蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

相国寺  (bon)

2016-11-29 | 科学・生物

 晩秋の京都、相国寺に行ってきました。

 やや遅いモミジが、まだ色鮮やかに諸所に浮かぶような境内のその奥に、承天閣美術館の
古風なたたずまいの入り口がありました。「伊藤若冲展」を見に行きました。

 館内ロビーには、そこここに入場者がいましたが、上野(東京都美術館)の 3時間待ち
などの賑々しさとは程遠い しっとりとした雰囲気の中で、お目当ての「動植綵絵30幅」と
「釈迦三尊像」に堪能しました。精緻な筆使い、細やかな描写による大作は、見る人を
圧倒せずにはおれない・・そんな迫力でした。大胆な構図と極彩色の変化に富んだその絵は
とても300年も前に描かれたとは思えないほどでした。コロタイプ印刷による複製は、重要
文化財などの絵画複製に使用されている優れたものだそうで、本物と変わらないそうですが、
レプリカ・・と聞けば、ちょっぴり寂しい感じにもなりました。 が、それでも素晴らしい
印象でした。

 赤いとさかを付け、凛とした13羽の鶏を一面に配した「群鶏図」の迫力は素晴らしいですが、
小さな昆虫やへび、とかげなどを水辺の植物(ヒョウタン)とともにたくさん描かれた
「池辺群虫図」は、その一つ一つの虫たちを描いている若冲翁の心中を思うとき、妙にふつ
ふつとした楽しさが込み上げてくるのでした。

 第2展示室には、若冲が江戸時代に描いた一連の水墨画が見事で、襖絵、障壁画などこち
らも圧巻でした。とくに、鹿苑寺大書院旧障壁画の大きな芭蕉を描いた「月夜芭蕉図床貼付」
(重要文化財)は、その大胆な構図と水墨画の濃淡による奥行描写のすばらしさに圧倒さ
れました。 当時(江戸)このような絵が評価されたとは思えないほど、現代的な作風とし
て迫力のある見事な絵でした。 おそらく、上野では、この絵は見ることは出来なかった
かもしれません。

 東京で見そびれてしまったので、少し足を延ばした「若冲展」は、絵だけではない東京
ではありえ得なかったであろう喜びがあり、大変印象深いものとなりました。


相国寺参道               承天閣美術館入口
 


京都御所                 紅葉(御所)
  


       大本山相国寺全景
           
           


当ブログの 先日、11/13付け“若冲”にて、作風などを記事としています。

 

 

 

 

 

 

 

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右顧左眄  (bon)

2016-11-27 | 日々雑感、散策、旅行

 難しい(と思いました)四字熟語が、参議院特別委員会(TPP:環太平洋経済連携協定)で、
安倍首相の答弁の中で使われたそうです。 “うこさべん”と読みます。意味は、“決断を
ためらう”とあり、トランプ次期米大統領が表明している「TPP離脱」を受けて、首相答弁に
「トランプ氏の発言があったからと右顧左眄するべきではない。」とあったのです。 

 ネットgoo辞書には、「右を見たり左を見たりして、ためらい迷うこと。また、まわりの
情勢や周囲の思惑・意見を気にして、なかなか決断できないでいること。『顧』は気にかけて
振り返る、気になって見る意。『眄』は気にかけて流し目でちらりと見ること」とあり、
用例として、「右顧左眄して煮え切らない人」、「議場ではみな右顧左眄し、隣席の者の
目の色をうかがい・・」などがありました。

                ネット画像より~
           


  また、少し広げて(上位概念)“揺れる気持ちを表す”カテゴリの四字熟語には、次のよう
なのが列記されていました。

  ・右顧左眄(うこさべん)
  ・狐疑逡巡(こぎ-しゅんじゅん)
  ・首鼠両端(しゅそ-りょうたん)
  ・遅疑逡巡(ちぎ-しゅんじゅん)
  ・躊躇逡巡(ちゅうちょ-しゅんじゅん)
  ・朝種暮穫(ちょうしゅ-ぼかく)
  ・朝令暮改(ちょうれい-ぼかい)
  ・優柔不断(ゆうじゅう-ふだん)

いろいろありますね。
 最後の二つあたりは、よく出て来るようでお馴染ですね。しかし、昨今のような英国の
EU離脱や米大統領選結果などの現実を見ると、右顧左眄するような事態がまま起こるかも
しれません。



 

 

 

 

 

 

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ネアポリタナムの花  (bon)

2016-11-25 | 花鳥風月

 昨日(11/24)は、午前中かなりの雪が舞っていました。東京近郊で11月に積雪したのは、
明治8年からの観測で初めてだとか。 午後3時頃には、雪は止み、薄日が差す・・そんな
お天気でしたが、真冬並みの気温で、夕方から外出しましたが、マフラー、コートの冬装束
となりました。

 今朝は朝から良く晴れたお天気となりました。それでも気温は、一桁で寒い朝でした。
ベランダにも、昨日の雪がまだ融けずに残っていて、殆ど葉の落ちた花木の枝が寒そうに
青空に映えているのでした。

 そんな中、先(9月16日)の園芸友の会で講師先生からいただいた、シクラメンの原種
(の一種:ネアポリタナム)に花が咲きました。少し前に、1輪が咲き、この写真は、それ
から1週間ほど過ぎた姿です。 友の会の他の人は、既にたくさんの花を咲かせている方が
おられますが、私のところは、今頃花が咲いてきたのでした。 2つもらっていましたが、
もう一つの方は、まだ、蕾が硬い感じで、かなり奥手なんでしょう。 少し日当たりが悪
かったのかもしれません。
 この球根、1つが400gほどもある大きなものですが、豚が好んで食べたりするので、
“ブタノマンジュウ”などの異名が付されています。 和名としては、“アキザキシクラメン”
と呼ばれています。

         ようやく咲きました ネアポリタナムの花
            
             (鉢の隅には、昨日の雪が少し残っています。)

 

 

 

 

 

 

 

 

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畑じまい‛16  (bon)

2016-11-23 | 蓼科浪漫倶楽部 畑

 蓼科農園、今年最後の“畑じまい”に行ってきました。
11/20~22でしたから、寒さを覚悟していましたが、思いのほか暖かく、作業にはもってこい
のお天気でした。前日あたりに雨が降ったようで、サトイモなどは泥んこ状態で掘り上げに
格闘した? ありさまでした。

 11/20、出発の朝方は 霧が立ち込めていた東京も中央高速に乗る頃にはすっかり晴れて
良いお天気でした。高速道は、日曜日からか車の数が多く、河口湖を過ぎても数は減って
きませんでした。あの、笹子トンネルを抜けると、甲府盆地は、深い霧に包まれていました。
こんなことは初めてでしたが、県境あたりまで霧は続いていました。

          富士山(中央道河口湖付近から)
           
 

八ヶ岳(山梨県側から見る)        中央道最高標高点
 
 (中央の尖った峰が赤岳(主峰)       (今回はバッチリ撮れました。) 

 

 みんなで、わいわい楽しかった“大収穫祭”の余韻を話し合いながら、今年の畑の終了を
きれいに整える作業にも力がこもり、無事終えることが出来ました。 黒豆は昨年よりも、
豆粒も大きく、作柄も豊作でしたから、枝から豆をちぎる“豆ちぎり”に時間がかかり、
夕方日暮れまで作業が続いてしまいました。 暖かいと言っても、11月の蓼科農園は、日暮れ
ともなるとやはり気温は下がり、冷えた身体を温泉に沈める時のあの温かい感触は格別でした。

          霜で、しおれたサトイモ
            

 

 差し入れに送っていただいた、「温泉湯豆腐」には、送り主の思いが込められ、その美味に
触れるとき、心まで温まるのでした。ありがとう・・!  漆黒の闇に閉ざされた森の中、
蓼科K邸の明かりだけが煌々と周りを照らし、その暖かい部屋では、鍋を囲む青年たちの
談笑がいつまでもこだましているのでした。

         温泉湯豆腐を囲む青年たち
            

 

 今年、4月初めの「御柱祭」に氏子として参加したのを含めると、合計8回、のべ21泊
29日の蓼科詣ででした。 畑には、ビニールに覆われたタマネギ2畝とニンニク1畝が越冬
します。 来春雪解け後、暖かくなった頃「蓼科の集い」が再開されるまでしばしお休み
します。 
 今年1年、皆様ありがとうございました。 また来年を楽しみに・・・。

晩秋のシンボルツリー           越冬する蓼科農園
 
  (八ヶ岳もくっきりと・・)            (春を待つ姿)
           

 


  お待たせしました。オートスライドをお楽しみください。
 

           




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植物の進化  (bon)

2016-11-19 | 日々雑感、散策、旅行

 今日は肌寒い雨となりましたが、昨日は穏やかな小春日和で、お昼休みの日比谷公園は
多くの人が出ていました。ベンチにも、腰かけて、サンドウイッチか何かのお昼をしている
女子社員も見られました。   公園では、恒例の、東京都観光菊花展が開催されていて、
丹精された美しい見事なキク、菊が展示されていました。 それぞれの部門ごとに、何とか
賞の札が下げられていましたが、その育て主の喜びが偲ばれてきます。

 そんな日の午後、第161回園芸友の会(会社OBの趣味の会)があり、出席してきました。 
昨日は、私からの報告として、恥ずかしながら、「植物はどのように進化したか? ~その
転換と生存戦略~」(14ページ)というとてつもない壮大で、羊頭狗肉が否めないタイトル
ですが、今までのブログなどで集めた内容をまとめて報告としました。元より学術的な素養
などはありませんから、もっぱら興味先導型で、構成しました。
 すごいタイトルで、気が引けますが、まぁ、年寄りの感想?といったところです。
このところ日常、植物と接している機会が多くありますが、報告書をまとめているなかで、
長い年月の間に、物言わぬ植物に大きなロマンが満ちているとの印象を持った次第です。

           報告書表紙です。
            
 

 植物の起源は、突然変異によって光合成生物が生まれた、32億年前に始まるのですね。
地球誕生から10億年ほど過ぎた頃といいますから、割と早い時期に生まれているのです。
水(海)の中の藻の一種として存在するのですが、これが酸素を出す。それまでは、二酸化
炭素の世界で生物には不向きでしたが、これによって酸素濃度が次第に増加して、20億年前
あたりには、成層圏にオゾン層が形成されて紫外線を弱め、生物が生存できる環境が次第に
創り上げられて行くのです。 植物は、それでも水から離れることが出来ず、ようやく4億年前
くらいになって水から離れて上陸してきます。シダ植物ですね。これが、だんだんと進化して、
1億年前に「種子植物」が生まれるのです。いわゆる“花”が咲くのです。  

 最初は、裸子植物のオンパレードで多種に分妓(進化)して行き、とうとう今から6500万年
前あたりに、被子植物が誕生するのです。これが、植物界の大転換であり、その後この被子
植物の天下が形成され今日に続くのです。 植物27万種のうち、25万種が被子植物なんだ
そうです。被子植物とは、胚珠が子房で覆われた種のことで、いわゆる“タネ”なんですね。

 植物のみならず、動物も含めた生物にとって、これまで何度も絶滅の危機にさらされてきま
したが、それでもまた新しい生命が生まれ長い年月のうちに進化を遂げながら今日まで綿々と
拡大を続けてきたのです。絶滅の危機は、隕石落下、大地震、氷河などの大自然の変化が挙げ
られますが、いわゆる産業革命後の人類の活動による、森林伐採、埋め立て造成、そして
二酸化炭素などによる地球温暖化現象へと生物絶滅危機を加速している曲面があります。 
 先のパリ協定の実行会議として、このほど開催されていましたモロッコでのCPO22が昨日
終了しました。 トランプ次期アメリカ大統領は、選挙期間中の発言では、これもナンセンス
だと言って、脱退とか援助資金削減などと反対論を展開していました。 目先の利益追求、
一見合理主義の彼の考えの中には、先日印象に残った読売コラムにあった“無用の用”に
対する認識が欠如しているように思えてならないのです。

 またまた、愚痴ぽくなってしまいました。 
友の会では、講師先生から多岐にわたる資料と、解説をいただきました。先生は、サクラソウ、
シクラメンがご専門だそうですが、“ゆり”についても、利島で長年サクユリの研究をされて
いて、楽しい苦労話を聞かせていただきました。例会終了後は、みんなでお茶して再び話題に
花が咲いたのでした。
 昨日の日比谷公園周りの景色と菊花展の様子をパチリトしてきましたので、アップします。

日比谷交差点から晴海通り北方面      日比谷公園入口付近に
 


東京都観光菊花展
 


            


 

 

 

 

 

 

 

 

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お飾り  (bon)

2016-11-17 | 日々雑感、散策、旅行

 カレンダーも薄くなりましたが、“正月飾り”ではありません。

 天皇陛下の生前退位についての有識者からのヒヤリング結果を読んで、フトそんな風に感じ
たのです。
 大勢の識者の中から、選りすぐられた有識者の皆さんの深く考えられた中での意見ですから、
私なんぞの浅才凡人がとやかく言えるはずもありませんが、何ともストンと合点が行かない
のです。 座長代理の御厨貴氏の記者会見で「何対何でどっちが勝ちとの見方はしていない」
とのコメントにあるように、点数での考えには馴染まないとされていますが、全くその通り
だと思います。

 これまで第2回のヒヤリング結果では、11名中、退位を認めるが5名、認めないが6名でした。 
退位には反対、天皇は象徴として安定であるべき、摂政で十分である、公務を軽減すれば
よい・・などの意見にはどうしても賛同しかねるのですね。これらの意見の基にあるのは、
天皇は世襲制で、途中退位などはあり得ない、揺るぎないものとして、体力などの理由で
十分公務が果たせない場合には、代理(摂政)で行うか、公務そのものを減らすという合理的
な見方だと思うのですが、これは天皇という存在を形式的なものとして捉えられているのでは
ないかと思うのです。 いわば、天皇は、その代にある限り、不変として、実行にあっては
代理などと考えるのは、すなわち天皇をお祀りしているのであって、言い換えれば“お飾り”
として扱っているのに等しいのではないかと思えるのです。
 「天皇は、宮中にあって国と国民のためにお祈りくだされば、天皇の仕事は本質的に十分
なさったことになる。」などの意見は、そのような心を垣間見た感じで許せないのです。

  先のビデオによる天皇の“お気持ち”の深遠なる象徴としてのあり方を追求された真意は
汲み取られていないのではないでしょうか? 単なるシンボルとして祀り上げておけば良い・・
という考えに終始しているのではないか・・などと苦言を呈した次第です。

 この30日には、憲法の専門家5人から意見を聞き、計3回にわたるヒヤリングを終わると
ありますから、総合的にどのような結果となるのでしょうか。

 

 雨で直接見ることが出来なかったスーパームーンの十六夜版です。
                   
                (11月15日23時頃、天中東寄り ベランダより)

 

 

 

 

 

 

 

 

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何を研究すべきかを研究する  (bon)

2016-11-15 | 日々雑感、散策、旅行

                    昨夜のスパームーンは、残念ながら雨で見ることはできません
               でしたが、青森地方の映像をテレビ越しで見ることになりました。

まじめな話です。
 京都・奈良の境に、けいはんな学研都市というのがあり、何度か訪れたことがありま
すが、ここに「国際高等研究所」というのがあり、1984年8月に設立とありますから、
すでに30年以上が経つのです。

         国際高等研究所
           (同HPより)

 

 国際高等研究所 所長である 長尾真氏(京都大学名誉教授)の記事を見て初めて知った
というありさまで、何をかいわんやです。30年以上も過ぎているというのに・・。

「人類の未来と幸福のために、何を研究すべきかを研究する」ことを基本理念として、
地球社会が直面する困難にどのように対処すべきか、そのために21世紀の政治・経済・
科学技術などはどうあるべきか・・そのようなことを探求されています。このような壮大
な研究は、アメリカ、プリンストン高等研究所にすでにあり、これを範として、推進され
ているそうです。 外部から研究者を集めて研究グループを作り、2~3年かけて報告書を
作るという活動で、これまでに80余の様々な課題について、その成果が報告書として発表
されているのだそうです。しかし、そのことは、社会にほとんど知られていない・・と
所長自ら慚愧の念を抱いておられるのです。

 途中ですが、ウイキペディアより、研究所を検索しました。 
「国際高等研究所は、基本理念に賛同する産業界と学界、官界を挙げての強力な支援のもと、
1984年8月に財団法人として設立され、その後の全国の主要企業、篤志家からの寄付によっ
て運営されています。 1993年10月には、京都府から土地の提供を受け、けいはんな学研
都市(関西文化学術研究都市)に研究所を開所しました。 国際高等研究所は、この
けいはんな学研都市の頭脳ともいうべき中枢的研究機関としての役割を担っています。また、
2013年4月1日付で公益財団法人に移行しました。」とありました。

 で、話を戻して、その研究概要を見ますと、30年目を節目として、改めて、21世紀の
世界における大きな課題は何か?を検討して、次の4つを研究所として取り組むべき課題
として掲げられています。 すなわち、

①将来の地球社会を考えたときの科学技術の在り方
 科学技術とは何かを改めて問い直すとともに、迫りくる有限資源の地球、深刻な環境
汚染・破壊、地球温暖化といった直面している問題を前にして科学技術活動をどのように
すべきか。

②循環型、定常経済社会の構築の必要性とその方法
 富の追求という現代資本主義の形態のままで行けば地球資源の枯渇を招き、貧富の差を
拡大し、人類に早期の破滅をもたらすことは明らかであるから、これらの進歩発展という
概念を超えて、定常的、循環的な経済、持続可能な社会の構築をし、格差をできるだけ
縮小した、文化的な生活を保障する社会に向け、そこに軟着陸するための方策を検討する。

③多様な価値観を持つ社会や国家の平和的共存のための方策
 種々の考え方、多様な価値観、倫理観、主教を持つ人々や社会・国家が平和的に共存で
きない原因はなにか、その原因を取り除くための方策、そこから平和的共存に至る道を
どう描けるかについて検討する。 そのためにも、現在の経済指標であるGDPに代わる
人間中心の価値観に基づく指標を検討する。

④30年さきのけいはんな未来都市はいかにあるべきか

 これら4つの課題に類する取り組みは、世界でも検討され始めているが、これに対して
欧米の識者の検討に加えて、東洋的な心をもつ日本において、是非取り組みを推進し世界
に訴えて行きたいと結ばれています。

 この記事を拝見して、まさしくその通りだと感銘する一方で、まったくもったいない
限りだと思いました。 はばかりながら、これらの成果の社会への発表の形態・形式と
いった方法(戦術)をさらに工夫されてもよいのかな・・と思うのです。そして、多くの
支援企業の取り組みにも一考されるべき部分があるのではないかとさえ感じるのです。
これらのパラダイムの中から、当面の具体的な目標を設定し、さらに議論を深めて行く
といったアプローチが重要ではないかと切に思う次第でした。

 

 

 

 

 

 

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若冲  (bon)

2016-11-13 | 日々雑感、散策、旅行

                  明日14日は、今年最大の満月が見られるのです。地球との距離が
           68年ぶりに大接近するというのです。14%ほど大きく、30%ほど
           明るいスーパームーン( お月様)ですが、お天気は大丈夫でしょうか? 

 

 今年、4~5月に東京都美術館で開催された「生誕300年記念 若冲展」は、“狂乱若冲展”
と異名を取るほどの盛り上がりで、会期中に、44万6千人もの来館者があったそうです。
東京都美術館だけでなく、京都、箱根、滋賀、東京など各地で若冲展が開催されました。
また、今年は、俳人・文人画家として活躍した与謝蕪村も同じ生誕300年を迎え、若冲、
蕪村両者の展覧会や、種々の企画がありました。

  釈迦三尊像(一部)(相国寺HPより) 群鶏図(ウイキペディアより)
              


 そんな中、今頃なぜ・・若冲なのか、ということもありますが、このほど届きました
会報に、「伊藤若冲の魅力」(小林忠、学習院大学名誉教授・岡田美術館館長)の記事が
ありましたので、取り上げてみました。 5月の「若冲展」を観そびれた(機を失した)身
として何をかいわんや、ではありますが、これまでいくつかの機会で触れた片鱗を総動員
して、この記事から、抜き読みして、若冲の際立った特徴を中心に記してみました。

 伊藤若冲(1716~1800)は、京都の町中の青物問屋の長男として、生まれますが、23才
の時に父親がなくなり、家督、家業をつぐことになりました。しかし、趣味として絵画に
興味を持つ彼は、家業は殆ど番頭などに任せて切り抜けていたようで、40歳で隠居(弟に
家業を譲る)するや、たちどころに、「月梅図」などの力作を発表しているのです。 
さらに、有名な「釈迦三尊像」三幅や「動植彩絵」三十幅を完成させているのです。

            若冲居士相国寺蔵
             (ウイキペディアより)
 

 これらの作品を、あげて臨済宗相国寺(京都市)に寄進しましたが、後に、寺が困窮し
た折(1889年)に、「動植彩絵」三幅を皇室に献納し、ご下賜金(1万円)により保全した
とあり、長く宮中奥深く秘匿される状況となっていたのです。 それが、今回一般公開の
許可が下り、釈迦三尊像と共に一堂に会することが出来たのでした。 東京都美術館の後、
12月4日まで、この両作品が共々、相国寺承天閣美術館「若冲展」で開催されていますので
是非観に行きたいと思っています。

 若冲の作風は、その精緻な描写と裏彩色にあると言われています。すなわち、直接物に
接した写生の重要性を重んじ、先ずは、自宅に鶏を飼って、観察しその形状を写し極め、
「鶏の画家」などと親しまれとか。鶏に限らず、鶴、孔雀や雀、目白などの小鳥なども
ペン画のような丹念で正確な描写が特徴です。さらに、絵絹の裏からも絵具を付ける
「裏彩色」の手法を施しているのです。これによって、形の深みや立体感を与えて、空間
の奥行きをより確かなものに演出しているのです。

 このほか、さらに多彩な絵画技法を創り上げています。中でも、“拓版画”と呼ばれる
独創的な技法を開拓しています。これは、白い線や白い画によって形を表す、陰画のよう
な表現効果をもたらすものです。それらは、淀川両岸図絵「乗興舟」や花鳥草虫画「玄圃
瑤華」、「素絢帖」などにみられるという。また、多色刷りの版画も試みていて、友禅染
の染色や蒔絵などの工芸的なデザインや色感の趣を発揮した作品も残されています。

 中年以降は水墨画作品が多くなったそうですが、「筋目描き」(小林氏命名)という
特殊な技法も編み出しています。これは、中国の画仙紙の性質を利用して、一筆ごとの
墨の画が乾くにつれて境界に白い筋目を浮き出して、花の花弁や鳥の羽、魚の鱗などを
無線で表現するというのです。 また、屏風画面の全面に約1㎝四方の升目を引き、その
内側に最低2個の色面を埋め込むという、手間暇をかけた手法で、モザイク絵に似た、現代
のデジタル画法にも通じた手法を考案しているのです。アメリカにある「鳥獣花木図屏風」
などは、若者にも人気があるそうです。陸上と海中の巨大動物を左右に配した「像と鯨図
屏風」など、人の意表をつく主題を発想するなどの面もあるなど観る人を喜ばせているの
ですね。
写実と想像を巧みに融合させた「奇想の画家」とも称される所以ですね。

 会報記事の、小林氏の結びに、「そうした社寺への無償の喜捨行為や、晩年を過ごした
石峰寺への石仏や天井画の制作など、生涯を通して行えたのも、実家が豊かであったこと
と、自身が名利を求めなかったからだろう。 今もなお、若冲画に心癒され、楽しめるの
は、飾ることの無い素朴な心根から発せられているからではないだろうか。」「・・常々
私は、『画遊人』の称号を与えたいと思っている。」と締めくくられています。

 あぁ、何としても京都行くか・・。

            (相国寺承天閣美術館)

 

 

 

 

 

 

 

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神楽坂研究(5) (まち飛びフェスタ)  (bon)

2016-11-11 | 日々雑感、散策、旅行

 今年、18回目となる神楽坂のお祭り(文化祭)が、10月15日から11月3日まで、街を挙げて
賑々しく開催されました。開催直後には、テレビでも取り上げられて紹介されていました
から、ご存知の方もおられるのではないかと思います。 
 神楽坂・・となれば、何をおいても、住人である、そして研究熱心な“若さん”が思い
出されます。

 早速、若さんから「神楽坂まち飛びフェスタ」の記事が届きました。 アメリカ大統領選挙で
記事の完成が遅れたと言っておられましたが、なぁ~に、まだまだ新鮮で採れたて
ですから
そのままお召し上がりくださいませ。

 

****** 若さんの神楽坂研究(5) 神楽坂 まち飛びフェスタ ******

 
 “まち飛びフェスタ” は神楽坂の文化祭!


  2016ポスター   ボランテイア(毘沙門天) ギャルソン・レース  化け猫フェステイバル

 

  7月、民主党びいきの米国人からIn the meantime, we’re being entertained by crazy
American politicsとメールが来ました。今年は、マスコミや評論家が予想できなかった
事態が続いています。 英国EC離脱(Brexit)、フィリピン、ドゥテルテ大統領の米国との
同盟解消発言そしてトランプの大統領選勝利です。政策論争なく相手候補非難、中傷、人種
差別発言、セクハラして大統領になるなんて、益々米国という国が分からなくなりました。

  さて、今年も10月15日から11月3日まで、1999年からつづく「神楽坂まち飛びフェスタ
2016」が開催されました。 地域住民、商店、企業そして遊びに来た人たちを巻き込み70
近くのイベントで盛り上がりました。

  今年は夏目漱石没後100年、生誕150年の記念年にあたります。ポスターも漱石夫妻と
「吾輩は猫である」をイメージさせる出来になっています。(ポスター大賞の作者はローラ・
ジェーン・ウイリアムスさん) 漱石が大好きだった神楽坂は猫の街としても知られています。
毎年期間中(今年は10月16日(日)に化け猫フェステイバルという猫版ハロウイーン(仮装
パレード)で盛り上がりを見せています。猫らしい仮装をしていれば老若男女だれでも
参加できる楽しいパレードです。見ていると、子供たちに交じって、行きつけのバーの
ママや、飲み屋のおやじが猫になって練り歩いているのを見て結構笑えます。

  10月23日(日)はパリが総本家の「ギャルソン・レース」です。神楽坂上から100m坂道を
コップの水をこぼさず走り抜ける、ボーイさん(ギャルソン)のレースで石畳と坂道のパリの
裏道っぽい雰囲気をもつ神楽坂らしいイベントでした。 最終日(11月3日)は神楽坂下から
上までお絵かきの紙をつなげ(700m)自由気ままな絵を描く「坂にお絵かき」で打ち上げと
なりました。お天気にも恵まれ子供たちと、お父さんお母さんたちが通りを占領する少子化
時代に珍しい景色になります。 そして、これに続いて、法政大学、東京理科大学などの
文化祭のシーズンに突入です。
 

神楽坂はやっぱり芸者さんと伝統芸能…

  約20日間の文化祭ともいえる期間中、ぜひ気軽に参加(要予約)してほしいのは伝統芸能
関連です。矢来町で「はじめての矢来能楽堂」、赤城神社の「赤城寄席」と街中のお店での
寄席、江戸初期から続く武家茶道「綺麗さび」の遠州流茶道など豊富な体験イベントがあり
ます。特におすすめは、神楽坂の見番(けんばん)を開放しての(2部、各回定員40名、
@¥2,500)「ざ・お座敷入門」、鰻の志満金のお座敷で行われる投扇興(とうせんこう、
江戸時代には禁止令が出たほどの人気ゲーム)、毘沙門天善国寺書院での「小唄と踊り」も
花街の香りというか雰囲気を味わうには楽しい企画だと思います。
 見番での出演芸者衆は、立方(舞踊):英子、小夏、㐂よ乃  唄:眞由美  三味線:あやめ、
櫻子、 鳴物:由みゑさん達でした。 英子さんは芸者新道でバー「英」を営んでいて、
お座敷のない時は着物姿でママしていて、年に何回か琵琶の演奏もしてくれます。

  来年9月には夏目漱石記念館が開館予定なので神楽坂での楽しみが増えます。前号で夏目
漱石はプレイボーイだった!?と書きました。神経衰弱気味、病弱(胃潰瘍、糖尿病)堅物
イメージが漱石にはついて回ります。若いころと、作家になってからも漱石が大好きだった
神楽坂の花街(かがい)のフレーバー(芸者、お座敷遊び、落語、飲食店)を自分自身で
体験して漱石の神楽坂への思いを妄想していただくのも面白いと思います。

  漱石は官費で1900年(明治33年)英国に留学、1904年には強度の神経症を患い帰国させられ
ました。当時のロンドンは世界一の人口密集都市で公害先進都市。19世紀半ばまで、再三
コレラが大流行、水洗トイレ普及も水質汚染悪化させました。そんなひどい水質汚染状況
なので、英国人は伝染病予防のために風呂に入らない風習が生まれたそうです。
 スモッグ(Smog=Smoke+Fog)という英語もロンドンの大気汚染から生まれました。実に
20世紀半ばまで有効な大気汚染対策はうたれず、1952年(昭和27年)には亜硫酸ガス濃度の
高いスモッグで、4,000人の犠牲者がでました。風呂も入れない、芸者と遊べない、寄席も
ない、和食もない そしてスモッグに汚染されたロンドンで、大学の講義も授業料の無駄と
自主退学した漱石の境遇を思うとメンタルを患ったのも理解できます。

 
    お座敷遊び   兵庫横丁(幸本、八仙、和可菜) 伊勢藤(いせとう) 投扇興(とうせんこう)


  数年前、元会社の上司と共通の知人の米国弁護士さん来日の折、兵庫横丁の料亭「幸本」で
ご接待しました。たまたま、英子さんがお座敷にあがってくれ、楽しくお座敷遊びしました。
幸本は、本多横丁の「牧」と並ぶ料亭です。鎌倉古道のなごりといわれる兵庫横丁を、先代が
ピンコロの石を敷いてさらに風情ある石畳の坂道にしました。春、夏、秋に「幸本会」という
毎回満員御礼のお座敷遊びの新人向け研修会が開催されています。(今年で36回)おそらく
大広間に芸者さんが勢ぞろいしての踊りは、幸本会以外には見ることができない時代になった
ようです。とにかく席の目の前で足袋と畳のすれる音、着物の風きり音を感じながらの踊りは
迫力と華やかさがあります。初心者、外国人だけでなく旦那衆、常連さんのご家族も毎回参加
され、伝統的お座敷芸とお色気も楽しめます。(要予約、@¥28,000―¥33,000)

  幸本の向かいに、野坂昭如、山田洋二監督などが編集者にカンズメにさせられた、ホン書き
旅館(朝食つき一泊@¥10,500)、向かって右が 現役芸者さんが元料亭をリノベーションした
人気のバー併設の、唯一の貸席「八仙」。坂道を毘沙門天の方に上がるとミシュラン☆付き
そば粉クレープで大成功した「ブルターニュ」。
  その向かいが昭和12年創業、戦災で焼失後再建した見るからに昭和の風情の縄のれん「伊勢藤」
があります。軽子坂「桝本酒店」が明治19年に見出し、のちに唯一の伊勢神宮御料酒に登り
詰めた灘の「白鷹」のヌル燗だけしか飲めない名店です。ある時、顧客と2人で入店したとき、
いろりでヌル燗をつけている主人にジロッと睨まれ「ご酒を召しあがられていますね?」と
威圧的一言からはじまり顧客との会話も隣の常連から「静かに」と注意され、燗酒は三本までの
制限付きというステレオタイプがしみついた店です。今三代目に代わったのでそろそろまた
行こうかと思っています。真夏でも冷房なしなので要注意です(笑)

 
             「幸本会」での芸者衆、Cool! 



神楽坂で、フランス文化も楽しめます!
 


          ”朝霞荘“       毘沙門天御朱印(節分) アンステイチュ・フランセの庭(夜景)

  これから、年末にかけてフランスの文化、食にふれるのも神楽坂の楽しみです。市ヶ谷
砂土原町3丁目にはフランス人駐在員が多く住んでいます。そして、神楽坂から少し市ヶ谷
寄りの「逢坂」の中腹(市ヶ谷船河原町)には、フランス政府公式機関としてのアンステイチュ・
フランセ東京(旧日仏学院)があります。都心にしては、貴重な木々と芝生の緑に囲まれた
素敵なジャルダン(庭=Jardan)と、粋なたたずまいのレストラン(ラ・ブラスリー)が
併設されているい癒しの場です。

  11月17日はボージョレー・ヌーボー・ナイト、そしてクリスマス(ノエルNoël)にはマルシェ
ドノエル(クリスマスマーケット)が開かれます。 毎月、いろいろな地方のワインセミナーも
開催されていて、11月27日はボルドーです。 3月は世界中同時に開催される食の祭典(グー・
ド・フランス)東京会場として屋台や、ライブで盛り上がります。 勿論7月には革命記念日
(パリ祭)で駐日大使も参列。 過去に、ムーランルージュのカンカンを見ながらのデイナーや
東京ジャズ・フェステイバル参加の仏人ジャズマンのライブもあり、イベント情報チェックは
欠かせない超穴場です。週末は結婚披露宴の貸切りも多いので事前に電話をお忘れなく。

  神楽坂の芸者さんの副業というか 今や本業化しているバーに通っていると、節分には
ちょっと楽しいイベントが待っています。毘沙門天の節分豆まきには、必ず芸者衆、旦那衆が
豆まきに参加しています。夜、料亭のお座敷では「お化け」といって芸者衆がそろって仮装して
の踊りでお座敷を盛り上げます。そしてそのままの仮装でお店に流れてくれて、ちょっとした
ミニ・ショウを楽しむことができます。(行く時は、ポチ袋と祝儀をわすれずに!)

 

“Here we are. This is my house!”

  最後に個人的な笑い話です。アンステイチュ・フランスから歩いて一分のところに某大手
損保会社の接待寮「朝霞荘」(写真上左)があります。実にゴージャスな平屋の日本建築で、
玄関わきには黒塗りが10台は駐車できます。サラリーマン時代、某都市銀行や上場企業の
接待寮で接待をうけたことがありますが、ここは雰囲気的には都内トップクラスのひとつだと
思います。

  2000年にコンサルタント業として(私が)独立して以来、仕事は車。 そして米国、カナダ
企業の日本代表的な仕事が中心で、顧客とのデイナーがない時はほぼ、夜のヨコ飯(英語会話で
食事)は神楽坂でした。 今も昔の同僚や知人が来日するときは神楽坂です。
 先月もハワイから27年ぶりの知人が来日、新宿のホテルでピックアップして自宅に車を
置いてから神楽坂に出撃です。途中、「朝霞荘」の駐車場で“ハイ到着、ここが私の家です!”
といって驚かせます。大抵、ポカーンとして Oh really! と口にでるまで10秒の沈黙時間が
流れます。    
 Just joking HA HA! といって自宅に移動し(長屋=タウンハス)のウサギ小屋駐車場に入れる
時,切り返しを何回も見せて、また驚かせます。(笑)
  ちなみに、神楽座坂研究(1)は英語版もあり事前に彼に読んでもらい、何軒もはしごした
結果“Unforgettable night だったのでまた来るときは神楽坂をもっと研究したいので
よろしくとのこと…でした。 
(つづく)

                           神楽坂研究by若林成明

 

 

 

 

 

 

 

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大あらし  (bon)

2016-11-09 | 日々雑感、散策、旅行

 世界が注目する中、アメリカ大統領選が、日本時間11月9日9時から開票が始まりました。 
7時間半後の16時35分、AP通信は、トランプ当選確実のメッセージを発表しました。

 選挙直前の大方の予想を大幅に覆す状況が続き、注目選挙区のなかでも注目度の高い、
フロリダ、オハイオ、ノースカロライナなど、トランプが制し午後1時半ごろから接戦の
中トランプの強さが次第に鮮明になってきました。

 事前の、選挙人獲得数予想では、クリントンの優勢が伝えられており、過半数である
270人をどちらの候補が勝ち取るかその瞬間を捉えたいと、朝からTVにくぎ付けとなって
しまいました。

 朝9時(日本時間)からの開票直後から、獲得選挙人数の推移を以下にグラブ化してみ
ました。 過半数を、どちらがクリアするか、興味しんしんで始め、11時頃まではテレビ
放送内容も新鮮でそれなりにフォローしていましたが、午後1時半に接戦を展開していた、
注目のフロリダをトランプが制した後は、確定する州がなかなか決まらなくなり、14時頃
からほとんど動かなくなりました。
 とうとう過半数をクリアする前に16時半未確定州の開票状況からAP通信が“トランプ
当選確実”のメッセージが出、つづいてFOX通信からも同様メッセージが発表され、その
後テレビでは、トランプの勝利宣言放送が流れました。

      アメリカ大統領選推移
         

 

 外国為替相場、株価は、朝から大幅に変動する荒れた展開を繰り返し、2時頃には、
為替は101円台となり、日経平均株価は、1000円を超える大幅な下落を記録しました。3時
には、金融市場の安定化に向け、財務省、金融庁、日銀は会合を開いたと報じられていま
した。 株価が、前日より1000円以上下落したのは、6月の英国のEU離脱決定以来とのこと
で、この時も、大方の予想を裏切った結果が出たのでした。

 各州の開票状況などを見ていますと、過去 民主党の牙城といわれた州も、共和党(トラ
ンプ)支持が優勢となり、覆される結果となるなど、あの過激な発言、人種差別を露わに
した行動など、人格的にも大統領に相応しくない・・などと前評がありながら、経済改革
への期待が大きいことが、国民、特に労働者から支持された結果だと思えました。
 英国のEU離脱の時もそうでしたが、いわゆるポピュリズム(大衆迎合主義)による流れ、
現状打破に対する期待によるものと解釈できるのではないでしょうか。

 超大国の指導者が、殆ど政治経験が無くても、何かやってくれるのでは・・との期待に
よるのではないかと思われるのです。 しかし、本当にこれで良いのでしょうか? 
今後の動向が、きわめて心配で、先行き不安が大きくのしかかっているのですね。この
不安は、今日の為替、株価の大荒れに如実に現れ、今後どのように世界が展開して行くの
でしょう。

 世界の図式も変わる可能性があり、ロシア、中国などの動きが注目されるところです。

  ~えらい時代になったものですねぇ! 


 

 

 

 

 

 

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立冬 '16  (bon)

2016-11-07 | 日々雑感、散策、旅行

                明日8日(現地時間)は、アメリカ大統領の選挙日です。
         両候補の支持率が、世界中に報道され、その流れは、あたかも
         シナリオに書かれているかと錯覚するような展開で、政策論など
         忘れた、しかし興味抜群のイベントが、明日行われるのです。


 今日、11月7日は、二十四節気の立冬です。

 立春、立夏、立秋、立冬と二十四節気では、この四立は、各季節の初めの日に当てていま
す。 ですので、今日は、“冬の始まり”の日ということであり、まさに暦どおりの寒さと
なってきました。 高気圧が日本列島を広く多い、東北から北海道にかけてかなり気温が
下がったそうです。旭川では、最低気温が -7℃、最高気温が1℃で、層雲峡では48㎝の積雪
があり、札幌でも12㎝だとか。 昨夜のテレビの映像では、札幌市内は、何も映っていない
ような吹雪でした。 “霜月”というのに、早や“雪景色”になっているようです。

 立冬については、昨年(2015.11.7)のブログにも記事アップしていまして、二十四節気の
解説などもしていましたが、昨年は、明日11月8日が立冬でした。この記事には、今日7日に、
同窓会東京支部の総会がある・・と記されていましたが、まさに1年が過ぎる速さに改めて
思いやられます。 卒業生が率いる女流剣舞が披露されたのが思い出されますが、つい先ごろ
のように感じているのです。 今年の、それはすでに先月29日にあり、その後、蓼科農園での
“大収穫祭”も終えていますから、まるまる1歳、さらに積み重ねたのでした。

 このような調子で、どんどんと年を重ねる速さを感じるとき、どこかある種のセンチメンタ
ルな感じがよぎるのは否めないところです。少し前の読売のコラムに、“秋が来て、冬が来る。
そしてまた春が来る・・。 冬来たりなば、春遠からじ。 人生の春夏秋冬を楽しもう・・”
というような、記事があり、“人生には、秋、冬の次の春はない・・”とも
書かれていたのが、
妙に印象に残ってしまいました。 わたしは、すでに人生の“立冬”をだいぶ前に通り過ぎて
いるのでした・・。

 ベランダの花木の葉は、すでに落ち、つわぶきの黄色い花が目立って咲いていました。
カメラのついでに、紅葉した“さくら”と まだ頑張っている“ススキ”をパチリとしました。

          つわぶき
           

 

紅葉したさくら              ススキ   
  

 

 チューリップ、ムスカリなどの 秋植え球根を植え、先ごろ友人からいただいた“椿の種”、
そして、ツタンカーメンのえんどうの種をポット蒔きしました。 えんどうは、しばらく
すれば、芽が出てきますが、椿の種から、いつ芽が出てくるやら・・あるいは出てこないかも
しれないなどと思いながら、気長に待ってみることにしました。

 

 

 

 

 

 

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真田丸  (bon)

2016-11-05 | 日々雑感、散策、旅行

 目下人気のNHK大河ドラマ「真田丸」がいろんな波紋を起こしているようです。

 先日(29日)の東京支部同窓会での会長あいさつの中にも、その場所についての解説があった
ばかりですが、先頃手元に届いた会報にも、「真田丸の謎」(千田嘉博氏、奈良大学教授)や
会報別冊の「真田幸村と大坂の陣」(北川 央氏、大阪城天守閣館長)にそれぞれ面白い解説
がなされていました。

三光神社境内の幸村像           天王寺区が作成したジオラマ
  
    (大阪城観光HPより)             (天王寺区HPより)


 歴史的な事柄は、大河ドラマに譲るとして、ここでは、“真田丸の場所”について、すこし
具体的に見て行きたいと思いました。

 私ごとでまことに恐縮ですが、真田山といえば、戦後、私が疎開先から大阪に戻ってきた
場所が、天王寺区上本町2丁目でしたから、子供のころから慣れ親しんだ地名で、真田山
公園、その中に真田山プールがあって、小学生の頃、真夏の暑い盛りに長蛇の列に並んで、
プールに入った記憶があります。  また、三光神社などにも時々行ったりして、大阪城に
通じる抜け穴があるんだとか、そんな話題をかすかに覚えています。
 小学校は、市電を渡ってちょっと行った南区桃谷小学校で、中学は、清掘通りに面した
高津中学、高校が清水谷・・と、真田丸の地図を開くと、通学した学校がすべて入っている
のです。 そんなことで、何やらローカルな気もしながら、しかし、天下の真田丸なので、
ここにちょっぴり取り上げさせていただいた次第です。

 NHKドラマでは、ちょうど明日(11/6)、日曜夜 第44回「築城」がまさしく真田丸を築く
物語が展開されるかと期待しています。

  1614年(慶長19年)10月、真田幸村(信繁)は豊臣秀頼からの招きに応じて、蟄居先の
紀州九度山(和歌山県九度山町)を脱出して、勇躍、大坂城に入りました。 徳川家康は
諸大名に大坂攻めへの出陣を命じており、豊臣氏と徳川方が一触即発状態となっていたのです。

 大坂城は、北には淀川、西には海、東は幾筋もの川があり広大な湿地帯で自然要塞を呈し
ていましたが、南面が平坦な陸地であるため、幸村は、この南惣好構掘(空堀)の外側に
出丸(出城)を構築したのです。これが、「真田丸」なんですね。 しかし、大阪城天守閣
館長北川氏によれば、幸村と相前後して大坂城に入城した後藤又兵衛が、先に準備していた
のに、それを出し抜くように幸村が出丸を築いたので、両者の関係は一時相当険悪になった
と伝えられているそうです。

 そして、この真田丸を舞台に、徳川方の前田利常・井伊直孝・松平忠直・藤堂高虎らの
軍勢が攻め寄せ 激しい攻防戦がおこなわれましたが、幸村はこれらの大軍をものの見事に
手玉にとり、散々な目に遭わせて完勝した とあります。

 下に、地図を載せました。 真田丸は、現在の大阪明星学園付近を中心として、その周り
の寺々を含む一帯がそうであったと考えられています。 冬の陣の終了後、和議の条件に
よって真田丸は破壊されたそうで、ウイキペディアには、夏の陣の終了後に造成された小橋
寺町を境に、その西側が真田山、東側が宰相山と呼ばれるようになったとあります。
 1939年(昭和14年)に開園した真田山公園に、真田山町という町名が1965年(昭和40年)
に付けられますが、ここは、真田丸よりも南に下がったところに位置するようです。

     (google地図を加工しました)
     (私が育った家は、高校と小学校を結ぶ線と上町筋との交点にありました。)

 なお、心眼寺には、真田幸村出丸跡の碑があります。

        (ウイキペディアより)



 

この人も、この近くに生家があったそうです。

 

 

 

 

 

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収穫祭´16  (bon)

2016-11-03 | 蓼科浪漫倶楽部 畑

 八ヶ岳の裾野は、紅葉しているのか うっすらと赤く染まっていました。
 集合場所の茅野市山寺上のAコープ(市場)に、10月30日の午後、次々とメンバーが
集まり、まるで子供の頃、心待ちにした遠足のような 嬉しさいっぱいの再会でした。3泊
4日の食材を買い込んで、晩秋の景色広がる高原を一路 K邸に向かいました。ナナカマド、
ドウダンツツジなどの 真っ赤な色づきと 広葉樹の黄色が織りなす山道は、さながら
大収穫祭”へのプロローグとなって、そのまま 前夜祭へとつながるのでした。

晩秋の八ヶ岳               一路 K邸へ~
 

 

 10/30~11/2の大収穫祭の前夜祭は、女性軍 手づからのオードブルづくしを前に、シャン
パンで乾杯するや、場は一気に盛り上がるのでした。
 集まったメンバーは、全員5月の“喜寿の会”で楽しんだばかりで、中には、その後 7月に
も蓼科で、収穫祭準備では、つい3週間前に一緒に作業をした・・そんな仲間と思えない、
懐かしさと再会の喜びみたいなワクワクした雰囲気が充満し、年代もののワインに誘われた
弾む語らいと笑い声が絶えませんでした。 
 いつまでもこのままいたいけれど、前夜祭の後は、翌日の“芋煮ナベ”、“鮭のムニエル”
などの仕込みに取り掛かり、手際よく済ませて、1日目が終わりました。

           前夜祭で・・
            
 

  翌日は、いよいよ畑にカマドの設営、テント、テーブルの配置などの準備を済ませ、
みんなでサツマイモを掘り上げ、そしてサトイモを掘り上げました。
サツマイモは、霜よけのビニールシートが効いて、霜害はなく 上々の、しかしやや大きす
ぎるものも収穫できました。サトイモも豊作で、たくさんついた子芋を捥いだり、根っこを
切り落としたり、みんな童心に帰って懸命に取り組んでいたようでした。
 タマネギの苗の植え付けもありました。今回、1200本の苗を4人がかりで植えつけました。
前々回(9月)に蒔いたタマネギと合わせて、計1700本のタマネギと ニンニク500本の苗が、
これから厳しい冬を越し、来年の収穫を待つのです。 タマネギには、もみ殻を播き、ビニ
ール覆いをかけ 稲わらを置いて防寒対策も施しました。

サツマイモ堀り              わいわい言いながら・・
 


            


サトイモ掘りは、手間がかかる~     根っこの切り落とし   

 

 芋煮も煮えあがり、特製鮭ムニエルを前に、ビールで乾杯、八ヶ岳に見守られながらの
野外ステージ(食卓テーブル)は、熟年にもかかわらず、沸き立つエネルギーと歓喜のこだ
まが、一面に広がっていました。 あの多感な青春時代をわずか3年、同じ学び舎で過ごし
ただけのつながりにすぎない・・そして、あれから60年になろうというのに。不思議ですね。

芋煮ナベ                    カンパ~イ!
 

 

            八ヶ岳に抱かれて バンザ~イ!
             

 

 日が落ちる頃、K邸のパティオでは、たき火とバーベキュー。
夜空に向けたシャンペンの弾ける音で、パーティーのスタートとなりました。メンバーの
機転で、ハローウイングッズが持参され、アミダクジに従ってめいめいが仮装してまさしく
31日のサプライズ・ハローウインパーティーとなりました。もう車に乗ることもないため、
アルコールも好きに飲め、またしても話に盛り上がり、標高1300mの K邸の森は、かなり寒
いはずなのに、たき火を囲み楽しみを共有していました。 たき火を前に、寮歌をはじめ
懐かしい歌謡曲などを声を張り上げてうたい、ひと時 高校時代、体育祭の後の“ファイア
ーストーム”にタイムスリップするのでした。 今年の課題曲「そっとお休み」も無事上手
にこなし、燃え残る火を囲み「今日の日はさようなら」でお開きとなりました。

ハロウインパーティーカンパ~イ     楽しさが続く・・(白いマスクは誰でしょう?)
  

 

 翌日は、ゴルフの予定でしたが、朝方は雨模様で、そちらはキャンセルして、しばし、蓼科
農園のこれまでの写真集「蓼科の集い」や、若かりし頃の写真などに花が咲き、お昼を作って、
原村ペンションヴィレッジにドライブして「八ヶ岳自然文化公園」近くの親水庭園で、少し
寒かったですがお昼を済ませて、心を残しながら 三々五々サヨナラとなりました。

親水庭園にて・・                  白樺林をバックに
 
          

 
 楽しかった、今年の大収穫祭の余韻に浸りながら、今年も来月の「畑じまい」を残すのみ
となりました。 みなさ~ん、ありがとうございました!

 



 お待たせしました。オートスライドをお楽しみください。(6分20秒)

             





コメント (6)
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