桜のピークが過ぎ、若葉が出始める頃、世の中は、初々しい社会人、学生たちが元気よく活動を始めている。
人生において、それぞれピークを目指して、それが通常 明確ではなくても、“坂の上” を目指してみんな
頑張っている。 しかし、永遠にそれが続くとは誰しも思ってはいないでしょう。人生の変曲点は大抵の人は
持ち合わせており、それをどのように見るか、そしてどのように対処するか・・一つのヒントとして述べられていて、
参考になると思い、ここに “コピペ” (最近、この所作はよくない事例として騒がれています。)で
ご紹介しました。
私の友人である H氏 が、毎回ネット情報として配信して下さっているその中から、転写させていただきました。
著者の里見清一氏は、本名・國頭英夫(くにとう・ひでお)。 三井記念病院呼吸器内科科長。
1961(昭和36)年 鳥取県生まれ。 1986年東京大学医学部卒業。
国立がんセンター中央病院内科などを経て2009年3月より現職。
とあります。
以下記事部分です。
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「ピークを過ぎたら」 里見清一(臨床医) (新潮45 2014年4月号 p266-271)
【要旨】日本社会の“病巣”を取り出す社会評論エッセイ連載「日本のビョーキ」の第13回。政治やビジネス、
スポーツ、芸能など、あらゆる世界で信じ難い力を発揮して人気や名誉、権力や財を得た人でも、
「ピーク」に達した後には必ず 「下り坂」 を経験する。 その際に「落ち目」などと人から蔑まれずに、
「ピーク後」の人生を過ごすにはどうすればいいのだろうか。 まず、精神的に負担を感じないためには、
「ここがピークだ」と意識しないことが重要。また、上手に「目標の切替」をして別のことにチャレンジし、
常に「上り坂」にいるようにすることもコツの一つだという。 軽妙に、時に辛口に「ビョーキ」について語る筆者は、
呼吸器内科の臨床医として、とくに肺がんの診療に従事している。
著書に『衆愚の病理』(新潮新書)、『見送ル』(新潮社)など。
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ピーク時には人は信じ難い力を発揮する。今振り返って、どうして山本太郎が参議院に当選したか、
また猪瀬直樹が史上最多の票を集められたか、合理的に説明できる人がいるだろうか。
この現象は「勢い」とも「旬」とも、また「風」とも表現されるが、私はあえて「ピーク」という。 ピークは
いずれ過ぎて、そこからは下り坂になるという、当然の事実を忘れないためである。
山本太郎や猪瀬直樹は自分でピークを自覚していなかったからハッピーでいられたが、自分でも
「ここがピーク」と分かってしまうと、それは恐怖の対象にさえなる。 前漢の武帝は周辺諸国を次々と征服して
中国史上最大の版図を達成し、「歓楽極まりて哀情多し」 と詠んだ。 秀吉が天下統一した時にどういう
思いをしたかは分からないが、その後の無茶な朝鮮出兵や明の討伐計画などは、「自分がピークに達した」
ことを必死で否定しているようである。頂上からはその先の断崖絶壁が見える。上り坂はそれを視界から
隠してくれる。
「坂の上の雲」を目指していた時代、「追いつき追い越せ」をスローガンにできた高度成長期を
「あの頃は良かった」と懐かしむ論調は多い。しかし、客観的に考えると、「坂の下」にいる時より、
「坂の上」に登った時の方が、進歩改善があって当然である。実際に種々の統計をとってみれば、
現在の方が「幸福である」要素は多いはずである。 だけど「昔は良かった」と思えるのは、つまりは
「先のことを考えなくても良かった」ということなのだろう。 ところがこういう心理的要素のみならず、
「発展途上にある」方が、目的が達成されてしまうよりもベター、という面もあるらしいから話はややこしくなる。
故・高坂正堯京大教授は、1981年の名著『文明が衰亡するとき』(新潮選書)の中で、こういう例を引いている。
1980年代のアメリカ大統領選挙はすでに大変なマラソン選挙になっており、候補者は、統治能力と直接
関係のない体力・資力および神経の強さを必要とするようになった。こうなったのは、大衆民主主義の
過剰によって、予備選挙が重要になり過ぎたためである。
伝統的には、大統領選挙は民主共和の両党の「プロ」が候補を選び、そこから決選投票が行われた。
しかし大衆民主主義の昂揚により、その候補者を選ぶのにも国民が投票する予備選挙の制度が作られた。
1950年代ごろまでは、予備選挙は一部の州でのみ行われ4分の3くらいの州では党の組織が候補者を
決めていたので、予備選挙はそれだけでは候補者を決定するほどの比重はなかった。
けれどその後、大衆民主主義の第二の昂揚のため、大多数の州で予備選挙が行われるようになり、
この結果で候補者が決まるようになった。そのため政治家のエネルギーを際限なく消費する大選挙戦となり、
政治家の資質なんてそっちのけになってしまい、「選挙屋」でなくては勝てないように変わってしまった。
言うまでもなくこの傾向は、21世紀になってさらにひどくなっている。大統領選で誰が勝つのかを予想する
最大の根拠が、「その候補が集めた金額」になっている有様である。
高坂先生はこう注釈をつけておられる。「以上の展開は、民主主義というものは、民主化の途上が
もっともよく、民主化がなされてしまうと問題が出てくることを示唆している」と。 私は、すぐその次に続く一節に
唸ってしまった。 「そして、ものごとは大抵そうである」 達成されるべき理念は、達成されたその後に
堕ちていくのではなく、達成された時すでにして理想から乖離してしまうのである。 実は、理想が出現するのは
理念が達成される途上であって、達成された時には消えてしまっているのだ。
ところでこういう議論は、ともすると、「頑張ったって、どうせなんにもならないよ」というような悲観的もしくは
虚無的な態度のもとになってしまう。特に、国家や民族全体として、「ピークを越えた」と思われるような気分の
時代になれば尚更である。
もっと言えば、オリンピックで金メダルとってどうなる、その先の人生の方が長いとかいうことになる。
確かに「その先の人生」で犯罪者にまで転落したメダリストも何人もいる。だけどそんなこと言ってたら、
すべての努力は虚しいということになって、デフレスパイラルみたいなことになる。
出世や名声のためでなくても、真っ当な努力をしていれば人はそれなりに坂を上って行き、好む好まざるに
かかわらずやがてはピークに達する。そこから坂を下りて行くのは仕方がないにしても、せめて人から
「下り坂」とは思われたくないし、まして他から蔑まれるような羽目にはなりたくない。いかがすべきか。
理屈からすると、「下り坂」と思われないための方法は、「ピークになった」と悟られないのが一番であろう。
よくNHKの人気アナウンサーが、大枚の移籍金を積まれてフリーに転向することがある。
私の偏見かも知れないが、大概はその後ぱっとしない。これはつまり、大金を手にしてフリーになる、
という時点で、「自分はピークにある」ということを実にわかりやすく提示してしまったためだと考えられる。
一旦ぐっと上昇し高みに達すると、その後が転向前と同じくらいの活動度なら、「ピークを過ぎた」と判断されて
しまうのである。
その一方、今をときめく有働由美子アナウンサーは、人気がなかなか衰えない。彼女はずっとNHKにいるが、
「中での出世」はまだまだ先があるので、会長になるまで(そこまではないか)、少なくとも形の上では
「ピーク」と見えない。
中国では新王朝が樹立されると、天下を統一した皇帝が、今までの部下や身内も含めて片っ端から
粛清や虐殺に走るケースが多い。漢の高祖劉邦、明の太祖朱元璋、共産党の毛沢東その他数え上げると
切りがない。ただし例外もあって、その一人唐の太宗李世民は、名臣魏徴に「創業は易く守成は難し」と言わせ、
「すでに創業はなったのだからこれからは守成に向けて皆と慎もう」と答えたとか。つまりは「目標の切替」である。
かつて私は、新潮社を通して、ある評論家の方の奥様のご病気について相談を受けた。よせばいいのに
わが編集者は私のことを、「共通一次試験全国トップの秀才」と紹介した。これは、医者の力量と何の関係も
ない。否定するのも面倒だったので、私は「あの時が私の人生のピークでしたね」と答えておいた。
後でその評論家の方がそのことを雑誌に書かれていた。それを読んだ家内は、「私はピークをとっくに過ぎた
人と結婚したの!?」と、いたくご立腹だった。
では医者としてはどうか、というと齢50を越えて臨床医の能力としてピークを過ぎたのは明らかである。
そこで「目標の切替」とばかりに生物統計学など、ニッチな領域に手を出したりしている。臨床の経験をもとに
いろいろ書いているのもそういう一環だろうか。
コメント: たとえば名声を博した野球選手が、その後監督として再び実績を残すことはよくある。芸能人でも、
人気歌手がその後俳優として活躍したりと、人生で複数回の「ピーク」を経験するのは珍しいことではない。
要は、いかに上手に「目標の切替」をできるかが、充実した人生を送るための重要なポイントだということだろう。
おそらくその際、一度「ピーク」を迎えた領域について、「なぜうまくいったのか」を自分なりに認識することが
ポイントとなるのではないか。成功の要因を本質的に理解していれば、異なる領域に目標を切り替えたときにも、
それを応用することができる。大小はあれ複数のピークを迎える人は、無意識であっても、そのような
「応用」を行っているのだと思う。
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五木寛之の “下山の思想” なども、一つの見方として興味があります。