いよいよ今年も押し詰まってきました。 今日12/28日、官庁は御用納めですね。 私が勤めていた会社もこの日からお休み となっていましたが、ある職にいたころには、来年度予算の大臣折衝(復活折衝) のために、それに関係するかしないかは別として、何か関連することが出た時の ために会社で待機したもんでした。 今年あたりは、過去最高額の予算案が早々と(24日に)閣議決定れて来年の審 議を待つ準備が出来ているんですね。防衛費など、向こう5年でGDP比2%まで増 額するとして、昨年度より増の6兆8千億円強の予算案がすんなり整ったというこ となんですね。昔のようにぎりぎりとやっているんですかね?
そんなこととは無関係に、不思議な日本語(32)です。例によってアトランダム に思いつくままに言葉を列記しています。では・・
・花道 活躍した人物が惜しまれて華々しく見送られることにも使うことが ありますが、ここでは舞台の「花道」のことを取上げています。劇場や芝居小屋 などで、舞台の下手(向かって左側)から客席を縦断するように同じ高さで張り 出した舞台の延長と位置付けられた部分で、ここでも演技が行われます。
(ネット画像より)
これをなぜ花道というか? ウイキによれば、役者に祝儀(花)をこの通路で 渡したところから「花道」と呼ばれているそうです。 なんだかあっけないですが、 演技を際立たせる部分にこの廊下を使って、役者が引き込むとか、逆に登場して くるとかもっと意味がありそうに思っていました。
この花道、舞台設備としての起源は、能楽の橋懸かりに由来されるとあり、歌 舞伎では花道から登場する役者は七三の位置(花道を十等分して舞台から三分、 揚げ幕から七分の位置)で一旦動きを止め、短い演技を見せるのが定石だとあり ます。本格的な花道には七三に「すっぽん」と呼ばれる小型のせりがあります。
舞台は、観客から見て二次元的な存在ですが、役者が花道を使って客席側に出 ることで三次元的な演出を可能にしている点に大きな特徴があるといわれています。 しかし反面、客席によって役者との距離が大きく変わり、観客に不公平感を持た せてしまいやすいこと、また客席が少なくなるなどの欠点もあります。
最近では、劇場など舞台の両袖から客席に壁伝いにステージが延長され舞台を さらに大きくしたような効果を狙った演出もありますね。 大みそかの「NHK紅白 歌合戦」なども華々しいつくりがこなされています。
「花道」はまた、大相撲で土俵と支度部屋を結ぶ通路もそう呼ばれていますね。 関取が通る、鉄パイプで組まれた通路までを言うとは思いませんが、少なくとも 客席の間を通る通路は、花道と呼ばれるのでしょう。
しかし、「花道」なんて、粋でいい呼び方ですね。
・ひょっとして 辞書には、「あるいは(或いは)」→「たぶん(多分)」→ 「もし(若し)」とあります。「もしかして」ですね。 「もしか・・」「ひょ っと・・」がこれらの意味を構成しているようです。「ひょっと」で、「不意に。 思いがけず。また、うっかり」の意味があり、「ひょ」は、ふいに何か(事象が) 出てきたことを表しているとありました。 「ひょ」はその語感から敏捷性や身軽さが基になって、突然であるさま、敏捷、 手軽に事を行ったりするさまを表現しているようです。「ひょいと」突然である さま、「ぴょい」さらに「ひょいひょい」など身軽に動いたり現れたりする様子 ですね。「ぴょこぴょこ」「ひょこひょこ」小刻みに踊り跳ねる・・擬態語ですね。 不用意に動き回るさまから疑問符がついて「ひょっこり」→「ひょっと」。 ずいぶん回りくどい感じではありますが、擬態語がどんどん変化して言葉になっ ているのですね。
また、「ふと」の変化したものという説もありました。「ふと」という語は、 『竹取物語』や『枕草子』などの平安時代の文献にも用例が見られるとありまし たが、「ひょっと」は近世からしか見られないので、江戸時代の初め頃に「ふと」 から派生した語かもしれないとありました。
・お節 お正月の料理として古くから日本に伝わる「おせち」です。 なぜ、 あれを「おせち」というのでしょうか? 「おせち」とは季節の節目(ふしめ)に当たる「節(せち)」の日を指す言葉で、 漢字では「御節」です。平安時代の朝廷では、正月を含む5つの節に「五節会(ご せちえ)」の儀式を行い、特別な料理である「御節供(おせちく)」を神に供え ていたそうです。その後、これらは「五節供(ごせちく・ごせっく)」の行事と して導入され、江戸時代に幕府が「節句(せっく)」の名称で公式な祝日として 定め、庶民の生活にも浸透したとあります。 やがて、御節供は正月の料理を指し、「おせち」と呼ばれるようになったそう です。おせち料理は、正月から7日または15日の「松の内(まつのうち)」までの 来客に出すためのもてなし自体を「おせち」や「おせち振る舞い」という場合も あるそうです。
家族の健康と子孫の繁栄、豊作などの祈願のほか、新年に縁起を担ぐ内容など、 「日本のこころ」として受け継がれる「おせち文化」なんですね。 (ネット画像より)
昔のおせちは季節の野菜や、豆腐、こんにゃく、昆布などを使った料理が中心で、 収穫の報告や感謝の意味を込めて神に供えたそうですが、江戸時代には、「福が 重なる」といわれる重箱に詰めて保存するやり方で、三が日は「縁を切る」につ ながる包丁は使わないなどのいい伝えや、接待で忙しいなどの理由から、年末の うちにおせちの味を濃く作って保存を効かせ、正月は台所に立つ回数を減らした のだとあります。 そういえば、子供の頃、お正月はとくに三が日は、バタバタと掃除や用事をし てはいけないなどと聞いたことがありました。 現代では、これらの伝統的なおせちに加えて洋風や和洋折衷、中華風などのオ ードブルが増えたり、老舗の旅館や料亭、有名なシェフなどが作るおせちを通販 で予約して購入する家庭が増えているようです。
おせち料理は一般的に、新年を祝う3品の「祝い肴」、酒のつまみになる「口取 り」のほか、魚介を使用した「焼き物」、根菜などを使用した「煮物」、酢で味 つけした「酢の物」の5種類に分けられるとあります。
ここで、「祝い肴」は、子孫繁栄、不老長寿、豊作を意味する3品で、関東地方 の祝い肴は「数の子」「黒豆」「田作り・ごまめ」、関西地方は「数の子」「黒 豆」「たたきごぼう」が一般的だと。 「口取り」は口取り肴(ざかな)の略で、 古くは昆布、かちぐり、のしあわびなどの盛り物であったそうですが、 かまぼこ やきんとんをはじめ肉・野菜・魚など、海の幸と山の幸の両方を使用した甘みの ある料理を1枚の皿に盛り合わせて、お吸い物とともに出す料理 のことだそうです。 日本古来の本膳料理では、勝栗(かちぐり)、熨斗鮑(のしあわび)、昆布を三方 にのせ、口取り肴として供していたとあります。 「口取り」とは、饗膳の最初に食されるところから「口」取りとよばれていて、 現在では、その形式だけが残り、本膳料理や正月のおせち料理に添えられる菓子 の事を指しているようです。
・おぼつかない 語源由来辞典に『おぼつかないの「おぼ」は、「おぼろげ (朧げ)」の「おぼ」と同じ語幹で「はっきりしないさま」を示す。「つか」は、 「ふつつか(不束)」の「つか」などと同じ接尾語。「ない」は、形容詞をつくる 接尾語。』とあり、「おぼつかない」は、物事がはっきりしないさまの意味から、 それに対して「気がかりだ」「待ち遠しい」といった、不安や不満などの感情も 表すようになったとありました。 「おぼつかない」は、動詞「おぼつく」と助動詞「ない」からなる語ではなく、 一語の形容詞「おぼつかない」なので、「おぼつかぬ」「おぼつきません」など という言葉はないのですね。また、「おぼつく」という動詞もありません。 漢字では「覚束無い」と表記されますが、「おぼ」のみで「はっきりしないさ ま」を表していて、「ない」と「無い」は本来は別の語であり、あくまでも当て 字である とあります。 不思議ですね。
・おちこち をちこち とも デジタル大辞泉を見ますと、1 遠い所と 近い所。あちらこちら。「鶏の声も―に聞こえる」〈藤村・千曲川のスケッチ〉2 将来と現在。昔と今。とあります。
漢字では「遠近」だそうで、今では「えんきん」ですね。意味からすれば、本 来は「遠いところ・近いところ」を対比的に指していますが、漫然と「各所」と の意味でも用いられています。 類語としては、そこかしこ・ここかしこ・あちこち・あちらこちら・そこここ・ ところどころ・方々・各地・随所などたくさんあります。 平安時代以降には、既に日常語ではなかったようで、語形の似た「あちこち」に 置き換わったようなんですね。
「をちこち」といえば、名古屋の両口屋是清が有名ですね。丹波大納言小豆の風 味豊かな棹物の「をちこち」は、その代表銘菓ですね。 創業は寛永11年(1634年) だそうですから老舗中の老舗ですね。 丁度お茶の時間となりました。
両口屋是清の をちこち (同社HPより)
ちょっと変わったところで、君島遼の ものまね・・
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