蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

畑開き2014  (bon)

2014-04-30 | 蓼科浪漫倶楽部 畑

 今年の蓼科農園の “畑開き” は、4/26~29の4日間、全日快晴の中で、たっぷりと作業を行いました。
久しぶりの農作業でもあり、全員ほど良い疲れ(それ以上)を覚えました。
帰宅後1夜明けた今日は、身体のアチコチが筋肉痛と全体がぼ~っとだるいご利益に見舞われています。

 畑では、冬越しをした、ネギ、タマネギ、にんにくなどなど順調に成長していました。
早速、ネギは夜の “水たき” の具を飾りましたが、生のままかじっても、甘さを感じる新鮮そのものの
おいしさを味わいました。

 作業は、例年決まりモノですが、畝つくり施肥マルチがけをざっと20畝(1畝15m)に施し、
雑草の無い今は全面整然とした畝が並ぶ壮観です。 
そのうち、6畝にじゃがいも、3畝に里芋を植え付けたほか、ハツカダイコンなどの葉物の種を蒔き、
時間の許す限り畝間に防草シートを張りました。

 雪をいただいた八ヶ岳                整地された畑
    

 今年植えつけた “じゃがいも” は、九州から取り寄せた新品種7種が選定されました。

          新品種のじゃがいも
                

 

 それぞれの、空き畝(まだ植えつけていない11畝)は、施肥をされマルチがけが終っていますから、霜の心配がなくなる1か月先の大合宿(5/31~予定)までには、丁度良い土壌となることでしょう。 かぼちゃ、スイカ、さつまいも、黒豆、トマト、ピーマン、なすなどなど東京練馬で育成した苗を植え付ける計画となっています。

 お茶タイム                       冬越しのたまねぎを背景に作業準備
  

 

 大型連休前半でしたが、おかげさまで往復とも道路混雑もなく順調でした。

 

お待たせしました。

 






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楡欅  (bon)

2014-04-25 | 日々雑感、散策、旅行

 ニレケヤキです。別名を “アキニレ” といいます。

落葉高木ですが、一般には小品盆栽に多く作られており、ここにアップしましたのも、この種類です。
多くの人々が、マメ盆栽、ミニ盆栽 などとして大事にされていたり、販売もかなり盛んなようです。
木そのものは、生長力・萌芽力とも旺盛で、ケヤキよりも さらに細かな照り葉、密にほぐれた枝味がこの樹種の
大きな魅力だといいます。

 しかし、ここにアップしましたのは、我が家に来て、12年が過ぎ、もともと3年物として仕立てられていましたから、
もう15歳ということになります。 我が家では、それこそ放任状態ですから、誠にお恥ずかしい限りです。
 本来ならば、毎年植え替え、こまめな剪定をするべきところです。

 こんなに小さいのに、楡欅・・なんて、大木の名前をいただいているのが、面白いと思います。

                         もう15歳の楡欅です。
                     


 

おまけで、こちら トウカエデ(唐楓)です。 
 先ごろ、皇居、乾通りを通った時に、大きなゴツゴツとした木がところどころ頭上に聳えて、
まだ葉っぱなどは付いていない木が サクラのピンクに混じってやや目立った感がりましたが、
この写真も、同じ名前の植物だとはとても思えないですね。

小さな鉢にちょこっと小さく聳えています。 こちらも、放任主義なので形が定まっておらず誠に失礼しています。

             こちらも、同い年の唐楓です。
                     

 

  明日から、今年初めての 蓼科農園 “畑開き” です。  いってきまぁ~す。

 

 

 

 

 

 

 

 

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シェイクスピア祭り  (bon)

2014-04-23 | 日々雑感、散策、旅行

 ご存知の方は少ないかもしれませんが、4月23日は “シェイクスピア祭り” なんだそうです。
シェイクスピアが生誕した日を祝すことから、 日本シェイクスピア協会 が毎年この日近くに開催しています。
今年2014年は、4月19日(土)に、学習院大学で 講演やパネルディスカッションが行われたとあります。
お祭りといっても、商業主義の賑やかなものではなく、静かで高尚な感じがします。

 ウイリアム・シェイクスピアは、1564年4月23日生誕とされていたり 26日説 もあったりはっきりしませんが、
いずれにしても旧暦で、グレゴリオ暦だと5月3日あたりだということです。死亡は1616年4月23日と
ありますから、誕生も死亡も同じ日なんですね。
イングランドの劇作家、詩人であり、イギリス・ルネサンス演劇を代表する人物で、卓越した人間観察眼からなる
内面の心理描写により、最も優れた英文学の作家であると言われています。

  ウイリアム・シェイクスピア
                (ウイキペディアより) 

 

 文学にほど遠い我が身には、殆ど名前とその作品名しか知りませんが、有名な作品は、映画化されたりして
おぼろげながらあらすじ等が出る程度です。

 それでも、ヴェニスの商人などは、子供の頃に読んだことがあったり、ロメオとジュリエット、オセロ、
ジュリアスシーザ、アントニーとクレオパトラ などは、映画その他でやや印象はありますね。
有名な “四大悲劇” は、ハムレット、オセロ、リア王、マクベス とどれも人間の最も弱い部分がその行動に
よって どうしょうもない悲劇を生む構図のようで、日本でも昔から名だたる文学者たちが、シェイクスピア
研究家として、その作品を深く研究されています。 今なお研究する人たちは多いのでしょう。

 シェイクスピアの悲劇は、単にそこに死があるというのではなく、“人間だれしも持つ弱さが招いたその人
自身の人生の破滅、さらにはその人の周りの人の破壊を意味するといえる。 いわば、逃れられない
人間の
業であろう”  といわれています。

これを機会に、どれか・・“オセロ” にでもチャレンジしてみようかな~。

              今年のシェイクスピア祭りポスター 
                           (協会HPより)


 ところで、“日本シェイクスピア協会” とは、日本におけるシェイクスピア研究の促進を目的とする
非営利の学術団体として、古く、1929 年に東京帝国大学教授市河三喜を会長、シェイクスピア全訳で
知られる坪内逍遥を名誉会長として発足した由緒ある協会ですが、1930 年代の政治情勢の緊迫や、
第二次世界大戦中は実質的な活動停止となり、 1961 年に再開されたそうです。

 同協会は、毎年10月に全国の大学を会場として、2日間に亘る “シェイクスピア学会” を開催し、
会員の研究成果の発表と、学術交流がはかられています。
今年、のシェイクスピア学会(第53回)は、10/11~12の2日間にわたり、学習院大学で開催されるそうです。 
協会会員でなくてもだれでも参加OKだそうですから ご興味の向きにはご参加されてみてはどうでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

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まいたけ   (bon)

2014-04-21 | グルメ,Romantic cook

 そうです、あの舞茸です。

 子どもの頃は大阪で育ったので、殆どこのキノコにはお目にかからなかったし、名前も聞いたことが
ありませんでした。 関東に来てからも、それほど身近なものではなかったように思いますが、最近は
良く目に止まります。

 蓼科の畑に通って既に10年以上が過ぎますが、行きの中央高速 “八ヶ岳PA” が、ちょうどお昼時になり
いつもこの PA で昼食となります。 
 いつの頃からか、決まって天ぷらの “まいたけソバ” か “まいたけうどん” になって久しいのです。

 

 このブログに登場したわけは、先ごろ我が家に大きな “一株採りまいたけ” が、箱入りで届いたからです。
箱には、400gとあります。 群馬県 妙義特産と書かれていました。

          箱入りで届いた まいたけ
                

 

 ウイキペディアによると、 “マイタケは世界中の暖温帯から温帯北部にかけて分布し、ナラ類、カシ類、シイ類
といったブナ科樹木の大木の根株で 心材 に寄生して白色腐朽を引き起こす木材腐朽菌である”
と難しいことを言っています。

“今日の日本では非常になじみ深い食用キノコの一つとなっているが、人工栽培が盛んになる前は南関東の
照葉樹林地帯以南では食習慣は一般的ではなかった”
とありますから、子供のころ知らなかったのも無理もありません。

“シイタケやエノキタケなどと比較し、マイタケは害菌に対する抵抗性が低く、原木に直接種菌を接種しても
菌が蔓延せず人工栽培は容易ではなかった。 しかし、1970年代半ば頃に子実体(しじったい:菌糸が組み
あわさって、複雑な構造になったもの) を形成しやすい系統の選抜と原木殺菌後の育成方法の研究が
日本各地で行われた結果、 人工栽培方法が確立された。
 最初に栽培が行われた頃は、原木栽培(短木殺菌栽培法)で生産されたが、1990年代頃から
菌床栽培方法が普及し 安価な菌床栽培(オガクズなどの木質基材に米糠などの栄養源を混ぜた人工の培地)によるものが広く流通している。” 
なるほど~。

 栄養的にはビタミン類やミネラル、食物繊維に富み、特に亜鉛、ナイアシン、ビタミンDを多く含むという。 
食物繊維を構成する多糖類βグルカン、マイタケDフラクションの一部は身体の免疫力を高めるなどとも
言われています。

しかし、以下のような注意点もあるようです。

“血糖値に影響を与える作用がある” や、“低血圧のリスクがある人、あるいは降圧薬の服用をしている場合は
注意が必要”  とあります。
また、キノコアレルギーによりショックを起こす場合がある。加熱は必須で、生食により食中毒を起こす場合がある。

 また、このマイタケは、“マイタケプロテアーゼというタンパク質分解酵素を多く含むようで、茶碗蒸しに
生のまま用いると固まらなくなるらしい。 茶碗蒸しに入れる場合は、数分間加熱してこの酵素を熱で
失活させてから用いる。 逆にこの性質を利用して、細かく刻んだ生のマイタケを肉にまぶして調理することで、
固い肉も軟らかくなり旨みが増す” 
とあります。
 

 こんなのも見つけました。“少量のマイタケをごく少量の塩をまぶして炙り、熱燗の日本酒に入れて、
マイタケのエキスを引き出して飲む 「マイタケ酒」 なるものもある” というのです。
一度やってみようかな!

・・おしまい たけ。       



 

 

 

 

 

 

 

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人口ブラックホール  (bon)

2014-04-19 | 日々雑感、散策、旅行

 ブラックホール(black hole)とはもともと、宇宙の中で、極めて高密度かつ大質量で、強い重力のために
物質だけでなく 光 さえも脱出することができない天体のことで、1967年に米物理学者ジョン・ホイーラーにより
命名されているのですが、 すべてを吸収してしまう巨大なホールに見立てて、日本の人口減少問題に
なぞらえて、 “人口ブラックホール ”と呼ばれる深刻な現象を指しています。

 元、総務相、岩手県知事の増田寛也氏がそう名付けて、警鐘を発しています。
彼の言葉から、 「東京一極集中が人口減少の主因だ。全国から多くの人が首都圏を目指し、そこで疲れ果て、
孤独に年老いていく。 そうした人生の形を量産する価値観が、日本の人口減少の背景に横たわっている。
地方から東京など首都圏に人口が吸い寄せられたあげく、東京自身もまた、衰退の危機に直面している。
この事を、“人口のブラックホール”名付けた。」

 

 早速、厚労省の調査結果をひも解きながら、ああだ、こうだとブツブツ言いながら、膨大な統計・推計データを
見てひとり 感心するばかりで、なかなか記事としてまとまらないうちに時間ばかりが過ぎてしまいました。
それでも、いくつか思い当たるデータもあり、それを抜粋してグラフ化してみました。


             

  平成22年(2010年)から50年までの推計データです。

v総人口は、2010年:1億2805.7万人、2013年で、1億2724.7万人で初めて65歳以上が25.1%と
総人口の25%を超えました。
2024年には、1億2140.3万人で、65才以上が30.1% と3割の大台を超え、2060年では、総人口が
8673.7万人と寂しくなり、65才以上は何と4割(39.9%)に届く推計となっています。

 

 更にこの先、2061年から2110年までを見ますと、(出生中位、死亡中位の推計)

            総人口     0~19   20~64   65~74   75~

     2061年  8568万人   12.7%    47.3%    13.0%    27.0%

     2080年  6587.5     12.7%    46.3%    14.3%    27.0%

     2110年  4286.0     12.6%     46.1%    14.0%    27.3%

 

で、この50年間では、0~19才は12.5~12.7%、20~64才の生産年齢人口は46.0~47.3%、
65~74才は13.0~14.3%で増加、75才~は、27.0~27.9%で伸びは緩やかです。

 100年後の日本の人口は、今の1/3程度になっていて、65才以上は4割を超えている計算になっています。

 先のブログ「婚学」(2014.3.7)から、日本の人口推計グラフを再掲します。

    グラフ(日本の人口推計)
         


 そして、婚学での記事にも言っている通り、人口減少を食い止める方法の重要な要点は、結婚するカップルを
増加させること、そして、その結婚年齢を早める(若くする)、早めに子供を作る・・そんな提言をピックアップ
しています。 そのための環境つくりを推進して行く必要があるとしています。

 そして、更に今回、それらのポイントに加えて、面的な視点で問題を捉えて、首都圏一極集中が結局は
人口減少の大きな要因であり、しかも、首都圏自身もブラックホールとして消滅の運命にあるとの見方から、
地方への分散施策が必須である・・ そのための具体的施策を早急に検討樹立し、実行推進する必要が
あるとされている。

 “20~39才の女性人口の動向が将来人口に直結する。2040年までに、若年女性が5割以上減る自治体が
896ある。人口の再生産力を失ったまま1万人を割る523市町村は、自治体として立ち行かず 消滅
可能性があるという。” (増田氏らの推計結果)

 

 人口ブラックホール、確かに首都圏などでは経済活動には有利であるし、雇用も潤沢で、生活もしやすく、
文化や娯楽面でも魅力的であり、これまで世界のどこでも これらの集中が起こっていたし、これが自然の姿
だと思いますね。  大都市に人口が集まるのは世界各国に共通した傾向だといっても、 “先進諸国では、
ロンドンでもパリでもニューヨーク、ベルリンでも大都市への人口流入が時代とともに収束しているのに対して、
日本では東京圏への人口流入がいまだに止まっていない” と言われています。 
これが大問題だというのです。

 所得と出生率で見てみますと、“地方から東京に若者が集まるのは所得格差や雇用状況のせいだという。
東京の平均所得は全国の都道府県トップの440万円(2012年)。 しかし出生率は最低である(自治体別では
東京都目黒区の0.74が最低)。 一方、出生率のトップ10の自治体には鹿児島県、沖縄県、長崎県などの
離島の町がずらりと並ぶ。 これらの町の平均所得はおおむね200万円以下で、東京の半分にも満たない
ところがほとんどだ。 なぜ経済的条件に恵まれない町で出生率が高いのだろうか。” (農文協の主張)
との記述もあり、 一概に、所得=豊か=出生率とはなっていないことが分かります。 
同主張では、 “生活の充実度を決めるのは収入の多寡ではなく、家族のあり方、ムラとマチの関係のあり方、
そこでの人間関係という目に見えない 「資産」 なのである” と結ばれています。

大きな、かつ多面的な問題ではありますが、研究と実践施策を作り出して欲しいですね。

 
 

 

 

 

 

 

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花が咲きました。  (bon)

2014-04-17 | 花鳥風月

 何事もなくありきたりの春が、今年も来ました。

 先のブログにもアップしたところですが、ベランダでは、次々と花が咲いてきました。

どれも一般的なものばかりで代わり映えしないのですが、この時期が一年の中で最も花が多く見られます。

 ま、親ばかの類ですが、写真を並べてみます。
手入れを怠っているのは、やはりそれだけのことがあり、やや拗ねている感じでしょうか。
 

 どうだんは、昨年植え替えた時に、鉢の中の土が、キチット根にかみ合っていなかったためか、
秋の色付きが今一つ良くなく、確認のために根を調べてみましたら、やはりオーバにいえば、やや
根っこの周りが “スコスコ”  と空間があるような感じでしたので、 “やはり・・!” ということで、
土を補充してしっかりと固めました。 
気が付く時期とそれを補修する時期が少し遅かったキライがありましたが、こうやってたくさん花が付くと、
間に合ったのかな? とホッと一安心です。
このような、花を見ると漢字で書く “満天星” (どうだん)は、実によく言い当てていると思います。

              元気になった どうだん です。
                     

     

 ムスカリは、昨年は球根を掘り上げて、12月頃に植えたものです。
やはり面倒でも、球根を掘り上げておくと、花も いきいき としている感じがします。

                  ムスカリ
                      


 チューリップは、以前のものはなく、すべて新しく植えたものです。
ちょっと変わりものばかりだったようで、八重とかフリルとか色もとりどりでした。

                   チューリップ
                      

 

 ハナミズキは、今年、赤いのと、白いのがほぼ同時期に咲きました。
例年、白の方が早く、赤は少し遅れるのですが・・。 いつだったか、この花だけでブログアップしたことも
ありました。英語でdogwoodというんだそうですね。

ハナミズキ(白)                     ハナミズキ(赤) 

  

 

 ホタルブクロ、 この花がまた登場しましたが、どうも季節を勘違いしているみたいで、昨年の12月に
咲いたばかりなのに、また、咲いています。 
そういえば、この花は、6月とか夏とかのものだったと思いますが、このところちょっと変なんです。
今咲いているのは、少し花が小ぶりです。   ほんと、どうしちゃったんだろう。

               また、咲いてきましたホタルブクロです。
                     

 

 
 市民農園の方は、今月初めにジャガイモを1㎏植えただけでその他は、石灰をまいておきましたが、
2週間が過ぎますので、肥料を入れて、今年は、短い畝に マルチ を掛けました。

 このところ雨が無く、土が乾いていたので、マルチを、苗を植える予定のところを先に穴をあけて、
そこから水をたっぷりと注いでおきました。 近々、夏野菜の苗を植える予定です。



懐かしい曲 

 

 

 

 

 

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生前葬コンサート  (bon)

2014-04-15 | 日々雑感、散策、旅行

“シクラメンのかほり”  などで知られる作詞・作曲家 小椋佳が、今年9月にNHKホールでコンサートを開催する。 
銘打って “生前葬コンサート”。 18日から入場券が発売されるが、入場料は “香典” として、
S席が1万円である。 あの3,000人収容の豪華NHKホールで開催するのだ。

 小椋 は、本名:神田 紘爾、1944年1月18日 生まれ 。シンガーソングライター、作詞家、作曲家である。
出身は、東京台東区上野という。東京都立上野高校から東大法学部卒業後、日本勧業銀行(現:みずほ銀行)
に入行した。 銀行マンとして証券部証券企画次長、浜松支店長、本店財務サービス部長などを歴任する
傍らで音楽活動を行ってきた。  とあります。
 浜松支店長時代は、地域活動も活発で、その頃、知名度も上がって私なども知るようになりました。


 1971年に歌手デビューし、1976年にはNHKホールで初コンサートを開いている。
1993年、銀行を退職し東大文学部哲学科に学士入学し、歌手活動と並行して6年間にわたり学業を修めた。

                          (ネット画像)


 1975年の “シクラメンのかほり” (歌:布施明)は第17回日本レコード大賞を受賞しており、その他、
“愛燦燦” (歌:美空ひばり)など多数の作品がある。 
作詞のみを担当した曲として “愛しき日々” (作曲・歌:堀内孝雄)、“山河” (作曲:堀内孝雄、歌:五木ひろし)、
“白い一日” (作曲・歌:井上陽水)なども良く知られるところです。
その他、校歌や市歌なども数多く手掛けているという。

 彼の詩は、品があり どこか意味深い文学的な香りが強く感じられるものが多く、曲調も斬新できれいですね。
その筋の大御所、作詞作曲家に並ぶ、一つの境地を創り上げているといっても過言ではないでしょう。

 ある才能が、フツフツと芽生え、自らも努力を重ね何度も挑戦して作り上げて行くうち、その才能は
さらに磨きがかかり、より一段と高い位置へと上って行くのでしょう。

 この人と並んで思い出されるのは、谷村新司がいる。 やや路線が違うといえばそうですが、この人も
ユニークな音楽才能あふれる人のようです。 若いころコンビを組んで、大爆発したアリスのパートナー
堀内孝雄も異色ですね。 彼は特に作曲を手掛け、歌手としても良く出演し、一種独特の雰囲気があります。

3人とも、好きな歌が多いです。

小椋佳の 生前葬コンサートの入場料が “香典” という発想は面白い。

 

 

 

 

 

 

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ピークを過ぎたら  (bon)

2014-04-13 | 日々雑感、散策、旅行

 桜のピークが過ぎ、若葉が出始める頃、世の中は、初々しい社会人、学生たちが元気よく活動を始めている。
 人生において、それぞれピークを目指して、それが通常 明確ではなくても、“坂の上” を目指してみんな
頑張っている。  しかし、永遠にそれが続くとは誰しも思ってはいないでしょう。人生の変曲点は大抵の人は
持ち合わせており、それをどのように見るか、そしてどのように対処するか・・一つのヒントとして述べられていて、
参考になると思い、
ここに “コピペ” (最近、この所作はよくない事例として騒がれています。)で
ご紹介しました。

 私の友人である H氏 が、毎回ネット情報として配信して下さっているその中から、転写させていただきました。

 著者の里見清一氏は、本名・國頭英夫(くにとう・ひでお)。 三井記念病院呼吸器内科科長。
1961(昭和36)年 鳥取県生まれ。 1986年東京大学医学部卒業。
国立がんセンター中央病院内科などを経て2009年3月より現職。  
とあります。

以下記事部分です。

*********************

  「ピークを過ぎたら」  里見清一(臨床医) (新潮45 2014年4月号 p266-271)

                       

【要旨】日本社会の“病巣”を取り出す社会評論エッセイ連載「日本のビョーキ」の第13回。政治やビジネス、
スポーツ、芸能など、あらゆる世界で信じ
難い力を発揮して人気や名誉、権力や財を得た人でも、
「ピーク」に達した
後には必ず 「下り坂」 を経験する。 その際に「落ち目」などと人から蔑まれずに、
「ピーク後」の人生を過ごすにはどうすればいいのだろうか。 まず、
精神的に負担を感じないためには、
「ここがピークだ」と意識しないことが
重要。また、上手に「目標の切替」をして別のことにチャレンジし、
常に
「上り坂」にいるようにすることもコツの一つだという。 軽妙に、時に辛口に「ビョーキ」について語る筆者は、
呼吸器内科の臨床医として、とくに肺
がんの診療に従事している。
著書に『衆愚の病理』(新潮新書)、『見送ル』
(新潮社)など。

  ------------------------------------------------------------

  ピーク時には人は信じ難い力を発揮する。今振り返って、どうして山本太郎が参議院に当選したか、
また猪瀬直樹が史上最多の票を集められたか、合
理的に説明できる人がいるだろうか。
この現象は「勢い」とも「旬」とも、
また「」とも表現されるが、私はあえて「ピーク」という。 ピークは
いず
れ過ぎて、そこからは下り坂になるという、当然の事実を忘れないためである。

 

 山本太郎や猪瀬直樹は自分でピークを自覚していなかったからハッピーでいられたが、自分でも
「ここがピーク」と分かってしまうと、それは恐怖の
対象にさえなる。 前漢の武帝は周辺諸国を次々と征服して
中国史上最大の版
図を達成し、「歓楽極まりて哀情多し」 と詠んだ。 秀吉が天下統一した時にどういう
思いをしたかは分からないが、その後の無茶な朝鮮出兵や明の討伐
計画などは、「自分がピークに達した」
ことを必死で否定しているようであ
る。頂上からはその先の断崖絶壁が見える。上り坂はそれを視界から
隠して
くれる。

  「坂の上の雲」を目指していた時代、「追いつき追い越せ」をスローガンにできた高度成長期を
「あの頃は良かった」と懐かしむ論調は多い。しかし、客観的に考えると、「坂の下」にいる時より、
「坂の上」に登った時の方が、進歩改善があって当然である。実際に種々の統計をとってみれば、
現在の方が「幸福である」要素は多いはずである。 だけど「昔は良かった」と思えるのは、つまりは
「先のことを考えなくても良かった」ということなのだろう。 ところがこういう心理的要素のみならず、
「発展途上にある」方が、目的が達成されてしまうよりもベター、という面もあるらしいから話はややこしくなる。

 故・高坂正堯京大教授は、1981年の名著『文明が衰亡するとき』(新潮選書)の中で、こういう例を引いている。
1980年代のアメリカ大統領選挙はす
でに大変なマラソン選挙になっており、候補者は、統治能力と直接
関係のな
い体力・資力および神経の強さを必要とするようになった。こうなったのは、大衆民主主義の
過剰によって、予備選挙が重要になり過ぎたためである。

  伝統的には、大統領選挙は民主共和の両党の「プロ」が候補を選び、そこから決選投票が行われた。
しかし大衆民主主義の昂揚により、その候補者を
選ぶのにも国民が投票する予備選挙の制度が作られた。
1950年代ごろまでは、
予備選挙は一部の州でのみ行われ4分の3くらいの州では党の組織が候補者
決めていたので、予備選挙はそれだけでは候補者を決定するほどの比重は
なかった。

  けれどその後、大衆民主主義の第二の昂揚のため、大多数の州で予備選挙が行われるようになり、
この結果で候補者が決まるようになった。そのため
政治家のエネルギーを際限なく消費する大選挙戦となり、
政治家の資質なん
てそっちのけになってしまい、「選挙屋」でなくては勝てないように変わってしまった。
言うまでもなくこの傾向は、21世紀になってさらにひどくなっ
ている。大統領選で誰が勝つのかを予想する
最大の根拠が、「その候補が集
めた金額」になっている有様である。

  高坂先生はこう注釈をつけておられる。「以上の展開は、民主主義というものは、民主化の途上が
もっともよく、民主化がなされてしまうと問題が出
てくることを示唆している」と。 私は、すぐその次に続く一節に
唸ってしまっ
た。 「そして、ものごとは大抵そうである」 達成されるべき理念は、達成されたその後に
堕ちていくのではなく、達成
された時すでにして理想から乖離してしまうのである。 実は、理想が出現するのは
理念が達成される途上であって、達成された時には消えてしまってい
るのだ。

 

 ところでこういう議論は、ともすると、「頑張ったって、どうせなんにもならないよ」というような悲観的もしくは
虚無的な態度のもとになってしま
う。特に、国家や民族全体として、「ピークを越えた」と思われるような気分の
時代になれば尚更である。
 もっと言えば、オリンピックで金メダルとってどうなる、その先の人生の方が長いとかいうことになる。
確かに「その先の人生」で犯罪者にまで転落
したメダリストも何人もいる。だけどそんなこと言ってたら、
すべての努力
は虚しいということになって、デフレスパイラルみたいなことになる。

  出世や名声のためでなくても、真っ当な努力をしていれば人はそれなりに坂を上って行き、好む好まざるに
かかわらずやがてはピークに達する。そこ
から坂を下りて行くのは仕方がないにしても、せめて人から
「下り坂」とは
思われたくないし、まして他から蔑まれるような羽目にはなりたくない。いかがすべきか。

  理屈からすると、「下り坂」と思われないための方法は、「ピークになった」と悟られないのが一番であろう。
よくNHKの人気アナウンサーが、大枚の
移籍金を積まれてフリーに転向することがある。
私の偏見かも知れないが、
大概はその後ぱっとしない。これはつまり、大金を手にしてフリーになる、
という時点で、「自分はピークにある」ということを実にわかりやすく提示してしまったためだと考えられる。
一旦ぐっと上昇し高みに達すると、その
後が転向前と同じくらいの活動度なら、「ピークを過ぎた」と判断されて
まうのである。
 その一方、今をときめく有働由美子アナウンサーは、人気がなかなか衰えない。彼女はずっとNHKにいるが、
「中での出世」はまだまだ先があるので、
会長になるまで(そこまではないか)、少なくとも形の上では
「ピーク」と
見えない。 

 中国では新王朝が樹立されると、天下を統一した皇帝が、今までの部下や身内も含めて片っ端から
粛清や虐殺に走るケースが多い。漢の高祖劉邦、明
の太祖朱元璋、共産党の毛沢東その他数え上げると
切りがない。ただし例外
もあって、その一人唐の太宗李世民は、名臣魏徴に「創業は易く守成は難し」と言わせ、
「すでに創業はなったのだからこれからは守成に向けて皆と慎も
う」と答えたとか。つまりは「目標の切替」である。

 

 かつて私は、新潮社を通して、ある評論家の方の奥様のご病気について相談を受けた。よせばいいのに
わが編集者は私のことを、「共通一次試験全国
トップの秀才」と紹介した。これは、医者の力量と何の関係も
ない。否定す
るのも面倒だったので、私は「あの時が私の人生のピークでしたね」と答えておいた。
後でその評論家の方がそのことを雑誌に書かれていた。それを読
んだ家内は、「私はピークをとっくに過ぎた
人と結婚したの!?」と、いたく
ご立腹だった。

  では医者としてはどうか、というと齢50を越えて臨床医の能力としてピークを過ぎたのは明らかである。
そこで「目標の切替」とばかりに生物統計学
など、ニッチな領域に手を出したりしている。臨床の経験をもとに
いろいろ
書いているのもそういう一環だろうか。
                                      

 コメント: たとえば名声を博した野球選手が、その後監督として再び実績を残すことはよくある。芸能人でも、

人気歌手がその後俳優として活躍したりと、人生で複数回の「ピーク」を経験するのは珍しいことではない。
要は、
いかに上手に「目標の切替」をできるかが、充実した人生を送るための重要なポイントだということだろう。
おそらくその際、一度「ピーク」を迎えた
領域について、「なぜうまくいったのか」を自分なりに認識することが
ポイ
ントとなるのではないか。成功の要因を本質的に理解していれば、異なる領域に目標を切り替えたときにも、
それを応用することができる。大小はあれ
複数のピークを迎える人は、無意識であっても、そのような
「応用」を行っ
ているのだと思う。

                                   Copyright:株式会社情報工場

 


 五木寛之の “下山の思想” なども、一つの見方として興味があります。

 

 

 

 

 

 

 

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一体何があった?  (bon)

2014-04-11 | 日々雑感、散策、旅行

 STAP細胞のことです。

 2ヶ月少し前に、世界中を驚かせたあのSTAP細胞です。
生命科学の分野では画期的な凄い発見だという。 外部刺激によって万能細胞に変化することが発見された。
そのプロセスはiPS細胞よりはるかに簡便だということである。

 iPS細胞に次いで、STAP細胞の発表は 日本の大いなる実力を世界に知らしめる誇らしい思いでした。
 私は、今回発表の論文に対する理解や識見など全くありませんし、論文自体も見たこともありませんが、
連日の大きな報道を見る限り、とても残念な思いと共に、一体そこに何があったのか?
不可解で仕方がありません。

 

 論文の発表後、まだ熱が冷めやらぬ間に、各方面から論文に対する疑義が寄せられることとなり、
一月足らずで、発表母体の理研(理化学研究所)の調査委員会は、当該論文の “改ざん” “捏造” 
部分を指摘しました。

 昨日の、小保方ユニットリーダーの 2時間以上に亘る記者会見を放送中ずっと見ていました。
その限りでは、本人の未経験、未熟さゆえの騒ぎに対してお詫びするも、改ざん、捏造に対しては
キッパリと否定していました。 
会見態度は、動揺することなく、落ち着いてキチット言葉を選んで自己の意見を述べられていました。

 

 生命科学の常識を覆す大発見が、その論文発表直後に、論文不備が指摘され、調査委員会は
早々とその問題点を結論付けました。 何か変な気がして止みません。

 論文そのものがずさんであったことは、本人も認めたわけですが、これ自体あってはならない事柄であり、
世界的雑誌に発表(投稿)する前段でなぜ発見されなかったのか?  これだけ重要な、インパクトの強い
内容であれば、当然その反響は予測されたであろう。 共著者も名だたる肩書きの人達で、研究グループの
組織の責任者もいただろうと思われるのに・・、 なぜ、このような初歩的なミスがすり抜けてしまったのだろうか?

 

 理研内部の問題が、そのまま理研の 世間に対する信用を失墜させる事態を招くわけですから、
当然厳重な審査を経て対外発表となるはずと考えられます。 ましてやこのような大発見に対しては
なおさらでしょう。  しかし、それが、結果として “無かった” と思われるのですね。少なくともなかったに等しい
現象です。 更にそれだけでなく、疑問なのは、論文疑義が指摘されるや、極めて短期間の調査で、改ざん、
捏造を指摘し、この論文の撤回を求めている点なのです、 理研という組織防衛の意識は全く見当たらず、
それどころか論文の素早い撤回を求めて、自らの組織のキズを最小に収めようとしているのか?
そんな思いがよぎるのでした。
組織のメンツや信用を重んじる(当然ながら)ならば、なぜ発表前にその関門が無かったのか?

 理研組織とSTAP研究グループとの間に何があったのか? 
小保方ユニットリーダーがそのはざまで 祭り上げられたのか? 
憶測は慎まなければなりませんが、誠に惜しい、情けない事態を招いてしまったものだと、
かえすがえすも残念でなりません。
                                                

 

  子供の頃、大阪で聞いた言葉を思い出しました。

    “雉も鳴かずば 撃たれまい、父は長柄の人柱・・”    長柄:長柄川

 

 

九州に住む友人が、このほどハーモニカで合奏するという、澄み渡るいい曲です。

 

 

 

 

 

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行ってきましたぁ~  (bon)

2014-04-09 | 日々雑感、散策、旅行

 皇居乾通りに行ってきました。

 天皇陛下傘寿を記念して、4月4~8日までの5日間、坂下門~乾門の “乾通り” が一般公開され、
それに行ってきました。

 この5日間で、入場者は38万人を超える人気で、最終日の 4/8 に行きました。

 東京駅中央口待ち合わせで、そのまま 行幸通り を突き当たって坂下門・・ と思いきや、この中央口あたりで
既に人の波が出来て、そのままぞろぞろと少し早足で進んで、直前の交差点で(内堀通りを)左に曲がり、
なんと 桜田門 まで歩くことになりました。  混雑が激しいので、大幅な迂回ルートが設定され、述べ1km以上
遠回りすることに・・。
結局、中央口から坂下門まで40分かかった計算です。 それでも、1~2時間待ちを覚悟していた身には、
“なんとありがたいこと!” と感じるのでした。
私たちは、中央口を10:20頃出ましたから、11時頃には、入場できたラッキーものでした。

二重橋前                                 坂下門
  

 

 坂下門をくぐると、すぐに宮内庁の緑青を吹いたきれいな屋根がずっしりと重厚さを醸し出していました。
桜は、まだ花を残していて、松などに交じってところどころに大木が聳えていました。
乾通りは、幅いっぱいに人の波で、ペンギンが歩くよりは少し早いくらいのペースで、乾門まで750mの
直線コースでした。 

 宮内庁前                        乾通り
   

 

 途中、道灌濠と名付けられた、小ぶりの濠が枝垂桜に縁どられた格好で静かないい雰囲気を作っていました。
しかし、この人波の中、静寂の深みなどは皆目縁の遠い形ではありました。

 少し進むと、右手には、大きな濠が続き、石垣がきれいに整えられ、櫓が見えました。
ここを “富士見多聞” というらしい。

道灌濠                                          富士見多聞
   


 前方の、枝ぶりの良いおおきな松の木、そして、左右ところどころに、ごつごつしたコブだらけのような大木、
“トウカエデ” が聳えていました。

 右手が開けて、ここが “乾濠” だそうです。前方遥かには、竹橋のビル群が初夏を思わせる太陽を浴びていました。

 終点の、“乾門” を出たのが、11時半過ぎでしたから、噂に違い、実に順調な見学でした。

 乾濠                                           乾門
   

 

昔、仕事でよく来た竹橋の毎日新聞社界隈をとおり、大手町から再び東京駅に戻りました。

 和田倉門から東京駅に少し近づいたところに、特別史跡“江戸城跡”の案内看板が目に止まりました。 
何度も通ったことがあるはずでしたが、初めて気が付き、しばし足を止めて改めてその昔に思いをはせるのでした。

     特別史跡
                

 

 やや汗ばんだ、初夏の陽気のお昼時の楽しい体験でした。


 春への憧れ

 

 

 

 

 

 

 

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日立中央研究所  (bon)

2014-04-07 | 日々雑感、散策、旅行

 なぁ~に、お花見です。

 ここの庭園が さくら時期 に1日オープンするので、昨日の日曜日に友人に誘われて訪問してきました。 
 この研究所は、JR中央線国分寺駅から15分ほどのところにあり、古く 昭和17年(1942年)に設立され、
全体が、207,000㎡(東京ドーム5つ)の広さがあり、中に大きな池 と約27,000本の樹木が生い茂り
自然が残されていました。
秋にも、その紅葉の見事さにオープン日が1日あるのです。今年は、11月16日(日)と既に決まっていて、
周知されていました。

 10時開門まで15分ほどありましたが、すでに多くの人が列を作って並びました。
しかし、報道されている、皇居 “乾通り” 通り抜けに比べればはるかに少ない列でした。
午前中はお日様も出て 良いお日和でしたが、午後には小雨がぱらつく変わりようで、これでは、
せっかくの屋台や芝生での “お花見” は出来なくなりますね。

 大池                          孟宗竹林
   

 

 この庭園の変わったところは、何と言っても、武蔵野を流れる “野川” への湧水口が見られることと、
その大池にそそぐ “源流” の一つが見られることです。
野川は、小金井市などを抜けてやがて、等々力渓谷の近くを通り、二子玉川の先あたりで多摩川に合流する
都会の中の うるおい川 ですね。
その源流、湧水口としては、“なんだこれ!” という素っ気ない感じではありました。

 野川への湧水口                    その中
   


                    その源流の一つ
                      


 さくら・・。 大木があちらこちらにあり、ソメイヨシノよりも赤みが強いきれいな花に覆われていました。
中に、花が小さな、ピンク色の可憐なさくらがありましたが、銘板が無く、“こひかんさくら” かな?  
そして、案内にもありましたが、“御衣黄さくら”(ぎょいこうさくら)という花が 緑色をした衣というような大木の桜も
見ものだとか。  

カメラに収めて、得心していましたら、実は間違っていたことに気が付きました。
少し行ったところに、まだ蕾も定かでない枯れ枝の大木が “御衣黄さくら” と銘板が付されていたからです。 
間違いと気づく前に、カメラでパシャパシャやっていた時、若いおばあちゃんが、このさくら見事ですけど、
何というさくらですか? ときかれ、パンフを見せながら、“御衣黄桜というんですよ” なんて言ったものですから、
何ともばつが悪く、その人を探して “お詫びして訂正したい” そんな気になりました。 
まぁ、いっか!  と人ごみの中に消えたのでした。

  御衣黄さくらと 間違えたさくら           こひかんさくら?
  

 

 研究施設は、知る由もありませんが、建物の外観は立派のもので、恐らく内部では、相当貴重な研究が
行われているんだろうな・・など、思いがめぐり、現在の自分の位置は、このような事柄からかなり離れて
しまっていることに改めて気づくのでした。

             日立中央研究所
                 


 

約900名が研究員として勤務しているそうです。

のどかな一日を楽しみました。

                

 

 

 

 

 

 

 

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ここにも春が来ました。  (bon)

2014-04-05 | 花鳥風月

 春は、お天気の変わりが激しいですが、このところ気象予報士にとっては胃の痛くなるようなお天気が
続いています。

 3月末から4月にかけて急に気温が上がりましたので、足踏みしていた も一気に各地で満開を迎えました。
何度もお花見をされた方も多いのでは・・と思います。
 

 3年間の契約が更新された “市民農園” は、4月1日から解禁されました。
私が使用できる区画は、全部で92区画あるうちで、最後の92番目の地型が細長く、道路に面していたり
あまり良い場所ではありませんが、抽選の結果ということで仕方ありません。
この15㎡を3年間使用することになりました。 早速、2畝にじゃがいも16個を植え付けました。
この他は、土を掘り返して石灰をまいてしばらく放置しておきます。 その後、夏野菜の苗を植える計画です。

  自宅窓越しに見た市民農園全景 向こうの公園のサクラも満開です
                                                       
左の道路沿い、一番下の細長い区画が私のところです。

 

 ベランダでは、この時期 風が強く、鉢植えですからバランスを崩して倒れる花木もあり、
何とかこの時期が早く過ぎることを毎年願うばかりです。

 それでも、さくら、レンギョウなど季節を間違えずに、几帳面に咲いてくれています。

           陽光ざくら(4/1撮影) 
                   

       

 れんぎょう(4/5)                    はなもも(4/5)
       

 

 出猩々(4/5)                   ムスカリ(4/5)
    

 

 スイセン(4/5)                     ツタンカーメンのえんどう(4/5)
   
 

 

 ハナミズキ、どうだん、チューリップなどはもう少しして花が見られるようです。
フジ、つつじなどが続いて、春のベランダはやはり華やかとなります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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伊香保  (bon)

2014-04-01 | 日々雑感、散策、旅行

 消費税5%の最後の日、3月31日は、お買い物などが夜遅くまで大変賑わったそうです。

 こんな日に、高(群馬県)に住む Kaさん 宅を訪問しました。 彼が数年前から始めた自宅庭の一部を使った
農園を見学するのが目的でした。 

 この日、訪問しましたのは、uchii ,  pooky , bon  の3名でしたが、 彼も含めてこれまで蓼科農園でも
しばしば一緒していまして、その都度 “一度来て見てアドバイスを・・” と彼から言われていたことも、今回の
実現の遠因でもありました。
 

 自宅の庭の一部といっても、全体がずいぶん広いので、大きく2つに区分されていて、一つは、
母屋まわりの、松などが形よく配置され、玉竜が敷き詰められた日本庭園です。 椿はすでにその盛りが
終っていましたが、入り口脇の “さんしゅう” の黄色い花が満開で美しいアクセントをつけていました。

          入り口脇の さんしゅう(はるこがねばな)
                 

 

 くるま道の反対側の庭が、ほぼ全面畑として活用されていて、農家に見られるような生産本位ではなく、
“自由に楽しむ農園” の姿がそこにありました。

 広い農園(部分)                    いちご
    


 既に “ジャガイモ” を10Kgも植えたそうですが、反対側には、菜種菜のほか、花を付け始めた “そらまめ”、
“グリーンピース” 2畝、 “ホウレンソウ”、 “だいこん” など、楽しそうな雰囲気を醸していました。 
全体がかなり広いので、この時期はまだ雑草はありませんが、夏場を想像すると “これは大変・・”と
他事ながら同情心が芽生えてくるのでした。

 

 畑などの見学を終えて、車で30分少し、伊香保 に向かいました。

予約されていた豪華な昼食をご馳走になって、貸切同然の露天風呂での談笑のあと、“石段街” を散策したりして
お開きとなりました。

          豪華なお昼
               


 遥か、雪をいただく谷川岳               沼田方面の山々
    


  石段街にて~
    

 

 帰路、関越出口の練馬で渋滞がありましたが、皆さん無事に帰宅されました。

        お疲れさまでした。 そして、ありがとうございました。

                                                               


 

 

 

 

 

 

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