ミシュラン3つ星を獲得した函館の夜景に「ショパンの別れの曲」
昨夜は函館にいた。三泊四日の札幌観光ゴルフツアーのあと北斗七号函館線で、函館につき、一泊して昨晩函館20時に出発して羽田に21時着、家に着いたのは午後10時に着いた。函館駅から家まで、たったの2時間、北海道も近くなったものである。
一昨日の夜、函館山から見た夜景は日本の美しい三大夜景の一つと言われ、ミシュランから三ツ星を獲得している。その美しさには思わず固唾を飲んでしまう。
この動画は、ショパンのメロディーが心地よく、美しい函館の夜景を写しだし、感動が蘇ってくる。
今朝のテレビで、テレビで函館の市電が「100年前の今日に」走り始めたと報じていた。
ついさっき 昭和レトロの市電に乗ってぶらりと函館観光したばかりだ。函館市電100周年記念なんだ、そうだったのか。朝市で海鮮どんぶりの朝食を食べた後、市電でぶらりと観光へ、五稜郭公園、奉行所、函館山麓に立ち並ぶ洋風の建物、教会、函館公園から見渡す津軽海峡の景観などなど、観光めぐりをした。市電で函館の観光スポット訪ねることができ、簡便です。
ぶらりぶらりと歩いていると、函館西高校が建っていた。そこに通学する高校生とちょっとした会話で、北島三郎が卒業生であると自慢げに教えてくれた。
そこから、ちょっと下りたところに「北島三郎記念館」という看板を見かけたので、なんとなく入った。朝が早すぎて、客は私一人、若い女性のガイドが付きっ切りで北島三郎の大歌手人生を感動的口調でナレイションしてくれた。
北海道知内村(現在知内町)の出身。50キロ離れた高校に進学した。高校時代の北島は、海で溺れた小学生を救助したという逸話がある(この人命救助の件は当時の函館新聞にも掲載され、その記事が北島三郎記念館に飾られている)。
知内町でにしん漁業を営む両親のもとで7人兄弟(5男2女)の長男として育ち、未だ豊かなころであったので函館の高校に通わせてもらっていた。高校在学中に函館で開催された「NHKのど自慢」に出場し、歌手を志す。高校卒業するころにはニシンが取れなくなり家業が苦しくなっていた。東京に出て歌手になることを希望したが、家族の生活を助けてくれることを期待していた父親は反対。それでも最後は父親は船を売って旅費をつくってくれた。
歌手として成功し、親への恩義に報いたいとの決心で、片道切符で青函連絡船に乗り上京する。
上京後、歌謡曲志向であったため渋谷を拠点に3曲100円の流しの仕事をしながらデビューを目指す。1959年北島が都内で30畳一部屋のアパートに下宿していた。アパートの大家の娘の親切に惚れ、無収入の北村との結婚に反対する娘の親の反対を押し切り結婚。
北島を見出した船村徹の援助でレコードデビューする約3年前の結婚だった。式に出席したのは両家あわせて21人だけだった。
記念館は、こうした北村三郎の人生の一齣一齣を仕立てた部屋に分かれており、若い女性のガイドが感情込めて説明してくれる。一齣目は知内から函館の汽車で通学する車内で朝食弁当を食べているシーンで、私も北村高校生の前に座って案内人のナレイションを聞く。二駒めは青函連絡船で一人で見送りに来た父親と別れるシーン。
函館の人がMGMとして流れ、ジーンと涙がにじんできた。3コマめはトリスバーが並ぶ飲み屋街、次は3畳一間の部屋で大家の娘が御馳走してくれた残りもののカレーライスを食べるシーン......
最後の部屋は大がかりな舞台装置に仕立てられており、等身大の北島が歌う「まつり」を観劇する舞台。聴衆客は小生ただ一人であった。出口で北島三郎から挨拶を受ける。
30分ほどの再演歌歌手の人生物語に感動した。
函館へ来る前に札幌観光とゴルフを楽しみました。楽しい思い出になりました。
北広島グラッセホテル 露天風呂
札幌北広島 ゴルフカントリー