この名前、大方の人はご存知でしょう。
その昔、あこがれのオートバイとして衆目を集めました・・。 あの、低い、重めのカラダごと共鳴するような鼓動の
排気音。 しかし、その中に軽い感じのリズムが同居する、気持ちまで高揚するような響き・・。
ある時、だいぶ昔のことですが、場所がどこだったのかおもいだせませんがで、大きな広場に、このハーレーが
大勢集まっている時がありました。 あの大型の、はち切れそうなハーレーが、集合していたのです。
その光景は、いまだに目に残っています。
ハーレーは、日本には1912年に初めて輸入されたとありますから、既に100年が経つのですね。
なぜこのことを思い出したか? 実は、例のH氏からの情報記事に、このハーレーがインドで大成功をおさめた・・
という記事が届けられ、昔に思いを馳せてしまいました。
記事によると、単に高級バイクで、お高く留まっているのではなく、着実なマーケティングと長期的な経営方針に
基づく成功なんですね。やはり、何事も正道が勝利に結びつく・・のですね。
ハーレーダビッドソン (ネットより拝借しました。)
以下に記事を、ご紹介します。
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Dialogue JUN/AUG 2014号 (p62-67)
ハーレーダビッドソン、インドでの成功への道 (On the road to success) By David Woods
【要旨】ハーレーダビッドソンが本格的にインドに進出したのは2009年。元々インドでの知名度は高かったが、
そのイメージは必ずしもよいものではなかった。マイナスイメージを覆し、ハーレーがインド市場で確かな地位を
築き上げていくにはどういった戦略があったのか。
ハーレーダビッドソンの完全子会社であるハーレーダビッドソン・インデイアを任されているアヌープ・プラカシュへの
インタビューを基に、成功の裏側を探った。
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ハーレーダビッドソンは、強力なブランドイメージをまとった企業の典型である。アメリカンドリームに生き、
ハーレーにまたがって地平線まで続く道を走り抜けるジェームズ・ディーンやスティーブ・マックイーンの姿を思い
浮かべる人も少なくないだろう。
ハーレー・ファンは意外なところからも現れた。ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇が今年、パリのボンハム
オークションで自身のハーレーを327,000ドルで売却したのだ。それは、16,000ドルから22,000ドルとされた
予想価格を大幅に超えるものだった。教皇のサイン入りのハーレーの革ジャンも77,485ドルで売却された。
ハーレーの企業文化は強力で、ブランディングのケーススタディとなりうる。多くのファンがそのロゴのタトゥーを
入れている会社など、ハーレーのほかにはなかなか見当たらない。
ハーレーの前ヨーロッパ担当マネージング・ディレクター、ジョン・ラッセルが語った象徴的な言葉がある。
「ハーレーダビッドソンは、レザーを着こなして街中でバイクを乗り回し、人々に恐れられるような、43歳の会計士に
ハーレーを販売いたします」。これほどまでにハーレーダビットソンが売らんとするものや、その販売対象は明確だ
ということだ。ハーレーが売るのはバイクだけではない。イメージ、顧客体験、ライフスタイル――。
いずれも、“ブランド”を売るうえで欠かせないものだ。
そんなハーレーが2009年にとんでもない挑戦を開始した。多様な文化を持ち、“アメリカンドリーム”からは
地理的にも文化的にも程遠い、インド半島への進出を決めたのである。この地域では、ハーレーのブランドイメージが
マイナス方向に作用していて、ハーレーにとっては大きな難関に向き合わざるをえなかった。
ハーレーダビッドソン・インディアのマネージング・ディレクターとして、インド半島での販売促進を任されたアヌープ・
プラカシュはこう話す。 「2009年のインドでは、ハーレーダビッドソンの認知度自体は高かったのですが、
その認知のされ方は必ずしも適切なものではありませんでした。アーノルド・シュワルツェネッガーが乗るバイク、
ヘルズ・エンジェルス(米国の暴走族にあたるモーターサイクルギャング)が乗り回すバイク、いい歳して口髭を生やし
タトゥーを入れた白人男性が乗るものなど、誤解を含むイメージが広がっていたのです。公道を乗り回すという当社の
バイクにおける古くからのコンセプトさえ受け入れられるのが難しい状況でした。私たちは、ハーレーとともにある
ライフスタイルを積極的にアピールするところから始めなければならなかったのです」
プラカシュは、ハーレーに愛着をもつ人が多いアメリカ中西部で育った。だが、入社するまでハーレーに乗ったことは
一度もなかったという。 そこで、入社後はハーレーダビッドソンの教習コースで免許を取るところから始めた。
「自分自身がハーレーライダーになることは、顧客体験を理解するのにとても役立つものでした」
入社の経緯についてはこう話す。「インド系アメリカ人一世として、いつかはインドに渡り、親戚に会い、両親の
育った町に住みたいと願っていました。そのことを偶然、当時ハーレーに勤めていたビジネススクール時代の旧友に
話したのです。すると彼は、ハーレーにインド進出の計画があると教えてくれました。その後、彼に(ハーレーの)
アジア・パシフィック・リーダーシップを紹介してもらい、現在に至ります」
こうして経験豊かで情熱的なリーダーを得たハーレーダビッドソンは、単にインド半島でバイクを売るだけではなく、
現地でブランドの地位を築くべく、挑戦を始めた。
「今でこそ中国には子会社がありますが、中国進出当初は、営業オフィスのみを置き、輸入や販売については
現地のディーラーを通じて話を進めていました。しかしこのスタイルでは、現地ディーラーは短期的な視点でのみ
ビジネスをするきらいがあります。その点、子会社を置けば、ブランドや顧客体験を積極的にコントロールできます。
投資に対し長期的なリターンが得られるのです。インドでは、ビジネスを主体的に動かすとともに、長期的な視点で
ブランディングを行うべく、最初から子会社を置くことになりました」
ハーレーダビッドソン・インディアがハーレーダビッドソンの完全子会社として事業を開始したのは2009年8月のことだ。
「インドでビジネスを展開するにあたって二つの壁がありました。一つめは、輸入関税と税金の関係で販売価格が
アメリカの2倍になってしまうハーレーを、いかにインドの人々の手に届くようにするかという問題。
二つめは、顧客に対し、いかに期待されている世界レベルの対応をとり、満足してもらうかという問題です。
一般的にインドのディーラーは、私たちが求めるようなハイレベルな顧客サービスに慣れていません。
ただ、近年はさまざまな高級ブランドがインド市場に入ってきたことで、この傾向は改善されつつあります」
手の届く価格を実現するために、プラカシュは現地での組み立てオペレーションを確立した。インド北部の
ハリヤナ州に工場を建設し、部品を輸入して現地で組み立てを行う「コンプリート・ノックダウン」と呼ばれる生産方式を
導入したのだ。部品はアメリカの工場から輸入するが、組み立てをインド国内で行うことで輸入関税を低く抑え、
そのことを一つの要因として小売価格を下げることに成功した。
ブランディング戦略についてはこう話す。「インドには、人々が長年、リーバイスやマクドナルドなどアメリカの
ブランドに親しんできたという歴史がありました。私たちは広告よりも、ハーレーのあるライフスタイルや文化とは
どういうものかを実際に見せられる、地に足のついたイベントを展開するほうが良いと判断しました。インドの人々に、
ハーレーダビッドソンと自分たちの生活とをリンクして考えられるようにしてもらうべきだと考えたのです。また、
2011年に組み立て工場をハリヤナ州に建設したことで、『私たちはただ製品を輸入して売るためではなく、
(インドの)開発に投資するためにここにいるのです』と言えるようになりました」
ハーレーダビッドソンに関するインドの新聞や雑誌の記事を見れば、プラカシュたちがインドでハーレーの
バイクへの愛着を育てるためにどれほど一生懸命働いたかがわかる。そこには、インドの公道を走るたくさんの
ライダーグループの写真があり、“シュワルツェネッガーのバイク”のような先入観がすっかり拭い去られていることが
感じられる。
「はじめてインド市場にやってきたとき、どんな人々が私たちの顧客になってくれるのか、まったく想像できませんでした。
でもいまは、顧客になってくれるインドの人々がどういった本を読み、休みの日にどこへ出かけるのか、といった
ことも把握しています。ハーレーはインド社会全体に浸透していっているのです。もし私たちがハーレーは高価格の
贅沢品だとして最初から販売相手を限定していたら、インド進出は失敗に終わっていたでしょう。ラグジュアリーで
あることが私たちのDNAなのではありません。『スペシャルであること』と『手の届きやすさのバランス』が必要なのです」
インドではこの4年半でハーレーのフェイスブック上のファンの数が130万人に増えた。これはアメリカに次ぐ
世界第2位の人数だ。しかし、この急激な成長と明るい将来展望の中心にいるプラカシュは、物語はまだ終わりでは
ないと考えている。まだまだインド市場でやるべきことはたくさんある、そう信じているのだ。
コメント: ハーレーダビッドソンによるインド進出の勝因は、一つひとつ段階を踏むことにより「手の届きそうな
高級ブランド」という、もっとも需要を喚起しやすいステータスに達したことにあるのだろう。ハーレーにとって、
富裕層をターゲットに「趣味性の高い高級車」という打ち出し方をするのが、いちばん手っ取り早い方法だったはず。
しかし彼らは、まず地道にブランドイメージの土壌を踏み固めることからはじめ、コストダウンをはかり、低価格帯の
高級ブランドを投入することで富裕層よりも大きなパイを獲得した。企業全体の方針や競争環境にもよるのだろうが、
スピードを重視しターゲットに集中するよりも、あえて先を見据えた地道な戦略をとるほうが良い結果を生むことも
あるのだろう。
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u-tubeより。 2013.2.24 新東名 清水PA とありました。 (最初の1分ほど、雑音があります。)