)
 

 桜ばかりで長くなりましたが、「腹八分目」は、満腹を1として、八分目ですから、もう
かなり満腹に近い状態をいっているのですね。“もう、お腹いっぱい!”は満腹でもあり
ますが、八分目位でもいいますね。

 「五分狩り」はどうでしょう。 床屋さんで、頭を丸刈りする時、五分、つまり1寸の半分
くらいで、約1.5㎝くらいの長さの丸刈りをいうのでしょう。 刈りたての密集した毛並みは
すがすがしい感じですね。

        五分刈り
                    (ネット画像より)

 「七分袖」というのもあります。長袖ではなく、半袖でもないその中間くらいの長さの袖
を表しています。 なので、六分袖や八分袖はあまり使わないのですね。

         七分袖
         (ネット画像より)

 
 「九分九厘」は、どうですか。 もう殆ど、ほとんど全て という意味で使われますが、

割、分、厘・・でいえば、0.1、0.01、0.001で考えた場合、九分九厘=0.099ですから、とて
も“ほぼ全て”とは言えないわけですけれども、全体を1として、その状態を示すという観点
からは、九分九厘は、限りなく1に近いという事から“ほとんど全て”を意味しているのです。
 逆に考えれば、分を1/10として扱われているとも言えるかもしれません。つまり、九分九厘
は 9/10+9/100=0.99≒1

 「五分五分」というのもあります。九分九厘と同じ考え方で、0.5対0.5

 「十分」というのも、10×1/10で、条件を満たして不足の無いさまを表しているのでしょう。

  最近では、クリームの泡立て具合を示す「六分立て」(ムース用)「八分立て」(絞り出し
用)という言葉が料理の分野であるそうです。固さの状態を示しているのですね。

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無電柱化  (bon)

2018-03-26 | 日々雑感、散策、旅行

  突然ですが、電柱を地下化したりして空間から無くすことなんですが、かなり以前から
叫ばれている一つの事案で、国交省によれば、1986年に第1期計画(5年)が始められ、
これまで 6期まで進めて、約10000km弱の地中化をしてきたとあります。 3~400km/年で
進められてきましたが、2009年からは 約260km/年とぺースダウンしています。

    
                              (国交省HPより) 

 無電柱化を推進する派がどこかにいらっしゃるのか、2016.12.9には、「無電柱化の推進
に関する法律」が成立し、これに基づいて、このほど(平成30年2月19日)「無電柱化推進
計画( 案)」が策定され、年度内に正式決定する予定とありました。 

 法律の無電柱化目的は、『災害の防止、安全・円滑な交通の確保、良好な景観の形成等
を図るため、無電柱化の推進に関し、基本理念、国の責務等、推進計画の策定等を定める
ことにより、施策を総合的・計画的・迅速に推進し、公共の福祉の確保、国民生活の向上、
国民経済の健全な発展に貢献』とありました。
 諸外国の状況を見ても、日本のそれは大変遅れていることが分かります。

    国別状況
     
                          (国交省HPより) 

 
 確かに、阪神淡路大震災など災害時に電柱の倒壊で救助活動が出来ないなどの問題が
浮き彫りになり、また、車椅子などの安全な通行の確保など時代の要請があります。

 国交省の本件HPの目的には、『無電柱化は、「景観・観光」「安全・快適」「防災」の
観点から推進しています。』とあり、目的のトップには、景観・観光が揚げられています。
 具体的には、次のように掲載されていました。

  • 「景観・観光」・・・景観の阻害要因となる電柱・電線をなくし、良好な景観を
    形成します。 
  • 「安全・快適」・・・無電柱化により歩道の有効幅員を広げることで、通行空間の
    安全性・快適性を確保します。 
  • 「防災」・・・大規模災害(地震、竜巻、台風等)が起きた際に、電柱等が倒壊する
    ことによる道路の寸断を防止します。
       景観               災害
    
               (国交省HPより) 

  で、推進計画の具体的な内容は、2018年度から3年間で1400kmの無電柱化を目標とし
います。実施に当たっては、重点的に進める区域を定めて、①緊急輸送道路や避難所に
通じる道路、②生活道路や商店街、通学路など、③世界遺産などの歴史的な趣のある
観光地、④首都高速中央環状の内側を優先的に行うとしています。
 計画案で対象となる電柱は、5~6万本と想定されているようですからまだ先の遠い話
ではあります。

     電柱の推移(国交省HPより)
       

 

 また、地中化するための費用は、1km当たり4~ 5億円と電柱方式の約20倍もかかるなど
多くの予算が必要で、このため、これまでもなかなか進展を見なかったのですね。 した
がって、地中化に当たって、さらにコストダウンを図る施策が検討されている他、地中化
によらない方法、たとえば、軒下配線や裏道配線なども考慮するといわれています。軒下
配線は、ヨーロッパなどでよく見かけますが、ビル(建物)を利用した配線方法ですね。

 
                            (国交省HPより(

 無電柱化については、東京都は積極的で、先頃 小池知事の推進発言があったところです。
予算の豊富な東京などは、せいぜい進めてほしいところですが、そうでないところでは、
優先度はそれほど高くはないかもしれません。

 

 このように、今や、“邪魔もの?”扱いの電柱も、明治2年(1869年)東京~横浜に電信
が開業され、一つの大きな文明開化として 当時では相当なインパクトをもって迎えられた
ことでしょう。
 電信線を添架する柱を「電信柱」と呼称され長い間親しまれてきました。 その後、明治
11年(1878年)に初めて電灯がともり、その4年後には銀座2丁目に街燈が点き、配電のため
の柱も立つことになるのです。 文明の恩恵が広まって行くのです。 
 (昨日、3月25日は電気記念日でした。当ブログ「電気記念日」2014.3.25ご参照)

 昭和50年代には、有線放送ケーブルの電柱への無断添架が法廷問題にまで発展するなど
注目されたり、電柱への無断広告紙の貼付問題から無電柱化の動きもあったようですが、
費用負担を避けるねらいから、誰が考え出したか、電柱の目線部分に、糊付けできないよう
に“いぼいぼ”を付けたプラスチック状の帯を巻き付けた「美化柱」と称する一時しのぎの
対策が取られたりしていました。

 

 新しい文明の発展と共に、増大してきた電柱も、このような歴史的な役割がそろそろ終焉
に近づいて、むしろ災害や観光・景観から無い方が良いとの立場に追いやられてしまったの
ですね。 優先順位を付けて実施するのは良いとして、ここにもまた小さいとはいえ利権が
付きまとったりするのかもしれません。

          

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

世界気象デー  (bon)

2018-03-24 | 日々雑感、散策、旅行

  昨日3月23日は、「世界気象デー」だったんです。

 ここ数日は、初夏を思わせるような日があるかと思えば、桜の開花宣言の後で、急に
粉雪が舞う真冬に逆戻りするなど、気温の変化の激しい春となっています。

 思えば、最近のように100ミリを超える豪雨、ゲリラ豪雨など、以前には考えられない
ような雨量の雨が降ります。 若い頃には30ミリの大雨 なんて言っていて、この程度の
雨も珍しい感じでした。
 気象は、最近なんだかおかしい? 豪雨で、必ずどこかの地域が土砂崩れ、河川の氾濫、
浸水など大きな被害が頻繁に起こっています。

 地球は、じわじわとその環境が変化し、生命に対して不可避の危機に向かっているのかも
しれません。チョット悲壮すぎるようですが、この気象について、世界が戦争から落ち着い
た頃には 既に地球規模で観測し、理解し、対策を講じる組織を構築していたのです。

 世界気象機関(WMO=World Meteorological Organization)です。 1873年に創立された
政府間組織である 国際気象機関 が発展的に解消して、1947年に世界気象機関条約が採択
され、1950年にWMOとして設立されたのです。
  設立の目的は、『気象業務に関する国際的な調整・標準化・改善や、 気象情報の交換
促進』とあり、設立され世界気象機関条約が発効した 1950年(昭和25年)3月23日を記念
して、この日を「世界気象デー」としているのです。
  WTOは、国際連合の専門機関の一つで、本部はスイスのジュネーヴにあります。 現在の
加盟構成員は、185 か国、6 領域 で、日本は1953 年(昭和 28 年)に加盟しています。

            (ネット画像より)

 

 世界の観測拠点が定められており、世界気象中枢(World Meteorological Centre; WMC)
として、メルボルン、モスクワ、ワシントンの3か所の気象局が指定され、このほか、
地域特別気象中枢(Regional Specialized Meteorological Centre; RSMC)として、この 3
か所に加えて、東京(気象庁)、ロンドン、オフェンバッハ、ローマ、カイロ、ヴエノス
アイレス 、北京など25ヶ所が指定されて協調しているのです。

  気象庁が、今年、3月14日に報道発表した資料にも、まさに近年の気象の重要さが展開
されています。抜粋してみます。

 『将来にわたって 世界の人口が増え続けると予想されている一方で、地球温暖化の影響
により大雨、干ばつ、熱波、寒波といった極端な気象現象の規模と発 生頻度が増大すると
予測されており、私たちはこれまで以上に気象に備え、気候変動に対応する必要がありま
す。   WMO と同機関に加盟する各国の気象機関は、気象や気候変動によるリスクから、
生命、暮らし及び財産を守ることを最重要課題の一つとし、より強靱な社会の 構築に貢献
するよう、日々の天気予報から長期的な気候予測にわたるサービスの普及に取り組んでいま
す。』
 『日本においても、近年、雨の降り方が局地化・集中化・激甚化しており、社会全体で
災害に立ち向かう防災意識社会を支えるため、気象庁は、防災情報の充実・強化や関係機関
との連携等を通じた普及・啓発活動、及び気象データの利用促進等に取り組んでいます。』
 『気象庁は、今後も、WMO や各国気象機関、国内 の関係省庁・機関と協力しながら、引き
続き防災や気候変動対策等の課題に取 り組んで参ります。 』とありました。

     
                                (気象庁HPより)
       (的中率は向上し、予報誤差は縮小しています。)

        
  世界気象デーには、気象業務への国際的な理解の促進を目指して毎年、キャンペーンテー
マを設け運動を展開しています。 今年のテーマは、「気象・気候への適切な備え」です。
ちなみに、昨年のテーマは「雲を解する」でした。

 しかし、これらのキャンペーンに即した具体的な運動(活動)への展開については、気象
庁のHPなどを見る範囲では、具体的な事案を見つけることが出来ませんでした。
  気象が、近年これほど身近に感じていて、しかも、世界レベルでその変動が大きくなり
今後においてさらに重要視されている・・とする割には、世界でのテーマ設定をそのまま、
気象庁の報道発表に掲載しているだけに留まっているようで、何とも空々しい形式的な感じ
を受けました。


 このような、国民レベルの身近な活動には、注目されていない反面、企業、産業レベルで
のコンソーシアム(気象ビジネス推進コンソーシアム)作りなどに積極的で、気象データの
IOT活用などを呼び掛けていました。  これは大事なことでありますが、何やら地に足が
ついていないような感じもするのでした。

 一方、1993年の気象業務法改正によって、気象庁以外の者に対する予報業務が許可(気象
予報士試験)されて以来、昨年10月現在で、気象予報士は、9,856名にのぼるそうで、テレビ
などの「気象情報」コーナーでは、多彩な“お天気キャスター”が、いろいろ工夫を凝らし
た解説をしてくれるので、分かり易く楽しみなコーナーの一つになっています。
 気象予報士は、これらの報道面に携わる人のほか、経営判断のための気象情報の分析、
報道・教育等用の気象コンテンツの作成等に携わっている人が多いそうです。

 今は亡き、倉島厚「お天気博士」は懐かしいですが、倉島さん時代は、気象庁の職員だっ
たのですね。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

法隆寺お会式  (bon)

2018-03-22 | 日々雑感、散策、旅行

       昨日 21日は、春分の日でしたが、粉雪が舞って前方が霞むくらいでした。
            先頃、開花宣言もありましたが、花も驚く寒いお彼岸の中日でした。

 

 奈良、斑鳩の里に春を告げる風物詩として、3月22~24日に法隆寺・聖霊院で繰り広げ
られる華麗で荘厳な法要とあります。  聖徳太子のお会式のことで、その始まりは、
「夢殿」が建立された天平20年、748年頃と考えられていて、聖徳太子が亡くなった命日に
遺徳を偲ぶ太子礼讃の法要なんですね。

 聖霊院の本尊で 秘仏とされる聖徳太子摂政像が開扉され、太子像の宝前に古式の飾り物、
餅、大豆、果物などが供えられ、堂内の華麗で荘厳な空間とあいまって、まるで極楽世界を
演出しているかのような光景だそうです。
 これらのお供物は、約1カ月前から古い記録に則って手作りで準備されるといいます。

      聖霊院内部のお飾り
       (ネット画像より)

 この時季、奈良では、3月1~14日の東大寺、二月堂のお水取り(修二会)があり、それ
に続くイベントとして、法隆寺で厳かに繰り広げられるのですが、聖霊院内部の法要なので、
youtubeなどの映像もなく、その光景を見ることは出来ないのですね。

       お会式
       (ネット画像より)


 法隆寺は、1993年に「法隆寺地域の仏教建造物」として世界遺産(文化遺産)に登録され、
よく知るところですが、残念ながらこの法要を見る機会はこれまでありませんでした。

 法隆寺は、聖徳宗の総本山で、斑鳩寺、法隆学問寺などともよばれ、聖徳太子建立と伝え
られる七寺の一つです。その創建は 607年とされ、西院伽藍は現存する世界最古の木造建築
物群とあります。
 これら建造物のほか、百済観音像、釈迦三尊像、玉虫厨子、救世観音像など名だたる美術
工芸品で有名ですね。

 また、聖徳太子は、言わずもがなですが、用明天皇の皇子で厩戸皇子といい、推古天皇の
もと、蘇我馬子と協調して政治を行い、国際的緊張のなかで遣隋使(小野妹子)を派遣する
など中国の文化・制度を学び冠位十二階や十七条憲法を定めるなど天皇を中心とした中央
集権国家体制を確立したのです。 仏教を取り入れ神道とともに厚く信仰し興隆につとめた
とあります。 聖徳太子というのは、後世の諡号ですね。

 

 話は、お会式から逸れましたが、この期間、境内参道には露店も並ぶとあり、賑わうそう
です。春の斑鳩を一度は訪れてみたいものです。

          この時季の境内参道
       (ネット画像より)

      

 

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヒレンジャク  (bon)

2018-03-20 | 日々雑感、散策、旅行


 鳥の名前です。
 先週土曜日の新聞(読売新聞2018.3.17朝刊 動物日記 日本野鳥の会埼玉 海老原
美夫氏)に解説されていました。早速、手元にある「日本の野鳥」(山と渓谷社)を
取り出して、照らしてみました。

 緋連雀 と書き、3月~5月頃日本に飛来する冬鳥に分類されていますが、春を告げる
鳥でもあるのですね。  スズメ目、レンジャク科の野鳥で、この科には3種しかいない
珍しい鳥だそうです。
  ヒレンジャクは、日本とアムール川下流の限られた地域にしかいない個体数の少ない
鳥で、その名も Japanese Waxwing と「日本のレンジャク」を意味する名になっている
のです。
  北半球中緯度帯に広く分布するのは キレンジャク(黄連雀=Waxwing)で、尾の先端
が赤、黄で区別されます。  また、キレンジャクの方は、翼に白斑があるとあります。
  この赤、黄の他に、南北アメリカ大陸に、ヒメレンジャク(姫連雀)というのがいる
そうで、こちらは尾の先端が黄色いそうですが、黄連雀より少し小さいとありました。

 レンジャクの姿、特に頭部が冠羽になっていて、眼の周囲だけを覆った仮面のような
黒い過眼線があって、とてもカッコいい姿をしているのですね。 市街地にも群れて来る
といいますから一度見てみたいです。

    ヒレンジャク (ネット画像より)
  

 
                  キレンジャク(ネット画像より)
             

 『チリリと細い声で鳴いて、ヤドリギの実を好み、次々と食べては水を飲みに降り、
枝上でゆっくりと休む。』・・・ のどかないい感じですね~。

 

 ところで、図鑑を見ていますと、「スズメ目」というのは、その分類の下部に多くの
“科”があるのに驚きました。ヒバリ科、ツバメ科、カラス科、セキレイ、モズ、メジロ、
ヒヨドリ、ムクドリ・・まだたくさんあります。ヒヨドリ、ムクドリは、ベランダにも
よく来ていて、似ているように思いますが“科”が違うのですね。

 ハト目、ホトトギス目、フクロウ目、キジ目、チドリ目・・などいろいろとありますが、
スズメ目にはダントツたくさんの科がありました。

 “雀”という字がある「孔雀」は?・・と探しましたが、見当たりませんでした。
クジャクは、キジ科の鳥類ですが、野鳥図鑑にはありませんでした。野鳥ではないのですね。

 

 連雀というと、想い出しました。 もう50年も前になりますが、札幌勤務から武蔵野の
研究所に転勤する際、2ヶ月ほど仮住まいをしたのが、三鷹市の下連雀という地名のところ
でした。 恐らくスズメが群れて、電線か何かに連なっていたのでしょうか、連雀という
ロマンチックな感じの地名でしたが、当時すでに住宅街で、JR三鷹駅まで10分ほどでした
から、駅近くには商店街などもあって賑やかなところでした。 懐かしく想い出しました。

 

 Youtubeから、岡山県赤磐市の公園。

野鳥:ヒレンジャク/Wild Birds: Japanese Waxwing

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

神楽坂研究(号外:桜開花) (bon)

2018-03-19 | 日々雑感、散策、旅行

       平昌パラリンピックは、選手たちの素晴らしい活躍のうちに無事閉幕しました。
      数々の熱戦は勿論ですが、その背後にある運営基盤、祭典企画など心を込めた
      熱い支えが感じられ、先の五輪と共に、改めて平和の喜びを感じました。
       ありがとう!


 神楽坂の“若さん”から、速報が届きました。 土曜日(17日)に、例年の9日早い
東京の桜開花宣言があり、
早速、“若さん”は、昨日(日曜日)に確認に出かけられた
のですね。
  開花判定基準は確認できたとのことですが、想像するあの桜景色にはまだしばらく
かかりそうだ、昔のような、花見宴会?は出来そうにない、それより、朝が良いとか、
“花見”と“鼻の下”とは区別して、近くの神楽坂にちょっと寄って行くのが“粋”
どころ・・ なんて上手にお花見ガイドを寄せていただきました。
 皆さん、ご参考になってください!

 

 ***** 2018年3月18日 神楽坂研究(桜開花 号外) *****

 

“桜開花”外堀・靖国・千鳥ヶ淵・北の丸周辺速報!

 
       靖国神社「桜」標本木   靖国神社南門(靖国通り沿い桜)  千鳥ヶ淵 桜つぼみ(AM0930)

 3月17日(土) PM02:30のこと、靖国神社山門を抜けた右手「能楽堂」横にある気象庁
の桜の観測木を見ていた担当官が 東京の「桜開花宣言」をしました。昨年より4日、
例年より9日早い開花です。

 今朝(日曜日の朝)、標本木の開花状況は10輪数えるのがやっとでした。千鳥ヶ淵や
北の丸公園もつぼみが少しほころび始めた感じです。

 観測木のある能楽堂の前は「ラジオ体操の会場」で、千代田(番町、九段、富士見)、
新宿(神楽坂)、文京区(水道、後楽)在住の体操マニアたちが集う会場です。北の丸公園
会場と掛け持ちの人もいるようで開花予想も楽しみの一つでしょう。
 気象庁の判定基準は、花のおしべ、めしべを確認できる開花の数が5-6輪できた時だ
そうです。

 神楽坂住人にとっての花見場所は、外堀公園、靖国通り、靖国神社、千鳥ヶ淵、北の
丸公園に出かけます。 でも今週初めは、花見出撃には早すぎる感じです。
 観測木より早い開花場所は、靖国通り(九段下から市谷)の南側の桜並木です。自動車
交通による気温上昇、日射量そしてビル窓の反射の影響で明らかに早く咲きます。

今年は、「春季皇居乾門通り抜け」も一興です!

 



今朝の千鳥ヶ淵 「さくら祭り」3/29-4/8千鳥ヶ淵ライトアップ 太陽蓄電LEDライト 春季皇居乾門通り抜け 

 

  H26年天皇陛下傘寿記念に実施の春・秋季乾門通り抜けが好評でした。昨年は中止でし
たが、今年は3/24-4/1のAM10:00からPM3:30開催されます。H28年は50万人の人出でにぎ
わいました。

  千鳥ヶ淵のお花見は、昼そしてライトアップされた夜も実に見事です。
「日本の春NIPPON」を感じさせてくれます。混雑時は「御鼻見」になるので、朝は如何
でしょうか? 人出も少なく「桜」と春の緑を鑑賞するには絶好だと思います。意外と
有名人に会うことも...!
 今回のエリアは「酒宴」禁止。 靖国神社は夏の「みたま祭り」の屋台出店禁止、
桜まつりの時期も 茶店以外飲食できなくなりました。 法政大学前の外堀公園の土手が、
わずかに残されています。 しかし学生運動盛んな頃から学生に事前に「占拠」されて
しまいます。会社から出勤扱いされる場所取り「有志」を出せる会社のみ酒宴可能です。
(笑)  昼、夜問わず、お花見の後には「神楽坂」でおいしい飲食を楽しむのが「粋」
だと思います。
  飯田掘りのカナルカフェでの水辺のお花見も風情があります。  今年の穴場情報は、
3月24日(土)のアンスティチュ・フランセ東京(旧東京日仏学院)の「フラコフォニー
祭り2018」です。 10AM-9PMまで一日中緑の庭園でイベント(ライブも)満載! 間違いなく
日仏の良いところを楽しめます。À bientôt  若

 

 

昨年の靖国神社の桜

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

穂高奉射祭  (bon)

2018-03-18 | 日々雑感、散策、旅行

         南の方から、桜前線がスタートし、昨日は東京も開花宣言がありました。
           昨年より5日、平年を9日早い開花のようです。 2月1日から最高気温の合計が
           600℃を超える頃に開花するとか言っていました。 蓼科の畑に向けた苗作りも、
           忙しい頃に差し掛かっています。
          まだ、雪深い地域もありますが、いよいよ春が来ました。

 

昨日、3月17日は、信州 安曇野に春の到来を告げる神事が行われました。穂高神社で
行われる「奉射祭」(ぶしゃまつり、または おぶしゃまつり)で、古代からの神事と
して悪魔・悪霊の退散を祈念して12本の矢を的に当て、的中率によってその年の天候・
豊作を占うというのです。農業・商業・産業の発展を願いこの神事は、500年も前から
行われているといい、江戸時代までは1月17日としていたが、明治維新後は3月17日に
改められたとありました。

 15日には、矢竹切りと言って、氏子総代らが神社で弓、矢、的をつくり、当日、神殿
祭の儀のあと、弓矢神事に移り、宮司らがまず「神の矢」を東北(丑寅)の若宮社の
方向に、次いで殿の矢を東南(辰己)の方向に向けて射ます。 つぎに向拝の中央正面
真向かいの神楽殿の軒先に掲げた大的(直径1.6メートル)に向かって12本の鷹の羽の
鏑矢を次々に回を重ねて射、それが終わると矢と大的は参拝に集まった人々によって
奪い合って持ち帰るといいます。 持ち帰ったそれらを、家の神棚に供えたり間口に
掛けて魔除けにしたりするという珍しい祭りだそうです。

         奉射祭り神事 (ネット画像より)
                    

           

「奉射祭」は、全国各地で行われているようですが、その実施日はまちまちのようです。

 

 穂高神社は、安曇野市穂高にあり、その奥宮は、穂高岳のふもとの上高地に祀られて
おり、嶺宮は、北アルプスの主峰奥穂高岳の頂上に祀られています。ここのご祭神は、
イザナギノカミ、ワタツミノカミと続くホタカミノカミ(穂高見神)で、その後裔で
ある
安曇族は、もと北九州に栄え、海運を司り、早くから大陸方面とも交渉をもつ、
文化の高い氏族で、信濃の国の開発に大功を樹てたと伝えられているとありました。

 穂高神社 (ネット画像より)
  

 

  穂高神社奉射祭りのyoutubeは、見当たりませんでしたので、穂高神社の映像を
ご覧ください。

  

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

銀行経営  (bon)

2018-03-16 | 日々雑感、散策、旅行


 銀行は、私にとって最も縁の遠い存在の一つですし、まして金融に関して門外漢もいい
ところですが、なぜか、今月初めにあった銀行のセミナーに出席してみました。
 長期間マイナス金利が続く銀行は果たしてどのような経営になっているか? そういえば
周囲には銀行員のいる銀行は少なくなって、ATM端末だけが設置されているコーナーが目立っ
ています。

 セミナーは、2部の構成で、1部はアセットマネジメント部のチーフに当たる人の講演で、
内容は「2018年の経済・投資・経営環境について」と題して、世界経済の現況と今後の見通
しについて述べられていました。 資料には、商品市況、米国株価動向、日本・欧州の生産
活動指数など たくさんのグラフの ここ10年くらいの推移が示されるとともに、9.11テロ、
リーマンショック等 過去の金融市場における歴史的危機局面での株式パフォーマンスが分析
されるなどして、現状は、マクロ的には世界景気は拡大基調にあり、為替、株式市場も変動
はあるが、しばらくは堅調だとの解説であったように理解しました。

 講演の流れは、トランプ米大統領の政策や中国、新興国などの政治動向とそれが経済に及
ぼす影響について、近日的な話題から大変ビビッドな印象を受けました。

 コタツに入って、テレビを見ている・・などは、全く厭世的で、もはや取り残されている
ことが浮き彫りされた感じでした。

            世界の市況推移例 (ネット画像より)
        

 

 2部は、キャスターと銀行社長(頭取)との対談形式で進められ、もっぱら銀行経営につ
いての内容でした。 マイナス金利時代にあって、なお成長基調にあり、株主還元も果たし
ていると自画自賛もありましたが、その中で印象に残った、私なりの理解で以下のような
キーワードがありました。 すなわち・・

・銀行を金融サービス業と捉えている。 銀行の大きな役割は、支中からお金を預かり、
企業等へ貸し出す業務で、その利鞘が経営の基盤として運営されていますが、新しいサー
ビス
を展開することにより、金利に左右されない いわゆる「手数料収入」を増加させる。 
また、・高齢化社会を背景に、個人企業の後継者問題に取り組み、街なかに気安く相談が
出来る小店舗を展開するなどして、個々のリテールへの対応を進めている。 ・事業承継
と並んで技術・販路等のビジネスマッチングを仲介したり、企業のM&Aのお手伝いする。

         M&A
          (ネット画像より)

 以上のような時代に即した新しいビジネスに向けて、自行の地域展開だけでなく他行、
他金融機関等とも連携して、将来的により広範囲なマッチングがはかれるような、店舗、
社員のシフトを進めているように感じました。

 自身には、直接どうということはありませんが、異なる世界の一面をのぞかせていた
だきました。

 未熟で理解不足、誤解などについては平にお許しを乞うばかりです。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

労働生産性  (bon)

2018-03-14 | 日々雑感、散策、旅行

         驚きました! 森友学園の問題がとうとう爆発しました。 決裁文書の大量の書き換えが
          あるなど、ありえないことです。 これが国の最高機関で行われていたとは・・。
           由々しき事態を招き、野党は色めきだち、今後の与野党の攻防が続き、国の中枢が大火事
          状態です。しかし、森友問題そのものは、多くの国民にとって、全く関係の無い事案なんで
          すね。こんなことに多くの時間と費用、そして威信をつぶしてしまうなんて・・。
           森友問題が、大変な事態を引き起こしてしまいました。

 

 政府は「働き方改革」という施策を基軸として、労働時間の短縮を図ることを狙いとした
方策を打ち出しています。 電通の新入社員を自殺に追い込んだとされる極度の残業の問題
はじめ、長時間労働による過労死を無くす視点からは、一般市民受けする事案なんですね。
  予算委員会では、裁量労働における労働時間算出方法に祖語があり、誤判断の可能性への
追求から、政府方針としていた裁量労働への移行促進は断念し、一般労働における働き方に
ついてのみ原案通過方針に切り替えたのでした。

 賃金、労働時間等労働問題は古くから議論され、労使間の継続事案として今に至っていま
すが、とくに、産業が活発化し高度成長期を迎える頃には、これらの問題が、春闘、ストラ
イキなどで社会問題化していました。 労働時間についても労使間の、いわゆる「36協定」
が結ばれ、私が勤めていた会社でも、とくに激しく論議されていました。

 

 主題から逸れてしまいましたが、ここで取り上げました「労働生産性」については、新聞
(読売新聞2.27朝刊)にも解説されていますように、「働き方改革」が、大きな話題を呼ん
でいます。

 つまり、「働き方改革」を進めて、労働生産性の向上を図ろうという主旨ですが、いうな
れば労働時間を短縮して、労働生産性を高めるとの単純な計算ともとれるのです。

 労働生産性の主要な計算式として、以下の定義があります。(日本生産性本部等より)

      

          
 新聞の例では、1万円の原材料を加工して5万円で販売した場合の付加価値は、4万円と
り、仮に、1億円の付加価値を上げるのに、10人が年間2000時間/人 働いたとすれば、
労働
時間は、延べ2万時間となりますから、1時間当たりの生産性は 5000円と計算されま
す。

  一方、日本生産性本部の資料から、「日本の時間あたりの労働生産性」の推移の 下図
ラフを引用しました。

    日本の時間当たりの労働生産性
      
                           (日本生産性本部資料より)

 上のグラフから、2016年の時間当たりの労働生産性は約4700円で4年連続増加し、過

去最大を更新しています。20年前の1996年が約4200円ですからざっと1割アップとなっ

ています。 このことは、週休2日制を採用する企業が増え、さらにパートタイムなど非

正規労働者や短時間労働者が増加したことが主な理由だという。 確かに上の計算式から、

生産量が変わらなくても、分母の労働時間が短くなれば生産性は向上するのですね。

 各業種によっても生産性は大きく異なっています。 例えば、製造業では約5700円です

が、サービス産業は約4600円ですし、同じサービス産業でも宿泊・飲食業では約2600円

と低い値になっています。逆に、不動産業では約3万4000円と最も高く計算されますが、

投入する人員数に比して1件当たりの取引額、利益が大きいことによるようです。 また、

おもてなしや宅配サービス等、利用者にとって高付加価値であっても、生産性は低くなり

がちであることも頷けるところです。

 

 国レベルで見ますと、生産量は すなわちGDPで表され、次表に 過去30年の国別労働
産性推移(上位10か国)が示されており、日本はこの30年というものずっと、20位前後
を辿っているのです。

    時間当たり労働生産性 上位10か国の変遷 (生産性本部資料より)   
     

 ただし、これら生産性は、単純に国の経済の実力を適切に示しているとは限らないと
うのです。 例えば、2016年にトップとなったアイルランドは、法人税率を極めて低く
たため、多国籍企業が本社を移転してくるケースが増加し、GDPに計上されたとあり、
クセンブルグも節税を目当てにした同様の構図だそうです。
 また、原油などの豊富な資
源により生産性が高く計算されたり、失業率が高まると労働
の投入量が減少するため、生
産性が見かけ上 上昇するなどの要素もあり、 一概に労働
生産性からどうの・・ということ
は出来ないようです。

 「働き方改革」で、労働時間が短縮され見かけ上、労働生産性を向上するだけでなく、
高い国際競争力のある新産業を創出する必要があると述べられていました。

 

 製造業に限った生産性をみれば、20年前は日本は世界のトップであったものが、2005年
では、7位、2010年で10位、2015年では14位と低迷し、その優位性は失いつつあるようです。
“モノ作り日本”も 今や昔の話しとなりつつあるようですね。

  内閣府の分析によれば、次のような理由が考えられるとありました。・生産工程を労働
コストが低い新興国など海外移管する  ・製品の差別化が進みにくく、過当競争になり
収益悪化を招く ・企業の新陳代謝が進みにくい(政策金融の公的介入) ・流通システ
ムの多段階性等による高コスト構造

 また、厚労省(「平成25年版 労働経済の分析」)によれば、製品のモジュール化の
影響も見逃せないとしています。とくに、液晶パネル、太陽光発電セル、カーナビ、DVD
プレーヤーなどモジュール化の進展により製品の市場シェアを喪失している などの指摘
がありました。
 日本の製造業は、数多くの部品を相互調整しながら緊密な連携により摺り合わせていく
「すりあわせ」に強みがあったのが、このモジュール化の進展はその価値を低下させてし
まったとの指摘です。 製品のアーキテクチャーの中でもっと重要な技術や付加価値領域
の研究開発に特化すべきだとしています。


 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サギソウ教室‘18  (bon)

2018-03-12 | 日々雑感、散策、旅行

 土曜日(3/10)に、pookyさんと一緒に昭和記念公園のサギソウ教室に行ってきました。

 一昨年、昨年と失敗でしたので、今年こそ・・との意気込みで参加しました。
 失敗の原因は、はっきりとは分かりませんが、どうも真夏7~8月の気温が高すぎる、置き
場所の関係で、夜間の温度が下がらないからではないかと推定しています。  両年とも、
7月初め頃までは、順調に生育して、楽しみながら水遣りなどをしていましたが、暑くなると
突然葉の先端あたりから枯れてくる・・そんな状態なんです。

 サギソウを始めて8年目になりますが、かなり繊細な野草のようで、何度か失敗がありました。
昭和記念公園のサギソウ(教室主宰)でも 昨年は、花後の気温が低く、球根の出来が悪かっ
たそうで、今年の教室では、球根のお土産はありませんでした。

 教室は、ボランティアの人たちによって運営されていて、講師先生、実習助手のたくさんの
先生たちは、皆さんボランティアで支えられています。  この日も、ボランティアの募集
勧誘がありました。 教室では、実習用の、カットした半乾きのミズゴケ、5号植木鉢、肥料、
球根などが個人ごとにテーブルに用意され、先生の話の後、実習に入りました。

                  先生の説明
         

 実習用セット              助手の先生と
  

 

       出来上がり(持ち帰り後)
        

 

  昨年のサギソウ(当ブログ)“サギソウ教室”2017.3.13 

                           “サギソウ‘17’2017.8.29

 

 昭和記念公園は、JR立川駅から徒歩10分程のところにあります。
 昨年と同じタイミングだったようで、公園では、スポーツ関連イベント、そして、花み
どりセンターでは 「第72回JOGA 洋らん展」が開催されていました。 JOGAというのは、
Japan Orchid Growers Association(日本洋蘭農業協同組合)で、かなりの組織のようです。
会場には、いっぱいのらんが、展示されていて審査結果の1~3位や高円宮妃杯、農林水産、
国土交通大臣、東京都知事、立川市長などの賞に輝く立派な蘭が並べられていました。
 会場はひときわ華やいでいました。

      立川駅を少し歩いてモノレール駅を振り返る
      

 

昭和記念公園                 入り口付近で
  

 

  各賞に輝く蘭たち
   



サギソウの開花ムービー / Habenaria radiata movie

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

椿と寒木瓜  (bon)

2018-03-10 | 日々雑感、散策、旅行

  自分だけの、極めてローカルな楽しみで申し訳ありません。

 サザンカがそろそろ終わりになり、桜の蕾はほんの少し膨らみ始めてきました。 
2~3
日、4月並の気温で汗ばむほどかと思えば、冷たい雨が降り真冬に逆戻りの日と
なったり、気温の
変化が激しいこの頃です。

 ベランダに咲く、椿と寒木瓜をパチリとしました。
 椿は、挿し木した3鉢の内の 1鉢に蕾が2つ付き、うち1つはこの前の雪の時に、鳥に
食べられてしまいました。 残る1つも食べられないように、置き場所を変えて大事に
守ってきました。 この1鉢に大きな花が咲いたのです。

 もともと、この椿 3鉢は、2016.6.9に池袋で手渡しでいただいたのでしたが、これの
由来については、次のような経緯によるのです。

 ランチの会メンバーで、時折メール談議を交わしていた折、たまたま、KさんとOさん
宅に大きな椿の木があって、毎年花落ちの時季が大変だとかの話題とともに、大きな
美しい花の写真が添付されたのがきっかけで、以下のような流れになったのです。

 ・2015.3  メールでの話題 椿の花が添付される  挿し木の話が出る
 ・2015.6  Kさんが、自宅椿を10本挿し木(ポット挿し)される
 ・2015.7  ランチの会 二子玉川散策時に3ポットいただく
 ・2015.8  いただいた3ポットは突然すべて枯れる

 (1年が過ぎて・・ 2016.2.11ブログ「椿(ツバキ)」アップする)

 ・2016.9  Kさん宅に残る7本のうち3本(鉢入り)をいただく(池袋で手渡し)
 ・2017,2  3鉢とも鉢替えして植え替える
 
・2017.  夏ころから、うち1鉢に小さな蕾が2つ出来る
 
・2018.1  関東の大雪の時、つぼみ1つが鳥に食べられる
 ・2018.3  残る1つに大きな花が咲きました

 挿し木椿に花が咲く                      ドアップしました
    


       Kaさんの元の椿(親つばき)
         

 

 寒木瓜の方は、15年ほど前に頒布会で購入した盆栽仕立てのもので、これまで何度か
植え替えてきました。 昨年は、春先に蕾を殆ど鳥たちに食べられてしまったために花は
みじめなくらい貧弱でした。 なので、今年はこの時季、置き場所を工夫して、無事たく
さんの花に恵まれたのでした。

        今年の元気な寒木瓜
         

 当ブログの、2011.3.5「木瓜の花」にも写真をアップしていますが、この記事に、
“バラ科の落葉低木で、実が瓜に似ているところから、木になる瓜→木瓜 となった。”
などとありました。

 

古いところから~

 

 

 

 



 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

熊谷守一  (bon)

2018-03-08 | 日々雑感、散策、旅行

  昨日(3月7日)、豊島区立「熊谷守一美術館」に行って来ました。

 熊谷守一については、特別企画展「収蔵作品展」が開催中ということで、ランチの会の
友人が、昨年11月に ここを訪れ、さらに12月には、福岡在の友人がテレビの「美の巨人
たち」で、守一をやっていて感動した・・など、このメンバーのグループメールで、ひと時
話題が盛り上がっていました。

 この美術館は、豊島区立で池袋に近いところにあり、私としては是非訪問してみたい衝動
に駆られていました。 以前に、この人の独特な作風というか 絵そのものが変わっている
感じで印象に残っていましたので、是非・・ということで、訪れたという次第です。

    豊島区立 熊谷守一美術館(豊島区千早)
      
       

  こんな前置きは、極めて個人的なことでした。本題に入ります。

 熊谷守一という画家は、画評に『 明るい色彩とはっきりした形を特徴とする作風で知ら
れる。特に、花や虫、鳥など身近な生き物を描く晩年の作品は、世代を超えて多くの人に
愛されています。』とありますように、大変ユニークな人のようで、絵も印象深いものが
たくさん残されています。

 1880年(明治13年)に 現在の岐阜県中津川に、後に初代岐阜市長となる父、孫六郎の
三男に生まれ、家業の製糸工場を継がず、好きな絵の道を選び 父の反対を押し切り、単身
中学3年で上京するのです。20歳で東京美術学校(現、東京藝術大学)に入学し、在学中に、
父の急死により家業は倒産し、卒業後はしばらく故郷で仕事をすることになります。

 しかし、35歳で再び上京し絵の道に進み 42歳で結婚します。 この頃、大変貧しい生活
だったようで、5人の子をもうけますが、結果的にうち3人を病気で亡くしてしまうなど波乱
に満ちた人生を送ります。

 ようやく絵が売れ出すのが60歳前後になってからのようで、かたくなに我が道を進んだ
ようでした。 80歳を過ぎる頃、パリで個展を開くなどますます彼の絵はよく知られるところ
となり、1965年には、文化勲章の内示をうけますが、何とこれを辞退してしまいます。
 1977年 97歳で人生を閉じるのですが、晩年20年間は、ほとんど外出はせず、30坪ほどの
鬱蒼とした自宅(千早)の庭で、自然観察を楽しむ日々を送り「画壇の仙人」などと呼ばれた
とあります。
 油彩が勿論多いですが、このほか、水彩、水墨などや、書などもかなりありました。

   画家 熊谷守一(90歳頃?)
      (ネット画像より転写しました。)


 亡くなる前、45年間は、池袋の近く「千早」に住んで、その跡地に、二女 熊谷 榧(くま
がいかや)さんが、1985年にこの美術館を設立し、その後豊島区に寄贈したそうです。
榧さんは館長を務められていますが、あいにくお目にかかることは出来ませんでした。

 絵画のことを、記しながら、その絵をお見せできないのが何とももどかしいのですが、
文末のネット画像を検索されてその雰囲気を味わっていただければ・・。よく知る、ちょっ
と変わった感じの平坦で、濃淡がなく赤い色の輪郭が描かれたパッチワークのような絵は、
今日、もう一つの美術館に行って、彼の後年に描かれた絵だとわかりました。


 熊谷守一美術館を出て、友人とお茶しながら、ちょうど今月21日まで、東京国立近代美術
館で「熊谷守一 生きるよろこび」展が開催中であることに話題が移りましたが、彼は先刻
そちらにも訪問済みとのことでしたので、別れてから 私単独で、竹橋にある近代美術館に
向かうことにしました。

      東京国立近代美術館
       

 

 こちらには、ナント200点を超える作品が一堂に集められ、水曜の午後なのにかなりの
人で賑わっていました。穏やかな絵(油彩)なのにパワーがあり圧巻でした。
 初期の作品は、裸婦や風景などが多くありましたが、作風は、やや暗い感じながら油絵
そのもので、写実的な風の作品でした。 中には、ルオーのように絵の具が盛り上がった
「ユリの花」があったりもしました。
 私の抱いていた印象の画風は、1950年頃以降に多く見られました。 独特の濃淡の無い、
平面的な色による輪郭で構成された、まるで布で出来たアップリケ様の画風で、 有名な
「猫」「宵月」、絶筆となった「アゲハ蝶」などは、その後到達した域であったのでした。
 中に、いくつかマチスやゴーギャンを思わせるタッチの作品がありましたが、解説に、
彼らの影響も否めないなどとありました。

 別の解説では、真っ暗闇の中の物体に一筋の光が差し込むと無数の影が出来る。しかし、
その影を色で表現する・・と。 これだと立体感に乏しくなるのではないかと危惧されます
が、そこに密なる観察力とデッサン力によって、平板な中に立体感、さらには内面的な息づき
までを表現していると感じました。
 また、輪郭を赤い線で囲って描いている作品もたくさんありました。 特に逆光の中で
見る時、このように感じているらしいのですね。 芸術家ながら、内には科学的な思考が
流れ、観察の中に物事の極限を追求した表現技法を編み出しているのかもしれません。
 独特の絵ですが、何度も、たくさん見ていると違和感が無くなり、何だかそれに吸い込ま
れて行きそうな感じになってくるのでした。

 そういえば、今年、山崎務主演で熊谷守一の映画が出来るとありましたが、ぜひ見たいです。

 

 満足して近代美術館を出ると、16時前で、風は冷たく冬に逆戻りでしたが、暖かい感じが
していて、目の前が皇居の北桔梗門でしたので、そこから東御苑を通り抜けて大手門まで
散策しました。 江戸城天守台跡を通り、紅白梅や、ミモザ、さんしゅうなどの花が咲く
広々とした静かな千代田区を通り抜けました。 外国の若い人たちが大勢来ていました。

       さんしゅう
        

 

       大手門(内側から眺める)
           

 

       桜田門方向を見る
        
                        (左は、パレスホテル)


 

熊谷守一作品一覧
https://search.yahoo.co.jp/image/search?p=%E7%86%8A%E8%B0%B7%E5%AE%88%E4%B8%80&search.x=1&tid=top_ga1_sa&ei=UTF-8&aq=1&oq=kumagaimo&at=s&ai=n0EYl4ZZRbKzrUjSeZ5_WA&ts=8682&fr=top_ga1_sa

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

曲水の宴  (bon)

2018-03-06 | 日々雑感、散策、旅行

      今日3月6日は、二十四節気の 啓蟄 にあたり、いよいよ虫たちも動き始める
      とのことですが、ここ2~3日というもの、汗ばむ陽気でした。
       どうも、気象変動も 何やら激しくなってきているように感じます。


 古の話題が続きますが、古来より上巳(3月3日)には、曲水の宴が行われていたのだ
そうです。とくに中国では盛んであったらしく、日本でも、485年あたりに既に宮廷の
儀式として行われていたとあります。
 しかし、戦乱などで世の中が不安定になると中止されるというか、それどころでは
なくなるのでしょう。 奈良時代には、この行事は、3月3日が条例となり、主に宮中の
催しとして行われ 万葉集に大伴家持の詠んだ歌があり、平安時代は宮廷の他、貴族の
邸宅などで私的な遊びとしても盛んに行われたようです。

 大宰府でも、958年頃にこの行事が始められたそうですが、その後の記録もなくその
まま断絶していたようで、 突如、 昭和38年(1963年)に福岡県、太宰府天満宮で
曲水の宴が再興されたのです。その前、昭和35年には、京都 賀茂別雷神社で再興され
るのですが中断し、平成に復活したとあります。岩手県毛越寺の曲水の宴は、昭和61年
(1986年)に「大泉が池」の遣水の遺構が復元されたことを記念して開かれるように
なったとあります。


 このような流れの中の「曲水の宴」を、現在、大宰府で行われている様子を見てみ
ました。
 太宰府天満宮HPから、その要点をピックアップしてみました。 
 現在、毎年、3月第1日曜日に開催されています。 文末のyoutube動画に紹介します
ように、平安時代の宮中行事を今に再現する禊祓(みそぎはらえ)の神事として行われ
ています。十二単をまとった姫をはじめ平安装束に身をつつんだ参宴者は、曲水の庭の
上流より流れてくる酒盃が、自分の前を過ぎる前に和歌を作り、お酒をいただくという
雅な神事です。

              入場行列(大宰府天満宮)
        (ネット画像より)

 式次第は、ご本殿参拝、修祓の儀、白拍子の舞、神楽「飛梅の舞」、盃の儀・・と続
くのです。 観覧席も1000席設けてあるようで、大変賑わうようです。

          白拍子の舞
           (ネット画像より)


          盃の儀
             (ウイキペディアより)
 

 ウイキペディアによれば、現在、各地で「曲水の宴」がそれぞれ以下のような日程で
行われているようです。

・3月第1日曜 大宰府天満宮(福岡県太宰府市)
・3月第1日曜 赤間神宮(山口県下関市)
・3月上旬    男山庭園(北海道旭川市)
・4月上旬    賀茂別雷神社(京都市)
・4月第1日曜 仙厳園(鹿児島県鹿児島市)
・4月第3日曜 婦中ふるさと自然公園・各願寺(富山県富山市)
・4月29日  城南宮(京都市)
・5月第1土曜 代継宮(熊本県熊本市)
・5月第4日曜 毛越寺(岩手県平泉町)
・6月上旬    養壽院(埼玉県川越市)
・10月第3土曜 浜北万葉まつり(静岡県浜松市)

  世界は、内戦で多くの難民を抱える国々、貧しく乳幼児の死亡率が高い国、さらに
身近に、高齢者の貧困、認知症、ロコモなどに怯える日々にあって、たまにこのような
優雅なひとときがあっても良いのですね。


 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

前田利家  (bon)

2018-03-04 | 日々雑感、散策、旅行

 突然、加賀百万石のお殿様が出て来ましたが、3月3日(旧暦)が忌日でしたので、取り
上げてみました。

 前田利家公といえば、大方の知るところですので、簡潔にピックアップしてみました。
  世渡りがなかなか上手な、したがって忍耐強い人かとも思っていましたが、なんの若い
頃は、気短で“かぶき者”といわれ、槍の名手で、戦好きで 結構戦功を挙げて、信長、
秀吉の側近として活躍したのですね。
 もう少しだけ細かく見てみました・・。

  前田利家は、1539年頃の生まれで、慶長4年閏3月3日(1599年)病死。享年62歳とあり
ます。

       前田利家像
        (ネット画像より)


  尾張国 (現、名古屋市中川区)の荒子城主 前田利春の四男として生まれ、幼名を
犬千代といい、14歳の頃、織田信長に仕え、そのころから既に戦功を挙げ認められ、
槍の名手として「槍の又左」と異名を取るなど目立った存在であったようです。

 元服して利家を名乗り、赤母衣衆(赤ほろ衆=信長の親衛隊的存在の直属精鋭部隊)
として活躍し、柴田勝家の与力で 北陸方面部隊の一員として、信長より能登一国(23万
石)の大名(七尾城主)となります。 二十歳頃、まつ(芳春院)と結婚します。    

 NHK大河ドラマにもなりましたから、秀吉が足軽時代から近くに住んでいたこともあり、
夫婦ともども仲良しであったなど少しは イメージも残っているのですが、残念ながら
殆ど忘れてしまっているようです。

       利家騎馬像(荒子駅)
        (ウイキペディアより)


 信長が本能寺の変で明智光秀に討たれると、はじめ柴田勝家に付きますが、すぐに
羽柴秀吉に臣従し、賤ヶ岳の戦いでは、柴田軍として布戦したのに、戦わず、羽柴軍
勝利へと導くのです。それなのに、柴田勝家が北の庄城へ逃れる途中、慰めたりもして
いるとありました。 で、秀吉から、加賀国を加増され能登から加賀の金沢城へ移るの
です。(1583年)

 秀吉が聚楽第に入った頃には、家康と利家が政務を任されるほどになっていたそうです。
さらに、秀吉から上杉景勝、毛利輝元とともに従三位に叙位され、すぐさま利家が権中納
言に任じられ彼らとの序列が逆転するのです。 秀吉の、利家を家康に対抗させるための
考えであったのではとありました。よほど信頼されていたのでしょう。 この時、利家は
56歳でした。

 そして、利家は病弱となりますが、秀吉の五大老・五奉行制度の、家康と並ぶ大老の
地位を得るのです。 しかし、翌年には、床に伏せり、家康の見舞いを受けたりしますが、
62歳の人生を閉じるのです。 当然 家康の加賀征伐が検討されましたが、長男、利長の
母まつの芳春院が人質になるとの条件で、この征伐が撤回されたとのことなんです。

 

 長男 前田利長は、初代加賀藩主ですが、武力というよりは、知力が勝っていたようで、
加賀の国の伝統工芸を根付かせた主君なんですね。ついでながら、側室の子、四男利常は
二代藩主として武芸に優れるも、二人とも家康対応には苦慮していたようです。

 前田利家には、正室まつに2男6女、側室5人に4男3女をもうけています。お家は安泰だっ
たのですね。

  エピソードなどから人物像を少しだけ・・

 ・前田家の決済はすべて利家自身で行ったため、愛用の算盤が家宝として残っている
そうです。 後年「金があれば他人も世の聞こえも恐ろしくはないが、貧窮すると世間は
恐ろしいものだ」と口にしていたとありました。

 ・学問も学び、茶の湯、能などの文化的活動も積極的に行い、茶道は千利休・織田有楽
に学んだそうです。

 ・子供のなかった秀吉夫婦に四女の豪姫を授ける程の関係であった。

 ・加賀には次のような歌が遺されている。 「天下 葵よ 加賀様 梅よ 梅は葵の たかに
咲く」 つまり、「三葉葵紋の徳川家よ 剣梅鉢紋の前田家よ 梅の花は葵より高い所に咲
く」という意味だそうです。


 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする