蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

今宵の月 (mak)

2012-03-31 | 日々雑感、散策、旅行


アパートのベランダから夜空を仰いだら、円を二つに割れた下半分の形状の月が見られた。
普段空を仰ぐことをしないので、こんな形状の月もあるのかなーと思いつつ、投稿する次第です。
マレイシアは赤道直下であることが原因なのかもと思いますがいかがでしょうか?


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就職・離職  (bon)

2012-03-31 | 日々雑感、散策、旅行
少し前に、就職難を無事切り抜けて就職したのはいいが、3年もたたない内に離職する若者が
増えている・・というようなことを耳にして、一瞬、あれっと思いました。 と同時に、
あぁ、そんな時代になっているのか・・・!

しかしこの事が、妙に頭から離れずにいたので、例によって、ちょっと調べてみたのです。 
それほど深く調べておりませんが、ザッとこんなことなんだそうです。


 毎日新聞ネット版に記載された雇用関係で、先日(3/19)内閣府で発表した関連記事を
参考にさせていただきます。

 「推計によると、大学・専門学校卒では、大学院などへの進学を除いた77万6000人のうち、
約7割の56万9000人が10年春に就職した。しかし、このうち19万9000人が
3年以内に離職。卒業後、無職・アルバイトなどの人(14万人)と、同年春卒業予定で中退
(6万7000人)を加えると、無職か安定した職に就いていないとみられる人は
40万6000人に上り、全体の52%を占める。」

(ネット毎日新聞より)

 「また、高卒(115万人)で進学しなかった35万人のうち、18万6000人は
就職したものの、7万5000人が離職。継続して雇用されている人は11万1000人と、
全体の32%にとどまる。卒業後ずっと無職かアルバイトなどで生計を立てている人が10万7000人おり、
中退も含めて全体の68%が正規の雇用ではないようだ。中卒で進学しなかった1万9000人のうち、
就職できたのは5000人。しかし、うち3000人が離職したため、安定した職を得られていない
人は89%に上ると推計した。」

これらの記事で言っている内容をグラフにしてみました。


これではっきりと理解できると思いますが、
折角就職しても、希望が外れたのか、現実の業務が厳し過ぎるのか、人間関係か・・・
何かの理由で、3年もしないうちに離職してしまっている。
昔と違って、家庭環境・経済環境が良くなっていて、若者が働いて収入を「稼ぐ」という意味合いが
ほとんどなく、まぁ、50年くらい前の昔では、それほど深刻ではなかったようですが、
もうちょっと真剣だった・・様な気がします。

最近は、もっと人間的で、個性を尊重し、利点を伸ばして行く・・・などと崇高な理屈が
あるのかもしれませんが、私は、何となく「軟弱で、現実を受け止めず、自己本位である・・」
などと思ってしまうのですが・・・。 先に、聞いたときには、「最近の若者は、実際の業務環境が
思ったよりも厳しく感じるのでは・・?」と言っていたようでした。 確かに、私の経験でも、
入社当時、残業なんてほとんど考えつかなかったし、18時をまわってデスクにいる・・なんてのは、
全く落ち着かなかった気がします。もっとも、半年もすれば、そんなことはどこかへ吹っ飛んでしまっていましたが・・。

ネットのある記事に、「「七五三問題」と呼ばれるように今の日本は、中卒の約70%、高卒の約50%、
そして大卒・短大卒の約30%が新卒として企業に就職しても3年以内に退職する時代である。」
というのがあり、「これら3年以内に退職した人が再就職をするときには「第二新卒」と呼ばれ、
転職市場における1つのカテゴリとして扱われるほど第二新卒者が激増している。」

そして、「企業は第二新卒に対して、未だにネガティブな印象を持っているところが多いのが
現状だ。」と述べているのは、当たり前のことだと思います。

新規採用時の企業側での重点事項(経団連調査2010年)



 毎日新聞では、「調査を行った内閣府は、学生が自らの適性や就きたい職業を十分に検討しないまま
就職しているなどの課題を指摘した。在学中に実際の職場で就労体験をする「インターンシップ」が
普及していないことや、学生の大企業志向が強いため、採用意欲が旺盛な中小企業との「ミスマッチ」が
生じていることが、離職者や正規雇用の少なさの一因と分析している。」と締めくくっていました。


あぁ、なんともはや・・・・。












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千鳥ヶ淵  (bon)

2012-03-30 | 日々雑感、散策、旅行
テレビでも、いつかいつか?と言っていましたので、今日30日にちょっと行って来ました。 
残念でした・・! あと2日くらいの感じでしたね。
つぼみは大きく膨らんでいました。

若いころには、この名所を夜桜としゃれたこともありましたね。






北の丸から田安門を下り千鳥ヶ淵へ・・。この門のところも、満開時期はとてもきれいですね。

サトザクラがところどころに咲いていました。
 

目の下には、シャガが咲いているところがありました。 少し前にnobさんがアップした
クリスマスローズも一面に咲いていました。 
珍しいところでは、ミツマタ、こぶし、モクレン・・・。

ミツマタ


こぶし


モクレン



もう、花見警戒に入っているらしく、お巡りさんが、2人~3人組で一列にパトロールをしていました。
ご苦労さんですが・・何となく風情をそぐような感じもしました。


一足早すぎた・・報告でした。








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書体について・・。 (bon)

2012-03-29 | 日々雑感、散策、旅行
今日は、最近の中では最も春らしい良いお天気でうらうらしています。 こんな日に、
あまり楽しくないテーマの記事をアップすることになり、少し気が引けています。

少し前に、このブログで「楷」を取り上げたことがありました。
楷という木のことについてでした。 大正初めに、中国の孔子の墓からこの木の種を日本に持ち帰り、
「学問の木」として、儒学にゆかりのある学校などに植えた・・いわれのある木でした。
ナンバンハゼの木ともいわれ、イチョウと同じように雌雄がるそうです。

 で、この「楷」から、楷書が出てきて・・これはどういう意味かとか、書体とはどういうものか? 
いつものように気になっていました。 

書体は最近ではフォントと同義に扱われたりしていますが、フォントはもともと「字母」と覚えていて、
いろいろなメーカ(企業等)で、無数(といえるほど)作成されています。なので、ここでは、
基本的な、もともとの「書体」について少し調べた事柄を述べてみます。また、和文(漢字)に限定します。 
ウイキペディアから引用させていただいた内容を中心に簡単に解説します。

「書体(しょたい)とは、一定の文字体系のもとにある文字について、それぞれの字体が
一貫した特徴と独自の様式を備えた字形として、表現されているものをいう。」 と
かなり難しい概念ですが、形態の差異によって分類され中国古来の書体として、篆書・
隷書・楷書・行書・草書の五体に加え、日本の江戸文字などがある。

これらは、毛筆による手書き文字(漢字)で、さらに印刷用の書体として明朝体やゴシック体などがある。
そして、最近ではこの印刷用として、それぞれデザイン的に発展させて無数の「フォント」が開発されているのですね。

ウイキペディアには、甲骨文、金文、篆書、隷書、楷書、行書、草書そして江戸文字が
記されていますので、それらの一部を引用してみます。

甲骨文体 は「絵文字様であるが、抽象性も高く、すでに文字と呼んでよく、一番古い
漢字の用例であるとされる。亀の甲羅や牛、鹿の骨に刻まれたという。」
「紀元前14世紀ごろのものから残っている。」


金文体 (きんぶんたい)とは、「青銅器の表面に鋳込まれた、あるいは刻まれた文字のこと
(「金」はこの場合青銅の意味)であり、中国の殷・周のものが有名とされる。
年代的には甲骨文字の後にあたる。」 BC1000年頃


篆書体(てんしょたい) 「金文から更に字形の整理が進み、方形を志向しているものが多い。
文字の形は天地が長い長方形の辞界に収まるように作られる。点画は水平・垂直の線を基本とし、
円弧をなす字画はすみやかに水平線・垂直線と交差するように曲げられる。画の両端は丸められ、
線はすべて同じ太さで引かれる。
このため金文と違って上下左右の大きさのバランスが整っており、極めて理知的で謹厳な
印象を与える文字に進化している。一方曲線を主体とするため有機的な趣きを併せ持ち、
独特の雰囲気を持つ書体となっている。」 


印鑑などにも用いられたり、篆刻として彫り物を楽しむ人も多い。
小生の義兄の作による、拙庭を表記した篆刻作品を紹介しておきます。(写真は、2010.5)


隷書体(れいしょたい) 「その昔、ある下級役人が罪を得て獄中にあった時、隷書を発明し
これを献上することで始皇帝に赦されたという伝承があるが、これは俗説に過ぎない。
戦国時代頃から日常に通用されていた筆記体が、秦代になって業務効率を上げるために
公文書でも用いられるようになったものが、隷書だと考えられている。紀元前3世紀後半の
「睡虎地秦簡」などに見られる」 つまり、公文書などに記述する際に、その効率を上げるために
篆書体に変わって用いられたというのです。


楷書体 「一画一画を続けずに、筆を離して書く。方形に近い字形である。横線は、筆の打ち込み、
中間の線、筆の止めがはっきりしていることが多い(三過折)。現在では漢字のもっとも基本的な
字形であるといえる。楷書体は比較的新しい時代に生まれた。」


行書体 「は隷書の走り書きに興る。行書は草書と楷書の中間的な存在であるが、明確な
線引きは不可能である。草書に比べて厳格な書体、楷書に対して砕けた書体という感覚的な違いで
大まかに分類される。行書は草書ほどではないが速記向きであり、楷書ほどではないが
明快に判読できることから、古代中国では公務文書や祭礼用の文書に用いられた。」


草書体 とは、さらに「速く書くことができるように、同じく漢字の筆書体である行書とは異なり、
字画の省略が大きく行われる。文字ごとに決まった独特の省略をするため、文字ごとの
形を覚えなければ書くことも読むこともできないことが多い。」


また、日本では江戸文字としていろいろな書体が流行した。そのうちのいくつか現在でも
なじみのあるものを拾ってみました。
勘亭流


橘流


根岸流(相撲字)


余談ですが、小生が、金沢勤務であった頃、ちょうどエレクトロニクス技術の進展が盛んで、
情報通信メディアとして活用の動向にあり、それを面白おかしく世に広める「ホンの洒落のひとつ」から、
写真のような千社札を作っていろんな持ち物に貼ったりして楽しんでいました。


千社札(せんじゃふだ)とは本来は、神社や仏閣に参拝をした記念として貼るのが普通ですが、私の場合はそれだけに限らなかったと思います。

長々とお付き合いくださいましてありがとうございました。







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ベランダのさくら  (bon)

2012-03-28 | 花鳥風月
ようやく春らしくなりました。
今日は午後には雨とか言っていますので、早めに写真を撮りました。
もう、このところほとんど手入れなどというものをしていないのですが、季節になると
几帳面に花をつけてくれています。
高知、熊本などで桜開花が伝えられていますが、この埼玉のベランダでも 咲いてきました。
ソメイヨシノではありませんので、ちょっとフライング?かも・・。写真の品種は、すでに
忘れてしまいましたが、数年前までやや小さい「サクランボ」ができる種類でした。
同じベランダの、「陽光さくら」の方は、大きくなった蕾がたくさんついています。



順不同で、今の状況を写真で並べてみますと・・・
すいせん


あせび


ツタンカーメン


フリルビオラ


普通のビオラ


2倍体シクラメン


こんなところですが、どれもみんなありふれたものばかりで珍しくもありませんね。

昨夜の、星たちは一日違いで、あの見事な一直線上はもう見られなくなっていました。
細い三日月の下の方に 金星と木星が二つ並んだようにありました。


曲は、花のワルツ


マレイシアの国花Hibiscusです。mak



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ミニ天体ショー  (bon)

2012-03-27 | 日々雑感、散策、旅行
昨夜、2012年3月26日の夜、早い時刻にこのミニ天体ショーを見ることが出来ました。

21時頃、西の空に鮮やかに、細い月(月齢4)を挟んで、上に金星、下に木星が等間隔に
一直線に並ぶ珍しいショーがありました。 2008年にもあったようですが、この時はこのように
一直線に並ぶものではなかったというから、昨夜のはそれなりに評価してよいのかもしれませんね。

 この事は、知らなかったのですが、夜7時頃に、ラジオでそんなことを話題としていたので、
まだ少し寒いでしたが外に出てみると、まさしく「きれいに並んだ3つの星」を見ることが出来ました。

いつものように、すぐにカメラを取り出して、パチリ。手振れがありますが何とか仕留めた映像です。
昨夜(2012.3.26)埼玉朝霞から、21:15 撮影(望遠レンズなし、三脚なし)
三日月 上に金星そして下に木星


マレーシアにいる、makはどんな風に見えたのだろうか?このように一直線ではないかもしれませんね。

 地球の衛星である月が最も近く(距離が)で、地球の周りをまわっている。
金星は地球より太陽に近い(内惑星)軌道を回って(公転)いて、木星は地球よりはるかに
太陽より遠いところを公転している。 惑星は、みんな大体同じ平面を公転しているが、
それぞれの速度で回りながらある条件でこのようなショーを見ることができるのですね。
ネットから借用した写真です。



 ちなみに、金星は、地球より太陽側(内側)にあるので、地球から見るといつも
太陽との距離(間隔)が同じように見えるため、「明けの明星」「宵の明星」と言って、
明け方と宵の口だけに見られるのです。


金星の曲のいいのが見つからなかったので、木星(Jupiter)をあげました。








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塩トマト  (bon)

2012-03-26 | 日々雑感、散策、旅行
昨日のテレビで、これを取り上げていましたので、ご覧になられた方も多いでしょう。
これまで、名前は聞いたことはありましたが、意識して食した記憶がありませんでした。
あぁ~、そういうことなのか・・と納得しましたので、ちょっとアップしておきます。

 塩トマト(しおトマト)は、熊本県八代地域など土壌塩分濃度が高い干拓地などで栽培される
特別栽培のトマトで、糖度が8度以上のものをいうそうです。果物並みに甘く、フルーツトマトの元祖であり、
しっかりした歯ごたえと一般のフルーツトマトとは全く異なる味を持つという。
収穫時期は11~5月頃、3月がピークであるそうです。
 トマトは、まったく嫌いな御仁もおられますので、やや、この記事のアップについて
ためらいもありましたが、この機会に食してみては・・と。

 一般に塩トマトは普通のトマトより小ぶりで、少し硬めだそうですね。 水につけると
普通のトマトは浮きますが、塩トマトは重いので底に沈んでしまいます。
 
しかし、特別な品種ではなく、普通のトマトと同じ大玉品種の「桃太郎」なんだそうです。
「JAやつしろ」では、糖度の高い順に「太陽の子」「朝露姫」に区分しているという。

 一般のフルーツトマトは、極力水を与えないなどの栽培方法により高糖度化をはかったものを
いうそうですが、塩トマトは、海水のミネラル分がたっぷり含まれ甘くて酸味があるといいます。 
塩を含んだ海岸の干拓地でトマトを育てると、トマトが水分を十分に吸い上げられず大きく
ならなかった。なので、昔は規格外として商品にはならなかったそうですが、15~6年前あたりから、
徐々に人気が高まり市場に出回り始めた。大きくならない分旨みが濃縮されたトマトとして
高級品として扱われるようになった。

塩トマト(ネットから)


 さらに、2011年には、東日本大震災による津波の塩害対策として、脚光を浴びるところと
なったそうですね。 津波被害を受けた宮城県岩沼市沿岸の農地を再生させようと、
地域活性化に取り組む東京のNPOが、この塩分濃度の高い土壌で育つ「塩トマト」の苗を
植える計画を進めているそうです。
大震災関連で、これも先日テレビでやっていましたが、イチゴ栽培農家が、津波を被った土壌で
困っていたところ、茨城で開発し使用されている、イチゴ高設備栽培装置を使用した
地面から約1m高いところで栽培する方法が試験されていました。

機会があれば、「塩トマト」早速食してみたいと思っています。
テレビでは、塩トマトを薄く切って、「握りずし」にしたものも紹介していました。



曲は、トマト原産地と言われている アンデスから~ご存知の・・・






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青いコチョウラン  (bon)

2012-03-25 | 日々雑感、散策、旅行
 読売新聞の今日(日曜日)のコラム「編集手帳」に、この話題があった。 
千葉大大学院の三位正洋教授(植物細胞工学)らがこのほど発表した。従来存在しなかった
青色の花色をもつコチョウランの作出に世界で初めて成功したのでした。 この研究は、千葉大学と
大阪の企業との共同研究の成果であり、ツユクサ由来の遺伝子を、遺伝子組換えにより、
コチョウランの培養細胞に導入し、個体再生および開花に至ったものであるという。

青いコチョウラン
(ネットから借用しました)

 
 青い花といえば、ちょっと前にサントリーがオーストラリア企業と共同開発した 
青いバラ「ブルーローズ」が話題を呼んだ。 同社は、バラの前に1995年に青いカーネーションを
ペチュニアの青色遺伝子を用いて、それから4年後に、パンジーの遺伝子から青いバラの開発に成功し、
2009年に商品名「ブルーローズ・アプローズ」として市販した。

 また、昨年には千葉大学の同教授で、「青いダリア」の開発にも成功していたという。
これら、青色色素をもたない植物(花)に遺伝子組み換え技術による新種開発が盛んに行われていることが分かる。

 
 前出の「コラム」では、花言葉に触れている。青いバラ、青いダリアとも英語で
「不可能、あり得ない」の意味であり、永田町の花壇に適用して、「前に進む政治」は、
いまだブルーローズなのか・・と。 そして、普通のダリアの花言葉に「移り気、不安定」
というのがあり、こちらは、政権与党に送ってみたい花である・・・と締めくくっていた。


「青い」といえば、青色発光ダイオードも話題が噴出した。 もう、20年近く前に発明された
この青色LEDは、これまで発光ダイオードの数々の利点がありながら「青色」の明るい光を
発光させることが出来なかったため、この発明は産業界に大きなインパクトを与えた。

青色発光ダイオード
(こちらもネットから拝借)


発明者が特許料訴訟を起こし、別の話題が沸騰した記憶をお持ちの方も多いでしょう。
その後、2004年、東北大学で、より価格が安い酸化亜鉛を用いた青色発光ダイオードの開発に成功し
普及に弾みがついた。


 いつもながら、ここで終わらずにこの「青」にこだわって、更に調べてみたくなった。
青・・がイメージする意味には、希望・冷静・平和などがあるが、陰気・憂鬱などの意味もある。
ブルーマンデー、マリッジブルーなどという。

 そこで、さらにネットをブラウズして行くと、青に関する習慣的な事柄が沢山あることがわかった。
その内のいくつかを、列記してみると、労働者を「ホワイトカラー」と「ブルーカラー」などに分類したり、
半ドンの土曜日はカレンダーで青色である。日曜日は赤、平日は黒色。
サッカー日本代表のユニフォームは「サムライブルー」。高貴・貴族などの意味から、
「ブルーリボン」など。 ブルーマウンテンは珈琲。 色味から呼ばれる「青天」は
潔白につながる意。その他、まだあります。ブルートレイン、ジンベースのカクテルに
ブルームーンというのがある。 映画の「青い山脈」は、青がまだ若い・未熟であるとの意から
青春物語というのであろう。
この記事は、まだ青い・・、とか青二才というのもありました。

 青について、まだまだあるでしょうが気が付かれたらコメントにてお知らせあれば幸いです。


曲は、ガーシュインの ラプソディー・イン・ブルーで~。








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クリスマスローズ(nob)

2012-03-22 | 花鳥風月
我が家では家人が5年程前に友人から株分けして一株貰ってきたのがきっかけで、すっかりクリスマスローズに凝っています。今では庭木の下に20株以上に増えています。
クリスマスローズは学名をヘレポストといい、きんぼうげ科です。原産地はヨーロッパと1部のアジアの国です。
種類は大きく分けると12月に咲く「ニゲル(ノイガーとも言うらしい)種のクリスマスローズ」と2-4月に咲く「オリエンタリス種のクリスマスローズ」に分けられます。
もともと、ヨーロッパでは「クリスマスローズ」という呼称はクリスマスの頃に開花する「ニゲル種」を指した呼称らしいのですが、2-4月に咲くオリエンタリスは、キリスト教の四区節(レント=イースター前の40日間)の頃に咲くので、「レンテン・ローズ」と呼ばれれていますが、日本では「ニゲル種」「オリエンタリス種」共に「クリスマスローズ」の名前で出回っています。
花形は一重咲き・八重咲き・唐子咲き丸弁(がく片の先端が丸い)・剣弁(がく片の先端が尖っている)などがあります。地味な花色でうつむき加減に咲くマイナーな花ですが、近年品種改良が進み、花の少ない次期にさくこともあり、日本でも人気が出ているようです。
我が家のは、どうもオリエンタリス種のレンテン・ローズらしい。先週から一気に開花し始めました。
クリスマスローズは暑さに弱いので庭木の下に植えています。

ドウダンツツジの下のクリスマスローズ


八重咲き

一重咲き


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皮蛋騒動   (mak)

2012-03-22 | グルメ,Romantic cook

Ipohのジャスコで食材の卵を選んだ時に、一個ずつ丁寧に紙で包みそのうえ4個ずつプラスチックの包装箱に入れて売られているのを選んだ。ほかの卵より倍以上の値段がついていたので、さぞかし生卵でも食べれるものであろうと買い物カートに入れた。
帰っていざ生卵ご飯をしようと皮を割ったところ真っ黒なグロテスクなものが現われた。これはなんだと同宿のS氏が悲鳴を上げた。私はすぐにこれはピータンだと言ったが、好き嫌いの激しいS氏は
ピータンを食べたことがないので、またUさんが失敗をやらかしたと.....

お蔭で、毎日一人でピータンのご馳走にありつけている次第です。失敗は成功のもとである。

ピータンはそのまま輪切りにして、塩を掛けるだけでも結構おぴしいですが、昔よく食べたピータンお粥も定番料理で有名、ふと思いついたのが、ピータンスパゲッティーで検索してみたら、ちゃんと
レシピが紹介されていた。



ついでにあれこれブラウジングしていたら面白い記事があった。
CNNが米国の読者に世界で最もグロテスクで気持ちの悪い食べ物でアンケートを募った結果、
ピータンがトップに選ばれたとの記事が見つかった。犬の肉とか蝉のフライとかを抜いての堂々の1位である。更に、よくもこんな気持ちの悪いものを食べれるなーまるで悪魔の食べものであると散々こき下ろした。その結果、CNNの世界中の華僑読者から大クレイムが続出、人種差別だとか、他国の文化も理解できない無知なアメリカ人、アメリカ人は脂肪太り豚やろーには世界美食をしらないおか・・・

遂に、CNNも謝罪文を掲載せざるを得なくなり、中国のピータン大手メーカー側もCNNの謝罪を受け入れ、CNNの担当記者を中国に招き中国の食文化を教えることで一件落着、大騒動は落ち着いたが、お蔭でピータン(Pidan、century egg)は世界的に有名な食べ物になった次第である。


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聖徳太子ゆかりのお寺  (bon)

2012-03-22 | 日々雑感、散策、旅行
 今日、22日はようやく暖かい春の日差しに恵まれるという。
昨日から、選抜野球が始まった。石巻キャプテンの選手宣誓は凛として大変良かった。
 
 突然のタイトルに・・「なんでや~?」と思われることと思いますが、このお彼岸の頃には、
あちらこちらでおまつりが行われており、聖徳太子が建立したと伝えられる七寺のうちの、
四天王寺と法隆寺もこの時期多くの善男善女が訪れ、賑わいを見せるというので、ちょっと調べてみました。


 聖徳太子は、ご存知の女帝推古天皇(600年頃)の皇太子となり政治の実権を握っていました。 
推古朝元年に、当時、入江であった難波玉造の岸に建立したのが四天王寺なんですね。
その後、たびたびの火災により建物はすべて当時のものはありませんが、現在見る
四天王寺は昭和34年(1959年)に五重塔をはじめとして、金堂、講堂など次々復元され、
今なお広い信仰を集めているのです。

六時堂(ネットから)


その前の亀の池にかかる石橋の舞台(ネットから)
 

 子供の頃、市電で上六から阿倍野に行くと椎寺町の急なカーヴを過ぎてしばらくすると
「四天王寺西門前」(さいもん前)という停留所があったことを覚えています。 
おそらく、現在は市電はなく、道路も真っ直ぐに開通されていて当時の面影は偲べないでしょう。

 法隆寺。 こちらはもっと有名ですね。
奈良の斑鳩に建立されたのですが、推古朝であることは確認されていますがはっきりと
その年月を知ることはできないとあります。 先の四天王寺が推古元年とありますから、
それよりは少し後かもしれません。

 金堂、五重塔を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に分けられますが、
現存する遺構、所蔵する美術品は、当初より各時代にわたってきわめて豊富であり、
日本美術史上の宝庫とさえ言われています。 また、現存する世界最古の木造建築物群でもあるそうです。

夢殿 (こちらもネットから拝借しました)


 法隆寺の建築物群は法起寺と共に、1993年に「法隆寺地域の仏教建造物」として
ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。


 およそ関連しない曲を2曲アップしてみます。

リオブラボー



シェーン 遥かなる山の呼び声









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豊後梅が咲き始め、あっという間に満開です!pooky

2012-03-21 | 花鳥風月
庭の豊後梅が昨年より1ヶ月近く遅く咲き始めました。
満開まで香りを楽しむことができます。
まだ寒いのでハチなど虫たちが来てくれないので
受粉の手助けがなく困ったものです。
お彼岸ですのにどうしてこんなに寒いのでしょうか?
ほころびかけた梅

しっかりと花を付けて

しかし
まだ咲き始めたばかりなので暖かくなればハチたちの出番になるでしょう・・と思っていたら
あっという間に 満開です!


今年の梅の実が沢山できる事を期待しているんですが・・・
昨年は1~2Kg位でがっかりしましたが、15kgは?できるでしょうか

蓼科用の苗作りをはじめなきゃいけない時期になりました。
これから忙しくなります。
ぷーきー






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お中日  (bon)

2012-03-20 | 日々雑感、散策、旅行
 今日は彼岸の中日です。 春分の日ですね。 でも寒い~。 (午後から暖かくなりました。)
テレビでは、昨日の旭川市内は吹雪いている映像が流れていました。

今日のお中日を中心とした7日間をお彼岸といいます。 彼岸というのは、
仏語で「煩悩を解脱した境地」をいうらしいです。 で、この彼岸に達するためには
専心仏道に精進しなければならないのですが、我々在家の者はその暇がないから、せめて
ある期間だけでも「彼岸」を求めさせようとしたのが「彼岸会」の起こりという。  また、春分(秋分も)には、
太陽が真西に沈むので西方極楽浄土を望む便宜としてこの時期を選んだともいう。

お墓参りをする人も多いかと思いますが、ただ、鼻の下を「おはぎ」でお祭りするだけの人も多いかも・・・?

 
遅まきながら、ベランダの紅梅が満開です。




2曲アップしておきます。






Graciela Susanaの歌声最高です。当分嵌まり込みそうです。






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r-K戦略説  (bon)

2012-03-18 | 日々雑感、散策、旅行
 以前、このブログで「絶滅種」について、さわりをご紹介した時に、個体群生態学の中で、
その成長論モデルとして「r – K戦略説」のことにちょっと触れたままになっていました。

子孫が増える増加率「r」と生存に関する環境収容力「K」とによって、生物の個体数が
どのように変動するか・・すなわち、それぞれの生物は種の保存(絶滅しない)のために
子孫を極力増やす戦略を取るか、数は少ないが丈夫な子孫を産む戦略を取るかを
選択しながら進化してきていると考える一つのモデルです。

 今から180年ほど前にフランソワ・フェルフルストが発表した理論的モデルだそうですが、
彼がロジスティックス(兵站)の専門家であったことから、このr – K戦略説をロジスティック式と
命名されたとあり、いわゆる経済用語のロジスティックスとは根本的に異なったものです。

 ロジスティック式は、次の式で表される。  個体数Nの増加率(微分式)は、
  

ここで、K は環境収容力、つまり、その環境における個体数の定員である。r は
(相対)内的増加率で、その生物が実現する可能性のある、最大の増加率である。
個体数NがKに近づくにつれて減少し、N=Kならば増加率は0である。 N>Kだと、
増加率はマイナスとなり、個体数がKになるまで減少する。

  なんだ・・数学の話か~ などと、簡単にパスしないでもう少しお付き合いください。

 r-K戦略説とは、生物の種が、どのように子孫を残そうとするかについて、2つの戦略の間で
選択を迫られているとする説です。
 生物が絶滅したり進化したりしてそれぞれの種が現存している訳で、ダーウインの進化論の
きっかけとなった、カラパゴス島が有名となり、今なお独特の生物を見ることができます。
 カラパゴスイグアナ と アメリカグンカンドリ (ともにネットから)
     
 
 島というのは、すぐにわかるように、周囲から孤立していて、大陸のように広大な
面積を持っていないから、おのずとそこに生存できる環境に制約があり、このような
生物の進化・絶滅を論じる重要なカギとなり、「島嶼(とうよ)生物学」という学問分野です。

以下にネットから引用します。

「・・島への新しい種の侵入は偶発的に起きるが、侵入した種が定着できるかどうかは
その種の性質が関係すると考えられる。具体的に言えば、たまたま複数個体が侵入する
機会があり(単独個体では定着は困難であろう)、かつその種が入れるニッチが空いていたとして、
その際にその個体群が定着できるかどうかはその種が素早く個体数を増加できるかどうかが重要だというのである。
個体数の少なさは、それだけ絶滅の確率を上げるものと考えられる。この(可能であれば)
どれだけ素早く個体数を増加させられるかを表す要素を、個体群成長の数学的モデルであるロジスティック式では、
内的増加率と言い、rで表す。そこで彼らは、島嶼での定着で、また既に定着した種の場合でも、
なんらかの理由で急激に個体数が減った場合の個体数の復旧の場合などに、rを大きくするような
自然選択が起きるものと考え、これをr選択(r淘汰)と呼んだ。

他方、絶滅にかかわる要素についても議論を行い、この場合何より個体数が問題であると判断した。
島嶼における生物個体群は、生息面積として狭い土地しか持ち得ず、しかも外の個体群とは隔離されている。
したがって、その島での個体数の減少は、その個体群の絶滅に直結する。そこで同一面積で
できるだけ多くの個体が生息し、それを維持し続けるような方向の選択が生じるものと考えた。
彼らはこれを、ロジスティック式で環境収容力を意味するKを取って、K選択と名付けた。」

 つまり、島における生物個体群の定着と絶滅に関して、定着の成功には大きな
rを持つことが重要であり、絶滅の回避には大きなKを持つことが重要であるとしているのです。

「r選択とは、すなわち内的増加率rを高くする方向への進化である。では、内的増加率を高くするには
どうすればいいか。 簡単に言えば、同一時間内で、よりたくさん子供を作れるようになればよい。
ロジスティック式に従えば、実際に実現される子孫の個体数は、その前の世代の個体数によって決まり、
例えばすでに定員が満員の場合、どれだけ子を産もうが、両親からは平均して2個体の子が
生き延びられるだけである。 しかし、個体数が少ない状態ではより多くの子が生き延びられる可能性がある。
その時、どれだけ多くの子ができるかは極論すればどれだけたくさんの子供を生めるかにかかっている。
具体的には、一腹卵数を増やす、産卵回数を増やす、あるいは、より早い時期から
繁殖を始めることなどによって、rを大きくすることができる。
もちろん多すぎるrは無駄になる可能性が常にあり、それはどれだけ頻繁に絶滅と
ニッチの空白が起きるかにかかっている。

 K選択は、環境収容力を増やすことであるが、面積当たりの生産量が同じであれば、
個体数を増加させるのは難しい。一つの方法は、個体を小さくすることで、それによって
個体数そのものを増やすことは可能になる。しかし、多くの研究者は個体数を維持する方向の進化を考えた。
すなわち、確実に一定数の子を得るための進化がK選択であると考えたのである。
先に述べたように、安定状態では、親はさほど多くの子を作る必要はない。安定状態では、
生物個体数はその種の環境収容力の限界前後であると考えられ、その場合、ひと組の両親からは
平均2個体しか子は育たないからである。したがって、この状態では、育たない沢山の子をなすより、
少数精鋭的に確実に育つ子を産むよう働くのがK選択ということである。」


「このようにして、r選択とK選択を分析していくうちに、このふたつが相反する性質を持つと理解されるようになった。
rを増加させるために、たとえば産卵数を増やすとすれば、そのためには卵を小さく
しなければならない。そうすれば個々の卵の生存率は低下する。
逆に、生まれた子の成長の確実性を高めるには、多くの栄養を与えた方がよいが、そうすれば
多数を作ることができなくなる。それぞれの生物は、どちらかの方向を戦略として選び、
それに向けて進化すると考えられる。もちろん、ここでは生物がそれぞれに選ぶという表現を
取っているが、実際には、環境条件と系統的制約のもとで自然選択によってどちらかの
戦略に収斂していくという意味である。

 このような観点から、r選択とK選択は、それぞれr戦略とK戦略と呼ばれるようになり、
その戦略を持つ種は、それぞれr戦略者(r-strategist)とK戦略者(K-strategist)と呼ばれるようになった。」


「この2つの戦略はそれぞれ有効なものであり、どちらを選んでもいいようにも思えるが、
どちらか一方が有効な状況があると考えられる。たとえば、2種の生物が競争関係にある場合を設定し、
r戦略者が高いrと低いKを、もう一方のK戦略者が低いrと高いKを持つとして、シミュレーションを行えば、
当初はr戦略者が個体数を増やすが、時間が経てばK戦略者が盛り返してr戦略者を圧倒する。
これは、安定した環境ではK戦略者が優位になることを意味し、逆に見れば、撹乱の多い環境では、
r戦略者が優位であるということである。

 •一般に、物理化学的環境が厳しい場所では、r戦略が採用されがちである。
例えば極地付近では、寒さと、それに伴う食糧不足のために死亡することが多い。
特に、気候変動によって寒さが厳しい年には、多くの個体が命を落とし、個体群の規模が
大きく変動する場合がある。そのような条件下では、多産な個体の方が有利である。
トナカイは、一般のシカが2年目から毎年2頭を出産するのに対し、1年目に1頭を出産するが、
これは繁殖にかかる時間を短縮することになり、rを高くする効果がある。

また、子の生存が、偶然に左右される場合も、この戦略を取らねばならない。
たとえば、生息区域が一定せず、毎年生息可能な場所が変わるような場合がそれである。
安定した植生が撹乱されたところにのみ出現する雑草は、撹乱がなくなり植生が安定した遷移を
たどるところには生育できない。子孫が確実に撹乱された場所にたどり着くためには、
多数の種子を、広くばらまく必要がある。寄生性の生物は、新しい宿主にたどり着けるか
どうかに偶然の要素が大きく、どうしても多数の子を作っておかねばならない。
多数の子による分散とクローン増殖戦略を採用している代表例に一部のアブラムシがある。
 •他方、熱帯雨林のように物理化学的には生息に適した環境では、生存に影響を与えるのは、
主として生物間の競争である。このような条件下では、少数の子を確実に育てることが重要になる。
つまり、K戦略を取るものが多いと考えられる。
 他に、子供があまりにも小さすぎて生存が見込めない環境下でも、必然的にK戦略を
取らざるを得なくなる。例えば、サワガニやザリガニなど、淡水で生活史を完了する甲殻類は、
幼生をプランクトンにして放出したのでは、生存できる見込みがない。どうしても大きな卵を産まねばならない。」


「繁殖戦略では、r戦略とは卵をできるだけ沢山産む方向と見なせる。数を増やすためには、
個々の大きさは減らさねばならないので、この戦略を小卵多産戦略という。これに対して、
K戦略は、卵を大きくするので、数は減ることになる。つまり、大卵少産戦略である。
また、大卵少産戦略を取る場合、子の数が少ないので、子を1頭失った場合の損失が相対的に大きくなる。
そのため、子を失う数を更に減らせるよう、親による子の保護が発達する傾向がある。」


どうでしたか?  あまり面白くなかった・・? まぁ、モデルですから・・。
でも、古くからこのような理論に関して大勢の学者が議論を展開していたのですね。

もう一つ、植物に限定して、このような生き残り戦略を展開した理論
「C – S – R三角形」について、後日にブログアップしたいと思っていますのでご期待ください。


お疲れ様でした・・・。






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Malaysia滞在記 (mak)

2012-03-15 | 日々雑感、散策、旅行
今マレイシアのIpohという町に来ております。
何故わざわざ遠路マレイシアに来るのか?私にとっては、心の洗濯といってもいいでしょうか。
何よりもマレシシアの人たちの柔和な笑顔に心が癒されるといってもいいでしょうか?道に迷ってて尋ねると寄ってたかって笑顔で親切に教えてくれる。どこに行っても、現地人の親切と笑顔に遭遇し、心が癒されるのです。
レンターカーであちこちと町を散策して、今回気が付いたことがある。今までの知識では、日本は戦前アジアを開放し、戦後はODCでその国の経済発展に寄与した思っていたが、この国にはその跡形もない。
残っているのは英国をはじめ西欧各国が残した美しい建物や昔の面影が残っているばかりである。
町で売っている日用雑貨品もフランス製の石鹸、アメリカ製のカミソリ、イタリヤ製のオリーブオイル、アメリカ製の薬などなど日本のものが見当たらない。CDショップにはアメリカのPop音楽があふれている。
日本の存在感が全く感じられない。さびしい限りである。

 とにかく簡単に旅行記を紹介しましょう。




(Bukit Jawi Golf Resort) 昨日1泊2日で訪れたペナン近郊のBukit Jawiゴルフリゾート。


毎年恒例にしているマレイシアロングステイで今回はIpohの町の外れにあるMeru Valleyに3月5日から4月8日に滞在しております。今回の旅の友はゴルフ好きでは人後に落ちないMr.S氏。羽田23:30発Air Asiaの夜行便でKuala LumpurのLCCTターミナルに早朝到着、広々とした座席の高速バスで、ヤシが生い茂る大平原を貫くように走る高速道路を3時間突っ走り、昼前にIpohの町に到着した。
そこから、車で20分Meru Valleyの賃貸マンションに入居、約1か月のロングステイが始まった。
ここには、27ホールのゴルフコースがあり、ゴルフ周辺に瀟洒な一戸建て住宅や高層マンションが立ち並び、ゴルファーには夢の天国である。
我々は賃貸したアパートは8階建ての5階、2LDKの広々としたマンションで、窓から望む緑の山が美しい。

宿泊しているマンション


Ipoh Station:Kuara Lumpulから2時間30分で快適な特急列車でもIpohに行けます。




IpohはMalaysiaの首都Kuala Lumpulから200kmに位置する錫鉱山の町で、19世紀後半から20世紀の初頭に英国の錫工業の会社が相次いで進出し繁栄を謳歌した町で、今もその面影があちこちに残っております。1941年12月15日に日本軍に占領され、その後イギリス軍に解放され、1970年に錫価格が下落し錫工場が相次いで閉鎖された後は、人口流出が進み衰えたが、今は都市再開発努力の結果近代的な都市として急速に進んでおり、人口70万でMalaysia第3位の都市として開発が進んでいる。

この町の住民は70%が中国系マレイシア人で、その他マレイ系、印度系の住民がそれぞれの宗教、生活習慣、文化を維持して仲良く住んでいる3種混合移民国家である。
中国系は知的労働階級で、商売上手、金持ちで経済的上層階級を占めている。、印度系はタクシーの運転手やマレイ系はウェイトレス、ウェイター、店員として働いているのが多く見受けられる。

気候は亜熱帯気候で、温度湿度が高く、3時ごろからスコールが降ることが多い。
従い、ゴルフは午前7時ごろから涼しい間にプレイするのがおすすめである。

ジャスコのあるKinta City


外国で生活する時ぐらいは、日本料理はたべないことにしたので、日本の食事が入手出来ようができまいがどうでもよいことであるが、ここにはジャスコが大規模にスーパーマーケットを営んでおり、ほとんどの日本食材を容易に求めることができる。どうしても日本食を食べたければ、自炊で日本食を料理することが容易である。外食も破格に安い費用で、中国料理だけでなく世界中の料理が食べられる。現地人が日常的に楽しんでいる屋台に行けば、ローカルの生活にふれることも出来、それも楽しみの一つです。
今日はイタリヤ製スパゲッティーオリーブオイル、ガーリック、赤トンがらしをたっぷりつかtqたアリオオリオペペロンチーノとバルサミコのサラダソースのサラダで、
音楽を聴きながら、一杯飲むことにした。

この国の国民はまだまだ発展途上の国であるが、がつがつせずにのんびりとゆったりと人生を謳歌している。
世界一の国になろうとかもっと豊かになりたいとか考えている様相がない。あくせくと働き、いつも経済的な豊かさが人生の目標であると死ぬまで考えている日本人からはなかなか理解できないか
もしれない。




好きな パティ・ペイジの歌・・・








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